東北&北海道ツーリング2000

 

2000年9月7日(木)〜9月19日(火)

美瑛の某所にて。

 20世紀も残すところ僅か3ヶ月となった9月、今年も『北海道症候群』が発症してしまいました。寝ても起きても頭の中は『北海道。北海道。北海道・・・』。一度でも北海道を訪れたライダーに良く発症するこの不治の病に効く特効薬や完治させる治療法は確立されておらず、唯一対処療法的な処置として北海道ツーリングに行くと発作は治まるとか・・・

 『作り人』は更に『東北放浪症候群』も併発。この2つの病気療養のため、東北と北海道を彷徨くことにしたのでした。20世紀最後の東北&北海道ツーリング。果たして今年は台風を呼ぶのだろうか

 ほんまに病人になるとは思わなんだ・・・(9/8の記事参照のこと)

東北&北海道ツーリング2000 其の壱

2000年9月7日(木)〜9月12日(火)

2000年9月7日(木)

 出発当日を迎えた。この日は大阪は晴天で絶好のツーリング日和となった。この天気が北海道まで続いてくれればいいのだが、日本の南海上には台風14号と15号が待機している。どう動くかが問題である。

 午前中からパッキングを行い自宅を出発したのは14:30ごろであった。今年も先に東北(仙台)から入るために名古屋FTに向かうことになる。阪和道から高速に入り、西名阪〜名阪国道〜東名阪と順調に進んで行く。今年は去年のように雨には遭わずに何事もなく順調に進んで行く。 

 蟹江ICで高速から下りてr71経由で伊勢湾道に入る。日本の南の海上に停滞する前線の影響か風が非常に強い。名港西大橋は高いために横風が強く流されてしまう。80k/hぐらいまで落として走って名港中央ICで高速を下りた。秋雨前線は徐々に北上しており、さら南にある台風14号の影響により徐々に活発になっているそうだ。

 18時前に無事に名古屋FTに到着。バイクから降りて乗船手続きをしにターミナルビルに向かって歩いて行くと、何故か股間に鋭い痛みが生じた。『?』。この時は変な座り方をしてバイクの振動で筋肉痛になっているのもだと思っていた。

 今年は名古屋から乗るライダーは多い。12・3台ほど停まっていた。うち仙台で下りるのは私を含めて3台だけ。他は苫小牧まで行くようだ。19:30にバイクの乗船開始。そして20:00、船は名古屋FTを出航した。出航後、疲れから寝てしまい夕食を食べ損ねてしまった。晩飯抜きである・・・

(9/7の走行距離:205km)

2000年9月8日(金)

 ここ3年ほどはフェリーに乗る際は2等寝台を予約している。どうも雑魚寝だと隣の人が歩いたりするとすぐに起こされてしまうために熟睡できないのだ。寝台は一応個人空間が作れるので、ほとんど周囲を気にせずに熟睡できるのだ。だが今年は違った。ベットが空いているから勝手に入ってきたのかどうか分からないが、22時過ぎから私のベットの近くにおっさん連中が4人ほど入ってきた。静かに寝てくれたら別に文句は言わないのだが、2等寝台が禁煙にも関わらずタバコを吸い出した。タバコの煙が滅茶苦茶嫌いな私は当然ながら眠ることなど出来ない。他の人の鼾もすごくて眠れない夜になった。

 しばらくラウンジで衛生放送を見ていたが眠らないわけにはいかない。2時頃、無用なトラブルは避けたいので貴重品だけ持って別の空いているベットに転がり込み寝ることにした。

 8日の朝10時頃に目が覚める。朝食の時間も過ぎており朝飯も食べ損ねた。今回は船のレストランで食事をとるつもりだったので、カップラーメンなど持って来なかったので飯抜きとなった。とりあえず風呂にでも入って気分転換しようと思い、船内風呂に向かう。

 風呂にゆっくり浸かて身体を温める。全身の血管が拡張して全身(特に指先など)に血液が通うのがよく分かる。ぼけぇ〜と窓から太平洋を見ながら至福の時を過ごしていた。風呂に入ってから5分ほどしてからだろうか、右脇腹に鈍い痛みが出始めた。最初は『飯を食べないために空腹で痛みが出たのだろう』と思っていたが、どう考えても痛みの発信源が胃の位置からではない。どちらかというと腎臓の位置からだ。しかも痛みの程度はますます増加し始めた。こりゃいかんと急いで風呂から上がりベットに戻る。

