しまなみ海道&九州ツーリング

 

期間>>2003年(平15年)5月8日(木)〜11日(日)

バイク>>KSRU

>>ソロツーリング

<<しまなみ海道編>>

◆今春は分散ツーリング

 今年の春は長距離ツーリングに出かけていない。ZRX1100の車検があり、いろいろとパーツを交換するため金がなかったのだ。どこかに行きたいのだが、日数的に長期間は無理なので、分散して短期間でツーリングに行くことにした。

 4月末の『讃岐饂飩ツーリング』、実はその第一弾だった。5月GW明けに第二弾を計画する。行き先は、しまなみ海道と九州。KSRUで行く、フェリーのみ3泊の3泊4日間の強行軍ツーリングである。果たして生きて帰って来ることができるだろうか・・・・

 そんなことよりも、仕事はど〜した?(^^;)

↑モアイ像ハケーンヽ(゚∀゚)ノ

●2003年5月8日(木)【自宅→大阪南港FT:23km】

◇豪雨後曇り

 今年の5月GWは天候はすこぶる良く快晴続きだった。ところがGW明けから天気は一変。5月7日(水)晩〜8日(木)午前中にかけて、低気圧が発達しながら西日本を通過。8日の朝から、大阪は凄い豪雨となっていた。

 予定では晩に出発するつもりなのだが、この天気が続くと出かけるのが億劫になる。仕事中、目的地を片方だけにして短縮するかなどといろんなことを考える。頭の中はそればかりで、仕事は全く捗らない。こういう時は心配事を考えて解決するのが一番得策ということで、仕事をやめて休憩する。

 外は雨が降っているが、天気予報の天気図を見ると低気圧のすぐ西側には移動性高気圧が待機している。週末が晴れるのは間違いない。大阪は雨が降っていても、中国四国や九州は快晴に違いない。雨具を着てでも出発することに決めて仕事に戻る。仕事は定刻で終わらせて、捕まらないように早々に帰宅する。

 幸い夕方には雨は上がった。これで雨具を着て走る必要はなくなった。夕食を食べて20時過ぎに自宅を出発する。今回の相棒はKSRU。しまなみ海道の原付道を走るので、原付2種のKSRUでないと走ることが出来ないのだ。低気圧の通過後、上空に寒気が入ったため寒くなったので、オーバーパンツをはいて出発。北風が吹く中、地道を走って大阪南港FTに到着した。

◇四国開発オレンジフェリー

 南港FTには21時前に到着する。平日ということでFTは閑散としている。オレンジフェリーの乗船券も難なくゲット。22時50分発のオレンジフェリー『おれんじ7』に乗船となった。前回、2000年5月の「しまなみ海道ツーリング」の時は関汽で松山に入ったが、今回は東予から四国入りしてみることにする。しまなみ海道を往復するということだけなら、今治に近い東予から入った方が時間を有効に使えると判断したのだ。

 22時過ぎに四国からのフェリーが到着。下船するトラック・車がなくなり、22時10分頃から乗船開始。バイクでの乗船は私一人だけだった。

 今回も2等寝台を確保した。オレンジフェリーは浴衣・スリッパ付きでサービスが良い。ダイヤモンドフェリー(だったかな?)みたいに荷物棚があれば申し分ないのだが。

 積み込みが遅れたため、定刻より10分遅れの23時に大阪南港FTを出航。明日に備えて24時頃には寝ることにした。

●2003年5月9日(金)【東予FT→尾道→今治FT:214km】

◇いきなりトラブル

 午前4時半頃に目が覚める。4時間ほどの睡眠時間だったがそれなりに眠ることができた。5時頃に船内起床。朝飯代わりにサンドイッチを購入して食べる。5時半頃よりロビーで待機する。

午前6時10分、フェリーは定刻通りに東予FTに接岸した。昨晩、大阪南港FTを10分遅れで出航していたのだが遅れを取り戻している。

 薄ぐらい車両甲板に下りる。固定具を外して、2・3回キックするとエンジンが掛かった。でも何か変だ。いつもと何かが違う。数秒してからヘッドライト周辺が暗いことに気付いた。

『ライトの球が切れてるやん!』

 FTに下りてから確認すると、見事にライトの球が切れていた。カバーを固定するネジも一本取れていた。四国上陸早々のトラブルである。日中はライトが点かなくても大丈夫だが、日没までには今治に到着しないといけなくなった。朝早い時間なので、バイク屋は開いていないので、今治か尾道でバイク屋を探すことにしてFTを出発した。

◇今治へ

 天気は快晴だが、今朝は気温が低めで北風が吹いているので少し寒い。オーバーパンツをはいたままでの出発となる。R196に入り東予市から今治市へ向かう。朝6時台なので車は少なく快適に走ることが出来る。いわば早朝ツーリングだ。水田の中を突っ切る2車線道を快調に進んで行く。途中でR196から離れて、JR予讃線大明神川トンネルという川の下をくぐる珍しい鉄道トンネルを見てから今治市街へ向かった。

