◆北海道旅行2003

 2003年(平15年)9月〜10月にかけて沖縄県渡嘉敷島に長期出張していました。例年、この時期は長距離ツーリング(主に北海道)に出かけていたのですが、今年はそれは出来ないため8月下旬にツーリングを実施することにしていました。

 今回は東北を中心とし、津軽半島と下北半島を回ったあとに北海道に上陸。苫小牧から帰阪という計画を立てます。計画ではわずかに2日だけとなりますが、とりあえず今年も北海道に渡ることが出来ます。

 ・・・が、それだけでは消化不良状態となることは明らか。ならば帰阪後の10月下旬に渡道することにします。(^^)\(_ _;) この頃は夜間凍結や積雪も有り得る季節なのでバイクでの渡道は危険。日程もあまりないことから、飛行機で渡道してレンタカーで道内を移動することにして北海道旅行を計画。2回目の沖縄出張から帰阪してから6日後には北に向かうことに。

 はい。2003年2回目の北海道です。

旅行期間>>2003年10月30日(木)〜11月2日(日)

2003年10月30日(木)

◆空席の女満別便

 朝6時半に起床。朝から快晴の秋晴れ。絶好のツーリング日和。近くの駅から空港バスに乗って大阪空港に向かいます。朝の通勤ラッシュの阪神高速を抜けて、大阪空港には10時過ぎに到着。今月、なんと4回目の飛行機利用のための空港訪問です。あめふらし@管理人にとっては、飛行機を利用するために一月に4回も空港に訪れるのはすごい珍しいことなのです。

 手続きを終えてチェックイン。今回利用するのはJAL619便。貴重 となりつつあるJAS時代のレインボーカラーのMD90型に乗り込む。JASはJALに統合されたので、いずれはJALカラーになるか耐用年数を過ぎて運航から離れるのでしょう。

 今年は沖縄がブームだとかで、北海道へ向かう旅行客は減っているとか。10月末の平日ということもあってか、JAL619便は空席が目立っていた。席は7A。かなり前方の席だった。

 11時25分JSL619便は離陸。伊丹上空を旋回しながら高度を稼ぎ、やがて北東に進路を向けて北海道へ向かう。30分ほど飛行すると、窓の外というか下には信州の山々が見える。山々

はすでに茶色くなっており、標高の高い山の頂上はもう雪化粧をしていた。一瞬見えた山は剣岳でしょうか。やがて雲が広がり風景が見えなくなったので寝ることにする。

 目が覚めると機は太平洋上を飛行していた。やがて陸地が見えてくると、ほどなくして釧路沖から北海道上空に入る。北海道の山々と平地はすでに茶色くなっており、もう晩秋となっている。しばらく飛ぶと美幌郊外の酪農地帯上空へ。上空から見ても美幌の酪農地帯の風景は良いものです。

 13時20分頃、JAS619便は女満別空港に無事着陸。先週は沖縄で、今週は北海道。日本を縦断しております。はい。

【写真】大阪伊丹空港で待機するJASカラーのMD90型。

◆生まれ変わった美幌峠

 女満別も快晴だったがかなり寒く感じる。それもそのはず、気温は12度で大阪よりも5度ほど低く、沖縄の半分の気温なのだ。しかも風が強かったので余計に寒く感じたようだ。マツダレンタカーでレンタカーを借りていったん空港に戻り、空港ターミナルにあるラーメン屋で昼飯。1200円もする名物の『オホーツクラーメン』を注文。バター味の汁とエビやらホタテやら海の幸が山盛りのラーメンで、十分満腹になった。(゚д゚)ウマー

 14時半頃に空港を出発。美幌市街には向かわず、道道と農道をウロウロ走り始める。いきなり放浪癖が出たようだ。空港から離れると酪農地帯に入り、広大な牧場や畑の中を走る。あちこちにある木々のほとんどは紅葉が終わり落葉しており、すでに紅葉のピークは過ぎて いた。そんな中、カラ松は紅葉のピークを迎えていた。

