Update 2009.12.27

 

 

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九十二式歩兵砲

 九十二式歩兵砲は昭和7年(1932年)に採用された歩兵砲。それまで別々の砲で撃っていた平射・曲射を一つの砲で撃てるようにすることを目的として開発された。歩兵大隊に2門ずつ配備されたので、『大隊砲』とも呼ばれた。

 砲の口径は70mmで、砲身長は790mmであった。クランク式の車軸を調整することで平射・曲射を使い分けていたそうである。

 車輪は鋼鉄製となっており、馬一頭に牽かせての移動となった。分解すれば馬三頭か、兵士10名が担いで移動していた。車輪はサスペンションがなかったことから、自動車での牽引は不可能で、トラックの荷台に載せるかしないと車輌移動はできなかった。

 九十二式歩兵砲はほとんど曲射砲として使用されたが、射程が短い上に命中率はあまり良くなかった。発射音・発砲音も大きいため、位置が敵に判明しやすいという欠点を有していた。

 それでも終戦までの間、満州や中支、ビルマ、フィリピンから南方の島々に至る各戦場において、歩兵砲の主力として使用され続けた。

 写真の九十二式歩兵砲は、ハワイのアメリカ陸軍博物館内に保管・展示されている砲。ここに来るまでの経緯は不明だが、アメリカ軍もまとまった数の九十二式歩兵砲を戦場で捕獲(しかも使用していた)しているので、それらのうちの1門であろう。

【DATA】

重量:204kg

最大射程距離:2800m

発射速度:10発/分

水平射角:左右各20度

俯仰角:−8〜+70度

【撮影日】平成16年(2004年)5月15日

一式機動四十七粍速射砲

 ノモンハン事件(昭14年)を受けて、九十四式速射砲に変わる新型の対戦車砲を開発することになった。開発はノモンハン事件が終結した昭和14年(1939年)9月に開始され、昭和16年(1941年)7月には試作が完成 ・採用。その後各種試験が行われ、昭和17年(1942年)5月に制式化・量産された。

 一式速射砲の特徴は、それまでの九十四式速射砲の馬牽引とは違って車輌牽引となったことにある。そのためパンクレスタイヤを装備した近代的な野砲となった。

 砲弾は榴弾と徹甲弾の2種類が用意され目標に応じて使用された。対戦車に用いられた一式徹甲弾であれば、1000mの距離からM3戦車を貫通する能力を持っていたため期待されたものの、一式速射砲が前線に配備される頃には主力戦車はM4戦車に変わりつつある頃で、装甲の分厚い新たな敵戦車に苦戦することになる。

 M4戦車への正面からの攻撃では効果が少ないことから、徹底的に偽装して隠れ、至近距離からM4戦車の側面を狙うなどして戦果を挙げたという。実際、沖縄戦においては一式速射砲の側面からの射撃などにより多数のM4戦車を撃破している。

 ちなみに一式速射砲の戦車搭載型が一式47mm戦車砲で、一式中戦車などに搭載されている。

【DATA】

重量:800kg

最大射程距離:6900m

俯仰角:−11〜+18度

水平射角:約58度

▲左斜め前から。日本陸軍の野砲にして近代的なスタイル。

▲右斜め前から。

▲後ろから。防盾左側にのぞき窓がある。

▲砲の装填口。他いろいろとある。

 一式速射砲は約2300門製造されている。残った砲のはとんどが戦後に廃棄されたが数門が保存されており、日本国内では土浦の陸自武器学校に保存展示されている。

 @管理人が撮影した写真は、ハワイのアメリカ陸軍博物館に保存展示されている砲。屋外展示であるが、保存状態は良好である。塗装が違っているのは仕方ないか・・・(´・ω・`) 平21年(2009年)秋に同博物館に行かれた方のBlogによると、とんでもない塗装をされてしまったという・・・

【撮影日】平成16年(2004年)5月15日

【日本帝国陸軍火器 終わり】

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