第6回 ツーリングオフ会

2003年11月23日(日)

秋の伊賀上野城。

春は桜で満開です。

◆第6回ツーリングオフ会

 もともとは11月9日(日)に開催予定だったツーリングオフ会だったが、雨のために延期。第5回に続いて第6回も天候悪化による延期となった。また行き先も最初は伊勢神宮に向かう予定だったが、近場の伊賀上野に変更。市街をぶらりと歩いて散策しようという散策オフ会となった。

 開催前日の11月22日(土)から日本付近は冬型の気圧配置となり、寒気が上空になだれ込んだこともあって23日(日)早朝はかなりの冷え込みとなり、今年の秋一番の冷え込みとなった。かなりさむ〜くなりそうだ。前日、厚めのオーバーパンツを出してきた。これが登場すると冬である。

◆天理PA

 集合場所は天理PA。管理人@あめふらしの自宅からは高速利用で約50kmの距離である。集合時間は7:30なので遅くても6:40には出発しないといけない。5:30、まだ寒い頃に起床して朝飯を食べて出発準備。『みんなで遊ぼう!掲示板』を確認すると、satounoさんは寒い中すでに出発されたようだ。

 6:40頃に自宅を出発。堺ICから阪和道に入り天理へ向かう。阪和道はそう混雑していなかったのだが、松原JCTから西名阪道に入ると乗用車で混雑していた。平日の主役である大型トラックの姿は少数派で、今日の主役は観光客の車。3連休の中日しかも快晴の休日、いわゆる『絶好の行楽日和』なのだ。

 交通量は多くても渋滞はなかった。一部で流れが悪い区間もあったが順調に走ることが出来、7:20頃に天理PAに到着した。遅刻しなかったのは久々だ。(^^;)

 バイク専用駐輪場に止めてしばらくすると、ひすあきさんがハーレーに乗って登場。沖縄で買ったお土産をやっと渡すことが出来た。しばらくするとsatounoさんが到着。続いてZZR1200に乗ったkn.zzr1200さんも到着。zzrさんとはリンク先サイトの掲示板ではお会いしているが、実際にあったのは今回が初めてだった。もちろんうちのサイトのオフ会にも初参加である。

 8時頃まで他の参加者を待つ。その間にも10台近いバイクがやって来ては去って行く。天気が良いのでみんなツーリングに出かけたのだろう。ある人は一人で、ある人はグループで東へ向かっていった。

 だらだらとバイクやいろんな話題で雑談。8時過ぎ、『お見送り』のひすあきさんはお店の準備があるので大阪に戻る。お見送りありがとうございました。m(_ _)m その後、8:30まで待つが他の参加者が来られる様子はないので、半過ぎに天理PAを出発した。

お題:『空を見ろ!』(撮影:ひすあきさん)

今回の大阪組の方々です。真ん中の赤色のジャ

ケットを着ているのが管理人@あめふらしです。

天理PAで1時間ほど待機。休日と言うことで駐車

場は乗用車で一杯。危ない場面も見ました。

バイクも次々とやって来ます。

8時過ぎ、お店の準備があるのでひすあきさんが

出発。今回は「お見送り」だけでした。朝早くから

ありがとうございました。m(_ _)m

◆伊賀上野へGO!

 名阪国道も乗用車の通行量が多かったが、天理坂の途中にある五ヶ谷IC付近で少し渋滞があっただけで順調に流れていた。80〜100k/hぐらいで走り、天理PAから40分ほどで目的地の伊賀上野に到着した。市街に入る。市営駐車場に入ろうとしたら、上野公園入口近くの西小学校北側にあるバイク用駐輪エリアに止めてくれと言われそちらへ移動すると、警備員に歩道に止めるよう指示された。バイクはここに止めるようになっているようです。

 バイクを停めてオーバーパンツやプロテクターを外していると、現地集合組のじゃこご飯さんがやって来た。左腕を怪我してギブスをはめているので車での参加だが、本来はライダーさんです。これで今回の参加者4人が揃った。バイクを降りての伊賀上野散策オフ会の開始である。

