讃岐饂飩ツーリング弐千参

 

期間>>2003年(平15年)4月27日(日)〜28日(月)

バイク>>ZRX1100

>>ソロツーリング

◆饂飩が食べたい・・・

 この年、世の中は『讃岐饂飩』ブームだった。東京では大ブームとかで、わざわざバスに

乗ってツアーで饂飩を食べにやって来ていた。大阪ではそう盛り上がっていなかったように

思う。この年、大阪は『星野・阪神』が快進撃を続けていた(開幕早々から首位独走)ので、

それどころではなかったのだろう。

 そんな4月末、ふと讃岐饂飩が食べたくなった。すると間のいいことに、4月28日(月)、仕事が休みになった。いきなりの3連休である。これを利用しない手はない。車検明けのZRXで『讃岐饂飩&瀬戸大橋ツーリング』に向かった。

↑宇高国道フェリーから見た朝日。ヽ(゚∀゚)ノ

○2003年4月27日(日)【自宅→神戸・新港第三突堤:98km】

◆ジャンボフェリー

 夕方に自宅を出発。私用で大阪北部に寄ってから神戸へ向かう。阪神高速湾岸線からハーバーハイウェイに乗り換えて三宮で下りると、すぐに新港第三突堤に到着する。今回、早朝から行動したいために24:30発のジャンボフェリーで四国・高松へ移動することにしていたのだ。

 22時半少し前に到着する。かなり早めの到着だ。2001年7月に利用した時は、祝日前日だったこともあって大混雑していたので早めに来たのだ。23時40分頃に高松からのフェリーが到着する。ところがこの時間になっても、乗船するバイク・乗用車の姿は少ない。旅客待合室も乗客は少ない。今年のGWは飛び飛びで日取りが悪いので旅行に出かける人が少ないそうだ。そのためかGW最初の祝日前日というのに閑散としていた。多くの大阪人は旅行そっちのけで『阪神タイガース』に夢中なのだろうか?

 出港までに到着したバイクは、スクーターバイク3台とネイキッドバイク2台、原チャ1台だけだった。日付の変わった24時過ぎに乗船。雑魚寝部屋に向かうと閑散としている。フロアーで大の字に寝転がっても、十分過ぎるほどの広さがあった。GWの配置の悪さが幸いした。

 24:30、お馴染みのテーマソングが流れる中、新港第三突堤を出港。一路高松を目指す。到着予定時刻は4:10である。

○2003年4月28日(月)【高松FT→高松FT:208km/神戸第三突堤→自宅:54km】

◆宇高国道フェリー

 28日午前3時半頃、『ふたりを結ぶぅ〜 ジャンボフェ〜リィ〜♪』というお馴染みのテーマソングで起こされる。眠ったかどうか分からないまま高松東FTに到着した。

 高松東FTを含めた高松市内は日の出前でまだ真っ暗。4月下旬とはいえ少し肌寒い。FT近くのコンビニに立ち寄り朝食を購入する。今回は瀬戸大橋をZRX1100で渡るという目的もあった。予定では、店が開くまで待って讃岐饂飩を食べてから瀬戸大橋を渡って山陽道で帰阪するつもりだった。だが店が開くまでまだまだ時間がある。待つ時間が勿体ないので計画を変更した。フェリーで岡山に渡り倉敷周辺をブラブラしてから瀬戸大橋を渡って四国に戻り、讃岐饂飩を食べてから東へ移動。徳島か淡路島の津名港からフェリーで帰阪という計画を立てた。

 まずは朝の高松を走って宇高連絡船乗り場に向かう。10分ほどで宇高国道フェリー乗り場に到着。4:53発のフェリーに乗船するのだ。早朝便ということで乗用車の姿はない。運送トラックが3台ほど待っているだけだ。40分頃に宇野からの折り返し便が到着。こちらからは結構多くの乗用車とトラックが下りてきた。

 しばらくして乗船。ほどなくして出港。バイクから下りて客室に上がるが、私以外に乗客はいない。トラックのドライバーが時々タバコや缶コーヒーを買いに来るぐらいで貸し切り状態である。座席を一つ占領して横になる。フェリーは宇野へ向かって北上を続ける。

 5時を過ぎると徐々に東の空が明るくなってきた。5時15分頃に太陽が昇る。今日は快晴だ。ヽ(゚∀゚)ノ<ヒャッホウ!

