>>その1

●東北&北海道ツーリング1998(その2)

1998年9月11日(金)

 11日の午前7時頃に目覚める。窓から外を眺めてみるが、近くて遠い島である国後島は残念ながら見えなかった。朝食後、出発準備を終えてから宿主夫妻とO君と共に記念写真を撮って9:00頃に『モシリバ』を出発する。

 R335を北東に走り、羅臼からr87でさらに北東を目指す。行き止まりにとなる相泊にある食堂『熊の穴』に入り、熊肉ラーメン(840円)を食べる。熊肉は少し筋が固い程度で、他の肉とそう変わりはなかった。トド肉ラーメンもあるが、値段の都合で食べなかった。

 この地区には、セセキ温泉と相泊温泉の2つの無料露天風呂がある。2つ共入るつもりだった

のだが、セセキ温泉は掃除中で入れなかったので相泊温泉にだけ入る。今ツーリング8湯目の温泉だ。晴れていたら国後島を眺めながら入れたのだが、今日は曇っていて見えなかった。

 羅臼市街に戻りR334で知床峠を越える。この日は珍しく、峠の羅臼側・ウトロ側の両方とも快晴。峠では羅臼岳がくっきりと見えた。95年に知床峠を越した時、羅臼側は濃霧で視界1m以下だった時と比べるとまさに天国と地獄だった。快晴の天気の下、気持ちよく知床峠を越す。

 ウトロ側に下りてからr93に入って岩尾別温泉に寄る。r93はカムイワッカの滝へ通じるのだが、8月末の大雨による土砂崩れのために途中から全面通行止めとなっていてカムイワッカの滝に行くことは不可能となっていた。今年中の復旧は無理だとか・・・。

 今回の土砂崩れによる復旧工事を機会に、残るダート区間を全面舗装するとか、カムイワッカ

の滝への来訪を全面禁止するとかいろんな噂が飛び交った。ま、来年4月になれば結果が分かるだろう。

 ウトロの街で『モシリバ』で同室だったO君に再会する。O君は薫別温泉に寄った後、知床峠を越えて知床五湖に行っていたといから、私が相泊で遊んでいる間に抜かれたようだ。走る方向が同じなので斜里まで一緒に走る。斜里でO君と別れると、r11

15を南下してr805経由でR391に入る。2車線のR391を南下して野上峠を越えて川湯温泉に寄る。温泉街にある川湯温泉公衆浴場は、余計な設備は一切ない昔ながらの公衆浴場だった。個人的に好きな温泉である。

 温泉を出た後、少し南下して17:30頃に本日の宿である民宿『ましゅまろ』に到着した。一人娘のKちゃん(3)が出迎えてくれた。宿のオーナー夫妻は大阪出身で、数年前にこの地に来て宿を開いた(引き継いだ)という。今日の宿泊客は4人。山梨から来たNK君以外は関西人。ボケとつっこみが飛び交う中、必死になって関西のノリを勉強しようとしたNK君はえらい!

(9/11の走行距離:220km)

【写真上】出発前に『モシリバ』のオーナー夫妻とO君らと記念撮影する。後ろの建物は全てオーナーの手作り。

【写真下】この日は峠の両側は共に快晴だった。羅臼岳がくっきりはっきりと見える。

1998年9月12日(土)

 今日はZRXから荷物を下ろして道東をうろつくことにする。『ましゅまろ』に連泊するのだ。宿を出発してR391を野上峠方面に走って屈斜路湖の北側を通るr102に入る。山道に入るとバイクがめちゃくちゃ軽いことに驚く。あまりにも軽いのでついついカーブで遊んでしまった。 やがて藻琴山展望台に到着するが、屈斜路湖は一面霧で覆われており何も見えない・・・。藻琴峠付近だけ小雨がパラついていた。早々に出発して山道を下り、途中でr995に入ってR243に出る。今度は美幌市街方面から美幌峠に向かう。10:30頃に美幌峠に到着した。しかし峠は霧の中に