◆伊賀流忍者博物館

>>忍者屋敷

 「忍者屋敷」「上野城」「だんじり会館」の3箇所の入場券がセットとなった共通入場券を購入して上野公園に入る。遊歩道を歩いていると、向こうから忍者が走ってきた。さらに紅葉を撮影している忍者も発見。(゚∀゚)ハケーン!  流石、伊賀忍者の里である。忍者が普通に生活しているのか? ヘ(^o^ヘ)☆\(- -) <ソンナコトハナイ

 体が冷えていたので売店で暖かい缶コーヒーを飲んでから忍者屋敷へ向かった。40年ほど前に上野市南部の山中から移設された茅葺き屋根の建物が忍者屋敷。屋根の茅にはアワビの貝殻が置かれている。ピンクの忍者装束を着た「くの一」のねーちゃんが、鳥よけのために置いてあ

↑忍者さんはこの木の紅葉を撮影

していたのでした。

るという。光らせて鳥を寄せ付けないためなのだ。「今のCDと同じだ」とsatounoさん。なるほど昔も今も材料こそ違えど同じことをしているわけですな。

 先に入ったグループが終わるまでしばらく待つ。10分ほどすると私らのグループが忍者屋敷に上がった。ライダーブーツを脱いで持って部屋に上がる。ピンク装束の「くの一」さんが案内役。いろいろと屋敷内のカラクリを説明して行く。日曜日ということもあって子供が多い。

 忍者屋敷にはあちこちに「仕掛け」がある。見張り部屋や「どんでん返し」の隠し扉や非常扉、脱出擦るための地下道入口などなど・・・。説明されるまで気が付かない「仕掛け」が多い。その仕掛けは大したものだ。

 「仕掛け」の中の1つに、床下に刀(隠し武器)を入れておく収納庫があった。もちろん見た目は普通の床。これは敵が迫ってきた時に床板を叩いて蓋を開け、中に収納されている刀を取り出して応戦するためのもの。

 ここで「くの一」さんは素早く武器を取り出す実演をしてくれた。床蓋を開けて武器を取り出すまでたったの2秒ほど(2秒以下かも)。これは本当。ここまで出来るまでにはかなりの特訓を重ねたのでしょう。「くの一」らしいアクションに、思わず萌え・・・もとい拍手喝采でした。

●忍者屋敷

単なる「物入れ天井」です。その下にあるのは棚

ですが、ここには秘密があります。Σ(゚Д゚)ナント!

こんな所にある障子にも秘密がある!一体なん

でしょう?(・∀・)ナンデショウ?

この部屋にも「仕掛け」があります。一体、どんな

「仕掛け」があるのでしょう?

 

15分くらいで説明は終わる。どんな「仕掛け」が

あるかは、是非訪れて見て下さい。ヽ(゚∀゚)ノ スゴイ!

土間の天井から垂れ下がった縄梯子を上る「くの

一」。これはマネキンです。

忍者屋敷の庭にある井戸。屋敷内からの秘密の通路が続いているという・・・

>>忍者体験館 

 15分ほどで説明が終わると、地下に誘導される。忍者屋敷の地下は『忍者体験館』となっている。降りると「忍者の頭梁」から伊賀上野城への侵入を指示される。ここでは上野城潜入から脱出までのバーチャル体験を体験出来る仕組みになっており、実際に「水蜘蛛」「聞き筒」「縄梯子」を体験できる。管理人@あめふらしは、「聞き筒」を体験。城中の企みを盗み聞きしておりました。

 展示内容は充実しており、手裏剣を初め大筒まで約400点近い忍具を展示している。武器とは分からぬようどれも巧みにデザインされていた。忍者は農民を装っていることが多かったそうなので、鎌なども農具そのものだった。意外と知らない忍具の秘密である。時代劇のイメージが強いから、手裏剣などの武器はたくさん持っていると思われがちだ。実際には手裏剣は一枚約200gもあるとかで、通常は一枚しか持っていなかったそうである。主たる武器は鎌や刀、それと武術だったようだ。忍者とは、今で言う諜報員で情報収集が主たる任務だったとか。ですが中には暗殺任務もあったのでしょう。((((;゜Д゜))))