 ベットに横になると痛みは更に増加した。うつぶせにも仰向けになっても痛みは続く。右脇腹の背面付近を上にして横になると少しは痛みはマシになる。『空腹からの痛みか?便秘か?盲腸か?』頭の中では考えられる全ての痛みが浮かんでは消えて行く。ならばと脇腹を押さえて必死になりながらラウンジに行きホットケーキを食べたり、便所に行ってきばってみたりするが、何の変化も見られない。むしろ食べた物をもどしたりするだけで、痛みは更に増加した。一度案内所に行ったが船医など乗っていないという。こうなると仙台FTに到着するまで我慢するしかないのだ。

 おっさんのタバコの煙も船内イベントも構っていられない。ベットでひたすら痛みに耐えるだけである。脳裏に仙台港に着いたフェリーから担架に乗せられて運ばれて行く自分の姿が浮かんでくる。相当まいっている・・・痛みは14時頃に最高潮を迎えた。こうなると痛みの原因は一つしかない。最後まで否定したかった一つの病名は『腎結石』だ。5年前の大学生の時に一度発病しているのだ。まさか5年ぶりに、よりにもよってこんな時に発症するとは・・・

 そうなると対処方法は一つだけ。『水分を採る』である。200mlのパック入りのジュースを4本ほど飲むと少しは痛みが治まってきた。バイクには乗ることが出来そうだが、移動は仙台市内までにして病院に向かうことにした。地図を見ると東北大学医学部付属病院の近くにメープル仙台YHがあることに気が付いた。宿は決定。仙台入港前に予約の連絡を入れておく。

 予定より15分ほど早く仙台FTに到着する。下船してからR45を走って仙台市へ向かう。YH周辺が一方通行だらけで迷ったりしたが18時前に無事に到着。着いてからすぐに聞いたことは救急病院の場所であった。

 この頃は痛みはウソのように引いていたのでピンピンしており健康そのものに見えたので、ペアレントはどこが病気か分からなかったようだ。しかし夕食後に再び痛みが発症。約20分間YHのベットの上で苦しむ私を見て、尋常なことではないと思われたのだろうか、ペアレントは車で救急病院まで運んで下さった。

 診察の結果はやはり『腎結石』。痛み止めの座薬と尿管の動きを鈍らせる薬を貰うが、薬は飲んでも効果がないと言われ水分を採って運動しろと言われた。

 かくしてツーリング初日のなが〜〜〜〜〜〜い1日は終わった。

(9/8の走行距離:19km)

↑処方された薬。結局一つも使う

 ことはなかった。(以前のTOP 

 写真で使用しました。)

2000年9月9日(土)

 予定では今日は山形経由で日本海方面に抜ける予定だったが、身体の状態がああいう状態なので移動するるのはやめて様子を見ることにする。とにかく結石を外に出さないといけないのだ。YHのペアレントさんはツーリングを止めて帰阪した方がいいとおっしゃって下さったが、次の名古屋行きのフェリーは明日なのでどちらにせよ今日1日は仙台に居なくてはならないのだ。

 今日は水分を採って運動することにし仙台観光することに決めた。前線の影響で小雨が降る中、YHから歩いて仙台駅に向かった。約40分で仙台駅に到着。

 駅前から仙台市内の名所を循環する観光バス『る〜ぷる仙台』に乗込んだ。600円の1日乗車券で乗り降りし放題だとか。一回乗車は250円(大人)なので3回乗れば元を取れるのだ。乗車券を提示すれば入場料も割り引いてくれる施設もあるので、かなりお得な乗車券なのだ。 

