◇第2回ツーリングオフ会 2001年(平13年)4月22日(日)開催

○第2回ツーリングオフ会

 2000年(平12年)11月の第1回ツーリングオフ会に続いて、第2回ツーリングオフ会を開催することになった。開催日は2001年(平13年)4月22日(日)。その前の週の4月6日〜14日まで、私は九州ツーリングに出かけていたので、九州から帰ってすぐの開催となった。

 今回の行き先は北近畿。京都府加佐郡大江町にある『日本鬼の交流博物館』に寄って天橋立に向かうというルートを考えた。このルートを考えたのは2000年10月のこと。実は第1回ツーリングオフ会の候補として検討していたルートで、そのまま今回のルートとして採用したのであった。

 開催日前日の4月21日は雨。しかし開催日の4月22日は朝から快晴の良い天気となった。第1回目同様、絶好のツーリング日和だ。ただ上空に寒気が入り気圧配置の関係で北風が吹いているので、4月のこの時期としては少し寒い日となりそうだった。

○参加者は・・・

 第1回は、先導する立場にありながら何度も『爆走』してしまったので参加者はいないだろうと思っていたが、事前に何名かの方々から参加する旨のメールを頂いていた。前回の二の轍を踏まないよう、『爆走』しないことを決意して集合場所に向かった。

 集合場所は中国自動車道赤松PA。西宮名塩SAは狭い上に混雑するので避けたのだ。第1回目の時は主催者である私が遅刻したので、今回は遅刻しないよう早くに自宅を出発する。阪神高速で大阪府を一気に縦断。中国池田ICから中国道に入り西へむかう。ゴルフや行楽に向かう車が多く渋滞気味だった。

 赤松PAに到着したのは8:30頃。 PAには10台ほどのバイクが集まっていた。もしや当日参加者の方々かと思ったが、見覚えのあるバイク2台を除いた他のバイクは、全く関係のない他のツーリング倶楽部のバイクだった。

 第1回に続いての参加となった相互リンクのHP『かざねかたな旅の書』管理人のかざねかたなさんと、同じく相互リンクHP『バイクTekuTeku紀行』管理人たぬたぬさんの相方であるセイウチさんの2人が先に到着していた。セイウチさんはすでに8時頃に到着していたそうだ。

 8:40前になってたぬたぬさんが到着。続いて45分頃に私の高校時代からの友人であるKIが到着した。KIは奈良県北部にある自宅を8時前に出発したとか。はて?一体どうやって50分ほどで来たのだろうか?謎・・・

 9:00頃まで待ってみたが、参加者らしき方が来る気配はない。今回はこの4人だけと判断し、9時過ぎに赤松PAを出発した。

○まだまだ未熟

 赤松PAを出て3kmほど走ると舞鶴道に入る。最初の休憩ポイントである西紀SAまでフリー走行ということにし、各自のペースで自由に走ることにしていた。快晴の日曜日と言うこともあり、ドライブに向かうオープンカーの集団や何組ものバイクツーリンググループと出会う。オープンカーのドライバーの中には、ピースサインを出してくれる方もありうれしくなる。こちらもピースサインを出して挨拶したりして道中を楽しんだ。

 西紀SAで休憩。SAは行楽客の車で混雑していた。遅れてきた人が来ないかしばらく待ってみるが、それらしき人は現れなかった。SAではKIに『スピード出し過ぎ』と注意される。フリー走行とは言え、参加者は先導者について行きがちになる。皆のペースを考えて走らなくてはと反省する。高校からの長いつきあいなので、こういう時は遠慮なく言ってもらえるのがありがたい。

 KIも含めて高校時代の友人とは年1〜2回一緒にツーリングに出かける。いわゆる『同窓会ツーリング』では、皆の運転技量と気心が分かっているので多少無茶な運転をすることがある。しかし、今回のようなツーリングの場合は、参加者の方々に楽しんで走ってもらわなくてはならないし、運転技量やバイク性能もバラバラなので安全運転に徹しなくてはならないのだ。