>>忍者ショー

 経路的には『忍者体験館』を出ると『忍者伝承館』に向かうのだが、その途中で黒装束の「くの一」さんが忍者ショーの呼び込みをしていたので、そのまま『忍者ショー』を見ることにする。まずは感じの良い「お兄さん忍者」がにこやかな笑顔でショー見学の諸注意。その後すぐにショーが始まる。

 ショーでは刀や鎖ガマ、手裏剣などの忍具を使用するのだが、これらは全て本物。Σ(゚Д゚)マジ? 一つ間違えると大怪我どころが命を落としかねないショーなのだ。普段TVなどで見ている忍者同士の戦いとは比較にならない、臨場感あふれる生演技なのだ。

 本物の日本刀での藁束斬りで始まり、手裏剣の実演、続いて鎖ガマの実演とショーは進んで行く。もちろん実技している方々は真剣そのもの。手裏剣を投げた「お兄さん忍者」も、表情は真剣で別人の様子。見ているこちら側は、拍手も忘れて本物の忍具を使用したアクションに見入ってしまう始末。「はい、拍手」と観客を和ませる忍者役の役者さんも慣れたモノです。

 最後は、「くの一」と「お兄さん忍者」との決闘で締めくくり。息詰まる対決の最中に、「拍手はどうした!?」と観客に突っ込む「くの一」の迫力は凄かったっす。

 ショーが終わると、200円を支払って実際に手裏剣を投げることが出来る。お父さんは、日頃の鬱憤をはらさんがごとく手裏剣を壁に投げつける。嫌な上司の顔でも浮かべていたのでしょうかね? (゚∀゚)ノ<<<<<<<<<卍

注意>>「忍者ショー」は、土・日・祝日のみ開催です。時間や開催の有無はお問い合わせ下さい。

●忍者ショー

忍者さんが自ら立って入場整理を行います。さす

が忍者の里。にこやかな表情されていますね。

この日は子供さんが多かった。

ところが演技が始まると真剣そのもの。本物の日

本刀でズバッと斬り落とします。逆手で斬るのは

大変難しいのです。

鎖ガマの説明。実際にこれを使用して使い方を説

明してくれました。危ないから真似をしてはいけま

せん。朝、公園を走っていたのはこの方でした。

突き刺さった手裏剣。手で取り除く(引き抜く)の

は不可能で、金槌でたたき落としていました。

戦う「くの一」さん。ヽ(゚∀゚)ノカコイイ! 迫力満点!

是非ご覧あそばせ。

にこやかな「お兄さん忍者」も真剣でした。対決の

結末は如何に!?

>>忍者伝承館

 最後の施設である忍者伝承館に入る。ここは主に忍者の生活用具や日常生活の様子が、ジオラマや当時の衣服・道具などが展示されており、伊賀流忍者の法術や生活の知恵などをパネルなどを用いて展示されている。「明日の天気を予想する術」はツーリングなどで、「水を知る術」はサバイバル生活などで、現代でも大いに役立つ術があった。

 展示物の一つに米俵一俵(約60kg)があった。説明分によると、忍者はこれを指2本で支える訓練をしたそうで・・・ 握力は凄かったんでしょうね。

 出口付近にはお決まりの土産物コーナーが。一方の壁には『忍たま乱太郎』のセル画展示コーナーがあった。ショーケースには『服部半蔵』のフィギュアも・・・。 忍者づくしの忍者伝承館でした。

