北海道2010 (1)

北海道2010(2)

 曇りはあったものの雨が降ることもなく、良好な天候が続いた後半の話。

 2歳半弱で”北海道”&”とほ宿”デビューした@娘。人見知りすることなく宿に慣れ、まずは順調な滑り出し。車内では騒ぐかと思ったが、ほとんど寝てくれたので助かった。おかげで道活動が予定通りこなせますた。( ´∀`)

 美瑛での最終日は晴天に恵まれ、北海道らしい風景を満喫。そしてなぜか美深まで北上してから小樽に向かい、無事にフェリーに乗船して帰阪しますた。

 

平成22年(2010年)9月23日(木) 【弟子屈→美瑛/284km】

◆弟子屈出発

 朝7時頃に目が覚めた。結構寒いぞ・・・。気温は10度代前半ぐらいだろう。この時期、朝でも25度前後もあるの大阪とはえらい違いだ。空は曇っていたが雨雲ではない。今日も晴れるだろう。やや遅れて@嫁と@娘も起きた。おはようさん。

 7時半から朝食。同泊のお二人は共に佐呂間町のとほ宿『さろまにあん』に向かうという。『さろまにあん』は@管理人が初めて宿泊したとほ宿である。これも平成7年(1995年)9月の北海道初ツーリングの道中でのこと。夜遅くまで”歌しりとり”で盛り上がったのを覚えている。オーナーさんは代わったので宿の雰囲気がどうなったか知りたいところ。

 

 

【写真】 2泊した『ましゅまろ』。

 食後、荷造りをして車に積み込む。退屈した@娘が出てきて外で遊んでいると、先に出発されるお二人が出てきた。旅人さんは荷物の積み込みを終えると@娘と遊んでくれた。小さな姪御さんがいるらしく、小さい子供と遊ぶのは慣れているとのこと。最後は肩車までしてくださり、@娘は朝からハイテンションであった。ありがとう。

 それとなくオーナー夫妻も出て来られて記念撮影。撮影後、お二人はそれぞれ出発されて行った。最後に残った我々も、オーナーさん家族と一緒に記念撮影し、とほ宿『ましゅまろ』を出発。いつものことだかなんとなく寂しい・・・。今度訪れることができるのは早くても2年後。今度来るときは4人家族でお邪魔することになるのだろう。

◆美幌峠

 ショートカット路でR243に出る。R243の平坦区間は交通安全週間以外でも頻繁に速度取り締まりが行われている区間。電探と目視で周囲を注意しながら走る。異常起床時通行止めのゲートを過ぎた所からは山道となり、ここからはマイペースで走り始める。美幌峠の弟子屈側は急カーブ・急坂が続く2車線ワインディング道路。バイクで走ると実に面白い道路なのだ。この日も地元ライダーか余所から来たライダーかは分からないが、数名のライダーが走り込んでいる。一定の区間を何度も往復しているようだ。事故 を起こさないよう気を付けてくれ。”美幌峠二輪通行禁止”になったら洒落にならん。

 

 

【写真】 美幌峠にて。@娘は景色よりも石に興味があった模様・・・。(´Д`)

 宿を出て30分ほどで美幌峠に到着した。峠は風が強く寒く感じる。寒い中、@娘を連れて展望台に上がる。@娘は景色よりも『美空ひばりの碑』の周囲にある石などに興味があるようで、碑の周りをウロウロしている。寒いので@娘を連れて戻ろうとしたら抵抗して寝ころんだ。頂上まで上がりたいのだろう。そのまま放っておいて@嫁と歩いて戻ると、 置いて行かれると思ったのか慌てて走って追いかけてきた。この手は使えるか?@嫁は体を冷やすといけないので先に車に戻し、@娘と峠付近をウロウロしてから車に戻る。少しはスッキリしたのか、今度はほとんど抵抗せずに車に乗り込んだ。寒くなったのだろう。

 美幌峠を出発してR243を淡々と走って美幌市街に向かう。30分ほどで無事に市街に到着。昨晩の宿での談話タイムで話題に上がった『点香苑』の豚まんを買いに行こうと思っていたが、これから立ち寄る航空公園のことですっかり忘れていて、気が付けばR240との交差点を直進してしまっていた。なので残念ながら今回はパス。 今度来た時に寄ってみよう。

◆美幌航空公園

 網走川を渡って左折し、r217(道道北見美幌線)を少し南に向かうと左側に飛行機やヘリコプターが見えてくる。そこが美幌の航空公園。網走川左岸にあり、河川敷の美幌滑走場を見下ろすことができる。その場所に5機の退役した航空機とヘリコプターが屋外展示されているのだ。平成18年(2006年)9月にも来たのだが、今回は一眼レフカメラで撮影しに来た。@娘は寝ていたし、@嫁は車内にいるというので、一人でウロウロして撮影する。

 

 

【写真】 航空公園に展示されている機体たち。右端のヘリがV44A。左に向かって、UH1B・T33A・T6・T33A。

 展示されている機体の中ではV−44Aが貴重だろう。アメリカのバートル社製の大型ヘリコプターで、航空自衛隊では救難用ヘリとしてH−21Bとして制式導入されたが、陸自では2機だけが研究用に導入されただけ。ここにあるのはそのうち1機で、もう1機は所沢の航空発祥記念館に屋内展示されている。気象条件の厳しい屋外展示ということもあって、機体の老朽化や劣化・腐食が随所に見られるのが残念だ。どこかで屋内保存できないのだろうか?

