信州ツーリング2002

 

2002年9月10日(火)〜9月15日(日)

乗鞍スカイラインが2003年4月から無料開放されることになった。

ところが無料開放と同時に、バイク・車での通行は出来なくなると言う。

自分のバイクで、日本最高所の道路を走ることが出来るのは

今年が最後と言うことになる。

 

『これは是非とも行かなければ!』

 

例年なら北海道に向かうこの時期、今年は信州へ向かいました。

 

2002年9月10日(火) 【自宅→長野県南安曇郡安曇村:441km】

○信州へ

 初日。午前5時45分頃に起床。パッキングして朝食。7時に出発予定だったが、ダラダラしている間に時間が過ぎ、自宅を出発したのは8時前であった。朝の通勤ラッシュが始まる前に渋滞区間を通り過ぎるつもりが、渋滞に巻き込まれてしまう。吹田JCTを過ぎたのは8時半頃。車の通行量は多いが流れは良く、順調に名神を東に進む。多賀SA手前で、後方確認しないで車線変更してきたバンとあわや接触事故を起こしそうになった。

 養老SAで休憩。北海道ツーリングから帰ってきたライダーと出会う。9月上旬の北海道は天気に恵まれたとか。『セイフティーサマー北海道』の旗を見て、思わず北海道に行きたくなる。給油の後出発。名神から東海北陸道に入り一気に北上。11時半頃に荘川に到着する。まずは荘川温泉に入り疲れを癒す。テレビ愛知の取材がいていたが、ねーちゃんのレポートはなく撮影だけであった。

 温泉を出てからR158に入り東に向かう。渋滞気味の高山市街を抜けてR158を淡々と走る。14時半に平湯峠に到着。乗鞍スカイライン畳平は霧が出ているそうだ。明日は晴れるだろうか?

○安房TN

 平湯のGSで給油する。GSの店員に話を聞くと、やはり今年はバイクの数がかなり多いという。その分、スカイラインでのバイク絡みの事故も多くなったそうだ。

 R158を進むと安房TNの料金所に到着した。安房TNはR158の難所として知られる安房峠をTNで越える有料の高規格道路。中部縦断自動車道の一部として1988年(平元年)に本抗の工事に着工。1997年(平9年)12月6日に開通した全長全長4370mにも及ぶ巨大なTN。R158のバイパスという形でTNだけ先行供用されている。

 このTNの完成によって、冬期は通行止めになるR158安房峠区間が通年通行可能となり、また狭路の急勾配・急カーブが連続するR158での渋滞の解消、大幅な時間短縮が実現することが出来たのだ。峠を越えるR158は翌日走るつもりでいたので、今日はこの安房TNを走ることにした。

 料金所を過ぎると、高規格の対面2車線道に入る。最初の短い「湯の平TN」を越えて、いよいよ安房TNだという時になって長い車列が・・・。この日はTN内で工事が行われていたのでTN内で片側交互通行となっていたのだ。5分ほど待って動き出す。対向車線側の車両はTN内での待機となっていた。バイクが一台停まっていたが、TN内での待つのはかなり辛いことなのだ。

 ウルト○警備隊のシークレットルートのような道を走る。将来は中部縦断自動車道の一部となる予定のTNなので、高速道路と同じ構造のTNとなっている。対面通行なので追い越しなどは不可能なので、大型トラックの後ろにつくと憂鬱な気分になるが、乗用車の後ろだとそう気にはならない。流れに乗ってのんびり走ってみる。

 トンネル内は夏だというのに、かなりひんやりとしている。冬場はかなり寒くなるのだろう。安房TNは、予備調査から完成まで約33年、調査抗の建設開始から約18年もかかったという。、本抗の建設だけでも9年もの歳月を必要とした難工事だったそうだ。何しろ活火山(焼岳)から3kmほどの距離しかないので、火山性ガスの噴出や地下水・温泉の湧出などに悩まされたとか。トンネル自体はよくある高速道路のトンネルなので、そんなに難工事であったとは想像できなかった。

 5分ほどでトンネルを抜けると長野県安曇村だ。いよいよ長野県である。

<<注意>>安房TNは、有料の自動車専用道路です。歩行者・自転車ならびに125cc以下のバイクの通行は出来ません。125cc以上でも、タンデムでの

      通行も出来ません。R158安房峠を越えることになります。そのR158安房峠、冬期(11月〜翌5月)の間は積雪のため通行止めになります。

○ペンション『ありす』

 安房TNを抜けるとR158は谷間を流れる梓川に沿って谷底を進んで行く。トンネルが連続する区間に入るが、30年以上前に作られたTNなので、狭い2車線幅で漏水があったりと、どことなく奈良県のR168新天辻TNやR169新伯母峰TNを思い出させる。所々に旧道があり、思わず走ってみたくなる。KSRなら走っていたかも・・・ トンネルの間にある坂巻温泉に立ち寄るが残念ながら休みだったので、そのまま進んでr84に入り乗鞍高原に向かう。16時前に宿となるペンション『ありす』に到着する。敷地内にあるライダーハウス『パンタ』に宿泊となる。

 ペンション『ありす』はライダーの間では結構有名らしい。オーナー夫妻もバイク乗りで、オーナー自身はBMW1100RT、DUCATIのF1モンジューイ、奥さんはDUCATI400F3などに乗っておられるとか。(他にTT200とかPW50とかもあった。) 宿泊した日は、三重県のDUCATIオーナズクラブの方達も来られていたので、駐車場はDUCATIの展示会状態になっていた。私自身、一度にこれほど多くのDUCATIを見たのは初めてだったので興味津々だった。

 荷物を置き、ライダーハウスに先着していたライダーサンを誘って近くの『せせらぎの湯』に向かった。『せせらぎの湯』は無料の男女別温泉。小さい浴槽だが、こんこんと乳白色の湯が注がれている。その湯に浸かり疲れを癒して宿に戻った。

 ここのライダーハウスは人数が多くなると宿泊費が安くなる。夕方に京都のオフライダーも加わり、本日は3人での宿泊となった。

2002年9月11日(水) 【長野県南安曇郡安曇村→長野県南安曇郡安曇村:126km】

○乗鞍スカイライン

 午前6時前から目が覚める。朝食の後、午前9時過ぎに出発。連泊なので荷物を置いての出発だ。r84(乗鞍エコーライン)に入り畳平を目指す。今年でラストランとなるスカイラインは、バイク・車が押し寄せて渋滞していると聞いていたが、平日の午前中だったので渋滞に巻き込まれることなく走ることが出来た。

 標高1800mの三本滝を過ぎる。来年からこの先にバイクで乗り入れることは出来ない。急勾配・急カーブの連続する狭い2〜2車線幅のワインディングロードを楽しみながら走る。

乗鞍スカイラインには1996年(平8年)8月のお盆休みに来たことがある。このときは三本滝から先で大渋滞が発生しており、『日本最高所の渋滞』に巻き込まれた。この時は『日本最高所』での「追い越し」をしている。(^^)

 クネクネした急カーブをいくつか曲がりながら標高を上げて行く。やがて標高2300mを過ぎる辺りから霧が出て来た。前方が見えないほどではない。ほどなくして大雪渓が見えてきた。標高2600mに到着。ここまで来ると空気は薄くなり、こころなしかZRX1100のパワーも落ちているように感じる。 

