九州ツーリング2001

 

2001年4月6日(金)〜4月14日(土)

九州最終日。別府港で見た夕陽。

 21世紀最初の長距離ツーリングとなったのが今回の九州ツーリング。前半が3ケタ国道走行をメインとした『道活動』、後半が温泉に入りまくる『温泉活動』がメインのツーリングとなりました。終わってみると九州中央部を縦横に合計1500km弱も走ってしまいました。

 雨に降られたのは1日だけで、天候には比較的恵まれた今年の九州ツーリング。後半は温泉三昧の日々を過ごずぞと誓うのでした。

『おやぁ?この道は旧国道では。』

 

 ・・・こうして、後半も『道活動』にのめり込むのでした・・・ (^^;)

 

九州ツーリング2001 その2

4月11日(水)〜4月14日(土)

4月11日(水)

9時前にYHを出発する。R265沿いのGSで給油の後、高森公園へと向かう。昨日、R265に向かう時に前を走ったのだが、桜が満開だというので見たくなったのだ。一帯は高森公園という公園として整備されており、『九十九曲』と呼ばれる旧R265・旧R325が通っている。園内には旧道を中心として何百本もの桜の木が植えられており、『桜の森』の中をバイクで走り抜けることが出来るのだ。

 訪れた頃は、満開を過ぎた散り始めの頃。それでもまだ8割の桜は満開で、桜の匂いの中、ウネウネ曲がりくねった道を進んで行く。

 時々ヘルメットのシールドに桜の花弁がひっついたりする。『春やなぁ〜』と実感できる瞬間。バイクに乗っていて良かったと思う瞬間である。

 やがて高森峠(七合目)に到着。高森町の町を一望でき遠くに阿蘇山を見ることが出来る。景色は結構良い。

ここまでは路面は整備されているので車でも楽に来ることが出来る。桜と景色を見ながらのんびりと走ってくることが出来るのだ。

 ところが私は別のモノに注目していた。高森峠(七合目)に来る途中で分岐する道である。さびかけた標識から(高森峠TN開通前の)R265旧道であることが判明。『走ってみたい・・・』という衝動に駆られるが、道の状態が分からないし通行できるのかすら不明だ。

 分からないことがあれば地元の人に尋ねるのが鉄則。近くにいた犬の散歩に来ていたおっちゃんに話しかける。犬の相手をしてしばらく和んだ後、さりげなく旧R265について尋ねてみる。どうやら通行止めにはなっておらず走り抜けることは出来るという。

 『ならば走ってみよう』 (^^;)(オイオイ・・・)

 路面の荒れた1車線の急勾配・急カーブの道を進むと、外輪山の峠に到着する。ここから眺める光景はさらに素晴らしい。広大なカルデラ盆地を一望でき、目の前

に雄大な阿蘇山がそびえ立っている。なんとなく走ってみたくなった旧道に、こんな隠れた絶景ポイントがあるとは意外だった。私以外には誰もいないし車も走ってこないので、快晴の青空の下、しばらく景色を眺める。私のお気に入りポイントになったのは言うまでもない。

 無事にR265旧道を走り抜けた後、今度はR325で高千穂へと向かう。まだ一部区間では改良工事が行われているが、R325は整備が進んだ快走2車線国道。真新しいループ橋を走って宮崎県に入る。

 整備されて走りやすくなったために、トラック街道と化しつつあるR325を東に向かって淡々と走ると高千穂町の市街地に到着する。国道は町中には入らずに町の外側を通る。

 国道からr7に入って2車線ワインディング道を進み、11時頃に天岩戸神社に到

着。思ったよりも静かな神社である。たくさんの観光客がバスを連ねてやって来ていると思っていたが、春休みが終わったところなので人は少ないようだ。やはり神社は人気が少なく静かでないと。

 天岩戸神社には、1996年(平8年)の九州ツーリングの時から是非とも来てみたかった所だ。ルートや時間の関係で来ることが出来ず、今回やっと来ることが出来た。 

天岩戸神社は太陽神である天照大神(アマテラスオオミカミ)(注5)を祭っている神社。岩戸川を挟んで東本宮と西本宮の2つの拝殿から成る。

 『スサノオノミコトの乱暴さに怒った天照大神が岩戸に隠れてしまい世界は光を失った。困った神々が岩戸の前に集まっていろいろと手を尽くしたが天照大神は戸を開けることはなかった。しかしアメノウズメノミコトの踊りが気になって戸を開けた際に、タヂカラオノミコトが岩戸を押し開けて天照大神を外に連れ出し、この世に光が戻った。』(注6)という有名な話の舞台になった岩戸は、西本宮の御神体となって

