◆呉 |
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本州に渡ってからはR185を西に向かいます。交通量の多い道を西に向かって淡々と進みます。呉市広を過ぎて休山トンネルを越えると、呉市市街へ突入します。 広島県呉市は旧帝国海軍の街として発展してきました。戦後は旧海軍呉工廠で培ったノウハウを元にして造船の街として発展してきた街です。海上自衛隊の基地も置かれており、港周辺には各施設が置かれています。ミリタリファンには聖地のような街といえるでしょう。( ´∀`) 呉市街には14時半頃に到着。呉市街でR185からR31に入り、さらにR487に入り南下。いろんな施設には目もくれずに、JR呉線を越えて海自基地横を抜け、急坂を駆け上がって呉市宮原地区に向かいました。 なぜここかというと・・・ |
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造船所
”歴史の見える丘”という丘からはIHI呉工場が一望できるのです。ヽ(゚∀゚)ノ 昨年のツーリングでも造船所前を通りましたが、ここでタンカーなどの大型船を造船しています。
ここから見える造船所は旧海軍工廠の一部。 写真の大型船を建造している船渠(ドック)では、旧海軍の艦艇の修理や改装が行われました。
戦艦『大和』は呉工廠で建造されましたが、残念ながら『大和』が建造されたドックは現存していません。 『大和』が造船されたドックは、写真ドック左側の工場が建っている場所。 ここにあった造船船渠(造船ドック)を平成5年(1993年)に埋め立てて、今の工場が建設されました。
『大和』が建造されたドックは消えましたが、建造時にドックを隠していた覆いの一部だけが残っています。
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さて、今日は平日と言うこともあって造船所では大型船の建造作業が進んでいました。
作業場では甲板の製作が行われていました。
かなり大きな甲板を裏返すという作業です。 最初は、左大型クレーンの脚元にあるように突起のある面が上にありましたが、 左右のクレーンでうまく操って回転させて平らな面を上にしています。
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左右のクレーンの操作がうまく合わないと、こんなに見事に裏返りません。 よくもワイヤーが絡まないものです。
フックを甲板にひっかけるのは人の手によりますが、 そのフックを押して甲板に引っかける作業を見ていると、作業員が体を前のめりにして 全体重をかけて押しているのが分かりました。 それほど重たい物のようです。
裏返して下ろすまでの時間は約10分。 ワクワクしながら見ていました。( ´∀`)
ちなみに甲板はドック内にある船の甲板ではなく、次に建造される船のものだそうです。
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今の呉は海上自衛隊の基地となっていますが、IHI呉工場では自衛艦の建造は行っていません。
呉工場では自衛艦の修理や定期検査を行っているだけだそうで。
この日、たまたま海自の護衛艦が入渠していました。
大型船を建造しているドックの隣に入渠しています。 戦艦が入ることが出来た大きなドックに護衛艦が入ると小さく見えます。
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DD108『あけぼの』
『むらさめ』型護衛艦の8番艦で、呉を母港としています。 定期検査なのか改修なのかはわかりませんが、 普段は見えない護衛艦の喫水線以下の部分が見ることが出来ました。(・∀・)
『あけぼの』の基準排水量は4550トン。 左隣の大型船(10万トン以上)と比べるととても小さく見えました・・・ (´・ω・`)
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造船所は道を横断する歩道橋上から見ていたのですが、我々が到着する前からお年寄りの方がずっと作業を見ておられました。造船所にお勤めされていたのかと思い伺ったところ、旧海軍の呉鎮守府の主計課(経理部のような部署)に勤務されていた方でした。そういう立場にいたため工廠内も自由に出入りできたとかで、『大和』の建造も実際に見ておられたとか。戦争中期には、『大和』の主計尉官が上司として転勤してきたため、かなり詳しい話も聞けたそうです。 大東亜戦争(太平洋戦争)を実際に体験された方は年々少なくなっていきます。本当の話を聞ける機会は、これからどんどん減って行きます。なので、こういうお話を聞ける機会があるときはつい話し込んでしまうのですよ。(^^;) |
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『噫戦艦大和塔』