 なぜウロウロしたかというと、実は着陸直前に飛行機の窓から感じの良い木が見えたので、撮影したくなって探したのだ。だが結局どこにあるか分からないので探すのを断念。女満別を去ることにして南に向かった。

 R243に出てから弟子屈方面に移動。20分ほどで美幌峠に到着。すると以前建っていた木造の土産物屋はなくなり、道の駅『ぐるっとパノラマ美幌峠』という小綺麗な建物になっていた。個人的には以前の木造建物が良かったのですが、これも時代の流れか。昔は店に設置されたスピーカーから、大音量で美空ひばりの『美幌峠』が流されていて、くるたびにうんざりしたものだったが、それも昔の話となってしまった。建物が変わったのでそれもなくなったかと思ったが、別の場所に歌が流れる歌詞を彫った石碑が作られたので、歌が流れ続けており相変わらず騒がしく情緒のない峠のままであった。┐(´ー`)┌

 さて、着いたのは15時過ぎ。観光客の姿はまばら。風が強い中、展望台まで行き記念撮影したのち峠を離れ、弟子屈へ向かう。その途中にコタン温泉公衆浴場に立ち寄る。無料露天風呂ではなく屋内風呂に入とすでに先客が。全く知らない人でしたが、温泉談義で盛り上がる。公衆温泉はこういうことがあるので楽しいのだ。温泉から出たのは16時過ぎ。陽は暮れかけていた。この時期は陽が暮れるのが早いのだ。

 黄昏時の中、国道ではなく美留和へのショートカット道を経由し、17時前に定宿である民宿『ましゅまろ』に到着した。

【写真上】女満別の近くで撮影。空の色が晩秋っぽい。

【写真下】強風の中、美幌峠に登り撮影した屈斜路湖。

◆『ましゅまろ』1泊目

 今日は他にお客はいないそうなので、宿のオーナー夫妻と娘さんと一緒に夕食をいただく。民宿に泊まりに来たのではなく、オーナー夫妻宅に遊びにお邪魔したというような感じだ。この宿には1998年(平10年)のツーリングからお世話になっている。どことなくのんびりして落ち着けるので、以来年1回はバイクかレンタカーでやって来て宿泊している。今年で5年目となる。よく続くなぁ。

 晩の談話タイムで、宿のオーナーといろいろ話す。今年は夏の天候が悪く、ライダーの数は例年の半分ぐらいだったとか。北海道をツーリングするライダーの数自体が減っているのも時代の流れなのだろうか。そうそう、沖縄土産で買ってきた『まぐろジャーキー』は大変好評でした。 

2003年10月31日(金)

◆道東横断(往路)

 この時期の北海道は寒い・・・。早朝は氷点下だったとか。( ゚Д゚)サムー 朝7時起きると快晴。7時半頃にオーナー一家と朝食をとる。娘さんは7時半頃に家を出て学校に行く。夕方の日没時間が早く、学校が終わってから遊べないので朝早く学校に行って友達と遊ぶとか。早い子は朝7時頃には登校してくるとか。この辺りの子供はみんな早寝早起きなのだろう。

 さて今日は道東を一気に横断して、日本本土最東端である納沙布岬に向かう。朝9時頃に宿を出発。弟子屈市街に出てR243へ。あとはひたすらR243を淡々と走る。道東は広い。どこまで進んでも同じような風景が続く。思い出したように町が現れるが、その間は酪農地帯や畑のみで民家はない。その中を直線道路が貫いている。周囲に何もない直線道路が続くので、速度を出して走りたくなる衝動を抑える。『ねずみ取り』と覆面パトを警戒して70k/hぐらいで走り続ける。するとまぁ、地元車に抜かれる抜かれる・・・(^^;)。軽自動車にも抜き去られた。まぁいいや。抜きたい人は抜いてくれや・・・。

