◇第1回酷道走行ツーリングオフ会 2001年(平13年)7月19日(木)〜22日(日)開催

○第1回酷道走行ツーリングオフ会

 酷道走行オフ会とは、とんでもない悪路を1人で走るのではなく、『酷道走行好き』の人達で楽しく走ろうという企画。

 過去2回、『彷徨猫旅記録』のツーリングオフ会を開催していたが、『3ケタ国道放浪記』のツーリングオフ会はまだ開催したことがなかった。2001年の祝日『海の日』(7月20日)が金曜日ということで、金曜日〜日曜日まで3連休が可能であったので、この期間を利用して四国の名高い国道193号線を走る『酷道走行オフ会』を企画した。

 出発は7月19日晩。大阪南港から『高知シーライン』に乗って四国に入り、21日晩に高知港から『大阪高知特急フェリー』に乗って、22日朝に大阪南港に帰るという行程を組んだ。

2001年7月19日(木)

○大阪南港

 7月19日は荷物を持ってKSRUに乗って仕事場に向かった。仕事が終わり次第大阪南港に直行することにしていた。集合時間は21時である。

 ところが17時に仕事が終わってから、仕事場の退職された部長が、内輪(部署だけ)の人だけに感謝の意味合いを込めて宴会を開いて下さるという。断る訳にも欠席するわけにもいかないので、適当なところで出ていくつもりで参加したが、結局宴会の最後まで宴会場に居てしまった。宴会の途中で、今回の参加者の1人であるかざねさんから電話を頂いたので、集合時間に遅れることを伝えておく。

 宴会場を出たのは21時過ぎ。もちろん飲酒はしていない。大阪市内の道を急いで走って大阪南港に到着したのは21:40頃。遅刻であった。m(_ _)m

 大阪南港フェリーミナル前には、『かざねかたな旅の書』の管理人かざねかたなさんと、『風色倶楽部』の管理人satounoさんと合流。かざねさんはGSX1300『ハヤブサ』、satounoさんはアルテイシアという400ccオフロードバイクでの参加だ。今回の参加は2人だけである。

○高知シーライン

 今回使用するのは『高知シーライン』というフェリー会社。大阪南港〜甲浦港〜土佐足摺港を結ぶ本四連絡フェリーだ。

もとは『室戸汽船』というフェリー会社であった。明石海峡大橋開通によりその存続が危ぶまれたが、高知県が出資する新会社として再出発。その矢先に甲浦港沖で座礁事故を起こしてしまった。フェリーを改修して復活したものの、利用者は低迷を続けている。

 フェリーターミナルに乗船手続きに向かうと、ターミナル内は大混雑。これからの3連休を四国や九州へ向かう人達でごった返している。これから乗る『高知シーライン』のフェリーは、混んでいないだろうと思っていたが、驚くなかれカウンターから大混雑している。

 普段は閑古鳥で、空気輸送に近い状態の『高知シーライン』フェリーだったが、3連休直前の晩ということもあってか大混雑していた。観光バスが2台も乗り込むという大盛況で、2等客室(雑魚寝ルーム)は寝転がるスペースの確保に苦労するぐらいの人で混雑している。スキを見せると自分が寝転がるスペースを奪われる状態であった。通路にも人が寝転がるほどの乗客が押し寄せ、『満員御礼』の垂れ幕が下がってもおかしくない状況での出航であった。

 23:20、フェリー『むろと』は大阪南港を出航。混雑している状況では「早く寝た者勝ち」なので、早々に横になって寝ようとした。しかし出航すると細かい振動が発生し、おちおち眠れる状況ではなくなった。エンジンの振動が客室まで伝わり、絶えず『ゴンゴンゴン・・・』と細かく揺れているのだ。これには参った。眠ろうとしても眠れない。少しウトウトしても、周囲で動き回る人々の気配や鼾(いびき)などで目が覚めてしまう。

 朝早くから酷道走行する身にとって、この状況というのは極めて過酷な状況だ。まともに眠っていないので、半分頭が寝ぼけた状態で悪路を走ることになるのだ。下手すると運転操作を誤って崖下に転落ということになりかねない。何としてでも眠らなくてはと思うとよけいに眠ることが出来ない。

 眠ったのか眠らなかったのか良く分からない状態で一晩を過ごした。翌7月20日午前4時前に部屋の明かりが点灯。甲浦港には定刻の午前4時20分に到着した。

 ある意味、昔のフェリーの姿を色濃く残していた『高知シーライン』のフェリー『むろと』であったが、私たちが乗船した後に利用者の低迷と赤字を理由に航路の廃止を公表。2001年12月末をもって廃航となってしまった。雑魚寝ルームで体験できたエンジンの細かな振動を二度と聞けなくなってしまったのだ。今思えば貴重な体験であった。

