自然物・名勝

 

ツーリング中に立ち寄った自然物・名勝などを集めてみました。

☆★☆ 掲載リスト ☆★☆

神の子池

雷滝

古座川の一枚岩

昭和新山

サンニヌ台

中央構造線(北川露頭)

神の子池 (北海道斜里郡清里町)

 『神の子池』は摩周湖の北に位置する周囲220mの小さな池。池ながらその水は非常に冷たく、池の中央付近は神秘的な青色をしています。透明度が非常に高くて、水面から池の底を見ることが出来、水底では白い砂が踊っているのが分かります。

 『神の子池』は摩周湖と地下水路で繋がっており、摩周湖から1日12000tもの水が『神の子池』に湧き出してます。カルデラ湖の摩周湖は一年中水位が変わらないことで有名ですが、その秘密はここにあったのです。

 r1115より少し荒れたダート道を2kmほど走らねばなりませんが、訪れて損のないところです。ダートは大きな石が転がっていますが、オンロードバイクでゆっくり走れば大丈夫です。

 ダート道も池の周囲も、何も手を加えずこのままにしておいて欲しい所です。

(1995年9月訪問)

雷滝 (長野県上高井郡高山村)

 たいてい滝というのは外側から見るモノですが、長野県高山村にある雷滝は滝を内部から見れるという珍しい滝。外側から見るとは違って、滝を内側から見ると妙な感じがします。遊歩道を下って谷底まで行くと、滝を外側から見ることも出来ますが、遊歩道は絶えず濡れてますので歩くのに注意して下さい。

 ただ雷滝は水の浸食により、年々滝の落ちる位置が短くなっているそうで、数年先には遊歩道の屋根部分が崩壊して、内部から滝を見ることが出来なくなるそうです。

 場所は、R403から高山村を横断してR292に抜けるr66の途中にあります。

(1996年8月訪問)

雷滝入口。駐車場と茶店があるのですぐに

分かります。

滝を内部から見る。こんな感じです。

外側から。滝の始まり部分が年々後退し

ています。通路の上の岩が窪んでるでしょ。

古座川の一枚岩(和歌山県東牟婁郡古座川町)

 R371を古座川沿いに走ると現れる巨大な山。山のように見るが、実はこれがたった一枚の岩なのです。火山性の黒雲母流紋岩(石英粗面岩)が長い年月をかけて風食されて出来たものだそうで、国の天然記念物に指定されております。高さ100m幅500mという巨大な岩。間近で見るとその大きさに圧倒されます。

 とても大きいので一枚の写真に収めるの苦労します。展望台があるのでそこから見るとさらに大きさを実感出来るとか。

 古座川を挟んだ向かい側に物産センター(喫茶店有)と河川敷広場が設けられいているので、ゆっくり出来ます。また河川敷公園にはキャンプ場も設置されているので、紀伊半島南部の林道探索のベースにもなります。

(1996年11月、1999年11月訪問)

昭和新山 (北海道)

 有珠山の東側にある海抜406mの火山が昭和新山。1943年(昭18年)12月末から始まった地殻変動により、それまで田畑だった土地がみるみる隆起し、1944年(昭19年)6月に噴火。活動を停止する1945年(昭20年)9月まで成長し続けました。学術的に貴重ということで、国の天然記念物に指定されています。

  噴火当時は太平洋戦争の真っ最中で、人心を惑わすとの理由で軍によって報道管制がひかれ極秘にされたそうです。しかし地元に住んでられた三松正夫氏が詳しく記録され、おかげでリアルタイムで記録した火山の生育過程が残されているわけです。

これらの資料は、昭和新山資料館に展示されています。      (1997年9月訪問)

サンニヌ台 (沖縄県与那国町)

 日本最西端の島である与那国島にあるのが『サンニ・ヌ・ダイ』と呼ばれる景勝地。垂直に切り立った岩が立っており、海から岩が生えてきているという感じがします。ここには『軍艦岩』と言われる船の形をした岩があります。

 展望台の先の断崖に立つことが出来るのですが、風が強いときは結構怖いものがあります。福井県の東尋坊を小さくしたような感じの所ですが、土産物屋もなくひっそりとした所です。

 この場所は、1993年(平5年)のNHK大河ドラマ『琉球の風』で、主人公の啓泰と阿紀の結婚式の舞台となった所だそうで記念碑が建っています。

 ここには展望台があるのですが、山羊に占領されています。

(1999年10月訪問)

中央構造線(北川露頭) (長野県下伊那郡大鹿村)

 ☆★☆ 中央構造線とは? ☆★☆ 

 『中央構造線』とは、茨城県から紀伊半島・四国を経由して熊本県まで至る、日本列島を東西に貫く大断層のことを言います。人工衛星写真から撮影した日本列島の写真を見ると、紀伊半島の和歌山県五條市付近から四国の吉野川に沿って阿蘇山付近まで、筋の様なモノが通っているのに気付きませんか?同じ様な筋は、長野県諏訪湖付近から南西に愛知県豊橋市付近まで延びています。これは『中央構造線』の破砕帯を川が浸食して出来た谷で、総延長1000kmにも及ぶ日本最長の谷だそうです。『中央構造線』はこの谷に沿って走っています。

