2008年5月8日(木)

●5年ぶりの九州ツーリング

 毎年4〜5月にフェリー利用で1泊程度のツーリングに出かけている。今年は4月中旬に計画したのだが、天候があまり良くないということなので、5月GW明けに変更した。しかし変更したこの週末も天候は良くないという予報であるため、一時はツーリングそのものを取りやめようかと思ったが、今回を逃すとチャンスがないため実行に移すことにした。行き先は九州。九州を代表する3ケタ国道R265の走行と宮崎空港周辺に点在する掩体壕の調査が主目的である。

 久々に九州に行くのであれば、国見峠のR265旧道と大分県道大分大野線(r41)を走ってやろうと考える。どちらも予定通行ルート上にあるのだ。なのでバイクはKSRUで行くことしたが、GW前になってエンジン内のパッキンが劣化してエンジンオイルがだだ漏れ状態になっているのが確認されたためバイク屋預けとなり、必然的にZRX1100で向かうことになった。ZRXで国見峠旧道越えという久々の濃い道活動になることを覚悟する。

 あとの問題はどちら方向で走るかである。大分から入って宮崎方面に南下するか、宮崎入りして北上するか直前まで迷った。ところが天気予報によると『5月9日は曇りのち雨』、『10日は雨』という。なので宮崎入りして北上することに決定。9日にR265の3大峠(輝嶺峠・尾股峠・飯干峠)をクリアし、あとは出来る限り北上して宿泊。10日は雨中走行覚悟で大分か別府に向かうという計画を立てた。 国見峠旧道は難しいかも知れない・・・。

 往路は今回初めての乗船となる宮崎カーフェリーを利用。復路は関西汽船かダイヤモンドフェリーのいずれかになる。復路 でどちらのフェリーを利用するかは10日の行動次第で決めることにした。直前まで予定を決めかねていたので、今回のフェリーは往復路とも予約なし。当日切符を手配することにした。週末利用なのに予約なしで乗船するのも今回が初めての試みとなる。

 

 

 出発当日の5月8日は18時過ぎにガレージを出発。南港通りを走って大阪南港に向かう。いつもならそのまま南港フェリーターミナルに向かうのだが、今回利用する宮崎カーフェリーはかもめ埠頭発着なので少し遠い。ガレージから20分ほどでかもめ埠頭に到着した。 すぐにターミナルで受付。2等寝台を取る。平日なので問題なく寝台を確保できた。手続きを終えると車の乗船が始まっていたが、バイクの乗船は最後となる。 しばらく待機して19:15頃に乗船となった。

 乗船後、寝台に荷物を置いて食事に向かう。宮崎カーフェリーのレストランは何度でもおかわり出来る。実にありがたい。十分に食べ、十分に睡眠をとって明日に備えることにした。

【本日の走行距離:13km】

【写真】かもめ埠頭で乗船を待つ。

2008年5月9日(金)

●宮崎到着

 十分な睡眠を取るはずであった。そのつもりで昨日23時過ぎには早くも寝ることにした。しかし浅い睡眠が続き、2〜3時間おきに目が覚める。興奮していることもあるのだろうけど、向かいの乗客の鼾と歯軋りがうるさいのが最大の原因だろう。耳栓が無ければ眠れなかったに違いない。気が付けば朝の5時半になった。このままの状態が続くのかと思っていたら、いつのまにか熟睡してしまっていた。目が覚めたのは朝の8時!。宮崎入港20分前で、アナウンスも流れていた。あやうく寝坊するところだった。

 朝食を食べる暇なく急いで荷造り。荷物を持って階段に向かう。ところが車輌甲板に下りられるのは、接岸して車の固定を外してからだという。それまでドライバーやライダーは甲板に向かう階段前で待つことになる。結局、20分も待たされた。これならもっとゆっくり出来ただろう。車輌甲板に下りて、フェリーからバイクで下りたのは8:50であった。到着後、実に30分も経っていた。

 

 

 宮崎というか九州に上陸するのは2003年(平15年)5月のツーリング以来5年ぶり。以前に宮崎に来たのは1996年(平8年)4月の九州ツーリングの時。この96年の時はR220から一ッ葉道路を走ってR10に出たと記録にある。宮崎に来てはいるが素通りというわけだ。その後、南九州を回った2002年(平14年)のツーリングでは、宮崎からフェリーに乗るつもりが時間的な都合から志布志からとなったため、宮崎には立ち寄っていない。なので宮崎に来たのは96年以来、実に12年ぶりということになる。