 やがて宇野FTが近づく。昔の国鉄宇野港付近は再開発されて昔の面影はなくなっている。その付近には新しいFTが完成していたのだが、宇高国道フェリーはそちらには接岸せず、港の西外れにある宇高国道フェリー用の岸壁に向かう。ここからだとJR宇野駅まで15分ほど歩かねばならず不便なのだ。国道フェリーは新FTに接岸しないのだろうか?

 5時45分、フェリーは宇野港に到着。ほどなくして下船した。

◆早朝ツーリング

 宇野港で写真を数枚撮影してからR30に入る。市街を少し進んでR430に入り海岸沿いに進んで行く。早朝ということもあって車はほとんど走っていない。道ネタの取材も兼ねているので写真を撮りながらゆっくりと進んで行く。

 やがて町中を抜けて海岸沿いに進むようになる。遠くに瀬戸大橋が見える。朝日に反射して白く巨大な橋がひときわ目立っている。R430と言えば倉敷市水島地区の工業地帯を通る産業道路というイメージが強いが、玉野市内では静かな瀬戸内の海を見ながら走ることが出来る区間もあるのだ。

 朝早いので車の通行量はここでもほとんどなく、マイペースで走って行く。風も空気も爽やかで気持ちが良い。朝早くから行動すると1日を有効に使えることは知っていても、いざ普段の生活では朝早く起きることができない・・・ だらだらとした時間を過ごしてしまう。困ったモノだ。

 やがて倉敷市に入り、JR瀬戸大橋線児島駅前を過ぎる。時刻は午前7時前。自転車に乗って駅に向かう高校生の姿がチラホラと見かけるようになった。世間は平常通り月曜日の朝なのだ。

 R430から離れてr21(県道岡山児島線)に入る。r21は鷲羽山から南東に向かって突き出た久須美鼻に沿って進む県道だ。最初は平坦な2車線道だったが、倉敷市大畠の町を抜けると急カーブ・急坂が連続するワインディング道路に変貌する。小刻みな見通しの悪い急勾配の急カーブをいくつもクリアして進んで行く。

 r21からなら瀬戸大橋を撮影出来ると予想して走ってみたのだが、運転に集中しなくてはならず撮影どころではなかった。それでも下電ホテルの近くにある待避帯から海岸線に下りる小道を見つけたので、バイクを停めて海岸線に下りてみる。そこはホテルの裏手にあたり、個人経営の遊覧船発着場となっていた。数枚撮影してからバイクに戻る。

 r21とr393(鷲羽山スカイライン)の交差点付近まで進んでUターン。来た道を戻り、途中で脇道にそれて鷲羽山の展望台に向かった。

 駐車場にバイクを止めて、そこからは徒歩で階段を上って鷲羽山展望台に上る。午前7時過ぎということで誰もいない。売店も開店前だ。展望台というだけあって、ここからだと瀬戸大橋を一望することが出来る。一番北側にある下津井瀬戸大橋が見え、大橋が櫃石島を貫いて櫃石島橋で黒岩島、与島、そして遠く四国へと続いているのが良く分かる。個人的には瀬戸内ツーリングでお勧めの場所だ。

