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●とびしま海道ツーリング 〜 くれくら行こら 〜 |
◆くれくれ行こら ここ数年、毎年10月に開催しているフェリー利用の0泊2日ツーリング。あめふらし@管理人が担当して企画しているわけですが、平成17年(2005年)から数えて今年で5回目となります。 今年の目的地は広島県呉市。呉まで自走するのはしんどいので、フェリー乗り継ぎで向かうことにしました。フェリー乗り継ぎで呉に移動できて大変楽なのですが、ツーリング的には面白くない。そこで瀬戸内に浮かぶ芸予諸島経由で呉に向かうことにしました。 このルート、@管理人が5年ほど前に一度検討したことのあるツーリングコース。このときはフェリーの乗り継ぎが悪かったためにお蔵入りしたのです。ところが平成20年(2008年)11月に上蒲刈島と豊島を結ぶ豊島大橋が開通したことで、東端の岡村島にフェリーで渡れば、あとは8つある連絡橋を渡って本州まで移動出来るようになりました。(・∀・)イイ!! 南北の『しまなみ海道』に対して、東西となる芸予諸島を巡るルートは『とびしま海道』と名付けられ、瀬戸内の島々を巡る観光ルートとしてアピールされています。 と、いうことで5回目の10月火曜日ミーティング・ツーリングは『とびしま海道ツーリング』となりました。 計画では岡村島に10時前に上陸したあとは、ひたすら走って13時頃には呉市に到着。そして『てつのくじら館』と『大和ミュージアム』と呉市街を見学して、瀬戸内汽船に乗船して松山に渡るというものでした。ところが、『 てつのくじら館』も『大和ミュージアム』も火曜日は休館日だそうで・・・。_| ̄|○ 「なら呉に行ってもねぇ〜」となりますが、とりあえず火曜日メンバーならどうにかなるだろうと予定通り呉に向かうことにします。 あとは天気だけですが、10月20日の瀬戸内海の天気は晴れとのこと。ヽ(゚∀゚)ノ こりゃ楽しめそうです。 |
◆南港へ 出発は月曜日の晩。集合場所は例年通り、『ごんた』近くのローソンに21時ということになっていました。21時少し前に到着するも、集合場所には誰もいない・・・。CB400に乗ったライダーさんがいるだけ。とりあえずはガレージに移動してバニアケースを取り付けてローソンに戻ります。 でも誰もいない・・・。もしやと思って、CB400ライダーさんに話しかけるとメルクリンさんと判明。先ほどは素通りしてしまい、すんません。m(_ _)m 参加と思いきや、メルクリンさんは”見送り隊”とのこと。出発までしばらくの間、あれこれと雑談します。 |
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ローソン集合組は@管理人以外にしょっち〜さんとひすあきさんの2人なのですが、しょっち〜さんが直前に追突事故に遭ってしまい不参加となり、 たまたま同行していたひすあきさんは事故対応のため大阪南港直ということになってしまいました。 突然参加する方が来るのかなと思い待っていましたが、出発時間になっても現れず・・・。21時半、@管理人一人だけで大阪南港に向かって出発しました。 見送り隊のメルクリンさん、ありがとね〜。(゚∀゚)ノシ
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◆オレンジフェリーの夜 |
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15分ほどで大阪南港FTに到着。すでにひすあきさんとひろみちゃんが到着しておりました。FT集合者は他にはいないようなので、今回のメンバーは3名だけということになります。ターミナルの発券売り場で乗船券を購入し、バイクを待機場に移動させます。ここでは自転車でお遍路に向かうという60歳半ば過ぎのおっちゃんとあれこれ雑談。定年後にぶらりとされる方が多いようで、翌日にも自転車で『とびしま海道』を走るおっちゃんと出会います。 22時過ぎに乗船。バイクを止めて客室に移動します。去年は貸し切りでしたが、今年も実質貸し切り。なんせ私ら以外には誰もいなかったのですから。出港して誰も来ないことを確認してからプチ宴会。 まずはひすあきさんから、しょっち〜さんの事故について経過を聞きましたが、しょっち〜さん自身の体には怪我もなく大丈夫だそうで一安心です。 携帯電話にも電話がかかってきて、とても元気な声を聞かせてくれました。 |
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さて部屋自体は貸し切りのはずが、出航後30分ほどしてから親子連れ(年配の母親と20歳前後の息子)が入ってきました。なので気を遣ってプチ宴会終わり。風呂に入ることにし、ひすさんに荷物番を頼んで風呂に向かいました。 男風呂はガラガラ。のんびり入ることが出来るかと思いきや、予想以上に船が揺れていていたので、”波のあるお風呂”状態。 船首→船尾そして船尾→船首方向に向かって小さな津波のような波が次々と湯船に発生。右に左に後ろに前に流されて遊んでおりました。(^^;) 風呂から帰るとほどよい眠気が・・・。消灯(23:00頃)後、ほどなくして寝ることに。明日は『とびしま海道』です。 |