 地図で見るとすぐに着くと思っていた厚床に着いたのは10時半過ぎ。R44に入ったのは宿を出てから1時間半ぐらい経過していた。意外と遠いのですな。R44も『ねずみ取り』が多い道で有名。R44に入ってからも速度を出さずに70〜80k/hで淡々と走る。

 11時頃に道の駅『スワン44ねむろ』に立ち寄り休憩。風蓮湖の南岸にあり、湖にはたくさんの白鳥が羽を休めている自然が一杯の場所だった。しばらくしてから道の駅を出てR44を淡々と東に向かう。快晴ということもあり、知床半島がくっきりと見える。一番目立つ山は羅臼岳か。国後島も島影も見えます。ほんと近くて遠い北方領土です。

 11時半過ぎに根室市街を通り抜ける。快晴の青空の下、岬に向かうr35を反時計回りに走る。左側には草原、右側には太平洋が広がっている。時折思い出したかのように町を通り抜ける。歯舞とか色丹という地名だったが、北方領土から引き揚げてきて来た方達が作った町なのだろうか。

 東に向かって走っていたのが北を向くと岬も近い。巨大な展望台が見えてきて、12時頃に納沙布岬に到着した。

【写真】快晴の風蓮湖。たくさんの白鳥が羽を休めていました。

◆納沙布岬

 観光シーズンから完全に外れた時期に、しかも平日に来たので納沙布岬は閑散としていた。駐車場には観光バスの姿はなく、乗用車の姿は少ない。休業なのか閉店したのか分からないが、土産物屋も半分近くはシャッターを下ろして閉まっている。

 納沙布岬には1998年9月に訪れている。それ以来なので実に5年ぶりの再訪だ。『日本最東端の碑』で記念撮影。ここからでも北方領土の一部である、水晶島・貝殻島の島影がはっきりと分かる。ここと対岸の島との間は、無理矢理国境の海峡にされてしまっているのだ。望遠鏡で見てみると、貝殻島に建てられた露西亜国境警備隊の監視所や無線塔、レーダー塔などがはっきりと見えた。日本固有の領土である島々を勝手に占領してのこの仕業。腹が立ってくる。(゚Д゚)ゴルァ

 前回は訪れなかった『北方館』に入ってみる。 ここでは北方領土問題についての歴史的経過や背景について、パネルなどで解説してくれている。少しは詳しく知っているのだが、改めて資料を見てみると大国の都合だけで決められてしまったような気がしてならない。何を言っても所詮は『敗戦国』ということか・・・。ヽ(`Д´)ノ

 果たして北方領土は私が生きている間に返還されるのだろうか?択捉島に『日本最東端の碑』が建つ日がくるのだろうか?

根室近辺の標識にはロシア語表記の案内もあり

ました。さっぱり分かりません。

納沙布岬に到着。先にあるのが納沙布岬灯台。

北海道最古の灯台らしい。

鈴木食堂の前に展示されていた流木。なんとなく

生き物に見えます。

◆続々制覇。最東端

 『北方館』を出た後、日本最東端の灯台となる納沙布岬灯台に向かう。正確にはこの灯台の先が「日本本土最東端」の場所となる。実際に一般の日本国民が訪れることが出来る「日本最東端」の場所は、最果ての地という雰囲気が漂う断崖絶壁の場所。人1人が立つだけのスペースしかない。古い明治時代にでも建てられた石碑が残っている。これが正式な『最東端の碑』だろうか。

 北海道の大地は、徐々に先細って岩となって海中に没している。この先に歯舞諸島があるのだ。まさしく「最果ての地」である。難破船まで用意してある・・・・・・・・。

難破船?(;゚д゚)ハァ?

