●四国縦断往復ツーリング2006 (2006.05.11〜13)

  今年もこの時期に四国に行くことができそうだ。今回の目的は四国縦断3ケタ国道のR441全区間走破とR439南端区間、そして去年走れなかったR440地芳峠の走破、松山の掩体壕調査など、道ネタ・軍事ネタ集めのツーリングである。

 GW明けの閑散とした平日を狙って計画を立てたが、今回の天候はあまり良くはなさそう・・・。雨雲は呼んでいないのだけどなぁ・・・。雨が降らないことを祈りつつ、現地に向かうことになりましたとさ。

 

 

 

2006年5月11日(木)

◆前途不安なツーリング

 2006年(平18年)のGWは快晴が続き、絶好のお出かけ日和が続いた。このままの天候が続くだろうと、GW明けに計画を立てていたあめふらし@管理人はほくそ笑んでいたが、いざGWがあけると天候不順に・・・。Σ(゚Д゚;)マジッ!? まるで梅雨のような天気が続いたのだ。ツーリング1週間ほど前の気象庁の予報でも週末は雨が続くとの予報であったが、案の定予報は変わって”曇り”や”曇り時々晴れ”ということになっていた。ただし大阪の天気であるが・・・。目指す四国の高知県は”曇り一時雨”となっていた。とやかく悩んでも仕方がないので、あとは天を運に任せて現地に向かうことにした。

 出発日の11日は、ZRXを取りに実家に向かった。キャリアとバニアケースを取り付けて自宅マンションに帰宅。出発前にネットで道路情報を確認すると・・・

 

『R439高岡郡四万十町(旧:大正町内)で土砂崩れ発生。全面通行止め。迂回路なし』

 

『R440 4箇所で時間通行規制(迂回路なし)』

 

・・・( ゚д゚)ポカーン

 

 R439のR380〜R197間が走れないとなると予定が大幅に狂う。R440もうまく通行可能時間に通過できる保証はない。ルートの再検討はフェリー内で行うことにして、時間が迫ってきたので大阪南港FTに向かった。前途不安なツーリングの始まりである。

◆大混雑@関西汽船

 今回は時間の都合から関西汽船を利用して松山入りすることにした。早朝に松山に到着する、南港〜別府航路の神戸・松山寄港便に乗船するのだ。

 南港FTに到着後、ターミナルで乗船手続き。今回は予約の段階で2等寝台はいっぱいとなっていたため、2等雑魚寝を利用することになった。GW明けの平日なので空いているのだろうと思っていたら、これが大きな誤算であることは後で分かることになる。

 21時出発なのでそれまで外で待つことになる。しかし出港10分ほど前になってもトラックが10台ほど残っている状態。積み込みに手間取っているようだ。出発予定時刻の21時になってZRXで乗船となるが、甲板では忙しそうにトレーラの積み込み作業が続いていた。

 最小限の荷物を持って客室甲板に上がる。指定された2等雑魚寝ルームに入るとすごい混雑だった。読みは完全にはずれた。(´・ω・`) 指定場所は一番通路よりの端。つまり寝ると右側は壁というか救命用具入れなので、片方(左側)の隣人だけを気にすればよいことになる。しかし扉に近いので夜中の出入りの度に扉の開閉音で目が覚める場合がある場所でもある。

 すでに隣人(中年夫婦の旦那)は毛布を引いて寝転がって漫画を読んでいる。私のスペースが少し狭いようにも思える。誰も来ないと思って不法占拠している模様。(゚Д゚)ゴルァ!! 室内を見渡すと、4〜5人のおばはんグループが大声を出して談笑中。どこぞの子供は他人の迷惑顧みずに走り回るか暴れている。すでに寝入ったおっさんからは大きな鼾も・・・。とてもじゃないが落ち着いて眠れない。

 受付に行って2等寝台のキャンセル待ちを申請。駄目だったらどこかの椅子で寝るつもりだった。神戸港を出港しないとキャンセルが出るかどうかは分からないとのことなので、神戸港まで我慢することにした。

 申請後にレストランで夕食を食べる。食事中もフェリーが動き出した気配は感じられない。思った以上に積み込みが遅れているようだ。結局フェリーは30分遅れの21時30分に大阪南港を出発した。