いる。 

 拝殿前で賽銭箱に賽銭を入れて残る道中の安全を祈願する。今回は見るのを諦めたが、西本宮拝殿裏にある岩屋は、有料ではあるが頼めば案内付きで見ることが出来る。ただし岩屋は御神体ゆえ撮影禁止だとか。

 長い階段で岩戸川に下りると、川に沿ってコンクリート舗装の遊歩道が設置されていた。ここから10分ほど川を遡ると天安河原(あまのやすがわら)に到着する。古事記に出てくる『神集神議』の現場である。(注7)

 天安河原は岩戸川沿いにある岩屋。洞窟がありその奥で神議が行われたのだろうか。周囲は川のせせらぎ以外に音はせず、静寂が支配している。凛とした雰囲気が漂っており、どこか特別な空間のようにも感じられる。その雰囲気に圧倒されてか、岩屋(洞窟)を撮影する気にはなれなかった。

 遊歩道を戻り西本宮に戻る。東本宮には寄らないまま出発。また次の時に訪れることにしよう。

 r7を高千穂市街に向かって走る。途中で天岩戸温泉に立ち寄る。丘の上にある町営温泉だ。昼間なので実質貸し切り状態であった。のんびりと湯に浸かる。温泉から出た後、ここの休憩室でゆっくりと休む。関西汽船に電話して帰りのフェリーの予約を取る。帰りの便は4月13日(金)19時発の便に決定。九州滞在はあと2日となった。

 高千穂からR325で阿蘇に向かって走って走る。途中の玄武山TNという真新しいバイパストンネルがあった。この入口手前から脇に別れる旧道があった。バイパスTNは往路で通っているので旧道を走ってしまう。その後、ループ橋のあるR325田原BPの手前でも旧道らしき道を発見・・・

『ループ橋は往路で走ったから、復路は旧道を走ってみよう』(^^;)

 毎度の病気が発病した。いつもなら事前調査して旧道を走るのだが、今回は行き当たりばったりで旧道走行を始めてしまった。ほとんど車が走らなくなった旧道をのんびりと走る。スピードを出して快適に走ることが出来る道も良いが、やはり昔の雰囲気を残す旧道の方が落ち着いて走る事が出来る。

 3kmほどの旧道を走り終えると現R325に出た。この時に旧道を見失ってしまった。そのまま諦めて現R325を走って行けばよいものを、旧道らしき1.5車線道に入ってしまう。『これは恐らく旧道だろう』と思って走り続ける。

 が、道はだんだんと深い山中へ向かい道幅も1車線幅となる。進むにつれ『この道は旧国道か?』と疑問が生じる。撮影中にどこかの会社の営業車に抜かれたので、この先はまだ進むことが出来るようだ。

 道は山中を進んで行く。疑問は不安へと変わる。やがて突然山里の集落へ出た。

『ここはどこだ?』

 この時、自分が現在位置を見失ったことに気付いた。そう、迷ったのである。耕耘機に乗って畑に向かうおっちゃんとすれ違う。珍しい訪問者におっちゃんは挨拶をしてくれた。挨拶してすれ違った後に、ここがどこか聞けば良かったと悔やむ。

 先を進む。道は舗装された1車線道のまま。もはやこの道は旧国道ではなく、村

道か町道なのだろう。高森町に入っているので町道なのかも知れない。引き返すかどうか迷いつつも進んでしまう。対向車があった。まだこの先には道がある。『迷ったら引き返す』のが鉄則なのだが、この先を進めば国道に出るような気がしていた。

 やがて別の集落に着いた。草部吉見神社という神社の前を通り過ぎ、少し進むと1車線の道は2車線道となり、そしてR325へと出ることが出来た。

 地図で確認したところ、走って来た道は高森町南部の水迫とか柿迫とかいう集落を通って草部地区に抜ける道だった。全長約8kmのローカル町道だったわけだ。事前調査しないで突発的に旧道走行すると、こういうことになるのだ。

 ところがこの先でも旧道ルートを走ってしまう。今度は地図で確認してから走り始める。R325奥阿蘇大橋開通前の旧道は県道に降格されていた。

 さらにその先の高森峠を越える旧道にもアタックした。走る前に旧道かどうかを地元の人に聞いてみる。『走ることは出来るが、通り抜けできない』と言われるが、走ることが出来るところまで走ってみようと進んでみる。