 バスは9:00〜17:00まで30分おきに走っているので各施設を十分に見て回ることが出来る。バイクではなく、たまにはバスで彷徨くのも良いかも知れない。

 最初に訪れたのは瑞鳳殿。『独眼流政宗』こと伊達政宗公の霊屋である。うっそうと生い茂る経ヶ峯の森は、折からの小雨でさらにいい雰囲気を出してくれている。参道の石段を上り入館料450円(割引価格)を払って中に入る。瑞鳳殿は化粧直しということで回りに足場が組まれていたが、豪華絢爛たる造りには圧倒された。

 現在の瑞鳳殿や二代目藩主忠宗公の霊屋である感仙殿、三代目藩主綱宗公の霊屋である善応殿は、全て太平洋戦争中の1945年(昭20年)7月10日の仙台大空襲により焼け落ちてしまい、戦後の1979年(昭54年)に復元されたものである。瑞鳳殿隣の資料館には復元の際に発掘された様々な遺品や建物の破片が展示されている。政宗公の遺骨から復元された容姿像や遺骨のレプリカがあるなど、結構中身の濃い展示内容となっていた。

 次に仙台城(青葉城)跡に向かった。2車線の急勾配・急カーブが連続する道の途中にバス停があった。仙台城は明治初期に出火で跡形もなく崩れ去り跡地には護国神社が建てられていた。まずはお決まりの伊達政宗公騎馬像で記念撮影をする。ここでいわき市に住む佐川さんというBMWのR100に乗るライダーと知り合う。サイトを開設されたところだとかで、初対面ながらリンクを貼らせて頂くことにした。ツーリングに来てサイトのリンク先を見つけるとは意外なことであった。

 青葉城資料館を出たあと、またバスに乗って東北大学理学部自然史博物館に向かった。ここには地球の構造や生命誕生から現代まで様子を(カンブリア紀や白亜紀などの)時代別に分けて分かりやすく展示している。いろんな化石や鉱石がたくさん展示されており、天井には鯨の骨格標本が吊されている。ステゴザウスルの骨格標本などもあり楽しめる博物館である。もっとゆっくり見学したかったのだが、閉館時間が迫ってきたので博物館を出てバスに乗った。

 9月9日と10日、『定禅寺ストリートジャズフェルティバル』が開催された。今年で10回目を迎えるお祭りだそうで、仙台市内のあちこちを会場として開催されるのだ。アマチュアバンドからプロの方まで、ロックやカントリー、ジャズなど、バンドの年数や経歴、演奏ジャンルなど関係なく、平等にストリート演奏出来るというイベントなのだ。

 『る〜ぷる仙台』で仙台市街に戻ると、公園や大きな通りの歩道など市街のあちこちでいろんなバンドが生演奏をしている。『ドクターストップ』というバンドの演奏が目に留まり、すぐ近くのバス停で降りて観客の1人となってしまった。

 この後市街を少し歩く。あちこちでバンドが演奏しており、少し歩いては演奏を聴くために停まり、また少し歩いては演奏を聴くために停まる・・・なかなか前に進まない。高校生のアマチュアバンドからプロ級の腕を持つジャズバンドまで、様々なバンドが楽しく演奏している。聴く側も熱心に聴いている。演奏する側と聴く側の垣根は一切無い。

 演奏場所は公園などの他にも、銀行や車のショールーム前など歩道に面した広い場所で行われていた。場所を提供する人達の理解があってこそ開催できるイベントなのだ。スタッフもボラインディアらしく、地域の人達の協力で開催されているのだ。かれこれ10年も続いているとは、実にうらやましいイベントだ。

 結局、市街からYHまで歩いて帰った。今日1日でかなり歩いた。その努力の甲斐あって、19時過ぎに無事に腎結石が出てきた。薄ぺっらい黒い色をした大きさ2mmほどのモノだった。これが昨日私を10時間ほど苦しめた石なのだ。以前の経験から言って、もうこれで痛みは出ないだろう。ツーリング続行決定である。

(9/9の走行距離:0km)

2000年9月10日(日)

 東北に向かうと同時に秋雨前線が北上し、仙台に滞在すると前線は東北地方に停滞してしまった。完全に前線と一緒に北上している。いや前線を呼んでしまったのか?とにかく明日も東北は雨らしいので、予定を1日繰り上げて今日の仙台初の便で北海道に渡ることにする。