◆寒い四国 |
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10月20日(火)5:00過ぎに起床。5:30船内が点灯し下船準備。6:10に東予港接岸と、フェリー内は下船で慌ただしい状態でした。フェリーは東予港止まりなので多少ゆっくりしていても大丈夫かと思っていたら、時間が来ると一時下船が中止されるために、早めに行動しなくてはなりまへん。 車輌甲板に下ります。昨晩のお遍路チャリおっちゃんの自転車は姿はなく、早々に出発された模様。我々の小さなバイクの横では、大型トラックやトレーラの下船作業でてんやわんやの状態。結構な速度で走っているため危険ということで、係員の指示に従い下船しました。 |
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いったん東予FTのターミナルビル前に移動。いつもなら、はやしぃ〜の姿があるのですが、本日は都合が付かず不参加とのこと。現地集合組もいないため、これにて参加メンバーは3名に確定しますた。ん〜、火曜日ミーティングのツーリングでは最小人数でないかいな? さて早朝の東予の空はどんよりと曇っております。「晴れの天気予報はなんぞや?」と言いたくなるような天候。ヽ(`Д´)ノ それに風もあって寒い。太陽が出ていればある程度暖かいのだろうけど、曇りでは気温も上がりまへん。もう少しすれば陽が出てくるだろうと期待して、ひとまずはいつものローソンに向かいます。 ところで、いつもターミナルビル前をウロウロしている犬の姿が見えなかったので心配しましたが、走り出したら遠くの方でトラックを避けて走り回る犬の姿を確認。元気にしているようです。 |
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5分ほどでいつものローソンに到着。讃岐饂飩は販売中止のままでしたが、おでんのメニューに讃岐饂飩があることをひすあきさんが発見。おでんの具の一つとして饂飩ということですな。早速注文して讃岐饂飩を食べます。これが暖まる。冷えた体には暖かい饂飩とおでんが一番ですわ。 工場地帯に近いローソンということで、店には朝食やタバコ、新聞を買いに来る方々がひっきりなしに訪れます。混雑しているな〜と思ったら、よくよく考えてみれば今日は平日 なんですよね。しかも火曜日。昨晩から”仕事off”モードなんで、すっかり休日気分に浸りこんでおりました。(^^;) 体も温まったところで出発。R196〜r38で今治市街へと向かいます。朝7時台ということもあり、通勤の車が多い道を淡々と走ります。流れに乗って50〜60k/h前後で流していたのですが、r38分岐点手前でサイン会が開催されており、原チャが一台捕まっておりました。Σ(゚Д゚ ;) 車列に入ってのんびり走っていて助かった〜。朝7時からネズミ捕りとは・・・。侮れないね〜。 今治市街に入ったあとも淡々と進んで行き、今治城の前を通って今治港に到着したのは7時40分頃。東予港から40分ほどで到着しました。 |
◆せきぜん渡船 今治港は今治市街の北にある港。かつては瀬戸内を航行する大型フェリーも寄港していましたが、航路再編でそれもなくなり、瀬戸内の離島航路が発着するだけの港となっています。瀬戸内海にはいくつもの小さな島があり、今治港には瀬戸内中部の島を結ぶフェリーや高速船が次々と発着します。 |
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▲昨年乗船した大島からのフェリー。装い新たにレインボーカラーとなって います。左後方は来島海峡大橋。 |
▲港の一角には海上保安庁の巡視艇が係留されています。 港から出航する海保の測量船HS27『くるしま』。定係港は宇品港。 |
『しまなみ海道』が出来たとはいえ、お年寄りや高校生・車通勤をされない方は離島航路を利用します。なので港には離島からやってくる高校生や通勤サラリーマンの自転車や原チャが置いてありました。大型フェリーが寄港しなくなったとはいえ、まだまだ重要な港というわけです。 窓口で岡村島への乗船券を購入したあと、港でフェリーが来るのを待ちます。その間にも離島からのフェリーや高速船が次々と到着し出発して行きます。8時10分頃、せきぜん渡船のフェリーが到着し桟橋に接岸。乗客と車を下ろした後、乗船が始まりました。 |