 長野県・岐阜県県境を過ぎて10時半頃に畳平に到着。渋滞はしていなかったが、駐車場は車で満杯だ。バイクもたくさん来ており、30台ほどのバイクが停まっていた。標高2702m。日本最高所の一般道路にバイクで来ることが出来るのが今年で最後とは大変残念だ。駐車場入口の『乗鞍スカイライン』のモニュメントでZRX1100と共に記念撮影。貴重な写真となった。

 ここで撮影する時、たまたま一家で来られている方々と鉢合わせしてしまった。左の写真は撮影して頂いた写真。これのお返しということで、こちらも一家を撮影してあげた。中央におばあさんを、両脇に娘さん達という構図だ。聞くと、おばあさんはなんと93歳。手を引かれながらも歩

いておられた。おばあさんと娘さん達を見送った後に駐車場に入る。

 6年前と同じく標高2764mの魔王岳まで登ってみる。階段が整備されているが、かなり急できつい階段だ。ライダーブーツだったとは言え、少し登っただけで足が痛くなり息切れし始めた。休憩しながらゆっくりと登って行く。三十路も中頃にさしかかると体力がかなり落ちてしまったようだ・・・(T T)

 やっとこさ頂上付近まで到達した。しばらく座って息を整える。試しに携帯電話(Docomo)の電源を入れてみるとアンテナが3本も立ったので、知り合いにメールを送る。あちらは仕事の真っ最中。良いご身分だなぁ。頂上付近で記念撮影する。この日の天気は天気はあいにくと曇っていたが雨は降っていない。少しだが薄日も差すまずまずの天気といういうところか。

 頂上からスカイラインを見下ろすと、尾根に沿ってすらっとアスファルト舗装の道が続いている。乗鞍スカイラインは、観光目的で建設された道路ではなく、旧日本帝国陸軍がエンジン開発を目的として建設された。こんな所にも旧日本軍の名残があったのだ。

 畳平駐車場に下りる。休憩所に行き、改札口のような入口で100円を支払い便所に入り小便する。清掃協力金ということだが、急を要する場合はさぞ大変だろう。土産物屋で土産を買ってから12時頃に畳平を後にした。

 乗鞍スカイラインに入る。走りと風景の両方を楽しめる豪快な2車線ワインディングロード。ライダー心を満喫できる。昼を過ぎたので、平湯峠から畳平に向かって登って行く名何台もの車・バスとすれ違った。約12kmのスカイラインを下り終え料金所へ。1100円を支払った。『あと51日』という看板があった。バイクで走ることはもう二度と来ることはないだろう。

1.畳平の駐車場の一角はバイクスペースと化し

  ていた。関東・関西・北陸地方など、いろんな

  所からバイクが来ていた。

2.鶴ヶ池。貯水量は減っているらしく、このとき

  見た限りでは「鶴」には見えなかった。これも

  温暖化の影響?

3.魔王岳の頂上にあった標。ここからの眺めは大

  変良い。最後はガレ場を登らなくてはならない

  のが難点だが、登る価値はある。

 

4.標高2702mの畳平駐車場にて。日本最高所

  の駐車場だ。ここまでKSRTとNS1で登って

  来た強者もいた。凄い・・・

5.料金所を出た所では、終了までのカウントダウ

  ンをしていた。実際は季節外れの寒波襲来に

  ため、かなり早く営業を終了している。

 

○新穂高温泉

 平湯峠まで下りる。県道でR158に下り、平湯からR471を走り岐阜県上宝村栃尾へ。さらにr475を行き止まりまで走って、無料の新穂高温泉『アルペンの湯』に入る。1996年8月に、この先にある新穂高キャンプ場でキャンプをしたが、大混雑で常識をわきまえないにわかキャンパー達のおかげでえらい目に遭った。それ以外、お盆シーズンにキャンプするのは止めている。

 『アルペンの湯』は私1人だけで貸し切り状態だった。温泉から出てロープウェイ乗り場の休憩所でしばらく休む。ここに来る途中に『日本一周中』という旗を立てたチャリダーさんを追い抜いたので、そろそろ着く頃だろうと思い待っていたのだ。しかしいくら待ってもやってこない。途中で脇道か店に入ったのだろうと思い、r475を引き返す。

 r475を引き返す時に、無料温泉の『蒲田の湯』にも入るつもりだったが、なんとここは廃墟となっていたので断念。栃尾にある巨大露天風呂の栃尾温泉は入る気になれずにパスしてしまった。

新穂高ロープウェイ乗り場横にあった温泉の源泉(?)。この先の対岸付近にキャンプ場がある。↑

○安房峠

 栃尾からR471で平湯に戻る。平湯からはR158で安房峠を越えることにする。これは完全に趣味の世界。道ネタサイトのネタ集めでもあるが・・・

 平湯からR158にはいると、すぐにウネウネクネクネの山道となった。急勾配の坂道がずっと続くが、安房TNが開通したので通る車は皆無に近く、マイペースで登って行くことが出来た。岐阜県側はそう酷い道ではなかったので、少し余裕があったとも言える。

 しかし安房峠を越えて長野県に入ると道路状態は激変した。長野県側に入ると見通しの悪い急カーブと急勾配が連続する狭路が続く。鬱蒼とした林の中をひた走る。路面状態はあまり良くなく、舗装が荒れている箇所が何カ所もあった。この手の道は結構な数を走っているが、現役国道としてはかなりの悪路となる道だった。

 安房TNが開通する前は、この道が唯一の道だったわけだが、大型トラックも観光バスもよくもまぁこんな道を走っていたものだと感心する。そういや途中で大型トラックとすれ違った。安房TNを通らずに峠道を越える強者はまだ健在のようだ。

安房峠に到着。雲行きが怪しかったが、どうにか雨には降られずに済んだ。ここから先は長野県となる。↑

○ト伝の湯

 R158と安房トンネル道路との交差点から少し進むと、上高地の自然環境保護のために一般車両通行止めとなっているr24(県道上高地公園線)との交差点に着く。この交差点の手前には『卜伝の湯』という温泉がある。一見すると掘っ立て小屋のようなのだが、これが知る人ぞ知る温泉なのだ。

 バイクを停める時に、r24に突っ立っていた横暴な警備員(態度からしてバイクを毛嫌いしていることが良く分かった)と一悶着あったが、R158の路肩にバイクを停めて温泉の待合室に入る。待合室にはすでに先客がいた。しかし管理人がいない。

旅館に戻るという中年夫婦に聞くと、直ぐ近くにある旅館本館に送迎しているので不在だという。しばらく待っていると送迎のハ

イエース(?)が戻って来て、R158の路肩に停まった。

 管理人のおっちゃんが来た。聞くと30分ほど前に入った人達がいるのだが、まだ出て来ていないと言う。私の前には20歳代前半の男女のカップルが待っていた。この若いカップルが、貸し切り状態となる小さな温泉に二人っきりで入り、中で何をするか大凡の想像が付く。このままだと、今入っている人とこのカップルの2組の入浴客が出てくるまで、おおよそでも最低1時間は待たなくてはならない。

 時間も遅かったので、残念だが温泉を諦めることにした。温泉には後日改めて来ることにして『ト伝の湯』を後にした。

○ペンション『ありす』2泊目
 『ト伝の湯』を出ると雨がパラつき始めたが、トンネルをいくつか越えると雨は上がった。r84に入り乗鞍高原へ向かう。16時過ぎにペンション『ありす』に到着。

