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●帝国海軍根室第二飛行場(根室牧の内飛行場) 北海道根室市市街の東にある根室市牧の内地区に建設されたのが旧帝国海軍根室第二飛行場でした。(注1) 1943年(昭18年)9月に建設が開始され、1945年(昭20年)6月に完成。全長約1200mのコンクリート滑走路の他、有蓋・無蓋掩体壕合わせて計36基が建設され、日本の北東(千島列島)方面の防空の要となる本格的な陸上航空基地でした。 開設後、わずか2ヶ月ほどで終戦。戦後、飛行場は廃止され今は農耕地となっていますが、滑走路跡と有蓋掩体壕数基と防空壕(指揮壕)数基、いくつかの施設跡が残っています。 |
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*注1:第一飛行場は不時着用飛行場として1932年(昭7年)に根室市花咲地区に開設されています。 >>2007.03.08 Update |
◆根室第二飛行場 |
大東亜戦争(太平洋戦争)末期の1945年(昭20年)6月に完成した根室第二飛行場。終戦わずか2ヶ月前に完成した海軍飛行場でした。北海道と千島列島の防空を目的に建設されたようですが、ほとんど活躍することなく終戦を迎えたようです。戦後、一時期の米軍進駐の後に滑走路が爆破され使用不可能な状態となり、そのまま農地として払い下げられたようです。 それから約60年近くも経過しましたが、根室第二飛行場の滑走路と掩体壕、ならびにいくつかの施設跡は今だに残っています。周囲が農地であることと、場所が場所だけに開発もされることなく放置されていたようです。 さて第二飛行場のあった場所は根室市牧の内地区。北海道東部の中都市である根室市市街から納沙布岬(東)方向におよそ6kmぐらいにある農村集落です。一帯は広大な草原が広がる酪農地帯。点々と酪農家が点在する道東らしい風景が広がる場所です。この地区に各施設跡が点在しています。 ■今に残る基地跡 第二飛行場の痕跡は、根室半島を縦断するr1064(道道友知牧之内線)を中心に点在しています。その中で一番よく分かるのが滑走路跡。詳しくは後述しますが、道路(r1064)上からもはっきりとその存在が分かります。この滑走路跡を中心にして各施設跡が点在しているのです。 |
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右の写真は1978年(昭53年)に撮影された航空撮影写真です。今ではr1064が整備・改良されており、道路の経路は現在と全く異なっています。この写真を手掛かりにして探しに行ったのですが、目印になるのが滑走路跡と点在する酪農家の建物しかなく、掩体壕を見つけるのに大変苦労しました。 さて、写真の真ん中に写る櫛状をした長方形型の白いものが主滑走路跡。幅80mで長さは1200mほどあったそうです。完全に破壊されて撤去されていません。滑走路跡に縦線が入っていますが、これはコンクリートの割れ目。米軍が撤退の際に、細切れになるように爆破したそうですが、 |
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それによるものなのでしょうか? 写真に写っている道路の多くは、基地建設の際に設けられた誘導路のようです。写真から判断すると、おそらくダートだったと思います。掩体壕D付近から左斜め下に延びる道幅の広い誘導路跡ですが、2006年(平18年)9月に訪れたところ、すでに廃道となり草木に覆われて消失していました。道の痕跡すらなく、かなり以前に廃道となったようです。この誘導路跡に沿って行けば見つかると安易に考えていたので一苦労したわけです。(;´∀`) 現在残っているのは滑走路跡(2本)と有蓋ならびに無蓋掩体壕数基、防空壕(確認したのは2基のみ)や資材倉庫などなど。このうち有蓋掩体壕は合計12基建設されていますが、現在残っているのは7基だけだそうです。写真(原寸大)を見ると掩体壕7基の他に、それらしきものが2基ほど写っています。@管理人はこのうち 4基を見つけています。残る有蓋掩体壕と無蓋掩体壕は見つけることが出来ませんでした。 なお、現地には2006年(平18年)9月中旬に訪れています。 |
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【航空写真は「国土画像情報(カラー空中写真) 国土交通省」より】 |
滑走路跡 |
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戦後に消滅した旧陸海軍飛行場は、多くが痕跡を残さずに消え去っています。広大な敷地を必要とする滑走路は真っ先に農地などになり消えてしまいます。そんな中、根室第二飛行場滑走路跡は見事に滑走路が残っています。おそらく当時の状況に最も近い状態で残っていると思われる、貴重な滑走路跡でしょう。 第二飛行場の滑走路は、全長1200m・幅80mの滑走路が2本、南北方向と東西方向に建設されました。2本の滑走路は中央で交差していましたが、完成していたのは南北方向の1本だけで、東西方向は一部分が完成していたに過ぎなかったそうで |