戦艦『大和』が建造された呉工廠を見下ろす場所に建てられた記念塔です。 奈良県天理市の大和(おおやまと)神社から分霊してもらったとのこと。 ここには神様がおられるということです。
こういう記念塔は大事にしていかないとね。
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◆コンクリ油槽船と渡船 |
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先ほどのお年寄りの方に見送りを受けて出発。R487を音戸方面へと向かいます。途中のガソリンスタンドでひろみちゃんのドリームのタイヤに空気補給。かなり少なくなっていた模様。我々も給油します。 音戸大橋を渡ってぐるぐるとループを下り、倉橋島に移動しました。なぜ倉橋島へ? |
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コンクリート製油槽船
はい。あめふらし@世話役の趣味です。(^^;) これを見たかったから来たんですね。はい。
コンクリ製油槽船は大東亜戦争(太平洋戦争)末期、船用鋼材の不足から考え出されたコンクリート製の船の一種。 米軍により日本の各地にばらまかれた機雷対策という側面もありました。 ほら、金属をほとんど使用しない船だから機雷も大丈夫というわけです。
コンクリート製の輸送船として『武智丸』が有名ですが、この油を運ぶ油槽船も忘れてはなりません。
で、この油槽船、華々しく活躍したのかというとそうではなく、すこぶる使い勝手が悪く実用には適さなかったそうで・・・。 結局は使用されることなく港に放置。
しかし戦後の資材不足の時代、防波堤として使用されることになり、この地に曳航されて沈められたもの。 作られてから60年を過ぎますが、こうして残っています。
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それともう一つありました。
それがここ。 ↓ |
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店や食堂ではありません。 ここは渡船乗り場。 音戸渡船の乗り場なのです。
本州と倉橋島は音戸大橋で結ばれており、車はそちらを走りますが、 自転車では高低差のある橋を渡るのは大変危険。
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↑ 交通量の多い橋を自転車で上り下りするのは大変です。 自転車通行禁止だったかな?
で、近くにある高校の生徒さんやお年寄りなどは渡船を利用して本州へ渡るのです。
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対岸は本州となります。 川のように見えますが、本州と倉橋島を隔てる音戸瀬戸で、立派な海峡です。
そこを写真の小さな渡船で渡るわけです。 海峡ゆえ、普通の船舶も航行します。 写真で白波が立っていますが、これは直前に航行した船のものです。 松山に向かうフェリーもここを通過します。
大阪港にある渡船ぐらいの大きさですが、軽車両(バイクまで)も乗船可能ということで、 『日本一短いフェリー』と巷では有名です。 乗船証明書も販売してました。( ´∀`)
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「バイクも乗れる?」 ・・・と聞いたひすあきさん。桟橋を偵察に行ってくれました。
ご覧の通り、渡船に乗るには浮き桟橋に移動しなくてはなりません。 写真では分かりませんが、先に通過した船の波で桟橋は大揺れなのです。
で、結果は・・・
無理
大揺れな上に、桟橋から渡船に乗船するときは渡し板を渡らなくてはなりなせん。 これは命がけ。 ヘタすればバイクは音戸海峡に沈んでしまいます。((((;゚Д゚))))
自転車ならともかく、原付バイクではねぇ〜。
駄菓子菓子、券売り場のおばちゃん曰く、「バイクでも乗っているよ」だそうで・・・。
すんません。とてもじゃないですが、私らには無理です・・・。
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ヘタれな私らを乗り場に残して、渡船『かもめ』号は帰宅する高校生達を乗せて本州に向かいます。
ちなみに渡船にはダイヤはなく、客がいれば動くというものでした。
音戸大橋で本州に戻った我々、本州乗り場前にバイクを停めて乗るかどうか検討しましたが、 時間の都合にて乗船をあきらめました。
次の機会に乗ってみようと思いますです。
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◆からすこじま公園 |
