>>北海道2007(2)

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2007年9月21日(金)【『ましゅまろ』→野付半島→『ましゅまろ』】

◆快晴だ!

 朝7時過ぎに目が覚める。天候は晴れ。それもすっきりした青空が広がる快晴で、まさしく『ツーリング日和』である。朝食後、

宿の前にて記念撮影を行う。その後あれこれ談笑。そしてぞれぞれの目的地に向けて出発して行く。Aさんは帰られるとのことで、フェリーターミナル目指して移動とのこと。 連泊となる私らは出発する皆さんをお見送り。

 

 

 宿泊客がいなくなった宿は静かになる。宿主夫婦が掃除と朝食の後片づけに忙しくしている横で、これからの計画を考える。

 ふと携帯で賀曽利氏のブログを拝見。昨日のことが書かれていた。ヽ(゚∀゚)ノ いや〜、なんかうれし恥ずかしですな。(^^;) 賀曽利氏は阿寒湖周辺の温泉を回ってから川湯温泉入り。共同浴場→仁伏温泉→砂湯と移動し@管理人と遭遇。その後コタン温泉→三香温泉→和琴温泉と 屈斜路湖周辺の温泉を制覇。そして17時半過ぎに再び砂湯に戻られ、人がいなくなってから砂湯の無料露天風呂に入り、また砂を掘って「カソリ湯」にも入られたとのこと。さらに、つつじの湯→摩周温泉と周り、r53で鶴居村に移動し温泉宿に宿泊。今日は釧路から標津経由で知床半島に向かうとのこと。今日も会ったりして・・・。

 とりあえず今日は多和平経由で野付半島に向かい、開陽台とからまつの湯経由で帰ってくることにした。

◆多和平

 9時過ぎに『ましゅまろ』を出発した。私はKSRU、@嫁はスパイクを運転してついて来るといういつものスタイル。R391に出て弟子屈市街に向かう。R243に入りあとは淡々とR243を別海方面へと走って行く。

 今日から『秋の交通安全週間』が始まる。北海道では今年の交通事故による死亡者数が全国ワースト1位を記録しているとのことで、道警あげて取り締まり強化を行うと言う。これはうかうかしていられない。ただでさえ速度の出る道東の道は注意して走らないと。なので60〜70k/hぐらいで流して走る。スパイク@嫁も速度を合わせて適度な距離をおいてついてくる。

 川上郡標茶町に入って少し進んだところで、R243からr1040(弟子屈熊牛原野線)に入る。さらに弥栄農免農道に入って急坂を上って多和平に到着した。

 

 

 

 去年は横なぶりの大雨が降る大荒れの天候で何も見えなかった多和平だったが、今日はご覧の通り快晴。ヽ(゚∀゚)ノ

 

展望台からは広大な道東の大地を見渡すことができた。

 

 

 

 

多和平にはキャンパーが2人いただけで、他には誰もいない。

事実上貸し切り。ヽ(゚∀゚)ノ

 

ノンビリと芝生で寝ころんだりしていたが、やがて観光バスが到着。

ドヤドヤと大阪弁のおばちゃん達がやってきた。

 

多和平が大阪になってしまった。(;´∀`)

 

こりゃいかんと、早々に撤収。

次の目的に向かう。

 

◆丘陵地帯を行く

 次に向かったのがr13(中標津標茶線)とR272との間にある直線道路。昨年、たまたま通ってみて丘陵地帯に広がる酪農地帯を貫くアップダウンのある直線道路であることを知った。あいにくの悪天候で今ひとつだったので、晴れた今日は是非とも走ってみたかったのだ。

 多和平を出てから農道を南に下る。r13に入り虹別方面に進む。アクセスルートとなる川上郡標茶町と野付郡別海町の境付近にあるr951(泉川線)との交差点を見落としたために迷ってしまったが、どうにかr830(泉川西春別線)に入ることができた。あとは道なりに進み、覚えていた交差点を直進。お目当ての道路に入ることができた。地図とカーナビを見て現在位置を把握できたから良かったものの、KSRU単独で地図だけならばもう少し迷っていたことだろう。やはりカーナビは便利だ。というより、地図を読む力が弱ったか?(;´∀`)

 

 

 やはり去年思った通り、晴れた日のこの道は実に快適な道だった。丘陵地帯を貫くアップダウンのある直線道路。電柱や照明などは一切ない。道路がすらりと向こうまで延びているだけである。数年前まではダート道だったそうだが、できればダート道時代に来てみたかった。もっと雰囲気のある道路だったに違いない。

 今は舗装路となっており入りやすい道路となっている。しかし走る車は全くない。少なくとも私が走った時は1台の車にも出会わなかった。

 

 

 道路自体は丘陵地帯に広がる酪農地帯を進む。道路の両側には柵を挟んで広大な牧場が広がり、そこかしこに牛が草をはぐくんでいた。長閑な酪農地帯の光景。見ているだけで癒される・・・。平日の昼前。本来なら仕事で忙しい時間帯・・・仕事のことは考えないでおこう。快適な舗装をマイペースで走る。やがて林の中を走るようになり、厚岸郡厚岸町と野付郡別海町の境付近でR272に出た。