(撮影時、たまたま電車が通過したので撮影。実は川の下をくぐっています。→)

 午前7時頃に今治市街に到着。営業開始したばかりのGSに入り給油。近くにバイク屋がないかと尋ねると、近くにあることはあるがまだ開いていないとのこと。ライトの球交換は尾道で行うことになった。朝早いのだが、ぼちぼち通勤の車が多くなり始めていた。

 市街を走ってR317に入る。3年前は拡幅工事中だった市街北部の区間は工事も終わって立派な道になっていた。市街を抜けて程なくして今治小松自動車道をくぐって今治北IC前を通過。しまなみ海道を渡るバイク(126cc以上)と車はこちらから入らねばならない。その先で右に分岐する市道に入り、急勾配の坂道を上る。原付道入口を一度通り過ぎてトンネルを越えると糸山公園に到着した。

◇来島海峡展望台

 朝7時20分頃に展望台のある糸山公園に到着した。すでに地元のおっちゃんが数人ベンチに座って、あれこれ話している。昨晩の阪神の試合について自己流の解説をしていた。今年はどこに行っても阪神の話題を聞かないことはなさそうだ。

 公園内にある来島海峡展望台からは、四国本島から馬島を経て大島へ向かう来島海峡大橋を一望することができる。東からは朝日が昇ってきていたため写真は逆光気味になってしまったが、大橋をバックにしてKSRの記念撮影を行う。

 多くの人はここで満足して引き返すのだが、来島海峡展望台にはもう一つ展望台がある。もう一つの駐車場(第二駐車場?)から上がっていく展望だ。急勾配の道を上ると山頂付近に出る。そこにある展望台からは、来島海峡大橋(第三大橋)のほぼ全景を「俯瞰」しながら眺めることができる。四国本島にある、大きな円を描く自転車・歩行車道と原付道の取り付け部分も一望することができる。

 こういう巨大な建造物を見るといつも思ってしまう。『よくもまぁ、こんなモノを造ったものだ』

◇来島海峡大橋

 四国本島と対岸の大島の間にあるのが来島(くるしま)海峡。来島海峡大橋は、この海峡の間にある1つの小島を経由して結んでいる。来島海峡大橋は全区間一つの単独橋ではなく3つの大橋から構成されているのだ。御存知の通り、「しまなみ海道」にある大橋はすべて有料の西瀬戸自動車道の橋である。自動車専用道なので徒歩・自転車・原付は走ることが出来ないのだが、自動車道の脇にそれぞれの専用通路を併設して渡ることができるようになっている。

 原付については有料だが、バイクや車で自動車道を渡った場合と比べると通行量は格段に安く付く。それよりも「しまなみ海道」を原付で走ることが出来ることの方が魅力が大きい。3年前の2000年5月に一度KSRで渡って、そのおもしろさにハマってしまった。ヽ(゚∀゚)ノ<イイ!

 展望台からトンネルを抜けて原付道入口へ向かう。入口で交通調査をしているおっちゃんがいたので、朝早くから大変ですねと話しかけしばらく話す。記念写真を撮ってもらったのち、原付道から来島第三大橋へ向かった。

 すべの大橋では交通事故防止のため、自転車・歩行者道と原付道の2つに分離されている。分離できない大橋では通行区分を分けている。来島海峡大橋では橋の西側が原付道となっている。狭めの歩道ぐらい(0.7車線ぐらい)の道幅の原付道に入る。大きなループ橋で、大きな円を描きながら少しづつ高度を上げて行き、円を1週ほどすると西瀬戸自動車道の高架をくぐって

橋の西側に出た。もうそこは大橋の上。ここから原付で来島海峡を渡り始める。

 車道とは仕切られた専用車線が原付道として設けられており、自動車道と同じ車道を走るようにはなっていない。(自転車・歩行車道も同じ) 専用道路が確保されているのだ。

 時間は午前8時頃。通勤・通学時間帯なので、島から今治へ向かう通勤・通学者の原付と数台すれ違う。私は楽しみながら走るのでゆっくりとした速度で走り始める。もしかしたら原付道も駐停車禁止なのだろうかと思いつつ、橋の途中で停まって海を眺める。自動車道では駐停車禁止なのでこういう芸当はできいない。

 全長1570mの来島第三大橋を渡ると馬島に到着する。島に住む島民のためのエレベーターと車用のインターがあるのだが、島民以外の利用はできないようだ。ここには料金所があり、ここで200円を料金箱に入れる。料金所と書いたのは、インターを出入りする車の確認とバーの開け閉めのために係員が常駐しているためだ。「しまなみ海道」の中で係員がいたのは、尾道大橋と来島海峡大橋だけで、他は料金箱が置いてあるだけだった。