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時刻は16時。そろそろ呉市街にいなくてはならない時間です。 警固屋地区からバイパス経由で工場街を抜けてあるアレイからすこじま公園に移動しました。
そこから見えるのは・・・
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潜水艦 ヽ(゚∀゚)ノ
からすこじま公園は、潜水艦を間近で見ることの出来る場所なのです。 普通は道の対面にある赤煉瓦倉庫群に注目するのですけどね・・・( ´∀`)
右手前の潜水艦は訓練か任務から帰ってきた直後のようで、乗組員がやたらと出入りしておりました。
右手前の潜水艦は『おやしお』型潜水艦のどれか。 (『そうりゅう』だったりして・・・( ´∀`))
他は『はるしお』型潜水艦のどれかです。
潜水艦は艦番号を消しているので、艦名はわかりません。
こんな間近で見ることが出来るのです。 ただここではこれが普通の光景です。
あめふらし@世話役とひすあきさんは大興奮でした〜。
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ということでバイクを入れて記念撮影。
そんな我々を知ってか知らずか、後ろを乗組員さん達が整然と隊列を組んで歩いておりました。
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◆てつのくじら |
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アレイからすこじま公園を後にして呉市街に向かいます。もうそろそろフェリーのことを考えなくてはなりません。R487に出て呉地方総監部前を通り抜けます。そして市道に入り海自施設の間を抜けて向かった先は『てつのくじら館』です。ここには退役した実物の潜水艦が展示されています。 |
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でかい!
こんなのが海深く潜航するのだからすごいものです。
展示されている潜水艦は『あきしお』。 平成16年(2004年)3月末に退役となりここに展示されたのです。
隣の建物は海自の掃海隊と潜水艦についての史料館で、 掃海と潜水艦艦関係の貴重な資料が展示されています。
ただ残念なことに火曜日は休館日・・・。_| ̄|○ お向かいの『大和ミュージアム』も同様・・・。
出発する2日ほど前まで知らなかった@世話人でした。_| ̄|...○
火曜日メンバーで、火曜日に訪れることはほぼ不可能ですな・・・ (´・ω・`)ショボーン
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せめてということで、今回のメンバーにて記念撮影しますた。
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◆帰阪するだ |
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いよいよ帰阪の途につきます。 『てつのくじら館』前から少しだけ走って呉中央桟橋に移動。 あとはここからフェリー乗り継ぎで大阪南港に移動となります。 |
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17時少し前に呉中央桟橋前に到着。 朝10時半頃に岡村港を出発してからここまで70kmほどしか走っておりまへん。
乗船券を買ってからフェリー乗船まで港で待ちます。
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17時20分頃、太陽は江田島の島影に没しました。 長い一日が終わろうとしております。 ツーリングも終わりかな・・。
いえいえ、まだまだ続きますよ。
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日没直前に松山〜呉〜広島を結ぶ瀬戸内汽船のフェリーが入ってきました。 これは広島行き。
我々が乗る松山行きはもう少し後の入港です。
17時30分頃、隣接する海自基地からは「自衛隊旗降ろせ」のラッパ音が聞こえました。 あちらも今日一日が終わりました。
17時40分頃、乗船する松山行きのフェリーが到着。 車に続いてバイク組(私らだけ)が乗船すると、ほどなくして出港。 呉を後にします。 |
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フェリーは呉基地の前を通り過ぎます。 船上からは停泊する艦艇を一望できます。ミリタリファンにはたまらない光景ですわ。
基地沖を過ぎて音戸海峡にさしかかる頃には、周囲は真っ暗となりました。 松山観光港に着くまでは何もすることがありません。
雑魚寝ルームで一眠り。 目が覚めたのは松山入港30分ほど前のことでした。