←写真:早朝の甲浦港に到着したフェリー『むろと』。この光景はもはや見ることは出来ない。

2001年7月20日(金)

○甲浦港にて

 東の空は明るくなりつつあったが、まだ太陽は昇っていない。山中の酷道を走るにはまだ危険な状態だ。甲浦港で日の出まで待つことにして港にある喫茶店に入る。朝早くから出発する釣り人や漁業関係の方達のために、5時前という早い時間から営業しているのだ。

 喫茶店でトーストとコーヒーで朝食とする。かざねさんは、これで3回連続で私が主催したツーリングオフ会に参加して頂いている。satounoさんとは掲示板などでの会話があってネット上では面識があったが、実際にお会いしたのは先月のこと。2001年(平13年)6月中旬に開催された『道』というサイト主催の『R42矢ノ川峠旧道走行オフ会』であった。

 この時は、satounoさんに急な仕事が入ったために翌朝早々に帰阪。satounoさんと悪路を一緒に走るのは今回が初めてとなる。

 こうやってネット上の知り合いと一緒にツーリングするなんて、5年ほど前には全く思いも

よらなかったことなのだ。これもIT時代の新しいツーリング形態なのか?

 やがて東から太陽が昇る。今日はいい天気になりそうだ。港に停められた3台のバイク。80ccのKSRU、400ccのアルテイシア、1300ccのハヤブサ。3台のバイクを染めながら昇る朝日に向かって道中の無事を祈願する。

 午前6時前に甲浦港を出発する。ほとんど車の走っていないR55を徳島方面へ走る。走り始めてすぐに徳島県に入る。10kmほど走ると徳島県海南市大里交差点に到着する。ここから四国縦断国道193号線の旅が始まる。

○国道193号線 1

 国道193号線(以下R193)は香川県高松市を起点とする東四国縦断国道。1953年(昭28年)に徳島県徳島市〜香川県高松市の国道として登場し、1975年(昭50年)に起点が高松市に変更されて現在の区間に変更となった。

 道路状況はR192を境にして南北で大きな格差がある。北部は2〜4車線幅の整備された国道なのに対し、南部の徳島県山川町以南の区間は2車線区間はあるが、ほとんどは路面に苔の生えた1車線幅の3ケタ酷道となっている。素堀トンネルもあるなど酷道度が高い国道なのだ。東西のR439に対して南北のR193というように、四国東部屈指の酷道でもある。徳島県神山町と木沢村の間は未開通で分断されているが、県道にて連絡されており全区間走破は可能である。

 今回の酷道走行オフ会では徳島県海南町〜徳島県山川町までの間を走ることにしていた。R193の中でも一番『酷道』度が濃い区間なのである。 

 R193に入る。早朝なので走っている車はほとんどいない。水田地帯を貫く整備された2車線道を快走する。清流の海部川の美しい流れを見ながら淡々と進んで行く。あちこちの3ケタ酷道を走ってきたが、導入部となる平野部は改良・整備が進んで2車線道となっている3ケタ酷道が多い。R193もその一例。『国道だから整備されている』と思っている人は、この導入部でだまされ、やがて悪狭路の酷道区間に入って行くことになるのだ。 

 15kmほど走ると道幅は2車線幅から1車線幅へと変わる。ほんの少しではあるが『酷道』の一面を出し始めた。海南町小川口地区にあるGSで給油。3ケタ酷道区間に入る時はガソリンを給油しておくのが鉄則だ。

 小川口の集落が途切れると、R193は酷道となり、急カーブ・急勾配が連続する道となる。道幅は1車線幅。路面中央には苔が生えている。元々は林道だった道を舗装し国道にしたのだ。このような元林道という国道はあちこちにある。

 進むにつれて道はどんどんと険しくなり、単に林道を舗装しただけの道となる。杉林の中

を進む狭路を淡々と進む。晴れた日なので安心して進むことが出来る。杉林の中を進むので展望はあまり良くない。小川口集落から約11kmでようやく霧越峠に到着した。ここでかざねさんとsatounoさんとに合流。今回の国道走行はサイトの取材も兼ねているので、写真を撮影しながらゆっくりと走ることにしていた。そのため休憩(集合)ポイントを決めて、その間は各自フリー走行とすることにした。今後はこういう形で集合を繰り返す。

 昨晩のフェリーが効いたのか、かざねさんが体調不良ということで少し休む。酷道走行では無理をしてはいけない。事故の原因となる。今回のように数人で来ているならともかく、1人の場合はなおさらである。

 霧越峠で30分ほど休憩した後に出発。峠の北側、徳島県上那賀町内も完全1車線のウネウネクネクネした狭路が続く。この区間、素堀トンネルがあるなど林道の面影を色濃く残す区間であった。峠から約13kmで上那賀町海川地区の集落に到着する。海南町小川口地区以来、約24kmぶりの人家である。

