九州ツーリング2001

 

2001年4月6日(金)〜4月14日(土)

福岡県八女郡矢部村のR442にて。

 21世紀最初の長距離ツーリングとなったのが今回の九州ツーリング。前半が3ケタ国道走行をメインとした『道活動』、後半が温泉に入りまくる『温泉活動』がメインのツーリングとなりました。終わってみると九州中央部を縦横に走り、合計1500km弱も走ってしまいました。

 最近、長距離ツーリングに出ると何かが起こる福岡亭あめふらし。果たして今回は雨を呼ぶのか、それとも何かが起こるのか?ZRX1100で回った9日間の記録です。

九州ツーリング2001 その1

4月6日(金)〜4月10日(火)

4月6日(金)

 九州ツーリング出発の日である。

 当初の計画(注1)では、出発は4月5日(木)と決めていた。しかし3月末の週間天気予報では、4月第1週週末の九州の天気は雨。準備の遅れもあり出発を4月6日(金)に延ばす。しかし6日は、九州も含めて西日本は快晴。5日(木)に出発しておけば良かったと思っても遅い。今日の晩に出発することにした。

 昼間は暇だったので(仕事は休みにしていた)、バイク屋に預けたKSRUを引き取りに行く。80回もキックしてもエンジンがかからない状態になっていたのだ。一度エンジンをバラして原因を徹底的に追及してもらっていたKSRUは、絶好調の状態で帰ってきた。原因はエンジン内のスローが詰まっていたためだった。そりゃエンジンがかかりずらいわ。

 当初の計画通り(注2)、絶好調となったKSRUで行こうかとも考えたが、今回はZRX1100で行くことに決定していたため、KSRUを置いて出発準備を進める。『KSRU復活記念ツーリング』は九州から帰阪後に行うことにした。

 準備を済ませて17:30頃に自宅を出発。大阪南港フェリーターミナルに18時過ぎに到着する。ターミナル前にバイクを停めて乗船券を買いに行く。しかし関西汽船の窓口前は大混雑。予備の便として考えていた21時発の松山経由別府行きの便は既に満員御礼・・・

 九州便のフェリーは大抵空いているので、いつも予約はしないのだがこの時は少し焦った。春休み最後の週末ということで混雑しているのだという。家族連れがそこかしこにいる。3月末にオープンしたUSJの袋を持った人達の姿も目立つ。世間には『春休み』というモノがあることをすっかり忘れていた。

 今晩は自室のベットの上で寝ることになるのだろうかと覚悟を決めるが、幸い18:50発の別府直行便のチケットを取ることが出来た。ゆっくりと寝たいので2等寝台を取る。

 18:20頃にフェリーに乗船。バイクを車両甲板に固定してから部屋に上がる。部屋は私の他に初老の夫婦と私の3人だけであった。18:50、鈍い振動と共にフェリーが岸壁を離れ始めた。出航である。これからしばらくの間は日常生活から解放されるのだ。

 ・・・と思った瞬間、携帯電話が鳴った。仕事先の社長からの電話。5月からの仕事のローテンションについてであった。一気に現実に引き戻されるが、全てを後輩に任せることにして早々に携帯を切る。ツーリング中は仕事のことは一切考えない

ことにしているのだ。

 夕食を食べた後、ベットでコースを考える。天気予報では九州地方は4月9日(月)頃前後に雨が降るという。それを想定してコースを再検討する。前半は西九州と3ケタ国道走行、後半は阿蘇周辺で温泉巡りとし、出来る限り雨の日は走らないか移動日にするよう考えた。

 ニヤニヤしながら地図を見る怪しい男を乗せたフェリーは九州に向かって進んで行くのだった。

 

(注1):2001年2月になってから計画を立て始める。この時の期間は、ZRX1100の車検時期を狙って4/5〜最短で4/12、最長

     で4/14としていた。

(注2):当初は車検でZRX1100をバイク屋に預けている間に、KSRUで九州ツーリングを使用と考えていた。しかし2月から謎のエン

     ジントラブルが発生。さらに周囲の人達からの『止めておけ』とか『痔になるぞ』とかいう暖かいお言葉により、KSRUでの九州

     ツーリングは諦めた。

4月7日(土)