 R272に出てからは標津方向に向かって走る。見通しの良い直線道路が続く道なので、速度取り締まりし放題というような道路だ。以前、R272道路上から死角となる位置に止まっていた速度測定機付きパトを見たことがあるので、ここも警戒して60〜70k/hで走る。ゆずりゾーンのある区間では左に入って急ぐ車を先に行かせる。

 11時過ぎにR243・R272交差点角にある『しまふくろう』に到着。ここで少し休憩。『ましゅまろ』からここまで約80km。結構長い距離を乗っていたようだ。気分的に50kmほどだと思っていたので意外だった。

◆牧場地帯を抜けて

 11時頃になると気温がぐんぐん上昇してきたようだ。結構暑い。メッシュジャケットでも走ることができるぐらいだ。11時半頃に

『しまふくろう』を出発。引き続きR272を標津方面に進んで行く。幹線国道なので交通量が多い。特にトラックの姿が目立つ。野付半島に行くのにR272で標津まで出るのもおもしろくないので、途中で国道から離れて道道に入ることにした。

 別海町上春別でr362(西春別春別停車場線)に入る。幹線国道から離れるといきなりローカルな道となった。ローカル道とはいえ、ここは北海道。舗装された2車線道が続く。交通量のほとんどない快適な道を進み中春別へ。町中を少し走って今度はr363(尾岱沼港春別停車場線)に入った。

 ところで2本の道道を走ったわけだが、路線名に共に”春別停車場線”という名が入っていることからもお分かりの通り、両道道ともかつてあった国鉄(→JR)標津線春別駅前を終点としていた。かつて駅というのは道路の起終点となるほど重要な場所だったのだ。標津線は民営化後の1989年(平元年)4月末をもって廃線となり春別駅も廃止。わずかに道道の路線名にその名称をとどめるだけとなった。こういう例は日本のあちこちに見られ、路線名を見るだけで鉄路があったことを知ることができる。

 

 

 春別駅のあった別海町中春別からr363に入る。r363も牧場地帯を駆け抜ける2車線道。適度なアップダウンと緩やかなカーブがあり、適度なペースでのんびり走ることができる。国道や幹線道道のように、交通量が多くトラックなどに追い越されたりする心配がない。ときおり走り慣れた地元車とすれ違ったり、追い抜かれたりするぐらいである。

 淡々と2車線道を走り続け、12時過ぎには別海町尾岱沼(おだいとう)の町中に到着。港を目の前にしてR244に入り、標津方面に少し走って尾岱沼の町中に到着した。

◆北海道6湯目

 R244から離れて町中に入って野付温泉浜の湯に立ち寄った。12時過ぎの真っ昼間から温泉である。以前のツーリングでR244から見えているにもかかわらず入っていなかったので、今回は是非とも入りたかったのだ。

 料金390円を支払って入る。もちろん男女別なので@嫁とは別々となる。ここは内湯と露天風呂の2つからなる。そして内湯はアルカリ性単純泉とナトリウム塩化物泉と泉質の違う2つの源泉からなっている。2つある浴槽のうち岩風呂がアルカリ性単純泉、タイル張りの浴槽がナトリウム塩化物泉となっていた。390円で2つの泉質の温泉に浸かることができるとはお得だ。

 露天風呂も浴槽は2つあった。こちらも泉質が別々だったのかどうかは不明だが、熱いお湯の浴槽と冷泉状態の湯(?)が入った浴槽の2つがあった。暑い日差しを浴びて入る熱い温泉もまた楽しいものだ。

 温泉では地元のおじいさんに話しかけられ、ひたすら会話していた。おじいさんは酒造りに関係した仕事に就いていたようで、やたらとお酒や醤油、それになぜか酒税のことについて詳しく教えてくれた。

 温泉から出て休憩所に出ると今度は身の上話を始められ、戦争中は横須賀海兵団に配属され、訓練としてカッター(ボートのこと)で葉山ご用邸近くまで行ったこともあったそうな。何かの艦には乗船していたかどうかは分からないが、3年間の軍役の後最終的には鎮守府での陸上勤務で終戦を迎えられたとのこと。戦争を体験された方の話は重みがある。

 あめふらし@管理人は温泉などに行くと地元の方(特にご高齢の方)からよく話しかけられる。そういうキャラなんだろうか?またこれも温泉の醍醐味の1つである。おじいさんは、煙草を数本吸ってから自転車に乗って帰られた。

 なんだかんだで1時間近く浜の湯にいてしまった。もしかしたら賀曽利氏と再会するかも知れないと思ったが、再会することもなく離れることになった。ただ賀曽利氏は晩になってから浜の湯を訪れて入浴されていた。ニアミスということになるのだろう。

◆野付半島

 野付温泉を出てR244を標津方面に北上する。途中、野付湾を挟んで海の向こうにこれから向かう野付半島がぼんやりと見えた。尾岱沼から少し北上した所で右折して、r950(野付風連公園線)に入った。ここから野付半島の先までは一本道。狭い野付半島をひた走ることになる。

 r950に入って少し走ったところで横風がかなり強いことに気が付いた。晴れているのだが風が強いのだ。重いZRX1100ならいざしらず、軽いKSRUだと横風をまともに受けると軽く流されてしまう。なので速度をやや落としてセンターライン寄りを走行することにした。

 何もなければ気持ちよく走ることができる道も、今日ばかりはそうはいかない。横風に注意しながら走らねばならず、流された時など路肩から飛び出さないよう神経をすり減らすばかりであった。なので、数台のバイクとすれ違ったがピースサインを返す余裕など全くなく、軽く首を動かす程度であった。

 センターライン付近から路肩まで流されること数回、やっとのことでr950の起点に到着した。@嫁はここまでずっと後ろから見ていたのだが、何度も流されるのを見ていてヒヤヒヤしたそうな。(^^;)

 ちなみにr950起点には1999年(平11年)9月のツーリングで一度来ているので、今回は8年ぶりの再訪ということになる。そのときの写真と比べると、標識の支柱自体が傾いていた。今度来たときに倒れていないだろうか?

