>>その1

2004年10月11日(月)

◆『ましゅまろ』出発

 台風22号は去ったのに、また別の低気圧が接近してきたようで、天気は朝から曇り。結局、今回は最後まで晴れることはなかった。

 今日は21時までに苫小牧東FTに到着すれば良いので時間的に余裕がある。朝食後、ダラダラして過ごす。ブラックバード乗りのライダーさんは、中標津にある焼き肉食べ放題の店に向かうために9時過ぎに出発して行く。見送ったあと、KSRUをスパイクに搭載する。今日はR336に入ればKSRUを下ろして襟裳岬まで走ることにしていた。交通量の多いR38は車で移動することにしたのです。(;´∀`)

 その間、民宿夫婦さんは連れてきていた犬を遊ばせており、それを囲んで『ましゅまろ』オーナー夫妻と@嫁は犬談義で盛り上がっておりました。

【写真】搭載前に宿の前でKSRUを撮影。

◆やはり雨・・・

 しばらくすると民宿夫婦さんはブラリと出かけ、オーナーも買い物に出かける。午前10時過ぎに宿の奥さんに見送られて民宿『ましゅまろ』を出発した。来年は来ることができるだろうか・・・。

 弟子屈市街に向かい、市街からr53で南に向かって走る。往路と逆のルートを走ってR38に出ることにしたのだ。r53に入ってしばらく進むと、ポツリポツリと雨が降り出した。やがて本降りに・・・。('A`)   雨の中を淡々と進んで行く。バイクだったからかなり辛い状態になったが、車なのでそう苦にはならない。こういう時は車移動がありがたい。

 阿寒郡鶴居村鶴居の町中から、前をダンプ2台が連ねて走っていた。このまま釧路市街方面に行く可能性が高い。追い抜くかどうか迷ったが、抜くのが面倒だし一度走った道を走るのも面白くないので、地図で見たr829(道道幌呂原野鶴居線)に入りダンプから逃れる。

 r829で鶴居村中幌呂に出てから村道(?)でr243(道道阿寒標茶線)に出て東に向かう。丘陵地帯を抜けるアップダウンが続く快走路。牧草地帯を抜ける道東らしい風景が続く。晴れていればさぞ気持ちより風景に出会える場所だろう。いずれまた来ることがあれば来てみたいものだ。

 交通量の少ないr666(道道徹別原野釧路線)に入り南下。空港近くを抜ける裏道ルートを走ろうとしたが、良く分からないのでパス。釧路空港近くに出てR240に入りR38BP経由でR38に出た。道の駅『恋問』に立ち寄り休憩。土産を購入する。

 この後も雨の中、R38をひたすら東に向かって走る。祝日と言うこともあって大型トラックが少ないのが幸いだった。眠たくなるような同じ風景の中を延々と走り続け、約1時間で約60kmの距離を走り抜いて十勝郡浦幌町 にある吉野新栄交差点(R336分岐)に到着した。

【写真】雨の中、R38を走行。北海道滞在最終日は雨でした・・・。

◆R336走行(その1)

 R336に入ると交通量はガタ減りした。ダンプ以外に走っている車は見あたらない。整備された2車線道路に入ると走っているのは自分の車以外にいない状態となる。しばらくは牧草地を走るのでちらほらと農家が見えるが、やがて原野の中を走るようになると道路以外に人工物はなくなる。広大な原野の中を進む典型的な北海道の道路を淡々と進んで行く。中川郡豊頃町から広 

尾郡広尾町にかけての区間は、晴れていれば素晴らしい風景が広がる場所だ。穴場的な撮影スポットがいくつもありそうな感じがする。機会があればじっくりと時間をかけて回ってみたい。

 R336に入ったらKSRUを下ろして走ろうと思っていたが、あいにくと小雨がぱらついている。こうなると走る気は失せてしまう。もう少し走って広尾町まで行ってから考えることにして、KSRUを積んだままスパイクを走らせる。アップダウンのある2車線道で丘陵地帯を淡々と進む。ウネウネと適度なカーブが続く道路で、晴れた日にバイクで走ると気持ち良さそうな区間だ。小雨が降っているのが残念で仕方がない。

【写真】ひたすら雨の中を走り続けます・・・。…('A`)

◆R336走行(その2)