●伊賀流忍者博物館

 上野公園内にある伊賀流忍者の博物館です。

「忍者屋敷」「忍者体験館」「忍者伝承館」の3つの

施設より構成されています。

◆忍者屋敷

 建物は1964年(昭39年)に上野市南部の山中

より移設された本物の忍者屋敷です。一見すると

農家のようですが、いろんな「仕掛け」のある忍者

屋敷なのです。

 ピンクの忍者装束を着た「くの一」(男忍者の場合

もあり)が案内してくれて、いろんな「仕掛け」を紹

介してくれます。一部の仕掛けは体験することもで

きます。

>>忍者屋敷の所以

 伊賀地方では、薬草からの秘薬の製造や、火薬

の調合などを行っていました。これらの門外不出の

製造方法を書き留めた巻物を狙って賊が度々侵入

して来たため、自衛のためにいろんな「仕掛け」を

設けて、巻物を隠したり、巻物を持って逃げるための時間稼ぎをしました。

 このカラクリが「忍者屋敷」と呼ばれる所以だそう

です。

 「忍者屋敷」は、忍者が設計して建てた「家」と思

われる方が多いでしょうが、少し違うようです。

◆忍術体験館

 忍者博物館の地下にあるのが忍術体験館。ここ

には手裏剣や鎌、忍者装束、さらには大筒まで本

物の忍具が約400点展示されいます。「水蜘蛛の術」「縄ばしごの術」「バーチャル上野城潜入」も体

験することができます。

◆忍者伝承館

 忍者博物館の奥隣にあるのが忍者伝承館。こち

らにはジオラマが展示され、主に忍者の生活用具

が展示されています。忍者の九字法が学べる「無

限庵」やパソコンを使用した忍術の紹介、忍者の掟

や暗号の解読方法なども分かりやすく展示されて

います。

 出口付近には土産物コーナーがあります。

●伊賀流忍者博物館

開館時間 9:00〜17:00(入場16:30まで)

休館日 12月29日〜1月1日

入場料 大人700円 子供400円

問い合わせ先 0595−23−0311

>>伊賀忍者と甲賀忍者

 元々は同じ流派の忍者集団だったそうです。後

に伊賀郡北方が近江の国に編入されたために、別

れたとか。「伊賀流」「甲賀流」と呼ばれ始めたのは

江戸時代末期のことだそうです。

 伊賀忍者のHP←万川集海は必見!ヽ(゚∀゚)ノイイ!

 

◆忍者ショー

 伊賀流忍者博物館前広場で開催されます。本物

の日本刀を使用した藁束斬り、鎖ガマの実演、手裏

剣の実演などの、本物の忍具を使用したアクション

ショーは迫力満点です。

 ショーに出演されているのは、アクションクラブ『阿

修羅』というアクションチームに所属されている方々

です。日々、すごい練習を重ねておられるのでしょ

う。

●開催日:土・日・祝日の11:00〜15:00

●入場料:大人200円

●場所:伊賀流忍者博物館前広場

◆伊賀上野城

 忍者博物館を出た後は上野城へ向かう。現在の伊賀上野城は三層三階の桃山様式を誇る城。藤堂高虎が築いた天守基台の上に、1935年(昭10年)に再建された木造の天守閣である。

 城に近づくと高石垣の上に白い天守閣がそびえる。この高石垣は藤堂高虎が気付いたもので、石垣の途中で斜面の角度を変えており、下部で23.5度、上部で35度の傾斜が付いている。下から見るとかなり急な石垣となっている。それに付随している急な階段を上ると天守閣の入口に到着。 

 城内部は博物館となっており、1階と2階には武具や藤堂高虎ゆかりの品々が展示されている。急な階段を上って3階に上がると、まず目をひくのが天井に飾られた絵天井。城の完成を記念して、当時の画家・書家・文学科や政治家・財界人などの各界の著名人らから送られた1m角の大色紙を飾っている。中には横山大観、高浜虚子、近衛文麿などの色紙があった。

 3階からの眺めは気持ちが良い。有料の双眼鏡が設置されている所は少し興ざめだった。なお、3階への階段は2箇所あってそれぞれが上り下り専用となっているのだが、中には「逆登」する方もいるのでご注意を・・・