 起点から少し戻って野付半島ネイチャーセンターに立ち寄る。ここにはトドワラと呼ばれる海水で立ち枯れしたトド松がある。それを見に往復約3kmの散策路を歩こうとしたのだが、あまりにも風が強いため歩くのを断念する。ネイチャーセンター内の展示物を見学して30分ほどで出発した。

 あまりにも強い横風なのでネイチャーセンターの駐車場でKSRUをスパイクに積もうかとも考えたが、風が強い中で作業をする気にもなれず、再び強い横風の中をR244に戻ることにした。

 

 

 あまりの強風で途中にあるナラワラ展望所で休憩。写真では分からないが風が強い。

 復路は路肩寄りを走る。横風に流されるとセンターラインから対向車線に飛び出す危険があり、往路よりもさらに神経をすり減らした。さすがに1995年(平7年)の北海道ツーリングの時のように、凄い横風の中、荒波せまる海岸線近くの道道を日没後に走った時ほどではなかったが、久々に気を遣う走行であった。

 何回かセンターライン近くまで流されながらも無事にR244交差点に到着。ホッと一息ついた後にそのまま北上。標津市街に入り、標津サーモンパークに向かった。

ネイチャーセンター前から見た国後島。

ぼんやりと島影が写っているのがお分かりだろうか?

いつになったら島に渡ることができるのか・・・。返せ!北方領土ヽ(`Д´)ノ

ナラワラ展望所にて撮影。

向かいみ見えるのがナラワラ(立ち枯れしたナラの木)。

手前の雑草と水面を見ると風が強いことが分かる。

◆忘れてた!

 標津サーモンパークに到着したのは15時頃だった。遅いが昼飯にしようということで以前も訪れたレストランに向かう。が、すでに営業終了・・・_| ̄|○ なので軽食コーナーでジャガイモの天ぷら(?)を買って昼飯にした。サーモンパーク横の広場では来る日曜日(23日)に開催される「あきあじ祭り」の準備が行われていた。無料のイクラ丼が配布されることで有名なこのお祭りに是非とも行ってみたいのだが、毎年の休みとフェリー便の都合上どうしても行くことができないのが残念だ。

 ブラブラと歩いて近くの池に行くと、去年指を咬んだあの白鳥がいた。餌をもらえるため完全に居着いてしまっているようだ。鴨達も人慣れしてしまっており、近づいても逃げようとはしない。しかし餌を持っていないことが分かると、鴨たちは早々と立ち去ってしまった。よく分かっているようだ。

池の主である白鳥。

居着いてしまい、渡りもしないでここにいるそうで・・・。

カモとアヒル。人慣れしているので近づいても逃げない。

餌をくれないとわかったら去ってしまった。

 ここまでのKSRUの走行距離は168kmとなった。@嫁の運転距離もそれぐらい。そろそろ交代しなくてはならないので、サーモンパークでKSRUをスパイクに積み込むことにした。20分ほどで積み込みを終えて出発。R272に出て西向かった。

 R272を走り始めてしばらくしてから、少し速度を上げようと加速。70k/hぐらいに近づいたとき、対向車がパッシングしてきた。「もしや!?」と思い、エンブレで速度を60k/hまで落とした。その瞬間、路肩にある茂みの切れる付近にねずみ取りのレーダーがあるのが分かった。間一髪だった。おそらく狙っていたのだろう。警官はこちらを見ていた。

 今日から『秋の交通安全週間』が始まることをすっかり忘れていた。もしあのまま加速していたら15〜20k/hオーバーでサイン会に出席しなくてはならないところだった。(;゚Д゚) 教えてくれたドライバーさん、ありがとう。m(_ _)m

◆掩体壕

 R272を西に向かう。さきほどの一件があったので、取り締まりを注意して70k/hぐらいで流して走る。開陽台に向かおうと考えたが、時間的なこともあってパスして宿に戻ることにした。

 R272は中標津市街の南側を通るが、沿道には大型ショッピングセンターなどが建ち並び始めていた。市街郊外でr13(中標津標茶線)に入り、そのまま西に向かう。見通しの良い道路で同じような風景の中を淡々と進んで行くのだが、単調な道が続くので眠たくなってきた。横で@嫁が爆睡している。眠るわけにはいかず、窓を開けたりして目を覚ますことをして進んで行く。

 

 

 標津郡中標津町計根別(けねべつ)に来たので、気分転換にと掩体壕に立ち寄る。大東亜戦争(太平洋戦争)末期の1944年(昭19年)に建設された旧帝国陸軍航空隊計根別第一飛行場の掩体壕である。第一飛行場は戦後閉鎖され農地に払い下げとなったが、有蓋掩体壕3基が今も残っている。宿に近いこともあって、2004年以来これで3年連続で訪問していることになる。