あった。何も見えない。

 美幌峠には大きな駐車場と土産物屋があり、美空ひばりの『美幌峠』が大音量で繰り返して流されていた。うるさいので早々に退散する。 美幌峠の弟子屈側は急カーブが連続する高速ワインディング。晴れていれば気分爽快になれる道。屈斜路湖畔の平坦区間も飛ばせそうな直線が続くが、ネズミ取りをしているような気がするので大人しく走る。ふと屈斜路湖湖畔に無料露天風呂があることを思い出し、r52にスイッチしてコタン湯に寄る。コタン湯は屈斜路湖を眺めながら入れる気分爽快になれる露天風呂。一応男女別にはなっているが、仕切はあって無きがごとき。実質、混浴露天風呂の温泉である。

 近くの丸木舟という店でコタン丼を食べてから野付半島に向かおうとしたら、空が晴れてきた。気が変わり摩周湖を見に行く。95年の時は裏摩周展望台から見たのだが、今回は第三展望台から晴れた摩周湖を眺めることになった。摩周岳もよく見える。NK君は今頃摩周岳を登っているはずだ。

 弟子屈市街に下りてくると時間は13:40。野付半島に行くのは少ししんどいかも知れないので、とりあえず開陽台まで行ってから考えることにする。R243を走ってr805に入る。一直線の2車線道が果てしなく続く。信号もないし車も走っていない。豪快に飛ばそうと思ったが、『どこか

でネズミ取りが・・・』の疑念が拭いきれず大人しく走る。途中で養老牛温泉に向かうr505に入り、からまつの湯に寄る。今ツーリング12湯目。ここは営林署の方々が造ってくれた無料混浴露天風呂で、今での掃除や管理もしてくれているという。川のせせらぎを聞きながら入ることの出来る贅沢この上ない温泉である。

 からまつの湯で開陽台でキャンプしているライダーと話し込んだのでかなり長居してしまい、開陽台に着いたのは16時前。今から野付半島まで行くと帰りが遅くなるので、今日はここで引き返すことにする。行き当たりばったりの1人旅なので、こういう融通が利くのだ。開陽台に来るのはこれで3回目。前は95年の時にも2回ほど来たのだが全く変わっていなかった。

 開陽台周辺の道は一直線の道が多いのでバイクも車も飛ばす飛ばす。R243に戻って弟子屈に向かっていると、後ろからクラウンが猛スピードで無茶な追い越しをして行った。生まれ育った土地柄、すぐに頭に血が上ってしまい後を追いかけ始めたら、少し先でそのクラウンは対向車線

の死角となる物陰に停まった。『ムム、怪しい車・・・』と思い、減速してよく見ると覆面パト。マジ切れして無理矢理抜いていたら2枚目の切符を貰うところだった。

 宿『ましゅまろ』に戻る。今日の宿泊者は12名で、かなり賑やかになった。宴会で宿の主人から明日弟子屈で開かれる『輓馬(ばんば)競馬競技大会』のイベントの一つとして、人間が馬代わりとなって競技に出場する『人間ばんば』というイベントがあると聞かされる。これはおもしろそうだということでチームを編成し、『ましゅまろ』から参加することが決まった。

(9/12の走行距離:272km)

【写真上】美幌峠は霧の中。視界はなく、屈斜路湖は全く見えなかった。

【写真中】摩周湖は快晴だった。快晴の摩周湖を見ると婚期が遅れるというが・・・

【写真下】3年ぶりの開陽台。全く変わっていなかった。

1998年9月13日(日)

 12日の晩〜13日の早朝にかけての弟子屈付近は、雷を伴った大雨で大荒れだった。13日の天気が危ぶまれたが、9時頃になると雨は上がって快晴になった。今日は、『人間ばんば』を見てから出発することにしたので、バイクに荷物をパッキングして10時前に『ましゅまろ』を出発した。

 快晴だったので美幌峠に寄る。澄みきった青空が広がり屈斜路湖が綺麗に見える。昨日とは大違いだ。だが相変わらず演歌が大音量でガンガン流れていたので、写真を撮るとさっさと離れた。景観と旅情を台無しにしていると分かっているのだろか?