 昼前には見えている下井戸瀬戸大橋を渡らなくてはならないので、20分ほどで駐車場に戻り

r21でR430に向かった。

◆R429北上

 R430に戻り残る西半分の区間に入る。瀬戸中央自動車道を越えて西側に入ると、それまでとは違って工業地帯へ入る。道も片側2車線の4車線道となった。時間帯が朝の通勤時間帯と重なったため、道は混雑していた。水島コンビナート付近は8時前だというのに、製品か原料を積んだ大型トラックが数珠繋ぎで走っている。歩道には、駅から工場に向かう人達が歩いている。まさしく平日の朝という感じだ。工場に急ぐ通勤客の車を混じってR430を進んで行く。高梁川の左岸を走る頃には交通量も減って道も対向2車線道になった。やがてR429に入り倉敷市街へと入る。

 倉敷に来たのは4年ぶり。前は1999年9月末にZRX1100で訪れている。倉敷を再訪したのだからということで、4年ぶりにR429の実走調査も行うことにする。R2を少しだけ福山方面に戻り、わざわざR429起点から走り出したのもそのためだった。

 さて、9時頃になると通勤ラッシュも一段落する。やや空いたR429の倉敷市街を淡々と津山方面に向かって進んで行く。岡山県山手村に入ると周囲は田圃が広がる農村へと変わる。4年前は建設中だったBPが完成しており、R180との交差点まで快適な4車線道路で田圃を突っ切って走る。R429はわずか4年ほどで大きく変わっていた。

 R180を少し走ってから再びR429に入り、淡々と北に向かう。都市近郊の農村地帯を繋いで走るが、北に向かうにつれてローカル色が濃くなってゆく。しかしながら行政上はここは岡山市に属する地域である。

 8kmほど進むと周囲は農村地帯になっていた。岡山市柏尾地区の近くに到着。ここで国道から離れて1車線の脇道へと入って行った。

◆かしお温泉

 用事がなければ倉敷から自動車道に入り瀬戸大橋に向かっているのだが、わざわざここまで来たのには理由がある。そう温泉だ。せっかくツーリングに出かけたのだから温泉に寄っていこうと考え、地図上にある「栗井温泉」にやって来たのだ。R429から1車線幅の脇道に入る。小さい川に沿って300mほど進むと水田地帯に入り込んだ。少し先に集落が見える。その付近に旅館らしき建物があった。それが栗井温泉。

 ところが、そのすぐ近くに「かしお温泉」という温泉が建っていた。いかにも個人経営の民宿っぽい建物。水田地帯の農村に調和した農家風の建物だった。『元湯』『濾過していない天然温泉水です』という看板が目に入る。行き先変更。そのまま「かしお温泉」に向かった。

 10時前に到着する。こんな時間から温泉とはいいご身分である。(^^;) 営業時間は9時半からだった。どうやら本日の一番客のようだ。民家の玄関みたいな入口から入ると、女将さんが出てきて男湯に案内してくれた。

 脱衣場に荷物を置いて、廊下を歩いて奥にある便所に向かう。その途中にあった和室には何故か立派なカラオケセットが置いてるのに気付く。「はて?なんでこんな豪華なセットが?」 この

謎は後で解けることになる。

 さて入浴料は大人一人600円。個人経営のようだからこんなものだろう。珍しいことにタオルの

無料貸し出しサービスがあった。タオルと言っても地元の会社などが配る社名と住所・電話番号が書いてある宣伝用タオルだが、このサービスがあるだけでうれしくなる。(断っておきますが、タオルは持参しています。)

 浴室に入る。浴槽はタイル貼りで、大人4人ぐらいが入れば一杯になるぐらいの大きさ。そこに透明のお湯が注がれており、あふれ出たお湯が床を流れている。なんと『掛け流し』だ。Σ(゚Д゚)マジッ?

 さすがは『元湯』である。湯はほんの少し硫化水素臭のする単純放射能線。pH9.3と強アルカリ性のお湯だ。入浴すると肌はかなりヌルヌルしてくる。このヌルヌル感は温泉から出た後もしばらく取れなかった。お湯の感じからして、未循環で塩素など一切入れていない源泉を使用しているのは明らかだ。宣伝文句に偽りはなく、岡山県の平野部では珍しい、『未加熱』『未循環』『掛け流し』の天然温泉なのだ。ヽ(゚∀゚)ノイイ!

