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北海道2010(1)

 3年ぶりの北海道。ハイテンション状態で北海道上陸したあめふらし@管理人。いつもは「台風ががが・・・」となるのだが、今年はそれもなく、少し雨が降ったものの天候的にも恵まれた前半。初めての家族旅行と言うことで、どうなるか不安であったが、大きな問題なくスタート。

 以前のように自由奔放にウロウロできなかったが、旭浜のトーチカ群など行きたい場所や走りたい道はちゃっかり寄っているし走っております。ハンドル握った者(=@管理人)の特権ということで・・・。(・∀・)ニヤニヤ

 まずは大阪〜新日本海フェリー〜苫小牧〜帯広〜弟子屈までのお話。

平成22年(2010年)9月18日(土) 【大阪→敦賀FT/181km】

◆敦賀へGo!

 出発当日。仕事を終えてから急いで帰宅。中途半端な状態で止まっていた荷物作りを終わらせ、車(モビリオスパイク)をガレージからマンションに持ってきて荷物を積み込み出発準備終了。部屋の戸締まりを確認しゴミを出し、@娘を車に乗せて21時半頃に出発。帰宅してから 出発mで3時間弱しかなかったので、慌ただしい出発だった。後部座席に座る@娘は、いつもの違うことが分かるようでどことなく興奮気味。某HK教育の幼児向け番組のCDを流して気を紛れさす。CDは2枚しかないが大丈夫か・・・。

 八尾ICから近畿道に入り第二京阪道路へ。久我山Jctから京滋バイパス経由で名神入りという新しいルートを走行。以前走っていた阪神高速〜名神ルートよりも10kmほど距離が短くなっているので、早いペースで移動することになりそう。昨晩からあまり寝ていなので走行ペースを落として大人しく走行。多賀SAで給油したりしながら走り、23時頃には米原Jctから北陸道へ。残暑の厳しい大阪に比べると、湖東は早くも秋の気配。夜は肌寒いくらいだった。

 3連休初日と言うこともあり、若干交通量が多い北陸道を淡々と北上して福井県に入り敦賀ICに到着したのは23時半頃。敦賀FTに到着したのは23時40分頃。大阪から約2時間で到着しますた。ターミナルにはフェリー『すずらん』が接岸中。まだ一般車両の積み込みは始まっておらず、大型車の積み込みが慌ただしく行われてい る。北陸道ではバイクをあまり見かけなかったが、敦賀FTに来てみると20台ぐらいのバイクが止まっていた。

「いいなぁ〜」と思いながら、手続きのためターミナルビルにに向かった。

 

 

【写真】敦賀FTに到着。後方はフェリー『すいせん』。

◆お襁褓、危機一髪。

 カウンターに行き乗船手続き。列で待っている間に岐阜から来たというライダーさんと会話。嫁さんと子持ちながら、嫁さんの理解があって北海道ツーリングに行くことができたとか。いつかは私もそうなりたいもの だ。

 カウンターでの手続きに時間がかかり、車に戻ると乗船最終組となっていた。車両甲板に上がり、誘導されて車を駐車後、荷物を担いで先に乗船した@嫁と@娘がいる部屋に移動。ところが忘れ物に気がつき一度車に戻ったので、部屋と車を1往復半。疲れた・・・。やれやれと部屋でくつろごうとしたら・・・

 

@嫁:「おむつ、3枚しか持って来てないけど足りるかな?ま、足りなかったら車に取りに行けばいいか。」

 

@管理人:「出航したら車両甲板は閉鎖されて出入りできなくなるんやけど・・・」

 

@嫁:「え?売店にオムツは売ってないの?」

 

ないちゅうねん・・・。

 

 もうすぐ車両甲板閉鎖というアナウンスが流れていたので、急いで車両甲板に下りて車に向かう。すでに甲板員が最後の作業をしていた。車に積んであるオムツパックから10枚ほど抜き取って部屋に戻る。戻った頃に車両甲板は閉鎖されフェリーは出航。危なかった・・・。即席オムツを作らねばならぬところだった。

 

 今回は1等和室を利用。@娘は寝相が悪くてコロコロ転がるため。いつもとは違う環境に興奮状態の@娘。部屋の中をはしゃいでウロウロしていたが、日付が変わった19日(日)の午前2時頃にようやく 寝たので、私らも就寝。初めての子連れ長距離ドライブ旅行初日は、ドタバタしている間に終わった。

平成22年(2010年)9月19日(日) 【苫小牧東FT→苫小牧/30km】

◆@娘、フェリーで遊ぶ

 環境が変わっても生活リズムは急には変わらないもので、朝はいつも通り7時過ぎに目が覚めた。起きる気にはなれずダラダラしていると9時頃になり、@娘が起きて動き出し@嫁も起床。@娘を連れて売店に牛乳を買いに出かけ るが、@娘はハイテンション状態。フェリーに乗り込むのは初めてやからねぇ。売店で陳列している商品をさわろうとする@娘を動かないように押さえて精算し、走り出そうとするので強制的に抱っこして部屋に戻り朝食。

 朝食後、退屈し出した@娘を連れて船内散策へ。初めての場所ということもあり興奮状態でウロウロする@娘と船内をほぼ1周して部屋に戻ると、BS−hiで空自の『ブルーインパルス』の番組をしていたので、@管理人はテレビの前に釘付け。今度は@嫁さんが@娘を連れてビンゴ大会へ。

番組が終わってから部屋を出ると、記念イベントの一環として行われていたビンゴ大会が盛り上がっていた。ところが退屈した@娘が大声を出したりするというので、再び@娘とともに船内散策へ。今まで入ったことがなかったチャイルドルームに入り遊ばせているとビンゴ大会終了。商品はゲットならず。残念・・・。この手の運は全くないのだな。

 

 

【写真】 チャイルドルームで遊ぶ@娘。一人だとつまらないのか、すぐに飽きてしまった。

 部屋に戻っても@娘はハイテンション状態のまま。昼飯後もお昼寝すらしようとしない・・・。元気いっぱいではしゃぎまくっている。ちょうどこの頃、フェリーは低気圧の下に入ったようで、海は大荒れ状態に・・・。フェリーは上下に揺れて始め、ほどなくして@嫁が船酔いでダウン。@娘はというと、船酔いなど露知らず、元気いっぱいではしゃいでいる。

 やがてダウンして眠れない@嫁が怒りだしたので、@娘を寝かしつけようとしたが失敗・・・。逆にこちらがウトウトしてしまう始末・・・。それでも30分ぐらいすると@娘も寝てしまい、やっとこさ一人で行動できるようにな った。とりあえずコンビニで買っておいた焼きそばをロビーで食べてから風呂へ。海が荒れている時はフェリーの風呂も荒れており、湯船のお湯が波打っていて面白いのだ。何度か波の直撃を受けながら、荒れる日本海を見ながら風呂を満喫。部屋に戻ると二人は寝たままだったので、ノートPCを開いて記録をつける。

