転け展

〜こけてん〜

更新だけは絶対したくないのがこのページ。

更新した時は、バイクで転けた時です。(^^;)

◆残念ながら、2007年4月14日更新しました・・・_| ̄|○

 

 恥を忍んで公開する私の『転け歴』。

大型バイクに乗っていても転ける時は転けます。

スピード出し過ぎで自爆とか、

走っている最中に転けたことは一度もありません。

すべて立ち転けか停まる寸前に起こった出来事なのです。

☆★☆ 今までの転け記録 ☆★☆

ZRX400での転け記録

ZRX1100での転け記録

KSRUでの転け記録

ZRX400

 生まれて初めて乗ったバイクが、カワサキZRX400。1994年8月〜99年4月までの約5年弱ほど乗っていましたが、何度か転けています。(^^;)

 転け記録 

1994年9月8日

1994年10月16日

1995年7月8日

1998年4月4日

1994年(平6年)9月8日(木)

●転倒場所:自宅のガレージ前

 ZRX400の納車から1ヶ月も経っていないこの日、大学に行こうと自宅のガレージからZRX400を出している時のことでした。うちのガレージは段差があるために、段差を無くすための鉄板があるのです。よく見かけるアレです。バイクを車の前に停めているので、出す時は鉄板を斜めに下ろして行くことになるのです。

 いつものようにロックを外してバイクを動かしました。ハンドルを軽く切って出そうとしたその瞬間、いきなりバイクが倒れてきました。いつもより大きくハンドルを切ったため、鉄板上でバランスを崩してしまたのです。冷静になっていればどうにか対処できたのでしょうけど、頭の中はパニック状態に陥っておりどうして良いか全く分かりません。踏ん張ってみたのですが、既にバイクは60度近くまで傾いておりました。

 

 ガチャン・・・

 

 納車してから1ヶ月も経っていないバイクは、鉄板の上に寝てしまいました・・・ぼ〜ぜんとする私。

 とにかく起こさねばと、バイクを起こそうとするのですが、当時はまだビギナーだった私には、コツというモノを全く知らなかったため、45度ぐらいまで起こせても後が起こせません。

 焦る。焦る。焦る・・・

 立ち話をしていた近所のおっちゃんが『大丈夫か?』と駆け寄って来ていただいて、起こすのを手伝っていただき、無事にバイクを起こす事が出来ました。

 厚く礼をしましたが、自宅前で醜態をさらけ出した自分が情けなくて、恥ずかしくて・・・めちゃくちゃ赤面しておりました。

 

 『こんなこともあったのさ・・・若かったな、俺も・・・』(カラン・・・←氷の触れあう音)

などど、水割り片手にバーで語る『作り人』・・・

何かっこつけてんねん!単に転けただけやんけ!!

その通りです。m(_ _)m

甘く切ない、初体験のお話でした。

 

◎被害報告:クラッチレバー曲がる。左のミラーに傷が付く。クラッチレバー交換。

◎被害総額:4000円ちょっと。

        クラッチレバー(3320円?)、工賃(700円)

1994年(平6年)10月16日(日)

 

●転倒場所:大阪府南河内郡千早赤阪村内のr705路上

 この日は記念すべきツーリングデビューの日。高校時代の連れ(皆バイク乗り)など3人と一緒に天川村に向かいました。当時は旧道が現役国道だったR309水越峠やR309笠木峠を通り天川村へ。途中何度か転けかけましたがとうにか転けずに済みました。

 天川温泉を出た後、皆が向かったのが奈良県道48号線・・・県道といいながら、完全1車線の荒れた路面の道。県道ではなく険道という道なのです。『初めてのツーリングなのに、こんな道を通るかぁ〜〜〜』とぶつくさ言っても、引き返せる訳もなくついて行くしかありません。当時、バイク歴4ヶ月の私にとっては、長く辛い険道をやっとの思いで通り抜けました。転倒しなかったのが不思議なくらいです。

 この後、私の提案でR309〜R370〜R24〜R310を走って大阪へ向かったのです。R310の大阪府側は2車線ワインディング区間。適度なカーブが続くのでバイクで走ると面白い道です。奈良県側の区間は上りだったので、他の連中にどうにかついて行きました。しかし大阪府側の下りになると、3人は70k/h位でコーナーを攻めて走り出し、50〜60k/hで走る初心者の私はカーブの度に離されてゆきました。気が付くと私1人がちんたらと走っていましたが、とりあえず先を走っている他の連中のバイクのテールランプは見えていました。

 しかしr202分岐直前で、10台ほどの他のツーリング倶楽部の集団に追い抜かれたときに見失ってしまい、1人で晩の千早赤阪村を彷徨うことに・・・他の連中を探すためにウロウロしていたのですが全く見つかりません。

 r705に入ったのですが、『晩になってから金剛山に行くわけがない。国道に戻ろう』と思い、沿道にあった駐車場でUターンして、駐車場からr705に出ようとした時に、バランスを崩して転けてしまいました・・・

 前回から1ヶ月ちょっとしか経っていません。しかも今回はバイクごと私も転けてしまい、ジーパンが破れて軽傷を負いました。誰もいない夜の町中・・・とにかくバイクを起こさねばなりません。何度か起こそうとしたのですが、全く起きません。前回の失敗から何も学んでいないことが露見したわけです。

