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◆2000年有珠山噴火

 1977年噴火から約23年後の2000年(平成12年)3月末に起こったのが『2000年有珠山噴火』である。20世紀最後の年、そして平成に入って最初の大規模な噴火となった。2000年3月27日から有珠山周辺では群発地震と地殻変動が観測され、火山活動が始まったことが明確になった。観測されてから4日後の3月31日午後1時10分頃、西山山麓でマグマ水蒸気爆発が発生。

 この時の噴煙は高度3200〜3500mまで達し、周辺地域に多量の噴石と火山灰が降下した。活動は4月に入ってからも活発となり、4月7日までの間に、金比羅山〜西山山麓にかけて30カ所以上の火口が形成された。

 噴火活動とそれにともなう地殻変動によって、温泉街や周辺地域では家屋倒壊や農地の消失などの大きな被害を被った。また噴火によって熱泥流が発生。洞爺湖に流れ込み、洞爺湖温泉街の一部が埋まってしまった。この時の泥流により、虻田町(当時)営の公衆温泉浴場が埋まってしまった。

 このとき形成された西山火口によって、国道230号線が消失。周囲の地殻変動や断層によりズタズタに寸断されて通行不可能となり、後に廃道となった。周辺道路にも大きな被害が出た。 本文の窪地もその1つで、実に70mも隆起したと看板に書いてあった。自然の力はすごいものだとつくづく思う。

 

 

◆散策路を歩く 一

 噴火から7年半ほど経っているが、今は安定期に入ったそうで噴火活動は見られない。噴火口から煙が出ているぐらいである。もっとも噴火活動の兆候があるのなら、近づくことすらできなかったであろう。

 2000年有珠山噴火による噴火口群一帯であるが、噴火からわずか1年半ほどした2001年(平13年)7月に西山火口散策路が整備され無料で一般開放された。噴火時の姿をそのままにしてである。

 バイクと車を駐車場に止めて歩いて見る。数軒の土産物屋がある散策路を歩いて行く。最初は砂利道だったが、やがてアスファルト舗装の道路になった。この道路がかつての町道泉公園線。1977年噴火の後、避難誘導路として整備された道路だそうだ。この元町道合流点から左側を見てみる。

 

 

 街灯や電柱はそのままで、付近一帯がそっくり池と化している。前述の通り、窪地となって水が溜まってできたもので、地元では西山火口沼と呼ばれている。

 対岸に見える赤い建物はかつての消防署(西胆振消防組合本部)。その手前にある「止まれ」の標識が道路同士の交差点であることを物語っている。そして水没している車が強烈な印象を与えてくれる。

 

 

 水没した車。ナンバーからレンタカーであることが分かる。調べたところでは噴火時に、制止を振り切って無謀進入した車だとか。運転していたのはマスコミ関係者。動きがとれなくなり乗り捨てられたそうだ。運転手と同乗者(がいたのかは不明)の大馬鹿野郎がどうなったかは知らない。もし亡くなっていれば報道されたはずだから、多分命からがら逃げたのだろう。相変わらず無謀なことをするものだ。

 近づいて分かったのだが、驚くことに車内から雑草が生えてきていた。何年かした木が生えてくるのかも知れない。自然の生命力はほんと凄いと思う。

 

 

 畔から町道に戻る途中で撮影した写真。下のアスファルトは元町道のもので、向こう側が隆起したのか、手前が沈下したのか分からないが、ご覧の通り上の路面との間には1m近い段差が生じている。元々、手前と向こう側は同一面にあったのだ。

 

 元町道の散策を歩き始める。元は車道なので、センターラインがひかれている。アスファルト歩廊の路面は波打っており、所々にあるアスファルトの亀裂から草木が伸びている。これでは車はもちろんのことバイクでの走行も難しい。廃道と化した旧道よりも酷い状態かも知れない。

 

 

 

写真を見てお分かりのように、散策路入口から火口へ向かうと上り坂になっている。

路面が波打っているので歩きづらい。

 