 気がつくと17時半頃。そろそろ夕食を食べに行かねばならないので、@娘を起こすといつも通りぐずる。やれやれ・・・。30分ほどすると機嫌も戻り、一家3人でレストランへ。子連れでフェリーのレストランで食事をするとはねぇ・・・。10年前には考えられないことだ。

◆3年ぶりの北海道

 レストランから部屋に戻ってしばらくすると苫小牧到東港着の時間となった。荷物をまとめ始める。20時過ぎには苫小牧東港に入ったようで、船の揺れは少なくなった。20時15分頃から甲板員が動き出して外が騒がしくなり、やがて接岸作業が始まり20時半頃に苫小牧東FTに接岸。車両甲板が開放されたので、一人だけ車に戻り荷物を積んでから少し待つとタラップの扉が 開く。場所的に私の車が一番最初に出されることになり 、”先頭”という栄誉を受けタラップを下り北海道の大地へ。3年ぶりの北海道だ。

 

 

【写真】 苫小牧東FTにて。3年ぶりの北海道上陸。

 北海道はかなり涼しい。というより肌寒い。今年の大阪が連日真夏日で異常に暑いからそう感じるのだろうか?明日にはこの気温にすっかり 慣れてしまうのだろうなぁ。一般旅客用のタラップから下りていた@嫁と@娘をターミナル前で車の乗せて出発準備完了。しかしフェリー到着直後の渋滞を回避したいので、 20分ほどFT内で撮影してから出発。北海道ドライブの開始だ。無料開放中の日高道に入り苫小牧市街に向かい、21時15分頃に苫小牧駅近くの東横インに到着。北海道初日は45分ぐらいの走行で終了。

 チェックイン後、@娘を連れて近くのコンビニへ。自宅近所のコンビニと同じ店なのだが、ここでも興奮状態の@娘・・・。買い物するのに一苦労だった。しかしホテルの部屋に戻ると、 @娘は疲れていたのかダラダラしている間に寝てしまった。私も寝ることにしたが、寝付くまでに何度か@娘に蹴られた・・・。相変わらず寝相の悪い@娘だ。

平成22年(2010年)9月20日(月) 【苫小牧→帯広 /296km】

◆道活動@R274@

 朝7時半頃に起床。ロビーに下りて朝食を食べる。東横インでは朝食サービスがあるので助かる。新聞は主要全国紙もあるのだが、ほとんどすべてが1面トップで、日本固有の領土である尖閣諸島沖での『中国漁船衝突事件』に対する中共の対日報復措置について報じている。今の与党じゃ、まともな対応などできないだろう。ここ数日でなにやら動きあるだろうね〜。

 朝食後、部屋に戻り荷物をまとめる。チェックアウトして9時半頃に東横イン苫小牧駅前を出発。一気に弟子屈まで移動することもできるのだが、@嫁の体調と@娘のことを考えて、今日は帯広までの移動にすることにした。日勝峠経由で十勝入りすることにしていたが、朝の道路情報では日勝峠はガスが発生して視界不良とのこと。昼頃になれば状況は変わるだろうと、とりあえず日高まで移動してから日勝峠経由か道東道経由か決めることにした。日高道〜R237はトラックが多いので、久々にR274を走って行くことにした。道ネタの取材走行というのは言うまでもない。(^^;) 

 苫小牧市外を抜けてR234へ。しかしトラックの通行量が多いのが嫌になり日高道経由で道央道に入ってしまった。千歳まで北上してから道東道に入る。社会実験で無料開放されているので交通量が多い。しかも対向2車線なので、遅い車がいると詰まってしまってイライラしてしまう。キウスPAに入り休憩。@娘を15分ほど遊ばせてから出発する。

 

 

【写真】 苫小牧市街の臨海北通。片側4車線の産業道路。

 夕張まで道東道を走ろうかと思ったが、遅い車が多いので追分町ICで下りてR234〜r462経由でR274に出る。夕張郡由仁町川端からR274に入ったのだが、この区間のR274を走ったのは平成13年(2001年)9月の北海道ツーリング以来だろう。実に9年ぶりのこと。その当時はトラックなどの大型車両の通行量が非常に多かったのを覚えている。それがゆえに疎遠になってしまったルートなのだ。ところが約9年ぶりに走ってみると、あれほど走っていた大型トラックなどの姿が激減していた。ちらほらと車を見かける程度のローカル国道になっていた。平行する道東道が夕張ICまで無料開放されているので、多くの車がそちらに移動したことが原因だろう。R274から道東道を見ると、遅い車を先頭に10台ぐらい数珠繋ぎで走っているのが見える。

 夕張ICを過ぎると、道東道からの車が入ってくるので交通量は増える。それでも以前に比べると交通量は少ない。どうやら日高道〜R237というきつい勾配の少ないルートがメインとなり、急勾配の坂道が連続するR274は大型車に敬遠されてしまったのだろう。観光バスや観光客の車もそちらのルートにシフトしたようだ。もっとも国内景気が悪いこのご時世、日本人の観光客が少なくなっていることも影響しているのかもしれない。

 平成23年(2011年)10月末に、道東道の未開通区間である夕張IC〜占冠IC間が供用開始となる予定である。そうなると、千歳から帯広付近まで道東道だけで移動することができるようになり、R274はますます交通量が減ってローカル国道化することになる。大型トラック数台の集団が走行する光景は過去のものとなるのだろう か。

◆道活動@R274A

 夕張を過ぎるとR274は山越え区間に入り、急坂・急カーブが連続するようになる。途中で荷物満載のツーリングバイクが追いついてきたので道を譲る。いいなぁ。うらやましぃ・・・。しばらくすると陸上自衛隊の新73式トラックに追いついた。抜くに抜けずついて行くが、福山PAを過ぎたところで登坂車線に入ってくれたので追い抜いた。それから先は先行車両がないという信じられない状況の中をマイペースで走って行く。実に快適なドライブとなった。

 穂高トンネルを出ると観光バスに追いついた。適当な地点でバスを追い抜くが、日高のR237交差点までの間に追い越した大型車は陸自の車両と観光バス1台の計2台だけだった。祝日とは言え、こんなに少なかったかなぁ・・・。

 11時40分頃に道の駅『樹海ロード日高』に到着。とりあえず休憩だ。車から下りた@娘、店先にあるソフトクリーム形の看板に一直線。これがある所にソフトクリームがあることを覚えてしまったようだ。ラ・フランスソフトを買って一口食べると、@娘に奪われてしまった。あらら・・・。コーンまで食べきってしまった@娘であった。

 さて、道の駅では日勝峠の定点撮影ポイントの映像をモニターで映している。日高側の峠付近の霧(ガス)はかなり薄くなっていた。朝の情報では日高側は濃霧だったので晴れてきているようだ。なので日勝峠を越えて行くことにした。日勝峠区間は北海道らしい雄大な自然の中を走るので、個人的には気に入っている区間である。

 

 