 11時頃に会場に到着する。『輓馬競馬』を見て『人間ばんば』に出場する。競技が終わるとヘロヘロとなっていた。移動する気にはなれないので、『ましゅまろ』に連泊することに決める。その後、三香温泉に向かい疲れを癒す。その後は硫黄山に寄ってから『ましゅまろ』に戻った。

 その日の晩の話題は、やはり『人間ばんば』。連泊者の間ではえらく盛り上がったが、今日初めて来た人は何のことか分からずきょとんとしていた。(すみません、内輪ウケのネタで盛り上がって・・・)21時頃、星が非常に綺麗だというので、ヘルパーのIさんらも含めて皆で星を見に行く。R391から少し離れた林の中の道路の上に皆寝転がり、30分ほど星空を眺める。天の川や流れ星がはっきりと見える。大阪では決して見ることの出来ない星空であった。

(9/13の走行距離:112km)

【写真】昨日とはうってかわって快晴の美幌峠。屈斜路湖もご覧の通りでした。

◆輓馬競馬と人間ばんば

 『輓馬競馬』とは、農耕馬が数百kgもの重りが載ったソリを引いて、途中2カ所に障害のあるダートコースを走り抜けるという競馬。専用の競技場もあるそうなのだが、弟子屈町では広場にコースがあるだけというもの。柵(と言ってもロープが張ってあるだけ)まで見に行けることが出来、間近で馬の勇姿を見ることが出来る。すごい迫力なのだが、これは実際に見ないと分からないと思う。

 さて、昨晩『ましゅまろ』の男性宿泊客でチームを結成していたのだが、参加するはずのNK君が旅程の都合で12時頃に出発してしまったので、NK君の代わりとして急遽私が参加することになってしまった。他の2人は共に体のごつい方。(名前を聞くのを忘れてしまったので、R2さん、R3さんとさせてもらいます。) 一番きしゃな私は第一走者にしてもらいました。他の『ましゅまろ』宿泊客の北海道大学生2人もチーム『鱒や』(弟子屈の民宿)から出馬することになった。

 13時に『人間ばんば』が始まる。まず女性の部が行われる。(女性は重り20kgだった。)その後、いよいよ男性の部が始まる。参加チームは全部で8チーム。『ましゅまろ』チームは第5枠。13:20頃にゲートが開いて各馬一斉に出走する。砂地の上を40kgの重りを引いて走るが、これが非常に重い。砂地なので踏ん張ると足が沈んでしまう。宿の主人から教わった秘伝の必勝法(秘密です)で、約30mのコースを進む。徐々に息切れして来る・・・。そして第4位ぐらいで、第一障害である高さ約30cmほどのコブを登って第二走者のR2さんにバトンタッチ。私はその場にへたり込み、基礎体力のなさを痛感する。

 前を見るとR2さんは大健闘し3位ぐらいでR3さんにバトンタッチしていた。そのR3さんも大健闘。『ましゅまろ』チームは第3位で入賞。賞金6000円と商品の『秋田こまち』15kgをゲットし、3人で山分けとなった。疲れていたので出発する気になれず『ましゅまろ』連泊が決定する。

競技で馬は600kgほどのおもりを引くのだが、

近くで見ると凄い迫力だった。

ポニーによる競技もある。おもりは少ない。中途

半端に止まると、動き出すのが大変。

晩の大雨はどこへやら。快晴の一日でした。露店

もあって賑やかな大会だった。

『人間ばんば』の部が始まる。ゲートに入って一

斉にスタート!5枠があめふらしです。

砂地は走りずらい。40kgのおもりを載せたソリを

必死で引っ張って走っています。

3位入賞を記念して、『ましゅまろ』からの参加者全

員で記念撮影。

☆輓馬競馬競技大会は、毎年9月の第2日曜日に行われます。来年は『ましゅまろ』に宿泊して秋田米をゲットしよう!