 焦ります。するとr705の向こうから何や人の騒ぐ声と共に、泉州人には馴染みのある音楽が・・・

 

てっけてん♪てっけてん♪・・・

(そ〜りゃ。そ〜りゃ・・・)

 

『だだだだだだだ・・・・だんじり囃子ぃぃぃぃ!?』

 

 この日は、千早赤阪村地区の秋祭り(だんじり祭り)の日だったのです。千早赤坂村のだんじりは、岸和田の様に走り回るタイプではなく、どちらかというと京都の祇園祭の『山車』に近い形をしています。晩だったので提灯をぶら下げてゆっくりと進んできます。そりゃまぁ幻想的で美しいこと・・・

 などど言っている場合ではありません。あと数分でここまでやって来ます。それまでにバイクを起こさないと、せっかくの祭りを邪魔してしまいます。余計に焦ります。焦りは更に失敗を呼び、何度起こそうとしても起こせません。

 『やっばぁぁぁぁい!大大大大大ぴ〜んち!!』

 迫り来るだんじり。一体どうする?(←テレビのアナウンス風に。テレビならこの後CMに入る)

 

 と、その時、向こうから地元のおっちゃんが2人歩いて来るではあ〜りませんか。少し酒に酔っていましたが、『どないしたんや?』と駆け寄ってくれて、起こすのを手伝っていただきました。感謝・感激・雨霰。厚く御礼申し上げて、祭りを邪魔することなくその場を去りました。

 暖かい人情に触れる事が出来ました。

 

◎被害報告:ジーパン破れる。バイクあちこちに傷が付く。クラッチレバー損傷。(交換するほど酷くはなかった)

◎被害総額:部品交換なし。0円。

1995年(平7年)7月8日(木)

 

●転倒場所:大阪府河内長野市内の大阪府道61号線(堺かつらぎ線)の路上

 大阪府南部の河内長野市滝畑から和歌山県那賀郡かつらぎ町に抜ける大阪府道61号線という府道があります。大阪府道(和歌山県道)堺かつらぎ線というのですが、河内長野市滝畑地区から先の蔵王峠を越す区間は、府道でありながら車同士のすれ違いなど出来ない簡易舗装の完全1車線道という山道で、急勾配の坂も多くバイクでもLowでないと上ることが出来ないような道です。『府道』というよりは『怖道』と言った方が良い道です。

 さて私が蔵王峠を越そうと思って初めてバイクで訪れたのは、1995年(平7年)4月のこと。この時は入口まで行ったが、その先の一種独特な雰囲気に圧倒されてしまい引き返してしまいました。その後、4月中旬頃に大雨が降って崖崩れが発生。5月に再訪問した時は復旧工事による通行止めで通ることが出来ませんでした。

 7月1日に3度目の訪問。この時は車は走ることが出来なかったのですが、バイクでならば工事現場(崖崩れ現場)を通り抜けることが出来、念願の蔵王峠を越すことが出来ました。しかし、この時は写真撮影をしていなかったので、写真を撮影するために翌週の7月8日に4度目の訪問となったのです。

 ところが7月3日から大雨。平野部でもかなり強く降りましたが、7月8日までには天気は回復。当日は雲一つ無い晴天となり絶好の怖道探索日となりました。さて、山中ではかなりの大雨となっていたと考えるの当たり前なのですが、この時は蔵王峠に行くことだけを考えており、そんなことを一切考えず、また道路状況の予想など全く行わず自宅を出発しました。

 滝畑ダムを越え、売店脇を過ぎて狭路区間へと入って行きます。ここからは前の週に一度走っているので予習はバッチリです。先日の大雨で再び通行止めになっているかと思っていたのですが、やはり峠区間は『車両通行止』となっていました。しかし7月1日のことがあるので、「バイクなら行けるやん」と勝手に判断して警告を無視して先に進みます。

 路面は大雨の痕跡が至る所に残っていますが、走ることは可能です。平行する石川の源流はまだ水量が多く、洪水が起こったのではないかと思われるほどの痕跡がありました。 「やはり山中は大雨が降ったんやなぁ〜」と思いながら完全1車線道を進みます。

 更に先に進むと、路面に5〜10cm大の石がゴロゴロと転がっている現場に到着しました。急斜面の坂道の路面一面がガレ場ダートのようになっています。どうやら大雨で道路脇の山が崩れて、その土砂が流れてきたようです。

【左写真】:その現場。ご覧の通りの状態でした。

 普通なら引き返します。ところが、そこで停まればいいのに、何を考えたのか、そのままバイクでガレ場とかした区間に乗り入れてしまいました。2mほど進みましたが、転がっている石が大きいために先に進むのが難しくなり、バイクを停めて先の様子を見に行きました。というより、完全に立ち往生してしまったようです・・・。

 その先は完全にガレ場と化しており、工事関係者か河内長野市道路課の車か分かりませんが、ジープと小型トラックがガレ場で立ち往生していました。

【右写真】:ガレ場に入り込み、立ち往生したZRX。

 運転手に話を聞くと、この先はもっと酷い状態になっているとか。こうなるとオンロードバイクでは通行できません。あきらめておとなしく引き返すことにしました。

 バイクはガレ場の中で停まっています。石を取り除いて後ろにゆっくりと下がれば良いのに、その場でバイクを方向転換させるため動かしました。バイクが道をふさぐような形で真横に近い状態になった時、後輪が大きな石に乗り上げてしまいました。