 荷物を置きに『ペンタ』に戻ると、東京から来たライダーさんが居た。この人を誘って、昨日入浴した『せせらぎの湯』に向かった。『ト伝の湯』に入ることが出来なかった分、『せせらぎの湯』で十二分に楽しんだ。

 『パンタ』の戻ると夕食だった。夕食は『ありす』本館の食堂で頂く。その間に昨晩も泊まっていた京都のオフライダーさんが帰ってきた。この日はZX7ライダーさんとカタナに乗ったライダーさんと、合計5人のライダーが『パンタ』に宿泊。人数が多くなればその分宿泊費が安くなるので、おおいに助かった。晩はバイク談義で盛り上がったのは言うまでもない。

 昨年の9月11日は、北海道支笏湖畔のとほ宿に居た。そして日本時間の晩に、”アメリカがおかしくなった原因である”『アメリカ同時多発テロ』が発生したのだ。今日はその日から1年が経った日である。アメリカでは追悼式典が行われ、テレビでは各局が一斉にその模様を伝えている。犠牲者の冥福を祈る。

 しかし式典自体が、アトランタ五輪同様、アメリカの国威高揚のプロタガンダに使われているのがありありとしていたので少し興ざめしてしまった。

乗鞍スカイライン

○乗鞍スカイラインの歴史

 乗鞍スカイラインは観光目的の為に建設された

道ではなく、もともとは戦前に建設された軍用道路

がその前身となっています。

 1939年(昭14年)、旧日本帝国陸軍が、高空飛行用エンジンの開発のための山岳高空実験施

設を畳平に建設することにしました。

 旧陸軍は平湯峠より道路を建設することにして、

1941年(昭16年)に工事を開始。難工事の末、

翌42年(昭17年)に第1期工事が完工。

 畳平の実験施設が活動したのかどうかは不明で

すが(資料が見あたりません)、1945年(昭20

年)8月の日本の降伏後、48年(昭23年)に軍用

道路は岐阜県道「乗鞍公園道」として、県道に編

入されました。

 1967年(昭42年)頃より、この道は畳平へ向

かう観光道路として車が殺到。岐阜県では殺到す

る車に対処すべく、「乗鞍公園道」を拡幅・整備し

て有料道路の「乗鞍スカイライン」とすることを決

定。1969年(昭44年)11月に工事が開始され、

72年(昭48年)7月に完成・供用開始されまし

た。

 標高2700mまで登る山岳道路なので、11月

から翌年5月初旬までは積雪のために冬期通行

止めとなるので、年のうち半年ほどしか走ることが

出来ない道でした。

 道路自体は30年間の料金徴収期限を設けてお

り、その期限が2002年度(平14年度)で満了す

ることなっていました。

 2003年度(平15年度)からの開通(2003年5

月)に合わせて、道路は無料開放されることになり

ましたが、自然環境保護のために許可された以外

の一般のバイク・車の乗り入れを全面的に禁止。

タクシー・シャトルバス・観光バス以外は乗り入れ

ることが出来なくなりました。

 日本最高所を自分のバイクで走ることは、おそら

く出来ないでしょう。

 ・・・バスの排気ガスも洒落にならんとおもうので

すがね。

○2002年乗鞍スカイラインの最終日

 この年は10月頃より季節外れの寒波が訪れた

ので、畳平は例年よりも早く10月中旬頃より積雪

があったようです。そのため乗鞍スカイラインは10

月27日をもって予定よりも早く冬期閉鎖。

 最後の有料道路通行車両表彰式典も夢と消え

たそうです。

○乗鞍スカイラインの現状

 乗鞍スカイラインの無料開放ならびに一般車両

の通行禁止にともない、長野県側から登るエコー

ラインこと長野県道乗鞍岳線(r84)も、三本滝か

ら畳平の間まで一般車両の通行が禁止されまし

た。

 これにより畳平への一般車両の通行は不可能と

なりました。

 畳平に行かれる方は、設置された駐車場にバイ

ク・車を停めて、そこからシャトルバスに乗車して

畳平まで上がることになります。

 シャトルバスの運行期間ですが、冬期通行規制

期間は以前と変わらないので、乗鞍スカイライン区

間は5月中旬〜10月末、エコーライン区間は7月

〜10月末となります。

駐車場

>>岐阜県側

  (車:500円/1日 バイク:200円/1日)

 平湯・アカンダナ駐車場(車:800台)

 久手・朴の木平(ほうのきたい)駐車場

                    (車:1500台)

>>長野県側(指定駐車場は無料)

 乗鞍観光センター前(車:300台)

 善五郎の滝駐車場(車:400台)

 休暇村乗鞍高原(車:550台)

◆シャトルバス

 岐阜県側:往復 1800円/片道 1050円

 長野県側:往復 2000円/片道 1100円

運行時間は7:00〜17:30の間。季節によって変

わりますので、必ず問い合わせて下さい。

「ご来光バス」は長野県側から運行されます。

◆タクシー・観光バス

 通行可能です。通行時間規制があります。

 タクシーですが、運賃の他に畳平駐車料金1700

円と環境保全税300円が別途かかるようです。

◆自転車

 有料道路時代は通行禁止だった自転車ですが、

この度の無料化に合わせて通行可能になりまし

た。

>>乗鞍エコーライン区間

 観光バス通行可能時間内であれば通行できま

す。たとえば7〜9月であれば、3:30〜18:00ま

で通行可能ですが、早朝・深夜は通行できません。

>>乗鞍スカイライン区間

 詳しくは不明ですが、こちらも観光バス通行時間

内であれば通行できるようです。要問い合わせ。

>>注意

 畳平は標高2700mもあります。自転車で登る場

合ですが、かなりの体力・気力・時間が必要となり

ます。高所なので気温も低く、体力・気温の消耗は

激しいと思われます。

 また高所で酸素が薄いので、自転車をこいでいる

うちに酸欠になりかねません。

 自転車で登られる場合は、ある程度の準備が必

要となります。思いつきで登るとえらい目に遭いか

ねません。興味本位では登らない方がいいです。

◆問い合わせ先

>>乗鞍岳自動車利用適正化連絡協議会

пF026−235−7180

>>岐阜県乗鞍自動車利用適正化協議会

пF0577−33−1111

>>岐阜県大野郡丹生川村観光協会

пF0577−78−2345

>>長野県安曇村役場 観光商工課

пF0263−94−2307(直通)

2002年9月12日(木) 【長野県南安曇郡安曇村→長野県南佐久郡南牧村:211km】

○木曽へ

 早朝に雨。しかし7時過ぎには雨が上がる。8時過ぎには晴れ間が少し見えてきた。天気予報では午後から雨だという。泊まっていた他の人達も一安心。私以外の人達は畳平に向かって乗鞍スカイラインを走るとかで、順次出発して行った。

 宿のオーナーに写真を撮ってもらった後、9時過ぎにペンション『ありす』を出発する。r84でR158に下り、奈川渡ダムまでR158を進んで行く。ダムを渡った所でr26(県道奈川木祖線)に入る。ダム湖の梓湖に沿って進んで行く。1996年(平8年)8月にツーリングの時は、R158を松本方面から来てr26に入り上高地乗鞍林道経由で乗鞍高原に向かった。その時もr26を走っているのだが、4年ぶりのr26は格段に整備されていた。