1998年9月14日(月)

 1998年は異常気象ということで台風の発生が非常に少ない年であった。9月で発生した台風はまだ5つ。その5つめである台風5号が発達しながら北上してきていた。大阪の知人に言わせると、私が台風を呼び寄せたらしい。(雨男の異名があるもんで・・・) 北海道も低気圧の接近で、14日夜から天気が崩れるらしいので今日中に美瑛に移動することにする。

 朝食後しばらくして各自出発の準備が整ったところで、昨日の参加者も含めて玄関前で記念撮影をする。「来年も”人間ばんば”で会おう」という合い言葉を残して、9:30頃に『ましゅまろ』を出発する。

 弟子屈市街に抜けてR241で阿寒湖に向かう。今日を休めば4連休という人が多いためか、阿寒湖は観光客で一杯だった。阿寒湖を通過してオンネトーに向かう。キャンプ場近くの駐車場にバイクを停めて、5年ほど前にここに来たというライダーの人と一緒に約1.5kmほどの遊歩道を歩く。その先に、オンネトー湯の滝がある。

 オンネトー湯の滝は、滝の上(上湯)と下(下湯)の2カ所に温泉があり、温泉水が滝となって流れ落ちる。カムイワッカのような滝を登って滝壺の温泉に入るという所ではない。ただ、上湯からは非常に珍しい微生物が発見されたため現在は入浴禁止になっているので、下湯にしか入れない。下湯は無料混浴露天風呂。早速服を脱いで滝を見ながらゆっくり入る。14湯目だ。時々、滝を一般観光客が滝を見に来るが、逆に向こうが気を遣って早々に去ってくれた。一人で入るときはそれ相応の覚悟が必要な温泉である。

 オンネトーを出発してからR241で足寄に出る。さらにR241〜r468で上士幌町に出てR273に入る。糠平湖を見ながら北上する。R273は樹海の中を貫く2車線快走国道。97年に初めて走って、そのすばらしさに感動して病みつきになってしまった道だ。あまりに快調だったので、幌加温泉に寄り損ねてしまった。三国峠で休憩する。ここからの眺めはいつ見ても良い。

 R273からR39に入る。久々の2ケタ国道なので交通量が多い。ワインディングが続くので抜くことが出来ないが、車の流れが良いのでそのまま走る。

 大阪の知人に層雲峡の写真を撮ってくるよう頼まれたので、層雲峡に寄る。時期が時期だけ

に観光バスと観光客で一杯だった。人混みが嫌だったので、双眺台という展望台が山腹中央にあるというので、展望台への階段を上り始める。段差の大きいダート階段が続くが、途中からは急勾配の葛折りのダート遊歩道となる。結構きつい。約20分ほどかけて展望台に到着。誰もいない。撮影がてらここで休憩する。足下の人混みなど気にしないで滝を眺めることが出来た。

 R39はスピード取り締まり国道であることでも有名。層雲峡を出てから愛別町までは大人しく走る。何カ所か取り締まり現場を目撃する。初日に捕まっただけに、かなりカンが鋭くなっていた。

 愛別町でr140に入り旭川市街をパスする。途中で道を見失ったが、どうにかしてR237に出る。この頃には雨がパラつき始めていた。どうやら天気は下り坂のようだ。R237を南下して、美瑛の街並みが見えてきた。1年ぶりに帰ってきたのだ。何故かホッとする。美瑛では、去年同様民宿『星の庵』に泊まることにした。

 宿に着くと、オーナーが顔を覚えていてくれた。これは結構うれしいもの。と、いうより去年泊まった連中

が以上に濃かったからかも知れない。『ただいま』である。

 食後、ランプの明かりの下での談話が始まる。やさしいランプの明かりの下で自己紹介から始まり、初対面の知らない者同士でいろいろと話す。これがここの宿の良いところなのだ。

 この時、太平洋上を台風5号は発達しながら北上していた・・・

(9/14の走行距離:324km)

【写真上】『ましゅまろ』出発前に全員で記念撮影。

【写真中】今年もやって来た三国峠。

【写真下】双眺台から見た銀河の滝。流星の滝と同時に見ることが出来る。ただし登るのがしんどい。

1998年9月15日(火)

 この日は朝から雨だった。雨の中をバイクでうろつくのは危険なので、早々と連泊を決定する。宿に居ても仕方ないので、同じく連泊組のMさんとKさん、それとOK君と私の男4人で車で彷徨くことにする。常連客のKさんがオーナーを説得して宿の軽自を借りる。狭苦しい車内に大の男が4人乗り込み、『男だけの美瑛・富良野ツアー』が始まる。

