2006年10月21日(土)

◆信州へ!

 2002年(平14年)夏以来、約4年ぶりの信州ツーリングである。時間が限られ1泊2日だけなので今回は南信州を回ることにした。前日、仕事から帰宅したあと準備などをしていたため、寝たのは日付が変わった21日の午前1時頃。そして起きたのは4時半頃であった。3時間半ほどしか寝ていない。そしてガレージに向かい、早朝6時にZRX1100に乗って出発した。

 実はこの週初め10月16日(月)〜18日(水)はフェリー泊のみで0泊2日の四国ツーリングに出かけていた。そして週末は自走で信州に向かっている私がいる。こんな元気があったのかと自分でも驚いている。

 さて阪神高速を北上し、豊中JCTから名神高速に入る。早朝だが交通量は結構多い。多くは行楽客の乗用車だが、運送トラックの姿も目立つ。淡々と東に向かって走り、7時前に大津SAに入って給油。店員がいうには、日曜日ほどは混雑していないと言う。引き続き名神を東に向かう。8時前に養老SAに到着。この頃になると京都周辺からのツーリンググループのバイクが目立つようになる。今日は朝から快晴なので、絶好のツーリング日和なのだ。

 一宮JCTから東海北陸道にはいる。そして8時半には長良川SAに到着。出発前にコンビニで買ったおにぎりをやっと食べた。飛騨地方の紅葉が 始まっているとのことで、SA内には観光バスや観光客の車が目立つ。これの多くが北上してゆくのだ。

SAを出発。美並ICから北は対向2車線(片側1車線)区間となる。さらにトンネルが連続する区間に入る。途端に渋滞が発生。時々交差するR156を見るとガラガラ。美並ICからR156に下りて北上した方が気分的に楽だったかも知れない。

 ペースは落ちたが、東海北陸道を淡々と北上する。北海道を思わせるような風景が広がる

ひるがの高原付近を走っていたらやたらと寒かった。温度表示を見ると、なんと『8度』。朝の9時で太陽が昇って来ているのに一桁台である。それゆえ 朝昼の温度差が激しいためか、紅葉もピークを迎えつつあった。

 10時前に飛騨清見ICに到着した。大阪から約4時間である。郡上八幡辺りからR156〜R158を延々と走って飛騨高山にはしていた頃からすればすごい時間短縮だ。東海北陸道から中部縦貫道(R158)に入る。 部分的に開通している高規格道路の中部縦貫道を、開通している飛騨清見ICまで走る。あとはR158(地道)で高山市街に向かう。

 沿道にあるGSで給油。某宗教団体施設前を通り抜けてしばらくゆくと高山市市街に入った。R41との交差点を越え、観光客で賑わう市街地内を通り抜け、R361との交差点に到着したのは10時半頃であった。

【写真】高規格道路のR158を走って高山へ。

◆ローカル国道を行く

 今回のツーリングの目的であるR361走行に入る。R361は1998年(平10年)秋に初めて全区間を走破。その後、部分的に走行してはいるが、全区間の再走行は今回が初めてとなる。8年ぶりの再走行だ。

 R158交差点からR361に入る。道は2車線のローカル国道。淡々と山間の農村地帯を進んでゆく。やがて道は狭路となり山中に入って美女峠を越える。美女峠前後は悪路区間が続くが、この美女峠を越える区間がR361最後の悪路区間となってしまった。

 

 

 美女峠を越えると高山市朝日町(旧:大野郡朝日村)に入る。ウネウネした狭路を少し走ると、改良された2車線幅の高規格道路となった。道の駅『ひだ朝日村』で30分ほど休憩。下呂温泉にある某ホテルの営業の人と雑談。取り締まり情報を聞き出してから出発する。

 権現トンネルを越えると高山市高根町(旧:大野郡高根村)に入る。トンネルを出ると、R361の権現トンネル旧道と合流。無性に走りたい衝動にかられたが、今回は本道の再走行が優先されるので、ぐっと我慢して先を進む。高根第二ダムをすぎると、ダム湖沿いの2車線道に入る。町中を抜けると狭路区間が現れるが、高根第一ダムを過ぎて少し進むと改良された2車線の高規格道路になっていた。

 98年の時は、ダム湖沿いの区間は、小刻みなカーブが連続する見通しの悪い1車線狭路が延々と続きうんざりしたことを覚えている。今、その狭路は廃道・廃隧道・廃橋となり、バイパス道路である高規格道路とトンネルが山腹を一気に貫いていた。8年という月日の流れを実感する。高根第一ダム前後の区間も、バイパス工事が始まっていたので、何年か先には旧道となるのだろう。

