◆東の川簡易郵便局

 坂を上りきると平屋建ての民家が並んでいました。その一番手前の建物が東の川簡易郵便局です。『〒』と『東の川簡易郵便局』という看板がなければ一般の民家にしか見えません。入口の扉は開いており、営業していることが分かります。中をのぞいても誰もいません。窓口取扱時間は8時30分〜14時30分。まだ取扱終了時間ではないので営業しているはずです。

 中は民家の玄関先という感じですが、あちこちに積まれた郵便局のパンフレットやチラシで、ここが郵便局であることが分かります。窓口の窓は内側から鍵がかかっていて開きません。

 「すみませ〜ん」と呼んでみると、奥の部屋から「はぁ〜い」との返事が返ってきました。ガラッと引き戸

を開けて局長さんが出てこられました。お名前は風呂本さんとおっしゃいます。

 ガチャガチャと窓の鍵を開けて窓を開けてくれます。

あめふらし:こんにちわ〜。

局長さん:なんですか?

あ:あ、葉書いただけます?

 場所が場所だけに品切れの可能性があったので、集合場所のローソンで3枚買っておいたのですが、葉書があったので10枚購入します。怪しい謎のバイク集団の我々に対して、特に警戒する様子もなく葉書を出す局長さん。参加者に配り、各々住所と文を書いて窓口に提出します。窓口に出さないと郵便局の印は押してもらえません。建物正面にある郵便ポストに投函すると、上北山局の局印が押されるとのこと。局印を欲しい方はご注意を。

 この後、管理人@あめふらしは郵便貯金を作るべく手続きをします。そのために印鑑を持ってきたのです。申込用紙に必要事項を記入。身分証明書として運転免許証を提出します。

 普通の郵便局(オンライン局)であれば、職員がキーボードをカタカタと押してコンピューターに必要事項を入力して印刷するのですぐにできあがります。入力と同時に、情報はラインを通じて所轄の貯金事務センターコンピューターに一瞬で転送されるのでしょう。ところが東の川局はオフライン局。そう電話線が通じていないのでオンラインできないのです。公衆電話があるので電話線があるかと思うかも知れませんが、これは無線電話なのだそうです。

 ゆえに、通帳作成の際はすべて手書きで記入して行くので、一冊の郵便貯金通帳を作るのに時間がかかります。昔はどこの局でもこうしていたんでしょうね。作る間黙っているのもなんだったので、いろいろとお話をします。

あ:こうしてやってくる人は多いんですか?

局:そうですねぇ〜。(夏休みなどの)休みの時は多いですよ。どっから来たの?

あ:大阪です。

局:そう。わざわざ遠いところから。道が大変だったでしょ。(笑

 気さくな感じの局長さんです。おそらく、ここを訪れた人達が必ず質問するであろうことを、管理人も聞いてみます。

あ:ここで何年いらっしゃるのです?

局:前の人から引き継いでからだから、かれこれ20年ぐらいかな。

あ:ええっ?そんな前からですか。まさか、ここに住んでいるとか?

局:いえいえ。自宅は尾鷲にあります。

 なんと局長さんは尾鷲の自宅からここまで通っているとのことです。Σ(゚Д゚)マジッ!? 道はR425でしょう。あの1車線狭路の悪路をカブで走ってこられるとは恐れ入ります。大雨の時もそうですが、冬場の路面凍結・積雪時の走行が一番怖いそうです。

 今の郵便局がある集落は、水没前の東ノ川地区の中心地であった宮ノ平地区が移転してきた集落です。今でも数軒の民家があり、鉄筋建ての会館もあります。ところが民家の雨戸や扉は閉まっており、人が住んでいる気配はありません。会館も扉は閉まっており、ガラス越しに見える廊下はここ数年掃除しておらず使用されていないように見受けられます。

 聞くと今ここで住んでいる人はおらす、尾鷲などの他の所に住んでいるそうです。

局:年数日(数回)ですが、(家の手入れなどで)帰ってくるんですよ。

 ・・・ということは、その人達のために、年数日のためだけに開いているようなものなのです。

局:(郵便公社が)民営化されたら、採算とれないので閉鎖でしょうね・・・

 少し寂しそうにおっしゃいました。民営となったら採算の取れない郵便局は次々と閉鎖される可能性が高いのです。オフライン局の上、住民が住んでいない地区の郵便局は真っ先に閉鎖されるかも知れないというのです。ガ━━━(゚Д゚;)━━━ン!