 人の気配のない酷道を走って、こうして集落に出た時はほっとする。走った道が悪路なら悪路になるほど、集落に出たときの安堵感は大きくなる。時々、とんでもない山奥に集落があることがある。そういう集落には平家伝説が残っていたりするなど、小さな集落ながら1000年以上にわたる歴史があったりするから面白いのだ。

 海川地区からは整備・改良された2車線道となったR193を走る。悲しい伝説が残る十二弟子峠を十二弟子TNで抜けるとR195合流交差点まで快走路が続く。R195合流交差点でかざねさんとsatounoさんと合流。かざねさんは、ハヤブサであの道を走ってきたのだから凄い腕前だ。

○国道193号線 2

 R195との重複区間を5kmほど東に走る。道幅が狭く交互通行となっているTNを抜け、那賀川に作られた長安口ダムによって出来た長安口貯水池を越えた所でR193とR195は別れる。今度の合流地点はスーパー林道分岐点としていたので、すでに二人の姿はない。1人で淡々とダム湖沿いの快適な2車線道を進んで行く。ダム建設によって建設された付け替え道路だ。これによって地元の人達の利便性は格段に向上する。

 山中の道では、ダム建設によって出来た付け替え道路というのも珍しくない。多くの道の場合、谷間を川に沿ってウネウネと進んでいた昔の道(旧道)はダムの完成と同時に、幾つかの集落や畑と共に水の底に沈んでしまう。

 奈良県川上村の大滝ダム予定地では、今まさしく川沿いR169旧道が水没しようとしている。すでに山腹に整備された快走2車線道路が完成しているのだが、私がバイクに乗り始めた頃はまだ川沿いの旧道が現役国道だった。日没後、1人寂しく川沿いの旧道を走ったものだ。そういう想い出のある道が消えるというのは少し寂しい思いがする。

 話をR193に戻す。整備・改良された2車線道は約15kmで終わる。徳島県木沢村五倍木付近からは1車線の酷道に変わる。r295(県道大沢上那賀線)分岐地点近くにある「大轟の滝」を見る。那賀川の支流となる沢谷川にある滝で、小さい滝だが迫力のある滝だ。川自体が清流なので大変綺麗な滝である。

 R193は、ここから沢谷川とその支流に沿って進んで行く。道は相変わらずの1車線幅。沿道にあるもう一つの滝である「大釜の滝」の前を過ぎ、いつ終わるか分からない狭路を進んで行く。幾つかの素堀TNを越えると、釜石峡という渓谷が現れる。巨大な石がゴロゴ

ロ転がっており、その中を清流が流れている。気の遠くなるような年月を経て今の状態になったのだろう。石の上にわずかに出来た砂地に杉の木が生えている。自然の力と生命力の凄さを感じるような光景だった。

 r295分岐点から9kmほど走ると剣山スーパー林道の南側分岐点に到着。そこから1kmほど走るとスーパー林道の北側分岐点(合流点)にあたる雲早TN(木沢村側)に到着。四国最長のロングダート林道を走ってみたい衝動にかられるが、機会があれば走ってみたいものだ。KSRUでのロングダート走行はかなりきついものになるに違いない。

 雲早TNからしばらくの間はR193ではなく、r253(山川海南線)となっている。R193の前身となる県道だろう。ここまでと同じような道が続くし標識が設置されていないで、普通の人ならばR193と思ったまま走ってしまう。事前に調べて実際に走った私でさえも、どこからが県道なのか分からないまま狭路の山道を下って行く。気が付くとR193の標識が立っている。どうやら国道に入ったようだ。

 雲早TNから8kmほどで徳島県神山町大中尾地区の集落へ到着する。さらにここから5kmほど狭路を進むと、神山町上分地区の町中に出る。この時点で午前10時半。速いペースだ。

 ここにあるR438との交差点で集合し、近くにある田中屋旅館の食堂で早めの昼飯とする。なにしろ朝の5時頃に食べたきりなので、皆空腹だったのだ。

 腹を満たして11時過ぎに出発する。R438との重複区間を西へ1kmほど走ると、鮎喰川から離れて山中へ入って行く。1.5〜2車線幅の道が断続する区間ではるが、霧越峠前後の区間に比べると「走りやすい」道である。経の坂峠を越えると徳島県美郷村へ入る。峠から7kmほど走ると整備された快適な2車線道となり、そのまま徳島県山川町に入る。

 R193は最後は快適な2車線国道となって進み、JR徳島線を越えて瀬詰交差点でR192と合流。時刻は正午前であった。

 徳島県海南町大里交差点から徳島県山川町瀬詰交差点まで約109km。(KSRUのメーターによる計測) 休憩時間を除いた約4時間半かけての東四国縦断であった。残る徳島県山川町〜香川県高松市の間は、また後日走ることにしよう。