 『あっ』と思った瞬間、バランスを崩してバイクは坂の下り側に向かって倒れて行きました・・・3度目の立ち転けです。バイク歴1年弱だったので、初期の頃に比べれば多少は成長しているはずです。バイクの下に膝を入れて一気に起こそうとしましたが、ガレ場で坂道なのでなかなか上がりません。すると・・・

 

プップップッ・・・バックします。

プップップッ・・・バックします。

 

 先ほど立ち往生していた小型トラックがバックしながら下りてきました。

 逃げ場はありません。映画でよくあるでしょ。逃げ場のない所で上から大きな石が落ちてくるとかいった場面。まさにそういう場面でした。しかしこれは現実。冷静に考えればトラックを停めて助けを頼めばいいものを、一生懸命バイクを起こそうとす

る私。はい、完全にパニっくてます。バイクは全く起きません。トラックは迫ってくる。焦る。焦る。

 と、その時、麓から2ストマシンのエンジン音が。1台のオフ車がやって来たのです。まるで『風車の○七』のようなグットなタイミングでの登場。オフライダーは状況を見るや否やバイクから降りて、一緒にバイクを起こすのを手伝っていただきました。

 厚く礼を言うと、オフライダーはガレ場と化した道を峠めがけて去って行きました。

【右写真】:ガレ場から脱出した直後のZRX400。

 バイクはマフラーのある方を下側にして倒れました。ブレーキレバーは見事に曲がり、マフラーにも何カ所かに窪みが・・・走行には支障はないので、そのままバイク屋に行きレバーを交換しました。

 このまま帰るのは悔しかったので、レバー交換後、和歌山県側からr61を上って蔵王峠まで行きました。和歌山側は通行止めで、さすがにバイクで通り抜けることは出来ません。峠で写真を撮影した後、蔵王峠の南にある鍋谷峠経由で自宅に戻りました。

 助けれくれたオフライダーさんはいまはいずこ・・・。ありがとう。

 バイク歴1年弱の頃の話。私も若かった・・・

 ちなみに通行止め区間の和歌山側は厳重にゲートが設置されて通行止めになっていました。オフライダーさんはどうしたんでしょ??

◎被害報告:マフラーに窪み多数。ブレーキレバーひん曲がる。

◎被害総額:ブレーキレバー交換。工賃込みで3280円。

        右写真の曲がったレバーはこの時交換したレバー。いまでも大切に保管してい

        ます。

1998年(平10年)4月4日(土)

 

●転倒場所:大分県大分郡湯布院町 塚原温泉への道路上

 1998年3月末から九州ツーリングに出かけました。順調に予定をこなし、九州滞在最終日となった4月4日、あの事件は起こりました。(『九州ツーリング1998』参照>>こちら

 湯布院町の北にある塚原温泉は山の上にある温泉です。舗装道路からダート道を少し走って、途中から分岐する山の上に向かう簡易舗装(コンクリート舗装)の道に入らなくてはなりません。この道はかなり急勾配な坂道で、荷物を積んでいたこともありZRX400だとLowでないとエンストしかねない状況でした。

 路面は荒れており、所々コンクリートが剥がれて穴(というか窪み)があったりします。運悪いことに急勾配のカーブでこの穴に前輪を落としてしまいました。穴から脱出するために、Lowでゆっくりとアクセルを開きながら、少しずつ進ませようとしました。しかし少しパワーを加えすぎました。少し『グラッ』と来た瞬間、バランスを崩してしまいそのまま転倒・・・

 95年7月の蔵王峠での出来事と同じく、坂道の下り側に向かってマフラー側を下にして転けました。約3年ぶりの出来事に呆然とする私・・・しばらく後、我に帰ると飛び散った荷物を集め、転倒現場少し先の広い所に荷物を置きました。温泉客の車が来ないことを祈りつつ、バイクを起こします。

 急勾配の坂道で転倒したこともありなかなか起きません。今回は弥○は現れません。1人で起こさねばならないのです。快晴の青空の下、悪戦苦闘してやっとバイクを起こすことが出来ました。転倒4回目で初めて自分1人で起こすことが出来たのです。成長したなぁ〜・・・

 今回は後ろに荷物を満載していたので、転けた時はまず荷物が先に落ちたためにクッション代わりとなり、マフラーなどには余り傷などなかったのですが、代わりに右ウィンカーが粉砕してしましました。転倒現場で10分近くかけて飛び散ったウィンカーの破片を集め、1時間近くかけてアロンαとビニールテープで応急修理(復元)しました。

転倒現場。写っているのが私で、指さしている穴(窪み)に前輪がはまってしまったのでした。

温泉は写真左上方向となります。

帰宅直後のZRX400。右ウィンカーはビニールテ

ープで応急復元されています。水が入らないよう

に、何重にも巻きました。

粉砕した破片を集めて復元したウィンカー。ツーリン

グ先で復元作業をすることになるとは・・・。これも大切に保管してあります。(^^;)

◎被害報告:右ウィンカー粉砕。右グリップやエンジン、ステップなどに傷が付いたぐらい。

◎被害総額:右ウィンカー取り替え。パーツ代の1800円のみ。(自分で交換した)