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す。戦後はアメリカ軍に破壊され、滑走路のコンクリートは一部が撤去されて畑になっていますが、全てが完全に撤去されることなく現在に至りました。今では基地跡で一番良く分かる痕跡になっています。 r35(道道根室半島線)からr1064に入り、根室市友知に向かって2車線道を南に向かいます。カーブのある緩やかな坂道を登り、揺るやかな右カーブを曲がると平坦な2車線道になります。平坦な区間に入ると、道路の左側に剥き出しのコンクリートがあることに気が付きます。これが滑走路跡のコンクリートです。 整備改良されたr1064は滑走路に沿うようなルートになっているので、途中までは滑走路跡を見ながら走ることになります。 |
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【写真】南北方向の滑走路跡。亀裂が入り雑草が伸びています。 |
◆誘導路跡 |
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r35から南下して来て3つ目の(左)カーブを曲がると、しばらくは平坦な直線区間を走り、やがて十字路を右折して南に向かいます。この十字路の直前、道路の左側(北側)にもコンクリートがあります。最初は東西方向の滑走路跡だと思ったのですが、延長上に防空壕A(後述)があるのでそうではなさそうです。3本目の滑走路なのかも知れませんが、十字路近辺に格納庫があったそうなので、おそらくは誘導路跡ではないでしょうか。 現存しているコンクリ滑走路跡は草木に浸食されているので見えている部分は |
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狭く、幅およそ15m、長さ20mぐらいです。あちこちに亀裂が入り、そこら中から雑草が伸びています。コンクリートの表面を見てみると、大きな石が混じった粗悪なコンクリートです。戦争中に建設された滑走路であることはほぼ間違いありません。 西に向かって少し進むとコンクリは突然途切れてしまい、その先は畑(休耕地?)となっていました。東を見ると、道路を挟んだ向こう側にもコンクリ跡があるので、この東西方向の誘導路(滑走路?)はそれなりの長さがあったようです。 |
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【写真】道路から見た誘導路(?)跡。 |
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◆滑走路跡 |
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r1064は南北方向の滑走路跡を平行〜横断するように進んでいます。なので道路上から滑走路跡がよく見えます。道路上から滑走路跡を見てみると、コンクリートが筋状に並んでいるように見えます。所々でコンクリが途切れ、草木が生い茂っている箇所が見えます。米軍撤退時に破壊された箇所なのでしょうか。それ以外にも経年によりあちこちに生じたコンクリート自身の亀裂からは草木が伸びていました。 滑走路跡自体は、平坦で手頃な広さがあることから、漁で使用される網の乾かす場所として利用されており、あちこちに網が広げられて乾かされていました。 |
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脇道から滑走路跡に下りることが出来たので下りてみます。今の道路は盛土されており、滑走路跡は道路よりも低い場所にあります。幅は80mあったそうですが、端の部分から草木が浸食しており、所々に見えている所まで含めて確認できるのはおよそ50mぐらいです。 滑走路跡はあちこちに亀裂が入り草木が伸び放題の状態。どこから持ってきた土を盛り上げていたり、牧草ロールみたいなのも置いてあります。細切れになった滑走路跡のコンクリートは、部分的に陥没している所もあったりします。 場所が場所だけに、開発される可能性は低く、何かの建物や工場が建つことはまずないでしょう。となると、滑走路跡はこのまま自然に任せて朽ち果てて行くだけとなります。冬は雪原となる、自然環境の厳しい場所なので劣化が激しいようなので、あと50年もすれば自然に崩壊したり、草木に覆われて分からなくなるのかも知れません。 |
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【写真】道路上から見た滑走路跡。定置網(?)が干されていました。 |
