緯度・経度

 

日本は北緯20度〜45度、東経122〜153度の中にあります。

日本人は、この『緯度・経度』にこだわりがあるのか、キリの良い数値の『緯度・経度』がある所には

必ずといっていいほどモニュメントが建っています。

ツーリング中などに見つけた『緯度・経度』のモニュメントを集めてみました。

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北緯45度線通過点

日本のへそ

北緯35度線通過線

東経135度線通過点

北緯45度線通過点

 北海道北部では、天塩郡幌延町〜枝幸郡枝幸町にかけて北緯45度線が横切っています。北緯45度線と主立った道との交差点には、北緯45度線を示すモニュメントがありました。

北海道天塩郡幌延町

 北緯45度線が通過する北海道幌延町のr106沿いにあるのがこのモニュメント。北海道最西端の北緯45度線のモニュメントです。北緯の『N』をデザインしたモニュメントが、利尻島をバックに建っています。付近は広場になっていて利尻島を見ながら休憩するのに丁度良い場所です。r106沿道にあるのですぐに分かります。

 ちなみに北緯45度線は、ボルドー(仏)、トリノ(伊)、ベオグラード(ユーゴ)、ハルビン(中)、ミネアポリス(米)、オタワ(加)の近くを通っているそうです。

(1995年9月訪問)

北緯45度通過点 (北海道枝幸郡中頓別町)

 道北の内陸に位置する中頓別町のR275の沿道にあったのがこのモニュメント。『中頓別町版北緯45度通過点』ということですが、幌延町のような立派なモノではなく、かなり質素な造りのモノになっています。

 周囲は広場という感じの所に立っており、立派な公園に立っているのではありません。かなり地味です。地図を見て『そろそろだ』と注意深く走ったのですが、何の案内も無いために気付くのが遅れ、一度通り過ぎてしまいました。

 場所はR275沿いの寿公園から浜頓別に向かって約2〜3kmの地点。浜頓別に向かって左側にあります。

カーブの入口にあるので停まり損ねた場合は、少し先の見通しの良いところでUターンしてきて下さい。

(2000年9月発見)

北緯45度通過点 (北海道枝幸郡枝幸町)

 オホーツク海側のR238にも『北緯45度通過点』を示すモノがありました。こちらはモニュメントなどなく、R238に設置された電光掲示板の裏に設置してありました。

 網走方面からの下り車線向けに設置された電光掲示板の裏にあるので、網走方面から来るとまず分かりません。稚内方面から走って来なければ気付くのは難しいでしょう。

 設置場所は、稚内方面からだと枝幸町問牧の少し手前です。付近に目印となるようなモノが見当たらなかったので、枝幸町目梨泊の集落を過ぎて電光掲示板が視界に入ったら減速して下さい。

 網走方面からだと、問牧集落が途切れて少し北に行った所にあるカーブの先の直線区間にある電光掲示板です。

 GPSを持っていなかったので確認はしていませんが、北緯45度線上にあるかどう

かは分かりません。もし北緯45度線上にあるのなら、北緯45度線上を狙って電光掲示板を設置したのでしょう。

 とりあえは、北海道最東端の北緯45度線を示す物です。

 (2000年9月発見)

日本のへそ (兵庫県西脇市)

 兵庫県の中央付近にある西脇市に『日本のへそ』というモノがあります。その由縁はいたって簡単。単に日本の東西南北の最端地から割り出したそうです。つまり最北端の宗谷岬(北緯46度)、最南端の波照間島(北緯24度)、最東端の択捉島(東経147度)、最西端の与那国島(東経123度)の真ん中を取ったら、東経135度・北緯35度となり、その交点(すなわち日本の中心地。へそ)が兵庫県西脇市にあったということなのです。(案内板による。)

 西脇市に『日本のへそ公園』という一風変わった名前の公園があります。広々とした公園なのですが、この公園に『日本のへそ』はありません。駐車場から丘を下ってJR加古川線『日本のへそ公園』駅前を通り過ぎ、線路を潜った先に『日本のへそ』はありました。

 人気の少ない静かな庭園という感じの場所で、北の端に石碑が建っているのが見えます。そこが東経135度、北緯35度の交差点のようです。ここまで『日本のへそ公園』

の駐車場から歩いて10分ほどです。

 石碑には『東経一三五度 北緯三五度線交叉点 海抜六三米 標識』と標されています。

1923年(大正12年)に(日本帝国)陸軍参謀本部陸地測量部(現在の国土地理院の前身)の測量によって、この地が日本(帝国)の中心地と定められたそうです。

 1978年(昭53年)に国土地理院が測量し直した所、やはりこの地が東経135度北緯35度線の交叉点であることが確認され、正真正銘『日本中心の地』となったのです。

 ちなみに石碑の字は、終戦時の首相であり、時の呉鎖守司令長官であった鈴木貫太郎海軍大将の書だそうです。

【注意】測量した年ですが、石碑横の案内板には『大正10年』、西脇市のサイトには『大正12年』とあります。

石碑の真下には『経緯度交差点』がありました。土地の境界を示すような立方体の杭が打たれています。この杭の表面に十字が刻み込まれており、この十字の中央(交点)が、東経135度00分00秒と北緯35度00分00秒の交差点であり、『日本の中心地』なのです。

 いろんな『日本の中心地』がありますが、この地は『元祖 日本の中心地』と言えるでしょう。                                   

(2001年2月訪問)

北緯35度線通過点 (兵庫県西脇市)

 兵庫県西脇市は、北緯35度線が横切る自治体の1つです。その北緯35度線の通過点を示すモノが西脇市内のR175上にありました。『日本のへそ公園』に近い、R175とr36とのT字交差点の北側に立っています。

 一見すると道路標識みたいなので見落とすかも知れませんので注意して下さい。 

 R175の北行き車線(明石→福知山方面車線)側にしかありません。交通量が多い上に路肩が狭いために、バイクですら停めることが困難です。少し離れた所に停めて写真を撮るようにして下さい。

 ちなみに写真の左側(R175の西側)には民家が建っており、『北緯35度線が貫く民家』として貴重な家なのです。

(2001年2月発見)

東経135度線通過 (兵庫県氷上郡青垣町)

 日本の標準子午線である東経135度線は、兵庫県を縦断します。兵庫県氷上郡青垣町は東経135度線が通る自治体の1つ。町役場の近くにあるR427小倉交差点角には、『青垣町 東経135度子午線通過点』なるモニュメントがありました。

 ちょうどこの地点が、東経135度と北緯35度15分が交わるポイントだそうです。モニュメント上の矢印が東経135度線を示しているのでしょう。

 この子午線通過を示すモニュメントは他の地にもあります。詳しくは→FUKUDA PLANNING

(2001年6月発見)

【緯度経度 終わり】

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