 山中は紅葉が進んでいた。大阪ではまだまだ先のことなので、おおいに楽しませてもらう。やがて日和田高原に至ると、R361は高原を走る2車線ローカル国道となる。淡々と先を進む。晴れた週末ということもあり交通量が多い。

 やがて長峰峠に到着した。この長峰峠では名古屋から来たというライダーさんに会った。サイトを運営しているとのことでアドレスを尋ねておいた。ツーリング先でのサイトのアドレス交換というのは久々だった。

 ところで長峰峠は岐阜県と長野県の県境となる峠であるが、”高根”という名称が残ったものの、この峠までが高山市になってしまったのが腑に落ちないと思うのは私だけだろうか。

【上写真】のどかな農村地帯を行く。

【下写真】高根ダム湖を過ぎた山中は紅葉が進んでいた。

◆長野県へ

 長峰峠を越えて長野県木曽郡木曽町開田高原(旧:木曽郡開田村域)に入ったのは12時半頃であった。大阪を出発して約6時間半後には長野県突入である。早くなったものだ。長峰峠を越えてからしばらくの間はウネウネと急カーブが続いていたが、やがて平坦な2車線道となる。開田高原関谷地区にはミスプリントのR361標識があったのだが見あたらない。同じ区間を1往復半もして探したが、取り替えられたのか見落としたのか、ついに見つけることができなかった。8年も経つとさすがにね・・・。

 ミスプリントのR361標識をあきらめて先を急ぐ。やがて九蔵峠に至る。御岳の雄志を見ることができる峠だ。この付近まで来ると、数多くのバイクとすれ違う。ほとんどが名古屋ナンバー。開田高原は名古屋からであれば日帰り圏内となるので、やってくるライダーが多いのだろう。

 

 

 開田高原の名物でもある蕎麦でも食べようかと思いながら走る。しかし町中にある蕎麦屋さんは、どこも観光客が押しかけて行列ができていた。昼飯の時間帯に来てしまったのがまずかったか。開田高原での蕎麦は諦め、R361を木曽福島に向かった。

 地蔵峠を越えるR361旧道分岐点を過ぎてバイパス区間に入る。高規格の2車線道を快走し、地蔵トンネルを越えて木曽郡木曽町(旧:木曽郡木曽福島町域)に入る。2車線道を一気に走って、旧木曽福島町のR19交差点に到着したのは14時少し前のこと。ひとまずR361前半の走行を終えた。

【写真】九蔵峠から見た御岳。

◆地蔵峠旧道

 時間はまだまだある。今日のもう一つの目的を果たす前に腹ごしらえをしなくてはならない。市街地内のR361旧道調査もかねて、JR中央本線木曽福島駅前に移動。駅前にある蕎麦屋に入り、やっと蕎麦にありつけた。 店を出ると木曽福島駅に383系の特急『しなの』が入線してくるところだった。駅横に保存されているD51−775を見てから駅前を出発した。

 蕎麦屋を出ると旧道経由でR361に戻り、R361地蔵峠旧道の調査に向かう。 7kmほど戻ってから旧道に入る。この日は地蔵峠を越える街道を歩くハイカーが多かった。なのでカーブでは気を付けて走る。

 旧道は1〜1.5車線の道が断続する。いわゆる悪路区間。旧道となってからかれこれ10年ほど経過しているが、道路自体は整備されているところを見ると通る車があるということか。ウネウネと曲がりくねった狭路を走って地蔵峠に到着。峠のお地蔵さんは健在であった。  地蔵峠を越えてしばらくすると、御岳を見ながら狭路を淡々と下って行く。やがて平坦な道となり集落内へ。8年前の記憶を頼りに集落内を走って15時半頃にR36

1との交差点に到着し、地蔵峠旧道走行を終える。旧道の道自体はほとんど変化はな

かったが、旧道内にあった数本のR361国道標識は1本もなくなっていた。

【写真】地蔵峠にある『これより開田高原』の碑。

◆代山温泉『木曽宿』

 R361地蔵峠旧道走行を終え、R361をもう一度走ってR19に戻る。16時前であったが、朝6時からひたすら走って疲れていたので宿に入ることにした。宿はR19沿いにある温泉宿『木曽宿』。8年前のツーリングで温泉にだけ入りに来た温泉宿である。ところが見事に見落としてしまい、引き返してやっと見つけたという次第。16時に宿に到着。本日の走行はこれでおしまい。