伊賀上野城

◆伊賀上野城

 大和郡山から伊賀の国に移ってきた筒井定次

、伊賀の国を焦土と化した「天正伊賀の乱」で焼か

れた平楽寺跡に城郭を築いて三層の天守閣と城門

を設けます。これが伊賀城の始まり。

 筒井定次の改易後、1608年(慶長13年)伊賀

の国に転封してきた藤堂高虎によって、筒井氏の伊

賀城は拡張と大改修が行われ、豪を深くして高さ約

30mの高石垣で城を囲み、五層の大天守閣を築き

ました。

 交通の要衝にある伊賀上野は戦略上重要拠点で

あり、藤堂氏の伊賀城は豊臣氏討伐戦に備えて頑

強な造りとなっていました。

 しかし1612年(慶長17年)9月に暴風雨によって

天守閣は倒壊。その後の豊臣家滅亡によって建築

目的を失い、また「武家諸法度」によって諸大名が

城を建設することを禁止されたために城は再建され

ず、そのまま放置されていました。

◆伊賀上野城再建

 倒壊から320年ほど経過した昭和初期。伊賀上

野出身の川崎克という政治家が私財を投げ打って

再建。3年に渡る建設工事の後、1935年(昭10

年)に再建したのが現在の伊賀上野城。 藤堂高虎

が気付いた基台に木造建築によって模擬復元しま

した。優雅な三層三重の大天守からなり、雅名・白

鳳城と呼ばれています。

●伊賀上野城

開館時間 9:00〜17:00(入場は16:45まで)

休館日 年末年始(12月29日〜12月31日)

入場料 大人500円 子供200円

問い合わせ先 0595−21−3148

 

>>人物の説明

●筒井定次(つついさだつぐ)

 1562年頃〜1615年。筒井順国の息子で、15

84年に筒井家の人質として大坂城に入り、豊臣

秀吉に仕えました。同年、本家を相続して大和郡

山城主となります。四国征伐で功をあげ、1585年

に伊賀上野城主となります。

 「関ヶ原の戦い」では東軍に属していたため、西

軍に城を落とされましたが、東軍が戦いに勝利した

ため本領を安堵されました。

 しかし、キリシタンの疑いと家臣から素行の悪さ

を訴えられて、1608年に改易。陸奥の国・磐城の

鳥居忠政に預けられます。

 1614年の「大坂冬の陣」において、大坂城(西

軍側)から『羽柴伊賀守定次』と書かれた矢が飛ん

できたことから、西軍への内通を疑われ、1615年

3月に自害させられました。

 この矢は、改易の時に商人に売り払った矢だった

そうです。(この商人が大坂城に売ったということで

す。) 改易も幕府のでっち上げという話もありま

す。

●藤堂高虎(とうどうたかとら)

 1556〜1630年。近江の国・犬上郡藤堂村の

士豪の息子。最初は浅井長政に仕えるが、浅井家

滅亡の後は主君を転々と変えて行き、1576年に

羽柴秀長(秀吉の異父弟:1540〜1591年)の

家臣となります。

 その後、「賤ヶ岳の戦い」や「小牧・長久手の戦

い」などの緒戦で活躍。朝鮮にも出兵します。15

95年に、秀吉から伊予宇和島7万石を与えられます。

 1598年の秀吉の死後は徳川家康に接近。弟を

江戸に送るなど献身的に徳川家につくします。「関

ヶ原の戦い」では東軍に属し勝利に貢献。戦いの

後は、伊予宇和島は20万石に加増されます。

 1608年、伊勢・津22万石に転封。このときに伊

賀上野城の拡大・大改修を行います。1614年か

らの「大坂の陣」では徳川方として参加。しかし、

「冬の陣」では真田幸村に、「夏の陣」では長宗我

部盛親(ちょうそかべもりちか)に大損害を与えられ

ます。

 「大坂の陣」後、伊賀の国は32万石に加増され

従四位下に叙せられました。1630年10月、75

歳で死去。

 高虎は伊賀・藤堂家の礎を築きました。徳川家

康・秀忠の厚い信頼を受けた藤堂高虎の功績によ

り、藤堂家は明治維新まで転封・減封されずに安

泰だったとのことです。

 