【写真】 宮崎港に到着した『みやざきエクスプレス』。意外にも今回が初乗船となった。

●掩体壕へ

 12年ぶりの宮崎の天候は曇り。薄いながらも太陽も見える。雨が降る心配は今のところはない。雨が降るのは晩からだというので、それまでに行けるところまで行ってやろうと気合いを入れて出発する。 r11(県道宮崎島之内線)経由で一ッ葉道路(南線)に入る。大淀川を渡って最初の出入り口が赤江インター。料金所で料金を支払い、ブースを出てすぐの出口から一般道に下りる。

 このすぐ近くに掩体壕群がある。宮崎空港の前身は旧帝国海軍航空隊赤江飛行場なので、旧海軍施設があってもおかしくはない。飛行場開設と同時か開設後に、戦闘機などを格納するシェルターすなわち掩体壕が建設されているのだ。日本の飛行場の多くは旧陸海軍航空隊基地が前身であることが多い。なのでその周辺には掩体壕を初めとする施設が残っていることが多い。@管理人はその中でも掩体壕に興味を持ったので、最近は掩体壕巡りを軸にツーリング計画を立ててるようになっている。今回も掩体壕を見てからR265走行に向かうことにしていた。

 

 

 さて赤江インターは宮崎空港のすぐ北側にあるインターなのだが、空港連絡という使命はないようで、下りても市道のような側道に入っただけであった。めざす掩体壕群はすぐ目の前に見えているので、そこに向かって走り出す。予めプリントアウトしてきた地図を頼りに進んで行くと、最後は川沿いの細いダート道となってしまった。やがて掩体壕近くの広場に到着。地下水路の点検孔(?)の蓋周囲だけコンクリ舗装されていたので、そこにZRXを止めた。

 その地点からだと、4〜5基の小型機用掩体壕が確認できた。これだけ密集しているのも珍しい。ただ残念なことに2〜3基は空港敷地内にあり、フェンスの向こう側にあった。なので調査はフェンス外の田圃の中にある2基で行った。見ることが出来る掩体壕2基は典型的な海軍型掩体壕。入り口断面が凸型というもの。状態は良いがあちこちに亀裂が入っていた。保存処置は講じられていないようで、フェンス内にある1基は半壊していた。こちらの掩体壕もいずれ崩壊する可能性はある。

 こんな場所であるのだが、掩体壕は1基は誰か住んでいるようで、もう1基は農機具小屋兼休憩所となっていた。野良猫の住処ともなっているようで、周辺には野良猫の姿を数匹見かけた。昔は戦闘機が入っていた掩体壕も、今は野良猫の住処・・・。時が変われば主も変わるようだ。

 

 

 掩体壕の近くにある小さな壕(弾薬壕か通信壕)を確認してから、近くの住宅地に向かう。この住宅地近くにも掩体壕がある。県道から市道に入って少し進むと、巨大な大型機用掩体壕が現れた。高知にも大型機用掩体壕が1基あるが、宮崎には3基(うち1基はほぼ半壊)が確認されている。

 土建会社の『藤田組』という看板が掲げられた有名な掩体壕とそのすぐ脇にある掩体壕を調査。近くの住民の方が出てこられたので話を伺う。すると『藤田組』の掩体壕は、老朽化が激しく近々取り壊すかも知れないとのこと。となると宮崎の大型機用掩体壕で完全な壕は1基だとなってしまう。ところが付近一帯は宅地開発が進んでいる。個人敷地内にあるこの大型機用掩体壕も、いつかは撤去されるのかもしれない。見に行かれる方はお早めに・・・。

●小林へ

 掩体壕群の調査を終える。住宅街を通り抜けて県道経由で田吉インターから一ッ葉道路(南線)に入る。そのまま進むと宮崎ICを通過して宮崎自動車道に入った。小林に向かうのにR268〜R221というルートを考えたが、出来るだけ早く移動したいために高速を利用することにした。都城経由なので国道経由よりも距離が長いが、信号がない分マイペース走行が出来るというわけだ。

 

 

 片側2車線の宮崎自動車道はガラガラ。なのでかなりハイペースで走ることが出来た。時間に余裕が出来たので、霧島SAに入り朝昼兼用の食事を取ることにした。レストランに入りカツカレーを注文。カレーを食べながらこれからのコースを確認する。

ちょうどその時、店内のテレビで天気予報が流れていた。それによると宮崎県内では昼過ぎの15時頃から雨が降り出すとか。

山中は雨が降り出すのが早いかもしれない。少しでも進んでおこうと、食後の休憩もそこそこにSAを出発した。

【写真】霧島SAから見た霧島山。

●九州縦断国道の旅(その1)

