●帝国陸軍浅茅野第一飛行場 【北海道宗谷郡猿払村】

  帝国陸軍参謀本部第一部で作成された「航空作戦指導計画大綱」によって建設された航空基地の一つが浅茅野第一飛行場です。北海道東部から千島方面の防空基地として建設 されました。

 約30基もの無蓋掩体壕を有する航空基地だったそうですが、戦後は農地となりその多くが消失しています。数基の無蓋掩体壕が現存しているそうですが、@管理人は発見することが出来ませんでした。

>>06.07.28 Update

◆浅茅野第一飛行場

 

 1943年(昭18年)度に作成された陸軍の「航空作戦指導計画大綱」によって、対ソ連戦を意識して北海道東部〜千島・樺太方面の防空ならびに作戦行動の航空基地として計画された飛行場が浅茅野(あさじの)第一ならびに第二飛行場でした。共にオホーツク海に面する場所に建設されており、明らかに対ソ連を意識した航空基地でした。

 1943年(昭18年)2月に第一、同年12月に第二飛行場の建設が開始されます。そして早くも翌1944年(昭19年)2月に第一、5月に第二飛行場が完成。第一飛行場は大型無蓋掩体壕17基、小型無蓋掩体壕13基の合計30基の掩体壕を持つ飛行場でした。

 実戦部隊が配置されて作戦行動を行ったのかどうかは不明ですが、終戦後は第一・第二とも廃棄され、ともに農地となり姿を消しました。

浅茅野第一飛行場

飛行場跡周辺 2005年9月取材

●浅茅野第一飛行場跡

 第一飛行場の滑走路跡ですが、戦後は農地となってしまい完全に消失してしまいました。航空写真を見てみても痕跡などは一切ありません。現地に行くとわかるのですが、目印となる廃止された天北線飛行場前駅周辺の土地は丘陵地帯となっており平坦な土地がある場所が限られてきます。細長い平坦な場所 付近に滑走路があったではないでしょうか。

 さて問題の掩体壕なのですが、R238から延びる道路上から見える範囲内にはないようです。分岐する細い道に入ったりしたのですが、掩体壕らしき構造物を見つけ

ることは出来ないままでした。農地に向かう道も草に覆われバイク(KSRU)での走行は不可能という状態。浅茅野も初冬か初春頃に来なくてはわからないようです。

 航空写真は1977年(昭52年)に撮影された写真です。掲載しているのは編集・縮小している写真で、原寸大の写真を見ても掩体壕らしき構造物を見つけることができませんでした。滑走路跡も写っておらず、滑走路のコンクリートなどは完全に撤去されて農地になってしまったようです。飛行場滑走路の痕跡すら残っていないのでしょう。

【航空写真は「国土画像情報(カラー空中写真) 国土交通省」より】

●浅茅野第一飛行場 施設跡

>>DATA

 所在地:北海道 宗谷郡猿払村

 訪問日:2005年9月23日

◆鉄道引込線跡

 浜頓別で泊まったホテルのフロント係の方に浅茅野飛行場の場所を尋ねると、「(廃止された)天北線から引込線があった」ことを教えてもらいました。そういうこともあり、掩体壕を探して付近一帯をウロウロしていたときに鉄道跡と思われる橋脚を発見しています。たまたま道路脇にコンクリートの塊があったので気が付いた次第です。

 場所は浅茅野の南にあるポン沼から流れ出す川を渡る付近。橋はありませんが、川(というか谷)を挟んで向かい合ってコンクリ製の橋脚が残っています。

 コンクリートはやたらと石の多い典型的な戦時中のコンクリートです。浅茅野第一飛行場への物資輸送のために、(旧)天北線から延びていた軍専用鉄道の一部だったのでしょう。

【航空写真は「国土画像情報(カラー空中写真) 国土交通省」より】

R238から別れる道路沿いに橋脚が残っていま

す。電柱の下付近にコンクリの塊がそれ。

縁が欠けていますが、ほぼ完全な形で残る東側

の橋脚。

ご覧の通り、やたらと石の多いコンクリです。典型

的な戦時中のコンクリートです。

 

谷を挟んだ西側にあるもう片方の橋脚。その先は

盛土となっています。鉄道跡ですね。

西側橋脚も同じような感じで造られています。

このまま朽ち果てるのでしょうか?

 

◆施設跡

 橋脚を撮影した時に周囲を眺めてみると、西側橋脚のさらに西側にコンクリート製の構造物が立っていることに気が付きました。近付くことができないのではっきりとは分かりませんが、何かの柱とコンクリ製のホームらしきモノ、門柱らしきモノと給水塔らしきモノの3つです。どれもかなり年月が経過しているようで、放牧のために造られたモノではないことは確かです。

この付近に引込線の終点というか荷役場と、数本の作業線などがあったのかも知れません。

謎の構造物@。コンクリ土台から突き出た柱の様

なモノ。荷役場ホームの屋根の支柱?

すぐ近くにあった給水塔らしき構造物2つ。並んで

ありました。かなり古そう。

熊笹の中に埋もれている柱のようなもの。引込線

線路跡上にありました。

●無蓋掩体壕

 

 2005年(平17年)9月の現地調査では無蓋掩体壕を見つけることが出来ませんでした。その代わり、引込線跡と施設跡を発見しています。この日は宗谷岬経由で小樽へ向かうことになっており、時間の関係上そう長く現地にいることもでなかったこともあって調査を打ち切って現地から離れました。

 で、帰宅後、航空撮影写真を閲覧できることを知って猿払村浅茅野付近の写真をダウンロード。旧天北線の飛行場駅周辺の

写真には掩体壕らしき構造物は写っていませんが、その隣(西より)のエリアを撮影した写真にははっきりと掩体壕が写っていました。

 右写真が浅茅野付近一帯を撮影した航空写真。2005年9月は、右下の赤い枠で囲まれた地域に掩体壕があると思いこんでしまい、この付近を中心に調査していました。その左斜め上(北西方向?)に、R238から南に延びる道が見えます。この道に沿うように逆V字型の区切りが見えますが、どうやらこれが滑走路跡のようです。この付近は浅茅野台地と呼ばれる場所で、平坦な広い土地があります。滑走路を建設するにはうってつけの場所と言えるでしょう。

 道路の左側(西側)には2つの湖があります。大きい方は瓢箪沼と呼ばれる沼だそうです。黒枠で囲まれたこの付近一帯を拡大してみたのが右写真。瓢箪沼の南側、黒丸で囲んだ地域に5つ無蓋掩体壕の存在が確認出来ます。はい、無蓋掩体壕は確かに存在し ています。

 どうやら@管理人は全く違う地域を走り回っていたのです。_| ̄|○ そりゃ見つかりません・・・。赤枠の地域にあると思いこんでいたこともあるのですが、事前調査不足とし

か言いようがありません。

 再訪する機会があれば、次こそはちゃんと調査してきます。m(_ _)m

 ちなみに写真に掩体壕が写っていることに気づいたのは、このページを作るために航空写真をトリミングしている時でした・・・。_| ̄|...○

航空写真編集中においても駅周辺にあると思いこんでいたのですね・・・(;´∀`)

【航空写真は「国土画像情報(カラー空中写真) 国土交通省」より】

【浅茅野第一飛行場掩体壕 終わり】

掩体壕TOP