 同室の京都のライダーは自走で京都まで帰るとかで、雨が降る中、筑波に向けて出発して行った。私も出発準備を終える。10時頃になると雨は上がり少しではあるが薄日が射してきたので出発することにする。

 大変お世話になった『メープル仙台YH』のペアレントに厚くお礼を言ってYHを出発した。 

 後日、このYHを訪れた知人によると、私のことはかなり印象に残ったようで、しっかりと覚えていたとか。お世話になりました

 YHを出発した後、仙台市街を抜けてR286に出る。秋保温泉に寄った後、笹谷峠を越えて山形に向かおうとしたが、峠は崩土で全面通行止め。高速で山形に向かおうと考えたが、峠の向こうには分厚い雨雲がかかっている。高速の電光掲示板には『山形自動車道 濃霧 通行注意』との表示が。山形行きは止めて仙台周辺を彷徨くことにした。

 R457を走って青根温泉に寄る。公衆浴場は2箇所ある。私が入ったのは宿街の中にある『名号館』の方。(もう一つはR457沿いにある『大湯』)こちらの公衆浴場は雰囲気が良くお勧めの温泉だ。フェリーの時間までまだまだ時間があるので温泉でゆっくりとくつろぐ。仙台在住のおっちゃんとしばらく話す。大阪から来たというと驚いていた。やはり東北の人にとっても大阪は遠い土地なのだ。

 温泉から出ると雨が降り出した。降り出して間もなく本降りとなり、かなり雨脚が強くなった。どうやら笹谷峠の向こうにいた雨雲が峠を越えてやって来たようだ。土砂降りの中、ワインディングのR457を走って麓を目指す。寄るつもりだった峨々温泉にも遠刈田温泉にも寄らずにr12をひた走る。

 気が付くと雨は上がり路面は乾いていた。降っていたのは山の中腹より上だけのようだ。これから蔵王方面に向かうツーリングライダーに何人かすれ違ったが、皆雨具は付けていない。平野部は曇りなのだろう。 

 雨具を取らずにそのままの格好で村田ICから東北道に入る。菅生PAで休憩。ここで雨具を脱ぐ。松島まで足を延ばそうかと思っていたら突然雨が降り出した・・・そしてすぐに雨脚は強くなった。一瞬にして駐車場が池と化す。脱いだ雨具を再び着ることになる。全くツイていない。 

 雨脚が弱まるのを待っていると、昔ライダーだったという観光バスの運転手が話しかけてきた。バイクで休憩していると、結構元ライダーという方が話しかけてくれる。バイクに乗っている者の特権なのだ。一度事故を起こしてバイクから降りたという話など15分ほどいろいろと話す。やがて観光客を乗せて出発して行ったが、出発の際にホーンを鳴らして挨拶してくれた。手を挙げて答える私。バスの乗客は『何者?』という目で私を見ていた。

 東北道を北上する。雨は仙台南ICを過ぎると上がり路面は乾いていた。仙台宮城ICで下りてR48(仙台西道路)経由で仙台市街に入る。あちこちで生ライブが開かれている。雨が降った形跡は全く見当たらない。『?』全く分からん天気である。仙台市を避けるように雨雲が動いているとしか考えられない。

 停まって雨具を脱ぐ気になれずそのまま走る。とりあえずR45を塩竃まで行くことにした。しかし多賀城市に入ると雨が降り出した。すぐに雨脚は強くなり豪雨に近い状態になる。一瞬にして路面は水浸しになる。マンホールとセンターラインに注意して走る。とてもじゃないが塩竃や松島海岸まで走る気になれず、そのまま仙台FTに向かった。FTに着いたのは16:30頃。バイクは1台も来ていない。タンクバックを持ってターミナルにずぶ濡れの格好で入って行った。

 閉鎖した東日本フェリーのカウンターの前に抜いた雨具を置いて乾かす。太平洋フェリーのカウンターが開くまで待つことにする。やがて山形在住のライダーさんがやって来た。続いて東京から来た3人組も到着。実はこの3人組は、それぞれ全く知らない者同士だったとか。雨の中休憩するPAやSAが同じだったために、いつの間にか3人一緒に走るようになったという。全く知らない者同士が、こんなことで意気投合することがあるからツーリングはやめられない。出逢いは本当に面白い。

