|
|
|
>>2007.03.08 Update |
||
>>海上自衛隊TOP |
■海上自衛隊練習艦隊 |
『練習艦隊』とは、海軍(日本の場合は海上自衛隊)の要員訓練のために組織された艦隊のこと。海上自衛隊の場合は、毎年、幹部候補生学校を卒業した海自幹部候補生が乗船して遠洋航海に向かう。1957年(昭32年)に第1回の遠洋航海が実施され、以来2006年(平18年)度まで計50回実施されている。 今回の大阪港に訪れた練習艦隊は、2006年(平18年)度遠洋練習航海に参加するために呉から横須賀に向かう海自練習艦隊。練習艦『かしま』(TV3508)、同『やまぎり』(TV3515)、護衛艦『あまぎり』(DD154)の3隻。2006年4月19日〜9月15日にかけての140日間の遠洋航海を実施。カナダ、ドミニカ、ホンジュラス、メキシコ、パナマ、アメリカを訪れる総航程約5万キロにも及ぶ航海だった。 |
■練習艦『やまぎり』 (TV3515)/■護衛艦『あまぎり』 (DD154) |
||
練習艦『やまぎり』と護衛艦『あまぎり』は、共に『あさぎり』型護衛艦として竣工した。『やまぎり』が2番艦、『あまぎり』は4番艦として1989年(平成1年)に竣工している。平成世代最初の護衛艦となる。 『あさぎり』型護衛艦は、いわゆる新「八八艦隊構想」の基幹として『はつゆき』型護衛艦12隻に続いて8隻建造された。『あさぎり』型はヘリコプター搭載護衛艦であり、搭載数は1機だが、格納庫には2機収納可能になっている。そのため巨大な格納庫 |
||
|
が見られるのが『あさぎり』型護衛艦の特徴であり、また欠点(レーダーに捕捉されやすい)でもある。 なお1番艦でネームシップの『あさぎり』は2005年(平17年)に、2番艦の『やまぎり』は1年早い2004年(平16年)度にそれぞれ練習艦に艦種変更されている。( 『あさぎり』DD151→TV3516/『やまぎり』DD152→TV3515) ちなみに練習艦となっても有事の際には短期間で護衛艦に現役復帰できるようになっている。
【写真】:天保山の大観覧車から撮影した『あまぎり』(左)と『やまぎり』(右)。後部の巨大格納庫が『あ さぎり』型の特徴。 |
|
●『あさぎり』型Data
>>基準排水量:3500t(5番艦の「はまぎり」以降:3550t)/満載排水量:4900t(はまぎり以降:4950t)
>>エンジン:ガスタービン4基2軸 出力:54000PS 62口径76mm単装速射砲×1 高性能20mm多銃身機関砲(CIWS)×2 アスロックSAM8連装発射機×1
短SAMシースパロー8連装発射機×1 ハープーンSSM4連装発射機×2 3連装短魚雷発射管×2 >>竣工 『やまぎり』:1989年(平1年)1月25日/建造:三井玉野/所属:練習艦隊第1練習隊/母港:呉/2004年度に練習艦に艦種変更(DD152→TV3515) 『あまぎり』:1989年(平1年)3月17日/建造:石川播磨東京/所属:第2護衛隊群第2護衛隊/母港:舞鶴 |
■練習艦『かしま』 (TV3508) |
老朽化した練習艦『かとり』(TV3501)の後継艦として建造され、1995年(平7年)に竣工した練習艦。練習艦専用の艦として誕生している。各国を歴訪することが多い練習艦だけあって、応接室や迎賓設備も完備されている。 練習艦でありながら76mm単装速射砲と短魚雷発射管を装備している。また護衛艦の主要兵装となっている、アスロック対潜ロケットやハープーン対艦ミサイルのシミ ュレーターも装備されている。 |
●『かしま』Data
>>基準排水量:4050t/満水排水量:5400t >>竣工:1995年(平7年)1月26日/建造:日立舞鶴/所属:練習艦隊直轄/母校:呉 |
練習艦隊来阪 |
2006年(平18年)3月23日(木) |
海上自衛隊の練習艦隊(2006年度遠洋航海部隊)が大阪港に入港することになりました。海自艦は海自阪神基地(神戸)に寄港するのですが、今回は3隻ということで大阪港(天保山)に寄港することになり、それに合わせて3月23日〜24日にかけて練習艦隊の艦艇一般公開が行われることになりました。 3月23日(木)に練習艦『やまぎり』と護衛艦『あまぎり』。翌24日に練習艦『かしま』が一般公開されるとのこと。仕事の都合で23日しか天保山に行けないので、『やまぎり』と『あまぎり』の一般公開のみ参加となりました。 当日は、リンク先の風色倶楽部の管理人さんのsatuounoさんとJR桜島線桜島駅で合流。大阪渡船で天保山に向かうべく渡船乗り場へと向かいました。なぜ地下鉄中央線経由ではなく渡船で天保山へ向かうかというと・・・ |
|||
|
|||
天保山岸壁の向かいに位置する渡船乗り場から、岸壁に接岸している練習艦隊を一望できるからです。ちなみに写真はJR桜島駅近くの駐車場から撮影した写真。手前に写っているのが天保山渡船です。観覧車と自衛艦の組み合わせが面白いです。 |