 宿は昔ながらの温泉民宿。ギシギシと階段を上って2階の和室に案内された。荷物を置いてからさっそく温泉に入る。温泉は源泉から運んできているとか。源泉自体は13度なので沸かし湯となる。循環湯ということだが、かけ流しっぽい感じの湯船というか浴室だった。

 茶褐色の湯は”ナトリウム・カルシウム炭酸水素塩泉”(だったかな?)。出てからも体が温まるという泉質だ。浴室には私しかおらず、30分間ほど貸し切り状態で十分に温泉を堪能した。部屋に戻ると疲れから寝てしまい、夕食の電話が来るまで熟睡してしまった。18時過ぎに夕食。馬刺や山菜料理など木曽の宿らしい食事であった。

 食後、もう一度温泉に入った以外は部屋にこもり、ゴロゴロしてテレビを見る。隣の宿泊客が宴会をしていてうるさかったが、22時半以降は静かになった。23時過ぎに就寝。疲れからすぐに眠ってしまったのは言うまでもない。

【本日の走行距離:474km】

【写真】 宿泊した代山温泉『木曽宿』。残念ながら2007年(平19年)3月末で廃業したらしい。

2006年10月22日(日)

◆姥神峠を越えて・・・

 午前6時半まで熟睡していた。起きて窓の外を見ると曇っている。「今日は雨か?」とも思ったが、単にガスが出ているだけであった。「こういう日は晴れることが多いよ」という女将の言葉通り、9時前になると雲が切れて晴れてきた。今日も快晴だ。7時半に朝食を食べて出発準備。9時前に宿を出発する。今日はR361走行の後半。R19〜R153〜R152までの東半分の区間を走り抜けるのだ。

 R19に出て30分ほどでR361分岐点に到着。ここから姥神峠越え区間に入る。98年の時は川沿いを行く狭路であったが、今は改良されて立派な2車線道になっていた。しばらく走ると山間に立派なループ橋が現れた。2002年(平14年)12月に供用開始となったR361姥神峠道路だ。本来はR19付近まで高規格道路として建設される予定であったが、峠前後のトンネル区間だけが先に供用されている。

 ループ橋手前から神谷集落内を通る旧道を端点まで走って往復してから姥神峠道路区間に入る。高規格2車線道の立派な姥神トンネルを通り抜ける。以前のように奈良井宿経由(r493経

由)に比べると、あっという間にr493(県道姥神奈良井線)との交差点に到着した。

【写真】山中に現れたループ橋。R361姥神峠道路だ。

◆権兵衛峠旧道

 r493交差点からR361には進まずに、脇にそれてR361権兵衛峠旧道に入る。権兵衛峠旧道は権兵衛トンネルが開通する前の1998年(平10年)と2002年(平14年)に走っている。なので今回は3回目、旧道となってからは初めての走行となる。

 旧道は何度かR361権兵衛峠道路と交差しながら進む。権兵衛トンネル近くの現道との交差点までの風景は大きく変わってしまったが、交差点から先は以前の山中を行くローカル道らしい風景となった。 途中の冬季閉鎖ゲート付近までは狭い2〜2車線幅の坂道が続く。急カーブが連続する急坂なのだが、カーブには路面に黒々としたタイヤ痕が・・・。哀れ、R361権兵衛峠旧道は走り屋達の絶好のサーキット場と化してしまったようだ。バーストしたタイヤや脱落した部品が路肩に散乱する。事故って放置された車さえあった。夜間ならば誰も来ないと思って、好き勝手し放題に攻め走っているのだろう。いずれ夜間通行止め などの措置がとられるかも知れない。

 道はやがて1〜1.5車線幅の急勾配・急カーブが連続する悪路となる。悪路となるとタイヤ痕がなくなるのが不思議だ。連中もさすがに悪路で攻め走ろうとはしないようだ。ところが、そんな狭路を観光バスが走っていたのには驚いた。おそらく権兵衛街道を歩くイベントがあったらしく、その参加者を乗せてきたようだ。さすがに峠まで登ることはできなかったようで、途中の広場まであったが、広場には7台ほどの大型観光バスが止まっていた。

 ウネウネと狭路を走って権兵衛峠に到着。広場ではイベントの準備中だった。その権兵衛峠を越えると長野県伊那郡南箕輪村に入る。峠から1kmほど進んだ見晴台まで進んで、ここの展望