 ここではジバツーで知って来たというライダーと会った。もう少し広い公園だと思っていたそうだ。これから苫小牧に下り東京に帰るとのこと。台風12号が接近してきているのが心配だと話して出発して言った。そうかぁ、台風が来ているのか・・・。召喚していないぞ。

◆道活動@R333

 航空公園を出発してからr122(道道北見端野美幌線)経由で端野に出る。市街のA−Coopで休憩していると、御輿を積んだ軽トラックを法被を着た方々が出迎えていた。秋祭りの準備か。もうそんな時期なのだ。

 端野からR333で西に向かう。最終的には上川で再びR39と合流することになるのだが、距離的にはR333経由の方が短いのだ。以前はR39の方がメインルートだったのだが、旭川紋別自動車道が道央道に接続してからは一気に車の流れがシフトしてきた。ここ数年で新トンネルが何本も開通し、道路自体も改良工事が進んだこともあるのだろう。

 R39からR333に入る。市街地を抜けると急坂を上る。坂の途中に待避帯があり、ここからは端野市街を見渡すことができる。端野トンネルを過ぎると山間に入るが、走りやすい整備された2車線道が続く。車やトラックの通行量が多いが流れが良いので問題ない。幾本かのトンネルを越えて淡々と進み、やがて北見市と常呂郡佐呂間町との境にあるルクシ峠にさしかかる。以前はやや狭い2車線坂道と急坂が連続する山道だったのが、平成17年(2009年)3月に新佐呂間トンネルを含むバイパス道路が開通した。新佐呂間トンネルは全長4kmにも及ぶ長大トンネル。バイパス自体も含めて高規格道路で建設されたので、高速道路を走っているような感覚になる。トンネルを出ると緩やかな坂道を下って佐呂間町若佐へと下って行く。

 途中で旧道が分岐していた。以前のルートは新佐呂間トンネル開通で旧道となったが、旧道の佐呂間トンネルは廃隧道となり抗口自体が閉鎖されてしまったとのこと。旧道はルクシ峠付近までは通行可能とのことで立ち寄ろうと思っていたが、旧道分岐点で停まり損ねてしまったのでスルーしてしまった。また機会があれば・・・。

 

 

【写真】 佐呂間町内のR333。交通量が増えた。

 新佐呂間トンネルを出たところで大型トレーラーに追いついた。抜くに抜けないので後ろについてちんたらと走る。同じようにR333を西に向かうようだ。イライラして走るのも嫌なので途中で休憩して間をあける。旭峠道路を過ぎてR242と合流。すぐにR333は分岐するのだが、旭川紋別自動車道が丸瀬布ICまでしか開通しておらず、同自動車道へのアクセス道路となるので交通量が大変多い。今日が祝日と言うこともあって乗用車の通行量が大変多い。途中で道の駅『まるせっぷ』に立ち寄ったが駐車場は大混雑。昼飯を食べようかと思ったが、こちらも大混雑だったのでパンを買って食べただけで済ます。

 @娘を少し遊ばせてから出発。道の駅からすぐの所に丸瀬布ICがあった。IC前を過ぎると交通量が激減というか皆無となった。皆、無料開放されている自動車道へ入っていったのだ。R333は交通量の少ないローカル国道となっていた。対向車の姿すらなく、まさに貸し切り状態であった。なのでマイペースで走行できた。気が付くと@嫁も@娘も寝ていた。これで遠慮無く(?)道活動ができる。交通量も皆無に近いだけに好きな場所で停まって撮影しながら走って行った。

 奥白滝を過ぎると山間に入って行く。交差する鉄路は石北本線。旭川紋別自動車道の高架橋もちらほらと見えるが、自動車道が意外と高い場所を通っていることに気が付く。やがて急カーブが連続する2車線坂道となり標高を一気に上げて行く。14時過ぎに北見峠に到着。北見峠に以前来たのは約9年前の平成13年(2001年)9月のツーリングの時。そのときは峠のドライブインは営業していたのだが、今は窓や出入り口は板で閉鎖されていた。平成14年(2002年)3月末に浮島IC〜白滝IC間が開通したことで交通量が激減したことで閉店したのだろう。広大な駐車場は過去の栄華を物語っている。今居るのは私らの他には軽自動車が一台だけで、中では運転手が昼寝中だった。駐車場や道路にはタイヤ痕が黒々と残っているので、夜になるとそういう連中がやってくるのだろう。

 

 

【写真】 北見峠に到着。走る車は皆無に近い。路面のタイヤ痕が現状を物語る。

 ちなみに今の旭川紋別自動車道の北大雪トンネルは北見峠を越えるルートしては3代目に当たる。2代目は現R333。初代として旧道が北見峠西側に存在している。この初代道路は石北峠経由の道路ができるまではR39に指定されていたが、元をたどれば明治時代に網走監獄(現:網走刑務所)の囚人達を動員して建設された仮定県道中央線で、別名”囚人道路”と呼ばれた道路。明治24年(1891年)4月から建設が開始され、その年の11月に完工したのだが、劣悪な労働環境下での突貫工事となったために、事故や栄養失調で命を落とす労働者(囚人)が続出。北見峠区間の道路建設だけで、4ヶ月(一説では6ヶ月)の間に186名(推測)の人名が失われたとのこと。それらは各地に埋葬されたが、場所が分からなくなった埋葬地もあり、未だに見つかっていない遺体もあるそうだ。閉店したドライブイン横に殉職者の慰霊碑が建立されている。北見峠にはそういう歴史があるのだが、それを知る人も少なくなって行くのだろうか?