 野麦峠に抜けるr39(県道奈川野麦高根線)が分岐すると、r26は山間に入って行く。やがて民家はなくなり周囲は鬱蒼とした森となる。峠に向かうが、雲行きが怪しくなってきた。境峠を越えて長野県木祖村に入ると少しだけ小雨がパラついたが、木祖村の平野部に出ると雨は上がった。

○R361権兵衛峠

 木祖村からR19を塩尻方面に進んで行く。新鳥居TNを越えた所でr493に入り、奈良井ダム脇を通って長野県奈川村羽渕へ。ここからR361に入る。当時の権兵衛峠を越える区間のR361は両端が他の国道と接していない珍しい形態の国道だったが、姥神TNを含む区間が2002年12月に開通したことで、珍しい形態も解消された。

 2002年9月当時は、R19と奈川村羽渕の間を結ぶR361姥神(うばかみ)TNは建設中で、まだ建設中のTNの前を通ってR361に入った。R361権兵衛峠区間は、1998年(平10年)10月に荷物満載のZRX400で走っている。この時は峠から木曽側が雨でかなり疲れたことを記憶している。天気は曇り。雨が降るかどうかは分からないが、雨が降らないことを祈りつつR361に入る。

 R361を少し進むと風景は大きく変わっていた。川はコンクリート護岸が作られ、森は切り開かれていた。付近は高規格道路『伊那木曽連絡道路』の一部となる、『R361権兵衛峠道路』の建設現場。道の様子は4年前と比べると激変していた。高規格道路の基礎が出来つつあったが、トンネル自体は難工事のためにまだ完成はしていなかった。以前走った時はローカルな3ケタ酷道だったのに、わずか4年でこうも変わってしまうとは・・・。

 工事現場から離れると、R361は静かな山中を進んで行くようになる。11時半頃に権兵衛峠に到着。展望台で休憩していると、オフライダーがやって来た。これから林道をつなぎ合わせて

走って神奈川に帰るという。関東圏からなら日帰り範囲内にあるのだろう。

 峠を越えて伊那側に入ると、R361は小刻みな急カーブ・急勾配が連続する悪路となる。こちら側は4年前と全く変わっておらず、相変わらずの酷道のままだ。しかし荷物満載のZRX1100で走るのは苦労した。チンタラと走って2時間ほどかけてR361権兵衛峠区間をクリア。峠道を下り終えた所にある羽広温泉に入り、権兵衛峠越えの疲れを癒した。

○長野県横断

 羽広温泉を出ることには雨雲は消えて青空が広がっていた。暑いぐらいの陽気だ。伊那市側のR361端点を調査した後、伊那市街を通り抜け高遠へ。高遠からR152に入る。空はすっかり夏空。晩夏というところか。ここ2日ほどは曇りの天気だったので大変うれしい。交通量も少なく実に爽快な気分でR152を北上して行く。

 杖立峠を越えると茅野市に入る。R152杖立峠は狭路の峠道だと思っていたのだが、予想は大きく外れていた。道は拡幅・整備されたいたのだ。それでも急カーブ・急勾配が連続する峠道には変わりがない。ただ大型トラックが走るために路面状態が少し悪かった。

 R20に入り諏訪市方面に向かう。丁度進行方向に乗鞍があるのだが、見てみると分厚い雨雲がかかっていた。同じ長野県でも山と平野部では全く天候が違うのだ。15時過ぎに諏訪ICから中央自動車道に入って、中央道を東京方面に向かう。交通量の多いR20を走る気にはなれなかったのだ。

 長野県富士見町に入ると、左側には雄大な八ヶ岳を見ながら走る。八ヶ岳というのは総称で、実際は赤岳を主峰とするいくつかの山々からなる『八ヶ岳連峰』というのが正しいのだろう。この八ヶ岳に関しては、野辺山地方におもしろい伝説が残っている。

 『昔、富士山と八ヶ岳が背の高さを競い合っていた。決着をつけようと両者の仲介となった山神様は、おそろしく長い樋を両者の間に渡した。その樋に水を流してみたら、水は富士山の方に流れた。八ヶ岳が「それ見たか」と口走ったら、富士山は怒って樋をふりあげ八ヶ岳の頭へ。すると八ヶ岳は頭が八つに割れて、結果は富士山よりも低くなってしまった。』

 3000m級の八ヶ岳と約3800mもある富士山の両方を見ることが出来る地方ならではの伝説だ。

○関東圏初走行

 さて長野県富士見町を過ぎると、山梨県小淵沢町に入った。バイクで初めて関東圏に入ったことになる。八ヶ岳PAに寄って遅めの昼食。長坂ICで下りてr32(県道長坂高根線)経由でR141へ向かう。関東圏の山梨県道を初めて走ったことになる。

 R141を北上して山梨県高根町のR141沿いにある『清里スクエア・ガーデン』に16時過ぎに到着する。乗鞍高原から長野県を横断してまで清里に来たのは理由がある。『ク・ソフト』を食べるためだ。和式便器の容器に、渦巻き状に盛られたチョコレートソフトクリーム・・・ これを食

べにわざわざやって来たのだ。ところが店は定休日で休み・・・ 楽しみは明日にお預けとなってしまった。

 R141を北上すると長野県南牧村に入る。信州の長野県に戻った。日本最高所の鉄道駅である野辺山駅前に立ち寄り記念撮影。さらに野辺山駅から少し離れた所にある日本鉄道最高所地点に行き記念碑を撮影する。JRを乗り継いで列車で来ればいいのだが、そういう訳にもいかないのが辛いところだ。

○『こっつぁんち』1泊目

 この後、今日の宿である『こっつぁんち』に向かう。JRの踏切を渡って直ぐの所を左折。2車線道をしばらくは知って看板のあるところを右折すると着くはずなのだが、いつまで進んでもそれらしき建物がない。農家があったが、どうみても普通の農家。ここまで来て迷ってしまった。看板通りに進んだのだが、気が付くと畑の中の一本道を走っていたのだ。すぐ近くには巨大なパラボラアンテナが・・・。野辺山にある国立天文台のアンテナだった。結局、国立天文台を1周して、踏切まで戻る。

 携帯電話で『こっつぁんち』に電話して場所を確認。普通の民家だと思って気にも止めずに通り過ぎた1軒屋が宿だった。17時過ぎに『こっつぁんち』にやっと到着。

 北海道以外のとほ宿に初めて泊まった。一段落ついた後、野辺山駅近くにある温泉旅館『野辺山荘』に送ってもらい、ここの風呂に入って疲れを癒した。

 この日の宿泊客は私と1組の家族だけ。この家族の旦那は昔からの常連のようで、『主』とまではいかないが、かなり勝手を知っている様子。他の常連客の近状話が出るところから推察すると、年数回は来ているのだろう。22時半頃まで、食堂でダラダラと世間話をして部屋へ戻る。当然貸し切り。和室に1人だけで寝ることが出来た。

2002年9月13日(金) 【長野県南佐久郡南牧村→長野県南佐久郡南牧村:239km】

○連泊決定

 この日は朝から曇り。天気予報によると今日は雨だという。朝食前に外に出て散歩してみるが、周囲は深い霧に包まれていた。空には雨雲がかかり始めているが、雨の降る気配はない。とりあえず出発するつもりで準備をすませて朝食を食べる。