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防空壕 |
第二飛行場にはいろいろな施設も建設されています。その多くは撤去されたり崩壊したりして姿を消しましたが、いくつかはその姿をとどめています。基地施設の1つとして壕があります。防空壕や戦闘指揮壕、倉庫代わりの壕など何種類かの壕があったそうです。今回の訪問で2つの壕を偶然見つけています。(うち1つは教えて頂いた壕ですが・・・) <<注意>>今回見つけた2つの壕が何に使われたかは分からないので、とりあえずは『防空壕』として記しています。 |
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1978年(昭53年)撮影の航空撮影写真では、滑走路跡の斜め上一帯に各種の施設跡が写っているのが分かります。誘導路跡、半壊している掩体壕(掩体壕@)です。その掩体壕@の前に移る、斜めに走る道路のような筋が誘導路。 道路横と掩体壕@の向かいにある草原に、こんもりとした丘のようなのが写っています。これが今回見つけた防空壕(@とA)です。誘導路を挟んで対称的な位置にあることがわかります。 誘導路、滑走路のすぐ近くにある壕なので、搭乗員や基地勤務の兵隊の防空壕か戦闘指揮壕なのかも知れません。 |
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なお、防空壕@は滑走路跡で網を干していた漁師さんに教えて頂きました。 |
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【航空写真は「国土画像情報(カラー空中写真) 国土交通省」より】 |
●防空壕@ |
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地元の漁師さんに教えて頂いた防空壕です。掩体壕@の場所を尋ねたときに、「あそこにも壕があるよ」と指さされた方向にあった小さな丘が防空壕でした。草原に浮かぶ島のような感じのもので、まさかそれが防空壕とは思いませんでした。 「畑に入っても構わないよ」ということなので、掩体壕@を探しがてら出来る限り雑木林寄りの脇を歩いて近付きました。前日が大雨で地面がかなりぬかるんでいる状態で、往復を歩くのはかなり苦労しました。片道700mぐ |
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らいはあったように思います。 防空壕@は南北方向の滑走路跡と斜めに走る誘導路の間にある防空壕です。出入口は2箇所。東西方向に向かって逆U字型の出入り口が設けられていました。奈良県にあった大和基地跡に残る防空壕と変わらない構造だとすると、箱形のコンクリ壕を建設後に周囲を盛土。丘のようにしているはずです。 長さ(幅)は15〜20mぐらい。丘の周囲ぐるりと一周してみましたが、この2箇所以外に出入り口はないようです。埋もれてしまったのかも知れません。残る出入り口前付近は草木が生い茂り、白樺の木がはえているので近付くことができません。階段のような物が見えたので、もしかしたら内部は少しだけ地面よりも低い位置(半地下)にあるのかも知れません。 |
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【写真】草原にポツンと浮かぶ島のような丘が防空壕。 |
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●防空壕A |
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掩体壕@の南側にある防空壕です。誘導路跡を撮影して歩いていたら、草原の中にある丘に、太陽に反射する銀色の物があることに気が付きました。近付くとそれが壕の出入口だったということで見つけた次第です。 防空壕@と同じぐらいの大きさです。 防空壕Aは盛土の上に草木に生い茂り、小さな丘というか独立した雑木林のような状態になっていました。東側に出入口が1つ確認できますが、アルミか何かの扉で封鎖されており中に入ることは出来ません。この扉が太陽に反射したので気が付いたのです。でなければ、雑木林だと思って気づかずに去っていたことでしょう。 周囲は膝ぐらいまで草が伸びていたので、足下に注意して壕の周囲を1周してみました。盛土の上は草木が生い茂っており、防空壕表面がどのような状態なのかはさっぱり分かりません。また出入口らしきものは見あたらなかったので、出入口は1つだけのようです。 出入口の形状が防空壕@とは違い角があるので、@とは別の用途に使用されていた壕だった可能性があります。近くに格納庫があったとのことなので、搭乗員や基地兵士、整備兵の避難防空壕か倉庫壕だったのかも知れません。 |
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