 以後、フェリーの出発まで私を含めたこの5人のパーティーで行動する事にする。一緒に晩飯を食べたあとこれからの予定など聞いて盛り上がる。やがてフェリーへの乗船が始まる。いろいろあった仙台ともこれでお別れだ。短いようで長かった仙台であった。

 20:00、フェリーは仙台FTを出航した。

(9/10の走行距離:146km)

2000年9月11日(月)

 仙台からのフェリーも2等寝台を取った。2等寝台を取ったライダーとチャリダーは全員同じ区画にまとめられたようだ。どうやら隔離されたようだ。それはそれで周りとも話がしやすかった。初めて北海道に向かう人やチャリダーさんなど、いろんな人と情報交換が出来た。

 10日は雨の中の走行ということもあり疲れていて熟睡した。寝タバコや鼾、腎結石の痛みに悩まされることはなく11日朝を迎える。昼前に到着なので船内をウロウロする。北に向かえば晴れるのかと思っていたが、どうやら前線も船(それとも私?)に合わせて北上しているようで、空には分厚い雨雲しか見えない。晴れはどこに行ったのだ?

 定刻より10分遅れの10:55に苫小牧FTに到着。雨は降っていないが天気は曇り。さっきまで雨が降っていたのだろう、路面は濡れている。天気予報ではこれから晴れるようなことを言っていたが、経験から言って間違いなくまた雨が降る。そういう雲行きだ。この雲は。

 船の中で乾かした雨具を着て出発の準備を整える。他の人達も荷物にレインカバーを掛けたりする。仙台であった5人は、1人また1人と出発して行く。またどこかで会えるだろうか? 

 この日は、もう一つのサイト(3ケタ国道放浪記)のネタ集めのために札幌市街に行かねばならなかったので、道央自動車道に入った。予想は的中した。千歳ICから北は雨。結構強く降っており、大型トラックや観光バスが追い越して行くと、水滴で一時的に視界が見えなくなる。雨の中の高速走行は非常に危険なのだ。抜かれようがパッシングされようが80k/hで大人しく走る。

 札幌に入る手前で一時止んだが、札幌市街に入ると大雨となった。R5などは一面水浸しになる。路面状態が悪いので50k/hで走るが、横を80k/hぐらいで追い抜いていった車に水をぶっかけられた時はまじでキレかけた。その車は20才くらいのねーちゃんが運転していたのだが、エアコンの効いた車内で快適に音楽でも聴きながら運転しているのだろう。なのに私は大雨の中何をしているのだろうかと考えてしまう。

 この雨ではネタ集めどころではない。ネタ集めは最終日にする事にし今日は下見で終わらした。

 江別西ICから道央道に入る。今日中に(道央道〜R233〜R232で)羽幌町か(道央道〜R40で)美深か名寄付近まで行くつもりだったのだ。大雨の道央道をひた走る。どこまで行っても同じ様な風景が続く。そしてどこまで行っても雨雨雨・・・疲れが溜まり走るのが嫌になってくる。

 砂川PAに入る。状態は最悪に近い。ゴアテックスのグローブは指の中に水が溜まっている。レインウェアもずぶ濡れで、既に下に着ていたジャケットにまで水が染み込み始めていた。ブーツカバーをしているにもかかわらず隙間から水が入り、ライダーブーツも濡れ始めている。一気に走るのが嫌になった。

 予定していたコースはあくまでも快晴というのが前提条件。雨の中走るのは嫌になったので、旭川にほど近い美瑛の定宿『星の庵』に泊まることに決めて連絡を入れる。聞くところでは美瑛では雨は降っていないとか。

旭川まで走ってみる。雨は深川付近から上がり、空は曇りで路面はドライという状態だった。旭川市街は雨が降った形跡がない。美瑛まで走ったが雨は降らなかった。一体どうなっているのだ、この天気は?