 馬島からは来島第二大橋に入る。中渡島を眺めながら進んで行く。橋の下は航路となっており、フェリーや貨物船などがくぐっている。全長1515mの第二大橋を過ぎると、すぐに来島第一大橋に入る。毛無島という小さな島を見て進んで行く。第一大橋は全長960mと一番短い。

 やがて原付道は車道から離れる。大きなカーブを描きながら車道の下を通り自転車・歩行車道と合流。そのまま山の斜面に沿って標高を下げて行き、r49(県道大島環状線)との交差点に到着し、大島に上陸した。

 まずは全長4045mの来島海峡大橋をクリアした。

◇亀老山展望台

 原付道入口から少し走ると下田水港前に到着する。ここからR317に入って大島のほぼ真ん中を進んで行く。大島南ICを過ぎると交通量が増加する。西瀬戸自動車道の大島内区間がまだ建設中のため、自動車道を通行する車・バス・トラックはR31

7に誘導されるためだ。

 途中でR317から離れて脇道に入る。山間の集落に向かうローカルな町道を淡々と進んで行き、亀老山(きろうさん)という案内に従って山道に入る。山道と行っても舗装・整備された1.5車線道だ。見通しの悪いカーブが多いが、注意して走ればさほど問題ない。クネクネした山道を登って行くと、やがて来島海峡が見えてきた。山の頂上まで行くと駐車場となっていた。

 ここが亀老山。今から1300年ほど昔、旅の風来僧が大島のとある海岸の洞窟で、光り輝く黄金色の観音像を背負った大亀を見つけた。その僧は早速その観音像を持って、とある山に七堂伽藍を建立し崇拝した。その山が亀老山の由来だそうだ。

展望台入口には由来を記した看板と大きな亀の石像があった。

 さて、バイクを停めて歩いて展望台に行くと、そこからは来島海峡を跨ぐ大橋の姿を一望にすることができた。展望台からは大島の東側も見渡せるのでロケーションは抜群だ。

 今治市の糸山展望台とは逆位置からの眺望となるわけだ。両方の展望台から見ると、大橋は少し違って見える。こちらが標高が高いために小さく見えるためだろうか。

 大橋全てを写真に納めたいのであれが亀老山展望台が良いだろう。もう一つの展望台が山道沿いにもあるので、そちらから眺めても良いかも知れない。

◇伯方島経由大三島へ

 R317に戻って北上。大島の北にある宮窪に着く。宮窪の港には鵜島という小さな島を経由して伯方島の尾浦を結ぶシーセブンフェリーという小さなフェリーが発着している。今回は運航時間と合わないためにパス。港の写真を撮ってr81(県道大島環状線)を反時計回りに走って行く。やがて伯方大島大橋が見えてきた。大島大橋を過ぎた所に自転車・歩行車道と原付道入口があった。

 伯方大島大橋は、共に1988年(昭63年)に開通した橋。全長325mの桁橋である伯方橋と全長840mの吊り橋である大島大橋の2つから構成される橋だ。大島寄りにあるのが大島大橋で、伯方島寄りにあるのが伯方島だ。(写真はr81から見た大島大橋)

 1車線の取り付け道路を上ると西瀬戸自動車道宮窪TN北口前で自動車道と合流する。伯方大島大橋の車道は南行き(四国方面行き)車線を使った2車線対向道路となっており、原付道は未使用の北行き(広島方面行き)車線に設けられている。また伯方大島大橋の自転車・歩行車道と原付道は白線で区別されているだけで同じ橋を利用している。

 大島大橋の大島側に料金箱があったので、原付の通行料50円を入れて大橋を渡り始める。時間は9時過ぎなので通勤・通学も一段落。のんびりと大橋を進んで行く。ほどなくして大島と伯方島の間にある見近島に到着。見近島を少しだけ散策してから伯方橋に入る。天気が良いので徒歩で渡っている人とすれ違う。あっという間に伯方橋を渡って取り付け道を下りR317に出た。

 伯方島に上陸である。R317に入りそのまま北上する。道の駅を過ぎた所にある伯方島IC前を過ぎて西瀬戸自動車道をくぐった所で脇道に入る。1.5車線幅の狭路が次の大三島橋への連絡道路となる。1kmほど狭路を走って入口に到着。取り付け道路を進むと全長328mのアーチ橋である大三島橋に入った。

 伯方大島大橋同様、大三島橋も北行き車線を自転車・歩行車道ならびに原付道として利用している。白線だけで区別されている橋というのも同じだ。取り付け道路も供用となっているので、