【写真】 豪快な山岳国道・R274。無料開放の影響で交通量は激減。撮影中に他車に追い越されることはなかった。

 道の駅を出発。R274を日勝峠方面に向かう。驚いたことに日勝峠区間の交通量は激減していた。3年前の平成19年(2007年)9月の北海道ドライブの時とは大きく変わっている。以前なら休日であっても大型トラックや観光バスなどの大型車を先頭に車の集団ができていたのだが、大型車どころか乗用車の姿すら疎らという状態。原因は道東道無料開放だろう。

 R274日勝峠区間を迂回するように建設された道東道が、平成19年(2007年)10月末にトマム、平成21年(2009年)10月末に占冠まで開通。占冠まで開通したことで 、日高からR237経由で道東道を走れば急坂・急カーブが連続するR274を迂回することができるようになった。この影響で交通量が減少した のだろう。有料ならともかく社会実験で無料開放されたので、急坂・急カーブが続く日勝峠区間を敬遠して走りやすい道東道に 多くの車やトラックがシフトしたのだろう。高速道路の効果が現れた形になった。しかしR274沿道のドライブインや土産物店などは軒並み閑古鳥が鳴いており、負の影響の方が大きい模様。どうなることやら・・・。

◆道活動@R274B

 閑話休題。

 交通量の少なくなったR274を淡々と走る。後ろから追いつかれることも、先行車に追いつくこともなくマイペースで走る。対向車とすれ違うことも少なく、場所によっては本州では味わえない豪快な山岳国道を貸し切りで走っているような状態だった。実に気分爽快。バイクで走れないのが残念。ちなみにR274は線形改良が進んでおり、以前はなかった新トンネルが何カ所かに開通して走りやすくなっていた。

 当たり前の話だが進むにつれて標高が上がって行く。景色も谷間から山腹、そして頂上へと近づき風景も変わって行く。窓から外を見ている@娘はどう思っているのだろうか?

 やがて周囲が靄ってきた。ガスが出てきたようだ。青空も見えなくなりどんよりとした雲の下を走るようになる。窓を開けると肌寒い。気温も下がってきているようだ。峠日高寄りにある覆道区間を出ると周囲は一面霧で覆われていた。ほどなくして日勝峠に到着。止まって撮影しようと思っていたのだが、周囲は濃霧で視界が極めて悪い。できれば旧トンネルの探索までしてやろうと思っていたのだが、それどころではないような視界の悪さだった。

 撮影をあきらめて日勝トンネルに突入。驚いたことにトンネル内部にも霧が立ちこめている。平成18年(2006年)9月の時と同じような状態だ。

 

 

【写真】 日勝トンネル日高側抗口。日高側でこの状態。

 

これはやばいかも・・・ ( ;゚Д゚)

 

トンネルの途中からガスが漂っていることが分かる。

十勝側は間違いなく濃霧だ。

 

そしてトンネルを出ると・・・

 

 

 

【写真】 トンネルを出たらこんな状態。

 

濃霧 Σ(゚Д゚;)マジ?

 

 案の定、トンネルを出て十勝に入ると濃霧であった・・・。視界は3〜5m。なんにも見えまへん・・・。たまにすれ違う対向車も直前にならないと分からないような霧の濃さだ。

 濃霧の中を初めて走ったのは平成7年(1995年)9月の知床峠でのこと。人生初の北海道バイクツーリングで、濃霧の中をバイクで一人走ることになった。シールドはすぐに水滴がついて見えづらくなるし、前方が右カーブなのか左カーブなのか直前までわからず、さらに後ろから突然現れた観光バスに追突されそうになるなど、濃霧下での走行がどれだけ危険かを身をもって経験した。以来、何度か霧の中を走っているが、知床峠での濃霧下走行以上に危険な条件で走ったことはない。今回は車での走行なので、まだマシな方だ。それでも霧中走行には変わりはないので、前方に注意しながら速度を落として運転する。

 しばらく進むとコンビニがあった。ローソン日勝峠店というらしいが、日本最高所にあるコンビニではなかろうか?冬期など、従業員・バイトさん達は通うのは大変だろう。ここも霧で覆われていたいたので止まらずに通り抜ける。この少し先で日勝峠に向かって走る自転車を見かけた。無事に日高に下りることができたのだろうか?

 やがて前方に中部地方のナンバーを付けた車に追いついた。どうやら女性2人組の旅行者のようだが、霧の中を走るのが初めてのようで20〜30k/hぐらいでゆっくりと走っている。平時ならさっさとパスしているのだが、濃霧下に対向車線にはみ出して追い越すことは自殺行為なので後ろに付いて同じような速度で走る。しかし運転が怖いのか、やたらとブレーキを踏むので気が気でない。車間距離をやや開けるのだが、すぐに詰まってしまう。イライラするが抜くに抜けない・・・。標高が下がると霧も大部と晴れてきた。視界も100m以上となったが、先行車は相変わらずトロトロ走っている。どうやら山道の運転も初めての模様・・・。後ろも見てくれ・・・。適当な場所で追い越すと、あとはマイペースで走る。

 

 

【写真】 十勝平野に下りてくるとこんな状態。R274は気

象条件の厳しい場所を通っている。

 標高1000m級の山々が連なる日高山脈の東側となる十勝地方は曇りだった。曇り空の下、R274を淡々と走る。十勝清水ICを過ぎてしばらく走ると、十勝清水市街に入りR38交差点に到着した。結局、ここまでの間で追いついて来た車はいなかった。追い付いたもしくは追い越した大型車や観光バスは”0”。わずかに乗用車1台を追い越しただけだった。道東道無料開放の効果は凄いことを改めて認識した。

 平成23年(2011年)秋に夕張IC〜占冠IC間が供用される予定だが、一応道東道が帯広付近までつながることになる。 今回のように峠付近が濃霧だったり、積雪時や悪天候時は道東道に迂回することができるようになり、より安全な通行が確保されることになる。R274日勝峠区間は大きく変わるのだろう。

◆帯広へ

 十勝清水到着は13時頃。十勝清水から帯広までは1時間もあれば着いてしまう。時間は十分あるので少しウロウロすることにした。R38から再びR274に入って上士幌に向かう。この区間は平成11年(1999年)9月のツーリング以来走っていなかったので、写真撮影がてら走ることにした。もちろん道ネタ集めである。(^^;)

 途中にあった”美蔓パノラマパーク”という小さな展望台で休憩。ここから日勝峠方面を見ると雲がかかっていて山頂は全く見えなかった。なるほど、濃霧だったのも納得できる。車外に出た@娘は展望台をウロウロしてはしゃいでいる。どこかに行かないように見守る。やがて2台のバイクがやってきた。夫婦でツーリングしており、今日は上士幌でキャンプするという。うらやましいなぁ・・・。

 

 