★ZRX400による転倒は以上です。

ZRX1100

 1999年(平11年)4月から乗り始めたのがカワサキZRX1100。乗り換えた直後、R480鍋谷峠でニュートラルに入れて緩やかな下り坂で停めたところ、自重で動きだし危うく転けることがあって以来、ZRX1100で酷道を走りに行く時は、走っている時はもちろんのこと停める場所まで常に細心の注意を払って乗っていました。

 大型バイクだけに転けたら1人ではまず起こすことは出来ないことは分かっているのですが、ついに転けました・・・(^^;)

 転け記録 

2000年7月21日

2005年11月23日

◇2000年(平12年)7月21日(金)

 

●転倒場所:長野県下伊那郡大鹿村北川 北川露頭駐車場

 ZRX1100では出来る限り3ケタ国道を走らないようにしているのですが、走るつもりがなくても走ってしまうのが酷道走行中毒症にかかってしまった『作り人』の宿命です。

 この日は長期に渡る通行止めが解除されたR152分杭峠を北側から越えて南に向かいました。完全1車線幅の舗装国道を細心の注意を払って下って行きました。峠の麓にあるのが北側露頭。中央構造線を見ることの出来る所です。

 休憩がてら見物することにして広い舗装駐車場に入りました。駐車場奥には、今しがた到着した浜松ナンバーのバンから夫婦が降りてこようとしています。「あの夫婦も見物に来たんだろうねぇ〜」と思いつつ、停める場所を探します。

 他に車はなかったのでどこに停めても良かったのですが、雲一つ無い快晴の天気でさんさんと夏の日差しが照りつけるので、木陰に停めることにしました。駐車場の南端に丁度よい木陰があったのでそこに停めることにしたのです。

 木陰手前の路面は泥がありました。昨晩の雨で水を吸い込んでいるのでしょう。10k/h以下の停まる寸前の速度でその中に入りました。後輪が泥に入った瞬間、何の前触れもなく後輪が滑り左側に転けました。

 

ガチャ〜〜〜ン

 

 かなり派手に転けました。私は反射的にバイク左側に飛び出して下敷きにならずに済みましたが、一体何が起こったのかさっぱり分からず、ただただ呆然とたたずむばかりでした。

 その様子を見ていた先の夫婦が血相を変えて駆け寄って来ました。おばちゃんは『大丈夫?事故起こしたのでしょ?怪我はない?大丈夫?』と心配してくれます。「大丈夫。怪我はありません。」とメットを取りながら話します。「とりあえずバイク起こしますわ」とバイクを起こそうとしたのですが、非常に重い。とても1人では持ち上げられません。

 その様子を見ていたおばちゃんが「ちょっと、あんた手伝ってあげなさいよ!」と旦那さんを一喝。おっちゃんと私の2人でやっとこさZRX1100を起こすことが出来ました。(^^;)

 2人に厚く礼を言い、一緒に北川露頭を見学に行きました。おばちゃんは出発間際まで心配してくれて、「一緒に車に乗って町まで行く?」とまでおっしゃて下さいました。バイクは動くので、バイクで走って行くと言うと、「気を付けて」と言って先に出発して行きました。本当にありがとうございました。

 

 たまたま今回は近くに人が居たので助かりましたが、誰もいない所で転けていたらどうしていたことやら・・・運が良かった。ただそれだけです。あとからよく調べてみると、泥だと思っていたのは粘土でした。そりゃ滑りますわ・・・

 しかし、今だに泥が溜まっていると分かっておきながら、何故入って行ったのか分かりません。見た時は『水たまりか泥に違いない』と思いこんでしまったようです。注意力散漫。慢心から来たおごりでしょう。もっと注意深くならなければ・・・

◎現場検証

 左写真は転倒現場。くっきりとタイヤの跡が残っています。

1の所に前輪が来た時、2の所に後輪が来ました。そしてその瞬間に後輪が滑って転倒。3の付近に倒れました。

◎被害報告 

 被害は大きく、フロントの左ウィンカーが粉砕。ハンドルも少し歪みました。後ろにツーリングケースを付けていたので、エンジンにも傷が付きましたが軽傷で済みました。

 現場で出来るだけウィンカーの破片を集めましたが、瞬間接着剤が切れていることに気づき、そのままの状態で町まで走って行きました。町中のスーパーのような雑貨屋で瞬着を購入し、町外れで怪しまれながらも修復(復元)作業を行いました。

【右写真】:起こした後、落ち着いてから撮影したZRX1100。ご覧の状況でした。

 復元したウィンカーを取り付け、水の浸入を防止するためにビニールテープで何重にも巻いてツーリングを続けました。1998

年4月の経験が、こんな所で役に立つとは・・・

◎被害総額

 左前のウィンカー交換。ハンドル交換。

 これを機会にエンジンガードを取り付けたために、さらに出費がかさむ。

 パーツ代と工賃含めて、全部で43940円の出費・・・(T T)

2005年(平17年)11月23日(水)

 

●転倒場所:滋賀県犬上郡多賀町萱原 県道多賀永源寺線(r34)路上

 2000年7月以来、ZRX1100で転けることはなく、せっかく取り付けたエンジンガードも役に立つこともなく5年の歳月が流れました。エンジンガードも役に立たなければ幸いだったのですが、ついに役立つ時が来てしまいました・・・。(つД`)