○国道438号線

 R192を西へむかう。予定では徳島県穴吹町からR492で木屋平村に出て、R438で見ノ越に向かうつもりだったが、徳島県貞光町からR438を南下して見ノ越に向かうことにした。

 国道438号線は、徳島県徳島市と香川県坂出市を結ぶ全長約164kmの3ケタ国道。徳島県徳島市から香川県坂出市を経て愛媛県松山市を結ぶR11が海沿いを進むのに対し、R438はひたすら山中をL字形に進んで行く。しかも山深い見ノ越を越えて行くのだ。今回走ることにしたのは、見ノ越越えの北側の区間。ここも3ケタ酷道区間なのだ。

R438に入り貞光川に沿って進んで行く。道は1.5〜2車線幅の平坦な道。淡々と進んで行く。それにしても良い天気だ。青空が広がり夏の太陽がサンサンと輝いている。朝に走り始めた頃は良かったのだが、昼間になると大変暑い。停まるとどっと汗が噴き出すので、走って風を受けるようにする。satounoさんは、あまりの暑さで沿道で売っていたアイスクリームを食べていたそうな。

 一宇村に入り、13時過ぎに一宇村役場近くにある岩戸温泉に到着。温泉でR193走行の疲れを癒す。1時間ほど温泉で休憩し、十分に体力・気力を回復して見ノ越を目指して

出発する。

 町中を過ぎるとR438は一宇川に沿って山間の谷間を進んで行く。道幅は1〜2車線幅が断続する山間の平坦な道である。r260(県道中野木屋平線)が分岐すると、R438は1〜1.5車線幅の急勾配・急カーブが連続する本格的な山道となる。r260分岐点から約13kmで剣山スキー場前に到着するのだが、その間に7箇所のヘアピンカーブがある。第1ヘアピンカーブの標高が約600mで、最終の第7ヘアピンカーブで標高が約1200m。約11kmほどで600mの標高を稼ぐのだ。険しい四国の山を実感することが出来る。

 普段ならば交通量は少ないのだろうが、この日は3連休の初日ということもあり、車や観光バスの姿が目立った。狭路区間では観光バスとの離合が出来ずに渋滞している箇所もあった。同じような3ケタ酷道ながら、ほどんど車と出会わなかったR193と違い、R438は観光地を結ぶ観光地の国道でもあるのだ。

 やがて徳島県東祖谷山村見ノ越に到着。時刻は15時と早かったが、本日の走行はここで終了とした。

○民宿『霧の越』

 本日の宿は見ノ越にある民宿『霧の越』。かざねさんの行きつけの宿だそうでここの主人とは顔なじみであった。ここの2階には個人経営の『祖谷平家民俗資料館』があり、宿泊者であれば無料で入ることが出来る。展示室には戦国時代(?)の鎧甲や着物、いろんな道具などが所狭しと展示されている。ほとんどの物を東祖谷山村の民家から収集したという。展示されている道具は、昔の人達の知恵と工夫がなされている物ばかりであった。こういう物は是非とも残して欲しいものだ。 

 satounoさんと一緒に近くにある剱神社へ向かった。剣山の山頂近くにある御神体の岩を奉っているのが大剣神社。こちらは大剣神社の下社なのだろうか。剣山といえば、宮尾登美子作『天涯の花』という小説の舞台になった所で、『天涯の花』の記念碑が立っていた。

 やがて雨が降ってきた。見ノ越に到着する前から上空に雲がかかっていたので、もしやと思っていたのだ。標高1954mの剣山だけあって、天候は変化しやすい。麓では晴れていてもここでは雨が降っていることはざらにあるようだ。そういえば見ノ越はかなり涼しい。麓でのあの暑さが嘘のようだ。見ノ越で夏は冷房いらずだとか。それほど夏は涼しいのだが、逆に言うと冬は大変寒い土地ということ

になる。

 宿に戻り3人で夕食を食べる。付近で採れた山菜などが出る。かざねさんやsatounoさんは、出された焼酎を飲んでご機嫌だった。

 部屋に戻るとすぐに布団に潜り込む。この日初のテレビ放映というアメリカ版『ゴジラ』を見る。やがて今日の酷道走行の疲れが出てきて、24時過ぎには寝てしまった。

◇ちょっと寄り道〜 剣山の伝説 〜

 剣山にはいろんな伝説があることでも有名です。有名なところでは3つの伝説があります。

「平家の馬場」:剣山山頂の広くなだらかな草原は、屋島で敗れ、秘境祖谷に隠れ住んだ平家の落人たちが再起を願い、

         騎馬の訓練に励んだとの伝説があります。場所の名の由来となっています。

「宝蔵石」: 山頂の測候所の横にある巨岩のこと。平家の再興に備えて、武器、軍用金を埋蔵したその目印であると言わ

       れています。また安徳天皇の御剣をこの岩の下に隠したとも伝えられています。

「ソロモン王の秘宝」:剣山山頂付近に、古代イスラエル王国2代目の王であるダビデ王の息子で、紀元前10世紀中頃の

             古代イスラエル王国のソロモン王が、莫大な財宝をる剣山山頂に埋めたという伝説があります。

 本当かどうか分からりませんが、「秘宝伝説」を聞きつけた旧日本帝国陸軍が剣山一帯をくまなく調査したという話もあります。また戦後何人もの人達が「宝探し」に訪れたそうです。