 騒がしい2等雑魚寝ルームに戻り、ルートの再検討を行う。最初はR440〜R439で南下して、R441で北上して松山に帰ってくる計画を立てていた。しかしこれでは時間通行規制のあるR440のクリア時間が全く分からなくなるため、先に通行規制がないR441を走って南下し、R439〜R440を北上することにした。今回も四国往復縦断となる。

 22時半頃に神戸港に到着。30分ほどしてから出港した。出航後に呼び出しがあった。2等寝台が空いたとのことなので、差額を支払って寝台に移動する。これで騒がしい雑魚寝ルームからおさらばだ。移動までに食事を終えていたので、あとは何もすることはない。寝転がってルートの再確認をし、23時半頃には早くも寝ることにした。明日が晴れることを祈って・・・。

【本日の走行距離:40km】

【写真】往路のフェリーは『あいぼりぃ』。関西汽船を利用するのは久々だ。

2006年5月12日(金)

◆晴れの松山

 朝の5時頃に目が覚めた。30分ほどダラダラしていたが起きて甲板に出てみる。天候は・・・

 

晴れ (・∀・)イイ!!

 

 東から太陽が上がっている。『くもり一時雨』という天気予報は完全に外れた。晴れたからには

時間を最大限有効に使って走ることにしよう。松山観光港入港が待ち遠しくなった。神戸港を出発してからフェリーは速度を上げて航行してきたようで、定刻の6時25分には松山に到着した。

【写真】松山入港前に甲板から撮影。雲が多いが晴れそうだ。雲が多いが・・・。

◆松山の掩体壕

 6時30分過ぎに早くも下船。荷物の固定具合などを確認してから松山観光港を出発した。まず向かったのが松山空港。正確には松山空港近くに残る掩体壕群である。

 現在の松山空港の前身は帝国海軍航空隊の松山飛行場。もともとはパイロット育成のための飛行場であったが、大東亜戦争(太平洋戦争)後半の1944年(昭19年)12月末に源田実大佐を司令官とする第343空が置かれた。「紫電」「紫電改」の戦闘機と偵察機「彩雲」を有する実戦部隊で、南方戦線を始め各地から歴戦のベテランパイロットを集めた精鋭部隊でもあった。

1945年(昭20年)3月19日の松山上空での米軍との空中戦で米軍機約50機を撃墜したのは有名な話。

 その松山飛行場に設けられたのが掩体壕と呼ばれる戦闘機格納庫。敵航空機からの攻撃から機体を守るためのシェルターである。偽装のために土を盛って木々を植えたりしたものもあった。松山飛行場の掩体壕は、2006年(平18年)現在で3基が残っているが、周辺は宅地開発が進んでいるため、いつ無くなるか分からない貴重な建築物なのだ。今回、早朝に松山入りしたのは、平日であるがゆえに通学・通勤が始まる前までに撮影をしておきたかったため。カメラを持った怪しいバイク乗りが住宅街をウロウロしていたら、警察に通報されかねないからね・・・(;´∀`)

 松山観光港から県道を走って松山空港近くの松山市南吉田町に移動する。朝の7時前であったが、通勤ラッシュが始まっており車の交通量が結構多い中を掩体壕を探してウロウロと走り回る。

 県道沿いにある2基の掩体壕を確認した後、住宅に囲まれた掩体壕を探し出す。畑の中の掩体壕は簡単に撮影できたが、さすがに住宅に囲まれた掩体壕は敷地内に入って撮影はできないので、道路上と裏の空き地から撮影。あと2基あったそうだが、その跡地がどこなのかさっぱり分からないため撤収することにした。ひとまずは目的の一つを達成した。

 今の日本の空港は、その多くが旧海軍か旧陸軍の飛行場を前身としている。周囲には無蓋・有蓋含めて多くの掩体壕が建設されたが、ほとんどは開発や老朽化などで撤去されている。このように空港近くに残る掩体壕は貴重な存在だが、建設後60年以上経過してしまった今日では崩壊寸前の掩体壕が多く、撤去されるのも時間の問題かと思われる。コンクリートや建築関係の研究者にとっては貴重な建築物なので、そういう意味合いで保存を検討してもらいたものだ。