 峠には10分ほど滞在したが、その間に通過したのは車1台とバイクが2台ほど。バイクは走り屋さんのようで峠道を攻めにきたのだろう。そのうち北見峠も二輪通行止めに・・・・・・(略

 北見峠を出発。峠西側も急坂・急カーブが連続する。ウネウネと曲がりながら進む道路を下る。こちらも路面にはタイヤ痕が黒々と残っていた。10分ほどでR273との交差点に到着。これでR333単独区間走行は終わる。

◆高速でのバトル見物

 R273も交通量は激減したようだ。自動車道を走って遠軽経由で紋別に行く車が増えたためだろう。R273でR39に出るつもりだったが、時間的な都合で浮島ICから旭川紋別自動車道に入ることにした。長い連絡道路を走って本道に入る。浮島IC〜上川層雲峡ICまでは今年の春に開通したばかりの区間だ。

 本道に入るが、道は対向2車線道路となっている。幸いにも車列の間に入ったようで前後に車の姿はない。マイペースで自動車道を走り出すが、しばらく進むと法定速度ぐらいで走る車に追いついた。前に車がいるわけでもなく、単独走行の乗用車で時折ふらふらしている。大丈夫かと心配してしまう。そんな遅い車であったが、やがて大型車を先頭した集団に追いついた。約10台の長い車列に完成。だらだらと60k/h前後で走ることになる。対向2車線なので抜くに抜けない。これだから対向2車線区間の自動車道を走るのは遠慮してしまうのだ。こんなことなら地道を走った方がマシだったか。

 

 

【写真】 旭川紋別自動車道のかみこしトンネル。無料なので交通量が多い。大型車が目立つ。

 気が付くと後ろにクラウンが走っていた。追いついたのだろう。覆面パトかと思って注視するが、ただのおっさんが運転する一般車だった。あちらもイライラしているようで、少し煽り気味で運転している。煽られてもどうしようもないちゅうねん。やがて追い越し区間に入り、片側2車線道路になったので追い越し車線に移動すると、先の遅い車が突然車線変更してきた。後ろを見ていない。クラクションを鳴らすと元に戻ったので何事もなかったが、いったいどういうつもりで運転しているのか・・・。もうね・・・(略

 後ろのクラウンもついてきたので、車線を譲ってやろうと思ったら、猛スピードで走行車線から追い抜いていった。あらら。すると今度はエルグランドが猛スピードで接近してきた。案の定こやつも走行車線から追い抜いて行く。ナンバーを見ると大阪ナンバー・・・。大阪らしい走りを見させて頂きました。エルグランドは猛スピードで先のクラウンを追いかけて行く。どこかで何かしでかしたのだろうか?多分、しょうもない些細な原因だろう。

 見ているとクラウンの後ろにエルグランドがピタリとひっつき、かなりの速度で走っていた。クラウンが急ブレーキをかけたら追突すること間違いないだろう。阪神高速などではよく見る光景である。わざわざ北海道まで来ておきながら、そんな走り方するのはどうかと思うぞ。

 走行車線に戻った@管理人は、2台の車の後の顛末を見物しながら運転していたが、最後まで見届けることなく愛別ICで自動車道を下りた。

◆美瑛へ

 愛別ICからはr140(道道愛別当麻旭川線)に入り旭川に向かう。このルートはR39と旭川市街をパスするショートカットルート。バイクツーリング時代からこちら方面から美瑛に向かう時に使っているルートだ。交通量の少ないルートだったのが、観光バスがやたらと走っている。どうやら旭山動物園に立ち寄った観光バスが走るようになったようだ。あらら・・・。交通量も増えて、せっかくの裏道が裏道ではなくなった。 案の定、上川郡当麻町内のr140と石北本線との踏切付近ではプチ渋滞が発生していた。

 r140からほど近い旭川市東旭川町東桜岡という場所に、カフェ『good life cafe』が4年ぐらい前に移転してきた。以前は上川郡東川町にあったと記憶している。諸々の事情で昼飯を食べていないのでカフェに寄ることにした。場所は『なまら蝦夷』に載っている地図を参考にしたが、これがあまりにも大雑把であった。現地に行けば分かるだろうと思ったが、東桜岡という場所(地域)が広すぎて検討がつかない。30分ぐらいウロウロして、@嫁が小さい看板を見つけてくれたのでようやく辿り着くことができた。

 カフェは小さい森の中にある。建物はログハウスで落ち着いた静かな雰囲気が漂う。テラスがあって外でノンビリと過ごすこともできる。時間をかけてゆっくりと雰囲気を楽しむようなカフェだ。飼い犬のラブラドールが店内をウロウロしていたが、しつけができており客の食べ物を食べるような真似はしない。気に入ったお客の近くに座ることもあるようだ。

 この雰囲気の中、@娘も落ち着いて座ってくれるかと思ったが、案の定椅子から降りてウロウロし始めるわ、机の上の花瓶を倒すわ、運ばれてきたケーキを手づかみしてぐちゃぐちゃにするわで、こちらが赤面してしまう始末・・・。もう少し落ち着いてから来よう・・・。

 

 

【写真】 『星の庵』到着後、テラス前の広場で遊ぶ@娘。

今の建物(手前)は3代目。左奥が2代目である。

 カフェを出てからr37(道道鷹栖東神楽線)に戻り道道を南下する。美瑛に向かう裏道ルートとなる。旭川郊外の町中を進み、旭川空港の近くを通ってJR富良野線西聖和駅横を通り過ぎるとR237交差点に到着する。交差点はそのまま直進してR452経由で美瑛の五綾地区へ入った。マイナーなルートだったのだがガイドブックにも載ってしまったのか、やたらと観光客の車が多い。そのほとんどがレンタカーで、若い女性のグループが多い。美瑛もすっかり観光地化されてしまったなぁ・・・。

 いつもの交差点を鋭角で曲がり、左カーブの坂道を上った所にある十字路を左折。ダート道を進んで行き、17時頃に本日の宿となる『星の庵』に到着した。平成18年(2006年)9月以来、4年ぶりの訪問である。

◆『星の庵』泊

 オーナーさんに挨拶して荷物を部屋に運ぶ。予約時に@娘を連れて行くと連絡しておいたら、部屋に絵本を数冊置いてくださっていた。@娘は人見知りすることもなく、逆に珍しいのか興奮してちょこまかと歩き回っていた。