●川崎克(かわさき かつ)

 1880〜1949年。三重県上野市生まれ。東京

の大学を卒業後、東京市書記、新聞記者を経て、

1915年(大4年)に衆議院議員に初当選。以後、

11回当選します。

 1944年(昭19年)に郷里である上野市に疎開。

戦後はGHQにより公職を追放されます。1949年

(昭24年)2月に死去。

 三重県熊野市の資産家より、邸宅改築の材木を

提供したいとの申し出があった時には、「政治家は

雨露しのげる家があればいい。豪邸はいらない

よ。」と言ったとか。「屋敷を建ててくれる材木があ

るなら、城の天守閣に」と協力を求めたそうです。

 1935年(昭10年)に私財を投げ打って伊賀上

野城を再建します。

◆『桔梗屋』

 上野城を出た後、歩いて「鍵屋の辻」に向かおうとしたが遠いので歩いて行くのはしんどいということになり、後でバイクで移動することにする。引き返して上野市市街をウロウロと歩いて、近鉄上野市駅南側にある和菓子屋さんの『桔梗屋』に入る。ここはひすあきさんお勧めの品「牛乳豆腐」(商品名:みるくはちみつとうふ)があるお店。

 店内は和菓子がずらり。その一角にあったのが「小豆憧風(あずきどうふう)」と「牛乳豆腐」。試食品があったので、「小豆憧風」を頂く。ういろうと羊羹の中間のような舌触りと味。ヽ(゚∀゚)ノ <ウマイ!  こりゃうまいということで、皆さんお土産として購入。『桔梗屋』では奥の座敷に上がって和菓子を食べることが出来るとのことで、早速奥の座敷に上がり込む。12時頃だったのだが、お腹が空いていたので丁度良かった。

 和菓子ではなく「小豆憧風」と「牛乳豆腐」を注文。出されたお茶を飲んで一息つく。マァ、オチャデモ> (=゚ω゚)ノ旦~旦~旦~旦~

しばらくすると注文した品々が出てきた。私は「牛乳豆腐」を注文。白い杏仁豆腐を柔らかくしたような感じの、白いプリンのようなお菓子だ。写真を撮ってから一口頂くと・・・

 

ウマ━━━━━(゚∀゚)━━━━━!!!!

 

 これがめちゃくちゃ美味しい。牛乳プリンでもないし、杏仁豆腐でもない。食感は杏仁豆腐を少し柔らかくしたような感じで、少し甘い。先に食べた「小豆憧風」同様、今まで食べたことのないお菓子(?)だった。これは癖になる。癖になる味でごじゃる。伊賀上野は素通り出来なくなりましたです。「これ取れたから」と、女将さんは甘い柿もサービスで出してくれました。これもうまかった。

m(_ _)m 支払いの時、私も「小豆憧風」を土産として購入して『桔梗屋』を後にした。

●桔梗屋織居 пF0598-21-0123

営業時間 8:30〜19:30(定休日:なし)

住所:三重県上野市東町

注意>>店前にはバイク・車は停めることはできません。

◆だんじり会館

 『桔梗屋』を出たのは12時40頃。バイクを停めてある場所に向かってダラダラと歩いて行き、共通入場券の最後の施設である『だんじり会館』に向かう。大きな蔵のような建物が『だんじり会館』。入館すると、三基の「だんじり」と鬼行列が展示されている。

 管理人@あめふらしは大阪泉州の人間なので、「だんじり」と聞くと、テコがついて走り回る岸和田の「だんじり」を連想してしまう。しかし『だんじり会館』にある「だんじり」はどうみても勢いよく走り回ったり急カーブを曲がるようなモノではない。豪華な装飾幕で飾られており、京都の祇園祭の「山車」に近い「だんじり」だ。毎年10月23日〜25日の3日間に開催される『上野天神祭』では9基の「だんじり」がゆっくりと旧市街を動くとのこと。優美な姿を見ることが出来るのだろう。