 雨の降る中r996を走って白銀荘に向かう。道は白金温泉を過ぎると急勾配・急カーブの1.5車線ワインディングとなる。大の大人が4人も乗った軽自では速度も出ないので、ゆっくりと坂道を登る。白銀荘に着くと、悪天候にもかかわらず結構人が来ている。早速温泉に入り、露天風呂で12時頃までうだうだと話をする。どうせ今日は暇なのだ。ゆっくりできる。

 白銀荘を出た後、富良野に抜ける。富良野ホテルに行きログハウスの商店街を彷徨く。結構おもしろいモノが売っていたのだが財布の中身が・・・その後、富良野市街に昼飯を食べに行くが、Kさんの知っている店が分からず、美馬牛の『ラ・マルタ』という店で昼食となる。

 これ以上男だけでうろつくのは拷問に近いので、夕方には宿に帰った。今夜の宿泊客は総勢13名。食後、今日してきたことを話すと、明日も雨らしいので明日もやろうということになった。『星の庵 美瑛・富良野ツアー』開催が決定された。

 この時、台風5号は東海地方に向かって太平洋上を北上中であった・・・

(9/15の走行距離:0km)

1998年9月16日(水)

 台風5号は午前5時静岡県に上陸し、北東に進路をとった。北海道まで南下していた秋雨前線は、台風の影響で活発化。北海道は大雨+風という荒れ模様の天気となった。

 この雨の中『星の庵 美瑛・富良野ツアー』が開催される。参加人数が10人となったので、レンタカー屋でハイエースを借りる。運転手は、仕事上毎日乗って運転しているという大将ことAさんに決定する。まずは宿近くにある個人写真館『風景館』に寄る。『拓真館』のような立派な写真館ではなく民家を改造しただけの小さな写真館で、静かでゆっくりと出来る。個人的にはこちらの方が好きである。

 とりあえずはメジャーな名所巡りということで、この後『拓真館』に移動する。メジャーな所だけに観光客だらけ。観光コースに組み込まれているのでそうなるのだろう。『拓真館』の向かいにある売店で、ラベンダー味のソフトクリームが売っていた。紫色のソフトクリーム。SKさんが買ったのだが、ラベンダーの香りがする紫色のソフトクリームであった。

 昨日と同じ道でr966で十勝岳温泉に向かった。強風と大雨の中十勝岳温泉に到着する。16湯目。この風雨の中、DT(オフロードバイク)でここまで走って来た強者の女性ライダーがいた。強風の中、十勝岳温泉の露天風呂に入るが霧で景色は見えない上に、湯温も低くてほとんど冷泉状態だった。5分も入っていられないのでずっと内湯で体を温めていたが、何人かは強風の中冷えた露天風呂で暴れていた。元気だねぇ〜。

 ここのテレビで見た天気予報で、台風5号は東寄りに進路を変え北北東に向かっているという。道央直撃コースは免れたが、まだ北海道直撃の可能性は捨てきれない。雨がひどくなる中、

富良野チーズ工場へ。ここで無料のチーズを食べまくる。その後、富良野市街を抜けて富良野ワイン工場へ向かう。運転手のAさん以外は、皆無料のワインを飲みまくり上機嫌となる。ハイテンションの酔っぱらい集団を載せてハイエースはワイン工場を後にし、宿へ戻った。 

 今夜の『星の庵』は新たに8人の宿泊客が増えて合計18人になる。食後の団らんでは今日のツアーのことが話題になる。初めて来た人も話の輪に入りワイワイガヤガヤと楽しく過ごす。この宿で初めて会った人達なのに、まるで以前から知っているような雰囲気でいろんな話で盛り上がる。こういう雰囲気は非常に好きである。

 この雰囲気が続くかと思ったが、時間も遅くなり、1人また1人と眠りに部屋に戻り、夜中の1時頃にお開きとなった。今夜は私にとって北海道最後の夜だった。明日の晩は小樽からフェリーに乗っているはずである。あ〜帰りたくない・・・

 さて、三陸沿岸から太平洋に抜けて北北東に進んでいた台風5号は、14日22時過ぎに釧路付近に再上陸。勢力を弱めながら北北東に向かっていた・・・

(9/16の走行距離:0km)