 この日、第8回ツーリングオフ会を開催。滋賀県東近江市(旧:八日市市)にある掩体壕を見 に行く前に付近をウロウロしていました。昼食を犬上ダム湖湖畔で食べた後、犬上郡多賀町萱原集落内へと入ります。予定ではr34を北上してR307に出るつもりでした。

 ところが湖岸道路(林道)からr34に出ると、r34はまさかの通行止め。ここに来るまでそのようなお知らせは一切無く、全く予期せぬ出来事でした。迂回路が無いようなので予定のコースを走ることが出来ません。来た道を戻るのも時間のロスが・・・。集落内の狭い道路なので外れにあるやや広い場所で止まって考えます。

 場所は少しだけ勾配のある坂道。道路右側に公民館らしい建物があり、コンクリ舗装の駐車場らしき場所がありました。道路上よりはそちらに移動しておいた方が車の通行に邪魔になりません。一部の参加者の方もそちらに移動されています。

 それにならい、あめふらしも移動しようと思い、ZRXのエンジンをかけます。習慣で後ろを確認してから発進しようと、クラッチを半クラ状態にしてアクセルを開けます。

 ところがタイミングが一瞬ずれてエンスト。おもわずつんのめってしまい、そのままバランスを崩します。しかも右方向に向かうつもりだったので、右側に体重がかかっていました。右に倒れ始めるZRX。反射的に右足を出して必死に押さえますが、無理体制なので支えることができません。一度バランスを崩した大型バイクをそうそう支えきれるものではありません。限界です・・・。

 

ガチャン

 

 時に、西暦2005年11月23日(水)14時10分頃。ZRX1100はその体を道路上に横たえました。前回転倒より約5年4ヶ月後の出来事でした。。・゚・(ノД`)・゚・。

 とっさに回りに居た参加者の皆さんが集まって下さり、起こすのを手伝って下さいました。と、いうより起こして頂いたという方が正しいかも・・・。(;´∀`) エンジンも再び掛かることを確認するとホッとしますが、すぐに”オフ会企画者が皆の前で『転倒』してしまった”という恥ずかしさで頭が一杯になりました。あ〜、情けない。迂回路が見つかり、予定していたルートでR307に出るまで情けなさで一杯でした。

【写真上】:起こした直後のZRX。エンジン再始動した後に撮影しています。

◎被害報告 

 右側に転けたので(リアの)ブレーキレバーが曲がりました。ギリギリ指がかかるので、多少しずらいぐらいで操作は問題なし。今日はこのまま走り続けることにします。他はマフラーに少しだけ傷が出来たぐらいです。ガソリンが少し漏れましたが、これはよくあること。エンジン自体にはなんのダメージもありません。

こんなこともあろうかと、エンジンガードを装着しておいたことが

役に立ったようだ。>(゚Д゚)

 はい。ガード装着して5年4ヶ月後にして大いに役立ちました。

◎被害総額

 クラッチレバーの交換と工賃。合わせて5418円でした。(´・ω・`)ショボーン  グリップは当分この

ままです。

★最後になりましたが・・・

 倒れたZRX1100を起こすのを手伝って下さった皆様、ありがとうございました。m(_ _)m

【写真中】:曲がってしまった右レバー。一目で転倒したことが分かります。(´・ω・`)ショボーン

グリップも歪んでいる・・・

【写真下】:エンジンガードに傷が付きました。路面のシミは転けたときに漏れだしたガソリンです。

指はsatounoさん。

   ★ZRX1100での転倒は、現時点ではこれだけです。

KSRU

 1999年(平11年)7月から乗り始めたのがカワサキKSRU。このバイクはかなり遊べるため、結構無茶な運転をしてしまいがちです。転けても軽いので1人でも起こすことが出来るのですが、実際転けると嫌な気分になります。

 バイクで初めて事故に遭ったのは、このバイクに乗っている時でした。

 転け記録 

1999年11月6日

2000年8月5日(事故)

2001年2月23日

2001年6月1日

2004年11月7日

2007年4月12日

1999年(平11年)11月6日(金)

 

●転倒場所:和歌山県東牟婁郡古座川町内の国道371号線路上

 この日は『KSRUによる紀伊半島縦断ツーリング』を行っていました。R371を走れば自動的に紀伊半島を縦断することになるわけで、国道サイトのネタ集めも兼ねてR371をひたすら走っておりました。

 さて、R371の古座川町内の南端区間は分断区間となっています。1996年11月にZRX400で同じルートを走った時は、林道交差点にバイクを停めてこの分断区間を途中まで歩いて調査したのですが、今回はKSRUだったので行き止まりまで走ってみることにしました。

 行き止まりまでは無事に到着しました。そこで写真を撮影した後、R42に向かって走って来た道を引き返します。端点までは緩やかな勾配の坂道となっていました。周囲はうっそうとした山深い所。道は舗装されてはいますが完全1車線幅の狭路で、路上には落ち葉が積もり、コケが生えているという酷道。時々車が走るのでしょう。轍の部分は落ち葉もコケもないので、轍の部分をのんびりと走って行きました。

 緩やかな下りだったので、途中からNに入れて惰性でだらだらと下ります。やがて緩い右カーブにさしかかりました。ハンドルを切るのが遅れ、少し路肩よりの落ち葉の固まりの中に入ってしまいました。

 

その落ち葉の中に10cm大の石が隠れていました・・・

 