●だんじり会館

 上野公園の近くにあります。建物は「だんじり小

屋」をイメージして設計されているようです。

 内部は2階構造で、1階展示室には3基の「だん

じり」が常時展示されています。この「だんじり」は

現役の物で、年2回ほど入れ替えるそうです。

 館内の壁には、各町の「だんじり」についての説

明パネルがあります。また「上野天神祭」に現れる

鬼行列の一部も再現されています。

 2階からは、上から「だんじり」を見ることができま

す。また毎時15分と45分には、約10分間の映画

上映があります。300インチ三面マルチスクリーン

で見る大迫力の映像を楽しめます。

 出口は土産物コーナーになっています。

●だんじり会館

開館時間 9:00〜17:00(入場は16:30まで)

休館日

4月第3日曜日  

・10月23日〜25日(祭りのため)

・12月29日〜1月1日

入館料 大人500円 子供300円

п@0595−24−4400

●上野天神祭

 毎年10月23日〜25日にかけて行われる、上野

市内にある菅原神社の秋祭り。

 この祭りでは、23日に各町の「だんじり」の飾り付

けを行い、24日に「だんじり」が巡行して、「鬼行列」

が町を歩きます。25日(本祭)では、「御輿の渡御」

、「鬼行列」、「だんじり」の順で市内を練り歩いて、

祭りは盛り上がります。

 この「鬼行列」は百人近い人数だそうで、すごい迫

力だそうです。

 この祭りの期間中は「だんじり会館」に展示されれ

ている「だんじり」も動くために、「だんじり会館」は休

館となります。

 上野天神祭は、国の重要無形民俗文化財に指定

されています。

◆鍵屋の辻

 『だんじり会館』を出た後、昼飯を食べるべく移動する。少し離れた所にある寿司屋(その名も『忍者寿司』)に向かうことになったので、じゃこご飯さんの車に乗って移動する。ところが目指していた寿司屋はお休みだった。その向かいにある豆腐料理屋に入るが、我々の前に入っていた団体さんでネタが尽きてしまったとのこと。

 仕方ないので、じゃこご飯さんが調べておいてくれた「とろろ料理」の店に向かった。13時過ぎということと案外知られている店だったので、店は大混雑。30分ほど待ってやっと席に座ることが出来た。管理人@あめふらしは「伊賀牛丼」を注文。とろろがかかった牛丼ではあるが、肉が伊賀牛なので豪勢な牛丼だった。これもうまかった。ヽ(゚∀゚)ノウマイ! 他の方々は、牛舌の付いた「とろろ定食(?)」を注文していたが、そちらも美味しそうだった。

 とろろが効いたのか、店の外に出ると満腹状態。そのままじゃこご飯さんの車で「鍵屋の辻」に移動する。「鍵屋の辻」は荒木又右衛門らの仇討ちの地。日本三大仇討ちの一つである。管理人@あめふらしは、6年前の1997年(平9年)11月にここを訪れているが、石標と洪水記録のモニュメントだけ撮影して去っていた。なんとなく神社のような建物があったことだけ覚えていた。

 付近一帯は「鍵屋の辻史跡公園」という公園になっている。この付近は伊勢街道と大和街道の分岐点でもあった。公園内にある神社の様な建物が『伊賀越博物館』という仇討ちに関する資料館だった。ここでは事の発端から、荒木又右衛門らの仇討ちが成功するまでのいきさつや、錦

絵、いろいろな資料が展示されていた。河内又五郎の討ち取った首を洗った池もあった。かなり貴重な資料だらけで、映画や歌舞伎で有名な物語は、昔実際にあった本当の話であったことを改めて知った次第でした。