 掩体壕自体にはなんら変化はない。今も草地や農地の中にその姿を見ることができる。建設されて2007年で約63年。戦時中の粗悪コンクリで作られた掩体壕も、気象条件の厳しい北海道でいつまでもつのか不安である。

 

 

掩体壕近くの牧草地にあった麦草ロール。ビニールかなにかで巻いてあった。

草地に現れた謎の物体という感じだ。

 掩体壕3基の姿を見届けてからr13に戻り西に向かう。虹別の町中でR243に入る。そろそろスパイクの給油をしないとならない。旗のあるホクレンGSがあったのだが、宿までまだもつだろうと思いパスしてしまう。

 虹別から先のR243は覆面PCを良く見かけたところ。西日がまぶしく確認しずらいので、前後の車よくよく注意して走らないといけない。70k/h前後でひたすら走り続けた。

 

 

西日の強いR243をひた走る。

 捕まることもなく無事に弟子屈を通り抜け、宿には17時頃に到着した。すでに日没となっており周囲は暗い。@嫁を降ろしたあと、川湯温泉入口にあるホクレンGSに行き給油する。ここには毎年旗があることを知っていたので、どうにかしてもらうつもりだった。ところが残念なことに旗はすでに品切れとのこと。虹別で給油すれば良かった。_| ̄|○

◆ましゅまろ3泊目

 18時前に宿に戻る。駐車場はガランとしていた。昨日あれだけ宿泊客がいただけに、今日は寂しく感じる。夕食は宿主一家と同席。なんか遊びに来ているような気になる。

 今日は私らだけかと思っていたら、夕食の終わった20時前にあたりに関東から会社員の方が一人来られた。飛行機が遅れて到着が遅くなったそうな。今日は3人だけでのこじんまりとした宴会となった。

 今日は暑い一日だと感じていたが、今日の札幌の最高気温は32℃だったとか。Σ(゚Д゚;) 北海道各所で、この時期の最高気温を記録した所も多かったとのこと。どうりで暑かったはずだ。それにしてもこの時期の北海道として異常な気温である。北海道も年々熱くなってきているようだ。

【本日の走行距離】スパイク:266km/KSRU:168km

2007年9月22日(土)【『ましゅまろ』→美幌→足寄→日高→苫小牧→苫小牧東FT】

◆気が付けば・・・

今日も朝から快晴。実に良い天候で絶好のツーリング日和だ。しかし残念なことに、気が付けば北海道滞在最終日になってしまった。なので今日の晩には苫小牧に戻っていなくてはならない。だが目的地は決まっていても経路が決まっていない。時間には余裕があるので複数ルートを考える。

 会社員の方は朝食の後、挨拶もほどほどに早々に出発してしまい、あとは私らだけになってしまった。出発の準備をしたのち談話室でダラダラして過ごす。この時点になっても経路は決まっていなかった。少なくても午前中は@嫁にスパイクを運転してもらわないとなら

ないので、@嫁の運転技量を考慮しなくてはならない。複数の経路を考えたが、宿主から三香温泉が今秋をもって閉鎖されるとの重大情報を教えてもらったので、三香温泉に立ち寄ることにし、必然的にR243美幌峠経由の経路に決まってしまった。

 出発前に美留和駅前の郵便局に行く。振り込みしなくてはならなかったのだが、すっかり忘れていたのだ。そして今日が土曜日であることも忘れていた。郵便局の窓口はお休み。振り込みは帰阪後となった。そのままJR釧網線の美留和駅に向かった。

 美留和駅は駅員のいない無人駅。一日上下6本の列車が来るだけのローカル線の駅で、駅舎はなく、ヨ3500と思われる車体改造の待合室が置かれているだけ。改札などないので、そのままホームに入ることができる。ホームは1面1線で単線だが、レールの状態を見ると昔は交換設備があったように思われる。

 ホームは気動車3両ぐらいが止まることのできる短いもの。ホーム上には確認用のミラーが設置されている。待合室以外には駅標と木柱しかない。典型的なローカル線の駅で、やたらと広告や自販機などが目立ち騒がしい都市部の駅とは違い、のんびりできる。

 青函トンネルの開通で本土とはレールが繋がっているので、目の前のレールを辿っていけば、いずれは大阪の最寄り駅にまで着くことができるなと考えながら、しばらく駅でぼけ〜としていた。

 

 

静かな美留和駅。のんびりできた。

ちなみに写真は網走方面を撮影。

◆三香温泉

 駅から宿に戻る。荷物を積み込み出発準備完了。宿主一家と宿の前で記念撮影してから、10時過ぎにお世話になった『ましゅまろ』を出発する。「来年は来ることができるかなぁ・・・」と言いながら、気が付けば今年で9年連続で通っていたりする。(;´∀`) 来年は・・・行くだろうな。できればZRXに乗って一人で・・・(^^)\(_ _;)

 宿を出てから裏道は走らずに、いったん弟子屈市街に向かう。r52(屈斜路摩周湖畔線)との交差点前にあるGSでKSRUに給油。ここでの給油がKSRUの北海道最後の給油となる。ホクレンGSではないので旗はない。今年は旗なし の可能性が濃厚だ。 