 予定では軽井沢経由で草津温泉へ向かうつもりでいたが、天候が今ひとつなので気が乗らない。テレビの天気予報では長野県北部〜群馬県は前線の通過にともない雨が降り出すそうだ。こうなると決断は早い。『連泊決定!』

 そんなわけで朝食後に連泊することを宿主に申し出る。シーツを出して洗濯し始めた後の申し出となってしまった。(^^;)

○『ク・ソフト』ゲット

 9時過ぎに宿を出発。まずはR141を南下して山梨県に戻り、R141沿いにある『清里スクエア・ガーデン』に直行する。目的はもちろん『ク・ソフト』だ。昨日は休みだったが、今日はちゃんと営業している。バイクを駐車場に止めるや否や、あまりのうれしさについ小走りで店に入る。ついに念願の『ク・ソフト』を食べることが出来るのだ。

 『クソ・フト』ではない。『ク・ソフト』である。ネーミングからして『糞』と『ソフト』を引っかけているのがありありと分かる。保健所と食品衛生法を挑発しているようなネーミングは、語呂からして良い組み合わせをしている。

 カウンターに行き、「すんません。『ク・ソフト』1つ下さい。」と、思いっきり大阪アクセントで頼む。しかし、ここで予期せぬ事が!

 なんとチョコレートソフトの入った機械が故障してしまったそうで、チョコレートソフトの販売は出来ないと言うのだ。修理が終わるのは早くて来週とか・・・。ここまで来て食べないわけにはいかない。ならばと、「バニラソフトでお願いします」と注文する。他にストロベリー(ラズベリーだったかな?)のソフトもあったが、ささすがに『痔持ちのク・ソフト』は遠慮した。(^^;)

 店員は小さな便器型の容器を取り出すと、慣れた手つきで手首を回してクルクルとソフトを盛ってゆく。見ているだけで面白い。最後の(これが一番のポイント)となる頭のてっぺんをちょこんと載せて出来上がり。わずか30秒ほどで、和式便器型の容器にクルリと巻かれて盛られた『白いウ○コ』・・・もとい『白いバ

ニラソフトクリーム』が出来上がった。店員は慣れたもので「バリウムのク・ソフトです」と言って渡してくれた。

 和式便器を模した容器の上に渦巻き状に盛られた白いソフトクリーム。頭のてっぺんが角のようにちょこっと出ている・・・。子供の頃に描いた「ウ○コ」の落書きをそのままの姿だ。「ウ○コ」と言えば、昔より「汚い物」の代表とされてきた物。「食べ物」のなれの果ての姿であるにもかかわらず、食事の時に単語を発することすら許されない。

 「光」と「影」、「+」と「−」、それらと同じく対局の位置(状態)にある「食べ物」と「ウ○コ」。その対の状態を同時に表現しているその姿は、「食べ物」という次元を越えて「芸術品」の域に達していると言っても良い。まさしく『究極のメニュー』と言えるのではないだろうか?(どうよ?山○君)

 外に出て、階段を上がってすぐ横の椅子に座る。5分ほど写真を撮ったり眺めたりしていたが、溶け始めるので早速食べることに。「蝿」の絵が付いたスプーンは使わず、ソフトクリームの食べ方の基本作法である『舌をベロッと出して』ソフトをなめてみる。当たり前のことであるが、ソフトはバニラ味だった。これがチョコレートソフトならば、自分がス○●○マニアになったような気分を味わえるのだろう。

 食べている間に3組ぐらいの観光客がやって来たが、なぜか皆普通のソフトクリームを注文していた。皆、チョコレートでなければ『ク・ソフト』を注文しないのだろうか? まぁ、『ク・ソフト』だけが目的で清里に来る私の方に問題が有るのだろか?(^^;)

 食べ終わると、和式便器の容器の底には溶け残ったソフトクリームがあった。その姿は『下○の後』そのもの。バニラだったから『バリウムを飲んだ翌朝の下○の後』というところか。チョコレートソフトクリームだったら、さぞかし食欲を失うことだろう。

 溶け残ったバニラソフトを喉に流し込む。店の手洗い場で容器を綺麗に洗って持って帰ることにする。今回は予期せぬ出来事で食べることが出来なかったが、いつかチョコレートソフトの『ク・ソフト』を食べに来てやろう。

○八ヶ岳の麓を快走

 R141から八ヶ岳高原ラインにショートカットしようと思い、r615(県道美し森清里線)に入ろうとしたが交差点を曲がり損ねる。仕方ないので少し南下して、r11(県道高根富士見線)に入って清里駅前を経由する。駅前周辺は観光客向けに整備されており、意図的に造られたヨーロッパ風の街並みになっていた。駅ということもあり周辺には観光客がたくさん来ていたが、若い女の観光客が目に付いた。こうしないと観光客がなかなか来ないのだろう。造られたテーマパークのような観光地は大嫌いなのですぐに早々に立ち去り、八ヶ岳高原ラインに向かう。

 八ヶ岳の麓を横切る八ヶ岳高原ラインに入る。八ヶ岳山麓の森の中を突っ切る快適な道路は、適度なカーブと勾配が連続する快適に走ることの出来る2車線道。交通量は少ない。荷物を置いて身軽な状態になっていたので、マイペースで流して走ることが出来た。ただレンタサイクルを借りて走っている観光客の姿が目立ったので、『攻める走り』をすることはできない。ご注意を。

 八ヶ岳高原ラインの西端部は、有料道路『八ヶ岳公園道路』だった区間。快適な2車線ワインディング道路は無料開放されていた。旧料金所手前からはr485(県道富士見原茅野線)こと

鉢巻道路に入る。八ヶ岳高原ラインと同じく麓を走る爽快な2車線道。カラ松林を通り抜けて行く。沿道には別荘地が点在しており、高原の避暑地にある別荘地帯を走る。快適な道を走っていると、やがてどんつきに到着。その先はダート道になっていた。途中でr17(県道茅野小淵沢韮崎線)に抜ける道があるのだが、どうやら見落としてしまったようだ。引き返して農場地帯を抜ける1.5車線幅の舗装路を走ってr17に出た。

○渋滞道うろうろ

 r17を経由してR152に出る。天気予報とは裏腹に長野県茅野市のR152に入る頃には青空が広がっていた。ならばと茅野市側からR299を走り麦草峠まで1往復する。見通しの悪い小刻みな急カーブと急勾配の坂道が連続する山岳道路を走る。麓には別荘地やペンション・旅館が建っている観光道路だが、別荘地が途切れると白樺林やカラ松林の中を走る道とな

る。20kmほど入ると標高2100mあまりの麦草峠に到着。ここは日本の国道の中で第二位の標高を誇る峠なのだ。

 このまま東側に下ればR141に下りることが出来るのだが、今回は麦草峠で引き返す。来た道を戻り、茅野市芹ヶ沢からR152(大門街道)に入り北上。白樺湖畔にある『すずらんの湯』に立ち寄った。1996年8月の信州ツーリングでは近くのキャンプ場でテントを張ってこの温泉に入りに来たのだ。以来6年ぶりの訪問となった。

 出来れば温泉でゆっくりとしたかったのだが、雲行きが怪しくなってきたので急いで出る。空を

みると雨雲が広がり始めている。しかし雨が降るような様子はないので、大門峠を越えてR152をそのまま長野県上田市まで北上する。意外と車の多い渋滞気味の道で、途中にあった直線区間ではお約束の『ねずみ取り』が実施されていた。