 とほ宿『星の庵』に初めて訪れたのは平成9年(1997年)9月のツーリングの時。”とほ”という”とほ宿”ガイドブックでたまたま選んで宿泊したのが始まり。宿の雰囲気にどっぷりとはまってしまい、以来北海道ツーリングやドライブで道央に来た時は必ずと言っていいほど宿泊していた。もちろん@娘は初宿泊である。

 現在の『星の庵』の建物は3代目となる。初代は今は納屋となっており、2代目は今の宿泊棟(旧館)である。平成9年時は2代目の頃で、旧館でオーナー家族とお客が寝泊まりしていた。今の新館がある所にはガレージ兼スタッフ用の部屋があり、屋根付きのガレージということでバイク乗りにはうれしい宿だった。

 やがてオーナー夫妻の子供さんも大きくなり、家族スペースが欲しいということで、翌平成10年(1998年)からガレージを取り潰して新館の建設が始まった。工務店に頼めば半年もあれば完成したのだろうが、基礎・電気・上下水道の工事以外はすべてオーナーさんが実質一人で 5年ほどかけて作り上げたというから凄い。毎年訪れるたびに完成してゆく新館を見るのが楽しみでもあったのだ。

 

 

【写真】 本日の夕食。昔からここの食事は量が多くて豪

華なのだ。(゚д゚)ウマー

 さて4年ぶりの『星の庵』だが、宿の雰囲気が”とほ宿”から”ペンション”に変わったように感じた。とほ宿の特徴である『男女別相部屋』は残しているものの、個室を多く設け個人の個室宿泊にも対応し、グループ宿泊や家族利用重視になったようだ。美瑛という土地柄と旅行客の変化がそうさせたのだろうか?オーナーさん達は変わっておらず昔のまんまなので、基本的には変わりはないのだろう。

 今日は私らの他にももう一家族が宿泊していた。@娘より2歳ぐらい上の男の子がいた。子供同士ということもあるのか、なんか知らない間に仲良くなった二人で遊んでいた。しかし勝手に部屋に入ってくるなど、「(゚Д゚)ハァ?」な行動も目立つ子だった。

 夕食は宿泊客全員が集まり、客同士があれこれ談話しながら食べるスタイル。昔とおんなじ。夕食は昔からもそうだったが、かなり豪勢な内容である。これがあるから連泊するという常連客もいるほどだ。@娘は新鮮なトマトや豪勢な献立を食べてご満悦な様子であった。

 食後、@娘を風呂に入れる。風呂はいつの間にやら広くなっていた。一度に3人ぐらい入ることができるぐらいだ。昔は宿に到着順でユニットバスに一人ずつ交代で入っていたものじゃがのぉ・・・。こんなに広い風呂なのでさぞ興奮するだろうと思ったら、いつもの自宅マンションのユニット風呂と違うせいか、なぜか@娘は大泣き。どうにかして風呂に入れて部屋に戻る。そのあと、@娘を寝かしつける。運転で疲れていたのか、こちらも眠たくなってきた。食堂では談話タイムが始まり自己紹介が始まっているのが分かっていたのだが、そのまま寝てしまった・・・。

平成22年(2010年)9月24日(金) 【美瑛→小樽/434km】

◆朝の散歩

 朝6時前に目が覚めた。昨晩は雨が降ったようだが、雲はなくなりつつあり晴れそうな空模様だ。二人はまだ寝ているので、一人だけで起きる。着替えてカメラを持って部屋を出る。スタッフに一声かけてからSpikeに乗り込んでMyPointに向かう。朝の美瑛の風景を撮影するためだ。近くにあるマイルドセブンの丘から始めるが、空模様が今ひとつだ。

 もう少し晴れるまで待つことにして、その間に道活動。R452端点まで往復する。R452は美瑛で行き止まりになっている。芦別側の端点まで建設中なのだが、端点にあった工事事務所のプレハブも撤去されているので、全くやる気なしの模様。現在工事は凍結されており、当分の間は分断国道のままになるようだ。

 

 

【写真】美瑛の 某所で撮影。

 この後、五綾地区にあるMyPointに移動する。その途中、急なS字坂道で地元農家のトラクターと接触事故を起こしかけた。直前にトラクターに気づいたので何もなかったが、あちらも朝から車が走ってくるとは思わなかったのだろう。ダート道に入りMyPointへ。畑の中を一本道のダート道が伸びている風景は、10年ほど前にウロウロしているときに見つけて以来全く変化がない。日本離れした風景の中、一人でぼ〜と過ごす。 贅沢な時間だ。駄菓子菓子、もう今日は小樽に移動して帰阪しなくてはならない。刻一刻と現実が近づいてきている・・・。

◆美瑛を出る・・・

 1時間ほどして宿に帰ると二人は起きていた。すぐに朝食。寝起きの悪い@娘はぐずっていたが、新鮮なトマトを見て機嫌を直した。食後、出発組の方々が出発して行く。連泊組の方々もお出かけになった。@娘は人の気配が少なくなった宿の中を走り回ってはしゃいでいた。おいおい・・・。

 荷物を運び込み出発準備完了。精算時にオーナーの奥さんと挨拶&精算&二人目の報告をする。昔から来ている常連客が結婚して子供を連れてくると、孫が来たようでうれしいとおっしゃっていた。@娘が一人で『星の庵』に旅ができる年頃になるまで続けて欲しいものだ。清算後、外に出て出発前にオーナー夫妻とアンドロ(犬)と記念撮影。オーナー夫妻に見送られてながら『星の庵』を出発した。また来ますです。

 

 