【写真】 美蔓パノラマパークから見た日高山脈。雲がかかっていた。そりゃ濃霧になるわな・・・。

 ライダー夫婦に挨拶して出発。R274に入ると、展望台にいるときに走って行った陸自の新73式トラックに追いついた。ナンバーからR274福山PA付近で追い抜いたトラックだった。20分ぐらいの差で追いついてきたので、おそらく占冠から道東道経由で来たのだろう。無料開放だから経費もかからないはず。陸自トラックは鹿追駐屯地に入って行った。

 

 

【写真】 R274にあった『馬横断注意』の標識。北海道らし

い標識だ。

 時間が時間だけに昼食を食べることにする。ツーリングマップルに載っていたカントリーホーム風景という店に向かった。陸自演習地入口近くにあるお店で、店にいる間も陸自トラックが頻繁に出入りするのを見ることができた。 店の駐車場に車を停めると野良猫が近寄ってきた。かなり人慣れしており、足にスリスリとすり寄ってくる。店員に尋ねると、近くの農家に住み着いている野良猫だそうで、最近店までやってくるようになったそうだ。@娘は野良猫に大興奮。「ねこ〜 ねこ〜」と言いながら追いかけていた。

 @娘を抱きかかえて店内に入るが、ここでも@娘の我が儘が炸裂。他の客に迷惑をかけてしまう始末・・・。@嫁ともども赤面である。早々に食べて店を出ると、 また野良猫がやってきた。@娘は再び大興奮。追いかけて触ったりしてじゃれていた。

 

 

【写真】 @娘と遊んでくれた野良猫。元気かな?

 しばらくしてから@娘を車に乗せて店を出発。R274に戻る。20kmほど走ってR241に出た後南下。道の駅『ビア21しほろ』に入る。時間は15時台でホテルに入るにはまだ早い時間帯だ。休憩してからR241を上士幌まで移動する。ナイタナイ牧場にでも行こうかと思っていたのだが、残念なことに天候は悪く小雨が降ってきた。牧場方面も雨雲がかかっていたので断念。R241に戻り帯広に向かうことにした。

 祝日の夕方ということもあって交通量は多い。やや渋滞気味の帯広市街を抜けて、帯広駅近くにある東横イン帯広駅前には17時前に到着する。意外と早いホテル入りである。チェックインして部屋に入る。一段落して19時過ぎには夕食を食べに市街地に向かうが、家族で食事できる店が少ないようだ。居酒屋などが目立つが、さすがに子連れではねぇ・・・。ウロウロしていたらふじもりというお店を見つけた。@娘を抱っこして歩くのがしんどくなっていたので、そこに決めて店に入った。

 帯広では有名な店のようで、祝日の夕方ということもあって座席はほぼ埋まっていた。見渡すと家族連れが多い。かくいう私も家族連れである。帯広といえば豚丼なのだが、この日はハンバーグ&エビフライ定食を注文する。@娘用に親子丼を頼んだが、@嫁のをもらっていたのでほとんど食べなかったため、私が食べることになった。注文した品を食べ残すのは嫌なタイプなので、定食と親子丼を完食。さらに店がサービスで出しているソーダ水を2杯(私と@娘の分)も飲んだのでお腹一杯となった。もう何もいらない。

 ホテルに戻る。軽くシャワーを浴びてからベットに横になりダラダラと過ごす。22時頃、@娘を寝かしつけていたら寝てしまった。意外と疲れていたのかもしれない。

平成22年(2010年)9月21日(火) 【帯広→弟子屈/278km】

◆広尾へ

 ホテル東横イン帯広駅前はJR根室本線の高架のすぐ横にある。部屋は3階だったと思うのだが、ちょうど線路と同じような高さだったので、昨晩も貨物列車の走行音などが聞こえていた。朝方、多分6時頃に列車の走行音で目が覚めた。ディーゼルエンジンの音と短い通過音でローカル普通列車だろうと判断。こういうところが気になるのは鉄出身者だ。ダラダラとしている間に7時半頃になった。

 ロビーに下りて無料サービスの朝食を食べ、部屋に戻り荷物をまとめていると駅から出発を知らせる長い音楽が聞こえてきた。特急列車だろうと思いカーテンを開けると、ちょうど札幌に向かう特急が出発して行くところだった。部屋からは屋根の一部しか見えないが、先頭車両のライトが3灯なのと運転席側面の窓の形からキハ283系の特急車両だった。上の階だったら見下ろすことができたのだろう。

 

 

【写真】 窓から見えたJRの特急。多分キハ283。

 今日は弟子屈まで移動である。今回はR38釧路経由で行くことにしたが、それでも昼頃には弟子屈に着いてしまうのだろう。なので少し寄り道することにした。帯広市街からR236を南下して広尾郡広尾町に向かう。朝の通勤時間が終わっているので交通量はそう多くはない。無料開放されている帯広広尾道路に入り南下。明らかに観光客の乗る『わ』ナンバーのレンタカーが多い。しかも遅い。なんで60k/hで走っているんや・・・。とりあえずマイペース走行しながら南下し、自動車道が終わる中札内からはR236に入る。

 @娘は後部座席で大人しく座っている。退屈させないようにと、某HK教育の『い●いい●いばぁ』のCDをかけているのだが、何度同じ曲を聴いたことやら・・・。別のCDをかけようとすると怒るので、『●な●●な●ばぁ』のCDを 別のCDに換えることができないのだ。さてあと何回聞くことになるのだろうか。

 

 

【写真】 ナウマン象のモニュメント前ではしゃぐ@娘。

 道の駅『忠類』に10時20分頃に到着した。帯広を出たのが9時過ぎなので、1時間少しかかったことになる。もう少し早く着いたはずなのだが、今日から『秋の交通安全運動』が開始されたので大人しく走ったのが影響したようだ。

 道の駅にはキャンピングカーが数台停まっていた。泊まっていたと書くべきだろうか。60歳台のおっちゃん、おばちゃんが多い。会社を退職して悠々自適な生活を送っているようだ。近くでは数人が集まりキャンピングカー談義で盛り上がっていた。

 @嫁が@娘のために牛乳を買ってくる間に付近を散策。巨大なナウマン像のモニュメントに興味津々だった。牛乳を飲んでから道の駅の土産物コーナー に移動。商品を見ていると@娘が店内を走り始めた。迷惑なので捕まえて店外に出ようとしたら、「今が一番かわいい時なのよねぇ〜」と多分地元のおばちゃんに話しかけられた。小さい子供がいると何かと話かけられて会話が弾むことがあるのだ。

 一通り遊んで満足した@娘を車に乗せて出発。R236を南下するが、幹線道路というか帯広と広尾や襟裳岬方面を結ぶ唯一の道なので、交通量が大変多い。信号機というものが少ないので流れが良いのが救いだ。速度取り締まりを警戒して70〜80k/hで走る。電探があるので”サイン会”は大丈夫なのだが、白バイと覆面パトなどは目視するしかない。地元車が100k/hぐらいで追い抜いて行く。そういう車は”囮”となっていただこう。

