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■壕 |
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鳥取県米子市大篠津町には、掩体壕の他にも壕が現存します。指揮壕とも発電壕とも言われていますが、この壕が何に使用されていたのかは分かりません。道路から見ると、コンクリートの塊のように見えます。周囲は畑ですが、畦道があるのでそこを歩いて行けば近づけます。 右写真が壕を上空から撮影した写真。昭和49年(1974)撮影の航空撮影写真です。写真上方向にJR(当時は国鉄)境線が走っているので、上方向が東となります。ご覧の通り、大部屋と小部屋から成り、写真上と右側にT字形の 構造物が写っています。このT字形の構造物が出入り 口となります。 |
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この写真から判断すると、壕に盛り土はありません。この時(昭和49年)までに撤去されたのか、元々盛り土はなかったのかは分かりません。 |
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写真はJR境線に沿って進む2車線道(おそらくはr47旧道)沿いにある壕。道路のすぐ近くにあるのですぐに分かります。畑の中にぽつんと建つコンクリートの建築物なので目立ちます。ちなみに2車線道は交通量が多いうえ路肩が狭いので、車の場合は路駐できません。 |
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JR境線側(後部?)の壕入口。出入り口は2カ所あります。写真左側の入口横に予科練の記念板が埋め込まれています。どちらからでも壕内部の部屋に入ることが出来ます。説明の関係で、記念板がある写真奥の入口を入口@、何もない写真手前の方を入口Aと表記します。 |
<<外観>> |
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<<内部>> |
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大部屋内部にはご覧の通り、何かの機械を据え付けていた台が残っています。通信機にしては台が大きすぎるので、大型の機械、例えば発電機でも設置されていたのでしょうか? 写真の奥にぽっかりと見える逆U字形が後部への出入口。その手前、台の後ろ付近の右側に通路が見えますが、そちらが入口@に向かう通路で、人一人が通れるぐらいの狭い通路でした。 |
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後部から豪正面方向を撮影。何を据え付けていたのか皆目見当つきません。ちなみに内部は農機具庫というよりも倉庫として使用されているようです。ゴミが多かったです。 |
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昔の航空撮影写真を見る限りでは、この壕は盛り土で覆われていないようです。建設当初からコンクリむき出しのままだったと思われます。状態は比較的良好な方です。しかし掩体壕と比べるとコンクリの質が劣っているようなので、今後亀裂や剥離などが進む恐れがありますが、取り壊されない限りは当分は大丈夫でしょう。 なお大部屋正面の写真がないのは、取材時は農家の方が畑仕事をされており、大部屋から出られなかったためです。機会が あれば再訪して正面の写真を撮影してきます。 |
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取材日:平成20年(2008)6月7日 |
美保航空基地掩体壕/壕【終わり】 |