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フェリーは船首にのみ乗降口を備えたタイプ。なので乗船する車は桟橋からバックで乗船することになります。ところで乗船した『第二せきぜん』、入港時に何やら珍しい船体をしているなと思っていたのですが、帰って調べてみると日本初の3胴型フェリーだそうです。3胴型とは中央船体の横に小型船体を並べてデッキで接続した船の形。波の抵抗が少なくため横揺れが少ないという利点があり、波が荒れる来島海峡を通過するには適した船体だとか。 8時45分、フェリーは今治港を定刻出航。港を出て来島海峡に向かいます。来島海峡には来島海峡大橋が架かっており、昨年はバイクで走って渡った橋(第三大橋)を、今年は下から見上げるような形で通過します。フェリーは四国と馬島との間を通過。下から見上げると、第三大橋は意外と薄いんですね。対岸の馬島は昨年のツーリングの途中で立ち寄った小島。このときもこの3人でした。昨年遊んだ砂浜を海の上から眺めるのも面白いものです。 |
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来島海峡大橋を過ぎた頃から太陽が出てきました。どうやら晴れそうです。ヽ(゚∀゚)ノ フェリーは瀬戸内の島々の間を縫うように進んで行き、30分ほどで大下(おおげ)島に到着。数台の車と乗客が下船。5分ほどで出航すると、10分ほどで大下瀬戸を挟んだ東隣の小大下(こおおげ)島に立ち寄ります。 |
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▲大下島の関前大下の港町。 |
▲小大下島の関前小大下の港町。 |
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どちらも船だけが頼りの離島。連絡橋架橋の構想はあるそうなのですが、実現には至っておらず、当分はこのままの状態が続くようです。港町は離島らしく、のんびりした時間が流れているようです。時間に余裕があるなら島に降り立つのも良いかもしれません。 9時40分過ぎ、フェリーは岡村島に到着。『とびしま海道』最東端の島に上陸です。 |
◆岡村島 |
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▲岡村島に上陸!フェリーをバックに記念撮影 |
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岡村島は今治市北西約17kmの沖合にある島で、先にフェリーが立ち寄った大下島・小大下島ともに関前(せきぜん)諸島を形成しています。かつては3島とも愛媛県越智郡関前村に属し、岡村島に村役場が置かれていましたが、平成17年(2005年)1月に今治市と合併し、今は今治市関前地区となっています。 さて、その岡村島に上陸した火曜日メンバー。フェリーで離島に来るとテンションが高くなっていたようです。桟橋でフェリーをバックに記念撮影しようとしたら係員に注意されるわ、あめふらし@世話役は車輌甲板にタンクバックを置き忘れたことにフェリー出航直前に気が付いて慌てて取りに戻るわで、注意力散漫となっておりました。(^^;) そして・・・ |
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さっそく修理?Σ(゚Д゚ ;)
お馴染みのトラブルか? ひろみちゃんのドリームを、ひすあきさんが何やらいじっております。
実はこれ、マシントラブルではなく単なる修正。 バッテリーの配線が切れそうになっていたので、位置を変えていただけだったのです。( ´∀`) 切れていたら一大事でしたけど・・・
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修理中は何もすることがないので、一人暇な@世話役。
なのでブラリと町に向かいます。
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港から一歩町にはいると、静かで長閑な漁港町の町並みが続きます。 車はほとんど走らないので、陽が良く当たる軒先では野良猫がひなたぼっこ。
とある家の玄関先には5匹ぐらい野良猫がたむろっておりました。 漁港には猫が多いのです。
撮影する様子を見ていた地元のおっちゃんに話しかけられました。 「ネズミやらいろんなのを捕るから猫多いねん。わははは」 「大阪から来たんか。広島に行くって?気を付けてな〜」
陽気に話すおっちゃんでした〜。
島や漁港には陽気な人が多いです。
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港に戻ると作業も終わったので、10時半頃に岡村港を出発。
島の南側を走る県道をのんびりと走ります。
町を抜けると海岸沿いに進む狭路になります。
海岸沿いを進むのでウネウネしていますが、とあるカーブを曲がると・・・
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瀬戸内らしい光景が広がっておりました。
青空と青い海、島の緑が見事にマッチしております。ヽ(゚∀゚)ノ
ちなみに向かいの島は大崎下島で、広島県呉市豊町になります。 対岸は豊町御手洗地区で、江戸時代は港町として賑わった所です。
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海沿いの道をさらに進むとアーチ橋が見えてきました。
岡村大橋(L=228m)です。
