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渡嘉敷島日記【前編】(2)

 

★2回目の週末

 9月26日(金)晩、交代のため離島するBさんの送別会を兼ねて宴会。派遣組の1人の知り合いが大阪より”お好み焼きセット”一式持参で来島したので、『お好み焼きパーティー』となりかなりにぎやかな宴会となりました。A氏の三線も絶好調。Bさんを師匠として皆で踊っておりました。

 翌27日(土)、午前中は仕事。その後、Bさんは本島帰還のため16時発のフェリーで離島。フェリーターミナルで見送ります。

入れ替わりと言っては何ですが、17時過ぎに到着したマリンライナーで会社の後輩達が”休暇”で渡嘉敷島にやって来ます。なぜか課長も同行。仕事の視察ではなく、課長も”休暇”だそうで。ちなみに課長も20年ほど前に渡嘉敷島に派遣されており、この時の担当もA氏だったとか。

 当然、この日の晩も宴会。後輩達の宿泊するホテル『マリンビレッジ』にかけつけて三線パーティーとなりました。(^^;)                          【写真右】Bさんの乗ったフェリーが去って行きます。

 宴会を終えて宿から借りた車を運転して宿に戻ると、 なんと渡嘉敷港で検問が行われていました。Σ(゚Д゚;)マジ!? 1台のトラックが捕まっており、5人ぐらいの警官が入念に調べています。何か事件でもあったの でしょうか?密入国それとも密輸?こんな平和な島に何が起こったというのでしょう?(((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル

 検問所の手前で曲がって駐車場に入り車を止めます。特に声をかけられることもなく宿に戻りました。気になったので、あとで飲み物を買いに外に出た時に警官に尋ねてみ ます。交通安全週間ということで飲酒検問をしているそうです。なぁ〜んだ。そうだったのか。離島でも飲酒検問するんですね。

 ちなみにこの手の情報はすぐに島内に伝わるそうで、検問がある日は渡嘉敷に飲みに来ないそうです。そういうことを知らない本島の警官さんは「なんで車が来ないのだろう?」と不思議がってい ました。(;´∀`) お疲れ様です・・・。

●渡嘉敷島散策(2)

 仕事が終わってから夕食までの間に、渡嘉敷の町の周囲をぶらぶら散歩していました。さすがに赤間山までは歩いて行く元気はありませんでした。_| ̄|○

 A氏はほぼ毎日ジョギングに出かけ、渡嘉敷から阿覇連まで往復したり、島北部を一周してました。元気ですね〜。

渡嘉敷にある村の文化財「根元家の石垣」。石灰

岩を正確に積み上げています。貿易で相当の財

力があったことが伺えます。

渡嘉敷の町中には少しだけですが、昔ながらの

琉球風の民家が残っています。裏路地にはこの

ような壁と小道が残っていました。

村役場から渡嘉敷港に向かうメインストリート。

沖縄県道渡嘉敷港線という県道だそうです。

道幅が狭いとかで一方通行になっています。

渡嘉敷の町中には、民家の壁を利用して熱帯魚

などが描かれています。

主な道路に面した壁はご覧の通り。見て歩くだけ

で楽しめます。

渡嘉敷村役場。この向かいに公民館があり、公民

館の南隣に郵便局があります。

★運動会

 9月28日(日)、この日は朝から快晴。前日は夜中(正確には28日午前2時頃)まで騒いでいたので、朝遅くまで寝ていました。11時頃、宿の裏にある小学校からの音楽などで目が覚めます。そう、渡嘉敷小学校では運動会なのです。

 ぶらりと小学校に出かけるとほとんどのプログラムは終わっておりました。(^^;) ちょうど教職員などが参加した対抗リレーが始まったところで、全速力で駆け抜けるアメリカ人教師の姿が印象的ですた。

 その後、全校生徒が参加した『エイサー』が始まります。本職(?)の三線プロの方2名の生演奏で、子供達は太鼓や鳴り物を持ってグランド一杯に広がり飛び跳ね踊っています。元気いっぱいです。そういや本島の観光施設でも『エイサー』を見ましたが、渡嘉敷島の小学生達も十分迫力ある『エイサー』を踊ってくれました。

 ところで運動会を見物していると、東京から来たという観光客のおっさんに話しかけられました。運動会会場に置かれたスピーカーがとても高価な物で、自分も持っているが、そんな高価なスピーカーを運動会で使っているのを初めて見たという。はぁ。そうですか。それがなにか?いきなり自慢でつか? (゚Д゚)ハァ?