 上田市からR18で小諸方面に向かおうとしたが、交通量が多そうなのでR152を引き返して長門町からR142に入って長野県佐久市に向かうことにした。途中でR254に入ってショートカットすれば良かったのだが、腹が減ったのでR142・R152交差点近くにあるコンビニに立ち寄った。

 パンを食べて軽い食事としてからR142に入って東に向かう。今度は八ヶ岳の北側を走るのだ。ところがR142は大型トラックの通行量が大変多い。トラック街道となっているのだ。あまりのトラックの多さにうんざりする。

 長野県佐久市でR141に入り野辺山に向かって南下。南に進むに従って雲がだんだんと厚くなり、小海に着いた頃についに雨が降り出した。待避帯に停まって、今ツーリングで初めて雨具を着る。しかし峠を越えて南牧村に入ると雨は上がった。路面は乾いており雨の降った形跡はない。脱ぐのも面倒なのでそのままの格好で走り、17時前に宿に戻った。私が戻るのを待っていたかのように、戻ってから10分ほどしてから雨が降り出した。しばらくすると大雨となった。間一髪だった。

○『こっつぁんち』2泊目

 一段落してから、昨日と同じく旅館『野辺山荘』に送ってもらいここの風呂に入って疲れを癒す。雨脚は強くなり、風呂の窓を激しく打ちつけている。局地的な雨のようだったが、風呂から出てくると雨は上がっていた。地形と標高の関係でこういう天候になるのだろうか?

 今晩の宿泊は私1人だけだった。「とほほの宿だ〜」と嘆いていた宿主のこっつぁんも会合があるとかで出かけてしまったので、誰とも話すことなく部屋でダラダラと過ごす。テレビの天気予報を見ると、明日も天気が悪い。ここまで来て『あめふらし』の名前は伊達ではないことを証明してしまった・・・(^^;) 断っておくが、低気圧は呼んでおりません。

 天候が悪いので草津温泉を含めた予定していた後半のコースは断念。地図を見てどうするか考える。中央道を使えば富士山まで意外と近いことに気が付いた。明日の天気は「曇り」だというので、明日も『こっつぁんち』に連泊して富士山近くまで日帰りツーリングに出かけることにした。

 誰とも話すことなく、23時頃に寝ることにした。

ク・ソフト

これが、これが『ク・ソフト』だぁ〜〜〜!

盛られている容器とソフトの形に注目!!

バニラなのは残念・・・

○『ク・ソフト』のお店

 『ク・ソフト』は日本全国の有名百貨店では食べ

ることはできません。コンビニでも売っていません。

 『ク・ソフト』は、山梨県北巨摩郡高根町清里に

ある『のぞいてIN』というお店だけで販売していま

す。

 『ク・ソフト』はチョコレートソフトクリームが基本で

すが、客の希望に合わせて、バニラソフトクリームによる『バリウム・ク・ソフト』や、チョコレートとバニ

ラの『ミックス・ク・ソフト』も出してくれます。

 この店では『ク・ソフト』だけではなく、普通のコー

ンにのったソフトクリームも販売していますので、

御安心下さい。勇んで店に入ったはいいけど、あ

まりの恥ずかしさで普通のソフトクリームを買って

出て行く人もいるそうです。(^^)

 ソフトクリームだけではなく、他にも手造りハムや

自然食品・土産物なども売っています。

○容器

 容器はプラスチック製で、食べることは出来ません。和式便器を模した形をしており、『TOTO』なら

ぬ『TOTU』という文字が入っている念の入れよう

です。

 店で貰ったチラシには、「『携帯トイレ』として、い

ざと言う時のためにお持ち帰り下さい。」と書いて

あります。

 私は形が潰れないようにタオルで丁寧にくるん

で持って帰りました。

 蝿の絵が描かれたシールが貼ったスプーンを付

けてくれます。記念として是非持ち帰りましょう。

○ツーリング話のネタには最適

 販売開始は1996年(平8年)夏からだそうで

す。さすがに販売当初は「汚い!」というクレーム

もあったそうですが、口コミなどであっという間に噂

は広がり、テレビ局でも取り上げられたこともあっ

たそうです。今では多くの人達に知られる、大人気

商品となっています。

 ところが関西圏では知名度は低く、私自身、存

在を知ったのは某バイクツーリング雑誌でした。信

州ツーリングの際には、是非訪れて食してみて下

さい。十分、話のネタになります。

○『のぞいてIN』

>連絡先:山梨県北巨摩郡高根町清里

>電話:055−48−2999

>営業時間:9:00〜18:00/木曜日定休日?

>値段

 すみません。『ク・ソフト』に夢中だったので調べ

るのを忘れました。<(_ _)>

 チョコレートソフトは500円だったと思います。私

は機械の故障でバニラを注文しましたが、300円

でした。まけてくれたのかも知れません。

交通アクセス

 中央自動車道須玉ICよりR141を長野県小諸

市方面に向かって北上。高根町清里のR141沿

道(高根町→小諸市方向に向かって左側)にあり

ます。

 店は緩やかな勾配の坂の途中にありました。バ

イクだと速度を出す所なので注意して下さい。ロー

ソン、続いて出光のGSを過ぎたら減速して下さい。

 長野県小諸市方面から来る場合は、進入が難し

い場所にあります。一度過ぎて先でUターンして来た方が良いでしょう。

 沿道に『レストラン清里スクエアガーデン』の大き

な看板があり、その一番下に『ク・ソフト』の看板が

あります。

 列車の場合は、JR小海線清里駅から徒歩もしく

はタクシーで移動となります。

2002年9月14日(土) 【長野県南佐久郡南牧村→長野県南佐久郡南牧村:76km】

○なに?この天気・・・

 朝起きてみると、空は曇っており霧が立ちこめている。野辺山付近には濃霧注意報が出ているそうだ。天気は曇一時雨。こんな曇りの日に富士山に行ってもおもしろくない・・・とか考えている間に小雨も降り出した。こうなると出かける気力は一気に消える。レンタカーを借りようかと思ったが、一番近いレンタカー屋は清里まで行かないとないという。

 連泊ということで相部屋に移る。荷物を移動した後、どうするか考えながらベットでゴロゴロしている間に寝てしまった。目が覚めたのは昼前。曇っているが雨は降っていないが、完全に富士山まで出かける気は消えてしまった。とか言って宿でゴロゴロしているのも面白くないのでバイクに乗って出かけ、近くにある温泉巡りを始めた。

○温泉・温泉、また温泉

 R141を北上して、まずは海尻温泉『灯明の湯』に立ち寄る。岩風呂の露天風呂もある日帰り温泉施設。昼過ぎだったので入浴客が多かった。あまりぐずぐずしていては雨が降るかも知れないと思い、1時間ほどで出て出発する。

 雨具を来て曇り空の下、R141を小海まで北上。r2(県道川上佐久線)に入り、山間の農村をいくつも通り過ぎながら山奥に向かって進んで行く。海尻温泉から20分ほどで長野県南相木村にある南相木温泉『滝見の湯』に到着。ここが本日の第2湯目。ここは人気のある日帰りの温泉施設で、自然に囲まれた山奥にあることから来訪客が多いようだ。今日は土曜日と言うこともあって、駐車場は満杯。温泉浴室もかなり混雑していた。湯は明らかに循環湯。あまり好きではないので、湯船を一通り回ったあと、シャワーで体を洗って浴室を出た。館内の食堂も家族連れで混雑していた。暴れ回る子供をほったらかしにしている親が目立つ。こういう所は嫌いなので、温泉から出た後コーヒー牛乳を飲んで早々に出発した。

 往路では気が付かなかったのだが、小諸に戻る途中で『お猿』というバス停を発見した。一体どういう由来でこの名が付いたのだろうか?