 開催者としては心得ておかないといけない当たり前のことなのだが、私のようにソロツーリングが多かったり、参加者が親しい間柄の者ばかりのツーリングに多く参加していると、そういう面での配慮に欠けてしまいがちになってしまう。心がけているつもりでも、実際には忘れがちになってしまうのだ。私もまだまだ未熟です。<(_ _)>

○大江山の鬼

 10:20頃に福知山ICに到着。かなり早いペースだ。これなら少しは余裕を持って進むことが出来る。福知山ICからはR9に下りる。福知山市街を抜けてR175へ。そのまま北上して最初の目的地である鬼瓦公園に11時前に到着した。

 鬼瓦公園は大江町町役場の隣、北近畿タンゴ鉄道宮福線大江駅駅前にある。公園というよりは広場である。そこに全国の鬼瓦職人達が作った鬼瓦72枚が並んでいる。駅の2

階からだと奥行きのある写真を撮ることが出来る。

駅の2階にも鬼瓦の展示コーナーがあり、間近で鬼瓦を見ることが出来る。瓦に描かれた鬼にいろいろな表情がある。鬼師という職人さんが1枚1枚丁寧に作って行くそうだ。見ているうちに庭に一枚鬼瓦を置きたくなった。屋根でなく庭に飾ってもいいかも知れない。

役場向かいの食堂で昼飯を食べる。ここで軽く自己紹介。これでうち解けた後、次の目的地である鬼博物館に向かう。r9にスイッチすると、車はほとんど走っておらずマイペースで走ることが出来る。急カーブを曲がって進むと二瀬川渓流へ。ここにあった鬼の像は、いつの間にかコミカルな鬼の像になっていた。

 以前立っていた鬼の像はまだ「鬼」らしい雰囲気を出していた。個人的には以前の鬼像の方が良かったように思う。新しい鬼像はあまりにもコミカルで、漫画的過ぎるのだ。この像を見ていたがKIは、『なんで鬼が水玉やねん。鬼と言ったらトラパンツやろ!』と冷静に突っ込んでおりました。その通りです。

12:30に鬼の交流博物館に到着。ここまでの沿道にもコミカルな鬼像が何体か立っていた。鬼博物館は日本を始め中国・東南アジアなどに広がる『鬼』についての博物館。建物を正面から見てみると、二本の角を持つ鬼のデザインをしている。入口近くには巨大な鬼瓦が置いてある。何人かの鬼師の方々の共同作業で作られた鬼瓦である。その強大さにおどろいてしまう。

鬼博物館には日本各地の鬼伝説や鬼の面、中国・インドネシアの鬼についての展示コーナーなどがある。大江山の鬼退治の伝説についてのコーナーもあり、結構楽しむことが出来ある。ここには世界鬼学会事務局まであるとか。

 地獄では鬼に罪人が裁きを受けている絵を見た方も多いだろう。古来より「鬼」は恐れられ畏怖されてきた。邪悪な者の象徴でもある。しかし一方では「魔除けの神様」として祀られている所もある。「鬼」という概念は、東南アジアと中国から日本に入ってきたそうだ。

 鬼伝説は日本のあちこちに残っている。ここ大江山にはなんと3つもの鬼伝説が残っている。その中で有名なのが『酒呑童子』の話。源頼光が家来と共に、京の都を荒らしまくった酒呑童子という鬼を、酒に酔わせて騙し討ちに退治したという話だ。

 もともとは「鬼」ではなく「山賊」を退治したのではないだろうか。昔話や伝承は、昔に起こ

った出来事を元にしていることが多い。時代が経つにつれて山賊が鬼に変化したのだろう。

 赤い肌で巨大な背丈の「鬼」。もしかしたら「鬼」は、日本近くで難破して漂着した西洋人だったではないかとも考えてしまう。背丈の低い日本人から見れば、赤っぽい肌をした背丈の高いアングロサクソン系人種は恐ろしい存在に見えたのではないだろうか? ある地域では「鬼」、またある地域では「天狗」と呼ばれた彼らは、人里離れた山奥でひっそりと暮らしていたのだろう。食料を取りに出かけたらたまたま里の者に出合い、「鬼」と思われたのだろう。