 窓からは水田が見え、その真ん中に『かしお温泉源泉』という看板が立っていた。どうやら水田のど真ん中からお湯が沸いているようだ。もっと入っていたかったのだが、これから讃岐饂飩を食べに行かねばならないので、時間の都合で30分ほどで温泉から出る。体はホクホクに温まっている。女将に挨拶してバイクに向かう。

 外に出ると勝手口から出てきたご主人と出会った。そこで延々と30分近く話し込んでしまった。ここの温泉の話(後述)に始まり、岡山県の温泉事情からご主人の趣味まで、話題は広範囲に及んだ。聞く所では、ご主人は遠藤実という演歌歌手の一番弟子だそうで、近々免許皆伝となるらしい。歌はかなりうまいそうで、毎週土曜日にカラオケ教室を開催しており、お弟子さんが結構おられるとのこと。先ほどのカラオケセットは、こういうわけで置いてあったのだ。

 泉質がかなり良いことが口コミで広がり、大阪からさらには遠く東京からも常連客がやって来るとか。岡山に行かれた時は是非お立ち寄り下さい。

■かしお温泉 最上荘

>>由来

 その昔、この辺り一帯の作物だけが大変発育が

良いことを不思議に思った庄屋さんが、藩主に調

査を願い出てみた。藩主は足軽を使って地面を掘

ってみた所、そこから温泉が湧き出したそうです。

 この昔話を聞いた先代(?)の主人が試しに掘っ

てみた所、やはり温泉が噴出してきたとのこと。

それで今のご主人も温泉を掘り出すことを思いつ

き、専門業者に頼んで掘ってもらうことにしたそうで

す。

 掘ってみると、昔(明治?)に掘った時に、人夫が

置いていった空き瓶がゴロゴロとでてきたそうで

す。『これはいける!』と思ったそうですが、そこか

ら下は「底なし沼状態」となっていたとかで、プロの

業者さんが命の危険を感じたほど困難な作業とな

ったそうです。

 その甲斐あって、やがて温泉が噴出。「かしお温

泉」が誕生しました。

 

>>不思議な温泉

 ここの温泉はなんでも1日3回ほど泉質が変化す

るそうです。ご主人がおっしゃるには、午前→午後

→晩と進むにつれて、なぜか硫黄の割合が高くな

っていくのだそうです。同じ源泉から噴出温泉なの

に、不思議な現象だとおっしゃっておられました。

 この変化したそれぞれの温泉が、これまた体に

良いとかで、一日中滞在して湯治する常連客が多

いとか。

 口コミで広がったようで、京阪神地区はもとより、

遠くは関東地区からも湯治にやって来る人がいる

とか。評判はかなり良い温泉です。ここは『知る人

ぞ知る名湯』というわけです。

●かしお温泉

岡山県岡山市栗井

пF086−295−1548

営業時間 9:30〜18:00

定休日:木曜日・他/入浴料:600円

*訪れる場合は、事前に問い合わせて下さい。

  宿泊は要相談です。

◆瀬戸大橋

 かしお温泉を出てR429に戻り倉敷市街に向かう。復路はBPを通らずに旧来からのルートを走る。岡山県山手村内には、旧山陽道の道筋をそのまま道路にしただけの道がR429に指定されている。造り酒屋の前で停まって、旧街道沿いの街並みを見物する。

 倉敷市街に戻り倉敷ICから山陽自動車道に入る。すぐに倉敷JCTに到着し、ここから瀬戸中央自動車道に入って南に向かう。鴻池SAに入って少し休憩。12時10分頃に出発して瀬戸大橋へ向かう。児島ICを過ぎて大きな右カーブをクリアするとトンネルに入った。このトンネルを抜けると瀬戸大橋に入ると思うとワクワクしてくる。(゚∀゚)ワクワク