 草木が浸食し始めている旧道は、徐々に自然へ還り始めている。高森隧道という旧道トンネルを抜けて高森峠展望所まで進むことが出来た。

 この先は落石防止堰が建設されたので、バイクや車での通り抜けは不可能となってしまった。高森峠展望所からの阿蘇の眺めもなかなか良い。曇りであったのが残念である。

 高森峠の旧道から現R325に戻る。カルデラ盆地へと下りてきてから、R325を西へと進む。南阿蘇鉄道『阿蘇下田城』駅に向かう途中に、南阿蘇鉄道『南阿蘇水の生まれる里白水高原』駅に立ち寄る。やたらと長い駅名だが、それもそのはず、この4月までは日本一長い駅名だった駅なのだ。

 というのも、山陰の一畑電鉄という私鉄がここよりも1文字だけ多い駅名の駅を2001年4月に開業させてしまったので、『日本じゃぁ二番だ』(注8)となってしまったのだ。

 それを巡って論争となっているそうだが、一畑電鉄の方に軍配が上がったとか。まぁいずれ又『日本一長い駅名』を売りにした駅が出てくるだろうから、終わりのない駅名の命名合戦になるのだろう。

 駅自体は無人駅。しゃれた10角形(?)の木の駅舎で、中は自由に出入りできる。白水村の湧水案内図があった。この付近は自然の湧き水の宝庫なのだ。

 『南阿蘇・・・』駅の西隣のあるのが『阿蘇下田城』駅。こちらは城をイメージした駅舎となっている有人駅。ここは温泉を併設した駅なのだ。(注9) ホームに発着するディーゼル気動車の音を聞きながら入る温泉もまた面白い。

 ここの温泉では、腰を痛めて湯治中だというおっちゃんライダーと夫婦で旅行中の元ライダーのおっちゃん達とバイクの話で盛り上がった。湯船に浸かりながらのバイク談義も楽しいものだ。バイク乗りと言うことだけで、見知らぬ人でも簡単に意気投合出来る。バイクに乗っていて良かったと思う時である。

 YHに戻る。夕食を食べていると飛び入りで一人の若者がやって来た。YH村田屋旅館3泊目でついに同室に泊まる人がやって来たのだ。

 若者は2001年3月末に高校を卒業したばかりの18歳。大学に進学しても勉強せずにダラダラと時間を潰すだけだし、就職して仕事に追われるのも嫌だし、若い間にいろんな事をしたり見ておきたくて日本一周に出ることを決意し、昨日(4/10)に鹿児島から旅立ってきたというのだ。

 こういう旅は初めてとのことで、旅の仕方がよく分からないと言う。安く移動する方法や宿泊方法、旅先でのお金を稼ぐ方法などを私の知っている限りで教える。彼は酪農の仕事をしてみたいとか。それならば長野県や道東の別海町辺りに行けば、住み込みで酪農の仕事をさせて貰えることを話す。しんどいがやりがいのある仕事だ。

 彼は真剣に聞き入っていた(・・・と思う)。今まで日本のあちこちを彷徨いて見聞きし体験して来て得たことが役に立ったように思う。というより、こうやって年下(一回り以上年下)の他人に教えてやれることが無性にうれしかったのだ。

 『最近の若者は・・・』という話を聞くが、それはほんの一部。まだまだこういう若者がいるのだ。一安心。彼には是非とも日本一周をやり遂げて貰いたい。

 この日の晩は、満足感に包まれて眠ることが出来た。

 

 彼に一言。『タバコは20歳になってから吸いましょう。』

 

(注5):伊邪那岐命(イザナギノミコト)は黄泉の国から大八島(おおやしま:日本の別名)に帰って来た時に、身体を清めるために洗い

     ました。この時、左目を洗った時に生まれたのが太陽の神である天照大神だそうです。右眼を洗った時に生まれたのが月の神

     である月読命(ツクヨミノミコト)、鼻を洗った時に生まれたのが地球を治める須佐之男命(スサノオノミコト)。詳しくは『古事記』を

     読んで下さい。神様がたくさん登場するので頭がこんがらがった。

(注6):この時、タヂカラオノミコトが投げた岩戸が長野県戸隠村まで飛んでゆき、戸隠山が出来たと言われています。

(注7):天照大神が天野岩戸に隠れてしまった時、八百万神(やおろずのかみ)が集まられて対策を話し合った所が天安河原だという。

     天安河原に参拝すると、願い事が成就し中風にかからず軽傷で済むという信仰がある。

(注8):ちゃんと書くと、『駅名の長さにかけちゃぁ有名だが、所詮日本じゃぁ二番だ』ってとこですか。←怪傑○バットの早坂健(宮内

     洋)口調で。知っている人は通です。(^^;)