原付だと注意して走らないと歩行者や自転車と事故を起こしかねない。

 大三島橋は、伯方島と大三島の間にある鼻栗瀬戸という狭い海峡を渡っている。走っていると海峡と言うよりは川を渡っているような感覚だ。橋の上から一見すると、波のない穏やかな水面だが、狭い海峡と言うことで潮の流れは結構強いのだろう。

 大三島橋もあっという間に渡ると大三島に到着。料金箱に50円を入れて大三島に上陸した。

◇大山祗神社

 海沿いに進む狭路を下ると瀬戸港脇に出る。かつては伯方島への連絡船発着港だったようだが、大三島橋の完成でその役目を終えてひっそりとしている。ここからR317に入り北に向かう。西瀬戸自動車道の大三島IC続いて井ノ口港前を過ぎてr21

(県道大三島上浦線)に入る。三村峠を越えて愛媛県大三島町に入り10時過ぎに大山祗神社に到着した。

 駐車場を探すがどこにあるのか分からず、しばらく神社の周辺をウロウロする。すると土産物屋のおっちゃんに「うちの駐車場に置いていき」と声を掛けられた。入口には『神社参拝用無料駐車場』と書かれた看板があったので、店先にKSRを停めさせていただく。

 大山祗神社は鬱蒼とした木々に覆われている。境内には樹齢3000年とも言われる大楠を始めとして、巨大な楠が群生しており国の天然記念物に指定されている。古来より境内は『神聖なエリア』として大切にされていたため、こういう巨木が残ったのだろう。

 平日とあって参拝者は少ないので、静かな境内内を散策がてら歩く。この大山祗神社は「海の神」「軍神」(注1)である大山祗神(おおやまづのかみ)を祀っている関係から、古より朝廷・武将達が勝利を祈願していた。そして勝利した後には、武具や甲冑・鎧などを奉納したことから、数万点にも及ぶ武具・甲冑・鎧などが所蔵されているという。その中には大変貴重な物が含まれてお

り、現在(日本国)国宝・重要文化財に指定されている武具や甲冑・鎧の約80%が大山祗神社所蔵となっている。瀬戸内の大三島は、実は凄い島だったのだ。

 これらの武具・甲冑・鎧などを展示しているのが『宝物館』だ。早速訪れてみる。『宝物館』は『紫陽殿』『国宝館』『海事博物館』の3つに別れている。『紫陽殿』は3階建て(だったかな?)の建物で、ここには刀剣類や武具などが展示されていた。刀剣類は全て本物で、中には人を切った刃こぼれの跡がある刀もあった。((((;゜Д゜)))) 鎌倉時代に奉納されたという、長さ約1mもある大刀は迫力満点。こんなに長い刀を振り回すのは並大抵のことではない。時代劇などで振り回しているシーンがあるが、あれは脚色付けすぎなのだろう。多くが鎌倉時代に奉納されたらしいが、約800年近く前の刀なのに錆び一つ無く往事の姿を保っている。管理が行き届いている証だろう。

 階段で上へ上がっていろいろな武具を見ながら進んで行き、次の『国宝館』に入る。その名の通り国宝が展示されている建物だ。薄ぐらい展示室に入ると、国宝・重要文化財の武具・甲冑・鎧などがガラスケースに入れられて展示されている。展示室内には私一人しかいない。そのため、凛とした空気が張りつめている展示室の雰囲気を肌で感じる。800年も経てば、武具とはいえ神々しい雰囲気を持つようになるのだろうか。

 「源義経奉納」「源頼朝奉納」などなど、鎌倉時代に活躍した武将達が奉納したという武具や鎧を見る。800年ほど前は、これを着て戦っていたのだ。三島水軍の鶴姫が着用した日本唯一の

女性用鎧(重要文化財)も展示されていた。ヽ(゚∀゚)ノ<スゴイ! 

 3つめの『海事博物館』には、昭和天皇の海洋生物研究の為の御採集船「葉山丸」が展示されていた。昭和天皇の多数の御著書、瀬戸内を中心とした動植物の標本、鉱石の標本などが展示してあった。それらも貴重な資料・標本に違いないのだが、ここには貴重な水軍や海軍関係の資料も展示されている。

 かつての呉鎮守府(今の海自呉基地)に近いことから、呉鎮守府に所属していた戦艦「阿蘇」(明治時代の艦)、戦艦「陸奥」「伊勢」、軽巡洋艦(名称忘れた・・・)などの旧帝国海軍艦艇の写真がパネルで展示されている。それらはいずれも『奉納』と書かれており、公試中の姿を撮影した写真のようだった。80年ほど昔の(いちおう生)写真を見ることができるとは・・・。海軍艦艇ファンにはたまらない所に違いない。