【写真】 美瑛の定宿『星の庵』。今回は1泊だけ。

 『星の庵』を出発後、もう一度朝に行ったMyPointに立ち寄る。朝と比べるとかなり雲が無くなり青空が広がってきた。気分爽快になる風景が広がる。@娘は景色には興味なく、ウロウロして土いじりをしていた。それでも普段大阪では味わえない開放感に気分がよさそうである。

 快晴で気分は良いが風が強い。なので体感温度は若干低く感じる。そうそう長居していられないので、家族で記念撮影してから美瑛を出発した。

 

 

【写真】 こっちの方向は曇っていた・・・。はしゃいで走り回っていたが、@娘はこのあと畑に突入してしまった。

◆あめふらし、北へ・・・

 美瑛を出発してからR452〜R237経由で旭川に出た。旭川から小樽まで3時間もあれば十分に到着するので、時間は十分にある。ならばと少し寄り道をすることにし、道央道に入り名寄方面に向かう。道央道の滝川IC以北は無料開放されている。交通量はそれなりに増えているのだろう。淡々と高速道を北上するが、途中に雨雲があるようで場所によって雨という妙な天候であった。

 現在の終点である士別剣淵ICで下りる頃には、@娘は爆睡状態になっていた。あれほど寝ていたのによく寝るなぁ。ここから名寄方面に向かう幹線道路はR40しかないため交通量が大変多い。大型トラックの通行も多く、しばらく走っていると大型トレーラーに追いついた。こうなるとペースダウンは覚悟しないといけない。かなり長い間後ろを走っていたが、追禁区間が終わった見通しのよい直線区間で追い越した。その後はマイペース走行で進んで行く。

 12時20分頃に道の駅『もち米の里 なよろ』に到着する。外は風があり寒い。道北は晩夏というより初秋であろう。そういや昨日は”大雪初冠雪”だったらしい。本格的な秋が到来したようだ。自販機も早速HOT商品を用意していた。道の駅の売店で土産と軽食を買って車に戻る。@娘は起きていたのでパンを食べさせておいた。

 

 

【写真】 R40名寄バイパスに入る。道北の道路も整備が進んでいる。

 20分ほどして出発。道の駅のすぐ近くにあるGSで給油。結果的にこれが北海道最後の給油となる。店員さんに尋ねてみると、やはりバイクが減っているとのこと。バイク人口自体が減っているから必然的に減るのだろう。それはそれで寂しい感じがする。かくいう私もついに車で北海道を走ることになってしまったから、偉そうに言える立場ではないのだが・・・。

 R40を北上。名寄の手前からR40名寄道路に入る。地域高規格道路いわゆる自動車専用道路だ。地道を走っても良かったのだが、名寄道路の方が線形がよいので早く移動できるのだ。幸いにも先行車がいないのでマイペース走行で進むが、やがて遅いトラックに追いついてしまった。自動車専用道路で走るような速度ではないのだが、対向2車線道なので抜くに抜けない。美深ICまで走るのはやめて、智恵文ICで下りてR40に戻った。結果的にはこの方が早く美深市街に到着している。

 美深市街に入る。このまま音威子府付近まで北上しようかとも思ったが、時間的な都合もあり美深で折り返すことにした。

◆道活動@R275@

 美深まで北上した目的は道活動にある。R275を札幌まで南下しようと企てたのだ。R275の札幌〜美深間を以前走ったのが平成11年(1999年)9月のこと。以来10年以上走っていないのだ。サイトを更新しようにも写真がほとんどないので今回の走行になった。なにせ今度いつ来れるかわからないのだ。走ることができる時に走っておこう。

 R275は美深市街を出ると天塩川を渡る。そこから先はローカル国道となる。淡々と2車線道を走り美深峠に至ると周囲は深い山中となる。峠ではBMWのバイクでツーリング中のライダーと出会った。市町村境にある市町村の図案が入った標識を撮影しているという。似たような趣味ですな。

 峠を過ぎて山道を下ると雨竜郡幌加内町母子里(もしり)に至る。国道沿いにある『クリスタルパーク』に立ち寄ることにし、パーク入り口交差点で右折しようと減速したら、後ろから来た乗用車に追突されそうになった。明らかにあちらが速度超過の状態で突っ込んできたのだ。速度が出やすい道だからねぇ・・・。その車の運転手はいい年したおっさん。こちらを睨み付けて追い抜いていったのでぶち切れかけたが、@娘が乗っているので無茶はできない。北海道最終日に嫌な思い出を作りたくないし、DQNと同じレベルに下りる必要はあるまいと我慢しておく。ちなみにこれらのすべてはドライブレコーダーに記録されていた。万が一事故が起きていても、決定的な証拠となったことは言うまでもない。

 

 

【写真】 クリスタルパーク内にある氷柱をイメージしたオブジェ。

 駐車場に車を停める。@娘は起きる様子は全くなく熟睡していたので、無理に起こす必要もないかとそのままにして公園に向かう。気温は10℃台なので大丈夫だろう。

 『クリスタルパーク』は、昭和53年(1978年)2月17日に幌加内町母子里の地において、日本最寒気温の−41.2℃を記録したことを記念して造られた公園。氷柱をイメージしたオブジェがあり、雪が深く積もった毎年2月17日にはライトアップされて幻想的な風景が楽しめるそうだ。車が2台ほど停まっていたがパークゴルフ場にでも行っているのだろう、観光客の姿は私ら以外にはない。いわば貸し切り状態であった。

 ここでは『日本最寒地域到達証明書』なるものを発行しているとのこと。全く知らなかった・・・。 トイレを借りに展示室のある建物に入ったのになぁ。

◆道活動@R275A

 幌加内町母子里を過ぎると再び山中に入る。やがて朱鞠内(しゅまりない)湖湖岸を進む。朱鞠内湖は人造湖で、昭和16年(1941年)に着工され昭和18年(1943年)に完成した。戦後の昭和31年(1956年)10月に佐久間ダムが竣工して佐久間ダム湖が誕生するまで日本最大の人造湖だった。湖から少し離れた場所を進むので時々しか湖は見えないが、途中にある朱鞠内PAからは湖を見ることができるので、立ち寄ろうとと思っていたら止まり損ねてしまった。こんな事が多いなぁ・・・。