(注9):他の温泉付きの駅としては、宮崎県の高千穂鉄道『日之影温泉』駅、岩手県のJR北上線『ほっとゆだ』駅、長野県のJR中央本

     線『諏訪』駅などが有名。

4月12日(木)

 朝7時頃、鹿児島の若者は長崎に向かうために出発して行った。私も3泊したYH村田屋旅館に別れを告げて出発する。

 午前中に阿蘇周辺を走って別府付近まで北上することにしていた。しかし阿蘇山周辺は曇っていた。天気予報では昼前から晴れてくると言っていたが、寒気が南下してきており戻り寒波で今日は寒い。気温は10度ぐらいだ。阿蘇山頂に向かおうとしたが、山頂付近は厚い雲がかかっている。しばらくすれば雲も流れるだろうと思い、久木野村にある久木野温泉へ向かう。久木野温泉には露天風呂があるのだが、露天風呂から阿蘇が一望出来る。阿蘇を見ながら温泉に浸かることが出来るのだ。これで400円は安い。

 久木野温泉で1時間ほど時間を潰す。11時頃になると阿蘇山頂の雲は去り、麓からでも山頂が見えるようになった。有料道路だった阿蘇登山道路は無料開放されてr111となっていた。白水村からr111に入る。阿蘇の南側から入る車は少ない。r111はほとんど車は走っておらず、貸し切り道路のようだ。急勾配・急カーブの整備された2車線道路を上って行く。

 途中で止まると、足下には広大なカルデラ盆地が広がりごま粒よりも小さい車やトラックが道を行き来しているのが分かる。結構標高の高いところまで来たのだ。

 火の山TNを越えると何やら白いモノがチラホラと・・・阿蘇火口へ向かう阿蘇町営道路に入り料金所で聞くと、先ほどまで雪が舞っていたらしい。今日の阿蘇山頂はかなり冷え込んでいるのだ。

 阿蘇火口に到着する。到着して風の強さに驚く。かなりきつい風が吹いている。おまけに寒い。気温は2度ぐらいだとか。阿蘇山頂に来たのは1996年以来だ。98年の時はガスが発生していために来ることが出来なかった。この日もガスが発生していたが、風向きの関係で登ることができのだが、阿蘇火口の東側は立ち入り禁止となっていた。

 風が強くロープウェイは運休していたが、車やバスで続々と観光客がやって来た。予想外の寒さで写真を撮ると皆早々に退散して行く。火口からはもうもうと噴煙が立ち上がっている。生きている火山を間近で見ることが出来るのは、日本広しと言えども阿蘇山だけだろう。

 『ラドンはここで非業の最期をとげたんやなぁ』(注10)と、他に誰かいれば突っ込まれることを考える。オーバーパンツをはいてネックウォーマを付け、冬場の格好をした怪しい格好で記念撮影して阿蘇山頂を後にした。

 阿蘇は晴れていたが風が強く寒い。草千里に向かうが早々に退散する。すでに身体は冷えてしまっている。頭の中はすでに『温泉』しかない。登山道路を下って阿蘇町の町中へ。ここでGSに寄って給油していると、ツーリングライダーに話しかけられた。今回のツーリング2人目のライダーと出会ったのだ。

 阿蘇町からr11に入り北上。一の宮温泉に立ち寄り冷えた身体を温める。一の宮温泉は一の宮町の老人センターの温泉なので、ここに来る人の8割は地元の老人の方々だった。ここでは間違って危うく女風呂に入りかけてしまうハプニングもあった。(^^;)

 一の宮温泉には露天風呂があったが、折からの気温で湯温は低く、40度ぐらいしかなかった。冷泉に近い。内湯があるのでそちらで暖まった。

一の宮温泉を出た後、ひたすらr11こと『やまなみハイウェイ』を北上し続ける。車は少ないのでマイペースで走り続ける。青空の下快適な2車線道路を走り続ける。風は相変わらず強く吹いている。風で巻き上げられた砂が砂嵐のように舞っている現場にさしかかった時などは、砂が目に入ってエライ目に遭ってしまった。シールドを下ろしていても隙間から入ってくるのだ。

