Update 2009.04.02

 

 

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特殊潜航艇『海龍』

●『海龍』誕生まで

 特殊潜航艇とは、艦隊決戦時に敵主力艦隊を奇襲攻撃することを目的に建造された小型潜航艇のこと。『海龍』もその一種となるが、最初の特殊潜航艇『甲標的』とは構造や形態・目的などで大きな違いがあった。

 『海龍』は昭和18年(1943年)に浅野機関中佐によって考案された有翼潜水艦。飛行機のように翼を持ち、海中を自由に動き回る性能を持つ特殊潜航艇であった。「SS金物」という秘匿名で呼ばれた『海龍』は、昭和18年から設計・開発が始められた。甲標的を改造した実験艇を完成させたのち、昭和19年(1944年)6月末に試作艇が完成した。「SS金物」は本土防衛用兵器として同年12月には18隻の製造が認められ、翌昭和20年(1945年)2月に『海龍』として制式化された。

 『海龍』は魚雷2本を搭載し、敵艦近くまで接近して魚雷を発射し帰還することになっていた。しかし帰還が難しいこと(事実上不可能)から、艇首に爆薬を取り付けた特攻兵器として製造されている。『海龍』への魚雷搭載も、戦局の悪化や製造能力の低下などによりうやむやとなり、『回天』同様の人間魚雷となってしまった。

 制式後、『海龍』は終戦までに約230隻が建造され各地の基地隊に配備されたが、一度も実戦に参加しないまま終戦を迎えた。なので『海龍』の攻撃による戦果はない。

【海龍(試作三号艇)Data】

全長   17.28m

排水量  19.3t

最高速力 水中10ノット/水上7.5ノット

乗員    2名

兵装   45cm魚雷発射管×2/魚雷×2

頭部爆薬量 600g

【海龍(後期量産型)Data】

全長   17.28m

排水量  19.3t

最高速力 水中9.7ノット/水上7.4ノット

乗員    2名

兵装   45cm魚雷発射管×2/魚雷×2

頭部爆薬量 600g

■『海龍』試作三号艇

 

 

 広島県呉市江田島町の海上自衛隊第一術科学校で展示されている『海龍』試作三号艇。あちこちの外板をくり抜いて内部を見えるようにした教育用で、潜水学校において搭乗員教育用として用いられた。後期量産型とは違い、艇首は鋭く尖っている。

▲右側方を艇首から見る。司令塔の前にのぞき窓がある。

▲艇首先端。この中に爆薬が入ることになる。

▲艇尾。横舵と縦舵とスクリュープロペラ。

▲中央部の主翼。飛行機の主翼に似ている。

▲艇尾にある機関。何かは不明。

▲主機関?。自動車用を改造したものだとか。

 

 

 

▲司令塔。ハッチが開いている。側面には菊水が

  描かれている。

 

【写真】 平成20年(2008年)4月18日撮影

■『海龍』(後期量産型)

 

 

 広島県呉市の呉海事歴史科学館(大和ミュージアム)にで展示されている『海龍』。ここで展示されているのは後期量産型で、第一術科学校の試作型とは艇首の形態が違っている。

 この『海龍』は昭和20年(1945年)に静岡県熱海市網代港沖で米軍艦載機が放ったロケット弾(不発弾)の直撃を受け沈没したもの。昭和53年(1978年)5月末に引き揚げられた。その後の経過は不明だが、平成1 7年(2005年)の『呉海事歴史科学館』開館に合わせて同館で保存・展示されている。

▲前方より右舷側を見る。試作三号艇とは違い、艇首は丸く大きくなってい

  る。

▲前方より左舷側を見る。

 

▲主翼下に取り付けられた魚雷発射管。実際に配備された艇には魚雷は

  装備されなかった。

▲後方より右舷側を見る。へこんでいる部分にロケット弾が命中したが、幸い

  にも不発弾だったとか。

▲艇中央部。ハッチが認められる。向こうの零戦は六三型。

▲艇尾部(左舷)。舵とプロペラスクリューがある。上の舵は無くなったようだ。

 

 

 

▲斜め上から見た『海龍』。

  中央部の翼が特徴的だ。

 

 

 

【写真】平成20年(2008年)4月17日撮影

【海龍 終わり】

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