 

 この他にも、剣山自体が巨大ピラミッドで秘宝が隠されているとか、アーサー王(だったかな?)が持っていた伝説の聖剣『エクスカリバー』が眠っているとか、某アニメでアトランティスの遺産と言われた『オリハルコン』が眠っているなどという話があるそうな・・・。この手の話題にはこと欠かない山のようです。剣山はそれほど神秘的・秘密めいた陰を持つ山でもあるのでしょう。

 伝説というのはいくらかの真実を含んでいると言われています。このような伝説が残っていると言うことは、基になった出来事があったのでしょう。『トロイの木馬伝説』を信じて古代ギリシャの都市を発掘したという事実もあります。もしかしたら、将来、伝説を信じ続けて発掘を続けた人が、日本史いや世界史をひっくり返す凄い大発見をするかも知れないのです。

 う〜む、また空想が暴走してしまいました。ネットで『天涯の花』について調べていたら、とんでもない方向へ進んでしまいまいました。(^^) だって剣山の項目に『ソロモン王の秘宝』ってあったら、「なぁ〜んじゃこりゃ?」と見てしまうでしょ。(^^;)

そんなわけで、せっかく調べたのだからと言うことで載せました。

2001年7月21日(土)

○『与作』を行く! 1

 翌日は朝から快晴。今日も一日良い天気になるようだ。朝食の後出発準備をする。記念撮影した後、9時過ぎに出発となる。

 ここからsatounoさんは別行動となり、岡山県に向かわれるという。見ノ越にあるR439との交差点で、私とかざねさんはR439へ、satounoさんはR438へ向かった。

 今日のメインは国道439号線の走行だ。国道439号線は、徳島県徳島市と高知県中村市を結ぶ全長約340kmの3ケタ国道。険しい四国山脈を貫きながら、四国のほぼ中央を東西に進む四国横

断国道。悪路・狭路が続く名高い『酷道』でもあるのだ。四国の『酷道』代表格とも言える道である。愛称はずばり『与作』。

地元の人と話しても『与作国道』で通じるのだ。愛称と言えば、昨日走ったR193は『一休さん』と呼ばれているのだろうか?

 このR439は、1997年(平9年)6月に一度走行している。その時はZRX400にキャンプセット一式を入れた荷物(コンテナ)を積んで、高知県中村市から徳島県徳島市へひたすらR439を走った。見ノ越まで来た後、そのまま徳島までR43

8を走っている。その時以来、約4年ぶりのR439走行になるのだ。

 見ノ越から単独国道(徳島市〜東祖谷山村間はR438と重複)になったR439は、1〜1.5車線幅の道が断続する狭路が続く。見ノ越付近は急勾配・急カーブが連続したが、そこを除けば川沿いに集落を繋ぎながら進む典型的な山間の3ケタ国道である。見ノ越から13kmほど走ってようやく集落に到着する。以後は2〜4kmおきぐらいに集落を繋ぎながら淡々と進んでいった。

 東祖谷山村京上地区には高速道路並みの立派なバイパスTNがあった。ここの出口でかざねさんと合流する。ここで少し休憩していると、これから林道を目指すオフロードバイクのツーリンググループと出会った。

 ここからはR439最大の難所である京柱峠を越える区間に入る。四国の屋根である四国山脈を越える標高約1100mの峠を越える区間は、狭路でなおかつ悪路であることで有名だ。ほとんどの区間が完全1車線幅で、路面には苔が生え落石も結構転がっている。どうみても林道を舗装しただけの道なのだ。

 1997年6月の時は京柱峠を高知県大豊町側から走った。京柱峠に近づくにつれて空は曇り、峠を越すと雨が降り出した。雨足は徐々に強くなり始め、路面は流れ出た雨水で川と化し、うじゃうじゃと沢蟹が道路を横断するような状況になった。『運転操作を誤れば死につながる』と肌で感じ、水溜まりでスリップしないようにものすごい徐行運転で峠道を下ったのだ。そんな思いがあるので、R439京柱峠区間はとんでもない酷道という印象が今だに強い。