【写真上】この日、大活躍だったレンタカーのハイエース。運転係のAさん、本当にご苦労様でした。

【写真下】ツアーに参加した人達も含めて、この日の宿泊客全員で記念撮影。実に楽しい一日でした。

1998年9月17日(木)

 17日、台風5号はオホーツク海に抜けて熱帯低気圧となった。北海道は台風一過の青空が広がり、爽やかな朝となった。少し早く起きてカメラを持って付近を散歩。気持ちの良い朝だ。北海道を離れるのが本当につらい。

 宿に戻ると朝食が始まる頃だった。ワイワイガヤガヤと楽しく食事を頂く。昨日の参加者の数名は寝坊して朝食が終わる頃に起きてきた。

 朝食が終わると、皆それぞれの目的地に向かって出発して行くことになる。出発前に全員が集まって記念写真を撮影。駅に向かう車に乗ったJR組を居残り組が、「いってらっしゃ〜い!」の

掛け声で見送る。

 JR組が出発した後、バイク組が次々に出発する。2日ほど前に、たまたま『星の庵』で初めて会った人達なのだが、やはり別れは少し寂しいものがある。気が付くと出発組で残ったのは私だけであった。

 今日は小樽に移動するだけなので、昼頃に美瑛を出れば十分に間に合う。荷物を宿に置かせてもらい、身軽なZRXで美瑛を走ることにする。去年はレンタルMTBで走り回ったのだが、今年は時間の都合でZRX400で走ることになったのだ。

 美瑛は自分で風景を探し出す所。『○○の丘』とか『なんたらの木』などの造られた風景は嫌いである。自転車やバイクで脇道に入り込み、『MY POINT』を見つけるのが面白いのだ。車や観光バスで名所ばかりを巡る観光客はその楽しさを知らない。

それはある意味かわいそうだと思う。決められたコースを回るツアー旅行やパック旅行は『旅』ではない。自分で地図を見て考えそして彷徨くのが『旅』だと思う。それは時には辛いが、良い経験になるし楽しい。この事を知っている私らは幸せ者だ。

 そうこうしながら約4時間ほど美瑛の丘をうろつく。今年も新たな『MY POINT』を見つけた。

 宿に戻り、バイクへ荷物を載せる。仕事先と大阪の知人宅に収穫直後のジャガイモ10kgを送る手配をする。(ジャガイモ10kgはとんでもない量だったとか・・・)

 手続きを終えると宿のヘルパーさんが、「台風の影響で太平洋航路のフェリーは全て欠航して

いますよ」と言ってきた。『もしや?』と思い、小樽の新日本海フェリーに電話すると、案の定日本海航路も台風5号の影響でダイヤが大幅に狂っているという・・・。今晩乗ることになっている23:30発の便も敦賀出港が大幅に遅れてしまい欠航する可能性があるとか。とにかく小樽に行かないと分からないので、予定通り小樽に向かうことにする。台風5号はとんでもない土産を置いていってくれた。

 宿のオーナーと連泊組の人に見送られて『星の庵』を後にする。R237を北上し、旭川鷹栖ICより道央自動車道に入り西へ向かう。滝川ICを過ぎた所でガソリンの残りが少ないことに気が付いた。砂川ハイウェイオアシスに入ろうとしたが、岩見沢SAで入れようと思いパスする。駄菓子菓子、なんと岩見沢SAにはGSがなかった・・・。高速から出るのは嫌だったので、そのまま小樽まで走ることにする。

 岩見沢SAからの約80kmはガス欠との闘いとなった。時間よりも燃費を最優先にして80k/hを維持し高速を走る。車に追い抜かれようがおかまいなしだ。札樽道に入ると非常にやばくなってきた。小樽手前3km付近でついにメーターがレッドゾーンに突入するが、どうにか小樽港までガス欠せずに走ることが出来た。

 19時頃に小樽港に到着する。いつもなら既にフェリーは接岸していてトレーラーが忙しく出入りしているはずなのに、20:30発の新潟行きフェリーの姿すらない。フェリーターミナルに向かうと、『敦賀行き 午前1時入港予定』となる旨の掲示がされていた。とりあえず欠航ではないらしい。