 小林ICで宮崎道を下りる。えびの高原に向かいたい衝動を抑えて逆方向の小林市街に向かった。R221を少し走るとR265起点交差点に到着。R265はここから九州中央部の険しい山間部を北上して、最終的には阿蘇山近くの熊本県阿蘇市に至る全長kmの3ケタ国道。部分的には再走行しているのだが、起点終点間の全区間を再走行するのは、初走行の1998年(平10年)4月のツーリング以来、ほぼ10年ぶりとなる。今回はその時とは逆方向、南→北(起点→終点)方向の走行となる。

 R265は南から軍谷(いくさだに)峠・輝嶺(きれい)峠・尾股峠・飯干峠・国見峠・高森峠・箱石峠と、主立った大きな峠を7つ越える。小さな峠を含めればもっと多くなる。かつては峠をウネウネと越える狭路が続いていたが、近年は道路整備が進み、輝嶺峠・尾股峠・飯干峠の3峠以外の峠はトンネルを含むバイパス道路が開通したり、道路自体が整備改良されたため、短時間で快適に走り抜けられるようになった。しかし3峠だけは今も狭路が続く悪路となっており、かつてのR265を姿を残している。特に尾股峠は路面状態の悪い1車線狭路の急坂・急カーブが延々と続く悪路。それゆえ『悪路の3ケタ国道九州代表』と、一部の愛好家間では言われている。

 小林市の本町交差点で撮影を始める。98年のツーリングで、飯干峠・尾股峠・輝嶺峠の3大峠を1日で越えて本町交差点に着いた時の安堵感とR265を全区間走破したときの達成感を思い出す。行き交う車のドライバーの視線など気にせず、交差点で三脚を出して記念撮影していた。交差点付近はそのときとほとんど変わっていない。

 11:30、本町交差点を出発して北に向かう。熊本県阿蘇市までの約200kmの九州縦断国道走破が始まった。R265は市街を抜けてからも走りやすい2車線道が続く。交通量も多く、九州最高峰の悪路国道であるとは思えない道 だ。しかし”狭路で未改良云々”といった標識が現れると、やはり悪路なのだ。

 

 

 淡々と2車線道を進む。途中で旧道と思われる狭路と何度も交差する度に思わず走りたくなるのだが、今回の主目的は本道走行なので我慢する。やがて新軍谷トンネルに到着。トンネル内で工事が行われていたため片側交互通行となっていた。トンネル前でしばらく止まるが、ちょうど旧道入り口前だった。

 新軍谷トンネルを越えると小林市須木に入る。以前の西諸県郡須木村だ。町中を抜けると交通量は極端に少なくなった。やがてr143(県道中河間多良木線)との交差点に到着。ここを右折するとR265最初の難所である輝嶺峠越えに入る。しばらくは平坦な2車線道が続くが、3kmほど進むと1車線幅の狭路となり、急坂・急カーブが連続する悪路へと変貌する。民家もとぎれ、山中を延々と走り続けることになる。

 毎年のシーズン始めに、大阪近郊の手頃な悪路であるR480鍋谷峠を走って悪路走行の感覚を思い出すようにしているのだが、2008年4月以降の休みの日などは天候があまりよくなく、鍋谷峠を走らないままR265に来てしまった。 なので輝嶺峠越えをリハビリ代わりにし、悪路走行の感覚を思い出しながら狭路を走った。

 12:30頃に輝嶺峠に到着。山中の静かな峠だ。ここまでにすれ違った車は3台だけであった。峠を越えると今度は下り坂が続く。断崖上を行く狭路を淡々と走り、峠から約7kmでr144(県道槻木田代八重線)との交差点に到着した。最初の難所である輝嶺峠を越えた。

●田代八重ダム

 r144交差点に到着して目に飛び込んでくる風景が田代八重(たしろばえ)ダムによって出来たダム湖である。田代八重ダムは1971年(昭46年)に着工し1999年(平11年)に竣工した多目的ダム。大淀川水系の綾北川をせき止めて建設された。 日本のあちこちで山奥にダムが建設されているが、その多くで集落が消えている。田代八重ダムもその例外ではなく、田代八重という集落がダム湖の底に消えたそうだ。

 

 

 1998年のツーリングで走ったときは、まだ竣工前の最後の段階に入っていたころで、元旧道らしき作業道を数台のダンプが走っているのを見た記憶がある。 今はダム湖の底に沈んでしまい見ることすらできない。この付近のR265はダム建設による付け替え路になっており、快適な2車線道となっていた。尾股峠から南に向かって下ってきた場合は”ほっとする”区間である。98年の時も極悪路区間から解放されて安堵感を得た覚えがある。

 狭路の悪路区間に戻る直前に、今は廃道となった川底に向かうR265旧道の道路があった。田代八重地区のR265旧道はダート林道のような狭路ダート道だったという。ダム湖に沈むことが分かっていたので舗装されなかったという話もある。今でも途中までは走ることが出来るそうだが、途中からは草木に覆われやがて水没しているそうだ。さすがにZRXで突入する気にはなれない。KSRで来ていたら、突入していたかも知れない。