 広尾郡広尾町豊似の町でR236と1kmほど重複した後、R336は単独分岐して南に向かう。しばらく町中を走っていたが、役場のある広尾町市街を抜けて広尾川を広尾橋で渡ると、R336は海岸線のすぐ近くを通るようになる。ここから南は『黄金道路』と呼ばれる断崖絶壁下を走ることになる。この区間を走るのは実に9年ぶりのことだ。

 雨はやんで曇っているだけとなった。しかし低気圧通過直後とうこともあってまだ風が強く、海は大荒れ状態が続いてる。小雨というより波飛沫がかかってくるような状態。所々で大波が路面をたたきつけていたりする。あかん。KSRUで走っていてあの波がモロにかかったら転けてしまいかねない。こんな中をKSRUで走るのはかなり危険だと体験から判断して、あっさりと諦めて黄金道路をスパイクで走ることにした。ZRX1100で来ていたとしてもあっさりと走るのを諦めてR236に向かっていたことだろう。1995年(平7年)9月末の初北海道ツーリングで、今日と似たような大時化と強風の中を走ったことがあった。しかも日没後に。(;´∀`) この時に死にかけるような体験をしてしまってからは、こういう天候時に海岸線近くをバイクで走ることはやめているのだ。

 海岸線近くを走り始める。しばらく走って行くと断崖絶壁下のわずかな平地を走るようになる。すぐ左側は海で大波が『どっぱ〜ん!』と激しく海岸にぶつかっている。その時に飛んだ飛沫が防波堤を越えて激しく路面を叩きつけている。(;゚Д゚) あぶない。

覆道区間も長く落石も頻繁に起こるような、とんでもない場所に道路を通しているのだ。

 雨は降っていないのだが、フロントガラスには水滴がつく。これは風で飛ばされてきた潮水。ガラスはすぐに塩分で真っ白になってしまうので、ウォッシャー液で何度も洗うがキリがない。ワイパーが動く範囲以外のガラスは、フロント・リアとも塩分+泥で向こうが見えない状態となってしまった。雨でも降っていてくれれば助かるのだが、その気配はない。結局、この状態のままで浦河の町まで走ることになる。

ここからが黄金道路のハイライト区間。大波が打

ち寄せてきます。実に9年ぶりの走行。

海はご覧の通り。大荒れ。こんな状態なので、防

波堤を越えて波が来ました。(;゚Д゚)

さすがにこんな状態ではKSRUで走る気にはなれ

ません。スパイクに積んだまま走り続けます。

◆R336走行(その3)

 広尾郡広尾町から幌泉郡えりも町に入る。えりも町目黒という小さな町を過ぎると再び断崖絶壁下を走る。道路以外には何もない秘境区間を進んで行く。えりも町宇遠別地区まで来ると状況はさらに悪化してきた。今まで波飛沫だけだったのが、波が防波堤を越えて直接かかってくるようになってきたのだ。スパイクも2回ぐらい波がかかってしまった。こりゃKSRUで走らなくて正解だった。

 そんなR336も、9年前に比べてれば遙かにマシになっている。海岸線ギリギリの場所を通るのでは危険ということもあり、少し内陸側にトンネルを掘って安全に通行できるよう工事が進んでいる。真新しいTNが連続するようなったのは工事が進んでいるためだ。

 やがて宇遠別TNというトンネル工事現場に到着した。まだ建設中だが片側だけ通れるようにして交互通行で通行可能にしてある。その通行待ちのために現場直前で足止め。暇だったので警備員と話すと、今日は大潮にあたているとかでいつもよりも大波だそうだ。写真でも撮ろうかと外に出る。撮影していると、大波が覆洞の側壁を越えて侵入してきた。危うくかかりそうになりデジカメもお釈迦になるところだった。警備員も慌てていた。アホな観光客ですんません。m(_ _)m

 建設中の宇遠別TN内を走る。路面以外はほとんど完成していた。(暫定迂回路として)建設中の道路を走ったりすることは希にあるのだが、建設中のTNを走ることは滅多にないこと。先頭だったこともあり、ゆっくりと内部を見ながら進んで行った。(^^;)