 快晴の牧ノ戸峠を越えて長者原で一度休憩する。近くに寒ノ池地獄温泉という冷泉があるのだが、さすがにこの寒さでは入る気がしなかった。

 長者原を過ぎると『やまなみハイウェイ』も残り半分となる。ここから先は山中を通り抜ける快走コースだ。しかし、前を走る熊本ナンバーの車が異常に遅い。制限速度60k/hにも関わらず40〜50k/hでトロトロ走るのだ。運転しているのはおばはん。抜こうにもブラインドカーブが連続する区間なので対向車が分からないので危険だ。直線区間では対向車がやって来る。なんとも間の悪いことだ。気が付くとその車を先頭に長い車列が出来ていた。私の後ろにはGPZが付いている。

 車は道を譲る気配を全く見せない。この付近には白バイが隠れているので抜くに抜けない。結局、水分峠までの18kmほどをイラ付きながらトロトロ走ってしまった。どこでそうだが、おばはんの運転する車にはうんざりする。

 水分峠のドライブインで休憩する。R210で湯布院へ抜けr11(九州横断道路)を走って別府へと抜ける。観海寺温泉近くの別府YHに向かう。17時少し前にYHに到着。今回で3回目の利用だが、今日の宿泊客は少ないために、いつもの別棟ではなく本棟の2階に案内される。

 一段落してから近くにある観海寺復興温泉に歩いて向かう。96年4月に一度入ったことのある公衆浴場で、入浴券は近くの民家で購入して入るのだ。しかし入口には錠が掛けられており、『部外者の入浴はできません』との張り紙が・・・地元の人以外の入浴は出来なくなってしまったのだ。(T T) 近年、部外者への入浴が出来なくなる公衆温泉浴場が増えている。聞いたところでは、ほとんどの温泉が部外者のマナーが悪いために部外者入浴禁止にしているのだという。公衆温泉浴場は、地元の人達の管理によって維持運営されている。そのことを知った上で『入浴させてもらっている』という気持ちで利用しなくてはならないのだ。

 別府YHには温泉がある。岩風呂の内湯があるのだが、なんと今度は露天風呂が出来たという。それもペアレントの手作りの露天風呂だ。さっそく入らせてもらう。小さい浴槽だが雰囲気は良い。温泉で疲れを癒す。温泉付きのYHは他にもあるが、露天風呂もあるYHは聞いたことがない。おそらく別府YHだけではなかろうか?

 今晩同室となったのは50代半ばのおっちゃん。なんと佐多岬から門司まで歩いているという。1日20〜25kmを目安に歩いているとかで、別府YHで20泊目だとか。出来る間に何かやりたいということで、会社を辞めて旅をしているのだという。目的は日本全国を歩くこと。今回は九州編で、九州を歩き終えたら一旦自宅へ戻って仕事を探すという。好きなことをしておられる。うらやましい生活だ。夕食もおっちゃんと2人だけ。旅の話やYHの現状と将来についてあれこれ話す。

 21時過ぎに道に迷ってやっとたどり着いたというホステラーが2人やって来た。さきのおっちゃんは、部屋で疲れて寝ていたので別の部屋に通される。その後、ペアレントと食堂でバイク談義で盛り上がる。ペアレントもライダーで、積雪・凍結した峠道に行ってエライ目に遭った時の体験談を聞かせて貰う。

 週末になるとフェリーや自走でやってくるライダーが結構いるとか。ライダーの常連客が多いYHなのだ。23時過ぎ、眠くなったので自室に引き上げて寝た。九州最後の夜は静かに過ぎていった。

(注10):1956年公開の東宝映画『大怪獣ラドン』の最後は、帰巣本能によって阿蘇山に戻った2匹のラドンが人間の攻撃により力尽

      き、噴火した阿蘇山火口に落ちて死んでしまう。最後の最後まで飛び立とうとするラドンの姿は涙を誘うモノがある。考えさせ

      られる最後だった。怪獣映画の名場面の一つでもある。

4月13日(金)

 徒歩のおっちゃんは9時過ぎに国東半島に向かって出発する。ガレージでペアレントとバイクを前にあれこれ話した後、9時半過ぎにペアレントに見送られて出発する。

 市街へ行き別府駅前近くにある、別府駅前高等温泉に立ち寄る。町内会が運営している24時間営業の公衆温泉。宿泊施設もある。もちろん部外者の入浴も可能だ。管理人によると、真夜中に福岡市から車でやってくる常連客もいるという。公衆浴場という雰囲気が濃い、お勧めの温泉だ。