 朱鞠内の町を過ぎると目が覚めた@娘が、何やら言い始めた。お腹が減っているのだろう。そろそろ昼飯にしないといけないのだが、何しろ何もない山間を走っているのでどうしようもない。R239との分岐点に『霧立亭』という蕎麦屋があったので昼飯と思ったのだが、@嫁が店に入る気がないようなのでパスする。R275を淡々と南下して道の駅『森と湖の里ほろかない』に立ち寄る。食事処は蕎麦屋しかなかった。

 @嫁、蕎麦はあまり好きでないという。好き嫌いがないと思っていたので意外である。それはともかく、道の駅や周辺に食堂などはないので蕎麦屋で我慢してもらうしかない。というか、私が腹が減って仕方ないのだ。@娘はおにぎりを食べさせるが、大人二人は蕎麦を食べる。幌加内は蕎麦の名産地ということだけあって蕎麦は大変うまい。(゚д゚)ウマー どこがどう美味しいのかは勘弁。@管理人には食べ物を評価できる才能はありません。

 蕎麦屋を出ると、@娘は道の駅の売店で売っていたソフトクリームを食べる。おにぎりよりもソフトクリームの方が良かったようである。また道の駅には温泉施設も併設されているのだが、今回はパスして出発する。

 

 

【写真】 名産だけあって蕎麦は美味しかった。(゚д゚)ウマー

◆道活動@R275B

 15時過ぎに道の駅を出発。R275を南下して幌加内峠を越える。走行当時、幌加内峠ではバイパス道路が建設中で、年度末(来年春)頃には開通するとのこと。サイトに記事をアップする頃には開通していることだろう。淡々とR275を南下し、16時20分頃に雨竜郡北竜町のR233交差点に到着。もう少し南下して樺戸郡新十津川町付近で国道走行をやめて道央道に入ろうかと思ったが、他による場所があるわけではないので、そのままR275を走り続ける。

 新十津川町からのR275は、R12からシフトしてきた大型車の通行が多くなるため走行ペースが落ちる。やがて大型トラックに追いついてしまう。それでも北海道国道なので信号が少なく流れは良い。淡々と走り続けるが、やがて目茶苦茶遅く走る中型トラックに追いついた。このトラック、50k/h前後という速度でマイペース走行していた。当然、中型トラックを先頭に長い車列ができあがった。後ろを見ていれば道を譲るのだろうけど、このトラックは道を譲る気配もなく淡々とマイペース走行を続ける。途中で脇道にでも入るのかと思っていたが、そのような様子もなくR275を南下し続けた。予想外のペースダウンだ。

 やがて前の大型車がイライラし始めた。パッシングしているようだが遅トラックはマイペース走行。車列後方からキレたワゴン車が、追い越し禁止の直線区間で追い越しをかけてきたが、対向車が来たので大型車の後ろに入る。そのままの状態でさらに数キロ走り続けたが、やがて大型車とワゴン車は頭を冷やすためか、沿道のコンビニに入って行ったので、遅トラックと私の車の間には普通乗用車 が2台がいるだけとなった。

 そうなったからと言って遅トラックが速くなるわけではない。相変わらずの低速で走っている。私も樺戸郡新十津川町から樺戸郡浦臼町そして樺戸郡月形町の中間付近までよく我慢したものだと思う。 このペースで走っていては日没前に札幌に着くことができなくなる。ついに遅いトラックに対するイライラが臨界点を突破してしまった。月形町内にある自動速度取締機(オービス)を過ぎたことを確認。気が付くと遅トラックは私の車の後ろにいた。この間、何があったのでしょう?( ´∀`)

 

 

【写真】 月形町にあるオービス。この後、気が付くとトラックは後ろを走っていた。な・なにを言っているか・・・(略

 北海道医療大学前を通過する頃には周囲が暗くなってきていた。遅トラックのおかげで予想外の遅れが生じてしまった。やがて石狩郡当別町に入り。r81(道道岩見沢石狩線)ことR337旧道との栄町交差点に到着したのは17時40分頃。日没後のことである。

 さて、この栄町交差点は@管理人にとっては思い出深い場所。平成11年(1999年)9月のツーリングで、この交差点手前で釘を踏んでしまいパンクしてしまったのだ。北海道最終日で小樽に向かう途中のこと。パンク修理キットを持っていなかったので、めちゃくちゃ焦った。GSに立ち寄ったがバイクにパンクは修理できないという。近くのバイク屋さんを教えて頂き、バイク屋に向かうが営業時間は終わりシャッターは下りていた。自宅兼店舗だったので、玄関のチャイムを押して事情を説明。シャッターを開けてもらいパンク修理をしていただいたのだ。そんな出来事があった交差点である。

 栄町交差点を左折して札幌方面に向かう頃には、すっかり暗くなっていた。18時前に石狩川を渡ると帰宅ラッシュに捕まってしまった。あらら・・・。道央道に逃げようかと思ったが、ここまで来たのだからとR275を走ることにする。豊平川を渡った所の交差点を右折する車が原因だったようだが、その先も流れは悪い状態が続いていた。

 やがて札樽道の高架が見えてきたが、R274との交差点付近も大渋滞となっていた。苗場まで走ろうかと思っていたが、ここで力尽きた。R274交差点で右折レーンに入り、交差点を右折したのは18時16分のこと。これで北海道での道活動は終わりとなった。

◆小樽へ・・・

 右折すると雁来ICだったので札樽道に入る。新川IC手前で渋滞があったが、そこを過ぎると車の流れは良くなり交通量も減ってマイペース走行ができるようになった。18時半頃に金山PAに到着。トイレ休憩である。すると知り合いからメールが着信した。

 

『中国人船長釈放』ヽ(`Д´)ノ

 

( ゚д゚) ・・・
 
(つд⊂)ゴシゴシ
 
(;゚д゚) ・・・
 
(つд⊂)ゴシゴシゴシ

                                          _, ._

(;゚ Д゚) …!?