【写真】 3基現存する掩体壕の一つ。これは後方の一部が破壊されているので完全な形ではない。

◆大洲へ

 朝の通勤ラッシュの中、松山市街を移動する。コンビニで朝食を購入した後、8時頃に松山ICから松山道に入り、R441が始まる大洲に向かうことにした。途中の伊予灘PAに入って休憩するつもりだったが、入り損ねたので大洲まで一気に移動する。ところが大洲に近づくにつれて空の様子が怪しくなってきた。松山付近は晴れていたのに、西に進むにつれて雲が広がってきたのだ。雨が降るような天候ではないのだが、気分的には嫌なものだ。

 松山から30分ほどで大洲に到着。R56に入って大洲市街に向かう。肱川(ひじかわ)を 渡っていると、右側に天守閣が見えた。大洲城である。

 大洲城は鎌倉時代末期に守護として国入りした宇都宮豊房が築城したと言われている。その後、何人か城主(藩主)が変わったが、17世紀初頭に加藤貞泰が入ると、加藤家が伊予大洲藩主を務めた。明治維新後の1888年(明28年)に老朽化のため天守閣が解体されたが、2004年(平16年)に当時の工法と木造建築でもって再建された。見えている天守閣は2年ほど前に再建されたばかりの天守閣なのだ。

【写真】R56肱川橋から見た大洲城。当時の工法で建築された木造の天守閣。

◆R441走行

 肱川を渡った市役所近くの交差点がR56とR441の交差点となる。この交差点を左折してR441に入り南に向かった。R441は愛媛県大洲市と高知県四万十市(旧:中村市)を結ぶ全長約112kmの3ケタ国道。昨年走ったR494同様、四国縦断国道でもある。

 大洲市街を抜けると、R441は嵩富川に沿って進むようになる。R56大洲道路と松山自動車道の立派な道路の近くを狭い2車線道で進んで行く。やがて川に沿って山間に入るとローカル国道となる。道幅も1〜1.5車線道となり、3ケタ国道らしい悪路区間に入った。しばらく狭路坂道を上り続けると、山中だというのに立派な2車線の道路と交差した。尾根近くを行く広域農道との交差点だ。センターラインのひかれた2車線道が農道でそれに交差する狭路が国道・・・。400番台の3ケタ国道らしい光景である。

 少し先で農道と合流したR441は整備された2車線道となって山を上り、白髭トンネルを越えて愛媛県西予市野村町に入った。トンネルから南のR441は一部に狭路の未整備区間があるものの、おおむね整備された2車線道となっていた。山間の農村をつなぎながら淡々と走って行く。路面が濡れているところを見ると、朝方まで雨だったようだ。空は曇り。いつ雨が降ってきても不思議ではない。(´・ω・`)

 西予市野村町市街で給油。しばらく2車線道を進み、桜が峠トンネルを出たところで右折すると山中を行く狭路に戻る。しばらく山中を走り土屋トンネルを越える。R441も他の縦断国道同様、

四国の深い山中を通り抜ける。ただ一番西に位置するので、標高も幾分低くて急峻な山道区間が少ないため、R494などと比べるとまだ走りやすい。クネクネした山道を下ると集落が現れる。あとは整備された2車線道となって一気に南下してR381と合流した。

 11時頃にR381沿いの道の駅『虹の森公園まつの』に到着。ここで松山市街のコンビニで購入したおにぎりなどをやっと食べる。空は曇っているが雨は降りそうにない。携帯で雲の流れをチェックすると、南西から北東に向かって雨雲が移動しており、高知県南西部では雨が降っているとのこと。その雨雲が昼過ぎから高岡郡地域にかかるようだ。これは少し急がないと。

 R381を東に進む。高知県に入り昔の西土佐村江川崎でR441は単独分岐して、四万十川に沿って南下して行く。このR381〜R56間のR441は、1996年(平8年)4月の四国ツーリングで逆方向(南→北方向)で走っている。そのころは国道走行には全く興味がなかった頃なので、詳細に記録をとったり写真を撮影していなかったので、やたらとクネクネした平坦な狭路が続く道という印象しか残っていなかった。