●伊賀越仇討

◆伊賀越仇討

 『日本三大仇討』の一つに数えられる仇討ちの実

話です。三重県伊賀上野市「鍵屋の辻」において、

見事仇を討ち果たしたということで有名です。

 1630年(寛永7年)7月11日、備前国岡山藩士

河合又五郎が、同僚の渡辺源太夫を私情からの

理由で殺害したことが始まり。

 源太夫の兄である渡辺数馬が姉婿である荒木又

右衛門を筆頭とした4人の助太刀と共に、仇である

河合又三郎を追跡。奈良にある旧大和郡山藩士

の屋敷に身を隠しているていることを突き止めま

す。

 危険を察知した又五郎は江戸へ旅立ちますが、

1634年(寛永11年)11月6日に奈良から伊賀街

道経由で島ヶ原に移動。これを知った数馬・又右衛

門らは、7日早朝に鍵屋の辻にある「茶屋萬屋」で

待ち伏せします。

 そして仇討ち。又左右衛門は又五郎側の河合甚

左衛門、桜井半兵衛を討ち取り主勢を崩します。

 数馬と又五郎との戦いは数時間かかりました

が、数馬は激闘のすえついに又五郎を切り伏せ、

見事大願成就を果たしました。

 この仇討ちでは、河合又五郎を江戸の旗本がか

くまり身柄引き渡しを拒絶したため、外様大名の岡

山藩主と旗本との抗争となってしまったということで、事件は一躍有名になりました。

>>豆知識

 『日本三大仇討』のあとの2つは、『曾我兄弟の

富士裾野での仇討ち』と『忠臣蔵』だそうです。

◆伊賀越資料館

 「鍵屋の辻史跡公園」内にある資料館。

 伊賀越仇討のいきさつや、文献・記録などの資料や遺品などが多数展示されています。

 荒木又右衛門が、藤堂藩の剣士戸波又兵衛にあ

てた自筆の起請文や、荒木又右衛門助太刀の事情

を書いた記録、三代目豊国作の伊賀越仇討の錦絵

などが展示されています。

 討ち取った河合又五郎の首を洗った池もありました。((((;゜Д゜))))

 公園入口には「数馬茶屋」というお茶屋さんがあります。

開館時間 9:00〜17:00

休館日 12月29日〜1月1日

入館料 大人200円 子供100円

п@0595−23−5370

オフ会終了

 近くにある茶屋で団子を食べようと言う話だったが、満腹状態だったので止めにしてバイクを止めた駐輪エリアに送ってもらう。そこに入る道は対向2車線なのだが、路駐車で片側が埋まってしまい1車線になっていた。その空いている車線の方にも車を停めたアホがいたものだから、前にも後ろにも動くことが出来なくなってしまった。道の入口にはパトカーが止まっていて警官もいるのに取り締まるなり交通整理をする気配すらない。何を考えているのだと皆で憤慨。やがて車を停めたアホが戻ってきて去っていったが、こいつのおかげでほんの300mぐらいの距離を進むのに20分ぐらいかかってしまった。(゚Д゚)ゴルァ

 じゃこご飯さんの車を見送ってバイク駐輪スペースへ向かう。プロテクターを付けたり、オーバーパンツをはいていたら10分ほどかかってしまった。なんやかんやで出発したのは15:45頃。上野市街を南下して上野東ICより名阪国道に入る。大阪方面車線は帰阪する観光客らの車で混雑していたが、渋滞はなく80〜90k/hで流れていた。16:40頃に天理PAに到着。ここで休憩。コーヒーなどを飲みながら雑談し、17時頃に解散となった。

 satounoさんとkn.zzr1200さんを見送り私も出発。天理(料)を過ぎると渋滞していた・・・。西名阪道は香芝を越えて柏原(料)まで断続的に渋滞していた。いつもに比べると遙かに遅いペースで走らざる得なかった。ところが柏原(料)を過ぎると渋滞はウソのように消えて流れは良くなった。

↑皆様、お疲れ様でした。

 18時半頃に自宅に到着。参加された方々は無事に帰宅したとの連絡があり一安心。今回は『走る』ではなく、『散策』がメインとなったオフ会でした。

 参加された皆様、お疲れ様でした。

【第6回ツーリングオフ会レポート終わり】

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