 今の簡易郵便局は、水没前からあった郵便局の後継局ということになります。水没前は東の川地区全体の郵便・貯金などを手がけていたことでしょう。水没後、転出せずに残った23世帯の人々のために郵便局も残りまいした。引き続き住む人々にとってはなくてはならない郵便局だったのです。>>参考

 今では過疎化で人口が激減したとはいえ、まだ民家があって住んでいる人達がいます。わずか数人の住民のために、しかも年数日しか集落に帰ってこない住民のために、毎日営業している郵便局は、採算性など度外視した郵政事業本来の姿を映している気がします。

 民営化されても郵便局の数は減らさないそうなので、民営化後もしばらくは残るでしょうけど、将来、今の局長さんが引退されたら閉鎖されるかも知れませんね・・・。。・゚・(ノД`)・゚・。  2005年4月1日をもって本当に閉鎖されました・・・<<郵便局閉鎖!

 さて通帳作りの話に戻ります。ポケットの中にあった200円を貯金しました。金額を記入するため、何やら大きな判子を出してきます。数字を合わせ、定規を当てて位置を慎重に確かめてから、ガチャンと力一杯判子を押します。

局:(通帳の記入欄の)幅が狭いので、ちゃんと位置を決めてからでないとずれてしまうんですよ。

 後々、通帳に記入することを考えて判子を押してくれました。判子の文字は、欄からはみ出ずにピタリと収まっています。職人技ですね。初めてから約20分ほどで管理人@あめふらしの通帳

が完成しました。ヽ(゚∀゚)ノ

 管理人のあと、AOさんとひすあきさんが貯金をして通帳を作りました。もちろん手書きでの手続きです。局長さんがお一人で手続きされるので、一人当たり30分ほど時間がかかります。管理人とAOさんの手続きの間に、ひすあきさんが沢の水(湧き水)を使ってコーヒーを煎れてくれたので頂きました。m(_ _)m

 取扱が終了する14時半過ぎ、ひすあきさんの通帳ができあがります。最後に5円切手2枚を貼った用紙に、『奈良東の川16.9.21』という局印を2種類押してもらいました。これは昔、局印集めをされていたひすあきさんから教えてもらいました。

 最後に、

あ&ひ:すみませんねぇ。いきなりたくさんのバイクで押しかけて。

局:いいえ。いきなり大きな音がしたから雷かと思ったよ。(笑

  これからまた帰るの?

あ:はい。来た道をまた戻ります。

局:帰り(復路)は行き(往路)よりも早く感じるからねぇ。早く帰ることが出来るよ。

あ&ひ:そうですねぇ〜(笑

局:それじゃあ、気を付けて帰って下さいよ。

 局長さんの優しい笑顔と暖かい言葉、それに局長さんの飼い犬に見送られ、14時半過ぎに東の川簡易郵便局を出発しました。

 あ、。国民年金を東の川簡易郵便局で納めたらよかった。それに為替も購入しておけばよかった。・・・などと、郵便局を後にしてから思いつく管理人でした。宿題が出来ました。(^^;)\(_ _)<オイオイ・・・

東の川簡易郵便局

取扱時間は8:30〜14:30まで。平日のみで

す。お盆と年末年始はお休みだそうで。

普通の民家ですが、〒マークで郵便局であること

が分かります。

取扱は年金と保険以外です。オフライン局なので

ATMはありません。

『東の川簡易郵便局』の看板をバックにKSRU

を撮影。確かにここに来ました。

別角度から。中ではAOさんが通帳を作っており

ました。

たったお一人で業務をこなされてきた局長さん。

本当にお疲れ様でした。m(_ _)m

◆下北山温泉『きなりの湯』

 東の川簡易郵便局を後にした13台のバイクは、走ってきた山中のクネクネ狭路を戻ります。尾鷲に抜けるかサンギリ林道経由で上北山村河合に抜けるという話もありましたが、一刻も早く食事&温泉ということで下北山村に戻ることにしました。一度走っただからでしょうか?なぜか帰り(復路)は走りが早いような気がします。何ででしょか?