 北部の山岳区間と違い、江川崎以南の川沿いの区間は平坦な道が続く。旧中村市と宇和島市を結ぶ最短ルートに当たるため交通量が結構多い。そのため整備が進んでおり、未整備区間は

少ししか残っていなかった。

 R441は清流の四万十川に沿ってウネウウネと進むが、最後まで四万十川に沿って進むのではなく、途中で峠を越えて支流の岩田川沿いに出る。そのまま岩田川に沿って進むとR439との交差点に到着。最後はR439と重複したまま(旧)中村市街を通り抜けてR56交差点に到着。R441全区間走破と四国縦断(往路)を終えた。

【上写真】山中の狭路区間を行く。

【下写真】江川崎から南は四万十川に沿って南下して行く。

◆R439(その1)

 (旧)中村市に到着したのは13時頃であった。時間的にはちょうど良い時間で、良いペースで移動している。少しゆっくりしたかったのだが、R441を南下中に小雨が降っていたところがあったので早々に折り返すことにした。復路はR439で高岡郡津野町まで北上するのだ。

 R439の全区間走破を行ったのは1997年(平9年)5月末のこと。以後、部分的に再走行はしているが、(旧)中村市のR56交差点〜R381〜津野町のR197交差点までの区間は走っていない。この区間は約9年ぶりに走ることになるのだ。

 市街を過ぎてR441との交差点を過ぎて岩田川を渡る。そこから北はのどかな農村地帯を進む快適な2車線道が続く。「こんな道は与作(よさく=R439)ではない!」と思いながら走る。9年近く経過しているので整備された区間が多くなったのは当然と言えば当然だ。

 やがて住次郎トンネルに至る。9年前は工事中だったように記憶している。このトンネルを抜けてしばらく進むと、道は突然狭路となり、路面にコケが生えた1車線悪路の続く本来のR439になった。これぞ与作。これぞ四国の悪路だ。9年前に撮影した同じ場所に出る。全く変わっていないので、同じようなアングルで撮影する。

 R56〜R381間には杓子峠という難所がある。この峠を越えるバイパスが建設されるという話を聞いたのだが、建設が始まったような様子は見られない。これから準備を始めるのだろうか?あとしばらくの間は峠越えの1車線狭路が残るわけだ。

 国道とは思えない1車線幅の狭路が延々と続く。ウネウネと曲がりながら、やがては勾配のきつい坂道となった。路面は荒れてコケが生えていたりする。雨上がりの後でスリップしてしまうような場所もあるので、慎重に進んで行く。

 14時過ぎに杓子峠に到着。峠付近では時間通行規制で工事が行われているという話であったが、工事現場は止められることなく簡単に通過できた。交通量が少ないからか、たまたま規制が必要な作業をしていなかっただけなのだろうか?

 峠を越えるとかつての大正町に入る。今度は下りのウネウネした狭路坂道を下って行く。雨は降っていないが路面は濡れている。スリップしやすい狭路なので、狭路区間が終わり平坦な2車線道に出たときはホッとした。2車線道になってからほどなくしてR381との交差点に到着。『東の京柱峠、西の杓子峠』というR439の難所をクリアしたのだ。

 ちなみに杓子峠の狭路区間では、すれ違った車は2台だけで、追いついたり追い抜かれたりした車は0であった。

【写真】この付近は9年前と変わっていなかった。9年前に撮影した同じ標識を撮影してみる。

◆R439(その2)

 R381交差点角にある道の駅『四万十大正』で少し休憩の後に出発する。R381から離れて(旧)幡多郡大正町内を北上する。R381から北側の区間は檮原川とその支流である北川に沿って進む区間。川の流れに沿ってウネウネと進む。R439に入ってすぐの区間は、9年前は川に沿って大きく迂回したが、今はショートカットするようにトンネルによる高規格道路のバイパスに切り替えられていた。この区間も快走道に変わったのかと思ったが、4kmほど走ると以前の平坦な1〜1.5車線の狭路3ケタ国道に戻った。

 さてこの区間のどこかで土砂崩れによる通行止めが行われているとのことであった。R381交差点にはそのような看板はなかったので突入してきたのであるが、現場直前になってやっと現れることがあるので心配であった。やがて路面に土砂を撤去した跡と土砂崩れの跡が残る現場に至った。どうやらここが土砂崩れ現場らしい。応急処置で通行可能な状態にまで復旧させておき、後日から本格的な工事に入るようだ。なんにせよ、通行可能な状態で助かった。