後で知ったことだが、2004年(平16年)1月に、宇遠別TNが通る海岸付近で大規模な岩盤斜面崩壊が起こり道路が寸断されていたそうな。それで建設中だったTNが急遽迂回路として整備されることになり、3ヶ月で整備を行って同年4月から片側暫定供用(夜間通行止め)という形で通ることができるのだそうだ。(管理人注:この付近の宇遠別TNを含む3つのBPTNは、05年2月17日に全面供用開始されています。)

 宇遠別TNを過ぎて少し進むと記念碑が見えてきたので車を止めて外に出る。外に出ると凄い風で、とばされそうになった。風が塩辛い。(;´∀`) 『黄金道路』と書かれた記念碑を撮影すると、早々に車に戻りデジカメをこまめに拭いておいた。

こんな感じで波が飛び越えてきます。(;゚Д゚) この

日は至る所で見られました。バイクで走るのは自

殺行為です。はい。

宇遠別TNの交互通行入口にて。大波が来た直

後を撮影。この後、さらに大波が来ました。もろに

波をかぶるところでした。(;´∀`)

建設中の宇遠別TN内を走行。本来の海岸沿いの

道路は崩壊した岩盤で埋まって通行不可能だっ

たそうです。

●黄金道路

 国道336号線のうち、幌泉郡えりも町庶野〜広尾郡広尾町広尾のまでの約32kmの区間は別名『黄金道路』と呼ばれています。『黄金を敷き詰めるくらいに資金が必要だった』というのが名の由来だそうです。

 道路が走る区間は断崖と海の間にあるわずかな平地の区間。海が荒れるとすぐに大波がかかるので、固い岩盤を掘り抜いてトンネルを掘りながら建設していたため、莫大な資金を必要としたのです。

 道路の起源は18世紀末まで遡ることが出来ます。1798年(寛政10年)、江戸幕府蝦夷地巡察隊の近藤重蔵らが択捉島からの帰途、広尾(当時はトカチと呼ばれていたそうです)に立ち寄り、海岸の嶮に道を通してルベシベツからビタタヌンケまでの間に約三里(約10km)の山道を建設したのが始まりでした。これに続いて他に2ルートの山道が開削さ

れ、明治に至るまでの日高・十勝間の重要な道路となりました。

 明治時代にはいると海岸線を行くルートの建設が始まり、1887年(明治20年)〜92年(明治25年)にかけて発破を用いて岩盤に隧道が掘られました。当時は削岩機などはなく、鉄槌を用いて岩盤にノミを打ち込み発破を仕掛けて爆破するという工法でした。

 これらの隧道を含む海岸線のルートが、現在の国道336号線(黄金道路)の前身となりました。その黄金道路は1927年(昭2年)に工事が着工され、実に7年もの歳月をかけて1934年(昭9年)に開通。平坦な海岸線を行く道路は、日高・十勝間の重要なルートとなります。しかし、大波や落石・雪崩などによる道路の寸断が続くことから、1967年(昭42年)〜83年(昭58年)にかけて第一次改築工事が行われています。現在は襟広防災事業として、引き続き国道336号線のバイパストンネル建設や防災工事が行われています。

◆思い出の道路・・・(;゚Д゚)

 えりも町庶野の町を過ぎると少し高台を走るようなるので大波から離れることが出来た。町を過ぎた所でr34(道道襟裳公園線)に入り襟裳岬を目指す。ここからのr34は百人浜という海岸線に沿って草原の中を走る。こう書くと長閑な草原を走る道路を想像するかもしれないが、実はこの区間は吹きさらしの風がかなり強く吹く区間でもある。丘がなだらかな斜面となって海に向かう場所でもあるので、山からの横風がもろに吹き抜けるのだ。今までは断崖絶壁下を走っていたので、山からの横風を受けることはなかったが、r34ではもろに横風を受けることになるのだ。

 先に少し触れたが、1995年(平7年)9月末の初北海道ツーリングでは、荷物満載のZRX400で日没後にr34に入ってしま

った。襟裳岬のえりも岬YHに向かうためだ。すでにR336を走っている時点でヤバイと思っていたのだが、r34に入ってから襟裳岬に向かうことを後悔する羽目になった。当時も風が強く海は大荒れの状態だった。百人浜の横風も半端でない強風で、バイクでまともに走ることができない 状況だった。20k/hで走ってもバイクごと流されてしまうのだ。一度は海岸線ギリギリの場所(しかもガードレールがない)まで流されてしまい、どうにか踏ん張って切り抜けたほどだ。ヘタすれば危うくそのまま海に転落し、波にさらわれて溺死するところだった。(((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル

 そこで反対車線の路肩を低速で走ったが、それでも横風でセンターラインまで流された。対向車

が来たときはスタンドを下ろして止まるということを繰り返し、這々の体で襟裳の町に辿り着いた。宿に着くと、その時の風は瞬間最大風速約30mというとんでもない風だったそうな。よく生きて辿り着いたものです。((((;゚Д゚))))ザクグフゲルググ  ちなみ私の後に、原付(モンキーだったかな?)に乗ったたライダーさんが同じ道を走ってきて宿に辿り着きました。

 今日はというと、海からの強風が吹いているがその時ほどではない。9年前、”命がけ”で走った区間をあっさりと車で駆け抜ける。そして9年前にお世話になった元えりも岬YH前を通り抜ける。今はYHではなく民宿として営業しているそうな。ほどなくして襟裳岬に到着した。

【写真】9年前、マジで死にかけたr34。北海道の自然の凄さを体験しました。

◆襟裳岬

 15時過ぎに襟裳岬に到着。駐車場にスパイクを止めて食堂に入り「えりもラーメン」を注文。海産物がたっぷりと盛られたラーメンだ。民宿『ましゅまろ』出発以来、何も食べていなかったので汁まで飲み干した。(゚д゚)ウマー

 食堂を出た後襟裳岬に向かう。95年以来訪れていないので、実に9年ぶりの訪問となった。9年前は何もなかった襟裳岬だったが、いつのまにやら『風の館』とかいう(風の)体験施設が出来ていた。1997年(平9年)6月にOPENした風らしい。そちらには行かずに遊歩道で展望台まで歩く。

 襟裳岬は全長約140kmの日高山脈がそのまま海に沈んで行く場所でもある。岬の部分は尾根ということになるのだろう。遊歩道の先まで歩いて『襟裳岬』と書かれた看板を撮影するが、風があまりにも強いために早々に撤退して駐車場に戻った。

 土産物屋で土産をいくつか購入してから襟裳岬を出発した。

食堂で食べた「えりもラーメン」。めちゃくちゃ美味

しかった。(゚д゚)ウマー

襟裳岬。風が強い日だったので、早々に撤収しま

した。

襟裳岬は日高山脈がそのまま海中に没していく

場所なのです。

◆R336走行(その4)

 一般の観光客ならこのままr34をえりも町歌別方面に向かうのだが、特殊な趣味(?)を持つ管理人、R336を全区間走ろうという野望を持っていたので、r34をえりも町庶野方面に戻る。庶野でR336に戻り浦河に向かう。(;´∀`)

 日高山脈を越える追分峠に向かう。揺るやかな2車線道を淡々と進むが、対向車などは全くいない。追分峠を越えて日高山脈の西側に出ると風は弱くなった。黄金道路区間の強風などうそのようだ。えりも町歌別でr34と合流。かなり大きく遠回りしたことになる。

 えりも町歌別からは延々と海岸線沿いを進んで行く。浦河方面への唯一の道なので交通量が多い。それでも流れは良いので淡々と進んで行くことが出来る。海岸線ギリギリの場所も通ったが、波はめちゃくちゃ穏やかだった。日高山脈の東西でこれほど天候が違うのだ。空は薄曇り状態。雨が降る気配はない。フロントガラスを始め車体はドロドロ状態で、雨で汚れを洗い流したかったのだがそういう訳にはいかなった。

 16時半過ぎに日没。様似郡様似町を抜けて浦河郡浦河町に入る。日高幌別川を渡ると浦河市街に入り、17時過ぎにR236との交差点に到着した。

【写真】 黄金道路区間とはうって変わった静かな海岸線沿いを進んで行く。

◆苫小牧東FTへ

 R236交差点角にあるGSに入り給油。ここでぞうきんを借りてガラスを拭く。拭いた跡が残ったが、拭く前に比べれば遙かにマシとなった。

 浦河からR235をひた走る。快走区間のはずなのだが、交通量が多いのでペースはやや落ちる。それでも流れがあるので、法定速度+αぐらいの速度で走り続ける。やがて同じ運送会社のトラック3台の集団に追いついた。これが法定速度をきっちりを守って走っている。3台団子で走っているので一気に抜くことが出来ない。もっとも追い越し禁止区間なので抜くに抜けないが。