 気合いを入れて出発する。道はすぐに完全1車線幅の苔の生えた狭路になった。最後の集落を過ぎると、何もない杉林の中を進むことになる。ウネウネと急カーブと急勾配の坂道が続く。路面は荒れ放題。苔が生えていたり落石が転がっているのは当たり前。舗装が剥がれて大きな窪みが出来ている所もある。ガードレールのない箇所もあり、タイヤを取られてバランスを崩せば、下手すれば谷底に落ちてしまいかねない。やはり酷道だ。

 今日は快晴の天気なのでまだマシだが、97年の時は大雨の中走っていたのだ。自分のことながら、よくもまぁ無事で通り抜けられたことだと感心してしまう。

 こういう酷道にはKSRUが向いている。何かあればすぐに引き返すことが出来るし、小回りが利くので急カーブも楽に曲がって行ける。ZRX1100だと走れることは走れるが、かなり疲れてしまうだろう。GSX1300『ハヤブサ』に乗るかざねさんはどうしているだろうか?かざねさんの姿はすでになく、かなり先を進んでいるようだ。

 東祖谷山村最後の集落となる樫尾集落から約7kmほど杉林の中の悪狭路を進んで行くと、見晴らしの良い所に出た。どうやら標高の高い山腹に出たようで、四国の山々を一望することが出来る。快晴なのでかなり先まで見通すことが出来る。気分爽快な気分になる。

 そこから2kmほど進むと京柱峠に到着。かざねさんと合流した。ここでしばし休憩していると、名古屋から来たというライダーと会った。これから高知方面に向かい、佐田岬まで走るつもりでいるとのこと。続いて大豊町側より3人組(?)の関西人ライダーのグループと出会う。ここまでの道で根を上げていたが、京柱峠はこれから(徳島県側)がメインなのだ。「間までよりも道はひどくなりますよ」と話すと、「ど〜にかなるでしょ」とあっけらかんとして出発していった。

 京柱峠の看板前で記念撮影したあと出発する。大豊町側の区間は整備されている区間が多く走りやすい。峠から2kmほど走ると久々に民家の前を通り過ぎた。なぜかうれしい。しかしすぐ

に民家のない山中へ入ってしまい、杉林の中の狭路を延々と進んで行く。

 やがて高知県大豊町西峰地区の集落へ到着する。1.5車線幅の急坂沿いに民家が建っている。急斜面に家が建っているようだ。こんな所まで人が住んでいるとは。一体どんな暮らしをしているのだろうか。さらに8kmほど山中の道を下って行く。大豊町東豊永地区の集落を越えると、南小川沿いに進む平坦な1〜1.5車線幅の道となる。

 粟生TNからは整備された2車線道路となり、急勾配の坂道を一気に下ると町中へ到着。JR土讃線を越えるとR32と合流し、京柱峠越えを終えた。

○秘湯『奥白髪温泉』

 R32合流点に到着するが、ここで合流するはずのかざねさんの姿がない。付近を探すが姿はない。大豊町大杉地区のR439分岐点に行ってしまったのだろうと考える。GSで給油したのちR32を南へ向かう。平日は大型トラックの姿が多いR32であるが3連休の中日とあってか姿は少なく、吉野川の流れを見ながらマイペースで走ることが出来た。

 案の定、大杉地区のR439分岐点にかざねさんがいた。ここでもオフロードバイクに乗ったライダーと出会う。かざねさんに道を尋ねていたのだが、これから京柱峠に向かい林道で物部村に向かういう。舗装化が進むとはいえ、四国はまだ林道の宝庫なのだ。

 近くにある道の駅『大杉』で昼食を食べる。ここでは京柱峠で会った名古屋のライダーと再会。同じテーブルに座らせてもらい昼飯を食べながら雑談する。ツーリングライダー同士だと、身も知らぬ間柄であってもすぐにうち解けることが出来るのだ。名古屋のライダーさんは先に出発。旅の無事を祈って見送った。

 14時ジャストに道の駅を出発。R439を西へ向かう。吉野川に沿ってウネウネと進んで行く。吉野川は徳島県内だけと思われる方も多いかも知れないが、吉野川は高知県と愛媛県の県境にある伊吹山付近を源流として、高知県と徳島県を横断して紀伊水道に至っているのだ。中央分水嶺である四国山脈を貫く珍しい川で、景勝地として名高い大歩危・小歩危付近がその地点。あの光景は、気の遠くなるような年月をかけて自然が作り出した芸術品なのだ。

 高知県本山町に入った所でR439から離れる。吉野川を渡って町道らしき道に入り込む。吉野川の支流となる行川に沿って進む道。最初は1.5車線幅の道だったのだが、3kmほど進むと薄暗い杉林の中を進む完全1車線幅の極狭路となる。路面は一応舗装されてはいるが、路面中央に苔が生え落石が転がる『悪路』となった。小刻みな見通しの悪いカーブが連続するのだ。