 津賀ダムを過ぎるとダム湖沿いを延々と北上する。部分的に高規格道路のバイパス区間が現れることもあったが、ほとんどは見通しの悪い小刻みなカーブが連続する平坦な狭路が続く。

 9年前はあまりの単調さで眠たくなった記憶があるのだが、今回はハイテンション状態が続いているようで疲れも感じられない。道の状態もさることながら、上空にかかってきた雨雲が気になっていた。少し急いで走ることにしようと思っても、9年ぶりに走る区間なので撮影やら何やらでどうしてもペースが上がらない。たぶん気が焦っていたのだろう。というよりも、おそらく壊れていたのだろう。( ゚∀゚)アヒャ・・・

 やがて高岡郡津野町に入るが、ここに来てついに雨が降り出した。小雨でやむだろうと思っていたが、進むにつれて本降りになった。こうなると撮影する気はあまり起こらない。とにかくR197目指して先を急ぐ。そして16時過ぎ、R197との交差点に到着した。これで予定してたR439走行を終えた。

【写真】この区間のR439はこんな感じの平坦な狭路が続く。

◆地芳峠

 続いて今回3本目の3ケタ国道走行となるR440走行に向かうべく、R197檮原へ向かって走り出す。当別峠を過ぎれば雨はやむかと思ったが降り続いている。16時40分頃に檮原の町に到着すると、雨は小降りになっていた。しかしこれから越えようとしているR440地芳峠を見てみると、峠は見事に雨雲がかかっている。給油のため、R440交差点近くのGSに入って店員に聞いてみると、こういう日は峠はガスが出ていて視界がかなり悪くなると言う。かなり危険なので走るのはやめておいた方が良いとのこと。地元の人が言うのだから間違いないだろう。走るのを断念する。昨年に続いて、今年もR440地芳峠を越えることはできなかったのは残念だ・・・。(´・ω・`)

 となると、松山に向かうルートを検討しなくてはならない。檮原からだと大洲に出て松山に出るのが一番早い。GS店員もいつもそうして松山に出ているという。なのでR197を大洲に向かうことにした。

 R197を西に向かう。R197は整備が進んでおり、快適な2車線道が続く。R439での鬱憤を晴らすようなペースで走った甲斐があってか、大洲には17時半頃に到着した。気が付けば途中で雨もあがり、大洲は朝と同じような曇り空であった。雨が降ったのは檮原町〜津野町にかけての山中だけだったようだ。

 R197に入るときに着た雨具を脱ぐのは面倒だったので、グローブだけ通常グローブに変える。R56大洲道路に入り、そのまま松山道に入った。夕方だったので交通量が多かったが、流れがあるのでそれなりのペースで走ることができた。18時に伊予灘SAに到着。雨具を脱いで小用を終えると無性に寝転がりたくなった。人目を気にせずに芝生に寝ころんだ。ここまで休憩なしで走ってきたので致し方ないか。

◆とんかつパフェ

 伊予灘SAで30分ほど休憩した後に走り出して松山を目指す。松山ICで下りて市街に入ると、夕方のラッシュ時だった。渋滞気味の道路を走り、清まるというトンカツの店に到着したのは19時前であった。わざわざ寄ったのには訳がある。この店には名物の「とんかつパフェ」というトンカツが入ったパフェがあるのだ。

 店内に入るとあちこちから取材が来たようで、芸能人などのサインがそこかしこに飾られている。席に着き、さっそく「とんかつパフェ」を注文。空腹だったのでご飯とスープも一緒に注文した。実はおかずのつもりでパフェを注文したのだが、パフェはあくまでもパフェだった。トンカツが入っているとはいえ、あくまでもデザートであった。ご飯とスープが主食で、パフェがデザートということになってしまった。

 さて、その「とんかつパフェ」であるが、食べる前は油っぽいものだと思っていたのだが、実際に食べてみるとトンカツ自体にはサクサク感があってクリームとあいまって全く違和感なく、ふつうの