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岡村大橋は岡村島と中ノ島を結ぶアーチ橋。正確にはニールセンローゼ橋と呼ばれる種類のアーチ橋だそうで。岡村橋は安芸灘連絡架橋事業の7号橋として計画された橋で、平成7年(1995年)に完成しました。事業では8号橋まで計画されており、8号橋は岡村島から北にある大崎上島に架橋されることになっていますが、こちらは計画のみで事業化されていません。 またこれとは別に岡村島〜小大下島〜大下島〜柏島〜大三島というルートで架橋してしまなみ海道に接続させるという計画もあるとのこと。これも計画だけで事業化されていません。架橋されれば第四の本四連絡ルートとなるのですが、実現は当分先のこととなりそうです。 |
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さて、岡村島の東詰にはちょっとした展望台があります。 ここでも停まって記念撮影。
その最中に、同じフェリーで島に渡ってきたおっちゃんチャリダーさんが追いついてきました。 (2つ上の写真を撮影しているときに既に追いつかれていたんですけどね・・・)
港を出る時点で約45分の差があった(おっちゃんが早く出発)とはいえ、 バイクなので早く移動できるはずなのに、なぜか自転車に追いつかれる我々・・・。 おっちゃんは赤い自転車に乗っていて通常の3倍の速度で移動できるのか?
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いえいえ。 私たちがちょっと走っては停まって撮影していたからです。(^^;)
のんびり走りましょう。
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◆大崎下島上陸 |
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岡村島から岡村大橋を渡ると広島県呉市豊町に入ります。かつては広島県豊田郡豊町でしたが、平成17年(2005年)3月に広島県呉市と合併しています。 岡村大橋で中ノ島に渡ります。中ノ島にはミカン畑が広がり、収穫を控えたミカンが実っていました。 |
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▲2車線道の広域農道を快走する火曜日メンバー |
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中ノ島からは中ノ瀬戸大橋(平10年11月開通:6号橋)で平羅島に渡り、さらに平羅橋(平7年開通:5号橋)で大崎下島に渡ります。この3橋には『安芸灘オレンジライン』という愛称が付けられています。愛称どおり、オレンジ畑の中を行く快走路ですが、このルートは橋も含めてなんと広域農道だそうで、紀伊半島の3ケタ国道よりも遙かに立派な道路となっておりました。 |
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▲中ノ瀬戸大橋(L=251m)。ニールセンローゼ橋です。 |
▲平羅橋(L=98.5m)。PC斜張橋です。 |
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大崎下島に渡ってからはr355(県道大崎下島循環線)を海沿いに南に向かいます。絶えず左側に海を見るような形での走行となり、対岸には先ほど走っていた岡村島が見えます。あちらは愛媛県です。瀬戸内海で隔てられていた愛媛県と広島県をバイクで自走して移動してきたわけですわ。 |
海沿いに進む快走路を淡々と走ります。青くきれいな海を見ながら走るシーサイドランは気持ちがよろしい。(・∀・)イイ!! そしていくつかの漁港を通り抜け、やって来たのが・・・・ |
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御手洗
”みたらい”と読みます。
江戸時代は中継貿易で栄えた港町です。 今でも昔の建物が大切に保存されています。
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と、ここであとの二人がついてきていないことに気が付きました。 先ほどの漁港付近までは後ろを走っているのを確認していたのですがね・・・。
しばらく待ちますがいっこうにやって来る気配はありません。
まさかトラブル?Σ(゚Д゚ ;)
とりあえず来た道を戻ると・・・
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「みかんジュースがあるよ〜」ヽ(゚∀゚)ノ
さすがはミカンの産地。絞りたてのミカンジュースが店頭販売しておりました。 値段はコップ1杯100円。
これがうまいのなんの。(゚д゚)ウマー
これを見つけたのはひすあきさん。 ゆっくり走っていたので見つけたとのこと。
わたしゃ、対向車に気を取られて見てませんでした。(^^;)