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◆しょっち〜さんのおかげです |
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19時45分頃、フェリーは松山観光港に到着しました。呉中央桟橋から約2時間の船旅でした。
下船のために車輌甲板に下ります。
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こんな感じで固定されていました。
中央のKSRUがあめふらし@世話役のバイク。 その横、フェリーの壁にタンクバックをつけて準備しています。 鋼鉄製なのでタンクバックの磁石で簡単にくっつくのです。
岡村港でタンクバックをフェリーに忘れていたのは、こうしていたから。 くっつけていたことを忘れるとは・・・ あぁ、情けない・・・(;´Д`)
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瀬戸内汽船のフェリーを下りてから、同じ松山観光港の関西汽船乗り場に向かいます。 港内を100mほど走っただけで乗船券売り場に到着しました。
窓口に行き、用紙に必要事項を記入。 窓口に差し出すと・・・
「予約されていないようですが、今日は満席です」
「な・なんだってーー!?」(AA略)
平日だから予約なしでも乗船できるだろうと思っていたので、これにはびっくり仰天。 ホンマに泣きながら自走して帰ることを覚悟します。
「原付3台なんやけどね・・・」 「・・・3台なら乗船できます。」
よかったぁ〜。 もし、しょっち〜さんがいたら4台となり、誰か一人が自走と言うことになってました。
ありがとう。しょっち〜さん。m(_ _)m
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ただね、この受付、態度が目茶悪かったんよ。 私らが窓口に行くまで暇そうにしてツメいじってたし。 窓口に行ったら行ったで、めんどくさそうに対応しおるし・・・。ヽ(`Д´)ノ 南港のオレンジフェリーの受付とは雲泥の差。 多くのフェリーでは接客態度が改善されているのに、 こんな態度の悪い受付、久々に会ったわ。 クレームつけたろかと思ったのは内緒の話。 |
◆おつかれさま! |
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乗船してしまえばあとは大阪南港まで運んでくれます。2等雑魚寝ルームに陣取ると、プチ反省会という名の宴会。他のお客さんもいたので、すぐに終えて交代で風呂に入り、23時過ぎの消灯時には寝てしまいました。 |
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10月21日(水)朝5時過ぎに目が覚め下船準備。大阪南港には6時過ぎには到着。到着後も午前7時頃までは船内でいることができるそうです。到着後も車輌甲板にはすぐには下りることが出来ないので、ダラダラしていると係員が「もうすぐ車輌甲板一時閉鎖しますので・・・」と言ってきました。トレーラーの積み出しがあり危険なので一時閉鎖するようです。急いで車輌甲板に下りてバイクを動かし下船しました。 |
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最後はいつものように、南港フェリーターミナル前に集合し記念撮影。 各々帰路につき、無事に帰宅しましたとさ。
皆さん、おつかれさまでした〜 (゚∀゚)ノシ
参考までに今回の走行距離ですが、大阪〜呉を往復したにもかかわらず、 総走行距離は117km(KSRUのメーターによる)。 復路の呉(呉中央桟橋)〜大阪南港〜大阪(あめふらし@ガレージ)は 移動距離わずか11kmでした。
フェリーってほんまに便利ですね。(・∀・)
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さてさて、 今回は天候に恵まれ、実に気持ちの良い離島ツーリングとなりました。 今回も含めて、過去5回のツーリングで雨に降られたことはなかったんですよね。
そして今回、
(短いけど・・・)お泊まりツーリングの歴史の中で画期的な出来事が起こりました。
火曜日メンバーのツーリングとしては奇跡と言って良いでしょう。
ツーリング中に
マシントラブルが無かったのです!ヽ(゚∀゚)ノ
ひろみちゃんのドリームの件、あれは修正ですよ。修正。
直前の追突事故で無念の不参加となったしょっち〜さんが、 すべての厄を背負い込んでくれたおかげかも。m(_ _)m
来年もどこかに行きましょう!
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とびしま海道ツーリング2009 レポ【終わり】 |
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