 戦後の海上保安庁巡視艇の写真も『奉納』されていた。案外今でも、呉基地所属の海自護衛艦や各種艦艇の写真を『奉納』しているかも知れないと思いつつ博物館を後にした。

注1

 大山祗神は、もともとは「山の神」です。古来より神聖視されている「山」から湧き出た「水」が田畑を支配し、さらに「海」に流れ込むということから「海の神」

とも見なされています。農業関係から見れば「穀物の神」「豊穣の神」でもあり、また鉱山関係からだと「鉱石の神」にもなります。そこから商業関係や軍事関

係の神様とも見なされているようです。

 大山祗神が「軍事の神様」と見なされているのは、そういう経緯からのようです。『複数の顔を持つ』という日本の神様の典型的な例でしょう。ちなみに大山

祗神は、娘の木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)が日子穂穂出見命(ひこほほでみのみこと)を生んだ時、大変喜んで「狭奈田(さなだ)の茂穂」でア

メノタムケ酒を造って天地の神々に振る舞ったことから、「酒造りの神」にもなっています。

大山祗神社

●神社の由緒

 大山祗(おおやまずみ)神社は、瀬戸内の大三島

にある神社です。御祭神は大山祗神(おおやまづ

みのかみ)。

 神武天皇御東征に先駆け、祭神の子孫である小

千命(おちのみこと)が伊予二名島(四国)に渡り瀬

戸内の治安を司っていた時に、要衝である御島(大

三島)を”神地”と定めて「大山祗神」を祀ったこと

が、神社の始まりと言われています。

 「日本総鎮守」「三島大明神」「大三島宮」という

御社号を持ち、全国の大山祗神社、三島神社の総

社にもなっています。また大山祗神社は、伊予国

一の宮にもなっています。

●大山祗神(おおやまづのかみ)

 伊邪那岐命と伊邪那美命の子。別名を「大山積

神」「和多志大神(わだしのおおかみ)」「酒解く(さ

けとけのかみ)」と称します。

 本来は「山の神」なのですが、「海の神」であり

「酒の神」でもあるのです。『複数の顔を持つ』とい

う日本の神様の典型というべき神様です。

 娘の木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこ

と)は、天照大神の孫である邇邇芸命(にぎぎのみ

こと)の妻となって3人の子供を生みます。末子の

日子穂穂出見命(ひこほほでみのみこと)は初代

天皇である神武天皇の祖父となります。

 このことから大山祗神は「日本建国の大神」とし

ても祀られています。

●宝物館

 大山祗神社は「海の神様」でもある大山祗神を祀

っていることから、古来より信仰を集めていました。

大山祗神は、商業や軍事にも威光を示し「軍事の

神様」としても祀られていたため、朝廷や武将達か

らの信仰も厚かったようです。

 勝利を祈願した武将達が、願いがかなった(勝利

した)時に武具や甲冑・鎧を奉納したことから、公開

されいる物も含めて数万点もの武具・甲冑・鎧など

が所蔵されているということです。

 また、そういう経緯から、現在日本の国宝・重要

文化財に指定されている鎧などの約8割がここに

集まっています。三島水軍で有名な「鶴姫」の物と

される鎧もここにあります。

 宝物館は「紫陽殿」「国宝館」「海事博物館」の3

つの館から構成されています。

>>紫陽殿・国宝館

 鎧・兜・刀剣類を展示。源義経が奉納したという

「赤絲威鎧大袖付」(国宝)、斉明天皇奉納の「禽

獣葡萄鏡」(国宝)、護良親王奉納の「牡丹唐草文

兵庫鎖太刀拵」(国宝)などを見ることができます。

>>海事博物館

 昭和天皇の多数の御著書や、瀬戸内を中心とし

た動植物の標本などを展示しています。昭和天皇

の御採集船「葉山丸」も展示されています。

 また全国の鉱山の代表的鉱石も多数展示されて

います。

●大山祗神社

所在地:愛媛県越智郡大三島町大字宮浦

пF0897−82−0032

宝物館の観覧料:1000円(3館共通)

宝物館開館時間:

    8時30分〜17時(入場は16時30分まで)

休館日:年中無休

交通:

>バイク・車

 西瀬戸自動車道大三島IC下りて、R317〜r21

経由で約5km。

>フェリー

今治から:大三島ブルーライン利用。宮浦港下船。

三原から:

    三原・瀬戸田共同ライン利用。井口港下船。

忠海から:大島フェリー利用。盛港下船。

・各港よりバス利用。大山祗神社バス停下車。

 バス・船の時間は確認して下さい。

◇広島県へGO!