ここで瓶入りミカンジュースとミカンジャムを購入。 自宅への良い土産となりました。
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◆御手洗 |
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新鮮なミカンジュースでのどを潤した後、改めて御手洗地区に向かいます。 呉市豊町御手洗地区は、江戸時代からの港町の建物がそのまま残る町です。国の重要伝統的建造物保存地区に指定され、昔からの建物が大切に保存されています。県道から離れて町中の路地に入ると、昔懐かしい町並みに出会います。あめふらし@世話役の本家は某城下町の街道沿いにあり、10年ほど前までは昔の家々が建ち並んでいたので、こういう町並みに出会うと懐かしく感じます。 |
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正面の大きな家は元庄屋さんの家屋。今から200年ほど前に建てられた家屋です。この家は御手洗の総元締め的な庄屋さんだったそうで、この辺り一帯は この家の敷地だったとか。家屋内は江戸時代〜明治〜大正〜昭和に至る、いろんな家具やら生活用品が所狭しと並べられ見ることができます。 保存地区に指定されてはいますが、家屋には今でも普通に暮らしています。島の方は暖かく、バイクを停める場所を教えてくださったり、元庄屋さんの家は休みなのに開けてくれたりしてくました。なので貴重な品々を見ることが出来たわけです。m(_ _)m こういう町は歩いて散策するのがよろしいので、バイクを停めてぶらりと散策。細く入り込んだ道を歩いて見学します。 |
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▲常磐町通り。今も普通に生活されています。 |
▲右側の建物は若胡子屋跡。左側は醤油蔵。 |
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さて、御手洗の町は江戸時代に中継貿易で栄えた港町。航海技術や船の発展にともない、最初は沿岸沿いだった航路が、江戸時代中期には瀬戸内の中央付近を航行するようになり、潮待ち・風待ちの場所となったのが今の御手洗近辺。それまで御手洗一帯は無人だったそうで、17世紀中頃に集落が形成され、以後山陽鉄道(→山陽本線)が全通し動力船が海運の主流となるする明治時代まで栄えたとのこと。 御手洗には瀬戸内や九州・四国各地の特産品などを積んだ船はもちろんのこと、遠くは東北や北陸の特産品を積んだ北前船が立ち寄り、それらの商取引が行われ、瀬戸内有数の物資集散地として栄え、莫大な富が転がり込んだとのこと。そういう中継貿易港として発展したため、漁師さんはほとんどおらず、庄屋さんの家は漁師の網元というよりも商屋となっておりました。 また幕府公認の御用船(公用船)の寄港地にも指定されたため、江戸や大坂と長崎を結ぶ船、朝鮮や琉球からの使節団を乗せた船も寄港したそうです。伊能忠敬・坂本龍馬・大久保利通など江戸時代の著名人も数多く立ち寄り、あの伊能忠敬は庄屋さんに泊まって測量を行ったという話です。 そういう繁栄には裏というか闇の部分もあって、中継貿易港ということで多くの船が立ち寄り船頭さんが上陸してくると、当然のことながら船頭さん相手の商売も必要になってくるわけですな。で、御手洗にはお茶屋・宿があり、藩公認で4軒ほどのお茶屋(遊郭)が建てられ、100名近い遊女もいたとのこと。上写真にある若胡子屋は唯一残る元お茶屋(遊郭)だそうです。内部はそういう造りなのだと思いますが、建物が崩壊する恐れがあるため一般公開は中止されています。これらのお茶屋や遊郭も明治時代以降の中継貿易衰退によって姿を消し、今は建物だけが残っています。 |
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御手洗の繁栄を偲ばせる建物がもう一つあります。それが住吉神社。大坂の住吉神社と同じ名前だけではなく、大きさが約半分ということ以外は社殿も含めて全てが同じ造りとなっています。 広島藩が行った千砂子波止(ちさごはと)の築堤(文政13年:1830年)後、波止場の鎮守として建てられたのが住吉神社。大坂の豪商・鴻池善右衛門が寄進したもので、住吉神社の棟梁さん達が大坂で木造を行い船で運んで、現地で組み立てたそうです。建設にあたっては大坂の住吉神社を忠実に写して大きさを約半分にしたもので、神社の本殿・瑞垣・門が完備している住吉造の社殿となっています。 他にも大正〜昭和初期の建物もあるのですが、今回は時間の都合で訪れていません。また機会があれば訪問しますです。 |
◆豊島へ |
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御手洗を出たのは12時頃。島を時計回りに海を左側に見ながら県道を淡々と進みます。
穏やかに見える海ですが、道路には所々で防波堤を越えてきた波の跡がありました。 季節風などによっては荒れるようです。