 『中央構造線』は、白亜紀後期の古アジア大陸プレートと古太平洋プレート(いさなぎプレート)の衝突によって生じた地殻活動の結果なのですが、長野県大鹿村北川にはこの『中央構造線』が露出し直接見ることが出来る場所があります。それが大鹿村の北川露頭安康露頭です。

◇◆◇ 北川露頭 ◇◆◇

 R152脇の駐車場(舗装済)から遊歩道を約2分歩くと鹿塩川の流れる谷に出ます。どこの山奥にでもありそうな谷底の風景です。違うと言えば、色の違う二つの岩が引っ付いた崖が見えるだけです。実は、この崖が『中央構造線』なのです。

 上から見下ろすと分かりづらいので階段を下りて河原から崖を見ると、はっきりと色の違う二つの岩石が接しているのが確認できます。詳しいことは省きますが、写真の土色の方を西南日本内帯(『中央構造線』の日本海側の地帯)、黒色の方を西南日本外帯(『中央構造線』の太平洋側の地帯)といい、内帯の領家帯(りょうけたい)の岩石と外帯の三波川帯(さんばかわたい)の岩石が接しています。

 領家帯の岩石は約8000万年前の白亜紀後期に地下10km付近で出来た岩石で、三波川帯の岩石は約1億年前の白亜紀後期に地下30km付近でできた岩石で、完全に別々の岩石です。それらが何千万年前の『中央構造線』の大規模な活動によって、遠く離れた二つの岩石が接するようになったのです。

 白亜紀後期に出来た岩石が接するようになり、地殻変動で隆起し地表に出、やがて川の浸食を受けてこうして現れたわけです。この岩石が出来た頃、地表では恐竜が動き回っていたわけです。この岩石の時間尺ってとんでもないスケールで、人間なんぞには理解出来ませんね。

(2000年7月訪問)

1.

北川露頭を上から見る。川は鹿塩川。写真右の茶色っぽいのが伊那山脈側(内帯)の領家帯で、写真左の白っぽいのが南アルプス側(外帯)の三波川帯。その真ん中の黒い線が粘土層で、いわゆる『中央構造線』だそうです。

2.

河原から崖を見るとはっきりと分かります。写真左側が伊那山脈側(内帯)の領家帯で、写真右が南アルプス側(外帯)の三波川帯

 

3.

説明看板。ほぼ同じモノが『大鹿村立中央構造線博物館』のHPにも載っています。

 

☆★☆ 場 所 ☆★☆

【北川露頭】

 長野県大鹿村北川。大鹿村北部のR152分杭峠の上り坂が始まる付近にあります。入口に看板があり、舗装駐車場が設置されています。(公衆便所・公衆電話なし)大鹿村落合地区より約13km。北川露頭地までのR152は1〜1.5車線道ですので、運転には注意して下さい。

 なお、R152分杭峠は冬期通行止め。晩秋・早春はR152は路面凍結・積雪があるので走行に注意して下さい。おそらく冬期は雪に埋もれてますね。

◇◆◇ 安康露頭 ◇◆◇

 長野県大鹿村安康(あんこう)でも『中央構造線』を見ることが出来ます。こちらの安康露頭は、アジア大陸から日本列島が別れ日本海が出来た頃(約1500万年前)の『中央構造線』の構造です。こちらの方では『中央構造線』は壊されていてはっきりしていないそうです。前を通ったのですが、こちらは諸事情により訪れていません。

 その『中央構造線』についての博物館『大鹿村立中央構造線博物館』が大鹿村大河原あります。楽しく・分かりやすく『中央構造線』や岩石について、標本を交えて解説しています。ここも諸事情により訪問していません。(HPあり)

 ★『中央構造線』についての詳しいことは、『大鹿村立中央構造線博物館』のHPをご覧下さい。

☆諸事情:北川露頭の駐車場でZRX1100が泥に滑って転けてしまい、大鹿村大河原で応急修理に40分近くかかったこと・・・

☆★☆ 場 所 ☆★☆

【安康露頭】

 長野県大鹿村安康。大鹿村南部のR152地蔵峠の上り坂が始まる付近にあります。目印は短い橋。橋の北詰に『安康露頭』の看板がありますが見逃しやすい。地蔵峠(南側)から来ると大変分かりづらい所に入口はあります。入口前を通過しただけだったので確認はしていませんが、駐車場はダートの狭い駐車場があったような気がします。付近には公衆便所・公衆電話や人家はなかったと思います。

 ここも冬期は雪に埋もれているでしょうね。

 R152は中央構造線に平行して進んでいる国道のようです。道路脇に中央構造線が走っているとか。

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道端風景