 大山祗神社を出て土産物屋に戻る。主人と少し話してから出発しR317まで戻る。多々羅総合公園付近で1.5車線幅の坂道に入って急勾配の坂を上がると、海上自衛隊の「HSS2型ヘリ」が展示されていた。そのすぐ先に原付道入口があった。多々羅大橋は原付道が橋西側、自転車・歩行車道が東側に設けられていて分離されている。来島海峡大橋とは逆の位置になる。

 多々羅大橋は1999年(平11年)に供用開始された大橋。橋長1480mのファン形斜張橋。2つある支柱から張り出したワイヤーで橋を吊り下げている。遠くから見ると大変美しい姿を見せてくれている。

 自動車道の高架を過ぎた所で原付道と自転車・歩行車道が別れている。0.7車線ほどの原付道に入り車道のすぐ脇に出て大橋に入る。のんびりした瀬戸内の海を見ながら進んで行く。ふと途中で止まって景色を眺めると、高根島の向こうに本州の山々が見える。今日は快晴で、さらに遠くにはうっすらと中国山地の山陰が見える。こういうことができるのも原付道ならでは。気分爽

快となって進んで行く。

 大橋の中央付近で広島県に入る。KSRUでの広島県入りは2000年5月以来2回目。大橋を渡りきって料金箱に通行料金100円を入れて取り付け道路に入る。山の斜面に沿ってぐるりと大きな円を描きながら標高を下げて行くとR317に出た。ここが生口(いくち)島だ。

◇生口島経由因島へ

 生口島内は西瀬戸自動車道が未開通となっているので、自動車道を走ってきた車・トラックや観光バスはR317に下りることになる。そのため交通量は少し多めになるが、流れがあるのでさほど気にしないで走って行くことができる。淡々とR317を走り続け、12時頃に生口島東端にある赤崎港の三光汽船乗り場に到着する。

 三光汽船は、赤崎港からすぐ向かいにある因島の金山港を結んでいる短いフェリー。126cc以上のバイクであれば自動車道を通るよりも値段が安くつく。2000年5月には乗ったのだが、今日は時間の巡り合わせが悪く、次の便は12時30分発だという。30分もあれば生口橋で因島に渡ることができる。待つ時間がもったいないので生口橋に向かった。 生口橋は生口島と因島を結ぶ世界第9位の長さ(790m)の連絡橋。1991年(平3年)に開通(供用開始)した日本初の斜張橋でもある。橋の構造は多々羅大橋とほぼ同じ。2本の支柱からワイヤーで吊り橋を吊りさげている。この橋も対称的な構造となっている。

 自動車道は2車線の対面通行として供用しており、余ったスペースに自転車・歩行車道と原付道を設けている。原付道が自動車道西側に設置されているのは多々羅大橋と同じだ。自転車・歩行車道と原付道が別れると、原付道は狭路となる。すぐに自動車道の脇に出て海上に出る。橋長は短いので、島の間にある狭い海峡(?)をあっという間に越えて、因島に渡った。

 因島でも大きなカーブを描いて山の斜面を進んで標高を下げて行き、橋のすぐ下付近でR317に入り北へ向かう。因島は島単独で「因島市」ということもあって人口が多く交通量も多い。今までのR317とはまた雰囲気が違う。

 島の中央にある青影TNを越えて島の北東部にある市街地を通り抜けて島北部に向かう。原付道入口を通り過ぎて、その先にある因島大橋記念公園に立ち寄る。巨大な恐竜の像があったので、その前にKSRを停めて撮影する。公園は3つのエリアから構成されているのだが、私が立ち寄ったのは恐竜の像があるエリアだけだった。他にはアスレチックゾーンと芝広場があり、土日祝日は家族ずれで賑わ

うとのこと。市営となっているのか、無料公園で入園無料となっている。

◇向島経由本州へ

 R317から取り付け道路に入り山の斜面を進んで行く1車線道を上る。原付道と自転車・歩行車道の併用道路なのでゆっくりと進んで行く。西瀬戸自動車道の大浜PA付近で因島大橋に入る。

 因島大橋は全長1270mの吊り橋。構造的には鳴門大橋や瀬戸大橋に似たような橋で、上下二層構造となっており、上部が自動車道、下部が原付道と自転車・歩行車道となっている。そのため下層にいると上部を通る車・トラックの振動が伝わってくる。また支柱が縦斜めに走っており、支柱の間から布刈(めかり)瀬戸を眺めることになる。危険防止のために高さ2mぐらいフェンスが設けられていることもあって展望はあまり良くない。

 原付道は見通しの良い約1kmにも及ぶ直線道路となっている。下層部分は自転車・歩行車道と併用となっており、原付道とはコンクリートブロックで分離されているだけだった。速度を出したくなるような造りだが、その気持ちを抑えてゆっくりと走る。やがて向島に渡る。料金箱に50円を入れて取り付け道を下って向島に下りた。

 r377(県道向島環状線)に入り、布刈瀬戸を眺めながら海岸沿いに左回りで進んで行く。R31

7に入り向島の北部へ。西瀬戸自動車道向島ICを過ぎて坂を下ると向島町の市街に入る。向島は戦後は造船業で発展してきた町なので人口も多く賑やかな街となっている。尾道水道を挟んで