●九州縦断国道の旅(その2)

 田代八重ダム付近の快走2車線道区間を過ぎると、R265は再び1車線狭路の悪路国道に戻る。ここからR265最大の難所である尾股峠越え区間に入るのだ。1車線狭路区間にはいると、路面状態はいきなり悪化した。荒れた舗装路面と落石が転がるという状態で、場所によってはコケが生えていたりする。バイクでの荒れた平坦な1車線狭路の走行は意外と気を遣う。道幅よりも路面状態の方が重要なのだ。

 狭路区間に入ってほどなくして犬を連れたお爺さんを追い抜いた。綱はつけておらず、歩くお爺さんに寄り添うように犬が一緒に歩いていた。追い抜いてから「こんな山奥の狭路1車線道を散歩か」ということよりも「どこから来た?」という疑問で頭の中が一杯になる。小林市須木と児湯郡西米良村の境で休憩がてら撮影していたら、このお爺さんに追いつかれた。挨拶して世間話をする。聞いてみると、国道交差点からほど近いところに住んでいるという。r360(県道田代八重綾線)沿いに移転集落があるのだろう。いつもこの付近まで犬を連れて散歩に来るのが日課だという。実にお元気なお爺さんだった。挨拶して出発する。犬はバイクが怖いと見え、少し遠くから我々の様子を伺っていた。

 西米良村に入ってからは尾股川沿いに谷間を進んでゆく。やがて廃学校のある尾股という小さな集落があった。尾股峠南側の最後の集落となる。さすがにその先では歩いている人はいない。対向車とも会うこともなく、ただ一人で狭路を進んでゆく。

 

 

狭路区間に入って3kmほど進むと悪天候時などに閉鎖されるゲートを通過。ここから道はウネウネと曲がりくねる山中の狭路坂道となって峠目指して上ってゆく。やがて狭路ながら舗装が真新しい場所に出た。何年か前に尾股峠では大規模な土砂崩れがあって、R265は長期間通行止めになっていたように記憶しているのだが、ここがその時の現場だろう。谷側を見ると、遙か下の方まで土砂崩れの跡が残っていた。

 その現場から200mほど進むと尾股峠に到着した。時刻は13:40。峠は鬱蒼とした山林にあって展望はない。道路の角度から分水嶺と分かる程度であった。峠を越えて下り坂に入る。峠北側の区間は、路面に小石などが転がっている悪路ではあるが、南側の区間よりもマシである。急勾配の坂・急カーブが連続する1車線狭路を5kmほど下る。やがて鶴瀬谷川沿いの谷間に下りると、道はお突然2車線道となり悪路区間が終わった。

 あとは快適な2車線道を走ってR219との交差点に向かった。撮影などして走っている間に、地元車らしき車2台に追い抜かれたりすれ違ったりした。輝嶺峠区間以来、久々に見た車であった。14:10、4kmほど2車線道を走ってR219との交差点に到着。第2の難所である尾股峠越えを終えた。

●九州縦断国道の旅(その3)

 R219に入り東に向かう。山間を行く快走2車線道を5kmほど走って児湯郡西米良村村所に到着。村所の町中で分岐するR265に入ったのは14:20頃。第一宿泊予定場所は村所の民宿だったが、このまま飯干峠を越えて椎葉村まで北上することにした。

 R219から北側のR265は一ツ瀬川沿いに進む平坦な道が続く。2kmほど快適な2車線道が続くが、あとは1.5車線幅の狭路となる。路面状態は良好で落石や荒れた路面は少なく、輝嶺峠・尾股峠と2大峠を越えた後に走ると実に走りやすい狭路だった。

 村所から13kmほど走ると東臼杵郡椎葉村に入った。椎葉村は九州山地に囲まれた山中の村。R265は椎葉村を南北に縦断していることになる。谷間の平坦な狭路を淡々と北上する。アップダウンがほとんどないので、単調な運転となりがちだ。道路的には四国の四万十川沿いを進むR439と似ている。

 

 

 15時前にR388との交差点に到着する。R388は九州を横断する3ケタ国道で、こちらも狭路の坂道が続く悪路。@管理人は2002年(平14年)4月にR388を全区間走破している。なので、この場所に来るのは、1998年ツーリング以来今回で3回目となる。

