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◆大型機用掩体壕

 

 

 今の宮崎空港から西南方向にある大型掩体壕群。上写真は昭49年(1974)撮影の航空撮影写真です。中央部を通る道路がかつての誘導路で、この道路を沿って行くと宮崎空港の滑走路につきあたります。昭49年時点で、道路を軸にして住宅地の開発が進んでおり、丘陵地帯の丘は切り崩されています。どころどころにむき出しになり住宅に囲まれる掩体壕が見られますが、かつては丘というか雑木林に囲まれていたのでしょう。

 この写真では掩体壕が9基確認できます。@管理人は各掩体壕に勝手に番号・ひらがなを付けています。ひらがなの掩体壕は撤去されて現存していない壕と未確認の壕、数字の掩体壕は 平成20年(2008)5月に現存が確認された壕となります。

 写真は左側が北で道路をたどれば宮崎空港に行き着きます。(写真は90度左に回転させているので、写真左側が北、上が東となります。)

 掩体壕ですが、掩体壕「あ」「い」「お」の3基については取り壊されたそうで現存していません。掩体壕「お」は平18年(2006)頃に撤去されたとのこと。掩体壕「う」と「え」は@管理人は見つけることが出来ませんでしたが、すでに撤去されたようです。残る掩体壕「か」は今も一部分が残っているそうなのですが、@管理人は取材時に見落としてしまいました。

 平20年の取材時に確認出来たのは掩体壕@〜Bの3基のみ。うち完全な形で残っているのは@とAだけで、Bは一部分が残っている状態でした。

●掩体壕@

 

 

 大型機用掩体壕@です。赤江飛行場に配置されていた陸上攻撃機用の掩体壕となります。「九六式陸攻」「一式陸攻」「銀河」などが翼を休めたのでしょう。

 正面は半円形の開口部となっており、尾翼用の切り込みを入れた高知飛行場の大型機用掩体壕とは開口部の形に相違が見られます。 コンクリ表面には亀裂が見られますが、状態は良好です。内部にあるプレハブ小屋用に電線と電話線がひかれています。

 掩体壕のすぐ近くにまで民家があるため、後部と側面は撮影できませんでした。

掩体壕@の尾翼部分の内部。亀裂や漏水が見られますが、状態は良好で

す。

天井部分には板の跡が残っています。ちなみに内部は物置とガレージにな

っていました。

 

内部の表面。大きさが大きさだけに、鉄筋と金網(?)入りです。かなり頑丈

な作りとなっています。

 

●掩体壕A

 

 

 掩体壕@のすぐ隣にある掩体壕A。『藤田組』という会社の倉庫というか資材置き場となっています。正面開口部の形態は掩体壕@と同じです。

 

 

 掩体壕正面左側から撮影。道路から撮影しています。内部はご覧の通り資材置き場と貸しています。この写真ではわかりずらいのですが、内部のコンクリに剥離があります。表面の亀裂は補修されています。

 

 

 掩体壕Aの後ろにある介護老人保健施設への道路から、掩体壕の後部を見ることが出来ます。掩体壕@もこんな感じの構造となっているのでしょう。

 後部の尾翼部分。前方部分とは高さが低くなっています。高知の大型掩体壕とは形が異なっています。

 

 

 掩体壕後部は半分ほどが土に埋もれています。周囲の土は崩れ落ちた盛り土なのでしょうか?写真ではわかりませんが、コンクリは例のごとく、大きな石が混ざったコンクリートです。

 

 

 掩体壕@(写真右)と掩体壕A(写真左)。こんな近くに隣接しています。大型機用掩体壕が2つ並んで撮影できるのはここだけです。近所の方から聞いたのですが、掩体壕Aは老朽化が進んでいるとかで解体・撤去を検討しているそうです。

●掩体壕B

 

 

 掩体壕@Aから少し離れた場所にある掩体壕Bです。この掩体壕は後ろの尾翼部分だけが残っている状態です。前方の部分は撤去されて家屋が建っていました。掩体壕は倉庫とガレージに使用されているようです。尾翼部分の掩体壕の厚さは意外と薄いです。

 

 

 少し離れた場所から撮影。掩体壕Bは知っていないと見落とします。表面をコンクリで補修しているので、まだまだ使用するようです。一部分だけですが、これからも残して欲しいものです。

◆赤江飛行場掩体壕取材日:平成20年(2008)5月9日。写真は全てこのときに撮影。

赤江飛行場掩体壕【終わり】

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