 4月7日(土)午前5時頃に目が覚める。ツーリングに出かけると朝型の体質に変わるようだ。もうそろそろ九州が近づいてきた頃なのだが、まだ外は真っ暗で何も見えない。朝食のサンドイッチを購入して朝飯とする。午前6時頃には外は明るくなった。快晴である。

 下船口から下りる徒歩客でごった返すロビーを抜けて車両甲板に6時15分頃に下りる。すると昨晩は無かったバイクが2台停まっていた。カワサキのZZR400とゼファー1100である。乗っているのはカップルの男女で、彼女の方がZZRに乗っているのだ。同じカワサキ乗りということで親近感が湧く。聞いてみると、大分県直入郡直入町にあるSPA直入で、明日(4月8日)に開催される『カワサキ・コーヒーブレイクミーティング』(略してKCBM)(注3)に参加するのだという。

 そのカップルは今日1日九州中部を回って1泊して、明日KCBMに参加して晩の便で帰阪するとか。これから『やまなみハイウェイ』に向かって阿蘇山へ向かうと話していた。うらやましい・・・

 午前6時20分、フェリーは別府観光港に接岸。大型トラックが下りるまで10分ほど待ってようやくバイクの順番がやって来た。午前6時30分頃に下船。ZRX1100としては、2年ぶり2回目の九州に上陸である。(通算では4回目)

 空には少し雲が出ていたが晴れている。暑くもなく寒くもない。ツーリングには一番良い天候である。午前6時40分頃に別府観光港を出発。九州ツーリングが始まった。

 R10に出る。土曜日の早朝ということもあるが、車が結構走っている。トラックの

姿も目立つが流れが良いので気にはならない。別府市街から大分市街までの海岸沿いを、片側2車線の快適国道で一気に南下して大分市街へ入った。

 大分市街でR210にスイッチ。さらにR442に入り九州横断国道を走り始める。初日からいきなり『道活動』である。R442は淡々と山中を走り素朴な集落を繋いで進んで行くローカル国道となった。道端にある畑の小屋の壁には、錆びた『金鳥』と大村コンの『オロナミンC』(?)の看板。道路脇には朽ち果てた廃車体や錆びて動かない昔のジュース自動販売機。昔造りの家が建ち並ぶ素朴な集落。典型的な日本の田舎の風景が広がる。

(かなり偏っているな・・・(^^;) ) いつもの大都市とは全く違う風景の中を走る。

 R442は大分県竹田市を過ぎると表情を変える。久住山の麓の広野を進む快適な道になるのだ。久住山を見ながら西に進む。牧場横を走る時など、一瞬北海道を走っているような錯覚に陥る。とにかく広大な久住高原を突っ切るのだ。

 それまで高原の中の平坦な道であったR442が急勾配・急カーブの道となる。熊本県に入り、何もない広野の中を進むようになると南小国町瀬の本に到着する。時刻は午前9時過ぎ。かなり速いペースで進んでいる。午前7時前に出発したのだから当然だろう。瀬の本で給油して西へ向かう。

 瀬の本の近くには黒川温泉がある。入ろうかと思ったが、おもいっきり有名な温泉となってしまったのでどうも入る気になれない。(私はマイナーな温泉を好むのです。) 満願寺温泉や奴留温泉は以前入ったことがあるし・・・

 で、目指したのが小国町にある杖立温泉。R442を西へと走って小国町でR212に入り10kmほど北に進んで、杖立温泉街に到着する。ガソリンスタンド(以下GS)に立ち寄り場所を尋ねて杖立温泉共同湯に向かう。

 共同湯は杖立川沿いのガードレールのない完全1車線のコンクリート舗装道の行き止まりにある。河原の道をゆっくりと走っていると、向かいから一組のカップルが歩いてきた。どこかで見た顔だ。なんとフェリーの車両甲板で出会ったカップルライダーだった。偶然同じ所を目指していたようだ。考えることは同じなのか?