 

はぁ?なんですか?呆れて何も言えない。

せっかくの切り札を捨ててどうする?酷すぎる大失態だ。ちょっとやそっとじゃ挽回できないぞ。

(この後の出来事については皆さんご承知の通りです。)

 

 閑話休題。

 金山PAを出発。尖閣の一件を@嫁に愚痴りながら運転する。ヽ(`Д´)ノ 淡々と走り19時頃に小樽に到着する。小樽に着いてからは回転寿司屋『とっぴ〜』に行くことになっている 。なので店に向かうが駐車場は満車。19時前後はもっとも混雑する時間帯のようだ。仕方ないので小樽市街をウロウロして20分ぐらいしてから戻って来ると数台の空きがあった。車を停めて店内へ。店内は混雑していたが、ボックス席を確保できた。

 幌加内で蕎麦を食べただけなのでお腹が空いていたので、ホイホイと寿司を食べるが、6皿ほどで胃袋が受け付けなくなった。寿司を食べる気がなくなり、デザートにはしってしまった。ん〜、昔は10皿ぐらい平気に食べていたのになぁ。胃袋が小さくなったようだ。歳喰ったなぁ・・・。

 フェリーターミナルに行くには時間が早すぎるので、店を出てからは再び小樽市街に向かう。洗車したかったので市街をウロウロするが、コイン洗車場が見あたらない。気が付くと高島岬のおたる水族館近くまで走っていた。道が行き止まりになり引き返す。再び小樽市街に入りウロウロしていると、錦町というところで@嫁がコイン洗車場を見つけた。全く気が付かなかったのだが、よく見つけてくれた。二人を車内に残して洗車する。昆布刈展望台で着いた土を落としたかったのだ。北海道の土は北海道で落とさないと。

 

 

【写真】 小樽運河の夜景。

 洗車を終えて小樽市街に戻る。行く場所がないので、運河近くの駐車場に車を停めて小樽運河を見に行く。ゆっくりとしたかったのだが、中国人 観光客の団体が来たので写真を撮影して早々に運河を去った。

 他に行く所がないので、そのまま小樽フェリーターミナルに向かった。21時20分、小樽フェリーターミナル到着。これで北海道ドライブも終わりである。

◆さらば、北海道

 復路のフェリーは『はなます』だった。CRPポット推進システムを世界で初めて採用した大型高速フェリーだそうだ。今の船も3代目で、平成16年(2004年)6月に就役している。バイクツーリングの時に乗船していたのは2代目だったのだ。

 フェリーを写真撮影してからフェリーターミナルビルに移動して土産物を購入する。購入後、北海道限定発売のキリン『Met'sガラナ』を自販機で買おうとしたら、途中で自販機が故障してしまった。商品(缶)が押し出されてベルトに乗っかり、それが取り出し口にやってくるというタイプの自販機なのだが、商品がベルト上に載ってからベルトが空回りしてしまい商品が取り出せないのだ。自販機を叩いても何も起こらない。120円が無駄になりかけたが、@嫁が係員を呼んできてくれたので商品を受け取ることができた。自販機が故障する瞬間を見たのは今回が初めてである。┐(´д`)┌

 

 

【写真】 小樽のフェリーターミナルビル。

 土産物を車に運び込むと、@嫁と@娘は先に乗船するためにターミナルビルに移動していった。あとは車内で一人で待機する。バイクはタラップの下付近が待機場となっているのだが、舞鶴行きの便ということで主に関西方面に帰るライダーが多い。ざっとみただけで20台ぐらいは待機している。数年前はあちらに居たのだが・・・。

 23時頃に車の乗船が開始となった。タラップを上って車両甲板に入る。車を停めて荷物を持って部屋に移動。復路も1等和室を予約した。部屋に入ると、@娘はパジャマに着替えていて就寝モードだった。復路は、往路の教訓から大量のオムツを部屋に持って行っていたので、部屋と車を往復することなく部屋に入るとくつろぐことができた。23時半頃にフェリーは出航。北海道を離れて一路舞鶴を目指す。これで北海道ともお別れだ。今度来るのは早くとも2年後となる。いずれは再びバイクで来たいものだ。

 さて、出航後も@娘は興奮しているのか、なかなか寝ようとはしない。退屈しないようにと持ち込んだポータブルDVDプレイヤーでDVDを見ようとするが、やがて横になると日付が変わる頃には熟睡してしまった。疲れていたのだろう。風呂に入ろうかとも思ったが、様子を見に行ったら混雑していると思いやめておく。売店で飲み物だけを確保し部屋に戻る。布団の上でダラダラしているうちに、疲れていたのか、1時半頃には寝てしまった。

平成22年(2010年)9月25日(土) 【舞鶴→大阪/176km】

◆復路のフェリーは時間が長い・・・

 朝8時頃に目が覚めた。当然フェリーは日本海を航行している。天候は曇り時々晴れのようだ。二人はまだ寝ているようなので、起こさずにしておく。ダラダラしていると二度寝してしまい、目が覚めると10時頃だった。