 この交差点で撮影していると、ついに雨が降り出した。ここまで来る途中、雨雲が広がっていたのだが降る様子はなかったのだが・・・。予報では夜から 降り出すと聞いていたが、山中なので早く降り出したのだろう。雨と言っても本降りではなく小降りなので、とりあえずレインパンツをはいて、荷物に防水シートを被せただけで出発した。しかし4kmほど進んだR265・R388交差点付近まで来ると、雨はついに本降りとなった。こうなっては仕方がない。レインジャケットを着て雨中走行モードとなって飯干峠目指して走り出した。

 

 

 R265飯干峠区間は1.5車線幅の道が続く峠道。尾股峠と比較すると走りやすい峠道で、それを証明するかのように木材を積んだトラックとすれ違った。ウネウネと急坂・急カーブが続く山中狭路を淡々と走る。雨はシトシトと小降り状態が続くが、路面は濡れた程度で雨水が流れ落ちるような状態ではない。

 R388分岐点から約8kmで飯干峠に到着。晴れていれば九州山地の山並みを見ることが出来るのだが、雨とあっては展望はあまり良くない。時刻を見ると15:40。途中、雨具を着たりしていたので時間がかかったようだ。どこまで北上するかは椎葉村の町中に着いてから決めることにして先を急ぐ。雨は思ったよりも本降りにはならなかった。下りも路面が濡れている程度で、小降り状態が続く。対向車と路面状態を気にしながら狭路坂道を下って行く。そして峠から8kmほど走ると2車線道となった。3つ目の難所である飯干峠を越えた。

 

 

 椎葉村川の口地区からのR265は、1.5〜2車線道が混在する広狭混在区間。一部に1車線幅の道が残っているが、走りずらい悪路というほどではない。のんびりと山間を行くローカル国道という感じの道だ。小さな山間の集落を繋ぎながら淡々と小崎川に沿って進んでゆく。

 椎葉村新橋地区にある小崎小学校前を通り抜ける。下校時間のようで小学生達が学校から出てくるところだった。送迎バスとすれ違ったので、これからバスに乗って各自の家に帰るのだろう。あの距離を歩くのはいろんな意味で大変だ。小学校を過ぎると、左側の川が湖になった。上椎葉ダムによって出来たダム湖・日向椎葉湖だ。しばらく湖沿いに走るが、やがて椎葉中学校横を通り抜けると湖から離れて坂道を下る。すると北に向かって左側に巨大なアーチ式ダムを見ることが出来る。これが上椎葉ダム。1955年(昭30年)に完成した日本初の100m級のアーチ式コンクリートダム。あちこちに大きなダムが出来てしまった今日では、そんなに大きなダムのように思えないが、ここでの設計や建築などのノウハウがその後の日本のダム建設に多いに役立つことになるのだ。

 上椎葉ダムを過ぎると2車線道となる。やがて椎葉村の中心地である上椎葉地区に到着。ここまで来ると雨はついに本降りになってしまった。町をパスするようにして進む2車線道を走る。バイパストンネルの中椎葉トンネルを通過して、R327交差点まで走る。この付近もバイパス整備によって変わってしまっていた。秘境・椎葉村への道路事情も変わりつつあるのだ。

●10年ぶりの椎葉村

 時刻を見ると16:40頃であった。予定では熊本県阿蘇郡高森町付近まで北上するつもりだったが、あいにくの雨と体力消耗により断念。上椎葉の民宿に泊まることにした。R327交差点付近で引き返し、上椎葉の町外れにある公衆トイレに移動。用を足した後、上椎原の民宿に片っ端から電話をかけてみる。

 最初に10年前に宿泊した民宿『二鶴旅館』に電話してみるが、あっさりと断られた。あらら・・・。どこも駄目であれば高森まで走ればいいだけだと開き直り2軒目に電話。旅館『奥日向』に電話したら、夕食提供はないという条件で宿泊OKとなった。助かった。

 

 

 さっそく旅館に移動。町中を通る旧道を走って椎葉村役場近くの旅館に到着したのは17:10頃であった。宿の玄関を開けると、女将さんが出迎えてくれた。今日は宴会があるとのこと。なので車で来る人もいるので、ZRXを邪魔にならないよう端のほうに停めた。雨具を脱いで濡れないよう注意して荷物共々客室に運び込んだ。

 一息ついてから町中にあるコンビニに向かった。この店はレンタルビデオやDVDも扱っている、コンビニというよりも現代版の『何でも屋さん』という感じの店だった。この店の前は帰宅する小中学生達の待合所になっているらしく、クラブ活動が終わって帰宅する生徒達が雨の中送迎バスを待っていた。誰も彼も皆顔見知りのようで、帰宅する大人達と挨拶していたりする。都市部では失われた『地域の絆』が残っていてうれしくなる。