 ところがハヤブサに乗るかざねさんは、全く走行ペースを落とさずに見事にハヤブサを操って『悪路』を進んで行く。「攻めて」いると表現した方が良いかも知れない。こういう道は本来ならKSRU向けなのでついて行かねばならないのだが、どんどんと離されてしまった。私は2000年8月の事故以来こういうカーブになると自然とスピードを緩めてしまうということはあるにせよ、さすがは『悪路を愛する』かざねさん。悪路走行するに当たってはちゃんとした運転技術を持っていらっしゃるのだ。

 道は最後はダートとなる。200mほどのダートを通り抜けると目指す秘湯『奥白髪温泉』に到着した。白髪山の麓にある元銅山前にある温泉だ。ここの湯は四国では3湯ほどしかないという硫黄泉の湯。休憩室、浴室から岩風呂の内湯まで全てがここの主人の手作りだという。1989年(平成元年)に温泉が湧き、1991年(平3年)に温泉施設としてオープンしたのだとか。

 ここを含めて周囲の山々が自分の所有する土地と山だから出来る道楽だと主人は話しておられた。『借金を全額返済したら道楽(温泉)はやめる』と笑って話しておられたが、借

金を返済した後も続けてもらいたい温泉である。

 清流の行川を眺めながら入ることの出来る岩風呂に浸かり、京柱峠越えの疲れを癒す。気力・体力を満タンにしてR43

9へ戻った。

○『与作を行く!』 2

 高知県大豊町からのR439は改良・整備の進んだ2車線道路。実に快適に走ることが出来る。見ノ越や京柱峠を越えるあの道が、同じ国道であるとは信じることが出来ない。KSRUで快調に進んで行く。

 少しでも『酷道』気分を味わおうと、土佐町と吾北村の間にある郷ノ峰峠をR439旧道で越える。杉林の中を進む約5kmほどの完全1車線の酷道であるが、6時間ほど前に京柱峠を越えて来たところなので難なくクリア出来た。郷ノ峰トンネル吾北村側でかざねさんと合流する。ここからは吾北村を走ることになる。 

吾北村内のR439は、整備・改良の進む快適な2車線国道に生まれ変わりつつあった。1997年6月に走った時は、素朴な田舎の集落を結ぶ1車線幅の道が続くローカル国道であった。水田や農家を脇を淡々と通り過ぎて行ったのだ。それから4年ほど経っただけで大きく変化してしまった。今では一部に1車線幅の狭路区間が残っているものの、ほとんどの区間が高規格の快適2車線道路となっている。残る区間でも建設工事が進んでいる。2〜3年の間に吾北村内のR439は快適2車線国道となってしまうのだろう。

 高知県内のR439は、他にも杓子峠や大峠などの峠越え区間がある。それらの峠もバ

イパス工事が行われているか工事が予定されている。10年ぐらいの間に、高知県内のR439からは酷道区間が解消されるかも知れない。それも道の進化の一過程といえるのだろう。全区間が2車線道になったら、今度は全区間を4車線道にするのだろうか?

 かつての素朴なローカル国道の雰囲気が無くなった『与作国道』を走り抜けR194へ出る。このR194も整備・改良された快走路だ。交通量は少なく快適に走ることが出来る。上八川川に沿って南下。途中の吾北村広瀬地区では、R439分岐点前を通過。大峠を越える区間の入口になる。走りたい衝動にかられるが、その衝動を抑えて分岐点の写真だけ撮って後にする。またの機会に走りに来よう。

○高知港へ

 伊野町に入ると、R194は仁淀川に沿って走るようになる。淡々と2車線道を下り、17時半頃に道の駅『土佐和紙工芸村』でかざねさんと合流する。ここで仕事先への土産を買う。この後は高知港へ向かうだけとなる。ここからは2台連れだって走ることにする。

 まだ時間に余裕があるので、このまま高知港へは行かずに伊野町大内にある蘇鉄温泉へ向かう。R194〜R33〜r39(県道土佐伊野線)に走り脇道へ入る。小さな山の麓にある蘇鉄温泉に到着したのは18時過ぎ。この蘇鉄温泉も硫黄泉の湯。偶然ではあるが四国に3つしかないという硫黄泉の温泉に1日で2つも入ってしまった。地元の公衆浴場っぽい温泉で、訪れたのが土曜日の夕方ということもありかなり混雑していた。U字形の浴槽に浸かる。湯は熱いのですぐに体が温まる。

 蘇鉄温泉を出た後、夕暮れの伊野町・春野町の町中を通り抜ける。r36(県道高知南環状線)を走り高知市へ入る。r3

4(県道桂浜はりまや線)に入り4車線の広い道を北上。新宇津野TNを通り抜けてr366(県道高知港線)に入り、高知港の大阪高知特急フェリーに乗り場に19:30頃に到着した。