台からの風景を楽しむ。しかし別の観光客の一団が居て、これが騒がしいのなんの。自分たちだけの貸し切りと思ってか、好き勝手に騒いでいる。たまったものではない。風景を楽しむのもそこそこに、早々に展望台から立ち去った。

 予定ではこのままR361権兵衛峠旧道を進んで伊那市に下りるつもりだったが、見晴台から先は土砂崩れの復旧工事によって全面通行止めとなっていたため、来た道を引き返した。ちなみにR361権兵衛峠旧道にあったR361国道標識もすべて撤去されていた。

【写真】見晴台にて撮影。

◆R361権兵衛峠道路

 r493交差点まで戻って来たのは10時45分頃。1時間ほど権兵衛峠旧道を走っていたことになる。r493交差点を右折して、やっとこさR361権兵衛峠道路に入る。

 R361権兵衛峠道路は、伊那地方と木曽地方を結ぶ地域高規格道路『伊那木曽連絡道路』の一部として計画され、1991年(平3年)度に事業化された。権兵衛峠道路の難工事場所となった全長約4.5kmの権兵衛トンネルの建設に約8年半もかかり、トンネル前後の区間も含めて供用開始となったのは2006年(平18年)2月のことであった。事業化から約15年もかかったことになる。

 @管理人が初めて権兵衛峠を走ったのは1998年(平10年)10月のこと。その当時はまだ建設が始まったばかりで、高規格道路の基礎すら見あたらなかった。その4年後、2002年(平14年)8月に走った時は基礎ができあがりつつあり、大きく姿が変わったことに驚いた。そのさらに4年後となる今年(2006年)に訪れると道路ができあがり走ることが出来た。オリンピックではないが、4年ごとに来てみると道の変化がよく分かる。

 高規格道路だけあって、実に走りやすい2車線道を走る。短いトンネルを越えていよいよ権兵衛トンネルに入る。全長4470mの長大トンネルだが、つい先日の火曜日に走ったR194寒風山ト

ンネル(全長5432m)よりも短いのだ。

 ひんやりとするトンネルを80k/hぐらいで流す。対向車線を走るたくさんの車や観光バスとすれ違う。中央道から木曽方面に行く最短ルートなので、交通量は大変多いようだ。効果は絶大に違いない。

 権兵衛トンネルを出ると、高規格2車線道路のカーブ道を下り、r203(県道与地辰野線)との交差点に到着。『あっ』という間の移動であった。

【写真】見晴台から見たR361権兵衛峠道路。山腹に見える白い筋が権兵衛峠道路。

◆R361走破

 R361権兵衛峠旧道の伊那市側の状態を確認するべくr203を北上。やがてR361交差点に到着。伊那市側は標識は撤去されておらず現役国道のままのようだった。羽広温泉『みはらしの湯』近くまで走り、以前はなかった農業公園の駐車場で折り返す。その後は中央道伊那IC近くのGSまで下って給油し、再びr203経由でR361に戻る。

 

 

 ここからのR361は市街地内をのぞいて2車線道が続く。市街地内の狭路区間をクリアするとJR飯田線を越えてR153との交差点に到着。R361は天竜川を渡ってからは町を結ぶ2車線国道となる。交通量の多い道を10kmほど走ると、伊那市高遠町(旧:上伊那郡高遠町)市街に入り、R152交差点に到着した。これで2日に及んだR361走行を終える。

【写真】R361に戻る途中に寄り道。農道を走ってのんびりした風景を撮影。

◆分杭峠

 高遠からはR152を南下。道沿いにある道の駅『南アルプスむら長谷』で休憩する。時間はまだ12時過ぎ。時間に余裕があるので、R152を南下することにして出発する。ダム湖沿いの快適な2車線道を淡々と走るが、やがて1車線狭路の悪路区間に入る。すぐに急カーブ・急坂が連続する山道区間に入った。短い距離で標高を稼ぎ、まずは中沢峠に到着。峠では駒ヶ根に向かうr49(県道駒ヶ根長谷線)が分岐する。ここから1kmほど南に向かうと分杭峠に到着する。

 中沢峠から南の区間は、今から6年前の2000年(平12年)7月に初めて走っている。分杭峠で起きた大規模な土砂崩れから復旧した直後で、むき出しの格子状のコンクリで覆われた山の斜面が印象的だった。そのコンクリは今も健在だが、草木で覆われつつあったところに6年の歳月を感じる。