 20時頃に新潟行きフェリーが接岸し、慌ただしく作業が進む。23時頃に新潟行きが出港すると、港はがらんとする。他に行くところがないので、初日の函館港同様フェリーターミナル待合所の長椅子で寝ることにする。小樽港の待合室の椅子にはクッションがついているので、プラスチ

ックだけの椅子だった函館港よりも数段寝心地は良かった。

 18日午前1時頃に目が覚めると、敦賀行きフェリーが接岸していた。慌ただしく作業が始まる。寝ていられないのでバイク置き場に行き他のライダーといろいろと話して時間を潰す。午前3時、ようやくバイクの積み込みが始まる。いよいよ北海道ともお別れだ。

 午前4時、敦賀行きフェリーは定刻(17日23:30)より4時間30分遅れで小樽港を出港した。いろんなことがあった北海道から離れる。楽しいことが多かっただけにめちゃくちゃ寂しくなった。

(9/17の走行距離:318km)

【写真上】2泊した『星の庵』。今日は朝から快晴だ。

【写真中@】昨日の参加者を中心にして、皆で記念撮影。この後それぞれの目的地に向かって出発して行く。

【写真中A】「双子の木」(?)という名の付いた二本の木。

【写真下】小樽FTにあった『お知らせ』。台風5号のとんでもない置き土産だった。

1998年9月18日(金)

 台風5号の土産と台風6号の影響で、日本海側はまだ荒れていた。船は右へ左へ結構揺れる。ベットに戻って寝転がるとよく分かるが、疲れていたのですぐに眠りにつく。10時頃目が覚める。船は揺れている。12時頃また寝る。15時頃目が覚める。船は相変わらず揺れている。

 暇なので風呂に入る。海が荒れているので風呂も荒れていた。窓から見える波と同じ波形の波が風呂に出来ているのだ。波のある風呂・・・フェリーならではの風呂だった。

 小樽港のバイク置き場で会ったライダーに会い、しばらく北海道の体験談で盛り上がる。他のライダー達は船酔いの為ダウンしているとかで、二人だけで盛り上がった。気が付くと20:30。

眠たくなったのでここでお開きとなり少し寝ることにする。

(9/18の走行距離:0km)

【写真】快晴の空の下、敦賀目指してフェリーは進んで行く。

海は少し荒れ気味で、乗客の大半は船酔いでダウンしていた。

1998年9月19日(土)

 18日23:30頃に目が覚める。船は福井県越前沖を進んでいた。ここまで来ると揺れは少なくなったので、船酔いからさめたのかウロウロしている乗客が多かった。

 日付が変わった19日0:15、定刻より約4時間遅れで、フェリーは無事に敦賀フェリーターミナルに到着した。車両甲板の扉が開くと、本州の蒸しっとした空気が船内に入って来た。あぁ、本州に帰ってきたのだ。

 雨が降りそうだったので、防水パッキングをして雨具を付けて走り出す。時刻は午前1時だった。敦賀ICから北陸道に入る。夜中の北陸道はトラック専用道路となる。大型トラックの通過時の巻き込みに注意して進む。

 運悪く、長浜付近から横風+雨の荒れた天気となる。トラックが通過するたびに水しぶきがかかる。こりゃたまらん。やっとの思いで米原JCTに到着。ここから名神に入るが、当然ながら名神もトラックだらけ。雨+横風+トラック+濡れた路面でめちゃくちゃ怖い。3:00過ぎにようやく大津SAに到着。ここで1時間ほど休憩する。出発前にGSに入り給油。GSの人の話では、3:30頃の竜王付近は大雨だったという。降り出す前に通過したのはラッキーだった。

 4:00頃になるとトラックも減る。名神を西に進むにつれて雨は上がった。吹田JCTから近畿道に入り南下。阪和道に入る。ここからは良く走る知っている道だ。1kmずつ進むたびに日常生活に近づくような気がしてならない・・・。

 東の空が明るくなってきた5:15頃に自宅に到着。16日に及ぶ東北&北海道ツーリング98は無事終了した。

 

(9/19の走行距離:223km)

【写真】午前5時過ぎに無事に自宅到着。ツーリングは無事終了。

(東北&北海道ツーリング98の総走行距離:3269km)

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