この場所というか、この上り坂、噴火前までは下り坂だったそうだ。Σ(゚Д゚;)

 

この道路の先で噴火口が形成されて地面が隆起。

そのためこの場所も隆起したため下り坂になったらしい。大地の力はほんま凄い。

 

 

 

 さらに進むとズタズタに引き裂かれた現場に到着した。地殻変動により動いた正断層群だとか。激しい大地の隆起により、地表が引っ張られて割れて落ち込んだ”地溝”も見られる。

 写真では分かりずらいのだが、奥の方でセンターラインが写真右側にずれているのが分かるだろうか? そして手前は写真左側にずれている。この地点を境にして地面が逆方向に動いたそうで、それにより路面がズタズタに引き裂かれた のだ。

 ここからは路面を歩けないので、枕木を並べて作られた『枕木ロード』を歩いて行く。沿道には折れて倒れた電柱があった。

今は雑草で覆われているが、かつては道路でもあったのだろう。

 

枕木ロードを歩いて行き、小高い所から見てみる。

 

 

 

 

先ほどの道路の延長上にあたる付近。

 

枕木ロードの左側にアスファルト舗装の道路があるはずなのだが、草に覆われた地面となっている。

 

廃道になったのでアスファルトを撤去したのではない。

ここは噴火口に近かったため、無数の噴石や噴泥が降り注ぎ道路を覆い尽くしてしまったのだ。

そして

7年の歳月の間に風化が進み、さらに表面に雑草が生えてきたのだ。

 

端にある制限速度50k/hの標識の付いた電柱が、ここが道路であったことを物語っている。

 

◆散策路を歩く 二

 

 

 散策路で噴火口近くまで近づくことができる。いくつか形成された噴火口の1つで、今も煙をあげている。今にも何か出てきそうな感じがしないでもない。

 このすぐ横にある噴火口(?)があった。よく見てもらうと分かるのだが、下の方にだらりとぶら下がった水道管がある。その上

方に重機のアームが見えている。断っておくが、噴火口の近くで工事をしているのではない。

 

 

 水道管は町道に敷設されていた水道管。説明看板によると、3月27日以来の地殻変動によって水道管が破裂したため、31日に水道業者が修理のため工事を行っている最中に噴火が始まってしまい、重機を放置したまま避難した現場だそうだ。現場は隆起して地熱帯になってしまった。重機は噴泥などに埋もれてしまい、わずかにアームだけが見えるだけとなった。

 この付近に道路があったはず。重機と水道管が唯一の手がかりとなるのだが、今はその痕跡は全く見ることができない。

 

 

展望台から見えた道路跡。

噴火で消滅した国道230号線である。

道路上に積もった噴泥などの上に草が生えており、道路の面影はない。

 

ガードレールと速度標識が残っているので、かつて道路であったことが分かる。

 

 

 

 

頂上付近の地面からは煙が立ち上がっている。噴気である。

 

噴火後、この付近一帯の地面では熱を帯びるようになり、

やがて温度約90度もの噴気を出す地熱帯となってしまったそうだ。

 

「シューシュー」と音を立ててあちこちで立ち上る噴気。

地面も熱い。

 

この付近は畑だったらしいが、このような地熱帯となってしまっている。

 

◆散策路を歩く 三

 頂上付近にある展望台に到着する。ここからは噴煙をふく火口の姿を見ることができる。南を見てみると、遠くには内浦湾が見え、その手前には洞爺湖町(旧:虻田町)の市街地が広がっている。火山のすぐ近くにまで市街地が広がってきているのだ。

 過去幾度と無く噴火を繰り返した有珠山。それを分かって生活しているので、住民の噴火や地震に対する意識は相当高いとのこと。

 噴火活動が始まった直後、周辺市町村では計1万人もの人達が避難させている。迅速にかつ、住民のパニックなども起こらずに順調に避難でき、被害も最小限に抑えることができた。これは噴火を経験した人が多く、住民の意識が高かったこと。また普段から児童への教育も行き届いていたこと、噴火の経験からハザードマップが作成されていたことなど、普段からの対策が功を奏したと言える。市街地近くでこれだけの噴火が起こっておきながら、死者『0』というのは世界に誇れることだろう。