 コンビニでカップラーメンとパンを買って旅館に戻る。宴会が始まる前に風呂に入り疲れを癒す。部屋に戻ると買ってきたカップラーメンで夕食。すぐ近くの大広間では宴会が始まったようで賑やかな声が聞こえてきた。テレビで阪神×横浜戦を見ながら、

今日の記録をつける。つけ終わる頃には試合は終了。先発安藤が打たれて2−6で負けた試合だった。

 天気予報によると明日も雨らしい。ただあくまでも予報だし外れることが多いので、曇りになることを期待して寝ることにした。

【本日の走行距離:220km】

【写真】上椎葉の町は雨だった。(5/10撮影)

2008年5月10日(土)

●雨の中の出発

 朝方には低気圧は去って雨が上がるかと思ったが、起きてみると雨は降り続いていた。昨日よりも強く降っているようにも思える。雨の日だけは天気予報は当たるようだ。今日はフェリーに乗って帰阪しなくてはならないので、雨だろうとなんだろうと走らねばならない。朝食を食べてから荷物をバイクに運んでパッキングする。雨の中だと気が重たい。

 

 

【写真】雨の中、一晩お世話になった旅館『奥日向』を出発する。

●九州縦断国道の旅(その4)

 精算を済ませ、女将さんに挨拶して旅館を出発したのは9:25頃であった。昨日走ったR327交差点からR265走行を再開する。椎葉村北部の区間は以前から整備改良工事が進められていた。R327交差点付近の音ヶ瀬大橋と音ヶ瀬トンネルを始めとして、鹿野遊トンネルやその間の高規格2車線道路など、前回走った2001年(平13年)当時は影も形もなかった道路やトンネル、建設中であった道路ができあがっていたのを見ると、椎葉村の道路事情も改良されていることがよく分かった。しかし途中からは整備は進んでおらず、以前のままの1.5車線道となる。雨の中、淡々と狭路を進んでゆく。

 10時前に国見トンネル旧道南側(椎葉村側)分岐点に到着する。予定ではZRXで国見峠旧道にアタックするつもりであったが雨なのでやめた。豪快な 国見トンネルを抜けて西臼杵郡五ヶ瀬町に入る。

 トンネル前の旧道北側(五ヶ瀬町側)分岐点で旧道を見ると、倒れているが『通行止』という看板があった。旧道は土砂崩れか何かで通れないようだ。後日、リンク先の管理人さんがZZR1400で国見峠旧道をアタックしている記事を見たが、それによると旧道は椎葉村側の区間で土砂崩れと路肩決壊により通行不可能となっていたそうな・・・。

 

 

 国見峠を越えれば、雨は少しはマシになるかと期待したが、それはあっさりと打ち砕かれた。雨は相変わらず降り続いている。

宮崎県から熊本県に入りR218交差点にあるGSで給油。R218から北側のR265は高原地帯を行く快走2車線道。晴れていれば実に気持ちの良い道路なのだが、あいにくの雨。しかも高森峠に向かうにつれて強くなり始めた。

 高森峠を越えてウネウネ曲がりくねった2車線道を下る。峠を越した途端に雨が強く降り出した。こうなると写真を撮る気にはなれない。高森峠旧道の調査もパスして先を急ぐ。

 

 

 R325が分岐すると、R265は阿蘇山の東側を北上して箱石峠を越えてゆく。晴れていれば阿蘇の中岳などを見て走れるのだが雨なので見えるはずがない。雨中走行でも体力的・精神的に疲れるのだが、最悪なことに霧が発生し、しかも箱石峠に向かうにつれて濃くなり始めた。こうなると走行調査どころではない。道路状態に全神経を集中しなくてはならない。1995年(平7

年)の北海道ツーリングで濃霧の知床峠越えを経験しているので、霧中走行の恐ろしさはよく知っている。霧中走行では前方の視認が難しくなるので事故が起きやすいのだ。

 案の定、事故が起こっていた。左カーブを曲がると、軽バンが道をふさぐように横転していた。霧中を進むので速度を落として走行していたので回避できたが、速度を出していたら激突していたのは間違いない。横転して間もない頃だったようだが、運転手のおっさんは外に出て対向車の運転手と話をしていた。怪我はあまりないようだ。現場を過ぎて間もなく1台の観光バスとすれ違った。パッシングしたのだが、運転手が気づいたかどうかは分からない。2次事故が起こらないことを祈る。

 箱石峠を越えたのは11時頃だったか。峠を越えると霧はなくなったが、かわりに雨が強く降り出した。日程に余裕があれば雨の日は走らないのにと思っても、雨覚悟で来たのだから文句は言えない。『雨の中は、雨の日でないと走れない』と自分自身に言い聞かせながら走っていった。