 さらに専門用語を連発してスピーカーの性能を話し始めた。さらに音響のミキサー機器についてもあれこれうんちくを話し始める始末。あぁ、ヲタさんか。適当に聞き流してその場を離れたが、おっさんは『エイサー』を見ないで機械類を熱心に眺め 、機械担当の教師(役場の方かな?)にあれこれ質問しておりました。何をしに島に来たんや? ああいうのはどこにでも居るということですな。┐(´ー`)┌

★気が付けば・・・

 9月29日(月)、会社の課長&後輩達@休暇中は帰阪のため離島。残された私たちは仕事の続きです。淡々と仕事をこなして一日が過ぎて行きます。この日からBさんに代わって 昨日来島したDさんが入れ替わりで仕事に入りました。

 やがて10月に入ります。10月からフェリーと高速船のダイヤは冬ダイヤに変わります。夏時間より30分早く繰り上げられて運航されます。10月に入ると少し焦り出します。あと11日ほどで仕事は終わってしまうので、それまでに全て終了させないとならないのですが、17時になると仕事は終わらせて宿に戻ります。残業?なにそれ?相変わらずスチャラカ@管理人です。

 ある日、しばらく喰っちゃ寝していたので、これ ではいけないと仕事終了後に散歩することにしました。児童文学作家の灰谷健次郎氏の家があるというので、そこまで散歩がてらぶらりと歩いていきます。 町を出ると山間の農村風景が広がり、沖縄の離島であることを忘れてしまいます。農家を過ぎると離島とは思えないような急坂が現れ、この坂を上りきった尾根付近に家はありました。さすが良い場所を選んでいます。ここからの眺めも抜群で、とくに夕暮れ時の風景は絶景でした。

●渡嘉敷島散策(3)

 散策がてらに撮影した写真です。

道路の側にあった山羊小屋の山羊。人なつっこい

のか、すぐに近寄って来ました。沖縄の離島には

山羊を結構見かけます。

渡嘉敷島には広々とした水田が広がっています。

水が豊かな証拠なわけです。ここだけだと、本土

の山間の農村といった感じの風景です。

渡嘉敷と渡嘉志久の間にある尾根を越える道。

離島とは思えない山間を進みます。勾配は急で、車だと上り下りは苦労します。

尾根付近にある灰谷健次郎氏の家。仕事でほと

んど東京にいるそうです。別荘的な家ですな。

ある日の赤間山からの夕日。水平線近くには雲

がかかっています。

阿覇連ビーチ。阿覇連に出かけたときに撮影しま

した。きれいな砂浜が続きます。

★運動会

 10月5日(日)、3回目の日曜日 キタ━━━(゚∀゚)━━━!!!!! 渡嘉敷島滞在最後の日曜日です。

 この日も朝から快晴。昼過ぎから雲が出てきますが、問題ない良い天気です。この日は阿波連小学校 で運動会が開催されます。今回、我々派遣組は職場対抗リレーに参加することになりました。運動会というか小学校のグランドで走るなんて何年ぶりでしょう。

 4人一組で出場。あめふらし@管理人は第二走者として参加します。競技スタート。第一走者か

らバトンをもらいあめふらしが出走。100mほど のグランドを半周します。全速で走ったつもりなのですが、他のチームからどんどんと引き離されてしまいます。日頃の運動不足が露呈した瞬間

でした。_| ̄|○ 足の筋肉が肉離れするかと思いましたが、どうにか壊れることなく第三走者にバトンを渡します。100mほど走っただけで足腰がおかしくなっています。体力低下を再認識しました。⊂⌒O。Д。)⊃

 で、結果ですがチームは最下位。(;´∀`) 当たり前といえば当たり前かなぁ。

 阿波連小学校でも『エイサー』を見ることが出来ました。こちらの子供達も元気いっぱいで踊ってくれました。

★もう終わり・・・

 10月6日(月)から仕事の追い込みが始まります。とにかく8日までには終了させないとなりません。(`・ω・´)シャキーン!