◆ミリタリ活動@旭浜

 20分ほどして広尾町紋別のR236・R336交差点に到着。ここからR336に入るとすぐに原野の中を進むようになった。走っている車は皆無となり、私の車だけが淡々と目的地を走っているだけ。北海道らしい風景の中をひた走る。広尾郡大樹町に入ったところでr501(道道旭浜大樹停車場線)に入り旭浜という漁港に向かった。実はここが目的地。近代的な漁港に車を停める。@嫁と@娘は車で待っておくよう伝え、一眼デジカメを持って車から降りる。目的は旭浜にあるという、旧帝国陸軍(海軍か?)が建設したトーチカ群。ミリタリ熱発病です。

 トーチカとは鉄筋コンクリート製の防御陣地。分厚く丈夫な建物の中に銃や砲を配置して敵を迎え撃つ軍事施設。連合軍が上陸すると想定される長い海岸の一つである北海道南東部の広尾町〜大樹町にかけての太平洋岸には、あちこちにトーチカ群が存在している。ここ旭浜のは中でも最大で合計 15基の存在が確認され、うち8基のトーチカが海岸線に並んでいるのだという。

 ところが近代的な漁港にはトーチカの”ト”の字すらない。なので護岸を越えて浜に出て海岸線を歩き始めた。旭浜の海岸線は荒々しい太平洋の波のために砂はほとんどなく石がゴロゴロと転がる”石浜”というような海岸だ。 『礫浜』というらしい。5cm〜10cm大の石が敷き詰められており、その上を歩くことになる。これがまた歩きづらい。足が安定しないので注意していないと足首をひねってしまう。砂浜よりも歩きづらく感じた。バイクでは走らない方がよい海岸だ。オフロードでも安定しないのではなかろうか。車(Spike)では底を擦りそうなので走りたくない。

 海岸には多くの釣り人の姿があった。思い思いの場所で釣り竿をたてて”当たり”を待っている。皆、車で海岸に下りてきていた。普通乗用車で来ている人もいるところを見ると、石浜も慣れれば走れるようになるのだろう。

 

 

【写真】 漁港に一番近い位置にあるトーチカ。こういう状態で建設されたのだろう。

5分ほど歩くと最初のトーチカに到着した。半分ほど海岸近くの丘に埋もれた状態となっているが、これが本来の姿に近い状態。 そのすぐ先に海岸に姿をさらしているトーチカがいくつか見える。最初のトーチカを含めて3基目まで歩いて近づいて撮影した。3基目のトーチカのすぐ先には集落から続いているダート道があった。帰りはダート道を歩いて行けば楽に歩いて行ける。

 残りは5基。石浜だけなら断念してダート道を歩いて帰っていただろうが、なんということでしょう。ここから防潮堤が先に延びていた。防潮堤のコンクリの上なら楽に歩いて行ける。 当然、そのまま歩いて進んだ。4基目を撮影すると、すぐ先に5基目が見えるので歩いて撮影。するとその先に6基目が見える・・・。なんとも絶妙な間隔でトーチカが並んでいる。

 

 

【写真】 多分5基目から先のトーチカ。こんな感じでトーチカが並ぶ。

 5基目から先は防潮堤がなくなるので海岸を歩いて進むことになる。6基目まで来ると、少し先に残る2基が見える。あと2基だ。ここまで来たのだからと、そのまま海岸を歩いて残る2基も撮影。海岸線に確認できる全8基のトーチカを撮影した。残る トーチカは海岸近くの藪の中とか離れた場所にあるそうなのだが、場所が分からず断念。再び歩きづらい海岸線を歩いて港に向かう。さすがに帰りは途中からダート道に入り地道を歩いて帰った。

 途中で@嫁の携帯に電話し、集落近くの展望台に移動するように連絡しておいた。展望台で合流。時刻は12時15分。「すぐ戻る」と言っておきながら、実に1時間半近く経過しておりました。当然、@嫁は不機嫌。@娘は退屈の極みの模様・・・。@娘を展望台近辺で少し遊ばせてから旭浜を出発した。

 

 

【写真】 漁港を見下ろす展望台で合流。@嫁の機嫌はすこぶる悪かった・・・。

 さて旭浜のトーチカ群、海岸にあるトーチカは1基を除いて残りはすべて流出している。 もともとは丘の中に埋められるような形で建設されたのだが、

浸食により砂が流出。地中にあったトーチカがああいう状態で地表に出てきてしまったそうだ。65年という歳月と自然の力は凄い。何年かすれば 海岸の浸食が進み海没することになるのだろう。見に行くなら早いうちがよい。あとでネットで調べると、他にも何カ所かトーチカが現存しているそうなので、また機会を見つけて探しに行ってみよう。

◆道活動@R336

 R336に戻る。ここからはR336をひたすらに走ることになる。平成16年(2004年)10月のドライブ時とは逆コースを走ることになる。この時は雨で今ひとつだったが、今日は快晴で青空の下をひた走る。バイクで走ると気持ちよく走ることができる快走路が続く。あ〜、バイクで走りたい・・・。淡々と原野の中を走る。やがて十勝川を渡る。遙か昔、平成4年(1992年)秋頃までは十勝川を渡る渡船国道というのがあったらしい。今でもあればすでに訪れているだろう。

 普通ならば十勝川を渡ってからR38に向かうのだが、今回は昆布刈石展望台に行きたかったので直進する。この先はR336のバイパスが建設中となっている。快走2車線道が途切れると断崖上を行くダート道に入る。少しづつR336バイパス道路が延びて来ているので、ダート道は短くなって行く。そしてバイパス道路が延伸するたびにダート道は廃道となっている模様。海岸線近くのダート道もいずれ消える運命にあるようだ。

 

 

【写真】 R336未開通区間のダート道。

 ダート道はバイパス建設工事関係の車両、特に大型ダンプの通行が多くすぐに轍ができて凸凹になってしまうため、モーターグレーダーがダート区間を何往復もして頻繁に整地していた。展望台直前でグレーダーに追いついたのとダンプが数台来たため入り損ね、少し先の広い場所でUターンして展望台に到着した。

 @娘は寝てしまったので車内に置いたまま外に出る。展望台といっても断崖上の小さな広場。何もない自然のままの展望台で、広大な太平洋と北海道の原風景が楽しめる。工事車両が頻繁に走るので落ち着いて見ることができなかったのが残念だ。バイパス道路が開通すれば一変してしまうのだろうか?