 R152の難所である分杭峠であるが、なぜか車が目立つ。あの狭悪路を多くの車が上ってきては、峠近くの駐車場に止めて観光客がどこぞへと歩いて行く。あとで知ったのだが、分杭峠は『磁場0』の地点らしい。それが体に何らかの影響を及ぼすとかで、あちこちから人がやってくるそうな。なんか新興宗教の聖地のような場所になってしまっ

た。以前のような、誰も訪れることのないひっそりとした峠に戻ることはないのだろう。そのうち土産物屋とか何かの施設が建つかもしれない。

【写真】分杭峠から北を見る。くぼんでいるところが中央構造線。

◆6年ぶりに・・・

 分杭峠を越えると再び1車線狭路の急坂・急カーブを下って行く。見通しの悪いカーブでは対向車に神経を使う。坂道を下り終えて谷間に下ると、北川露頭という中央構造線が見える場所の駐車場に到着する。この駐車場に入り、”転けていない”ZRX1100を撮影する。

 実はこの駐車場は、2000年(平12年)7月のツーリングでZRX1100に乗ったまま見事に転倒してしまった場所なのだ。木陰の路面が濡れていたので 泥だと思っていたいたら、実はそれが粘土で、後輪がスリップして 転倒してしまったのだ。たまたま近くにいたおっちゃんに助けてもらってバイクを起こすことができたのだが、1人だけだったらどうなっていたことか・・・。

そんな出来事のあった場所ゆえ、”転けていない”ZRXを撮影したのだ。

 北川露頭駐車場を出発してR152を下って行く。ここからは川沿いの谷間を進む1車線道が延々と続く。中央構造線に沿って進むらしいが、地中を通っているので見えるわけがない。途中、今にも崩れてきそうな地滑り現場で迂回路に誘導された。ところがこの迂回路がガレダートの急坂。ガレ場が苦手な@管理人にとって、この迂回路が今回でもっとも”ヒヤリ”とした場所であった。

 やがて下伊那郡大鹿村の中心地に近づくと、道は2車線道となり走りやすくなる。r22(県道)との交差点を左折。大鹿村大河原地区まで進んだところで引き返すことにした。地蔵峠を越えてR474経由で飯田に戻ろうとしたが、時間的な都合から断念したのだ。町中の旧道に静かに眠る、R256国道標識を撮影してからr22に戻り、あとはr22〜r59(県道松川インター大鹿線)経由で中央道松川ICに向かった。

【写真】6年前はここで転倒した。今度は転けていないZRXを撮影。

◆ツーリング終了

 県道を走って松川ICに到着したのは14時過ぎであった。ここから一気に大阪まで移動となる。中央道に入り一路名古屋へと向かうが、路面状態が非常に悪い。大型トラックが多いためだろう、路面はデコボコが多く轍のあとさえあった。バイクで高速走行すると、タイヤがとられて大変危ない。注意しながら走る。

 1時間ほどで小牧Jctに到着。東名〜名神と走り、15時45分頃に養老SAに到着した。ここで遅めの昼飯と長時間休憩。養老SAを出てからはゆっくりと走る。名神を淡々と西に進み、渋滞が始まりかけていた大津SA付近を通過して桂川PAに到着したのは17時半頃。このころになると日はすっかりと暮れていた。PA内は車と観光バス、そしてバイクで大混雑。絶好のお出かけ日和だったのだから当然か。

 PAを出る時に、PA内で休憩する覆面パトカーを確認したので、本線に出てからもゆっくりと走る。というか、ハイペースで走るような元気はなかったのだ。

 吹田Jctから近畿道に入る。ここまで来ると帰ってきたも同然だ。近畿道の渋滞につかまりたくなくて早めに帰阪の途についたのに、やはり渋滞につかまってしまった。渋滞区間をクリアし、阪和道にはいると流れは良くなる。そして岸和田和泉ICで下りて、@実家に到着したのは19時過ぎであった。

 今回のツーリングはこれで終わりではない。実家にZRXを置いて、必要な荷物だけをもって今度はKSRUに乗り換える。走り慣れた道を走って、自宅マンション近くのガレージに移動しKSRを収納する。マンションに帰り着いたのは21時過ぎのことであった。これで2日に及んだ突発的な信州ツーリングは無事終了。長い2日間であった。

【本日の走行距離:499km(ZRX)】

【本日の走行距離:27km(KSRU)】

【写真】松川ICから中央道に入り、大阪に向かった。

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