 展示物を見ながらどんどん空想が膨らむ。旅先でこうして想像力を働かすのも『旅』のおもしろさの一つだ。興味を持ったなら、文献などでさらに深い所まで調べると知識はより広く深くなる。

 私の場合、仕事に関することよりも、こうしてツーリングなどで興味を持って調べて得た知識の方が遙かに多い。ほとんどの知識が仕事には役に立たないが、人と会話する分には十二分に役に立っている。私にとってツーリングとは、仕事上での人との会話のネタを集めるための重要な仕事でもあるのだ。

○天橋立

 r9を北上する。普甲峠を越えて宮津市に入る。r9は高速の建設に合わせて改良が進んでおり、宮津市市街では拡張工事が進められていた。1.5〜狭い2車線道で街中を行くのは昔話になってしまった。

 宮津市街でR176に入る。遅い車が前を走っていたが、先頭ということもあり抜きたい気持ちを我慢して先に進む。R176宮津BPを過ぎてR178に入る。しばらく北に進むと天橋立傘松公園前に到着した。有料(バイクは300円)駐車場にバイクを止める。傘松公園は山の頂にあるので、上らねばならないのだ。

 土産物屋街を抜けてケーブルカー乗り場へ。頂上へはリフトもあるのだが、料金はケーブルカー・リフト共片道320円だという。ケーブルカーが320円なのは分かるが、リフトまで320円だというのは納得できない。両方同じ値段というのはおかしい。聞いたところ15分ほどで上ることが出来るそうなので、歩いて山頂まで行くことにした。

皆、のんびりと食べながら登ると言ってアイスやソフトクリームを買い込む。私は食べながら歩くのは嫌なので何も買わないで登ることにした。さて登山道は途中の神社(?)までは緩やかな坂だったが、神社を過ぎると階段が現れた。結構急な階段で階段の幅が小さい。少し登りずらい。

最初の間はいろいろ冗談を言いながら登っていたのだが、すぐに終わると思われた階段は終わる気配は全くなく延々と続く。歩き始めて5分もしないうちに皆無口になり、ひたすら階段を登るだけとなった。やがて息が切れ始める。足もだるくなり上るのが辛くなってきた。30歳代に入ると持久力はガタ落ちするのだ。自分の持久力の低下を体感してしまった。

1人だけ違ったのがたぬたぬさん。頂上近くに来ると、たぬさんは一気に階段を駆け上り、1人だけ先に頂上に登り、疲れ切った表情で登って来る後発組を撮影していたのだった。体力ありますねぇ〜(^^)

ゼェゼェと息しながら頂上に到着。ここから見下ろす天橋立の眺めは素晴らしい。今までの疲れなど一気に吹っ飛ぶような素晴らしい景色だ。対岸に宮津の市街地が広がり、宮津湾の中を縦断するかのように一直線の砂地と松林が延びている。『日本三景』の一つに数えられるだけのことはある。

 傘松公園は『天橋立の股のぞき』で有名な所。お立ち台があり、みな後ろを向いて股の間から天橋立を覗いている。こうして見ると、天橋立が「天に昇る梯子」に見えるというのだ。ここに来たのだからと、皆と同じく「股のぞき」をやってみる。天地逆さまでで天橋立を見てみる。

 昔の人はうまいこと表現したものだと感心してしまう。それほとにまで素晴らしい風景だったのだろう。昔は沿岸に何もなかったのだが、今ではいろいろなモノが出来てしまったが、

昔と同じく「天に昇る梯子」だけは変化がないのだ。

 今回の参加者全員で記念撮影した後、全員で「股のぞき」をする。1人ではなかなか出来ないことだが、5人もいれば堂々と出来るのだ。他の方々には天橋立がどのように見えたのだろうか?