 道の行き止まりに杖立温泉共同湯があった。混浴無料露天風呂だ。幸い誰もいないので早速裸になって入る。ザブン。

『つめたぁぁぁぁぁ!』

 

 そう。この日の杖立温泉共同湯の湯温は低く、冷泉状態だったのだ。なるほど、先のカップルが入らなかったのはこういう事情があったのだ。自称『温泉好きライダー』でもあるので、ここでおめおめと立ち去るわけにはいかない。たまたま今がぬるいだけ。もしかしたら入っている間に熱い温泉が湧いてくるかもしれないと、10分ほど入るが出てくる気配はない。こりゃいかんと温泉から出る。九州温泉巡りは冷泉から始まったのだった・・・

 杖立温泉から出た後、R442に戻って西へ向かう。11時半前、竹原峠にさしかかる前になると、空腹で頭がぼ〜としてきた。朝5時頃から何も食べていないのだ。当たり前である。R442からr9を走って『地底博物館(鯛生金山)』へ寄る。

 ここのうどん屋でお勧めだという金箔入りの『金山うどん』を注文する。金箔を食べてエネルギーが湧いたのか、元気になった。

 地底博物館に入ろうかと思ったが、入場料1500円もするというので諦める。砂金取りの体験コーナーもあった。楽しめる施設を後にする。

 大分県と福岡県の県境となる竹原峠は急勾配・急カーブが連続する3ケタ酷道区間。いくつもカーブを曲がって福岡県八女郡矢部村に入る。矢部村から黒木町にかけて広がる日向神ダムによって出来た日向神湖沿いのR442は桜街道。何百本もの桜の木が植えられていた。桜は満開を過ぎた頃だったが、まだ満開と言って良い状態。桜の匂いを嗅ぎながら、桜の花びらが舞い踊る桜街道をバイクで走る。バイクでないと体験出来ないことだった。

 黒木町を抜けて八女市・筑後市・大木町と福岡県南部の市町を横断する。大川市に近づくに連れて交通量は増えてゆき渋滞が起こるようになった。走行ペースは一気に落ちてしまいイライラし始める。『九州ツーリングに来てまで渋滞を体験するとは・・・(T T)』 長距離ツーリングに都市部は通らないことにしているのだが、今回はR442で九州横断しなくてはならないので仕方ない。長距離ツーリングでは、極力都市部を通るルートを組まない方が良いのだ。

 大川市でR208に入って佐賀市に向かうが、R208も大渋滞・・・大川市内は停滞と言ってよい。限界に達した。これ以上地道を走るとストレスが溜まる。そんなわけで佐賀市で長崎自動車道に入り、高速で一気に武雄を目指す。わずか26kmほどの短い距離であったが、渋滞もなく自分のペースで走ることが出来たので、ストレスの発散となった。

 15時半頃に武雄市に到着。まずは市内にある武雄温泉に向かう。ちょうど武雄温泉では8日(日)に『武雄温泉祭り』が開催されるとかで、その準備でごった返していた。元湯前にバイクを停め、明治8年建築の木造建物の『武雄温泉公衆浴場 元湯』に入る。大きな天井が特徴の元湯は、歴史と風格のある公衆浴場である。長崎に向かわれる時は武雄温泉元湯に寄ることを是非お勧めする。

 本日の宿泊先は武雄YH。山の頂にあるYHで見晴らしは結構良い。日本一周中という山梨のライダーと定年を迎えて日本を回っているおっちゃんと出会った。

(注3)カワサキ・コーヒーブレイクミーティング(略してKCBM)

 KCBMはカワサキ・バイクマガジン(KBM)が主催するバイクイベント。記念のマグカップを貰って、キャンギャルのね〜ちゃんにコーヒーを注いで貰えるのだ。(^^) もちろんそれだけではなく、いろんなイベントや商品の発売もしている。どこの誰だか知らない人達なのに、カワサキ乗り(バイク乗り)と言うだけで意気投合できるのだ。もちろん他メーカーのバイクでも参加は可。決して石を投げられることはございません。

 KBCMということで、来場するバイクの90%はカワサキ車。絶版稀少車から最新モデルまでカワサキバイクの見本市でもある。5月には琵琶湖バレイでも開催されるのだが、2001年5月に開催された琵琶湖バレイのKCBMでは3800台弱のバイクが集結したとか・・・恐るべし!Kawasakiパワー!!