 冗談ではなく岩場に漁船らしき船が座礁して放置されていた。あとで聞いたところでは、これは難破した露西亜国の漁船で、撤去する費用がないために放置されたままになっているという。どうしてくれるのだ? ヽ(`Д´)ノ 早いところ撤去してもらいたいものだ。

 灯台に戻る。灯台周辺にあるものは、ほとんどが「日本本土最東端の●●●」になる。灯台を

筆頭に、「日本本土最東端の漁港」「日本本土最東端の電柱」「日本本土最東端のアスファルト舗装の切れ目」「日本本土最東端のダート道」などなど。それらを見て回り、その中の一つである「日本本土最東端の食堂」である『鈴木食堂』に入り昼食とする。

 この店は1998年に来た時、入りそびれた店だ。なので5年かけてようやくここで昼飯を食べることが出来る。さっそく「生サンマ丼」を注文。わさび醤油がかかったサンマの刺身がのった丼はめちゃくちゃうまかった。 ヽ(゚∀゚)ノ 花咲カニが2匹ものった「ノサップラーメン」にも惹かれたが、さすがに2100円もするので諦め、代わりに「花咲カニの鉄砲汁」を注文する。花咲カニの入った鉄砲汁だ。これがまたうまい。ウマ━━━(゚∀゚)━━━!!!!!

 最東端の地で食を堪能した後は土産物屋で記念品を買い、モニュメントを見て駐車場に戻った。

【写真上】岬に打ち上げられたロシアの難破船。情緒台無し・・・。

【写真下】豪華な昼飯。ごちそうさまでした。

◆花咲岬

 納沙布岬を出てr35を西に進み根室市街に戻る。根室市街南西にある花咲岬に行きたくなり、そちらに車を向ける。その途中、「日本最東端の駅」であるJR根室本線東根室駅に立ち寄った。ここも98年9月に訪れているのだが、『日本最東端の駅』の碑が駅前に建てたれたぐらいで、駅はそのときとほとんど変わっていなかった。時刻表を見て、あと20分ほど早く着いていれば列車ごと撮影できたことを知る。惜しいことをした。

 JR根室本線に沿って走り、途中で花咲港へ向かう道に進む。町の入口付近で岬に向かう道に入ると、あとは道なりに南に進みほどなくして岬に到着した。どん突きは駐車場となっている。車を止めて遊歩道を歩いて行くと灯台に着く。ここからは花咲港が一望でき、さらには太平洋を見渡すことができる。ここが花咲岬である。

 灯台から階段を下りると波打ち際まで下りることが出来る。その途中には国の天然記念物である「根室車石」がある。放射状に広がる直径約6mの車型をした巨大な玄武岩 だ。これがでかい。巨大な岩石の表面には見事に放射状に筋が入っていた。自然の芸術です。

 海岸一帯は岩場になっていた。今日は晴れているが風が強く波もある。岩場には大波が当たっていたので下まで下りずに途中で引き返したが、岩場近くの遊歩道には8名ぐらいの小学生が遊んでいた。引率の教師もいるようだが、ロープにつかまるなど遊んでいる。大波が押し寄せているのに・・・。波しぶきに濡れてはしゃいでいる子供もいる。さらわれるかも知れないのに、実に危険

な光景だった。そう思うのはよそ者の私だけであって、彼らにはいつものことなのだろうか?

【写真】花咲岬の「根室車石」。自然の芸術です。

◆道東縦断(復路)

 花咲岬を出たのは14時頃。まだ昼過ぎなのだがすでに太陽は傾き始めており、大阪の16時頃のような感じだった。これから霧多布岬に行こうかと思ったのだが、遠いのでやめにして宿に戻ることにした。

 花咲の町中に出て海岸沿いに進む。r780に出て根室半島の首の部分を縦断してR44に出る。あとは来た道を引き返すだけ。淡々とR44を西に向かう。往路に休憩した道の駅『スワン44』に立ち寄る。前を走っていた遅いトラックにうんざりしたためだ。無理に抜かずに休憩して間を置くことにする。