 管理人@あめふらしのKSRUを先頭に、下北山温泉『きなりの湯』に到着したのは15時過ぎ。

ツーリングオフ会の定番である『温泉』ですが、すぐに温泉には入らずに食堂へ。『温泉よりもまずは食事』 ここで遅めの昼食を食べます。時間の都合で昼飯を食べていなかったのです。

 空腹を満たしたあと温泉へ。ナトリウム炭酸水塩泉の湯は、爆走&酷道走行で疲れた体を癒すに十分でした。ここは露天風呂もあって設備も整っています。露天風呂の岩風呂に皆が集まりあれこれ話して楽しいひとときを過ごします。

 温泉から出た後、和室の休憩室へ。AOさん他数人の参加者が疲れて寝ておりました。管理人も横になるとつい寝てしまいました。【満腹+温泉=睡眠】 これは道理ですね。

 陽が暮れ始めた17時過ぎ、下北山温泉を出発。大阪に向けて帰路につきました。

◆第2のハプニング

 駐車場に戻り出発準備をします。ここであることに気が付きました。

『2ストオイルが残り少ない・・・』 Σ(゚Д゚)

 管理人のKSRUの2ストオイルが、残り約1.5cmぐらいとなっていたのです。往路の道の駅『杉の湯』を出た辺りから、警告ランプが点いたり消えたりしていたのですが、R425に入る頃にはすっかり点灯し続けていたのです。残りが少ないということです・・・。

 以前、同じくKSRUで十津川に向かう時、五條を過ぎた辺りから警告ランプが点き続け、非常にやばい状況に陥ったことがありました。この時は、十津川(風谷ダム付近)から帰るときはヒヤヒヤもので絶えず残量をチェックしながら走りました。新天辻TNを出てから下りは極力エンジンを切って惰性で下って行くなど、涙ぐましい努力をして走り続け、どうにか自宅に帰り着いた時はガッツポーズを取りましたね。

 このときの経験で警告ランプが点き続けてからでも約200kmはもつということは分かっていたのですが、今回は減りが速そうな気がします。

『やばいかも・・・』

 今回は、復路の途中でエンジン焼き付きを覚悟しなくてはならないかも知れません・・・。((((((;゚Д゚))))))ガクガク

バッテリーがヘタっているのもそうですが、2ストオイルの確認すら怠るとは、最近弛んでいた証拠です。バッテリーは上がってもどうにか走ることが出来ますが、2ストオイルが無くなるとどうにもなりません。駐車場で皆が準備をしている中、管理人一人だけが焦っておりました。((((((;゚Д゚))))))ガクガクブルブル

 ところが幸いなことに、AOさんが2ストオイルを持っているということなので、分けて頂ける(正確には頂く)とのこと。絶えず携行しているそうです。やはり、酷道走行するならば2ストオイル必携ですね。AOさん、ありがとうございました。m(_ _)m

◆R169爆走

 懸念であった2ストオイル問題も解決。オイルを得たKSRUは、心なしか往路に比べるとパワーが出ているような気がします。

温泉を出発した13台のバイクはR169を北上します。交通量も少ない快適な道。見通しの悪いカーブが連続しますが、軽い原付バイクなのでそう苦にはなりません。直線区間などは喜々として走って行きます。追禁ではない区間でミニクーパーを抜き去り、管理人を先頭に爆走して行きます。(^^;) ミニクーパーを運転していたにーちゃん、スンマソン・・・

 温泉を出発してから20分ほどで道の駅『吉野路上北山』に到着します。約20kmの距離ですから、平均速度は60k/hとなりますな。山中のワインディング道路としてはハイペースですかね。疲れたのと、列が延びすぎたために皆が集まるまで休憩&給油です。その間に追い抜いたミニクーパーを始め数台の車に追い抜かれます。

 15分ほど休憩。駐車場の隅に止まっていた2人組のおね〜ちゃんライダーが出発する少し前に、我々も出発。再びR169を北上し始めます。

 伯母峰TNを抜けてR169伯母谷道路に入ります。今度は下りのループ橋に突入です。快適な

TNを抜けると右カーブ。ここをどうにか速度を落とさずにクリアして、そのまま例の長い栗の木TNに突入します。エンジン音が響きまくるTN内。先行車のテールランプは見あたりません。またもや追いかけられているような気がしてスロットルを開けて走ります。気が付くと(ノ∀`)アチャーk/h出しておりました。(^^;)