 

(注4)杖立温泉:ツーリングマップルに『混浴無料露天風呂』と記されていたので行くことを即決。『混浴無料露天風呂』だから行く

                    のです。『混浴無料露天風呂』の混浴の部分に惹かれていたのも事実なんですけどね・・・(^^;)

4月8日(日)

 今日は快晴である。荷物を置いて身軽となったZRXに跨り出かける。武雄YHに連泊して西九州を回ることにしていたのだ。

 R35から西九州自動車道に入り、一気に佐世保市に向かう。佐世保と言えば造船で有名な街である。市内を走ってみる。車やバスが市内を走り回り、ビルが立ち並ぶどこにでもある都市だが1つだけ他の都市にはないモノがあった。在日アメリカ海軍基地である。

 『広い敷地の工場やなぁ〜』と思っていたら、入口には『US NAVY』と書かれた看板とMPが立っている。思わず写真を撮りたいという衝動に駆られるが、MPに撃たれるような気がしたので写真撮影は諦める。自動車道で『US NAVY』と書かれた白いバス(米軍基地内の学校のスクールバス?)とすれ違ったが、佐世保にも基地があることを忘れていた。

 基地の周りには、『ここは日本でないのでは?』と思ってしまうような雰囲気が漂っていたが、佐世保市街で女子高生らしき女の子が真○教の事務所に入って行く姿を見て、『あぁ、ここは日本だったんだ』と妙なところでこの街が日本であることを思い起こしてくれた。

 佐世保市街を抜けて郊外へ向かうと、のんびりとした日本の町並みが続く。小佐々町に入るといきなりネズミ取りに遭う。今は『春の交通安全週間』の真っ直中。前を地元の軽トラが走っていたが、町中ゆえ抜かずにゆっくりとついて走っていたのが幸いした。

 r18から漁港町を抜けて日本本土最西端の神崎鼻へ向かう。駐車場にバイクを止めて少し歩いて神崎鼻公園に向かう。大きな日本地図のある公園で、日本の東西南北端を示している。各端点には簡単な説明文も添えられている。

縮尺は小さいが、大阪の位置から日本の東西南北端を見てみるとつくづく日本は広いと思う。実際に現時点で訪問可能な東西南北端を訪れたのでその思いはなおさらだ。(詳しくはこちら

 『日本本土最西端の地』の碑もあった。しかし地元の若者達がたむろしていたため、写真を撮ることが出来なかったのが残念。(T T)

 神崎鼻を出てから北に向かう。田平町から平戸大橋を渡って平戸島に渡る。平戸大橋によって九州本島と陸続きになった島だ。平戸と言えば、17世紀初頭にオランダ商館が置かれて日蘭貿易の拠点となった街だ。市内のあちこちに当時の面影が残っている。

 島を縦断するR383を走る。島であるが山深い所を走る国道で離島国道の雰囲気はない。平戸市志々伎(しじき)町からr19に入ると、ウネウネと海岸線に沿って進むようになって島を走る実感が湧いた。

 1.5〜2車線の道を走って平戸市宮ノ浦に到着。『日本本土最西端の漁港』が売りの漁港だ。大阪から船と飛行機を使用せず、ひたすら道と橋を歩き続けて到達できる日本最西端の所だ。最北端地が大間崎、最東端地がトドヶ崎、最南端地が佐多岬であることを考えると、よくもまぁ遠い所まで来たものだ。

 来た道を引き返して平戸島を北上する。同じ道を走るのは面白くないので、平戸島の中央付近にある紐差地区から島の西海岸を進むr19に入って北上する。R383とは違い、1〜1.5車線幅が断続するいわゆる『険道』だ。思いっきり『島』を走っていることを実感させてくれる道だった。

 r19険道区間は急勾配・急カーブの九十九折りと共に終わる。2車線道に出て左折すると生月大橋の料金所に到着。生月大橋を渡って生月島に入る。平戸島の北東に位置する小さい島だが、1991年(平3年)7月に生月大橋が完成したことにより平戸島と九州本島と陸続きになった島なのだ。

