掩体壕跡

 

 航空基地だけあって掩体壕もいくつか建設されたそうです。資材不足からか、コンクリート製の頑丈な有蓋掩体壕ではなく、基礎だけコンクリートで屋根の部分は木を組み合わせてアーチ状にして盛土を盛った掩体壕だったそうです。それでも有蓋掩体壕になるのでしょう。屋根部分はすべてなくなり、現存するのは基礎部分のみとなっています。それゆえ”掩体壕跡”と記しています。

 さて現存する掩体壕跡ですが、4箇所残っていることを確認しました。写真@BCのそれぞれに記してある場所に掩体壕跡があります。さすがに写真に写っておらず、大凡の位置を示しています。

注>>各掩体壕跡の番号は、写真@BCに記してある番号と同じです。

◆掩体壕跡@

 

 5つある掩体壕跡の中で最も良く分かる掩体壕跡です。この掩体壕跡だけは磯城郡田原本町東井上(ひがしいね)にあります。

 大和川(初瀬川)を渡る大平橋の東側にある交差点から、斜めに分岐する狭路に入ります。田畑の中を通る狭路で、すぐ東側には東井上の集落が見えてきます。やがて東方向より放水路が近付いてきます。やがて放水路が近付き橋が見えてきます。この橋(御園橋)が目印となります。農道のような狭路に入り御園橋を渡ると右側に小さな竹林と小さなミカン畑があります。そこが掩体壕跡です。 

御園橋を渡るとすぐにある竹林が掩体壕跡。

竹林の前にはミカンの木が生えています。

縮小しているので分かりずらいのですだが、横た

わっているコンクリートが掩体壕の基礎跡です。

放水路脇の地道から見た竹林。この竹林が目印

となります。

 竹やミカンの木々が生えている地面に、明らかに不自然なコンクリート製の構造物が2本横たわっています。それが掩体壕の基礎跡です。2本のコンクリの間隔は約10mほど。北→南方向に見て右側にある短い基礎跡の長さが約5m、左側の基礎跡の長さが6〜7mぐらいです。

 コンクリを見てみると大きな石が混ざっている特徴のあるコンクリです。鉄筋が数本埋まっているのも分かります。話では屋根を覆う木々を固定するための鉄筋だったそうです。

右側の掩体壕基礎跡。半円形というより扇形を

しています。手前が北側(口側)となります。

左側掩体壕基礎跡の南端部分(尾側)です。後部

は閉鎖されていなかったようです。

左側の基礎跡は途中で大きさが変わります。

コンクリ内に大きな石があることが分かります。

左側基礎跡の北端部分(口側)。壕入口左側の

端となった部分です。

左基礎部分の北端付近から直角にコンクリの基

礎が延びていました。なんの部分でしょう?

基礎跡表面をよく見ると、細いながらも鉄筋が残っ

ていました。

 この掩体壕跡前には飛行機の誘導路があったそうです。今は畑となってしまっており、どれが誘導路なのか分かりません。

また近くには高射砲陣地跡もあるそうなのですが、付近を探し回ったものの見つけることが出来ませんでした。

◆掩体壕跡A

 

 掩体壕跡@の北側に位置するのが掩体壕跡Aとなります。壕跡Aは天理市武蔵町にあります。

 写真@を見ると分かるとおり、壕跡Aも放水路に沿って建設されています。@と共に放水路に沿ってあったであろう誘導路沿いにあったことになります。

 残っているのは基礎部分のみ。@同様、天井部分は残っていません。また掩体壕跡Aは個人の敷地内にあるために近付いて見ることはできません。地道から眺めるだけとなります。

 現存する掩体壕の基礎ですが、(掩体壕を正面見て)右側の基礎だと思います。見えているのは3mぐらいでしょうか。その他の部分は埋もれてしまっているのか、撤去されたのか分かりません。また反対側は見つけることが出来ませんでした。これも撤去されたか埋もれてしまったのかも知れません。

 場所ですが、掩体壕跡@から放水路に沿って北上。r196(県道柳本田原本線)との交差点(新川橋西詰)を右折。新川橋で放水路を渡るとすぐに左折して、ダート(未舗装)の道を進みます。すぐに農機具小屋(作業所?)があり、その敷地内に掩体壕跡があります。

掩体壕跡A。畑横にある土手のようなのが掩体

壕の基礎跡です。

拡大した写真。掩体壕跡@と同じ形をしていま

す。個人の敷地内なので近くから見れません。

新川橋東詰から放水路を北に向かうとあります。

右側の農機具小屋(作業所)の向こう辺り。

◆掩体壕跡B

 

 天理市遠田町にある海知池の東岸近くにあるのが掩体壕跡Bです。ここも個人所有の畑にあるので道路上から見ることになります。(写真B参照)

 畑の南端にある数本の小さな竹林があるのですが、その根元付近に横たわるコンクリートの構造物が掩体壕跡Bです。見えるのは片方(壕を正面からみて恐らく右側)の基礎跡だけです。全長5m弱ぐらいの長さで、西端は土に埋もれていますが左右はほぼ対称的な形をしています。

 この掩体壕跡Bは池のすぐ隣という妙な位置にあります。なんでこんな場所に建設したのでしょう? 海知池内には壕跡Bの一部となるコンクリートの遺構が沈んでいるそうで、池の水を抜くと姿を現すそうです。訪れたときは満水状態だったので、全く見えませんでした。

 場所は海知池東。r51(県道天理環状線)上から見えます。海知町集落の東側にある運送会社敷地前付近です。

r51の道路上から南を見ると小さな竹林があり、

その下に掩体壕跡があります。

東端の部分。近付いて見れないので分かりませ

んが、@と同じような形態をしているようです。

ほとんど土に埋もれた西端部分。てっぺんの付近

だけが見えているだけです。

◆掩体壕跡C/D

 

 防空壕の東側にあるのが掩体壕跡CとDです。天理市岸田町内にあります。@管理人が見つけたのは防空壕(北)の東側にある掩体壕跡Cだけでした。掩体壕跡Dは敷地が造成されたために消失したそうで、痕跡すら見つけることができませんでした。

 さて掩体壕跡Cについても、残っているのは一部分だけでほとんどは撤去されています。掩体壕の基礎の端部が残っているだけです。残っている部分から推定すると間隔はおよそ20mぐらいのようです。共に畑の中や個人の敷地内にあるために近付くことは出来なかったために、詳しくは分かりません。

 場所は岸田川の北岸を通る道沿いに立つ個人ガレージ(農機具小屋?)の隣です。

畑の中にある基礎跡。手前と向こう側(木の左付

近)にあるコンクリ構造物がそれ。

遠くにあるので望遠で撮影。正面左側の基礎跡。

端部しか残っていません。

正面右側の基礎跡です。近くにあるので望遠で撮

影しました。これも一部分だけです。

その他

 

 周辺各地にはいくつもの基地施設跡があるそうです。誘導路跡、整備場跡、兵舎跡、航空隊本部庁舎跡、地下壕群、(地下壕の)コンプレッサー設置台跡、通信施設跡などなど・・・。また北宇智駅近くの五條市住川町の辺りには大和基地の第二飛行場もあったそうです。

 そこまで探すとなると一日がかりになりそうです。場所もよく分からないので、探すのは無理っぽいかな・・・(;´∀`) いずれ機会があれば探してみます。 

【大和基地 終わり】

 

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