渡嘉敷島日記【後編】

 

★渡嘉敷島再び・・・

 2003年(平15年)10月18日、プロ野球日本一を決める日本シリーズが始まります。セ・リーグの覇者である星野@阪神タイガースはパ・リーグの覇者である王@ダイエーホークスとの対戦です。大阪は異様に盛り上がります。第1戦は好試合で阪4−5ダ。第2戦は阪0−13ダという情けない結果。どうなるのやら・・・。

 そんな中、盛り上がる大阪を後にして機上の人になる管理人がおりました。どこに向かうか?そう、沖縄県渡嘉敷島です。観光ではなく仕事です。(`・ω・´)シャキーン! 前回の仕事の続きで、行った仕事の経過状態を確認するために再度向かうことになったのです。

 10月21日(火)、阪神高速松原線のリフレッシュ工事による全面通行止が行われているため、かなり早めに自宅を出て早朝の空港バスで伊丹空港へ移動します。到着と同時に雨が降り出します。また出発は雨の中です。伊丹空港10時発のJAL803便に乗り込みます。このときも岡山県の某高校の修学旅行が同じ便で沖縄に移動しています。高校で沖縄かぁ。 いいなぁ。かくいうあめふらし@管理人も高校の修学旅行は沖縄でした。(^^;)

 前回の復路便で同乗となった兵庫県の某高校とは違って大人しかったので、快適な空の旅を楽しむことが出来ました。12時過ぎ、無事に那覇空港に到着。快晴で暑い。10日ぶりでしたが、すでに体は大阪の天候に慣れていたようです。

 OP社のA氏とE氏が迎えに来て下さいました。渡嘉敷島には泊港16時発のマリンライナーに乗船することになっていたので、それまで時間があるので観光することになりました。

★海軍壕

 まずは昼飯ということで、沖縄蕎麦の店に行き『テビチそば』を注文。豚の足は骨が多い。食べては骨を皿に置いていたら、骨だけで山盛りとなってしまいした。

 「どこか行きたいところあります?」と言われたので、「海軍壕に行きましょう」と即答。空港から小禄にある海軍壕に向かいます。海軍壕には高校の修学旅行で訪れました。

 周辺は小綺麗に整備されており、昔の面影はほとんどありません。昔はもっと殺伐としたいかにも戦跡という感じがしていたのですがね・・・。入口は陣地のある丘の頂上に新しく建設されていました。エレベータもある立派なものです。以前は、壕の入口をそのまま使用して出入りしていたはずです。時代は変わりましたね・・・。

 小さな博物館(展示室)があり、壕内から回収された武器や遺品などが展示されています。沖縄戦の歴史などもパネルで紹介されていました。武器などは以前は壕内に展示されていたのですが、壕内があまりにも湿気が多いために腐蝕・損傷が進み展示室展示となったそうです。

105段の階段を下って地下壕に入ります。基本的に昔のままですが、地下壕内の通路は以前のような薄暗い地下壕ではなく、塗装されて明るくなりガラリと雰囲気が変わっていました。A氏によると銃痕まで塗りつぶしてしまったそうです。順路に従って歩いて行くと、作戦司令部に着きます。確か、作戦司令室にはリアルなマネキン人形があったように記憶していましたが、いつの間にやらなくなっていました。壁に書かれた文字や電線・通信線の跡などはそのままでしたが、生々しさが薄れてしまったように思います。A氏も昔のような生々しさが無くなったとおっしゃっていました。

【写真】海軍壕周辺は開発が進み、すぐ近くまで街が広がっています。焼け野原の焦土と化し、数多くの人達が亡くなったことなどが嘘のような街並みが広

    がります。

★渡嘉敷島、再び・・・

 16時発のマリンライナーに乗船すべく15時過ぎに泊港に移動します。マリンライナー乗り場に行くと、なんと高校の修学旅行生の団体さんがおりました。神奈川県の高校だったと思います。整然と並んでいるわけではなく、バラバラに思い思いの場所に地べたに座り込んで乗船を待っています。

 乗船券乗り場に行くと、窓口の係員に「今日はもう一杯で、予約していない方は乗船することが出来ません。明日以降の便に乗船して下さい」と素っ気なく言われた。(゚Д゚)ハァ? これは困った。今日中に渡嘉敷島に行かないと明日からの予定が狂ってしまいます。A氏が事情を説明します。係員といっても渡嘉敷村役場船舶課の人で、我々のことは知っているはずなのですが、係員は「だめです」の一点張り。