 

 

【写真】 展望台から見た太平洋。左下に新旧の厚内トンネルが見える。

 出発しようとしたら、フロントバンパーに土がこびりついていることに気が付いた。先ほどのグレーダーを追い越すときに、グレーダーが路面に作り上げた土盛りを越えるときにバンパーを擦ってしまったようだ。土を落とすと、なんと隙間から大量の土と石が入っていることが判明。バンパーの裏側に詰まった土をほじくり出すが限界がある。走っている間に取れるだろうとそのままにして出発した。ちなみにこの土、大阪に帰ってからもまだ残っていた。走っていると石が落ちて行くことがあり、ホンダに持って行って見てもらったらかなりの量が残っていたとのこと。やれやれ・・・。

◆温かい出会い

 展望台の先はダートの急坂・急カーブ区間。オンロードバイクで来たなら泣きたくなるようなダート道だ。やがてr1038(道道直別共栄線)との交差点を右折すると舗装路になってダート道は終わりを告げた。ほどなくして厚内トンネルを越える。立派なトンネルの横に幅の狭い旧トンネルがあった。昭和19年(1944年)に開通した旧トンネルは閉鎖されて廃隧道となっていた。もっと早く来るべきだったか・・・。

 厚内トンネルからは海岸線のすぐ近くを行く平坦な2車線道となる。大時化の時は間違いなく波をかぶるであろう道路をしばらく走ると、厚内市街に到着した。厚内駅前に車を停めて休憩。根室本線の駅と言っても完全なローカル線の駅。休憩中にキハ40単行による釧路行き普通列車が到着したが乗客の乗り降りはなかった。

 

 

【写真】 厚内駅を出発するキハ40単行による根室行き普通列車。

 r1038経由でR38に入る。ここからは交通量の多い幹線国道となる。電探の警報音に注意しながら淡々と進む。過去何度かサイン会開催を目撃している現場を過ぎるが、意外な場所に速度測定機付PCが居たりするので気が抜けない。

 15時、道の駅『しらぬか恋問』に到着。もっと早く着くはずだったのだが、旭浜で予想以上に時間を喰ってしまったのが響いたようだ。ここでやっと昼飯となった。車を停める。@嫁が@娘を下ろしていたのだが、隣の車の方と何やら話している。ぶつかったのかと覗いてみると、隣の車に乗っているおばちゃんが「小さな子供さんがいるから・・・」と言って人形のキーホルダーをくださっていたのだ。暖かい心配りに感謝。@娘ともども厚く御礼申し上げた。

◆とほ宿『ましゅまろ』一泊目

 R38をひた走り釧路に到着する。バイパスはかなり進んでおり、r53(道道釧路鶴居弟子屈線)交点まで開通していた。r53に入ってからは北上して弟子屈を目指す。遅いトラックと車を数台追い抜いてマイペースで走行。覆面パトに注意して走る。16時45分頃には弟子屈市街に入る。市街を抜けてR243へ。市街地を抜けてR391に入ると目的地は近い。何度も走っているいつもの道である。17時過ぎ、本日からしばらくお世話になるとほ宿『ましゅまろ』に到着した。3年ぶりである。

 

 

【写真】 釧路からr53を北上して弟子屈町に入る。

 とほ宿『ましゅまろ』に初めて宿泊したのは平成9年(1997年)9月のツーリングの時。1泊だけのつもりが、『ばんば競馬』に出場したことから連泊。居心地の良さに翌年から3年前まで毎年訪れるようになった。もちろん最初は独身だ。やがて@嫁を連れて行き、@娘まで連れて泊まりに来ることになるとは思いもよらなかった。確か最初に来たときは、宿のオーナー夫婦の娘さんはうちの@娘ぐらいだったはず。まさか、自分の子供を連れて泊まりに来ることになるとはねぇ・・・。感慨深い。

 人見知りする@娘だが、宿のオーナー夫妻のほんわかした雰囲気が気に入ったのか、ちゃんと挨拶していた。泣き出すかと思って心配していたのだが、どうやら大丈夫のようだ。他の宿泊客にも愛想良く振る舞っている。夕食時も機嫌良く食べていた。

 夕食後、疲れから寝てしまった。気が付くと24時。夜の宴会は終わっていた。参加していた@嫁が言うには、旭浜の一件で「一時間半も待たせた?そりゃ旦那さん(=私)は酷い」ということになったそうで・・・。 ああ、そうですか・・・。('A`) 面白くないので寝る・・・。

平成22年(2010年)9月22日(水) 【弟子屈→弟子屈/252km】

◆朝の散歩

 初とほ宿泊の@娘は@嫁と一緒に朝まで寝ていた。泣きわめいたらどうしようかと心配したが無用だった。朝7時起床。少し冷え込んだようで霜が降りていた。大阪では連日残暑が続いているというのに、道東は秋の気配である。

 7時半に朝食。@娘は機嫌よく食べていた。食後、@娘を連れて散歩がてら美留和駅に行く。釧網本線のローカル無人駅。駅舎は老朽化したのだろう、すでに平成9年の時点で駅舎はなかった。その時から廃車されたヨ8000の有効活用で”車掌車駅舎”となっている。ホームでしばらく遊んでから宿に戻る。行きは歩いて来たのだが、帰りは歩くのが嫌らしい。「だっこ〜」とせがんできた。こうなると動かない。@娘を抱きかかえて宿まで歩いた。

 

 

【写真】 美留和駅舎に乗り込む@娘。子供受けする駅舎だった。

 朝の運動を終えて宿に戻ると、昨晩宿泊していたライダーさんとレンタカーの方が出発されるところだった。記念撮影してから出発組の方々を見送る。記念撮影後、@娘は宿の犬小屋に向かった。宿には以前に”トロ”という犬が居て何年か前に大往生してから犬はいなかったのだが、今は2代目の飼い犬として雑種の”エル”という犬が犬小屋の主になっている。オーナー以外の男性には懐かないそうで、私が近づくとおびえて隠れてしまった。

 しかし@嫁と@娘、オーナーさんの奥さんには尻尾を振って近寄ってくる。小さい子供は大好きなのか、エルは嬉しそうに近寄っていた。動物好きな@娘は喜んでいたが、エルの糞を踏んでしまい大騒ぎに・・・。@娘の靴を洗ってしばらく乾かしていたため出発は遅くなった。ま、連泊なので遅くなっても構わないのだが・・・。

◆双湖台

 10時過ぎに『ましゅまろ』を出発する。R391に入り南下していると後ろからHONDA”フィット”が接近してきた。ナンバーを見るとレンタカー。若いね〜ちゃんが運転している。急いでいるのかどうか知らないが、煽ってきたうえに追い越そうとしてきた。ところが間が悪く対向車がいたり、中央分離帯があったりしてなかなか抜けない。こちらもタイミングを見計らって速度を調整して走っていたらショートカット路に入り損ねた・・・。結局、そのままR243に

入った。R243は交通量が多くなるので抜くに抜けない。結局、フィットのね〜ちゃんは私の車に後ろに付いたまま弟子屈市街まで走ることになった。急いでも仕方ないのに・・・。┐(´д`)┌

 

 

【写真】 青空の下、直線道路を走る。バイクだったら実に気分爽快になることができるのだがねぇ・・・。

 弟子屈市街のガソリンスタンドに立ち寄り給油後、R241で阿寒湖を目指す。旧弟子屈飛行場を過ぎてからは見通しの良い直線区間が続く。いかにも取り締まりをしているような区間で、電探と目視で取り締まりを警戒しながら走った。やがて峠区間に入り、急坂と急カーブが連続するワインディング区間に入る。ウネウネと曲がりくねりながら進む山岳国道を淡々と進んで行く。