 大滝ダム横の区間では、またもやミニクーパーを追い抜きます。やがて前に4駆が走っていたので、速度を落とし後について走ります。もうすぐ道の駅なので抜く必要もなかったのです。すると高原TN直前の橋の上で、頭のいかれたDQNが運転する「エル●●●ド」が対向車線を猛スピードで我々と4駆を追い抜きTNに向かって爆走してゆきました。もちろん追い越し禁止区間です。しかも先にあるTN内はカーブとなっており、対向車からは見えません。もうね、アホかとバカかと・・・。これには怒るよりも呆れました。(゚д゚)ポカーン ほんと、自分勝手なDQNが増えましたね。┐(´-`)┌

◆ゴールは目の前

 道の駅『杉の湯川上』に到着したのは18時頃でした。すっかり陽は暮れています。ここで休憩。休憩中に追い抜いたミニクーパーと2人組のおねーちゃんライダーが通り過ぎて行きました。ここでタダジーさん、かいせいさん、MSTさん、Y川さんが先に出発してご自宅に向かわれます。お疲れ様でした。

 18時半頃に9台で出発。吉野川を渡る辺りから交通量が増えてきたので、のんびりと車の流れに合わせて走って行きます。

奈良県御所市辺りまで来ると雲行きが怪しくなって来ているのに気が付きました。まだ雨は降っていないのですが、重く暗い雨雲が広がっています。これはやばい・・・。

 R309水越TNを越えると大阪府に入ります。南西の方角には雨雲が広がり、時々光っています。雷だ・・・。Σ(゚Д゚)<マジッ!?

 19時20分頃に道の駅『かなん』に到着。ここで最後の休憩。雨雲は南西方向にあるようなので、この付近の空は雲はありません。帰るまでにはなんとか保つでしょう。

 ここで質問されます。

質問:あめさんとこのオフ会って、いつもああいう道ばかり走っているんですか?

あ:あれはまだマシな方です。もっと凄い道を走ることもあります。あ、普通の道を走るオ

フ会もありますよ。(^^;)

 普通の道を走るオフ会の方が多いんです。みなさん、誤解しないで下さい。

 そのあと、今日の感想などの話になり、次回のMTGの話題に移ります。雨雲が迫ってきているのに、ついのんびりしてしまいました。本日のオフ会としては、ここで解散となります。あとは流れ解散。都合のいい場所で別れて行くことになります。なんか寂しいですね・・・。『お疲れ様でした』と挨拶して、各自のバイクに向かいました。

◆オフ会終了!

 ここで第3のハプニングが発生。MHRさんのバイク、ベスパのヘッドとテールランプが点灯しなくなったのです。これから夜間走行だというのに、これは大変危ない。原因は配線の接触不良のようですが、詳しくは不明。応急処置でも改善されません。これは困りました。

 そこで、ひすあきさんがよく通う100均の店に行き、小型のライトとテールランプを購入して取り付けようということになりました。とにかく車から分かるようにしなくてはなりません。19時半頃、MHRさんのベスパを囲むようにして出発。走行車線をゆっくりと走りながらR309を北上。R170(外環状線)との交差点で、こーちゃんとAOさんの2人が別れます。彼らは南へ、我々は北へ。さらにr2(中央環状線)との交差点手前で、白妻さんとK本さんと別れます。

 最後は5台となって、大阪府松原市内の某100均の店へ。ここでライトとテープを購入して、店先で取り付けます。雨が降りそうな感じだったので、防水対策を十分に施しました。我々よりも一足先にひすさんが出発。最後は4台で移動します。しかし、残念かな、大和川を渡る直前になってついに雨が降り出しました。私を除く3名は雨具を着るため止まるとのこと。ここで解散。挨拶して私一人だけになりました。雨に濡れながら3kmほど走ってガレージに到着。到着してしばらくしてから大雨に・・・。あれほど良い天気だったのに、最後の最後に雨に降られました。