 短いトンネルを出ると下津井瀬戸大橋に入る。朝、鷲羽山展望台から眺めていた橋である。少しだけ陸地の上を通り突然海上に出た。ついに瀬戸内海に出たのだ。最初の海峡なのだが、狭い海峡なので大河を渡っている感じがする。

 下津瀬戸大橋の途中で岡山県から香川県に入る。あっという間に橋を渡ると櫃石島に渡った。続いて櫃石島橋に入る。快晴で無風状態。バイクで走るには絶好のコンディションとあって、自然と楽しくなる。ヽ(゚∀゚)ノイイ! かっ飛ばしてしまうのが勿体ないので、一番左端の走行車線に入り70k/h前後の速度に落として走る。瀬戸内の島々や瀬戸内海を進む大小様々の船を見なが。

ら走ると、海の上を走っている実感が湧く。2001年11月にJRの列車で瀬戸大橋を渡っているが、それとは全く違う風景だった。大橋上は駐停車禁止なので撮影できないのが残念だ。(写真は与島第一駐車場から撮影した北備讃瀬戸大橋)

◆与島にて

 岩黒島に渡り、続いて岩黒島橋で羽佐島へ。さら与島橋を渡って、瀬戸大橋のほぼ中間に位置する与島に入った。瀬戸大橋が繋ぐ島々の中で、与島だけが一般車両が下りることができる島なので本線から外れて与島に下った。料金所で料金を支払い、そのまま進んで行くと、与島の南西にある与島PA第一駐車場に誘導される。平日なのでさほど混雑していない。

 バイクを降りて展望台に行き、北備讃瀬戸大橋とそれに続く南備讃瀬戸大橋、さらにその向こうに見える四国の姿を眺める。明石大橋、瀬戸大橋、しまなみ海道と瀬戸内海に架かる3つの大橋全てを渡ったのだが、渡るたびに『よくもまぁ、こんな大橋を造ったものだ』と感心してしまう。日本の技術力の結晶で誇りにしていい建造物なのだ。

 島の北東側には第二駐車場があるので、今度はそちらに向かう。駐車場に入ると、向かい側には坂出市与島町の集落があった。こちら側には『京阪フィッシャーマンズワーフ』という施設があったのだが、採算が合わなくなったため2003年3月末で京阪電鉄は事業から撤退している。ところが『フィッシャーマンズワーフ』の建物自体は閉鎖されず営業していた。事業主が変わったのだろうか?

 駐車場には観光バスが立て続けに到着して観光客を下ろして行く。そのためか周囲は少し賑やかだったが、すぐ近くには潰れて閉鎖された個人経営(?)の土産物屋があった。

施設には入らずに脇道を歩いて北岸へ向かう。敷地内は広大な公園となっているが、観光客の姿は疎ら。ほとんどの観光客は建物の中で留まっているだけのようだ。5分ほど歩くと北岸に到着する。

 北岸には江戸末期の帆船をイメージした遊覧船が係留されたままとなっていた。親会社が事業撤退したため4月以降動いていないようだ。入口も切符売り場も閉まったままで係員はいない。岸壁の周囲には観光客が3人ほどいて記念撮影しているだけだった。バブル期に立てられた無茶な計画の結果がこれである。

◆相次ぐ予定変更

 バイクに戻り時間を見て驚いた。時刻はなんと13時過ぎだった。これから坂出に移動して市内に入り、目指す讃岐饂飩の店を探し出す(たどり着く)まで、どう見ても30〜40分はかかる。すぐに出発して、店が見つかったとしても14時前後。目指す店は14時には昼の営業を終えてしまうし、このブームの中だと麺切れで終了している可能性もある。どうしようかと考えている間にも時間が過ぎて行く。

 こりゃ、あかん。時間がないということで、讃岐饂飩はきっぱりと諦めた。行き当たりばったりのツーリングだから仕方ないか。

 公衆電話ボックスの上に乗っていた亀とマスコット人形を見つけて撮影していて時間が過ぎていったのも原因の一つだが・・・(^^;) ちなみに これは瀬戸大橋完成記念で開催された博覧会か何かのマスコット人形だろうか?