■渡船から見た練習艦隊 渡船乗り場からだと対岸の天保山岸壁をすべて見渡す事が出来ます。大型豪華客船などが接岸している岸壁ですが、今回は自衛艦が接岸しています。それも3隻も。 今回の練習艦隊は、幹部候補生学校を卒業した幹部候補生を乗せて呉を出港し横須賀に向かう途中に大阪港に立ち寄ったもの。横須賀に到着してからしばらく後に、2006年(平18年)度遠洋航海部隊として総航行距離約5万kmに及ぶ航海に向かうのです。派遣される艦艇は、練習艦『かしま』と『やまぎり』、そして護衛艦『あまぎり』。『やまぎり』は元々護衛艦で、『あまぎり』と同型艦です。 さて天保山渡船乗り場に行くと、真正面に『かしま』の全長143mという巨大な船体をほぼ真横から見ることができ、真横の形状が良く分かります。その後ろに『やまぎり』と『あまぎり』が係留されています。まるで目刺しのようです。 渡船に乗って天保山に向かうと、いろんな角度から艦を見ることが出来ます。『かしま』の前方付近に来ると、『かしま』で後方にある2隻が見えなくなってしまいました。『かしま』はでかいです。 |
||||||||||||
|
■練習艦『かしま』 今回は練習艦『かしま』が接岸していました。阪神基地や大阪港にやってくるのは珍しく、大阪で見掛けることは希な艦です。 できれば『かしま』にも乗船したかったのですが、残念ながら訪れた日は一般公開はしておらず、岸壁から見るだけでした。 さて『かしま』は当初から練習艦として建造された自衛艦です。あちこちで同時に訓練するために幅の広い甲板を有しています。また世界各地の港や軍港に入港するため、来艦する訪問国の使節や軍人を接待するための応接室や貴賓室などが設けられています。 艦の全長は143m、艦幅は18m。掃海母船『うらが』の全長が141m、艦幅22mなので、『うらが』と似たような大きさと言うことになります。練習艦ながら76mm速射砲と魚雷発射管を装備しています。これも訓練のためなんでしょう。 甲板上では数名の候補生達が訓練に励んでおりました。これからの遠洋航海に向けての準備ですかね。また機会があれば乗船してみたい艦です。 |
||||||||||||
|
■護衛艦『あまぎり』(その1) 練習艦『かしま』の後方に2隻の自衛艦が停泊しています。護衛艦『あまぎり』と練習艦『やまぎり』です。『やまぎり』が練習艦向けに一部改装されていますが、同型艦なので形は同じです。岸壁側に停泊している『あまぎり』から乗船します。 艦中央部付近のタラップから艦に乗船。右舷通路を歩いて艦首甲板に移動します。艦首甲板には護衛艦の標準兵装となる76mm速射砲とアスロック発射機があります。ガイド兼見張りの自衛官がいて、ちゃんと解説してくれました。 続いて左舷通路に誘導されます。が、艦中央部付近で渡し板を渡って練習艦『やまぎり』に移乗しました。 |
||||||||||||
|
■練習艦『やまぎり』 『やまぎり』に移乗。艦中央部から右舷通路を歩いて艦首に移動します。同じ『あさぎり』型なので形や兵装は同じです。艦首には76mm速射砲とアスロック発射機があります。 天保山という大阪港随一の観光地なので、この日は家族連れや若いカップルなどの姿が目立ちます。たまたま来て珍しいから乗艦したというところでしょう。皆、熱心に説明板を読み、携帯やデジカメで記念撮影しております。 近くにいた自衛官に尋ねたところ、練習艦になったからと言っても大きく変わったところはないそうです。女性候補生用の部屋を設けたのと、後部のヘリ格納庫内に訓練用のプレハブを設置したぐらいだとか。いざという場合は短期間でこれらの追加設備を撤去して現役護衛艦に復帰できるそうです。 左舷通路で後部に移動。後部甲板のシースパロー発射機を見てからヘリ甲板に移動し、タラップで『あまぎり』に戻りました。ヘリ格納庫は閉鎖されており内部を見ることはできませんでした。『やまぎり』も艦内見学は無しでした。 |
||||||||||||
|
■護衛艦『あまぎり』(その2) 『あまぎり』に戻ってきました。ヘリ甲板にはSH60Jが展示されています。ローターを折りたたみ、尾部も折りたたんだ状態です。格納庫への収納状態での展示。これはこれで珍しい状態での展示です。『あまぎり』を始めとする『あさぎり』型護衛艦のヘリ格納庫には2機格納できるとのこと。このように折りたたんで格納するのでしょう。今回は展示のみで操縦席などの内部公開はなし。操縦者用のメットとベストを貸してもらい、機の前で記念撮影をさせてもらいました。 後部甲板のシースパロー発射機を見てから右舷通路を歩いて艦中央部から下船。あっという間に2隻を見終わりました。 |
||||||||||||
|
■日本海軍発祥の地:天保山 今回、練習艦隊が寄港した天保山岸壁からすぐの所に『明治天皇観艦之所』という記念石塔が建っています。1929年(昭4年)に建立された石塔です。 |
||
|
戊辰戦争の最中の1868年(慶応4年)3月26日、明治天皇の親覧のもと、我が国初の観艦式となる『軍艦天覧』がこの天保山で行われました。 参加艦艇は諸藩から集められた諸藩連合艦隊。電流丸(肥前藩)、万里丸(肥後藩)、千歳丸(久留米藩)、三邦丸(薩摩藩)、華陽丸(長州藩)、万年丸(安芸藩)の6隻。それにフランス海軍の軍艦(デュープレックス)が加わり、合計7隻で行われました。 この諸藩連合艦隊のうち、軍艦だったのは電流丸と万里丸だけ。残りは輸送船でした。主力艦が東北や北海道での戦いに参加中で参加できなかったのです。 |
|
これら7隻の艦艇を、明治天皇陛下は天保山に設置されていた砲台よりご覧になられたとのことです。そしてこの6隻が後に続く日本帝国海軍の始まりと言われ、それが故に『帝国海軍発祥の地』と言われるようになったのです。 |
||
【終わり】 |
>>練習艦隊TOP >>海上自衛隊TOP |