 しょっちーさん、MHRさん、じゅんちんさんの3人は大丈夫かと心配しておりましたが、掲示板の方に『無事帰宅』との書き込みがあったので一安心。他の方々も無事に帰宅されていました。あとで聞いた話では、白妻さんのDaxもライト切れを起こしていたそうです。ほんとハプニング続きですね。でも、大事に至らなくて良かった。

 ともあれ、本日のツーリングオフ会がハプニングはありましたが、事故もなく無事終了。参加して頂いた12名の皆様、本当にお疲れ様でした。m(_ _)m

<<第7回ツーリングオフ会参加者>>

 ひすあきさん、AOさん、MHRさん、K本さん、じゅんちんさん、しょっちーさん/白い稲妻さん、こーちゃん/MSTさん、Y川さん、かいせいさん、タダジーさん

以上、12名の方々でした。(敬称略。集合場所で分けています。順不同)

◆記念ノ品々

●葉書

 さて、東の川簡易郵便局で書いて出した葉書ですが、自宅の方には9月24日、実家の方には9月25日に到着しました。山奥から出してもちゃんと葉書を届けてくれるのですねぇ・・・。素晴らしいネットワークです。

 写真右がその葉書の消印。『奈良東の川 16.9.21』と記されています。これは機械処理ではなく、局長さんが一枚ずつ押して下さったものです。字が切れないよう、注意して押されたようですね。

 文面は実家宛が『東の川着 9/21 13:15』、自宅宛が『奈良県上北山村東の川簡易郵便局より 

山中の一軒家〒 2004.9/21 13:20』。いざ文面を書くときは、何を書いていいのか分からず、しばらく考えました。ちなみに『山中の一軒家』は局長さんの言葉です。

 この葉書は良い記念品になりました。

●貯金通帳

 オフライン郵便局で作成した郵便貯金の通帳です。これ、すべて局長さんの手書きによる作成です。ご覧の通り、金額などは全て判子となっています。この通帳にある局長印は、現地を訪れた確たる証拠です。

 オフライン郵便局なので、オンライン局のようにATM用のカードは作ることは出来ません。この通帳は、貯蓄用ではなく、本当に記念品となりました。う〜ん、もう一つのオフライン郵便局である山形県の的場郵便局にでも行きますか?(笑

取扱局番号は「45703」だそうです。金額から何から全て判子&手書き

です。『東の川簡易郵便局』の判子がポイント。ヽ(゚∀゚)ノ<イイ!

定規で位置を計り、ずれないようにちゃんと押して頂きました。m(_ _)m

左写真の赤矢印を拡大したもの。『東の川簡易郵便局長印』です。なんと貴

重な印なんでしょう。

<<二次使用防止のため黒線二カ所入れてます。m(_ _)m >>

●局印

 郵便局の局印も頂いて帰りました。これはひすあきさんに教えて頂きました。(たまたま隣にいただけなんですけどね。) ひすあきさんは、昔、郵便局を巡ってはこのような局印集めをされていたそうです。

その時のノウハウなんですね。投函しないものでも、切手を貼れば局印を押してもらえるのを初めて知りました。(ちなみに用紙はひすあきさんの名刺です。)

 右側は葉書にも押された局印。右側は『ローラー印』と呼ばれるそうで。小包や冊子小包、定形外郵便などで押されているのを見かけますね。『奈良東の川 16 9.21』と記されています。まさしく『東の川簡易郵便局』で押された局印です。

 局長さん曰く、「2枚並べて貼れば、きれいに押すことが出来たのにねぇ」

 右側の局印、奈良東の川が見にくいでしょ。変な貼り方をした管理人が悪いのです。以後、貼り方に注意します。

 局印だけは実際に行かないともらえません。他にも、「郵便為替」、「国民年金納付書」、「振り込み用紙」、「ゆうパック」、「定形外郵便」などなど、いろんな記念品を作ることが出来たんですねぇ〜。

 これから訪問される方々は、葉書を出すことをお勧めします。本当に良い記念品になりますよ〜。(=゚ω゚)ノ旦~

『東の川簡易郵便局』廃局!