 生月島にある道の駅『生月島』から大橋を眺めると、つくづく日本の架橋技術の高さに感心させられる。

【写真左】:生月島にある道の駅から撮影した生月大橋。通行料はバイク片道450円。

 島を縦断するr42を北上して、島の最北端にある大婆鼻に向かう。どうもツーリングライダーと呼ばれる種族は『端』や『岬』とあると、必ず訪れてしまう習性があるようだ。かくいう私もその一人だが・・

 大婆鼻は断崖絶壁の岬。目の前には東シナ海の蒼い海が広がっている。青い空と蒼い海。風は少しきついが気分爽快になることが出来る。

 島の西側にある塩俵の断崖を見に行くかどうか迷ったが、時間の都合で寄らずに平戸島に戻ることにする。島は逃げないからまた来ればよいのだ。

 復路はr42ではなく、島の西海岸を走る生月農免農道を走る。この道は信号のない全区間舗装された2車線道で、通る車がほとんど無く、海を見ながら走ることが出来るので気分爽快に走ることが出来る。一方で農道は、断崖の真下を通る道でもあり、その光景に思わず停まって見とれてしまう。

 もし生月島を訪れることがあれば農免農道を走ることをお勧めする。ちなみに農免農道沿いには集落はないので、給油などは町中でしておきましょう。なおあくまでも農道は農道。地元の人の迷惑にならないように心がけましょう。

 生月島から大橋を2つ渡って九州本島に戻る。生月島最北端の大婆鼻から40分ほどで九州本島に戻ることが出来た。大橋の効果は絶大なものだ。

 平戸大橋の九州本島側のお膝元の田平町にある松浦鉄道『たびら平戸口駅』に立ち寄る。何の変哲もない静かなローカル鉄道の駅であるが、日本の鉄道の最西端駅なのだ。駅前には『日本最西端の駅』の碑が建っている。田平町の玄関駅だが静かな駅前だった。

 これで日本最端の鉄道駅4駅を全て訪問したことになる。また1つ目的を達した。(詳しくはこちら) すべて列車ではなく、バイクで立ち寄っているのが残念だ。列車で訪れていたら、ま

た違う感じ方をしたのだろう。

 田平町からひたすらR204を走って伊万里市へ向かう。伊万里市からR498で武雄市に向かうが、残念なことに夕方になると空にはどんよりとした雨雲がかかってきた。武雄市に入る直線になると、パラパラと小雨が降って来た。明日は雨か?

 YHに戻ると、列車で日本を放浪しているという68歳のじーさんが来ていた。今晩の宿泊客は、昨日から宿泊しているおっちゃんとこのじーさんと私の3人だけである。自分の親父とほぼ同年代の人達と過ごすことになった。なんか妙な気分だった。

4月9日(月)

 朝6時頃に起きると空は曇っていたが雨は降っていなかった。これからどうするか考えていると、6時半頃からパラパラと小雨が降りだしたかと思うと、7時前から強く降りだした。今日は雨の1日である。

 雨の中を走ることはしない主義なのだが、明日からの予定もあるので雨の中の移動を決意し、熊本県高森まで移動することにする。

 朝食後、2人のホステラーは雨の中相次いで出発して行く。雨の中を移動することを決意したにもかかわらず、雨脚が弱まることを期待してしばらくダラダラと出発を延ばす。しかし雨脚は一向に弱くなる気配を見せない。諦めて強く降る雨の中を完全防水モードで出発する。

 予定では佐賀市から大川市に出てR443〜R325を走って山鹿温泉と菊池温泉に立ち寄るつもりだったが、大川市内の渋滞にうんざりしていたのと雨であることから、高速で一気に移動することにする。

