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◆掩体壕F

 大湊小学校北にあるのが掩体壕F。この掩体壕は道路(農道)上にある掩体壕で、車両などが通り抜けられるように後部を開放しているのが大きな特徴です。

 唯一の”道路が貫く掩体壕”であり、掩体壕の中に自分のバイクや車などを止めて撮影できる唯一の掩体壕でもあるのです。

 掩体壕を貫く道路と農業用水路は戦後に作られたものではなく、掩体壕が作られるよりも前、戦前からあったものでした。用地を接収し誘導路と掩体壕を建設する際、道路は破壊するが、農業用水路は土管で誘導路下を通すことにしたそうです。そうなると水

が田畑に十分行き渡らなくなるという農家の陳情も『お国のため』という一言で却下されたとか。

 戦後になって農地が返却されると道路と水路を復旧させたそうですが、掩体壕は撤去に費用がかかるということでそのままとし、後部を開放して通り抜けできるようにし現在に至っています。

掩体壕Fを正面から。後部が開放されていま

す。(0705)

ご覧の通り道路が掩体壕を突っ切っています。

通り抜け可能な掩体壕です。(0705)

掩体壕の内部に私のバイクを止めて撮影。こうい

うことができる唯一の掩体壕です。(0710)

斜め後ろから。正面の建物は小学校の体育館

です。土が少し残っています。(0710)

道路上から後ろを見ます。後部の壁がごっそりくり

貫かれています。(0705)

掩体壕Fはr31上からも見ることができます。後ろには空港の管制塔が見えます。(0705)

 掩体壕Fは最も老朽化が進んでいました。後部をくり貫いたために強度が落ちたということもあるのでしょう。道路が通学路ということもあって、H鋼による支柱が立てられて補強されてはいます。しかし亀裂とコンクリの剥離があちこちに見られるため、近いうちに危険と判断されて取り壊されるかも知れません。

 内部は不法投棄を防止するためにフェンスが設置されていますが、天井内部などの状態を確認することができます。また稲刈りが終わって水が干上がった後であれば、掩体壕の基礎部分も見ることができます。

掩体壕F右側。大きな亀裂が生じています。いつ

崩れてもおかしくありません。(0705)

内部は不法投棄を防止するためフェンスが設置さ

れています。(0705)

反対側。フェンス手前は農業用水路です。

(0705)

後部コンクリは一部脱落しています。鉄筋が飛び

出ていました。(0705)

コンクリ断面。石の多い粗悪な質のコンクリートで

す。(0705)

よく見るとあちこちに鉄筋が飛び出ています。

(0705)

2007年10月に撮影。亀裂が広がったような気

がしないでもない。(0710)

ご覧の通り鉄骨で補強されています。

(0710)

掩体壕Fの左サイド。水田に水がないと基礎部分

が良く分かります。(0710)

●高知飛行場の施設跡

 掩体壕以外の諸施設の多くは戦後に撤去されてしまい殆ど残っていません。どこに何があったかは不明です。はっきりしているのは、本部(司令部)の敷地が高知大学農学部と高知工業高等専門学校の敷地となったぐらいです。ほとんどの施設や敷地が農地として払い下げられた(返還された)か、高知空港(現:高知龍馬空港)の施設・敷地になってしまいました。

 それでも空港周辺には、わずかながら壕とトーチカなどの施設が残っています。

◆壕

 高知龍馬空港ターミナルビル前にある空港駐車場の外れに蒲鉾形のコンクリ建築物が残っています。表面を見ると石の多い粗悪なコンクリート。明らかに戦争中に建設されたものです。

 形から見て壕であることは間違いないのですが、何の壕かまでは分かりません。空港ターミナル周辺は、かつての高知飛行場司令部があった場所。戦闘指揮所、通信室、基地地上員・整備員の防空壕(待避壕)、倉庫などが考えられます。フェンス越しにしか見ることができず、近づけないため全く何なのかは不明です。

場所>>空港滑走路に沿って走る外周道路沿いにあるレンタカー営業所のすぐ隣。

写真1

 道路上から壕を撮影。半円形というか蒲鉾形のコンクリ構造物が草木に埋もれています。

 壕入口が見あたりません。向こう側にあるのでしょうか?