 キレかけた時、A氏は「それじゃぁ、船長さんに話して許可をもらいます」と高速船に向かいます。船長さんに事情を説明。「それならいいですよ〜」とすぐにOKの返事を頂きました。船長さんの許可をもらった以上、拒否することはできません。係員はやっと乗船券を発券してくれました。┐(´ー`)┌

 16時、我々と島民の方々に数人の観光客、そして高校の修学旅行生の団体さんを載せて泊港を出港。少し波があるので少々揺れます。16時半頃に渡嘉敷港に到着。修学旅行生の一部は酔っていたようですが、ほとんどは楽しみにしていた渡嘉敷島への修学旅行なので喜々として下船して行きました。

 我々も下船。2週間ぶりの渡嘉敷島です。宿泊は前と同じく民宿『村元』ですが部屋が満室だったので、旅館の所有するマンションの一室に泊まりました。その晩、早速日本シリーズを観戦しようかと思ったのですが、雨のため中止。何もすることがなく長い夜となりました。

★仕事と散策

 10月22日(水)、快晴。ですが仕事・・・。(´・ω・`)ショボーン  昼食の後、昼休みを利用して宿の車で1人島内観光。阿波連のビーチでは修学旅行生達が楽しそうに海水浴しています。修学旅行の良き思い出になることでしょう。『モノより思い出』ですな。

 最南端の辺りで風景を撮影していると、ジェット戦闘機の爆音が聞こえてきました。すると2機の戦闘機が渡嘉敷島上空を通過。独特のずんぐりした形から航空自衛隊のF4ファントムであることがすぐに分かりました。東シナ海にある訓練空域に向かうのでしょう。

【写真右】:F4ファントム。デジカメではこれが精一杯でした。

 夕方、仕事が終わってから、この前の滞在時に撮影し忘れていた箇所を撮影しに展望台に向かいます。昼間は晴れていたので夕陽が見えるかと期待しましたが、16時を過ぎると雲が出てきたので無理と判断。残念ながら綺麗な日没を撮影することはできませんでした。(´・ω・`)ショボーン

●渡嘉敷島散策(4)

 渡嘉敷島最後の散策です。実に良い天気でした。ヽ(゚∀゚)ノヒャッホウ

羽を痛めて飛べないところを保護された鷲(?)。

まだ成鳥ではありませんが、威嚇するポーズは

成鳥並みです。この後担当課に渡されました。

阿覇連の海岸。高校生達が遊んでいました。

向こうに見える大きな島は、阿嘉島、安室島、座

間味島。

渡嘉志久ビーチ。きれいな海が広がります。結

局、滞在中は一度も海に入らずじまいでした。

水着は持参したんですけどね。(^^;)

赤間山からの展望。こちらは沖縄本島方面。

向かいの島は前島で、その向こうに沖縄本島が

かすかに見えます。

フェリー『けらま』が出港します。これから沖縄本

島に向かうのです。明日はこの船に乗り込みま

す。もう離島です・・・(つД`)

渡嘉敷の町中をのんびり散策。長閑な離島の町

です。沖縄らしくハイビスカスがあちこちに咲いて

いました。

★渡嘉敷最後の夜・・・(゚Д゚)ゴルァ

 渡嘉敷に戻ってからぶらぶらと町中を歩いてからマンションへ。夕食後、日本シリーズ第3戦を観戦。阪0−1ダで負けムードだったのが、金本のHRで同点となり延長戦へ。10回裏、藤本の犠牲フライで阪2−1ダとなり阪神タイガースが勝利!盛り上がる勝ち方です。大騒ぎの甲子園での中継。さぁ、これから監督&ヒーローインタビューだ。 ヽ(゚∀゚)ノ

 ところが中継したテレビ朝●はが星野監督とヒーローインタビューを、見事にブチ切ってCF優先の放送をしてくれました。

 

『なにをしとるんじゃ〜〜〜!テ□朝ぁぁぁ!!』(゚Д゚)ゴルァ

 

 渡嘉敷のマンションの一室で叫ぶあめふらしでした。あのとき怒った方は多いでしょう。今思い出しても腹が立ちます。(注1)

渡嘉敷島最後の夜はこうして過ぎて行きましたとさ・・・。

注1>>

 案の定、テ□朝には苦情が殺到。テ□朝は「(日本シリーズの放送の)中継に慣れていないもので・・・」と苦しい言い訳をしておりました。シーズン中の試合は中継しとるやろが。 (゚Д゚)ゴルァ 後日(翌日だったかな?)の当時のNステーションで謝罪してインタビューをノーカットで再放送してました。今思い出しても腹が立つ事件です。 ヽ(`Д´)ノ

★ 知らぬが仏?