 

『東の川簡易郵便局』ですが、平成17年(2005年)4月1日をもって廃局となりました。。・゚・(ノД`)・゚・。

 

20数年間もの間、黙々と郵便業務をこなされてきた局長さん、本当にお疲れ様でした。

 

そしてありがとう。

 

2005年4月1日記

◆◇ 知っておきたい東の川地区のお話 ◇◆◇

 資料をあちこちから集めていたら結構な量になったので、別項で記載することにしました。

●吉野熊野総合開発事業

 今の奈良県内にあるダムの多くは、この計画によって建設されました。計画案がまとまったのは1954年(昭29年)7月のこと。この計画案(A・K案と呼ばれる)では、東ノ川と備後川の合流点に大瀬ダムというダムを建設しようというもの。この段階から、上北山村東の川地区は水没することになっていました。

 ところが1957年(昭32年)12月になって計画が修正されます。北山川支流の東の川に坂本ダム、本流に池原ダムや七色ダムなどを建設することになりました。もちろん反対運動が起こり

ますが結局は合意に至り、1959年(昭34年)7月に修正計画案が決定。東ノ川地区に関わる坂本ダムの建設は、同年から着工され1962年(昭37年)秋に完成しました。

【右上写真】:坂本ダムの上はサンギリ林道が通っています。集落はダム湖の底に沈みました・・・

●ダム完成後の『東の川地区』

 1962年(昭37年)秋、坂本ダムが完成。この結果、奈良県北上山村東ノ川地区にあった全集落が水没。資料によると、住まれていた157世帯のうち、23世帯だけが東の川地区に残り、残りは奈良県上北山村内や他の奈良県内、三重県尾鷲市に転出しています。林業などのつながりによって尾鷲市に移った人が一番多かったようです。聞くのを忘れたのですが、局長さんは東ノ川地区出身の方だったのでしょうか?

 東の川簡易郵便局があるのは東の川宮ノ平地区だった辺り。当時の集落は水没してしまっているので、今ある集落はダム水没にともない移設された集落です。水没前の宮ノ平地区には、郵便局を始め青年会館、旅館、小中学校などがあって、地域(東の川地区)の中心地だったそうです。移設後も、郵便局の他にも立派な会館(森林共同組合?)があることから中心地となっていたのでしょう。

 ところが人口は年々減少。1997年(平9年)の調査では、東ノ川宮ノ平には3世帯3人の方が住んでいるだけという状態だとか。(水没前の宮ノ平地区だけの人口は29世帯117名だったそうです。) 人口わずか3人。しかも定住しているのではなく、普段は他の場所(尾鷲市など)に住んでいるとか。年数回帰って来

るとかで、その人達のためだけに存在してい たのが『東の川簡易郵便局』なのです。

 なお郵便局の住所は、上北山村大字西原となっていま いた。山を越えた西側と同じ大字となっています。付近一帯は、大字小像、大字河合、大字白川など、東の川地区とは遠く離れた地区の大字が入り乱れています。これは地権者の住所が絡んでいるそうです。住所表記上は「東の川」という大字はないようです。

【左上写真】:東の川簡易郵便局はこんな山中にありま した。ここがダム水没による代替地なのです。

●東の川小学校

 途中にあった学校の廃墟は、かつての東の川小学校の校舎です。この校舎はダム水没により新築された建物で、水没した東の川小学校がここに移転してきました。当時であれば、大変立派な2階建ての鉄筋コンクリート校舎です。山中にこんな立派な校舎が建てることが出来たのも、ダム建設による補償費が莫大な金額であったからでしょう。

 この小学校がいつ頃廃校となってしまったかは不明ですが、廃校となってからかなりの年月が

経っています。運動場は草木が生い茂り、滑り台などの遊具は錆びて草に埋もれていました。

校舎は完全に廃墟と化しています。

 2004年9月の時は外から眺めただけで、内部には入っていません。で、たまたまこの小学校校舎を探検した方のサイトを見ると、治山工事で校舎の一部が壊されてはいますが、ほぼ昔の状態で残っています。しかし内部は土砂が流入したりしてめちゃくちゃになっています。外からも確認できましたが、至る所にDQNがスプレーで落書きしているとか。卒業生が見たら悲しむでしょうね。

 この学校には何人の子供達が通い、そして巣立って行ったのでしょうか・・・。

【右上写真】:廃校となった学校の校舎。ご覧の通り荒れ果てて廃墟と化していました。

参考文献>>『上北山村の地理』、『東ノ川』、『下北山村史』、他

【第7回ツーリングオフ会レポート終わり】

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