6日・7日と9時過ぎから仕事を始め17時に終わります。 残業?何それ? こんな調子でしたが、実質終了日となる8日(水)には仕事を終えることができました。

 ところで6日頃にフィリピンと台湾の間に発生した熱帯低気圧がじんわりと沖縄に接近。6日晩から天気は崩れて雨が続きます。このまま台風に発達したら離島する9日は直撃です。さてどうなるやら・・・。(((( ;゚Д゚))) 来訪時だけでなく離島時も台風に悩まされるとは・・・。断っておきますが召還しておりません。(;´∀`)

 8日晩、送別会が開催されます。歓迎会同様、村の主要な方々やCさん、お手伝いして下さった皆様などが集まっての宴会となりました。今回はA氏の三線はなく、カラオケ大会となり盛り上がります。来島前は「長いなぁ〜」と思っていましたが、実際に来るとあっという間に終わってしまいました。ようやく島の生活にも慣れたのに、明日は離島です。(´・ω・`)ショボーン

★最後の日

 10月9日(木)、渡嘉敷島離島の日がやって来ました。(´・ω・`)ショボーン

朝9時前に宿を出て集落内をブラブラしながら仕事場に向かいます。天気は晴れています。最終日が晴れるのはうれしいことです。ところが熱帯低気圧が近づいているそうで午後から雨だとか。やはり始めと終わりも雨でつか・・・  (;´∀`) 

  この日の午前中で仕事は正式に終了。12時過ぎに昼飯を食べに宿に戻り、そのまま部屋で荷物をまとめて大きな荷物は郵便局に持って行き自宅に送ります。あとは小さな荷物だけです。

 13時過ぎ、村長さんが我々に対して感謝状を授与して下さるということで、簡単ですが記念式典が開かれました。感謝状と記念品を頂きます。今年度で渡嘉敷島への(県の)事業は中止されるとのことで、A氏にも村から感謝状と記念品が手渡されます。感慨深げなA氏でした。

 そうそう、Cさんのお母さんから沖縄の代表的な家庭菓子である『サータアンタギー』をたくさん頂きました。1つ頂きましたが、これがうまい。(゚∀゚)ウマー ありがとうございました。m(_ _)m

【写真】Cさんのお母さんが作って下さった『サータアンタギー』。一人10個ぐらいあったかなぁ。めちゃ美味しかったです。

★さらば渡嘉敷島 

 3週間の住まいとなっていた宿の部屋。滞在中はそこかしこに荷物が散らばり、ごちゃごちゃに

なっていましたが、この日まではすべて片づけて元の状態に戻しました。部屋に別れを告げ、宿の女将さん達に挨拶して14時半頃に旅館『村元』を出ます。しかし外は大雨となっていました。しかも横なぶり・・・(;゚д゚) 朝は快晴だったのに。なんで?

【写真右】離島当日昼前の部屋。この後大きい鞄を郵便局に持っていきました。

 宿からフェリーターミナルまで近いので歩いて移動。15:30発のフェリーに乗船します。ところが修学旅行の高校生で船内は満員。座席はすでに一杯だったので、高校生で一杯の2等室の一角

を確保します。とりあえず荷物を置いて甲板に出ます。

 15:30、フェリーは渡嘉敷FTを出港。埠頭には雨の中、明日 の便で帰島するOP社のA氏、Dさん、それと村役場のCさん、お手伝いの方と宿の女将さんが待って下さっておりました。皆手を振って見送って下さいます。こちらもみんなで手を振り返します。帽子があれば「帽振れ」の場面です。メンバーの1人が仲良くなった島のコンクリ会社の人達も、仕事中なのに駆けつけてくれて見送って下さいます。わずか3週間という短い期間滞在していただけですが、いざ離れるとなると寂しいものです。 。・゚・(ノД`)・゚・。

また来ます。

朝は快晴だったのに、FTに向かう頃には大雨に

なってました。なんで?(;´∀`)

15:30、定刻通りにフェリーは出港。お世話にな

った方達が見送って下さいました。(つД`)

岸壁には仕事中にもかかわらず駆けつけて下さっ

た方もおられました。m(_ _)m

★那覇

 出港時の感激も束の間、すぐに客室に戻ります。2等室は修学旅行の高校生達で満杯。おそらく関東の高校生でしょう。楽しそうにはしゃいでいます。しばらく進むと船が揺れ出します。どうやら少し時化ているようです。「あ〜揺れてるなぁ〜」と思っていたら、周りの高校生達は皆うつむき始めます。酔ったな・・・ 。10分もすると騒いでいた連中も静かになりました。

 17時前、フェリーは泊港に到着。沖縄本島も大雨で警報が発令されるとか。約2週間ぶりに沖縄本島に上陸。OP社の迎えの車に乗り込み、OP社本社近くのビジネスホテルへ移動。のんびりした島の民宿から都会のビジネスホテルへ移動。都会に戻ってきました・・・。