 給油ために立ち寄ったGSで聞くと、今日は1日雨だという・・・長崎自動車道に入って東に向かって走り出す。雨の中の高速走行は危険なので、70〜80k/hで走る。何台もの車やトラックに抜かれる。中には危険な抜き方をして行くアホトライバーもいる。晴れていたら間違いなくキレて追いかけていたに違いない。箱の中に入って運転している人には、雨の中バイクで走ることがどれほど大変で危険なのか理解できないだろう。

 この日の長崎自動車道は雨だけでなく横風も吹いていた。正確には北よりの風が吹いていたのだが、東西に伸びる長崎道なので、走っているともろに横風になる。この風が中途半端ではなく大変強い風だった。セイフティモードで走っているので、そんなに速度は出ていないはずなのだが徐々に流されているのが分かる。70k/hで走っていたのに、いきなり突風が吹いて2mほど見事に流された時は、めちゃくちゃびびった。

 緊張の連続で気が抜けない。こんな風雨の中を走るならばYHで連泊して寝ている方がマシだった。後悔してももう遅い。今はただひらすら走り続けるしかないのだ。YHを出てから1時間ほどしか経っていないのに、精神的にも肉体的にもかなり疲れ始めている。

 PAが見えてきたが、ここで休憩したら二度と出発出来なくなるような気がしたので、寄らずにひたすら走り続ける。

 大改修されて構造がややこしくなった鳥栖JCTに到着し、九州自動車道に入る。今度は北→南に向かうことになるので、今までの横風はやや追い風となるので気分的にはかなり楽になった。

 大雨の中をひたすら走る。時々前が見えずらくなるほど雨脚が強くなる中、午前11時頃に広川SAに到着。しばらく休憩。ここで高森YHに連絡して予約しておく。

 雨の中、再び走行を開始する。南関ICに近づいた。予定ではここで下りて山鹿温泉に向かうつもりだったが、そんな気はとうに無くなっており、移動することだけ

を考える。

 早くも北熊本SAで2度目の休憩。正午前の天気予報を見ると、明日には雨が上がり天気は回復に向かうという。よっしゃぁぁ!これで今日の危ない行動は報われるのだ。

 熊本ICに到着する。なんと路面は濡れていない。料金所のおっちゃんに聞くと曇っているが雨は降っていないと言う。どうやら大雨は北九州だけのようだった。 

 R57に入って阿蘇方面に向かう。途中、沿道の店から大回りで飛び出してきた車と接触しそうになったが、無事に道の駅大津に到着。上空は曇っていたが雨の降る気配がないので、ここで雨具を脱ぐ。

 この後R325に入って東に向かう。途中、阿蘇白水温泉に寄って雨天走行の疲れを癒す。そして目的地である高森町のYH村田屋旅館に到着したのは15時過ぎ。どこにも寄る気がなかったので、早くも旅館に入って休むことにした。こんなに早く宿に入るのは初めてのことである。

 部屋に入って一段落すると、早速テレビを点けてくつろぐ。テレビでは(故)東野英二郎主演の『水戸黄門』が再放送されていた。うっかり八兵衛と風車の弥七の若いこと若いこと。由美かおるがレギュラー出演となる前のかなり昔の『水戸黄門』だった。久々に東野英二郎の『黄門笑い』を聞くことが出来て大満足でした。

 旅先の楽しみの1つが地元のテレビを見ること。大阪のテレビ局ではまず再放送されない、昔の番組が放送されていることがあるのだ。地元のみに流れるCFを見るのも面白い。ただローカルCFの面白さでは大阪がダントツかも知れない。

 YHなのだが旅館が片手間でやっている兼業YH。基本的には相部屋なのだが、この日は私以外にYH宿泊客が居なかったようなので、6畳の部屋は私一人だけの貸し切りとなった。畳の上で久々に一人でゆっくりと寝ることが出来る。

4月10日(火)