 10月23日(木)、早くも仕事は終わります。あとは夕方のフェリーに乗って本島に向かうだけです。

 ところがこの頃、沖縄近海は台風17号の影響で海が荒れていました。台風は遠く離れたところにいるのですが、台風から送り込まれる風に、北から張り出した高気圧の縁を回ってきた風にが加わったために強風となっているそうです。21日頃はそうひどくはなかったのですが、23日になるとかなり荒れてきました。 港から外海を眺めると、見事に白波がたっていることが分かります。

 さすがにこの波では高速船は休航。本来ならフェリーも休航するはずだったのですが、23日に島を訪れていた修学旅行の高校生達(しかも2校。合計390名)が離島するために、時間を大きく繰り上げて運航することになったようです。

 それもあってこの日は朝から忙しく、仕事を終えてから慌ただしく荷物や機材をまとめます。急ぎ足で村役場を訪れ村長さんらに挨拶。また宿の女将にも挨拶して港に向かいます。前回のような見送りはありません。

 出発時間を繰り上げて泊港を10時発に出港したフェリー『けらま』が11時過ぎに到着。折り返し便は12時発です。フェリーターミナルに向かうと、この便で島から離れる修学旅行生達が、お世話になった民宿や島民の方と『お別れの会』を開いていました。よく見るとうち1校は21日に一緒にライナーで島に渡った高校生達です。

【写真上】:泊港を繰り上げ出港したフェリーが到着します。外海は白波が・・・(;゚Д゚)

 2泊に渡る美しい島での修学旅行。さぞたんくさんの思い出が出来たことでしょう。実に楽しい修学旅行だったようですね。仲良くなった民宿の人達との別れを惜しんで泣くじゃくる女子高生達。感謝状を読み上げる高校代表者。そして最後は唄(なにか分からない)で大合唱。大変感動的な場面です。

 我々一般旅行者それに島民の人達は、修学旅行生達のイベントを横目に11時半過ぎには乗船。A氏と示し合わせ、座席部屋に入り最後方列の座席の窓際に陣取ります。そして2人してそそくさと寝る状態に。何故か?それは簡単、間違いなく船は揺れるからです。港外は白波が立つほど時化ています。揺れるのは必死です。こういう時は寝てしまうのが得策。

 しばらくして高校生達が乗船してきました。別れを惜しんでデッキに出て手を振っています。フェリーも気を利かせて『蛍の光』 のBGMを流しています。よほど感極まったのでしょう、泣きじゃくる女子高生が「さようよならぁ〜。ありがとう〜」と必死に手を振っています。あぁ、なんと感動的な光景でせう。 (つД`)

・・

・・・

・・・・

・・・・・出港するまでは。(;゚Д゚)・・・

到着したフェリーから下船する方々。どことなく疲

れてますね・・・。

乗船待ちの列の中から、フェリー『けらま』左舷の

船首付近を撮影。

ターミナルでは高校生達の離島セレモニーが行わ

れていました。このあと・・・(;゚Д゚)

★フェリーは揺れる

 12時、渡嘉敷港出港。ちゃっかり紙テープまで用意していたようで、岸壁から離れるフェリーと見送りの人を結ぶ紙テープが乱舞します。これまた感動的な光景です。これから起こるであろうことを何も知らない高校生達は、港の外に出るまでデッキで必死に手を振っています。

 渡嘉敷港内は並みもなく穏やかです。まだデッキで記念撮影している高校生達もいます。船内に戻った多くの生徒は下の2等船室に陣取ったようです。あぶれた高校生達は座席室の通路に座っています。一部は甲板上に陣取っています。よほど楽しかったのでしょう。渡嘉敷島の思い出話やこれからの話を友達同士ではしゃぎながら話しています。

  しばらくするとフェリーは渡嘉敷港を出で外海に出ます。それと同時に海は大荒れとなり、船は上下左右に揺れだしました。船が”フワリ”と浮かんだような状態になり、”ドスン”と落ちてゆきます。大きな波をクリアして進んでいるのでしょう。 荒れた海です。(((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル

 船内では あちこちで「きゃ〜〜〜!」と絶叫する女子高生達の姿が認められます。男子生徒は「うぉ〜〜〜!」と興奮しています。どうやらそれまでの楽しい気分は吹き飛んだようです。 それでも最初の間は笑うだけの余裕があったようですが、10分も大揺れが続くとさすがに黙りました。

はい、沈黙しました。

 外を見るとかなりの大波の中を進んでいることが分かります。波で全く見えません。フェリーには何度となく乗船していますが、これほどの大波の中をフェリーで進んだのは初めてです。