 別府市内からR500に入り、別府の北側にある安心院(あじむ)町にる安心院温泉へ向かう。安心院温泉は町外れの丘に上にある温泉。内湯からは安心院町の町並みを一望できる。露天風呂もあるのだが、湯が入っておらず入浴することは出来なかった。

 安心院温泉を出た後、R500を走りさらにR387で玖珠町に向かう。R387は改良工事の真っ最中。3ケタ酷道から3ケタ国道へ変化しつつある。改良された2車線区間は、走る車も少なく快適に走ることが出来た。

 玖珠町から更に南下して壁湯温泉の近くにある宝泉寺温泉に向かう。温泉街の中に混浴露天風呂があるのだ。無料ではなく大人は300円支払わなくてはならないのだが、小銭を切らせていた。近くのホテルで両替を頼むが、『露天風呂は払わなくて良いですよ』と言われる。それも何だったので150円だけ支払う。露天風呂は貸し切り状態。ゆっくりと露天風呂を楽しんだ。

 14時過ぎに宝泉寺温泉を出た後、R210で水分峠へ。ドライブインで昼食を食べる。駐車場に出ると、和歌山ナンバーのVTZが停まっていた。ライダーに話しか

けると、和歌山出身で大分大学に通う大学生だった。暇だったので、やまなみハイウェイを走って来たという。暇なのでやまなみを走ることが出来るのはうらやましい限りだ。やがて荷物満載の室蘭ナンバーのオフロードバイクがやって来た。これから長崎に向かうという。ライダーはバイトをしながら日本をあちこち回っているとかで、長崎が気に入ったので、しばらく長崎を拠点にするという。365日休みみたいなモノだと笑っていた。昨日、阿蘇町のGSで会ったツーリングライダーとも再会。ドライブインの駐車場で、しばらくバイク談義で盛り上がる。

 1時間ほど話し込む。長崎に向かうライダーが出発すると言うことなので、挨拶して各々の目的地に向かって出発して行く。

 湯平温泉に寄る余裕が無くなってしまったので、昨日と同じく湯布院からr11で別府市街へと向かう。

 別府市街に入ってから明礬温泉に向かう。96年の時に入った保養センターは料金が高いのでパス。明礬温泉街は観光客が多かった。観光客がたくさん居て入る気になれずそのまま別府市街に戻る。

【写真左】:R500の標識を撮影中、水分峠で会ったVTZライダーに抜かれる。黒いジャケットのライ

       ダーが彼。偶然撮影してしまった。

 最後にどこか温泉に入ろうと、頭の中は『温泉』しかなかった。公衆浴場は探し出すのに時間がかかるので、デカデカと宣伝していた『わくわく温泉かっぱの湯』という温泉に入ってしまう。24時間営業のレジャー温泉。公衆浴場ではなく、どちらかというとクアハウスに近い温泉施設だ。

 駐車場が広く、フェリーターミナルと国道10号線から近いので利便性は良い。電気風呂や泡風呂・サウナなども完備している。そういう設備がある温泉を好む人にはちょうどよい温泉だ。

 九州最後の温泉となった『わくわく温泉』を出る。17:30頃に別府国際観光港に到着。ターミナルで手続きを済ませ、待機所で夕陽に照らされて待つ。ライダーは私一人だけ。時期が時期だけにツーリングするライダーはいないようだ。

 待つこと40分。ようやく乗船。車両甲板にバイクを固定。最小限の荷物を持って2等寝台に移動する。

 19:00、フェリーは別府国際観光港を出航し、大阪南港を目指す。九州滞在最終日は温泉巡りの1日で終わった。

4月14日(土)

 フェリーはゆっくりと大阪に向かって進んでゆく。大阪に近づくに連れて『日常生活』が近づいてきていた。

 4月14日(土)午前6時20分、フェリーは無事に大阪南港FTに到着。トラックが降りた後、バイクに乗って下船する。久々の大阪だ。『いつもの生活』は目前まで迫ってきている。

 南港から阪神高速湾岸線を南下。助松出口で下りるとそこはもう地元。走り慣れた道を走って、自宅には午前7時頃に到着した。

 バイクを停めて荷物を持って家の玄関を開け、足を一歩踏み入れた。これにて九州ツーリング2001は終了である。

 居間に入ると、飼い猫が『にゃぁ〜』と鳴いて出迎えてくれた。いつもの生活が再開する。

【九州ツーリング2001レポート 終わり】

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