昨日見つけた虹別のホクレンGSで給油すれば良かった・・・。

 r52交差点角にはホクレンGSもあるのだが、数年前にセルフとなってから利用していない。セルフ化前はここで旗をもらったこともあった。北海道のホクレンGSにもセルフGSが目立つようになった。「旗がもらえる穴場ホクレンGS」もセルフ化か廃業が続いており、9月の旗集めも楽ではなくなってきた。来年(2008年)からは旗がなくなるという噂も聞く。以前は4色集めるために、それこそ北海道を東奔西走したものだが、それも昔話になる日がくるのだろうか。

 給油を終えて出発。スパイク@嫁運転を従えてR243を美幌峠方面に向かう。『交通安全週間』2日目なので、気を付けて走らないといけない。北海道の道路は見通しが良い直線道路が多い。なので道外ナンバーの車やレンタカーで移動する道外からの観光客はついつい速度を出してしまう。警察もそれを心得ていて、覆面パトや白バイは道外ナンバーとレンタカーを集中して狙う。そして見通しの良い直線では”サイン会”を開催している。

 R243は速度取り締まり重点路線。昨日の一件があったので、60〜70k/hぐらいで流して走る。R391交差点を過ぎてしばらく行くと、案の定反対車線(峠→弟子屈市街行き)側で”サイン会”会場を確認。草陰に隠れてレーダーを設置していた。その先ですれ違ったライダーにサインを送ったが、気が付いただろうか?

 11時前に三香温泉に到着。東京から北見に移住してきたという方と一緒になる。奥さんは生後45日目のトイプードルの小犬を抱いていた。ぬいぐるみと思うぐらい小さくかわいい小犬だった。

 ここは露天風呂だけの温泉。もちろん男女別。脱衣所を出るとすぐに広いコンクリ浴槽がある。泉質は単純泉。pH8.2で源泉の温度は約52℃。源泉掛け流しだでお湯自体は少し冷ましているようだ。それでもお湯の注ぎ口付近の温度は高く、結構熱い。なので注ぎ口から離れた所に浸かる。湯を見ると湯の華があり、源泉掛け流しであることがわかる。安心して入ることができる。

 時間帯によっては、野鳥や蝦夷リスを見ながら入浴できるそうなのだが、残念なことに昼前にはいない。代わりに大量のトンボが舞っていた。(;´∀`)

 ここの露天風呂は木立の中にあり、気持ちよく入ることができる。三香温泉はお気に入りの温泉の1つで、過去数回訪れている。こんなに良い温泉が 閉鎖されるのは残念でならない。

 さて温泉宿である三香温泉は、20年ほど前に宿主が現地に移住し脱サラして開いた宿だとか。家族ぐるみで宿を運営してきたのだが、諸事情により2007年秋を最後に宿をやめることにしたという。しかし建物などを潰すのは忍びなく、また常連客にも申し訳ないとのことで、宿業を継いでくれる人を捜しているとのこと。

 温泉を出てから女将さんと話したのだが、観光地で国立公園内にある温泉源泉付きの敷地なので、その(観光的な)価値は高いそうだ。不動産屋に頼めば、大手レジャー会社がすぐに買ってくれるのだろうけど、そうなると建物など既存の施設は全て取り壊され、情緒もへったくれもない、どこにでもある建物が建てられてしまうので嫌だそうだ。建物や浴場などは 全てこのままの状態で継ぐ(買い取る)ことが条件で、それさえ守ってくれれば良いそうだ。

 @管理人が来た日時点では買い手は現れていない。その後、買い手が現れたのかどうかは不明。HPを見ても休業などのことは何も書かれていないので、もしかしたら営業を続けるのかなと期待しているのだが、どうなったのだろう?

【写真】三香温泉の露天風呂入口。

◆美幌峠を越えて

 宿の飼い犬であるハスキー犬と少し遊んだ後、三香温泉を出てR243に戻り美幌峠に向かう。r588(屈斜路津別線)分岐点近くにある待避帯を過ぎると森の中を行くようになる。ここまでサイン会はなかったので、しばらくは大丈夫だろうと思いペースを上げて行く。やがて道は2車線道のまま上り坂となり、急カーブが連続するワインディング区間に入る。

 

 

 ワインディング区間に入ってからKSRUで遊び始める。バニアケースを搭載していない軽いKSRUで、1つ1つカーブをクリアして行く。スパイク@嫁運転の姿はあっという間にミラーから消えてしまった。(^^;)

 しばらくは1台で走る。しかし少し進むとトラックを先頭にした車列に追いついた。見通しの悪い区間が続くので追い越しは危険、というより追い越し禁止区間なので路肩に止まって間を開けることにした。後から追いついてきたスパイク@嫁運転を先に行かせ、5分ほど撮影したりして時間を潰す。後続の車が来ないことを確認して出発。ワインディング道路を楽しむ。やがて先ほどの車列に追いつくと、ほどなくして美幌峠に到着した。

 

 

 美幌峠も快晴!ヽ(゚∀゚)ノ 青空が広がり、展望台から見る屈斜路湖は実にきれいだった。峠には道の駅ができており、また美空ひばりの『美幌峠』の歌が流れる歌碑があるので観光客が多い。なのであまり長居せずに、10分ほどで出発し美幌市街に向かった。

 美幌峠を越えるとR243はやや急な勾配でカーブの少ない2車線道になる。カルデラの場合、噴火口側となる内側は急斜面で、外側は緩斜面となるためだ。そのためR243は峠を境にして道路状態が異なるのだ。しばらく走ると平坦な2車線道となり、

広大は畑の中を進むようになる。再び警戒モード。60〜70k/hぐらいで注意しながら走って行く。

 この日は地元のマラソン大会があったようで、R243を市街方面に走るランナーの姿が目立った。地元中高生が多かったので、もしかしたら体育祭か何かだったのだろうか?