 晩、国際通りにあるベトナム料理屋(だったかな)で、派遣組だけで打ち上げ。無事に仕事を終えたことを祝います。これで離島での仕事も終わりになるかと思うと、なんか寂しいですね。移動する前は「長いなぁ〜」と思っていましたが、いざ始まると『あっ』という間に終わりました。仕事は別としてまた訪れたい島です。

 ホテルに戻りますが、明日の報告会のための資料作りが待ってました。まぁ、修正ぐらいなんですけどね。夜中までノートパソに向き合います。24時過ぎでしたか、いきなり珍走団の爆音が響き渡りました。これを聴いた瞬間、「あぁ、都会に戻ってきたなぁ」と思ってしまいました。(^^;)

★那覇観光

 10月10日(木)、昼からOP社本社で報告会があります。午前中は丸ごと空いていたので、OP社のBさんを案内役として那覇観光に出かけます。車で本島を南下して鍾乳洞で有名な玉泉洞へ。高校時代の修学旅行で来たような来なかったような・・・。玉泉洞は1967年(昭42年)に愛媛大学探検部によって発見された巨大な鍾乳洞です。戦争前に発見されていたら間違いなく日本軍の陣地となっていたことでしょう。

 内部は遊歩道が設けられており歩いて鍾乳石を見学することが出来ます。鍾乳洞内には地下水が流れており、遊歩道は川の上に設けられている場所もあります。地下水の関係で鍾乳洞内部は温度は低く、ひんやりとしていました。

 ところで鍾乳石は1mm成長するのに約3年かかるそうです。高校時代に訪れてから15年ぶりの訪問となりますが、それからでも5mmぐらいしか成長していないということです。なんと気の長い話。沖縄本島にはいないはずの鹿の骨や歯(の化石?)があったりと、そのとてつもない歴史を感じさせてくれます。

 鍾乳洞内では時々1人になることがあります。すると”ポツン”と水滴が落ちる音しか聞こえません。まさしく静寂が支配する空間。今は照明がありますが、これが真っ暗だったらどのように感じるのでしょうか。

 出口から地上に出ると『琉球王国』の施設内に誘導されます。いろいろな土産物や食べ物、民芸品が売っています。そうやって観光客にいろいろと購入させようという思惑は分かっていたのですが、ついついいろいろと買ってしまいました。思いっきり思惑に乗ってしもうたがな・・・。(;´∀`) 財布が軽くなった・・・。

 次に向かったのは首里城。1945年(昭20年)4月の沖縄戦で破壊されましたが、数々の門や建物は長い年月をかけて復元されました。首里城は小高い山の上にあり展望はかなり良い場所です。那覇市街やその先の海を一望することができます。よく見るとうっすらと渡嘉敷島の島影も見えます。

 時間の都合で首里城内には入らずに車に戻り、昼食の後にOP社本社に移動します。渡嘉敷島から帰って来たA氏とDさんも同席しての報告会は無事終了。これにて今回の仕事の2/3が終わりました。

『琉球王国』の入口。沖縄本島のメジャーな観光

地です。

『玉泉洞』入口。ここから結構長い鍾乳洞の中へ

と入って行きます。

鍾乳洞内。遊歩道や休憩所まで設置されていま

す。人がいないとほんとに静かな場所です。

鍾乳洞内に居酒屋が?Σ(゚Д゚;) ではなく、泡盛の

貯蔵庫なんです。

施設内には琉球風の民家が移設されていまし

た。ここに来て初めて見ることが出来ました。

『ハブ酒』工場にて。漬けられているのはもちろん

「ハブ」。(;゚Д゚) 

★沖縄放浪

 帰阪は11日(金)となっていました。飛行機は17時45分発のJAL808便。それまで時間があったので、報告会の後にレンタカーを借りてホテルに帰ります。営業所からホテルまでの間に、那覇市街の渋滞を経験。こりゃすごい。大阪のように路駐車などによる渋滞ではなく、交通集中による渋滞。40分近くかけてホテルに戻りますが、ホテルの立体駐車場に着くと車高が高いので断られてしまいます。仕方なく営業所に戻って車を交換してもらいます。夕方の帰宅ラッシュ時の渋滞も経験しました。

 翌11日、ホテルをチェックアウトしてからレンタカーで出発。ほとんどの荷物はゆうパックで送っておいたので、バック1つだけを車に積んでウロウロすることになります。この日はせっかく沖縄本島に来たと言うことで、道ネタサイトのネタ集めをします。まず本島南部へ向かいR507を走行。