 前を走る車がしびれを切らして追い越し可能区間でトラックを抜いていった。それに続こうと思ったが、対向車が多く抜くに抜けない状態になったので、大人しく3台団子の後について走ることにする。信号がないのでほぼノンストップで走ることになった。

だいたい1500回転ぐらいをキープして、60k/hぐらいの速度で一定に走り続けた。

 そんな状態がしばらく続く。イライラするところだが、燃費を見てみると18k/Lとかなり良い状態になっていることに気づく。このまま走り続ければ上がるかもしれないと、3台団子の後について延々と一定速度で走り続けた。とある上り坂までの約40kmにわたって一定速度で走り続けたので、スパイクで20.5k/Lという燃費を記録した。普段の町乗りで12k/L前後なのでかなり良い記録だと思う。

 登坂車線で3台団子を追い抜くと速度が上がる。燃費は落ちるが仕方ない。暗くなったR235

をひたすら走り続ける。沙流郡門別町(現:沙流郡日高町)門別を過ぎると走る車は疎らとなる。100k/hぐらいで追い抜く車も現れるが、疲れているのでマイペースで淡々と走り続ける。

 やがてフェリーが見えてきた。FTも近い。R235からFTへの道に入り、2kmほど走って19時半頃に苫小牧東FTに到着。民宿『ましゅまろ』から約9時間、約440kmの旅路でした。

【写真】最高燃費を記録。表示される数値には±があるそうです。

◆コイン洗車場を探せ

 乗船手続きを終えるが、接岸していたのは寄港便の『あざれあ』で、敦賀直行便はまだ到着していなかった。乗船まで3時間近く時間がある。スパイクがあまりにも汚れているので、苫小牧市街にあるコイン洗車場で塩分と泥を洗い流しに行くことにした。

 日高自動車道で移動。30分ほどで苫小牧市街に入る。大きな道沿いにはないと思い、市街地内の市道に入り市街地や繁華街をウロウロする。しかしこういう時に限って見つからない。ヘタに市街地内をウロウロするのは得策ではないと思い、R36の北側を走るr281(道道深川多度志線)という4車線道路を走る。沿道は商業地となり、大手自動車ディーラーの店やマクドなどが目立つようになってきた。マンションなどもあるので洗車場ぐらいあるだろうと思っていたが、いくら進んでも見あたらない。苫小牧西ICへ向かうr141(道道樽前錦岡線)との交差点を過ぎても見あたらない。

 もうそろそろ限界だろう。引き返そうと思ったその時、やっと24時間営業のコイン洗車場を見つけた。雨の降る中、水銃で車体に付いた泥や塩分を洗い流す。特に車体下は念入りに洗った。雨の中、車を洗う姿はさぞ怪しかっただろう。(;´∀`) ちなみに場所は錦多峰川を渡った付近。市街地からかなり離れた場所だった。

◆さらば北海道

 とりあえず汚れを落として、苫小牧西ICから高速に入り道央道〜日高自動車道経由で苫小牧東FTには30分ほどで帰って来た。到着したのは22時頃。岸壁にはフェリー『すいせん』が接岸していた。往路と同じく同乗者である@嫁は先に乗船。しばらく待ってから22時45分頃から車両の乗船が始まった。タラップを上って車両甲板にスパイクを止める。これで北海道ともお別れだ。(´・ω・`)ショボーン  KSRUの固定を確認してから船室に向かった。

 風呂に入って体を温めてからラーメンを食べて一息つく。23時50分、フェリーは定刻に苫小牧東FTを出港。敦賀へと向かった。港を出ると、すぐに縦揺れ・横揺れするようになった。低気圧が通過中だとかで海が荒れているそうだ。KSRUの固定を確認しておいて正解だった。

 揺れに弱い@嫁は酔い止めを飲んで早々に寝る。私も約530kmにも及ぶ運転で疲れ切っていたのか、横になるとすぐに深い眠りについてしまった。

苫小牧東FTで乗船を待つスパイク。

帰りに乗船したフェリーは『すいせん』でした。

スパイクのナビ画面。苫小牧東を示しています。

2004年10月12日(火)