 13時半少し前に第二駐車場を出発する。北備讃瀬戸大橋に入ると、海を渡っていると実感できる。南半分も70〜80k/hぐらいでゆっくりと走行車線を走りながら景色を楽しんだ。

 南備讃瀬戸大橋を渡り終えると四国に上陸。四国といっても埋め立て地で、小さな2つの島を四国本島と陸続きにしてしまっている。埋め立て地には広大な工場が建ち並び、巨大なLPGタンカーが接岸していた。坂出北ICを過ぎると、ようやく四国本島に入ったことになる。ここからペースを上げる。

 坂出の料金所を過ぎて高松自動車道に入り高松西IC方面に向かう。讃岐饂飩という大きな目的を失ったことで気が抜けたのが、高松道に入った途端に疲れが出てきた。眠たくなり頭がボ〜ッとし始めた。余り寝ていないし午前3時過ぎから起きているからだろう。予定では自動車道を一気に東に走って、徳島から南海フェリーで和歌山、もしくは淡路島の津名から泉佐野へ渡るつもりだった。

 とてもそこまでもちましぇん・・・。_| ̄|○ 三十路も中頃に達すると、途端にヘタレ(根性無し)になってしまう・・・。あと5年、いや3年若かったら、間違いなく高速を突っ走っていたぞ。歳喰ったなぁ・・・。・゚・(ノД`)・゚・

 開通・供用開始したばかりの高松自動車道の高松市街地区間を走り、高松中央ICで高速を下りる。市街の道を淡々と走って14時過ぎに高松東FTに到着した。ここから神戸に帰ることにしたのだ。

◆再び、ジャンボフェリー

 高松東FTに到着してから何も食べていないことに気が付く。『讃岐饂飩ツーリング』と銘打っているのだから、讃岐饂飩を食べて帰らないことには気が済まない。FT内にある食堂で讃岐饂飩を注文して食べて、「讃岐饂飩を食べたぞ!」と自分に言い聞かせる・・・(^^;) 

 体力の消耗は予想以上だった。他にも数人のライダーがいたのだが、話しかける気力すら沸いてこない。それでも数人のライダーと話す。九州から来て剣山スーパー林道帰りのオフライダーは、これから神戸へ向かい六甲か大阪南港から九州行きのフェリーで帰るという。フェリーのうまい活用法の一つだ。こういう使い方をすればツーリングも有効に計画できるのだが・・・。

 復路のフェリーは高松東FT15時30分発。往路に乗ってきたのと同じフェリーだった。どうせ往復で乗るのだったら往復運賃で買えば良かったと思ったが、時すでに遅しであった。

 15時過ぎに乗船。雑魚寝ルームに向かう。復路のフェリーも乗客は少ないので、大の字になっ

っても大丈夫だった。15時半に高松東FTを出航するところまでは覚えていた。次に目が覚めたのは18時半頃。神戸三宮入港前だった。『届けてよぉ〜 ジャンボフェ〜リィ〜♪』というお馴染みのテーマソングが流れると入港だ。19時10分、フェリーは神戸三宮・新港第三突堤に接岸した。

 神戸に下りると既に日は暮れていた。高松東FTで食べた讃岐饂飩と船内で寝たおかげですこぶる元気になった。19時20分頃に出発。神戸ハーバーウェイ経由で阪神高速湾岸線へ。自宅に到着したのは20時過ぎだった。

【讃岐饂飩ツーリング弐千参 終わり】

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