 その石に乗り上げた瞬間、KSRUは完全にバランスを失いフラフラと路肩に向かって暴走し出しました。私は石に乗り上げた瞬間に完全にパニックになり、頭の中が真っ白になりました。何故か必死にクラッチレバーを押さえる私・・・「自転車や原チャリとちゃうねんぞ!」と今ならば冷静に突っ込めるのですが、当時は頭の中は真っ白け。「なんで停まらへんねん!?」(そりゃ停まらんわ・・・)と叫びながら、路肩の草むらに突っ込みました。

 

がちゃぁ〜〜ん・・・

 

 KSRUは草むらというか山の斜面に乗り上げて停まり、そのまま右に転倒。私は逃げる間もなくそのままKSRUと一緒に倒れました。右足がバイクの下敷きになりましたが、捻挫と打ち身ですんだようで、骨折などしていないようです。

 普通ならかなり焦ってしまうのですが、この時は転けたKSRUを撮影してから起こしました。『KSRUだからすぐに起こせる』という余裕があったのです。

 ZRX1100だったら、間違いなく焦っています。というより、間違いなく骨折してますね。

 3ケタ国道は何が起こるか分からないのだから、KSRUで走っていてももっと注意しなくては・・・慢心でした。

◎現場検証

 左写真が転倒現場。写真手前がR42方面。

 1の付近にある落ち葉の固まりの中にあった石に乗り上げてバランスを崩しました。そのままフラフラと進み、2の地点にある山肌に乗り上げて転倒したわけです。

 KSRUは見事に寝ています。ちなみに反対側は川でした。(^^;) そちらに突っ込んでいたらどうなっていたことやら・・・

◎被害報告

 購入時に、別のオフバイクのナックルガードを改造して付けて貰っておりました。そのおかげでレバーには傷が付いたり曲がったりせず、指にも傷1つなく難を逃れました。

◎被害総額

 交換部品なし。0円

2000年(平12年)8月5日(土)

 

●事故現場:和歌山県那賀郡かつらぎ町内のr61路上

 初めての事故でした。事故には二度と遭いたくないものです。

 この日はかつらぎ町内の某温泉に行き帰る途中でした。R480鍋谷峠は往路で走ったので、蔵王峠を越えて帰ることにしたのです。r61(堺かつらぎ線)を淡々と走って短野集落を越すと柿畑に出ます。柿畑が終わる頃に道は1.5車線から見通しの悪い1車線道に変わります。

 夏のシーズン中で、この道を走る車が多いことを知っていたので、かなりゆっくりとしたスピードで前方に注意しながら走って行きます。それでも起きる時起きるものです。

 

 とあるブラインドカーブにさしかかった瞬間、いきなり向こうからでかい4WDが現れました。(プラドっちゅう4WDです。)反射的にフルブレーキを掛けます。後輪がロックします。

 

がちゃ〜〜〜ん!

 

 どうにか車正面への衝突を避けることは出来ましたが、車側面への衝突は避けることが出来ず、そのままドアにぶち当たり、思いっきり擦ったのちに山側に倒れました。

 山肌に倒れ込みます。頭の中は真っ白。しばらくしてから何が起こったか理解します。

 

『あ〜事故ったんや・・・』

 

 呑気なものです。右足を4WDのステップに挟んだようで、起きあがる時に痛みがありました。指はナックルガードのおかげで傷1つしていませんが、倒れる時に左肩と左手の甲を打ち付けたようで、時間が経つにつれて痛みが出始めました。頭はフルフェイスメットのおかげで怪我はありません。

 KSRUはというと、2ストオイルが漏れてはいますがエンジン自体は壊れていないようです。しかし、クラッチレバーが折れています・・・フロントフォークも少し曲がっていますが、走れないほどではありません。しばらく後、右足でキックしてみます。痛みはないので骨折はしていないようです。エンジンはかかったので、とりあえずは走ることが出来ます。

 相手の運転手(家族が同乗してました)と一緒に警察に行き、現場検証をしました。私の時速は20〜30k/h位だったのと、相手の車にステップがあったので大事故にならずに済んだそうです。ステップが無ければ車の下に入ってしまい、後輪に巻き込まれていたとか・・・倒れ込んだのが崖側でなかったのも幸運でした。下手すりゃバイクごと崖下に転落していたかも知れません。不幸中の幸いということでしょう。

 帰宅後、病院に行きました。怪我は打ち身のみで骨折はなく後遺症もありません。ただKSRUは保険屋との交渉が長引いたりしたので、11月中旬までバイク屋に預けることになりました。

 

 事故に遭ったのは不幸でしたが、この程度で済んだのは幸いでした。この事件以来、酷道走行はより一層注意して走るようになりました。

◎現場検証

 警察の車と相手の車と一緒に事故現場まで行きました。現場には車が方向転換出来る所がなかったので、少し先で方向転換して帰ってくるまでの間に撮影しました。

○R24側(私側)から見た事故現場

1がKSRUの後輪のタイヤ痕。これで速度を算出しました。

2の付近でプラドの側面に衝突し、私は3の辺りに倒れ込みました。

4がこぼれた2ストオイル。

 ご覧の通り、反対側にはガードレールがありません。あっちに転けていたら・・・考えないでおきます。(- -;)