◆100kmノンストップ

 美幌峠から25分ぐらいで美幌市街に到着。市街地にある酒屋で土産用のビールと酒を購入。市街からはR240に入り阿寒湖方面に向かった。R240は釧路と美幌・網走を結ぶ最短の幹線ルートであるため、大型トラックの通行が多い”トラック街道”となっている。そのため路面状態は悪く、レールのように轍ができているのだ。車ならハンドルを離してもそのまま進んでいきそうな状態だ。

 R240を淡々と進んで行く。網走郡津別町相生地区を過ぎると徐々に山間に入って行く。やがて2車線ワインディング道路となり見通しの悪いカーブが続くようになった。そろそろ休憩してもよい頃。パラダイス的な施設や休憩所などがあったのだが、ここまでに抜いたトラックや車に追い抜かれるのが嫌だったので休憩無しで走り続ける。

 

 

 釧北峠を越えてしばらく走るとR241との交差点に到着。ここを右折してR241に入り、足寄峠を越えて足寄へと向かった。R241に入ると、前を札幌ナンバーの4WDが走っていた。だいたい70k/h前後のちょうど良いペースで走るので、そのまま後ろについて走った。

 R241に入ってからもどこかで止まって休憩しようかと思ったのだが、寄り損ねてそのまま走り続ける。足寄郡足寄町螺湾地区を過ぎると体がおかしくなってきた。足腰が痛くなり、頭もぼ〜としてきて判断力が低下しつつあることを認識する。さっさと止まって休憩すれば良かったのだが、 あまりにも良いペースで走っていたため止まる気になれず走り続けた。

 14時半頃に足寄市街に到着。R241とR242との交差点正面にある、道の駅『あしょろ銀河ホール』に入ってやっと休憩することができた。

◆旗無し”確定”

 足寄郡足寄町は松山千春の出身地ということもあり、道の駅内部に入ると松山千春関連の写真パネルなどが展示されていた。2階にはレコード大賞(?)などの記念品なども展示。町を あげての応援ぶりである。『松山千春の歌う石碑』もあったが、さすがに”歌う銅像”はなかった。(;´∀`)

 ちなみに足寄町は、あの鈴木宗男の出身地でもあるが、選挙区が違うために目立った応援はしていない模様。しかし売店では”ムネオグッズ”と呼ばれるキャラ商品が販売されていた。商魂恐るべし。

 道の駅内にある喫茶店で軽食を食べて昼飯とする。これで体力は少し回復したが、美幌市街の酒屋から約100kmをほぼノンストップで走り続けて来たので、体がガタガタ、尻も痛い状態であった。KSRUに乗ってヘトヘトになったのは久しぶりだ。@嫁の運転距離も考えて、道の駅でKSRUをスパイクに積み込むことにした。KSRUによる北海道走行はこれにて終了。あとはスパイクでの移動となる。

 道の駅を出てすぐのホクレンGSに「旗あります」の看板があった。しかしKSRUは積み込んだ直後であり、スパイクもまだ2/3もガソリンが残っているので給油せずに通り過ぎた。

この先の給油予定地にはホクレンGSはないのは分かっていたので、これにて今年の旗無しは確定となった・・・。さらに1997年以来昨年まで9年連続して続いていた”ホクレン旗連続ゲット”の記録も止まってしまった。(ノД`) やはり無理にでも入れたら良かったかな?

【写真】道の駅駐車場でのKSRU。これにて北海道走行は終わる。

◆再び日高へ

 足寄を出てからR242で池田方面に向かう。最初は十勝周辺の温泉に入ろうかと思っていたのだが、気が変わり、日没を迎えるまでに日勝峠を越えておくことにしたので、本別ICから道東自動車道に入って一気に移動することにした。ETC搭載の車だと、つい高速を利用してしまう。現金払いでないので実感がないのだろう。┐(´д`)┌

 池田ICを過ぎると、道東道はほぼ西に向かって走ることになる。なのでもろに夕日を見て走ることになった。昨日のR243と同じ状況下での走行となる。グラサンを掛けて走るが、それでも眩しい。法定速度+αk/hを維持して走り続ける。止まらずにひたすら同じような道路を淡々と進んで行くと、西日で眩しいにもかかわらず眠たくなってきた。たまに頭が真っ白になり、思考が停止してしまうこともあった。これはやばいと思い、窓を開けて外気を入れたりするが、あまり効果はなかった。単調な道というのも厄介なものだ。

 

 