 厚床に戻りR243へ。このまま同じ道を走るのは面白くないので、別海町で国道から離れて酪農地帯の道に入り込む。広大な酪農地帯を走ると実に気持ちよくなる。出来ればバイクで走りたいものだ。

 この途中で別海町にある『新酪農村展望台』に立ち寄る。高さ10mほどの鉄骨製展望台だが、別海町の酪農地帯をぐるりと一望することが出来る絶景ポイントである。 展望台には誰もいないので貸し切り。風が強い中、しばらく道東の酪農地帯の景色を眺める。

広々とした大地は本土離れしており、見ているだけでも気持ちが良い。ヽ(゚∀゚)ノ

 15時半過ぎに展望台を後にする。R243に入り弟子屈に向かって西に向かうが西日がきつい。 16時前だというのに太陽がこれほど傾いているとは思わなかった。北だけあって日の入りが早いのだ。

 R243はほとんど直線が続き、どこまで行っても同じ風景が続く道路を淡々と走る。ずっと単調な運転が続くので、だんだんと眠たくなってきた。やばい。意識がもうろうとしてきて判断スピードが鈍り始めた。気を引き締めたり、窓を開けたりするが一時しのぎにしかならない。R272との交差点を過ぎると眠気はさらに強くなった。こりゃどこかで止まって休憩しないといけないと思いながらも止まらずに走り続ける。危険な状態だ。

 虹別の町を越えてr850との交差点を越える。この付近まで来ると限界に近い状態になりつつあった。と、そのとき後から来た車がかなり危険で強引な抜き方で私の車を抜いて行った。これにカチンと来た。頭に血が上り、大人げないがその車を追いかけて同じような抜き方抜いた。これで目が覚めた。こういう時は多少乱暴な運転をした方が良いのだろうか??

 R391に入ると交通量が増えた。弟子屈市街も近い。宿には戻らずに、市街に入り市街のどこかにある公衆温泉浴場を探す。弟子屈は温泉の町でもあり、役場近くでは湯気がもうもうと出るぐらい湯量豊富な温泉町なのだ。それゆえ期待していたのだが、市街を30分ほど走り回っても温泉は見つからない。こりゃあかんと温泉を諦めて『ましゅまろ』に戻った。

【写真】展望台から見た道東の風景。西日が強いので修正してます。

◆『ましゅまろ』2泊目

 今晩も他に宿泊客はいない。昨晩と同じくオーナー夫妻と食事をする。食後、どうしても温泉に行きたかったので場所を聞いて公衆温泉に向かった。目指す摩周温泉『泉の湯』は市街地ではなく市街の外れにあった。どうりで見つからないはずだ。『泉の湯』は銭湯のような感じの公衆温泉浴場。湯は少し熱めだ。広々としておりゆったり出来るお勧めの温泉である。

 宿に戻ったのは21時前。宿のオーナー夫妻といろいろと話し、日付の変わった1時頃にお開きとなり就寝となった。

2003年11月1日(土)

◆阿寒へ

 朝7時頃に起床。今日も朝から快晴だ。起きるとやたらと寒い。それもそのはず早朝の弟子屈は氷点下5度まで下がったそう

だ。本日の北海道最低気温地だったのだ。北海道はもう冬である。( ゚Д゚)サムー

 朝食後、荷物をまとめて車に積む。宿の玄関前で宿夫妻と娘さんと一緒に記念撮影したのち、10時前に出発 。弟子屈市街に出てR241に入る。途中で農道に寄り道してカラ松の紅葉を撮影したりして淡々と進んで行く。途中で工事通行規制にひっかかったが、順調に阿寒へと向かった。

 R241沿いにある双湖台展望所に立ち寄ると、公衆トイレは既に閉鎖されて土産物屋も閉まっていた。冬季による閉鎖だろう?この日は、晴れた青空の下、 パンケトウとペンケトウが綺麗に見えた。