○r61蔵王峠側(相手側)から見た事故現場

1がKSRUの後輪のタイヤ痕。この少し手前でプラド側面に衝突しました。

2が私が倒れ込んだ山肌。

3がこぼれた2ストオイルです。

 写真では途切れていますが、上の写真で分かるようにこのカーブにはミラーが設置されています。山中のカーブでは必ずミラーを確認しましょう。

◎被害報告・総額

 クラッチレバー破折。フロントフォークが曲がり、ハンドルも歪みました。車体のあちこちに傷。装備では、メットが傷つきグローブも損傷しました。

 で、クラッチレバー、フロントフォーク、ハンドルやその他細かい部品を交換。メットを新しいのに買い換えました。保険金の範囲内で出来ました。

 体は打ち身と擦り傷以外には怪我がなかったのが幸いでした。

【右写真】折れたクラッチレバー。妙寺警察署にて撮影。

2001年(平13年)2月23日(金)

 

●転倒場所:大阪府羽曳野市内の国道166号線歩道上

 3ケタ国道のR166を走っている時のこと。国道標識を撮影しようと、標識の横にKSRUを停めました。

 カメラを取り出し、ファインダーを覗いた瞬間・・・

 ガチャン・・・

 バイクは歩道の上に寝ておりました。(T T) 泣きながら撮影したのが左の写真です。スタンドがちゃんと立っていなかったのが原因のようです。

◎被害報告

 車体とクラッチレバーに傷が付いた程度。ミラーにも傷が付きました。

◎被害総額

 部品交換無し。0円。

2001年(平13年)6月1日(金)

 

●転倒場所:奈良県生駒市内の国道308号線路上

 大阪府と奈良県の境にある暗峠。ここを越えるR308(暗越奈良街道)は、すごい急勾配が連続する激坂・極狭路の酷道です。上り区間であろうが下り区間であろうが、停まる時は命がけです。ギアをLowに入れてエンジンを切ってとまらないといけません。上り区間では発進が大変ですが、転けるよりはまだマシです。過去数回に渡って、毎年のように暗峠をバイクで越えている私にとって、激坂のことはよく心得ているつもりでした。

 この日は80ccのKSRUで『R308実走調査』を行っていました。大阪府側の激坂を上って峠を越え、下りの激坂に入ります。激坂をゆっくりと下って行きます。奈良県側には集落内の激坂区間に出た時、『集落内の激坂・極狭路の写真を撮っておこう』と思ってKSRUを停めました。そのままでは勝手に坂道を下ってゆくのは分かっていたので、ギアをLowに入れてエンジンを切って停めました。下り坂でバイクを停める時の基本です。

 バイクから少し離れてデジカメで写真を撮り始めました。同じ位置から2枚連続して撮影した直後・・・

 

 ガチャン・・・

 

 気が付くとKSRUは路上に転がっていました・・・(T T)

 

 撮影後、KSRUをお越します。ギアが入っているのに何故動いたのか? スタンドがあまりの急勾配に耐えきれず動いた(傾いた)ために、バランスを崩して倒れたようです。スタンドってバイクの前→後に向かって跳ね上がりますから、少しでも動けばバネの力で自然にスタンドが跳ね上がるというわけです。スタンドがちゃんと立っていなかったのかもしれませんけど・・・(^^;)

 

教訓:『暗峠の激坂をなめるな!』

 

 激坂を下っていたら自転車のブレーキワイヤーが切れた人もいるそうな・・・自転車でも要注意ですな。

 

▼▽▼嗚呼・・・倒れてゆくKSRU▼▽▼

1.激坂で停まりデジカメで撮影。これが1枚目。

  写真手前がR168側で坂の下りとなります。

  なんか倒れる兆候があるような・・・

2.あとで写真を見てびっくり。2枚目の写真には

  倒れ行くKSRが見事に写っていました。

  偶然です。貴重な写真ですね。(^^;)

3.倒れたKSRU・・・道と壁の角度が激坂を物語

  っています。このあとKSRを起こしました。

  撮影中は開き直っていました。

◎被害報告

 車体とクラッチレバーに傷が付いた程度。ミラーにも傷が付きました。ハンドルが少し曲がったかも・・・

◎被害総額

 部品交換無し。0円。

2004年(平16年)11月7日(日)

 

●転倒場所:大阪府南河内郡河南町平谷地区の府道竹内河南線路上

 前回の転倒から3年半。どちらのバイクでも転倒することなく楽しくバイクツーリングを楽しんでおりました。でも、やってしまいました。そう、転倒を・・・_| ̄|○

 この日、ダート府道として巷で有名なr704こと『竹内河南線』の実走調査のため、単独でダート府道にトライしておりました。ダート路面脇の府道標識を過ぎると車道とは言い難い道幅になってきました。道幅は人一人ぐらいが歩けるぐらいです。登山道に近い状態になっています。

 そこは足つきの良いKSRU。危ないところは足を着いてゆっくりと進み、平坦な所もLOWでゆっくりと進んで行きます。やがて前方になにやら丸太が見えてきました。段差もあるぞ。段差?

 しばらく凝視します。

・・

・・・

か、階段!? Σ(゚Д゚)マジッ!?