十勝の風景もこれで見納め。

車内から撮影したので傾いています。

 15分ほどそんな状態で走り続ける。危ない状態だったが、十勝清水ICに到着しR274に入ると目が覚めた。交通量が多く道の変化がある道だと寝てもいられない。(`・ω・´) 十勝側のR274は登坂車線の多い上り坂が続く。大型トラックや大型トレーラーがノロノロと登坂車線を上がっていることが多い。登坂車線でできる限り大型車を抜い行く。KSRUを積んだスパイクだが、意外と加速があったのには驚いた。

 このままトンネルを越えても良かったのだが、ふと十勝峠展望台が見えてきたのでそこに立ち寄る。以前から立ち寄ってみたかった場所なのだが、たいてい反対車線(日高→十勝方向)を走っていたので入りずらく、立ち寄ったことがなかったのだ。今回は日没直前でまだ景色が見える時間であり、また走りやすい十勝→日高方向車線だったので立ち寄ってみた。

 駐車場に車を止める。外に出る。

 

寒うぅぅ〜〜

 

 

 

 

展望台から見た十勝平野。

 かなり冷え込んでいた。そりゃ標高1000m近い場所なのだから当然と言えば当然だろう。寒さに我慢しながら撮影。この展望台からの十勝平野の眺めはかなり良い。が、あまりの寒さで早々に車に戻ったので、ゆっくりと眺める暇はなかった。今度は晴れた昼間に来てみよう。晴れた昼間であれば素晴らしい眺めとなるだろう。

 

 

日勝トンネルを越えると日高へ。(十勝側抗口を撮影)

 展望台を出発。先ほど抜いた大型車はすべて先行されてしまった。ほどなくして日勝トンネルに到着。トンネルを抜けると日高地方に入り、ここからは下りの2車線ワインディング区間となり、追い越しはできない。追い越し禁止ということもあるが、対向車が多いので事実上無理。数台の大型車の姿を前方に見ながら、長い車列について坂道を下って行った。 下りに入ってしばらくすると夜になった。まだ17時半過ぎなのだが、山中なので一気に暗くなってしまうのだろう。

 山間から盆地に入る。オービスを過ぎると山越えも終わる。ほどなくして道の駅『樹海ロード日高』に到着した。

◆北海道8湯目

 18時過ぎに道の駅に到着し休憩。土産物を買うなどして18時半過ぎに出発する。R237・R274交差点角にあるGSに入り給油。ここでの給油が北海道最後の給油となった。

 GSを出てR237に入る。R274とは違って交通量は少なく快適に走ることができた・・・・・のは最初のうちだけ。しばらく走ると前方にトラック数台が連なって走っていた。追いつくと一気にペースダウン。(;´∀`) 抜くわけにもいかず車列について走って行く。R237は夜もトラック街道となっていた。淡々と進むトラック群の後について約50kmほど夜道を60k/h前後で走り続けた。しかもノンストップで。おかげで最高燃費は23k/l近くになった。

 やがて日高富川ICに到着する。トラックはすべてが無料開放中の日高自動車道に入って行くので、そのままICを通過して富川の町中に入る。町中でR235に入ると走っている車がいない。鵡川の町中まで約10kmの間に先行車に追いつくこともなく着いてしまった。R237とえらい違いだった。

 鵡川の町中に入り、町中にある鵡川温泉に立ち寄る。ここが北海道最後の温泉となる。道の駅に併設されている温泉施設。

 ここの湯はナトリウム塩化物泉。内湯の広いタイル張りの浴槽に浸かると一気に疲れがとれる。露天風呂やサウナなどの設備もあって、これで入浴料500円というから安い部類だろう。宿泊施設もあり、晩に苫小牧東FTから北海道入りする時には便利な温泉だ。

 ただ休日ということもあって子供連れが多く、浴室内や施設内はさながら幼稚園のような状態になっていた。┐(´д`)┌

◆帰って来た苫小牧東FT

 温泉から出ると夕食を食べることになった。しかし鵡川温泉の食堂はすでに営業終了。町中の飲食店も軒並み営業終了とあってはどうしようもない。コンビニ弁当で済まそうかと思ったが、@嫁は強固に反対したため、苫小牧市街まで出ることになった。

 鵡川ICから日高道に入り苫小牧市街へ向かう。苫小牧東ICで下り損ね、そのまま有料道路区間に入ってしまった。苫小牧東JCTから道央道に入り室蘭方面に向かう。そして苫小牧西ICでr141(樽前錦岡線)に入りR36交差点へ。市街中心部から6kmほど離れた場所に出てしまったのでR36を戻ることになる。

 R36とr141交差点を間違えて左折してしまい、室蘭方面に300mほど走ったところで間違いに気付きUターンするというハプニングがあったが、21時半頃には苫小牧市街に入っていた。ところが何がどこにあるのか分からないので、結局は2日目に寄った回転寿司屋に入って夕食となった。

 

 

 22時前に回転寿司屋を出て苫小牧東FTに向かう。R36〜r259(上厚真苫小牧線)〜R234〜R235経由で日高道へ。苫小牧西IC経由よりもこっちの経路の方が早かった。厚真ICで下りて22時半頃に苫小牧東FTに到着した。FTにはすでにフェリー『すいせん』が接岸しており、大型トラックなどの積み込み真っ最中であった。