 

 

 展望台から見た市街地。手前の巨大は穴は火口。活動はしていない。その向こうに崩壊した建物がある。地元銘菓の工場だったらしいが、噴火によってこのように倒壊してしまっている。よく見ると穴の斜面にはアスファルトが残っていた。この穴のある

所を道路が通っていたのだ。

 この付近が頂上となる。ここからは青緑色の柵に沿って進む散策路を下って南口に向かうことになる。

 

 

 

 

 

展望台から見えていた倒壊した製菓工場。

地面が波打っており、それによってめちゃくちゃに破壊されている。

 

元々は平坦な場所だったと思われるが、すぐ隣に巨大な火口ができて地面が

隆起したものだからたまったものではない。

 

まさかすぐ近くに噴火口ができるなんて、誰が予想し得たであろうか。

 

 

 

 

倒壊した民家。倒れた電柱。そして破壊されたアスファルト・・・

 

かつて人間の営みがあったことを物語っている。

 

これらは一瞬で破壊された。

 

今の文明社会が崩壊したら、こうやって朽ち果てていくのだろう。

 

 

 

 

 

???

 

小さい丘の上に何かある。

 

道路のアスファルトだ。Σ(゚Д゚;)

 

もともとは手前と同じ高さにあったのだが、

噴火活動によって断層が動き地面が隆起。

あの部分だけが約6mも隆起してしまったのだそうだ。

 

こうなっては車での避難などとうていできっこない。

徒歩でも難しい。

 

 

 

 

 

さきほどの隆起した道路のすぐ近くにある民家。

門とガレージだろうか。いびつな状態でゆがんでいる。

 

写真左側が火口寄りとなるので、そちら側が隆起したために

左の方が高くなってしまったのだ。

 

この付近の住民は、3月29日20時半頃に避難指示を受けて避難していたため、無事だったとのこと。

 

 

 

 

家の前に放置された乗用車。この家の車だろうか?

ガラスは割れさびており、すでに草木に埋もれていた。

 

なんでボンネットが開いているのだろう?

どう考えても車のボンネットを開けたまま避難することはしないと思うのだが。

そんなことをする必要もないし、している暇などないはず。

後に誰かが勝手に開けて部品を持ち去ったとしか思えない。ヽ(`Д´)ノ

 

 

 

 

車で避難しようとしたらエンジンがかからない。

ボンネットを開けてエンジンの具合を見る。

分からないまま時間切れ。そのままにして徒歩にて避難。

 

・・・ということも考えられるか。

それにしても不自然な放置の仕方である。

 

 

断層活動はこんな物まで地表に押し出してきた。

 

 

 

 

巨大なU字溝が逆になってできたのではない。

ボックスカルバード(函型管渠)と呼ばれる構造物。

地中に設置されるもので、小河川の道路横断部分、山間部の排水路、

公共下水道、共同溝、地下道等に使用される。

 

それが隆起によって7mほど持ち上がって地表に出てきたのだ。(;゚Д゚)スゴ・・・

 

 

 

 

 

このまま南に歩けば南口に出るのだが、時間の都合でここで引き返すことにした。

 

ボックスカルバードのあった付近から噴火口方向を見てみる。

 

廃墟と化した集落と道路。

それらを飲み込もうとする草木。

 

 

 

 

センターラインのあるアスファルトが元町道。

かつては平坦な2車線道が続いていたのだろう。

 

噴火活動は、ほんの数日で人間の造り出した物を破壊してしまった。

人間の造り出した物など、自然の前ではほとんど無力なのだ。

 

自然の持つ圧倒的な強さを感じる場所である。

 

是非とも訪れてもらいたい。

 

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