 11:30、R57とR265の交差点となる熊本県阿蘇市の坂梨交差点に到着。宮崎県小林市本町交差点から始まったR265全区間走行を終えた。R265はR57と重複してR212交差点まで続いているのだが、すでにその区間を走る気力はなかった。以前走っているので、それで良しとしよう・・・。

●辛い雨中走行

 さすがに坂梨交差点では撮影をしなくてはならない。雨のかからない場所を見つけ、タンクバックをおいてデジカメを取り出し、濡れないよう注意しながら交差点付近を撮影した。撮影後、タンクバックを見て唖然とした。バックの底から水が染みこみ始めていたのだ。デジカメのケースも吸水し始めている。濡れないようにビニール袋にデジカメと携帯電話を入れてタオルでくるんで、バックに入れた。これ以後デジカメではいっさい撮影していない。

 

 

 上椎葉の旅館を出てから3時間ほど雨中を走りっぱなしだった。体は冷え切っている。走りたくないと思っても、何が何でも走らねばならない。こんなに辛いツーリングは数年ぶりである。20分ほど休憩して出発する。近くに温泉はたくさんあるが、別府の温泉に入ってフェリーの出発時間近くまで入ることにした。なので復路は別府発の関西汽船を利用することになった。

 最短距離というか最短時間で別府に移動したいので、R57〜R10というルートを選択する。R57に入り、外輪山を登って行く。それにしても寒い。こんなこともあろうかと持ってきていたトレーナーなどを着込んでいても寒くてしょうがない。温度計を見ると、なんと『8℃』。5月のGW明けに10℃を下回るとは思わなかった。

 12時頃に道の駅『波野』に到着。ここで少し休憩する。メットは首筋から内部への浸水が始まっており、2枚重ね着しているレインパンツも浸水が進み、ジーパンが何となく冷たい。ブーツカバーをしているとはいえ、とうの昔に水が染みこみ靴下は濡れている。もう全身濡れ鼠状態だ。防水グローブも水を吸水して用をなさない。吸水した水を逃がさずためにため込んでいる。なるほど内側から外側に向かっての防水グローブであったか。

 20分ほど休憩してから出発。雨の中ひたすらR57を東に向かう。60k/h前後という速度でゆっくりと進んで行く。大分県に入る。竹田を抜けるとR442が分岐。朝地を越えた先の大野では、ちまたでは有名なr41(県道大分大野線)が分岐する。最初の予定では走るつもりであったが、もはやそんな気力は一切ない。そのまま通過。大野からは九州横断道路に入ろうとしたが、前を走っていた大型トラックがそちらに向かったので、そのままR57を走り続ける。これが正解。多くの車が横断道路に向かうので、逆にR57は 交通量が少なくなって快適に走ることが出来るようになっていた。

 犬飼ICから横断道路に入り、そのままR10に入る。あとは雨の中ひたすらR10を別府に向かって走る。大分側を渡って大分市街に入る。ここまで来ると別府までもう少しだ。そういう気持ちがあって気が緩んだのあろうか、渋滞のしんがりで突然止まった車に追突しそうになった。注意深く運転したつもりだったが、疲れているのでブレーキをかけるタイミングが遅れたようだ。速度を出していなかったのが幸いした 。以後は気を引き締めて走り続ける。

 大分市街の渋滞で少しうんざりしたが、市街を抜けて別府湾の海岸沿い区間に入るとスイスイと走ることが出来た。やがて別府市街に突入。別府港前の交差点を左折してR500に入る。どこの温泉に行くか考えたが頭に浮かんでこない。気が付くと陸上自衛隊別府駐屯地を通り越して、別府ICを過ぎてしまった。来た道を引き返す。そしてR500とr11交差点まで来たとき、『別府温泉保養ランド』の看板が目に入った。ここには1996年(平8年)の初九州ツーリングで立ち寄っている。そういうこともあってか何の迷いもなく『別府温泉保養ランド』に向かった。

●復活@あめふらし

 『別府温泉保養ランド』に到着したのは14:20頃。バイクを止めて雨具を脱いで温泉に向かう。入湯料を支払い浴室に向かう。入湯料は1050円とやや高めだか、気にしていられない。とにもかくにも温泉に入って暖まりたいのだ。泥湯であることは覚えているので、タオルも購入して浴室に向かった。

 温泉は内湯と露天風呂の2種。脱衣所で服を脱いで内湯に入ると、血管が広がり冷えた体の隅々にまで血液が循環してゆくのが分かる。生き返るとはまさにこのこと。朝から辛い5時間近くの雨中走行が良い思い出に思えてきた。これも温泉効果か。