 

 

【写真】 双湖台から見たペンケトー。北海道に見えると言えば見える。

 途中にある双湖台に立ち寄る。 双湖台と名が付く通り、ペンケトーとパンケトーの二つの湖を見ることができる。アイヌ語でペンケとは”前”でパンケとは”後”、トーは”沼・湖”という意味らしい。展望台から見る ペンケトーは北海道の形に見える。

 双湖台周辺は快晴だったが風があって少し寒かった。展望台に土産物屋があったので入ってみる。いろんな彫り物が展示されているのだが、@娘は遊び場と勘違いしているのか、興奮して店内を走り回り、商品である彫り物に触ろうとする始末・・・。店員さんは「いいですよ〜(笑」と言ってくれるのだが、こちらは気が気でない。早々に精算を済ませて@娘を強制的に外に連れ出した。

 それが嫌だったのかもっと遊びたいのか、外に出た途端に駄々っ子となり地面に寝ころんで大声で泣きまくる。こっちが泣きたくなる・・・。たまたま訪れた外人さんに笑われましたがな 。放っておいても泣きやまないので、車まで強制連行してチャイルドシートに強制着席させたら大人しくなった。疲れた・・・。

◆阿寒湖

 双湖台を出てR241〜R240を走り、阿寒湖には15分ぐらいで到着した。時刻は11時半頃である。双湖台の土産物屋さんの店員さんに無料駐車場を教えてもらったが、@娘を連れて歩くのが面倒なので有料駐車場に車を停める。今日の阿寒湖は風が強く少し寒い。初めての湖岸ということで、@娘は車から降りると湖岸に向かう。鴨の集団を見つけると、そこに向かって一直線。危うく靴がずぶ濡れになるところだった。

 阿寒湖遊覧船乗り場に向かうが観光客の姿はない。気の毒なくらいにガラガラで、遊覧船も赤字覚悟の運行ではないだろうか。連休明けなので少ないのか、北海道旅行する観光客が減っているためなのかは分からない。ハングルや北京語で書かれた看板が目立つところを見ると、日本人観光客の減少分を特亜観光客で補おうとしているようだ。

 

 

【写真】 阿寒湖に到着。天候は晴れ!(・∀・)

 土産物屋街に向かう。歩かせるつもりだったが、@娘は明後日の方向に歩くので結局は抱っこして歩くことになった。とある土産物屋で『まりもプリン』というプリンを見つけたので宿へのお土産として購入する。この店内でも@娘ははしゃぐ。どうやら陳列してある土産物や商品は、勝手に遊んで良いおもちゃと思っているようだ。悪意があるはずもない2歳女児のはしゃぐ姿に店員のおばちゃんは「かわいいねぇ〜」と笑ってくれる。それを理解しているのか、去り際に手を振って挨拶して愛嬌を振りまく@娘。ちゃっかりしているのかしていないのか。将来が少し不安だ。

 もう一度遊覧船乗り場に戻る。双湖台の土産物屋さんの店員さんに『まりもソフト』なるご当地ソフトがあると教えてもらったからだ。先ほど販売しているのを@嫁が確認していたのだ。ソフトは乗り場の売店で売っていた。色は淡い緑色でメロン味だった。これなら普通のメロンソフトとなるのだが、実は中にビー玉サイズのゼリーが入っていた。メロンソーダ味のビー玉ゼリーを毬藻に見立てているのだ。なるほど手間暇かけている。300円という値段は妥当か。ゼリー を喉に詰まらす可能性があるので私が食べたが、ソフト自体のほとんどは@娘が食べてしまった。ソフト好きな@娘である。

◆丹頂鶴・・・

 12時半頃、記念撮影してから阿寒湖を出発する。駐車場からR240に出て市街地を進むが、何となく寂しくなっているように感じる。実は平成7年(1995年)9月の初北海道ツーリングでは阿寒湖にあったユースホステルに宿泊した。そのときは市街地のホテル街は活気があったように覚えている。ちなみにユースホステルは数年後に閉鎖。観光バスの運転手・添乗員相手の宿泊施設となったが、今はどうやら施設自体が閉鎖されてしまったような様子だった。観光客減少が影響しているのだろうか。

 

 

【写真】 阿寒湖湖岸から撮影した雄阿寒岳。

 閑話休題。R240を釧路方面に移動する。平成7年(1995年)以来北海道に何度も来ているが、R240の阿寒湖〜釧路間を走るのは今回が初めてだったりする。R240は釧路〜美幌〜網走を結ぶメインルートで大型車が多いということもあって敬遠していたのだ。網走方面に向かう大型車と何台もすれ違ったが、山中ワインディング区間では幸いにも大型車に追いつくこともなく、マイペースで走ることができた。バイクなら気持ちよく走ることができたであろう。気が付くと@娘は爆睡。助手席に座る@嫁も船をこいでいた。車内はちょうど良い温度のようだ。

 13時頃に道の駅『阿寒丹頂の里』に到着する。ここにある丹頂鶴観察センターで丹頂鶴でも見ようかと思ったのだが、@娘は爆睡状態で起きそうにない。無理に起こすと不機嫌になるのは間違いなく、センター内で大泣きして転がり回るのが予想できたのでセンターに入るのはやめにした。昼食も中途半端な時間になるので、売店で揚げ芋を買って腹の足しにして出発した。

◆道活動@R274C

 R240を南下したのには理由がある。ずばり道ネタ収集。R274の東端区間を再走行するためである。最初の予定では昨日走っておくつもりだったのだが、いろいろあって時間が無くなり走れなかったので、今日走ることにしたのだ。昨日走っておけば、R240で釧路まで下りて和商市場で昼飯と考えていたのだ。

 ひとまずR240からR274を西に向かい、r222(道道雄別釧路線)交点まで移動。ここから折り返して東に向かうことにする。R274の道東区間は途中に分断区間を含む未開通区間があるため、国道としてほとんど機能していない。全通していればR38のバイパス的な役割を果たすことになり、自然災害時や有事の際にも緊急迂回ルートとして活用できることになる。もっとも道東自動車道(北海道横断自動車道)も計画されているので、どちらか一方を選択して建設すれば良いのではと思ってしまう。途中の分断区間では道路建設が進んで橋脚などが姿を現していたので、R274を先に開通させるつもりなのだろうか。

 

 

【写真】 R274分断区間を連絡する道道上にて。

 r222交点から東に向かう。アップダウンと急カーブが連続する整備された2車線道が続く。国道としてほとんど機能していないので、交通量は皆無に近い。原生林や山中をぶち抜く立派な道路を淡々と進む。バイクで走ると大変気持ちが良いだろうなぁ〜。撮影しながら淡々と走る。気が付くと@嫁と@娘は爆睡状態になっていた。しばらく起きてこなかったので、気兼ねせずに道ネタ集めができた。

 r53を過ぎると酪農地帯を進むローカル国道になる。ローカル国道とは言っても、本州のローカル国道とは別次元の道が続く。麦草ロールが点在する酪農地帯を淡々と進み、14時半過ぎに標茶のR391交差点に到着。3回目となるR274道東区間の走行を終えた。