山の中腹には農道も走っており、ウネウネした道は走るとまた面白そうです。 ここも機会があれば走ってみたいものです。
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やがてトラス橋が見えてきました。豊浜大橋(L=543m)です。
安芸灘連絡架橋事業の4号橋として計画され、平成4年(1992年)11月末に完成したトラス橋です。
豊浜大橋を渡ると豊島へ渡ります。 連絡橋を含む道路は広域農道で、豊島に渡ってからも海岸線には下りずに山の中腹を走ります。
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なのでミカン畑の中を進み、中腹からは港町を眼下に瀬戸内の島々が見渡せたりします。ヽ(゚∀゚)ノ
ちなみに右上は三角島で、その先が大崎上島。そのさらに先に見る島影が本州です。
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少し走っては撮影のため止まり、少し走ってはまた休憩。
のんびりと進んで行きます。
豊島大橋手前では、ひすさんが御手洗で買ったミカンを食べて休憩してました。 まだまだ先は長いよ〜〜。
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◆上蒲刈島 |
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ミカンを食べて出発。 豊島大橋で上蒲刈島に渡ります。 (写真は豊島から上蒲刈島を撮影)
豊島大橋は平20年(2008年)11月に開通した安芸灘連絡架橋事業の3号橋。 全長903mの吊り橋で、下を通る船を考慮して橋の高さは海面から約50mの位置にあり、 現在ある7本の橋では一番高い橋となります。
最初は有料で計画されていたそうですが、回収の目途が立たなかったために無料になった経緯があるとか・・・ ( ´∀`)
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豊島大橋で上蒲刈島に渡ると、そのまま大浦トンネルに突入。 大橋からトンネルまでほぼ直線で、高速道路並の快走路を一気に走ります。
ちなみに豊島大橋を含む区間はr356(広島県道豊浜蒲刈戦) となっております。
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海岸沿いを進むを進む道に出ると、何やらよさげな海岸があったので、またもや寄り道。
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恋ヶ浜という海岸だそうです。 3名とも笑顔で記念撮影です。(・∀・)
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この後は再びというか何度目かのシーサイドラン。 海岸沿いに淡々と進みます。
映画『海猿』のロケに使われたという原トンネルを過ぎ、蒲刈大橋東詰まで移動。
東詰にある『であいの館』で昼飯休憩となりました。 時刻は13時30分頃。あと橋2つ渡れば本州です。
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『であいの館』では”藻塩ラーメン”をいただきます。 素麺と饂飩の中間ぐらいの太さの麺で、独特の堅さを持っています。 上蒲刈島でしか採れないという”藻塩”を混ぜた麺だそうで、塩っ気がする不思議な麺でした〜。(゚д゚)ウマー
これはお勧めです。
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◆下蒲刈島そして本州へ・・・ |
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蒲刈大橋(L=480m)は、昭和54年(1979年)10月に開通した安芸灘連絡架橋事業の2号橋。
幾何学的なトラス橋を渡ると下蒲刈島です。
下蒲刈島からは交通量がぐっと増えました。 県道を進むと、久方ぶりの信号のある交差点を過ぎて安芸灘大橋に向かいます。
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安芸灘大橋(L=1175m)は、平成12年(2000年)1月に開通した安芸灘連絡架橋事業の1号橋で吊り橋。 現在供用されている7つの橋の中で唯一の有料橋となっています。
この橋も意外と高い位置にあるようです。 橋の上からは川尻沖に係留される阪九フェリーのフェリー2隻が見えました。 利用者減による便数削減を受けて売却されるフェリーでしょうか?
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料金所で50円(原付バイク)を支払います。 14時10分頃、本州到着。
岡村島岡村港からの離島ツーリングは終わりました。
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>>【その2】に続く |