 はい。どうみても階段です。KRSの行く手を阻む5段の階段。段の高さはおよそ10cmぐらいです。この付近が急坂だったのでしょうか?それとも崖のようになっていたのかは分かりませんが、ハイカーの方々が歩きやすくするためにこういう風に階段を作ったのでしょう。

 どうみてもバイクの走行を考慮したものではありません。当たり前ですね。この道をバイクで走る者なんていませんから・・・(^^;)  でも知っている範囲内では、私以外にこの道をバイクで走った人は2人いますけど・・・。

【左写真】チャラリラリ〜ン♪ 階段が現れた。 【のぼる】【引き返す】

 【のぼる】ことを選択します。KSRですから、このくらいの段差はクリア可能なはずです。乗ったまま一気に登ろうとします。3段目までは難なくクリアしますが、4段目と5段目で少し手こずります。それでも勢いでどうにかクリアすることができました。

 その先に進むと2カ所目の階段が・・・。ここは6段ありますが、KSRから下りて押してクリアしました。全く油断も隙もない府道です。ちなみに左側は小さな川となっていますが、ガードレールや柵なんて気の利いた物はありません。

 少し進むとまたもや階段が現れました。ヽ(`Д´)ノ これで3カ所目です。今度はわずか3段だけ。ここまでの2カ所に比べれば楽な方です。ここも下りてKSRを押して上がることにしました。

1段目:楽々クリア。

2段目:前輪はクリア。後輪が勢い不足で上がれず。

 少し後ろに戻して勢いを付けて上がろうとしました。ところがどうしても後輪が上がりません。2回ほど同じ事を繰り返したのですが、どうしてもうまくいきません。

 そして3回目、後輪タイヤが中途半端な位置にある時に、足が滑って体のバランスを崩しました。その時でした。バイクもバランスを崩して向こう側に倒してしまいます。どうにか踏ん張って倒れないようにしますが、重力には逆らえません。もはや限界です。

 

ドサッ!

 

 3年半ぶりの転倒です。ああ・・・、やってしまった・・・_| ̄|○ 

ガソリンの臭いがします。そういや、ここに来る前にガソリンを満タンにして来たんだっけ・・・。_| ̄|...○ コロコロ

写真を撮影してから引き起こします。しばらく待ってからエンジンを掛け、2段目と3段目を登ってこの場所をクリアしました。

 駄菓子菓子、その先には最後となる4カ所目の階段が待っておりました・・・ ( ゚∀゚)アハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \(壊)

なお、4カ所目の階段は途中で土砂崩れが起こっておりバイクでの登坂は不可能でした。(´∀`)=3 ホッ・・・←?

◎現場検証

 上がろうとした位置は階段の中央付近。あとでよく見てみると中央付近は先日の大雨で川となったようで、土が流されえぐられています。この付近だけは他の部分と比べると段差の高さが高くなっていたのです。その分だけ上がるのが難しくなったわけですな。

 なんでわざわざより難しい位置を選んだんだろ?よく調べて階段中央部ではなく、脇の土の部分を選べばクリアできたのでしょうね。_| ̄|○

◎被害報告

 倒れたのが雨で柔らかくなった地面だったので、少し傷がついたくらいでバイク本体にはダメージはありません。クラッチなども土にめり込んだので、折れたり曲がったりせず問題なしでした。

 被害0かと思っていたのですが、KSRを洗車しようとバイク屋に向かう途中、キャリアに付けてあるGIVIのハードケースがガタガタとやたらと動きます。

 バイク屋に付いてその原因が判明。キャリアの支柱が両側とも折れていました・・・。(゚д゚)ポカーン 

倒れたときの衝撃でストレスがかかって折れてしまったようです。もはや使い物になりません。

◎被害総額

 キャリアは交換です。注文します。合計約12000円の出費となりました。

 キャリアが折れずに、ストレスが他の所にいかなくて幸いだと思えば安いもんですかね。例えばハードケースが割れるとかKSR本体にダメージが加わるとかだと、さらに出費がかさんだかもしれないのですから・・・。 

2007年(平19年)4月12日(木)

 

●転倒場所:大阪市東住吉区某所

 この日は良い天気。早速ツーリングに出かけることにしました。借りているガレージからKSRUで出発することにします。春先の良い天気です。心もワクワクです。

 キーをONにして、キック一発!

・・

・・・エンジンが掛かりません。_| ̄|○

 

 たまにあるのです。しばらくエンジンをかけないと掛からないことが。前回乗ったのは約2週間前。言うほど間はあいていません。20日ぐらいエンジンを掛けなくても一発で掛かることもあるし。まぁ、毎度のことだから数回キックすれば掛かるだろうと、

チョークをひっぱってキックをかけます。

・・

・・・

・・・・

・・・・・おかしい。

 10回ぐらいキックしてもウンともスンともエンジンは動きません。続いて押し掛けを試みますが、これまた反応なし。さらに10回キック。でもかからない・・・。早く出かけたいのに、こういうときに限ってエンジンが掛からないとは。

 

 暑くなってきたのでヘルメットを脱ぎます。そして近くに置こうとしてバイクから降りた瞬間・・・

 

ガチャン

 

 横たわるKSRU・・・

 

 スタンドを立てたつもりが、立っていなかったのです。_| ̄|...○

 

 イライラすると確認もおろそかになるという教訓でした。

 

 この後、KSRUを起こしてしばらくしてキックすると、エンジンが掛かりましたとさ。

 

◎被害報告

 特にありません。傷が増えたくらいですか・・・

 

注意>>デジカメを持っていましたが、イライラしていたので撮影するのを忘れていました。

★KSRUでの転倒は、現時点ではこれだけです。

【転け展 おわり】

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