◆多和平

 R391に入ると北上して多和平に向かった。到着したのは15時頃である。標茶市街で目が覚めた@娘が退屈し始める頃に到着した。車から降りると駐車場を走りだした。幸いにも私ら以外に車はいなかったので何事もなかった。レストハウスに入り遅めの昼食。手間がかかる料理を注文してしまったので20分ほど待たされた。簡単な料理にしておけば良かった。

 

 

【写真】 多和平の展望台付近で走り回る@娘。

 食後、多和平の展望台に向かう。展望台一体は芝生となっており、@娘は大はしゃぎで走り回っていた。時間が時間だけに展望台には私ら家族だけという状態。 キャンプ場にはテントが張ってあったが、主は出かけているようで人の気配はない。なので@娘は展望台やキャンプサイトの芝生などで、誰にも気兼ねせずに思う存分走り回っていた。 まぁ、他に誰か居ても走り回っていただろうけど・・・。

 

 

【写真】 芝生を走り回る@娘。人のいない広い芝生は初めてなので大はしゃぎだった。

 展望台で記念撮影して駐車場に戻る 。途中にあった芝の斜面を@娘と一緒に転がって遊んでいたら、@娘はハイテンション状態になってしまった。 まずは芝生から出たくないと駄々をこね、強制連行して車に乗せようとしたら「もっと遊ぶ〜」状態になってしまい 大暴れ。足をバタつかせるわ、体をのけぞらすわで座ってくれない。暴れる@娘を乗せるのに一苦労だった。( ´∀`)

◆ミリタリ活動@掩体壕

 16時過ぎに多和平を出発する。このまま宿に戻っても良かったのだが、計根別の掩体壕を見てから帰ることにして東に向かった。R243からr13(道道中標津標茶線)に入る。掩体壕はr13沿いにあるのだが、3年ぶりに訪れたので 場所を忘れてしまい行き過ぎてしまった。少し先でUターンしようと走っていたら、大型トラックが突然出てきてぶつかりそうになった。明らかに向こうがこちらに気づいていないようなタイミングだ。危うく家族全員であの世に行くところだった。(((( ;゚Д゚)))

 気を取り直し、Uターンして掩体壕に向かう。計根別の掩体壕は合計3基の存在が確認されている。計根別には旧帝国陸軍航空隊基地があった。バラバラに離れた場所に5本の滑走路が設けられ、それぞれを連絡する誘導路と掩体壕などが建設された。戦後、滑走路は1本が西春別空港を経て航空自衛隊基地 (部隊配置なし)に、もう1本は民間飛行場になり残りは姿を消した。掩体壕も破壊されたりしたが、3基だけがほぼ完全な形で残っている。掩体壕ファンにはたまらない場所なのだ。3基の掩体壕は何も変わらず健在であった。

 

 

【写真】 唯一近づくことができる掩体壕。原型をよく保っている。

 1基は近づくことができるのだが、残る2基は個人の畑の中や雑草が生い茂る荒れ地(元畑?)にあり近づくのが困難。以前歩いて近づいて遭難しそうになったことがあったりする・・・。なので道路上から望遠レンズで撮影することにし、このために300ミリ望遠レンズを持参してきたはず・・・なのに・・・・・・・・。忘れた・・・・・。orz

 予備の200ミリレンズがあったので、それで撮影して掩体壕群を後にした。こんな物忘れをするとは情けない。

◆とほ宿『ましゅまろ』二泊目

 17時頃に計根別から弟子屈に向かう。時間的に日没直前なのだが、R243は西に向かうので太陽をもろに見ながらの運転となる。サングラスをかけて運転するが、それでも目がチカチカする。弟子屈に近づくと山の陰に隠れたので普通の眼鏡に戻して運転。R391交差点を過ぎると、道路脇に停まって獲物を待つ覆面パトやノーマルパトカーの姿がちらほら。赤色灯を回転させて注意を促していたが、それでも気づかずに通り過ぎる違反車を待っているのだろう。

 交通安全週間期間中ということもあり、ショートカット路の釧網本線の踏切を渡るときも、列車が来ないことは分かっていても一旦停車してから渡った。以前、ここで一旦停車の取り締まりをしている現場を目撃したことがあったからだ。R391に入ってからも大人しく走り、とほ宿『ましゅまろ』には17時半頃に到着した。

 

 

【写真】 弟子屈に向かって帰路につく。西日がまぶしい。

 本日の宿泊客は、私ら(3名)を含めて5名だった。レンタルバイクのXRに乗るライダーさんと車で移動されている旅人さん。@娘は人見知りして泣くこともなく愛嬌を振りまいていた。夕食後、@娘を風呂に入れて21時頃には寝かしつけた。今日はいろいろと興奮していたので疲れたのだろう。

 21時過ぎから談話タイム。今日は参加する。阿寒湖で買って来た『まりもプリン』を皆で食べることになる。オーナーさんの娘さんもやって来た。もうすぐ高校生だという。もうそんな年なのか。大きくなったなぁ・・・。そりゃ10年以上通っているから当たり前か。

 さて『まりもプリン』は、緑色しているとか毬藻に見立てた何かが中に入っているとかいうのではなく、単なる普通のプリンである。ただ形が面白い。丸い毬藻のように形がまん丸になっているのだ。丸いプリンはゴム(シリコンゴム?)の袋に包まれており、食べるときは付属の爪楊枝でつついて袋から取り出すようになっていた。専用の容器に入れて、爪楊枝で袋のゴムをつつく。袋は意外と厚いようで少し力を入れないとならない。少し力を入れてつつくと「パチッ!」と音がして袋が破けて中の丸いプリンが出てくるという仕組みだった。よく考えている。丸いプラスチック容器に入っていると、容器から出す(容器を割る)時にプリンが崩れてしまう。弾力のある球体プリンの状態で取り出すには、こういう方法しかなかったのだろう。商品化するまでの試行錯誤はさぞ大変だったに違いない。

 

 

【写真】 これが『まりもプリン』。

 オーナーの奥さんによると、『毬藻羊羹』というのもあって、これも同じようにして取り出すのだという。同じところが造っているのだろうか。それにしても羊羹も売っているのは気づかなかった。阿寒湖に行く機会があれば探してみよう。

 この後は本当に雑談タイムになる。これが”とほ宿”の良いところなのだ。なぜかオーナーさんの娘さんの進路問題で盛り上がる。よそ様の娘さんなのに関係ない我々がとやかく言うことはないのだが・・・。すんませんでした〜。

 いろいろと話題が出て23時過ぎには終了となった。部屋に戻って@娘が爆睡状態なのを確認し、歯を磨いて寝た。明日は美瑛に移動である。

北海道2010 (2)