(0705)

 

写真2

 別角度から撮影。意識していないと気付きません。フェンスの向こうは高知大学農学部の敷地のようです。

 一見すると、円柱形を半分にした蒲鉾形のコンクリートの塊のようです。

(0705)

 

写真3

 フェンス越しに表面を撮影。ご覧の通り、大きな石が混ざった粗悪なコンクリートで作られています。ほぼ間違いなく戦時中の建造物でしょう。

 コンクリだというのに、草が生えてきています。窪みに土が溜まってそこから生えているのでしょうか。

(0705)

◆トーチカ【1】

 物部川近く、物部川堤防のすぐ傍に残るトーチカです。直径約1mの円筒形のコンクリ建築物が半分土に埋もれています。銃眼と思われる細長い開口部の下部が崩れていますが、ほぼ原型をとどめています。

 これは基地防空用のためのトーチカとのことで、対空機関銃を構えるために作られたそうです。トーチカの大きさから7.7mm機関銃あたりを構えたのでしょうか?

 にしては仰角があまりにも小さいように思うのですが。ホントのところは何に使用したのでしょう? トーチカの天井に穴が開いているので、屋根に固定して内部から操作でもしていたのでしょうかね?

 基地防空用の対空機関砲としては、他に25mm機銃(96式25mm高角機銃?)も配備されていたらしいです。

場所>>物部川大橋西詰北側。県道高知空港線(r13)の近くにあります。高知工専敷地の南東角辺りです。

物部川大橋西詰交差点北側でr13から分岐する堤防上に向かう道路沿いにあります。

堤防近くに半分土に埋もれているトーチカです。

夏場は雑草に覆われそうです。(0705)

銃眼と思われる細長い開口部はの下が崩れてい

ますが、原型を保っています。(0705)

大きな石の混ざった粗悪コンクリートでできていま

す。鉄筋も少し入っているようです。(0705)

後部から。埋もれていますが入口があります。高

さは2〜3mぐらいあったんでしょうか?(0705)

少しアングルを変えます。この方向の先に滑走路

があります。(0705)

知らなければ単なる古いコンクリートの塊です。

(0705)

◆トーチカ【2】

*【トーチカ】のページがないので、構成の都合上、ここに掲載しています。

 南国市前浜地区内に残るトーチカです。高知飛行場から離れた所にあるので、飛行場の防空施設ではなく、本土決戦用に建設されたトーチカのようです。

 すぐ南側は土佐湾に面した砂浜となっています。今では防波堤が建設されて海は全く見えませんが、1945年(昭20年)頃は砂浜と土佐湾を見渡せたはずです。

 南国市の海岸部は長い砂浜が続いており、旧軍部では昭和20年秋以降に予想される連合軍の本土上陸地点の1つと見なされており、上陸す

る連合軍(主に米軍)を迎え撃つために建設された施設の1つがこのトーチカです。

 ホームベース形の6角形をしたコンクリ製施設で、前方に銃や砲を出す開口部が設けられており、海から上陸してくる敵を撃てるようになっています。掩体壕よりも分厚いコンクリートでできていますが、やはり石の多い劣悪なコンクリートでできています。

 本土決戦用のために建設された施設なのですが、もし戦争が続いて連合軍の本土上陸作戦が実施されたら、高知飛行場共々、激しい艦砲射撃と銃爆撃によって跡形もなく粉砕されていたでしょう。

場所>>県道春野赤岡線(r14)の南側、町中を通るr14旧道の更に南側(海寄り)の町中を通る狭路沿いにあります。南国市前浜と浜改田との境付近です。

トーチカを正面から。機銃用らしき開口部が開いて

います。(0705)

近づいて開口部を撮影。

(0705)

南西・南東面には大きい開口部がありました。

(0705)

 

右後ろと側面。側面にも開口部があります。

(0705)

後方から。内部は農機具置き場になっています。

コンクリは分厚く頑丈に作られています。(0705)

 

高知飛行場掩体壕【終わり】

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