露天風呂の泥湯に移動する。ここの露天風呂は混浴なのだが、水着を着て入って来た連中が鬱陶しかったので早々に引き上げる。あとは内湯と半露天の泥湯に浸かり続けた。

 1時間ほどして温泉から上がり、休憩室でしばし横になる。20分ほど休憩すると疲れもほぼとれた。気を取り直して雨具を来て温泉保養ランドを出発した。保養ランドを出たのは16時過ぎ。そこから15分ほど走って別府港に到着した。今日は一日中雨が降り続いており、その雨の中をひたすら走り続けた一日であった。

●寒い雨の一日が終わる

 フェリー乗り場のバイク待機場に向かう。こんな雨の日にバイクツーリングをしているのは私だけかなと思っていたら、他府県ナンバーのバイクが数台止まっていた。雨が降っているのでターミナルビルに入り、待合所で乗船を待つことにした。ターミナルに入ると一目でバイク乗りだと分かる人が数名いた。そのうちの一人、京都から来たというおっちゃんライダーと話す。世間話からバイク談義、ツーリングの話などなど話題は尽きなかった。

 やがて乗船券発券の時間になった。週末発の便であったが2等寝台を確保できた。バイクの乗船は18時過ぎからだというので、それまでもう少しビル内で待機となった。雨の中で少し待機の後、18:15頃にやっとフェリーに乗船となった。車両甲板にバイクを止める。意外にも10台近いバイクが止まっていた。

 

 

 指定された2等寝台室に向かう。4人部屋の2等寝台室で、同室になったのは神奈川からやって来たというGPZに乗るライダーさんだった。大阪までは往復とも自走しての九州ツーリングで、今日は熊本付近から雨の中ひたすら走ってきたそうだ。このライダーさんと食堂で夕食を食べながらバイク談義。楽しいひとときを過ごしたが、二人とも雨中走行の疲れがあったためか、23時過ぎには寝ることにした。

【本日の走行距離:197km】

2008年5月11日(日)

●最後の最後まで・・・

 朝の5時頃に目が覚める。甲板に出てみると雨だった・・・。昨日の雨雲とともに東に移動してきたというわけだ。やむかと思ったが、6:30頃に大阪南港に到着しても雨が降り続いていた。荷物を持って車両甲板に下りると、昨日の京都のライダーさんと再会した。おっちゃんは2等室をとったとのこと。ガラガラで空いていたそうだ。あの後、すぐに寝てしまったそうで会うことが出来なかったのだ。

 

 

 準備が出来次第、他のライダーさんも次々出発。京都のおっちゃんライダーと神奈川のGPZライダーさんと挨拶して、私も出発する。雨の中、ガレージまでの最後の走行だ。南港を出発していつものルートを走る。ふとバックミラーを見ると、GPZライダーさんが見えたので途中から一緒に走る。高速はほとんど使わず地道だけで神奈川に帰るという。R25に出るそうな。GPZライダーさんとは南港通りと長居公園東通の交差点で分かれたが、なんかいつものメンバーと別れるような感じだった。無事に神奈川まで帰られただろうか。ガレージには7:20頃に到着。最後の最後まで雨に降られたツーリングだった。

 日程の都合とはいえ、今回は雨覚悟でのツーリングであった。天候が回復するのではないか、予報が外れるのではないかという期待感もあって実行に移したのだが、今回については予報が当たってしまった。”あめふらし”のHNどおり、雨を喚んでしまったか・・・。

 特に2日目は朝から夕方まで雨の中を走り続けた。それも結構強い雨が降り続いた。ツーリングの途中で雨にあったことがあったりしたが、本格的な雨中走行となったのは久々のことだった。精神的・肉体的にかなり疲れたが、まだまだ走ることが出来ることを確認できた。

 また今回はR265走行という目的があった。1998年の九州ツーリングの時とは逆方向で輝嶺峠・尾股峠・飯干峠を半日で越えたが、当時と比べるとバイクが変わったり荷物の量が違うということもあるかもしれないが意外と疲れなかった。10年間にあちこちの悪路を走行したために、悪路走行中毒が悪化しただけなのだろう。

 たいてい5年もあれば道は大きく変わる。椎葉村北部は変わりつつある。しかしR265の3峠区間については10年経ってもほとんど変わっていなかった。それほど急峻な地形だということか。早急に整備する区間でもなく、また予算がつかないということもあるのだろうけど・・・。輝嶺トンネルや尾股トンネルが出来るのは何年先なのか?その頃の道路事情はどうなっているのだろうか?興味は尽きない。それらバイパストンネルが完成したら是非とも訪問して旧道と化した峠越えの道を走ってみたいものだ。

バイクで走るだけの気力・体力が残っていればの話ですが・・・。次はいつ頃行けるのだろうか?

【本日の走行距離:10km】

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