 昨晩購入しておいたパンで朝食。その後はやることがない。往路と違って復路は時間の流れが遅く感じる。退屈している@娘にはDVDを見せておく。昼前になってNHK−BSで朝の連ドラ『ゲゲゲの女房』の最終週をまとめて放送し始めた。そうそう、土曜日のNHK−BSでは朝の連ドラをまとめて放送するのだ。『ゲゲゲ・・・』は放送開始からなんだかんだと言って見ていたが、最終週だけは北海道ドライブで見ることができなかった。そのまま見ることなく終わるかと思っていたのだが、偶然とはいえBS放送で見ることができたのは幸いだった。なるほど、こういう終わり方だったか。

 『ゲゲゲ・・・』を見終わるとこちらも退屈になる。DVDに飽きた@娘を連れ出して船内を散策。チャイルドルームに行くがすぐに飽きたようで部屋を出る。今度はエレベータに乗せてみるとおもしろがって何度も上下に移動する。そこでずっと遊んでいられないので後部甲板に連れて行くのだが、今度は立ち入り禁止になっている区域に入ろうとするので早々に部屋に戻った。

 昼ご飯を食べようと言う話になりレストランに向かうが、すでに営業時間は終了していた。軽食コーナーで饂飩とパスタを注文して昼食とした。饂飩は@娘が一人ですべて平らげてしまった。食欲旺盛のようだ。

 

 

 

 

【写真】 日本海に沈む夕陽。

 部屋に戻るがやることがない。@娘はDVDを再び見ていたが、16時頃には寝てしまった。@嫁もダウンしてしまい、一人残った@管理人はノートパソでいろいろと作業して時間をつぶした。18時半頃に夕食のためレストランに移動。食後、部屋に戻ると荷造りをする。もちろんDVDも片づけたのだが、DVDを見ようとしていた@娘が大いに拗ねてしまった。やれやれ・・・。

 21時頃、フェリー『はなます』は定時に舞鶴FTに到着。@嫁と@娘は徒歩で下船なので、一人で車両甲板に下りてSpikeに乗車。ナビはGPSを受信していないので小樽のままだった。やがて下船。ナビは舞鶴に変わっていた。車をターミナルビル前に移動させて二人を乗せる。荷物を整理していると、これから北海道に向かうライダーがちらほらと集まって来ていた。いいなぁ・・・。

 21時15分頃、大阪に向けて舞鶴FTを出発。最後の行程である。

◆大阪へ・・・

 舞鶴FTを出発。交通量が多そうだったので、舞鶴市街を抜けて舞鶴東ICから舞鶴若狭道に入る。舞鶴若狭道も社会実験ということで無料開放されている。それも吉川JCTまでの全区間だ。なのでというか、やはりというか、交通量が増えていた。それでも最初は流れが良かったのだが、舞鶴西ICを過ぎてしばらく行くと、遅い軽自動車に追いついた。地元車のようで、地道を走るのと同じような感覚で60k/h前後でゆっくりと走っていた。その車の前に車はいない。抜こうにも対向2車線区間なので抜けない。仕方なく後ろに付く。

 

 

【写真】 舞鶴FTにて。最後の行程、大阪に向かう。

 しばらく走っていると、次々と後続車が追いついてきた。気が付くと結構長い車列ができているのだが、先頭の軽自動車は相変わらずの速度で走っている。後ろを全く見ていないのか、事態そのものを理解していない模様。やがてキレたバイクが数台、路肩からぶち抜いて行った。荷物満載のバイクなので、舞鶴FTからの北海道帰りのバイクだろう。私もバイクなら同じ事をしていたかも知れない。イライラし始めた頃に片側2車線区間となり、すぐに軽自動車を追い抜いた。ミラーを見ていると次々に後続車が追い抜いていた。

 綾部ICから先は渋滞もなくマイペースで走ることができた。交通量はそれなりにあるが流れは良い。遅い車に追いついても追い越すことができるので、ストレスも溜まることなく走ることができた。22時20分過ぎに吉川JCTから中国道に入る。この時間なので宝塚の渋滞はない。22時半頃に西宮名塩SA到着。トイレ休憩と給油を行う。今回のドライブで最後の給油となる。SAを出ると渋滞も何もない中国道を淡々と進み、23時頃に中国池田ICに到着した。舞鶴東ICからの高速利用なのだが 、利用料金は550円だった。麻生閣下の『高速休日上限1000円』政策に感謝である。

 池田からは阪神高速に入る。ここまで来ると帰って来たという実感が沸き、「現実世界」に戻って来たことに溜息が出る。やがて右側に通天閣が見えてきた。大阪に帰って来たのだ。ほどなくして阪神高速を下り、地道を走って自宅マンション前に23時半頃に到着した。@嫁と@娘を先に下ろし、荷物を自室に運び込んでから車をガレージに移動させる。5分ほどでガレージ到着。留守を守っていたKSRUが出迎えてくれた。

 車を入れて徒歩でマンションに戻る。玄関を入ったのは日付が変わったぐらいの頃。「ただいま」である。そして7泊8日(うちフェリー2泊)の家族3人による初の北海道ドライブは無事に終了した。室内に入ると、@娘はすでに布団の上で大の字になって熟睡していた・・・。2歳4ヶ月の@娘が大きくなったら、今回の旅行のことを覚えているだろうか?何年後かに同じ場所に立ち寄って聞いてみるのも面白いかも。( ´∀`)

 さて今回、温泉王国に行っておきながら温泉には一湯も入っていない。(´・ω・`)ショボーン @嫁が妊娠中で温泉に入れなかったので遠慮してしまったのだ。@娘と車内で待たせて一人でのんびり温泉に入ってられないし・・・。変●がいるかも知れない温泉(男湯)に、全裸の幼女を連れて入れるわけがなかろうに。温泉巡りはいずれまた・・・。

 次はいつ行けるだろうか。二人目が来年早々に出産予定なので、来年9月は無理だろうから早くとも2年後ということになる。それまでの間は我慢ということになる。我慢は体に良くない。我慢できないから、一人で北海道バイクツーリングに行こうかなぁ・・・。

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