すぐ向かいにある尾道市街と陸続きになっているような感じだ。

 交通量の多い道を走って尾道大橋の料金所へ到着。料金所で通行料の10円を支払う。かなり高い位置にある尾道大橋からは、尾道水道とその両岸に広がる街並みや造船所を一望することができる。路肩がほとんどないので止まることができないのが難点だ。

 尾道大橋を渡ると本州へ入る。そのまま道なりに進むと自動車専用道に入るので側道に入る。山の斜面を縫うように進む2車線道を下ってR2へ出た。来島海峡大橋から始まった「しまなみ海道橋巡り」が終わる。KSRなので新尾道大橋を渡ることができないのが無念だ。

◇バイク屋を探せ!

 時刻は13時半。R2を西へ向かいJRの尾道駅前に出る。駅前近くにあるラーメン屋に入って「尾道ラーメン」を注文する。「尾道ラーメン」は薄目の汁であっさりとした味のラーメンだった。

 食欲を満たした後は、バイク屋を探し出さなければならない。KSRUのライトの球が切れているのだ。危うく「尾道渡船巡り」を始めるところだった。ラーメン屋の店員に尋ねると知らないと言う。市街まで来ればバイク屋があると考えていたのだが、見通しが甘かったか。尾道市街よりも向島の町中の方が下町っぽいので、そちらにバイク屋がある可能性があるかと考え、向島でバイク屋を探すことにした。ラーメン屋のすぐ近くに向島運航の乗り場があるので向島運航の渡船に乗ることにする。

 尾道市街と向島の間は尾道水道という海峡があるのだが、幅が狭いので一見すると川のように見える。その海峡を現在、6系統の渡船が行き来して『足』として活躍している。向島運航の渡船はJR尾道駅前に乗り場がある。向島は日立乗船場横にあり、少しだけ川を遡った所に発着場がある。細かくダイヤは決まっていないようで、大体5〜8分ぐらいの間隔で運航されている。

 撮影のために1本見送る。すぐに向島から渡船がやって来た。御輿を連想させる面白いデザインだ。KSRと地元の方が乗るカブ、それに3人ほどの買い物客が乗り込むと出航した。固定されることもなくエンジンを切っただけで止めてあるだけ。カブの方はエンジンをかけたまま跨ってい 

る。尾道水道を眺めると、向島側には巨大なクレーンがいくつも立っている。造船の島ならではの風景だ。遠くに新尾道大橋も見える。尾道市街側は海岸までビルなどが立ち並ぶ市街地となっていた。川と錯覚しそうな風景だった。

 入れ違いで尾道に向かう渡船と、すぐ隣の航路である福本渡船の船とすれ違う。見ていると尾道水道のあちこちで小さな渡船が右に左に動いているのが分かる。5分ほど進むと向島に到着したので、そそくさと下船。入れ替わり数人の乗客が乗り込むと渡船は静かに出航して行った。

 向島の乗り場付近は、タバコ等を売っている商店と駐車自転車、それに客待ちのタクシーが1

台止まっているだけだった。下町の私鉄駅前という感じの乗り場だ。”電車”→”渡船”と置き換えればいいのだろうか?渡船が住民の足となっているのだ。

 幸いにも乗り場のすぐ近くでバイク屋を見つけた。『YAMAHA』のバイク屋だが、ライトの球ならカワサキのバイクでも大丈夫だろう。バイク屋に入ると地下の整備上へ案内される。店の親父さんらしき、油で真っ黒になったツナギを着た、いかにも『職人』という感じの方が対応して下さった。カワサキのバイクであるにもかかわらず、てきぱきとカウルを外しライトを取り出す。ライト球

のワット数を確認して新しいライトを付けて下さった。固定するネジが一本なくなっていると話すと、あちこちにある『ネジ箱』や工具箱から(直径に)合うネジを探して付けて下さった。これで日没後の走行も可能となった。

 『木曽サイクル(富浜店)』ありがとう。m(_ _)m

◇福本渡船

 尾道市街に戻るために、兼吉地区にある福本渡船乗り場に向かう。向島ドッグの東側裏手の川沿いの狭路を進んで行く。入り組んだ下町っぽい町中に入り一方通行に従って進んで行くと、「ホテルおか島」前にある乗り場に到着した。福本渡船は車の利用が多いため、乗り場から少し離れた所に自転車置き場がある。乗り場周辺は渡船乗り場という雰囲気が強い。

 撮影のため、1本見送って次便に乗ることにする。5分ほどすると尾道市街から渡船がやってくる。車が5台ほど乗っている。こちらは車中心の渡船のようだ。渡船が接岸。車と原チャ続いて乗客が降り、入れ替わりで私らが乗り込む。