 3湯目が海ノ口温泉『鹿の湯』。国道から少し入った所にある温泉旅館なのだが、周囲は鬱蒼とした森に囲まれ、その中に木造2階建ての温泉宿が建っていた。ギシギシと音を立てながら廊下を歩き、年季の入った階段を登った所にある浴室に入る。無駄な設備のない質素な造りの浴室。年季の入った浴槽に少し熱めの温泉が注がれている。宿の雰囲気が大変良く、個人的にお勧めの温泉宿だ。

 温泉から出て休憩室で休憩していると、大阪から出稼ぎで高原の野菜作りに来ているという40歳代半ばの人に話しかけられた。今日は休みでこの温泉に来たそうだ。この方、大阪でコンビニを経営していたそうだが、休みもなく働き続けて疲れ果ててしまい、思い切ってコンビニを廃業。林業関係の資格を取って、どこかの山で林業の仕事に就こうとしたが、なかなか雇ってもらえず、野辺山の高原野菜作りの農家に住み込みで働いているという。

 休憩室で20分ほどその人と話し込む。いろんな人生を歩んでいる人がいるのだ。こういう人生談を聞けるのも旅の醍醐味の1つ。内容によっては深く考えさせられる話も多い。こういう話を聞いた後は、今の自分の仕事をずっと続けていけるのか不安になる。ダメになった時に、この人のように思い切った転職をすることができるのだろうか・・・。

○『こっつぁんち』3泊目

 野辺山に戻ると濃い霧が発生していた。視界がかなり悪いので、周囲に注意しながら走り宿に戻る。

 『こっつぁんち』に戻ると、宿主のこっつぁんが「今日はたくさん宿泊してくれる人がいるんだよ」と張り切っていた。今晩は私を含めて9人の宿泊客が泊まっていた。うち3人が女性。宿主のこっつぁんは「やっと、とほ宿らしくなった」と大喜び。この日の晩は、こっつぁんを囲んでの宴会となった。いろいろと情報交換したり、「旅の話」や「観光案内」などをお互い話し合ったり教え合ったりと、『旅人宿』らしい晩となった。今回のツーリング最後の晩に、『旅人』らしい一夜を過ごすことが出来た。

2002年9月15日(日) 【長野県南佐久郡南牧村→自宅:521km】

○諏訪へ

 明日は家の用事があるのでどうしても今日中に帰阪しないと行けない。今日はせっかく晴れてきたのに残念だ。朝食の後、

連泊して車で出発する人達を見送る。最後に、近くの農場にバイトに出かける宿主のこっつぁんを見送り、宿主の奥さんに挨拶して9時半頃に宿を出発する。

 R141を南下してr32経由で長沢ICから中央道に入って、一路諏訪方面に向かう。連休の中日と言うことで観光客の車が目立つ。何グループかの東京方面からやって来たツーリンググループに出会った。清里・諏訪・白樺湖一帯は周遊して回れる東京からの日帰りツーリング圏内なのだ。

 諏訪ICで一度高速を下りる。諏訪湖を見た後、上諏訪温泉『片倉館』に向かった。格式高いヨーロッパ風の建物が温泉施設というから驚きだ。もとは製糸業で財をなした片倉財閥が建設した福祉施設で、1928年(昭3)年に完成している。優雅な西洋建築の建物が温泉施設というから凄い。建物の内外にギリシャ風の彫刻やステンドグラスがあったりする一方で、和風の大広間があったりする。浴室内にも彫刻が飾られていたりと、大変豪華な浴室には熱めの湯が入ったプールのような浴槽があった。なんとも優雅な気持ちになってしまう。ここはお勧め。

 受付の前で「スリッパはないのか?なんてサービスの悪い温泉だ!」と難癖を付けて騒いでいる客がいた。ここは土足厳禁で素足での入場なんですけど・・・。

○諏訪大社下社秋宮

 片倉館を出た後、諏訪市街に入り諏訪大社下社秋宮に立ち寄る。諏訪大社は、諏訪湖を挟んで南側にある上社本宮(諏訪市)、上社前宮(茅野市)、諏訪湖の北側にある下社春宮と秋宮(ともに諏訪郡下諏訪町)の4社から構成されている変わった構成の神社で、全国にある諏訪神社の総本社となっている。諏訪大社には、建御名方神(たけみなかたのかみ)と妃の神・八坂刀売神(やさかとめのかみ)が祀られている。八坂刀売神(やさかとめのかみ)は下社にお住いになられているのだが、下社にはあわせて御兄となる八重事代主神(やえことしろぬしのかみ)もお祭りしているそうだ。

 八坂刀売神(やさかとめのかみ)は、2月1日〜8月1日までは春宮に、8月1日〜翌年2月1日までに秋宮にお住いになられているとかで、私が訪れたこの日は秋宮にお住いになられているのだ。 下社秋宮は、諏訪市街からR142に入って緩い坂道を上った所にある。ちょうど旧中山道と旧甲州街道の分岐点付近にあることになる。神社の近くには下諏訪宿本陣がある。

 日曜日と言うこともあって観光客が多い。神社前にある無料駐車場は車で満杯。路肩にバイクを停めて神社に向かう。鎮守の森の中に延びる石段を上って行く。秋宮には本殿はないそうだ。拝殿・御宝殿の奥にある御神木が御神体となっている。

 それにしても観光客が多い。拝殿前まで行くが、静かに散策することが出来そうにないので引き返す。静かな時にでもまた来てみよう。鳥居の外に出て写真を撮影してから秋宮を後にした。

○下諏訪の温泉巡り

 秋宮のすぐ近くにあるホテルに移動する。ホテルに併設している(ホテル内にある?)土産物屋で土産を買う。レジのおばちゃんに近くに公衆温泉浴場はないかと尋ねてみるとすぐ近くにあるというので、場所を聞いてその温泉に向かうが細々とした裏路地に入ってしまい、しばらく住宅街をウロウロしてしまう。R20に出てR142に入り、もう一度秋宮の前を通り抜けると、『遊泉ハウス児湯』があった。しかし停まり損ねてしまい、少し先の交差点でUターンしようとしたら、『旦過の湯』とという看板を見つけたのでそちらに向かうことにした。

 急な細い道幅の坂道を下る。道は旧中山道で、沿道は街道沿いの宿場町という雰囲気が漂っている。そんな町中に下諏訪温泉公衆温泉浴場『旦過の湯』があった。『旦過の湯』は鎌倉時代にまで起源を遡ることが出来る歴史のある温泉。『綿の湯』、『児湯』と共に下諏訪三名湯の1つである。現在温泉がある辺りは、鎌倉時代、修行僧のための宿『旦過寮』だったそうだ。