 どーんっと大きな波がフェリーにぶつかり、甲板に海水が降り注ぎます。甲板にいる女子高生が「きゃ〜〜〜!」と叫びながら船内に入ろうとして甲板を走っています。もちろんずぶ濡れ。「なにぃ〜、このフェリー。ちょう最悪ぅ〜〜」って悪態ついていますが、それよりもあんた、こんな時化の中甲板を移動するなんて死ぬ気ですか?マジで海に引きこまれて死ぬぞ。 時化た海の怖さを全く理解していない高校生達です。

 そんな揺れの中でもあめふらしは少し眠ってしまいます。しばらくして目が覚めると、船内の雰囲気はがらりと変わっていました。喜々とした楽しい雰囲気は消え去り、船内には重苦しい雰囲気が漂っています。ほとんどの高校生達は顔を下に向けて一言も発しません。完全に酔っています。それでも動ける者は気分が悪くなると便所に移動しますが、多くの者は動けずにその場に座り込んだままです。

  揺れはまだ続きますが、時計を見るともう到着10分ほど前です。やがて沖縄本島が見えてきました。大橋をくぐると港に入り揺れは治まります。13時20分頃、フェリーは泊港に無事に接岸。

下船となります。

 通路には完全にグロッキー状態の生徒が数人動こうとしません。さらに甲板に出るとずぶ濡れで放心状態の女子高生が座ったまま動こうとしません。 泣きじゃくっている生徒すらいました。楽しい思い出はすべて吹き飛んだようです。

 『モノより思い出』。過酷な船旅は終わりました。

【写真1段目】:渡嘉敷港内は穏やか海でした。

【写真2段目】:外海に出るとこのような状態に・・・。『どっ・・・』

【写真3段目】:『・・・ぱ〜〜〜ん!!』 何もみえません。

【写真4段目】:時化の海を乗り切って、フェリーは泊港に到着しました。 

日程すべて終了。帰阪の途へ。

 迎えのOP社の車に乗り込みホテルへ移動。一段落してから国際通り付近を散策。夕方にから、沖縄に帰った知り合いと共に、沖縄に移住した会社OBの自宅へお邪魔。ここで日本シリーズを見ます。この日は阪神の勝利。前日のようなヘタれなインタビュー中継はありませんでした。

 翌10月24日(金)快晴。仕事の報告会は昼からなので、午前中はフリーとなっていました。ならばと首里城から那覇市街にかけての一帯を散策。意外とアップダウンの坂道がある那覇市街をウロウロ歩きます。>>沖縄散策

 昼過ぎにホテルに戻り、OP社本社へ。報告会を終えてOP社の車で那覇空港へ移動。A氏の見送られて空港内に入ります。

チェックインの後、ゲートへ移動。これから乗るB767の向こうには慶良間列島の島影が見えます。合計すると30日ほど滞在

していただけですが、なんとなく寂しい感じがします。

 那覇空港15時発のANA106便は定刻離陸。機上の人となります。窓から一瞬渡嘉敷島が見えたような気がしたのは気のせいでしょうか? 蒼い海を見ながら飛んで行きます。やがて遠くに

開聞岳と桜島が見えてきました。九州上空です。宮崎の日南海岸近くを通り抜け四国沖を飛行。和歌山県御坊市近くの日ノ岬付近から紀伊半島を北上します。雲の少ない昼間の飛行なので地表が良く見えます。有田川とR42、R480を確認。その付近から北に向かう一本の白い筋は阪和道などの高速道路。和歌山市街も見えます。広い川は紀ノ川。和泉山脈を越えると大阪平野に入ります。自宅周辺は機体の下に入ってしまって見えなかったのが残念でした。

 やがて大和川が見えてきました。八尾飛行場付近から徐々に高度を下げ始め、大阪城を左側に見ながら大阪市の京橋上空を通過。淀川を越え新幹線、阪急、阪神高速の筋を確認。徐々に高度を下げて豊中市南部の市街上空をかすめ、17時少し前に大阪の伊丹空港に無事着陸。ゲートを出るとムシッとした大阪の暑さを感じた時、大阪に帰ってきたなぁと実感しました。

 高速バスで自宅最寄りの停留場まで移動。阪神高速は渋滞していましたが、車中は寝ていたので渋滞は気にならずに済みました。20時前、無事に自宅に到着。これで渡嘉敷島出張の全日程は終了。ほんと、あっという間でした。仕事抜きでまた行きたいなぁ・・・。

 さて、今度のツーリングはどこに行こうかな? あ、その前に会社に提出する報告書を作らなくては・・・。(^^;)

【渡嘉敷日記(後編) 終わり】

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