パフェとして食べることができた。ふつうのパフェにあるコーン(?)となんら変わりがない。あっという間に平らげた。(゚д゚)ウマー

 なお、どこぞの某店と違って、食べ物を愚弄する奇妙奇天烈大百科のようなメニューばかりではない。ユニークなのはパフェとケーキなど一部のメニューぐらいで、ふつうのトンカツがメインであるであることを記しておく。夕食としてトンカツを食べたい時も気軽に入ることができるお店である。

「とんかつパフェ」。コップの水は指を洗うためのも

の。飲用ではない。

イチゴ・リンゴ・キーウィなどと共に”とんかつ”が盛

りつけられている。

”とんかつ”にクリームや果物をのせていただく。

予想外なことに合っていたりする。

◆熟睡@関西汽船

 『清まる』を出てから道後温泉に向かうが、温泉の周りでZRXを止めるところがなかったのでスルーしてしまった。適当に走ると歓楽街(というか風俗街)に入ってしまったが、呼び込みの人もバイクには声をかけない。当たり前か。そのまま道後温泉街をあとにした。

 松山市街をウロウロして走っていたら、伊予鉄古町駅近くの踏切に出てしまった。古町駅は知る人ぞ知る”鉄スポット”の一つであるが、すでに日が暮れていたので撮影せずに踏切を渡って去ってしまった。古町駅と大手町駅はいずれ機会を作って来ようと思う。

 r19(県道松山港線)〜R437と走って、最近開通したr19高津トンネルを抜けると、あっという間に松山観光港に着いてしまった。以前のr39(県道松山港内宮線)経由と比べるとかなりの時間短縮が図られている。このバイパス効果は絶大だ。

 松山観光港に到着したのは20時であった。乗船する関西汽船のフェリーが到着するまで2時間半ほどもある。近くの温泉に行こうかと思ったが、これも中途半端な時間となるのでFT周辺で時間をつぶして待つことにした。こんなことなら、まだ出発を待つダイヤモンドフェリーを選択すれば良かったか。

 神戸六甲FT行きのダイヤモンドフェリーと九州小倉行きの関西汽船の小倉松山フェリーを見送ると、やることがないので待合室でひたすら待機となる。うつらうつらしている間に乗船手続きが開始されたので手続きを済ませる。22時過ぎにやっとフェリー『にしき』が到着。乗船すると最小限の荷物を持って2等寝台へ。帰りは2等寝台を確保できていたのだ。

 荷物を置いてレストランで夕食を済ます。「とんかつパフェ」だけでは腹は満たされなかったのだ。食後、風呂に入り疲れを癒す。寝台に戻ると何も考えずに寝転がった。そしてすぐに意識がとんだ。R439とR441の3ケタ国道だけの四国縦断ツーリングは予想以上に疲れたようだ。

【本日の走行距離:418km】

【写真】松山観光港に到着した関西汽船フェリー『にしき』。

2006年5月13日(土)

◆最後は雨。そして仕事へ・・・

 午前5時過ぎに目が覚めた。ダラダラしてから起きて荷物をまとめる。フェリーは神戸経由大阪南港行きなので南港まで乗船すればよかったのだが、それでは仕事に間に合わないため、神戸で下船して仕事場に向かうことにしていた。

 午前6時50分頃に神戸六甲FTに到着。下船すると雨だった・・・。昨日の雨が追いついてきたのかどうかは分からないが、昨日に引き続き雨具を来て走ることになる。ツーリングの最後で雨とはついていない。(´・ω・`)

 雨の中、フェリー乗り場で記念撮影してから出発。すぐに阪神高速湾岸線に入り大阪方面に向

かう。雨の高速道路なので速度を落として慎重に走る。なにしろ後輪タイヤがすり減っているので、継ぎ目が怖いのだ。何度かスリップしたように思う。本格的な雨であったが、どうにか助松出口まで走りきる。あとは地道を走って実家へ帰り、バイクを置いて着替えてから仕事場に向かった。余韻に浸る暇もなく仕事という現実に引き戻されたのだ。

 それにしても昨年に引き続き、今回もR440地芳峠を越えることができなかった。地芳峠というかR440とは相性が悪いのか?これは是非とも 再挑戦しなくてはならない。

【本日の走行距離:49km】

【写真】六甲FTにて。最後の走行は本格的な雨の中となった。

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