 昨晩は暴風雨だったが、朝方になると風は強いものの雨はほとんど降っていなかった。天気予報では昼頃から晴れるという。

 YH村田屋旅館のガレージにバイクを停めておいたので全く濡れていない。ガレージのある宿は得点が高い。

この日は荷物を置いて日帰りで周辺を走ることにする。もちろん『道活動』も兼ねている。

 朝食後の9時頃に出発する。R265を下って蘇陽町でR218へ。宮崎県五ヶ瀬町でR503に入って飯干峠を目指す。現在の1車線幅のR503の前身は、1967年(昭42年)頃に開通した県道。現在は舗装された道であるが、ウネウネしながら山中を進んでいる。幾つも急カーブを曲がって進むと、広場のある峠に到着した。飯干峠である。ここからの阿蘇方面の眺めはなかなか良い眺めだ。

 飯干峠という峠名は椎葉村内のR265にもある。同名の峠なのだが、歴史的には五ヶ瀬町と諸塚村を分けるR503飯干峠の方が有名。というのも1877年(明10年)8月中旬、明治政府軍との戦いに敗れた西郷隆盛率いる薩摩軍がこの飯干峠を越えて鹿児島へと向かったからである。

 今の道よりもさらにひどい登山道並みの道を登ってきた西郷隆盛や薩摩軍の兵士達は、どういう思いでこの峠を越えたのだろうか? 今の日本人は忘れ去ってしまった(忘れさせられてしまった?)『魂』を持って西南戦争を闘い傷ついた彼らが、今の日本を見てどう思うのだろう?

 飯干峠にある広場に建っている『西郷隆盛退陣路の碑』という碑を見ながら、そういうことをふと考えてしまった。

 飯干峠の南側、諸塚村飯干地区まで下りてくる。峠からここまで民家というモノは一軒もなかった。犬が堂々と道の真ん中で寝ていた。犬も慣れたモノで、こちらが2m位まで近づくまで知らぬ顔して寝ている。ようやく気が付いたフリをして道を空けてくれるのだが、『いい気持ちで寝ていたのに。起こすなよ』という顔で私を見る。そしてまた同じ場所に寝転がって睡眠の続きをする。大変のどかな光景が広がっていた。

 諸塚村飯干地区から南のR503は、谷底の川沿いの道となる。谷底の道を進むとR327へ出た。ここから一旦日向市へ向かう。諸塚村〜日向市間のR327は、耳川に沿って進む整備・改良の済んだ快適な2車線道路。交通量の少ない実に快適な道である。久々の快適な道だったので、我を忘れて走りに夢中になる。

 日向市まで行った後、来た道(R327)を引き返す。途中で西郷村にある西郷温泉に立ち寄る。大内原ダムによって出来たダム湖を一望出来る温泉だ。ここで地元のじーちゃんに話しかけられる。私はあちこちでお年寄りからよく話しかけれられる。話しかけやすいタイプの人間なのだろう。

 諸塚村まで戻って来た。ここからはそのままR327を走って椎葉村に向かう。ところが諸塚村から先のR327は、耳川沿いの1車線道が続く酷道区間。急カーブが連続するが、ほとんど平坦な道が続くのでまだマシな方の部類に入る道だ。

 ウネウネと続く1車線道を走り続けてようやく椎葉村に入る。ところが椎葉村竹の八重地区では崖崩れのために通行止め。引き返してR503を再び走らなくてはならないのかと思ったが、耳川の対岸(南側)に迂回林道があったのでそちらを走って事なきを得た。

 R327を延々と走りいい加減嫌になる頃に、ようやくR265と合流した。椎葉村上椎葉辺りまで行くつもりだったが、すでに夕方を回っていたために北上し高森に戻ることにする。R265は改良工事の真っ最中で、立派な2車線国道になりつつある。道は進化し続けるモノなのだ。

 途中にあった舗装前の深砂利ダートをどうにかパスして先を急ぐ。国見TNを越えても先行車は少なく、マイペースで走ることが出来た。

 18時少し前にはYHに帰ることが出来た。予め宿を確保しておいたので、今日はずいぶんと気が楽だ。それでも酷道走行の濃い1日となったために、身体のあちこちにかなり疲れが溜まっていた。夕食前に旅館の風呂に入り疲れを癒す。

 夕食後、明日のコースを考える。もう1泊して高千穂方面を走ることにして早めに寝ることにした。

 

【九州ツーリング2001 その2】に続く

九州ツーリング2001 その2

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