○大阪高知特急フェリー

 ターミナルは、これから大阪へ帰る人達で混雑していた。乗れなかったら一大事なので、5日ほど前に大阪高知特急フェリーのWebサイトでインターネット予約しておいて正解だった。雑魚寝ルームではなく2等寝台を予約したのだ。

 窓口でインターネットで予約したと告げたのだが、なんと予約されていないらしい。システムの不都合かあちらのミスか分からないが、とにかく予約されていないのだ。予約画面をプリントアウトして持って来ていたのでそれを差し出す。しばらくすると課長らしき上司が出てきて、「すぐに手配します」と言ってくれて無事に2等寝台室を取ることが出来た。予約は面倒でもフェリー会社の予約センターに直接出向くか電話して予約するべきなのだろう。

 待機場には多くのバイクが停まっていた。この連休で四国を回っていたライダー達だろう。行きのフェリー『むろと』に乗っていた女性2人組も見かけた。乗船し客室に向かう。驚いたことに2等和室(雑魚寝ルーム)は大混雑。フェリー『むろと』に近い状態だ。子供連れも多い。日曜日の朝に大阪に帰ってゆっくりしようということなのだろう。2等寝台を予約して正解だった。

 車両甲板にバイクを停めて荷物を持って客室へ向かう。フェリーは新しく新造されたらしい。昔乗った時とは大きく変わっていた。

 このご時世、フェリー会社はどこも経営が苦しいらしく徹底した人員削減と合理化が行われていた。このフェリーにレストランがないのも、合理化の一環だろうか。てっきりあるものだと思っていたので、これには焦った。急いで売店で弁当を買い、出航前に甲板で潮風に吹かれながら食べた。

 2等寝台室は4人部屋で私のベットは上段だった。できれば下のベットに寝転びたいと思って、船内のフロントで後に誰か来るのかと尋ねる。手配された部屋は予備部屋だそうで、出航後に2等和室から寝台に希望される方がいると部屋に入れるという。「希望客がいなければ下段に移って頂いて結構です」と言われた。

 しばらくすると一組の若夫婦が部屋に入ってきた。2等和室の混雑に参ってこちらに移動して来たのだと言う。聞くと、会社の都合で名古屋に住んでいる夫婦で、旦那は大阪の八尾、奥さんは広島県出身だそうだ。今回は連休を利用して広島にある奥さんの実家に帰り、高速で名古屋へ一直線に帰るのではなく、しまなみ海道経由で四国に渡り高知まで下って来たのだという。大阪南港から八尾にある旦那さんの実家に寄って名古屋へ帰るとか。

 この若夫婦が実に面白い夫婦だった。「ボケ」方とするどい「ツッコミ」の質の高さと言い、「ボケ」と「ツッコミ」の間合いの取り方と言い、夫婦漫才さながらの会話には笑わせてもらった。奥さんが広島出身だとは信じられない。生粋の大阪人に見えてしまう。

 旦那さんはライダーでもあり、ゼファーに乗っているという。結婚後はよく夫婦でタンデムツーリングに出かけたが、最近はエンジンの調子が悪くて乗っていないそうだ。私らのツーリング話を聞いて触発されたのか、旦那さんは「バイクに乗りたくなったので帰ったらエンジン直して乗りますわ」と言っていた。

 かざねさんは疲れからか早くも寝てしまったようだが、気が合ったのか私と若夫婦は結構遅くまで話していた。2等和室だとこうはいかない。2等寝台室だからこそ出来たことなのだ。この夫婦のおかげで楽しい船旅となった。

2001年7月22日(日)

○オフ会終了

 21日21:20に高知港を出港したフェリーは順調に進み、翌22日の日の出頃には友ヶ島水道を越えて大阪湾を進んでいた。5時過ぎに目が覚めてから甲板をウロウロする。遠くに泉州や淡路島が見える。東から太陽が昇る。部屋に戻ると皆起きていた。若夫婦とも挨拶を交わす。

 午前6時30分、大阪南港フェリーターミナルに到着。若夫婦と別れの挨拶をして車両甲板に下る。20台近いバイクが並んでいた。

 フェリーから下りる。3日ぶりの大阪だ。ターミナル前でかざねさんと別れ、あとは1人で走る。KSRUなので高速には乗れないのでひたすら地道を進む。

 自宅に到着したのは午前7時30分頃。無事に到着。かざねさんも無事に自宅に到着したと掲示板に書き込みがあった。satounoさんも後日に書き込みがあり、広島と岡山を回って帰阪したとのこと。初の泊まり込み&酷道走行ツーリングオフ会は、参加者誰1人にも事故に遭うことなく無事に終了した。

 いろいろと楽しいツーリングオフ会となった。さて次回はどの酷道を走ろうか?

【第1回酷道走行ツーリングオフ会レポート終わり】

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