◆フェリーすいせん

 朝9時頃に目が覚めた。まだ揺れてはいるが、昨晩ほどではない。売店が開いてから牛乳を買って、昨晩買っておいたロールケーキを朝食代わりとする。いつもそうなのだが、復路(帰り)のフェリーはやることがなく、乗船している時間が長く感じる。やることがないので、昼過ぎに昼寝する。15時頃に起きてから能登半島を見ながら風呂に入ったりするが、まだ着かない。あ〜長い。18時過ぎに夕食。この頃、フェリーは福井県沖を航行しており、敦賀市街の明かりが見えてきた。もうすぐ敦賀FTだ。

 19時過ぎから荷造りをして下船の準備をしてロビーに移動。20時過ぎに車両甲板に下りてス

パイクに乗車し待機する。気の早い人はすでにエンジンをかけている。排気ガスが充満するやので、バイクで来たときは、この時が辛かった。

 20時15分、フェリーは定刻に敦賀FTに到着する。苫小牧東FTから約22時間で到着。早くなったもんだ。やがて扉が開いて下船開始。5分ほどしてやっと下りることが出来た。本州は暖かい。

改行1.5。文字サイズは標準。

【写真】 秋田県沖からは晴れていました。

◆ラストラン

 敦賀FTの駐車場でKSRUの固定具を締め直して出発。往路(行き)の逆コースを走ることになる。R8に出て敦賀ICから北陸道に入った。夜の北陸道〜名神高速はトラック街道。大型トラックに混ざって淡々と走る。21時過ぎに多賀SAに到着。しばらく休憩。あと一息だ。

 多賀SAを出て西に向かう。ところが10月12日〜10月21日の間、大山崎JCT〜京都東IC間は工事で20時〜翌朝6時まで通行止めとなっているという。今日はその初日ということなのだで渋滞を覚悟していたが、迂回路となった京滋BPは全く混むことなく、何事もなかったようにクリアすることが出来た。ところが上り(名古屋方面行き)は大山崎JCT付近を先頭に大渋滞。茨木ICを過ぎた付近まで渋滞(というか停滞)していた。

 それを横目にガラガラの下り線を淡々と進んで行く。吹田JCTを過ぎると交通量はかなり減る。やがて豊中ICに到着。ここから阪神高速に入る。池田線〜環状線〜松原線と乗り継ぎ、通天閣

を、見たときは大阪に帰ってきたと感じた。明日から日常に戻らねばならないことを思い出した。(´・ω・`)ショボーン

 駒川出口で下りて走り慣れた道を通り、ガレージに到着したのは23時半前。自宅マンションに戻ったのは24時前であった。

スパイク(車)の走行距離は約1640km。KSRUの走行は北海道のみで約320kmだった。

【写真】 敦賀FTに到着。下船後に『すいせん』をバックに撮影。

あとは帰るだけ・・・。

◆スパイク+KSRU=これからの形式?

 今回はスパイクにKSRUを搭載して出かけるという、今までとは全く違う旅のスタイルとなりました。これなら@嫁と一緒に長距離ツーリング(?)も可能です。これからこういうスタイルの旅が多くなるかも・・・。(;´∀`) できるなら単独ツーリングがいいんですけどね。まぁ、出かけることができるだけでもマシってことですか。

 今回は北海道3泊・フェリー泊2泊という形になりました。これなら飛行機+レンタカーの方が時間的に有効だったかもしれません。飛行機のチケット代が高く、チケット代やレンタカー代などを合計するとフェリー利用の方が安くついたんですな。まぁ、今回はせっかくトランポとして購入したスパイクにKSRUを搭載して是非とも北海道に行きたかったという、私の我が儘が大きかったのですが・・・(;´∀`)

 2〜3回の試験の後にいきなり実戦投入(長距離移動)となりました が、車内で倒れたり動いたりすることもなく、搭載したままでも普段通りに移動することができました。スパイクはトランポ代わりとして十分利用できると言うことです。さすがはホンダです。KSRUの搭載方法を少し工夫すれば、3人座れるかも。φ(._*)☆\(-_-;) <ナニヲタクランデイル・・・

 車種がKSRUになったとはいえ、とりあえず北海道ツーリングの連続更新記録は『8』年となりました。さて、来年はどうなることやら・・・。せめて『10』までは行きたいところです。

【北海道2004 終わり】

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