 さて、こじんまりとした建物はいかにも『公衆温泉浴場』という建物。男女別の入口から脱衣室に入ると、昔ながらの棚のみで扇風機だけが置いてあるという、これまた典型的な公衆浴場の姿であった。浴室内も余計な設備はなく、水道の蛇口しかないという由緒正しき公衆温泉浴場のスタイルを守っている。久々に出会った公衆温泉浴場なのでうれしくなってしまう。ところが、ここのお湯は熱い。めちゃくちゃ熱い。5分ほどかけて肩まで浸かる。我慢して浸かるが1分ほどで出てしまった。下手れな温泉好き@あめふらしでした。

 ここの管理人さんに下諏訪温泉でスランプラリーを開催していると教えてもらい、スタンプ台紙を貰って下諏訪温泉巡りをすることにした。

 次に向かったのは近くにある下諏訪温泉公衆温泉浴場『新湯』。こちらも公衆浴場で余計な設備は一切ない。シャワーが設置されているぐらいだった。ここの湯は適温だったのでゆっくりと浸かることが出来た。公衆浴場には必須アイテムであるコーヒー牛乳も完備。まさしくパーフェクトといえる公衆浴場で、あめふらし大満足であった。(『旦過の湯』にもコーヒー牛乳はあります。) コーヒー牛乳を一気飲み。「ぷっはぁ〜〜」 と息をつく。この瞬間がたまらない。

 スタンプをもらおうと管理人に話しかける。大阪から来たというと、「私、息子が姫路に住んでいまして大阪にはちょくちょく行くんですよ〜」と息子さんとお孫さんのことをうれしそうに話し出した。20分ほど話し込む。最後は出口まで見送ってくれた。諏訪の人達の暖かさを感じた一瞬であった。

 そろそろ大阪に向かわないといけない時間帯に入ってしまった。名残惜しいが下諏訪温泉巡りは2湯で終え、R20沿いのGSで給油した後、14時頃に岡谷ICから中央道に入り諏訪の地を後にした。 

○寄り道のはずが・・・

 中央道を名古屋方面に向かって走る。空は雲が多いが晴れている。このまま高速を走って大阪に帰るのは面白くないので、途中の飯田ICで高速を下りてR153経由でR256に入り清内路峠を目指す。R256清内路峠は2000年7月に走ったのだが、その時供用間近だったBPがどうなっているか確認しに来たのだ。

 R153からR256で峠に向かう。飯田ICから30分ほどで清内路峠に到着する。清内路峠には立派な2車線道のTNが完成しており、ウネウネとカーブを曲がりながら越えた旧道はゲートが設置され通行不可能となっていた。わずか2年ほどで大きく

変わってしまった。

 長野県南木曽町に入りR256を下ると妻籠宿に出る。かつての中山道の宿場町だった所だ。ところが妻籠宿経由でR19に抜けようとしたのが大間違いだった。妻籠宿が一大観光地となっていることと今日が連休の中日であることをすっかり忘れていた。夕方ということもあり妻籠宿から帰る観光客の車・観光バスの渋滞に巻き込まれた。引き返せばよかったのだがもう遅い。R19との交差点までの約2kmに渡る大渋滞をすり抜けと追い抜きで20分ほどかけてクリアして、R19に入ったのは16時過ぎだった。

○信州ツーリング終了

 R19を中津川市に向かうが、名古屋方面に帰る車で至る所で渋滞が発生していた。うんざりしつつもR19を下り、中津川ICに到着したのは16時半頃だった。大混雑の恵那峡SAで休憩する。中央道を名古屋方面に走るが、名古屋市街に帰る車で小牧JCT手前でまたもや渋滞に巻き込まれる。渋滞を抜けてようやく名神に入るが通行量が多くペースは上がらない。

 養老SAで給油のため休憩。ここでZX12で乗鞍に行っていたというライダーと出会い、しばらく話しをする。18時過ぎに養老SAを出発して名神を淡々と西へ西へと進む。米原を過ぎ、竜王を過ぎると関西系のナンバーが目立ち始めた。すでに大阪圏内に入っている。観光から帰る人達の車が多くなり、走行ペースはさらに落ちる。

 やがて大渋滞にハマる。瀬田東付近で起こった事故によるものだった。現場を通過するが、その先では京都東ICを先頭に休日のいつもの渋滞が発生していた。京都東IC〜京都南IC間では、ときおり路肩走行の取り締まりをしているので、警戒して車列に入って進む。渋滞に巻き込まれヘロヘロになって20時頃に桂川PAに到着。1時間近く大休憩を取る。かなり疲れているがよく分かる。250ccのスクーターバイクに乗ったライダーと1時間近くいろいろと話す。

 21時前に桂川PA出発。ここからは走り慣れた道。天王山TNを抜けると大阪府に入る。吹田JCT手前からついに雨が降り出した。吹田料金所を出た辺りで雨具を着る。近畿道〜阪和道と南下して行くが、本格的な雨にはならず、散発的にパラっと弱い雨が降るだけであった。

 結局、雨具を着たまま走り続け、22時過ぎに自宅に無事到着。信州ツーリング2002は無事に終了した。

片倉館

○片倉館

 1873年(明治6年)に製糸業を興し、大正〜昭

和初期における日本の輸出総額の約1割を絹製

品で輸出したのが片倉財閥です。

 その片倉財閥当主である2代目社長の片倉兼太

郎が、2年に渡る北中南米・ヨーロッパの視察旅行

において、欧米諸国が地域住民に対する文化福

祉等の施設が整っていることに感銘を受けました。

帰国後、是非諏訪にもそういう施設を作りたいと考

えて設立したのが、「財団法人片倉館」でした。

 諏訪湖畔の約3千坪の敷地に、温泉大浴場や

サウナなどを設備した浴場棟と、文化交流・娯楽を

目的とした会館棟の建設を計画。1927年(昭2

年)1月工事に着工し、翌28年(昭3年)10月に

片倉館が完成しました。(財団法人の認可は192

9年(昭4年)9月のこと)

 片倉館の隣には、のちに考古館(現:諏訪市美

術館)も建設されました。

 片倉館は太平洋戦争の戦災に遭うこともなく、今日までその姿をほぼ建設当時のままで残しています。補修に際しては、その時代の技術センスを取り入れ、元の姿を壊さないようにバランスをとりながら行うなど、最新の注意を払っているとのことです。

○森山松之介

 建設にあたって、建物の設計を行ったのは、森山

松之介氏(1869〜1949年)。1897年(明30

年)東京帝大(現:東大)造家学科を卒業した氏

は、一設計家として斬新で自由な設計を行いました。代表作としては、この片倉館の他に、旧オース

トラリア大使館、旧東京弁護士会館、台湾総督府

などなど。

 片倉館は、外見こそ西洋風ですが内部には和室

が設けられています。外部からは和室は全く見え

ず、逆に和室で障子を閉めると外観が西洋風であ

ることには全く気が付かないように設計されていま

す。

片倉館DATA

>営業時間 10:00〜21:00(入場20:30)

>休館日 毎週火曜日。祝日の場合は営業。

>電話 0266−52−0604

>入館料(入浴料):400円

>アクセス

 中央自動車道諏訪ICより約7kmです。ICより湖

岸道路に出て反時計回りに進むと到着します。諏

訪市美術館を目標にすれば良いでしょう。駐車場

完備。バイク・車とも駐車可能です。

 電車利用の場合は、最寄り駅はJR中央本線上

諏訪駅。駅より徒歩約5分です。

 お勧めの温泉ですので、是非訪れて下さい。

 【信州ツーリング2002 終わり】

つうりんぐれぽぉと