 急な階段を下りてケーブルカー乗り場に下りる。そこはバスの乗り場にもなっており、路線バスが急勾配の坂道を登って山中へ向かって行った。あとで地図で確認したのだが、どうやら山の裏手からここまで道があるようだ。バス専用道のように見える道だが、一般の府道のようなので一般車での進入が可能なのかも知れない。

ケーブルカー乗り場の展望台でしばらく休む。イカ焼きの香ばしい匂いがしており、この匂いに負けてしまい1人100円ずつ出し合って500円の焼きイカを買ってしまう。めちゃくちゃ美味しいイカであった。

疲れ切った身体で、あの階段を下るのは嫌だったので、今度は一言の文句を言わずに320円を支払ってリフトで山を下る。楽ちん。楽ちん。

麓に下りて土産物街を散策する。試食品がおいしかったので魚の乾物を買う。後日談だが、このうちの約1/3は我が家の猫の胃袋に入ってしまった。

各自、土産物をいろいろ買って天橋立を後にした

○おのの小町温泉

 たぬたぬさんの希望で、天橋立の北側の付け根付近に寄る。細々とした集落内を通ると遊歩道入口に到着。この先は125cc以下のバイクしか進入することは出来ないので、入口付近で停まる。遊歩道はダートとなっており、地元のおっちゃんが砂煙を上げながらスクータで爆走している姿は壮観だった。

 R178を南下してR176に戻る。さらに南に向かいR312に入って大宮町にある『おのの小町温泉』に向かった。入り口付近には『温泉こっち→』という風に案内があるのだろうと

思っていたのだが、全くそのような看板や標識が表示が現れない。R312をかなり進みこれは行き過ぎたと感じて引き返す。結局、温泉は国民健康保険センター保養施設にあった。あまり宣伝はしていないようだ。

 温泉に入る。脱衣所内からむしっとしており眼鏡が曇ってしまった。浴室の湿気がほとんど脱衣所に来ているのだろうか。内湯もほどほどにして露天風呂に入る。

 露天風呂からは大宮町の町並みを見下ろすことが出来る。眺めの良い露天風呂には屋根が付いてる。雨や雪の日でも露天風呂に入ることが出来るのだ。ここで長時間浸かってバイク談義となる。オフ会らしい光景だった。

○オフ会終わり日が暮れて…

  温泉を出たのは17:45。夕暮れになるといきなり気温が下がった。北風もありけっこう寒い。オーバーパンツをはいてバイクに乗る。R312からR176に入る。R176与謝峠を旧道分岐点を確認しながら走る。途中でセイウチさんの荷物がずり落ちかけそうになったが、無事未然で防ぐことが出来た。

 私としては走りたくてウズウズするような旧道が分岐している。今回は我慢して、またの機会にして先を急ぐ。R176を一気に走りR175へ。更にR9に入るが、福知山市内で渋滞に巻き込まれる。このまま高速に入っても中国道も渋滞しているだろうということもあって、かざねさんの提案で福知山市内で夕食を取ることになる。

 R9沿いのガストに入って夕食となる。ここでもバイク談義で盛り上がり、ガストを出たのは20時前だった。個人的に福知山近辺までバイクで来ることはあるが、こんな遅くまで福知山にいたのは初めてだった。

 20時ちょうどぐらいに福知山ICから舞鶴道には入る。すっかり陽も暮れて夜間走行となる。私を先頭に進む。帰路は日没後と言うこともあるので、かなりゆっくりとしたペースで進んだ。おおむね80〜90k/h平均で走る。これならオフ車でもついてこれるだろう。

 20:20過ぎに西紀SAに到着。体が冷えたので暖を取る。30分ほどで出発する。西紀SAから30分ほどで西宮名塩SAに到着。かなり離れているように思えるのだが、気のせいか走ってみるとかなり近いように思える。

 名塩SAで休憩を取りながら、次回のオフ会などについていろいろ話す。気が付くと22自近い。遅くなるのでSAで解散となり、以後各自流れるままに散会となった。

 西宮名塩SAから中国池田ICまで一緒に走る。中国池田ICで近畿道に向かうかざねさんとKIと別れる。残った3人は、池田から阪神高速に入り南下。池田線〜環状線〜湾岸線と乗り継ぐ。セイウチさんは湾岸線大浜出口で。たぬさんとは堺泉北道分岐の助松JCTでそれぞれ別れた。

 あとは1人となり、走り慣れた道を走って自宅に着いたのは23時前であった。参加者それぞれ無事に自宅に到着したとのことで一安心。ツーリングオフ会は無事に終了した。

【第2回ツーリングオフ会レポート終わり】

>>オフ会00−05TOP