 FTの待機場にはかなりの数の車とバイクが集まってきている。バイクはざっと見ただけで20台近くあった。17日とはえらい違いだ。夜になって気温が下がったのか寒く感じる。風も強く体感温度はさらに低いように思える。そのため、ほとんどのライダーはターミナルビル内で乗船を待っていた。@嫁は先に乗船。@管理人はそんな寒さの中、車に積んであった雑巾で汚れたガラスを拭いていたが、それも早々に終わらせて車の中で乗船を待った。

 23時15分頃からバイク・車の乗船が開始。車両甲板に上がりスパイクを指定された場所に止める。これで北海道ともおさらばとなる。今年は特に思い出深い北海道となった。

 客室に向かう。復路も1等船室(洋室)である。今度は臭いのない部屋だった。23時40分、フェリーは定刻通りに苫小牧東FTを出港。暑い関西に向かって動き出した。

【本日の走行距離】スパイク:441km/KSRU:165km

2007年9月23日(日)【敦賀FT→大阪】

◆平穏な復路

 昨晩はすぐに寝てしまった。疲れていたのだろう、起きたら10時頃だった。外を見ると秋晴れの良い天気。絶好のツーリング日和だが、残念ながら海の上である。往路とは違って海は荒れておらず平穏そのもの。船は揺れていないので、@嫁は元気で船内散策に出かけたりしていた。

 

 

 往路と違って復路はやることが何もない。持ち込んだノートパソで記録をつくっていたりしたが、それもあらかた終わってしまうと、本当にやることが無くなってしまった。こうなると寝るしかない。17時頃から”夕寝”を決め込む。

 18時過ぎには目が覚めた。窓から外を見るとすでに日没後だった。向かいに町の灯りが見える。福井県の越前岬辺りだろ過?真っ暗な海を敦賀に向かって確実に進んでいる。

 目が覚めてからフェリーのレストランで夕食。昨年は注文制だったのが、今年は定食だけとなっていた。効率よく食事を提供するためだろうか?今回の旅、最後の夕食はフェリーの定食であった。

◆本州到着

 20時過ぎにフェリーは敦賀湾に入った。そして20時半頃にほぼ定刻通りに敦賀FTに接岸となった。その少し前に車両甲板が開放され、ライダーとドライバーならびに同乗者の移動が開始される。車両甲板に下りると、オイル臭の混ざる蒸しっとした独特の臭いに思わずしかめっ面になる。扉が開くまでの辛抱だ。荷物を入れるためスパイクの扉を開けるが、スパイクの車内もKSRUのオイル類の臭いで充満していた。(;´∀`)

 バイク組は急ぎパッキングを行っている。見ていて参考になるようなパッキングをしているライダーもいた。それにしてもバニアケース利用組が半数近くあった。ワンタッチで装着でき、なおかつ雨水の侵入を心配しなくて済むバニアケースは非常に便利だ。@管理人もバニアケースをZRX1100で利用していたりする。

 車両甲板は扉が開くまで締め切られた状態にある。なのにエンジンを掛けてアイドリングしているドライバーが多いのには腹がたった。考えろよ・・・。ヽ(`Д´)ノ 締め切られた空間で車の排ガスを吸うとかなり気分悪くなる。

 接岸してしばらく経ってからようやく扉が開いた。新鮮な空気が入ってくると同時に、蒸し暑い本州の空気が入ってくる瞬間だ。

本当に本州に戻ってきたのだ。係員の指示に従って下船。本州の大地に下りた。あとは大阪まで走るだけだ。

 

 

敦賀FTに到着。下船後、駐車場にて撮影。

◆旅の終焉

 20時45分頃に敦賀FTを出発。今年は湖西経由で帰って見ることにする。距離的には北陸道〜名神経由よりも短くなる。地道経由なの時間はかかるが、高速の通行料金が安くつくのも魅力的だ。

 R8〜R161で滋賀県へ。R161志賀BPがほぼ完成しているので、敦賀FTから1時間ほどで湖西道路に入ることができた。

無料開放された湖西道路だが、トラックと行楽帰りの(滋賀県以外の)他府県ナンバーの車が多い。遅い車がいても追い抜くことができないためペースが上がらない。これならば北陸〜名神経由の方が気が楽なように思えるが、高速代を節約するために我慢する。

 22時台だというのに何故か渋滞気味の長等トンネルを抜け、R1をほんの少しだけ走った後に京都東ICから名神高速に入った。敦賀FTから約1時間40分だった。京都南ICからすぐの桂川PAで休憩。あとは名神高速を西に向かって走り続ける。

 近畿道には入らずに豊中まで走って阪神高速へ。9月16日とは逆のコースを辿る。池田線から環状線へ。さらに松原線に入る。通天閣を見たときには「大阪に帰ってきた」といつも思う。そして駒川出口で下りると、懐かしい(?)いつも通る道路を走って自宅に向かった。

 23時30分、無事に自宅到着。@嫁と荷物を降ろしたあとガレージに移動。23時40分、スパイクとKSRUは無事にガレージに到着。KSRUは明日降ろすことにして、ひとまずガレージに車を入れる。そして23時50分頃に自宅に戻った。玄関を開けて足を踏み入れる。

 

これにて北海道ツーリング(ドライブ)終了。

 

【本日の走行距離】スパイク:166km/KSRU:0km

【北海道2007 終わり】

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