 渡船は車が10台ほど積むことができる凸形をした小さいフェリー。前後から乗り込む両頭タイプだ。普通車であれば100円なので尾道大橋(通行料150円)よりも50円安く、下りるとすぐに尾道市街地に入ることができるため利用が多いようだ。ちなみにバイクは80円。他の渡船を利用するよりも安くなっている。実は、戦後間もない頃に監督官庁(運輸局?)から「福本渡船の営

業距離は隣接航路の2/3。だから料金は6割」という嫌がらせを受けたため、以来、船主は意地で6割料金で通しているのだという。5分ぐらいで尾道市街の乗り場に到着した。

◇四国へ

 他の3航路にも乗りたかったのだが、四国行きフェリーの乗船時間の都合でまたの機会としてR2を西へ向かい、尾道市街から離れる。三原市街でR185に入り、JR呉線と共に瀬戸内の海岸沿いを進んで行く。瀬戸内の島々を見ながら交通量の少ないR185を快走する。R185は気分爽快になる道だった。

 15時40分頃に竹原にある中国四国フェリー乗り場に到着する。1時間に1本の割合で運航されているので、もう1便遅らせて渡船を楽しんでも良かったかな?(^^;) まぁ、渡船は逃げないだろうから、また訪れればいいか。

 16時発のフェリーに乗船。フェリーはのんびりと大三島と大崎上島の間を進んで行く。しまなみ海道をバイクで一気に駆け抜けるのもいいが、瀬戸内の島々を眺めながらのんびりと行くのも良い。船旅は短くても旅情がある。ヽ(゚∀゚)ノ<イイ!

 などと書きながらも、フェリー乗船後しばらくしてから爆睡。(^^;) 気が付くと来島海峡を進んでいた。遠くに来島海峡大橋が見えてくると四国も近い。1時間10分ほどの船旅を終え、フェリーは四国の波方町ある波方港に到着した。

 四国に17時過ぎに戻ってきた。実は明るい間に山手にある温泉に行きたかったのだ。今治市

街に戻りR317に入る。ここからR317を愛媛県玉川町方向に向かう。R317から離れて県道に入り、山間の農村地帯へと入って行く。

 18時前に鈍川温泉に到着。頭を洗って湯に浸かってのんびりとする。温泉から出てのんびりと1時間ほどくつろぐ。外に出るとすっかり暗くなっていた。尾道でライトの球を換えておいて良かった。R317に戻って今治市街に戻った。

◇今治FTでの長い夜

 19時半過ぎに今治FTに到着する。周辺の店は開いていないので、市街中心部にあるコンビニに行って晩飯を買って戻る。竹原でダイヤモンドフェリーに連絡してみると、今治25時(午前1時)発の大分行きフェリーの2等寝台が空いていると言うので寝台を予約し、当初から計画していた九州行きが決定する。

 さてFTの待合室は閑散としていた。ここで出航まで約4時間も待たなくてはならない。晩飯を食べて記録をつけて時間を潰す。待合室のテレビでは、「巨人×中日戦」が放送されていた。巨人5−0中日だったのが、8回に中日が一挙に5点取得し巨5−7中日で中日が逆転勝ちするという試合だった。テレビの真ん前には、Gファンらしき夫婦が陣取っていたが、勝っている間は機嫌良くはしゃいでいたが、負けると途端に不機嫌になり大声でボヤく、おばはんの挙動が面白かった。

 21時を過ぎると神戸行きフェリーに乗船する乗客が集まってきて待合室は混雑したが、フェリーが接岸して乗客が乗船して22時過ぎに神戸行きフェリーが出港すると再び閑散としてしまった。23時半頃になると大分行きフェリーに乗船する乗客や車が集まってきた。

 24時過ぎから乗船手続きが始まる。ベテランのおっさんと若いねーちゃんが担当。ベテランは手際よくさばいてゆくが、ねーちゃんは慣れていないのか手間取る。ベテランが8人手続きする間に1人というペース。遅い!遅すぎる!!前に並んだトラックの運ちゃんは明らかにイラついていた。私の手続きも少し遅かった。

 ・・・・・・・が、ねーちゃんは色白で可愛く、めっちゃ好みのタイプだった。ヽ(゚∀゚)ノ<ヒャッホウ!! 

 

許す!   

オトコッテコンナモンデス・・・┐(´-`)┌

 4時間待った甲斐があったってもんです。はい。(^^;) 

 24時半頃に神戸からのフェリーが到着し接岸。40分頃に数台の車と共に乗船する。約30分後、日付が変わった5月10日午前1時頃に今治FTを出港した。ね〜ちゃんよ、もとい四国よさらば〜〜〜 (^^)/~~

 2等寝台に横になるとすぐに寝てしまった。朝には九州だ。

>>九州編に続く

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