 R331で糸満市に出て、ここからローカル県道で島尻郡南風原町に向かいます。その途中、島尻郡東風平町内で展望台を見つけたので訪ねてみます。ここからは島南部を見渡すことができ、

なかなか良い景色が広がります。 晴れていたらもっと素晴らしいのでしょう。

【写真右】展望台から見た風景。穴場的な場所。沖縄戦ではこの一帯で激戦が繰り広げられたのでした。

 南風原町からは沖縄自動車道に入り、高速道路で一気に北部の本部半島方面に移動します。本部半島のR449〜R505を走行。いろんな観光施設がありましたが、それらをすべてスルーしますた。(;´∀`) 最後は沖縄自動車道を南下します。

 高速を何気なく走っているとホンダのアコードに抜かれます。おいおい、走行車線側から抜くなよとムカッときます。(゚Д゚)ゴルァ

ところが運転手を見るとボブサップのようなアフリカ系アメリカ人が運転しているではありませんか。Σ(゚Д゚;) あぁ、アメリカ軍関係者かいな。煽らなくて良かった。

 アコード@アフリカ系アメリカ人はそのまま走り去ります。ナンバープレートを見ると、ひらがなが書かれている箇所には『Y』というアルファベットが表記されていました。なるほど、そのプレートを出している車は、事故を起こすと暴力団関係者の車よりもタチが悪いという噂のアメリカ軍関係者の車ということですな。これからは近寄らないことにします。(注1)

注1:聞いたところでは、米軍関係車と事故ると、日本の警察とMP(米軍)が事故現場に来て検証するそうです。連中は地位協定とやらで、よほどのことでもない限りは過失はないそうです。修理費用などはすべてこちら(日本人)持ちとなるそうですが、米軍相手の事故となると保険会社は動けず保険は一切効かないとか・・・。沖縄で車を運転する時は『Y』ナンバーの車には近寄るなというのは常識だそうです。本土の米軍基地がある所でも同じことが言えるでしょう。

★いよいよ帰阪

 レンタカーを返却して14時半頃に那覇空港に移動します。まだ3時間ほど時間があるので、モノレールで市街に戻ろうかと思いましたが、早めに荷物を預けて空港内をウロウロして時間を潰します。やがて搭乗時間になります。兵庫県の某高校の修学旅行生達が乗り込むためしばらく待たされます。

 JAL808便はB747。ガラス越しに待機している巨大な機体がよく見えます。やがて搭乗が始まりました。席は非常出口前窓際の席。足も伸ばせて、前にはスチュワーデスのおねぃちゃんが座るという特等席。 (;´д`)ハァハァ なかなか良い席でした。ヽ(゚∀゚)ノ

 17時45分、JAL808便のB747はターミナルから離れて滑走路に移動して行きます。海上自 衛隊のP3C、遠くに航空自衛隊のF4の姿も見えます。軍民供用空港なので普段雑誌でしか見れない物を見るとはしゃいでしまいまつ。(;´д`)ハァハァ

 無事に離陸してJAL808便は順調に飛び続けますが、機内後部は先ほどの高校生達に占拠されています。もう女子高生がうるさいのなんの。少しでも揺れると「きゃ〜きゃ〜」と叫ぶ・・・。そこはジャングルか?(゚Д゚)ゴルァ

 19時過ぎ頃から窓下に街の灯りが見え始める。やがて大阪平野上空に達したようで、道路の

明かりからおおよその場所が分かる。大阪に帰ってきたのだ。やがて大阪市京橋上空を過ぎて着陸態勢に入る。そして19時40分に伊丹空港に着陸。正面には綺麗なおねいちゃん がいるのに、後部からは悲鳴と歓声と拍手が・・・。せっかくの気分も台無しでした。(゚Д゚)ゴルァ

 ターミナルから出ると肌寒い。沖縄と大阪では10度近い温度差があるのです。沖縄の気候にすっかり慣れてしまったようです。3週間ぶりに大阪の空気に触れました。

 空港バスに乗り込み阪神高速を南下。走る車の 運転手の運転が荒いこと荒いこと。「あぁ、大阪に帰ってきたなぁ・・・」と実感しました。空港バスから降りて自宅から迎えの車に乗り込み、21時45分頃に自宅到着。長くて短かった沖縄出張はひとまず無事に終わりました。

【写真上】大阪に向かうJAL808便。いよいよ大阪に帰る時が来たのです。

【写真下】機体の窓から見えた海上自衛隊のP3C群。空自エリアではF4も見ました。

【渡嘉敷日記(前編) 終わり】

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