 『星の庵』に着いたときにはヘトヘトだった。疲れ切った身体でバイクを納屋に入れて、バイクの周りに雨具を吊して乾かすことにする。宿に入ると見覚えのある人が何人かおられる。この時期になると長期連泊している常連組の方々だ。そういえば去年もこの時期に『星の庵』で会っている。

 晩、TVで名古屋の豪雨による河川決壊のニュースを見る。名古屋はどえらいことになっているのだ。宿のヘルパーさんの1人は名古屋出身で、友達の安否を気にしていた。私もツーリング仲間で名古屋市内に住んでいる人がいるので、心配になる。被害に遭われた方にお見舞い申し上げます。

↑11日晩の食後の記念写真。

 ニュースを見ていて考えたことがあった。もしも9月9日に北海道ではなく名古屋行きのフェリーに乗っていたら、翌9月10日の豪雨の時に名古屋に着き、そして豪雨の中大阪に向かって走らねばならなかったのだ。何気なく選択した行動が良い方に転がったのだ。そう考えると雨でも北海道に来て正解だった。

(9/11の走行距離:259km)

2000年9月12日(火)

 朝起きると雨が降っていた。今日は昼前まで雨が降るが、昼過ぎからは晴れるとか。とにかく雨の中出発する気になれないので、早々に連泊する事に決める。出発組が次々に出発して行く。私はやることもないし、行く所もないので宿でだらだらと時間を潰す。11時頃になると青空が広がった。3日ぶりに太陽を見る。

 『星の庵』では現在増築中なのだが、建物の基礎以外は全て宿のオーナーの手作りで建てることにしているとか。オーナー1人だけではいつ完成するか分からないので、専属ヘルパーの他にもヘルパーの人達が交代で建設作業を手伝っていた。暇なので手伝っても良かったのだが足手まといになるだけだと思いやめておいた。その代わりに別のヘルパーさんが担当していた、ぬかるんだ道に砂利を運んで整地する作業を手伝い、そのまま宿の昼飯までご一緒させていただいた。お昼のカレーおいしかったです。

 昼過ぎから宿のMTBを借りて美瑛を彷徨くことにする。美瑛の丘は、車や観光バスで移動する所ではない。自転車で移動するべき場所だ。時間があるならば自転車で彷徨くことを勧める。体力が必要ですけど・・・

 

ここ4年間連続で美瑛を訪問しているのだが、年々観光客が増えて行く。それにつれて有名なポイントには駐車場や土産物屋などが作られる。ケンとメリーの木の近くには、以前はなかったはずの土産物屋がオープンしていた。他にも有名なポイント付近には展望台などやたらと施設が作られ、観光客が押し寄せている・・・

 『なんじゃこりゃ?』あまりの美瑛の姿の変貌に唖然とする。ダートだった農道は次々と舗装され、絵になる木には『なんたらの木』という名前が付けられ、近くには駐車場と土産物屋が出来る。この俗化は一体・・・私らは

何もない『素』のままの美瑛の丘の風景を見に来たのであって、本来そこにはない『人工物』である駐車場や土産物屋などを見に来たわけではないのだ。

 しかし、これは遠く離れた大阪に住む者の勝手な考え。そこにはそれで生計を立てている人がいるわけだから、駐車場や土産物屋を作るのが悪いというわけではない。なければそこいら中に路駐車があふれ、農作業をする方の邪魔になるわけだし、展望台を作らなければ勝手に農地を踏み荒らす不届き者が続出する。有名になって観光客が押し寄せる分、捨てなくてはならない部分があるということなのだ。問題なのはその場合、どれを取って何を捨てるのかなのだ。

 何も美瑛全体が俗化したわけではない。有名ポイントから少し離れれば『素の美瑛』の風景があり、美瑛の9割はまだそういう風景で占められている。その気になって探せば『お気に入りの場所』は無尽蔵にあり、それを探し出すことを楽しむことがまだまだ出来る。願うことは、これ以上『素の美瑛』の風景を壊さないで欲しいということだけだ。

 今年、美瑛を彷徨いている最中でも、何故かこういうことをず〜っと考えていた。30才台の大台に乗ると、考え方も変わるのだろうか。

(9/12の走行距離:0km)

◇◆◇ 美瑛の風景2000 ◇◆◇

ない方がすっきりするので、ロゴは入れてません。(禁:無断複製・転用)

東北&北海道ツーリング2000 其の弐

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