【写真】展望所からみたペンケトウ。北海道の形に見えることで有名。

◆阿寒湖

 双湖代展望所から20分ほど走ると阿寒湖に到着した。オフシーズンということで、一大観光地である阿寒湖は閑散としていた。昨年来た時のように混雑していていればパスしようと思っていたのだが、閑散としているので立ち寄ることにする。 今日は落ち着いて散策できるだろう。

 阿寒湖温泉街の駐車場はどこも有料。路駐するわけはいかないので、2時間500円の駐車場に車を止める。駐車場から歩いてすぐの所にある阿寒湖遊覧桟橋に行ってみるが、遊覧船は出た直後だった。次便まで1時間近く待たなければならないので諦めて温泉街へ向かう ことにした。

 桟橋の近くにある土産物屋に たまたま入ってみると、「まりも茶」というこの店オリジナルのお茶が売っていた。昆布茶なのだが、お湯を注ぐと昆布が丸くなって「まりも」のようになるという面白いお茶なのだ。この丸くする技術が凄いらしい。見た目は毬藻そっくりの昆布茶。おみやげにちょうど良いお茶だ。

 店の人に、近くに公衆温泉浴場の場所を教えてもらい早速向かう。湖岸の遊歩道を歩いて阿寒湖観光汽船本社桟橋に出る。このすぐ近くに阿寒湖温泉公衆浴場『まりも湯』があった。お湯は少し熱めだ。ここは源泉かけ流しの温泉ということで温泉の質は良い。管理人のおばちゃんも親切で話し好きで居心地良く、思わず長居しかけてしまった。

【写真】桟橋から見た雄阿寒岳と阿寒湖。良い天気。

◆阿寒湖散策

 温泉から出た後、近くにある「エコミュージアム」に向かう。熊や鹿などの剥製が展示され、阿寒湖一帯の自然について分かりやすく資料やパネルで説明してくれている。阿寒湖やオンケトー、パンケトーの生い立ちや森の変移の様子も事細かに説明されており、生い立ちがよく分かるようになっていた。展示室の床は阿寒湖を中心とした航空撮影写真となっていて、一目で周辺が分かるようになているのも面白い。ここは面白い。阿寒湖湖岸を散策する前には是非とも訪れることをお勧めする。

 ちなみに、床の写真にR241の旧道が写って いたのに気が付き、つい床を歩いてルートを確認してしまった。変なところで「道活動」してしまった管理人。我ながら何してんだろ?(;´∀`)

 ミュージアムを出た後、湖岸に向かう 遊歩道を歩く。湖岸に着くと雄阿寒岳を別の角度から眺めることが出来る。 湖岸にはボッケと呼ばれる泥火山がある。なんか温泉のような感じでボコボコと泥が湧いている。80〜100度もあるそうで、周辺は硫黄の臭いが漂っていた。

 しばらくしてから森林の中を通る遊歩道に入る。約1km近くの遊歩道には人の姿はなく、1人で歩いて行く。倒木が腐りコケが生え、そこから幼木が育ち始めている。世代交代が行われている。いずれ巨木になるのだろう。他にも寒さで水が凍って割れた木などいろんな木の姿を見ることが出来た。 町中にいるとまずお目にかかれない自然の姿だ。

 森林の中を歩いていると、いろんな動物の鳴き声が聞こえるのだが姿は見えない。人が来ると隠れてしまうのだろう。そんなことを考えながら歩いている途中で、何気なく木の上を見ると蝦夷リスが木の実をかじっているのに気が付いた。大変愛くるしい姿だ。もうすぐ冬ごもりなので食べておかないとならないのだろう。さらに蝦夷鹿の雄とも遭遇。距離にして10mぐらい先に居た。こちらをじっと見ているが、やがて興味を無くしたのか安全視されたのか、やがて山奥に消えてしまった。

 散策道を出るとお稲荷さん横に出た。手を合わせてから温泉街に下りて昼飯にする。とある食堂に入って、「ワカサギの天ぷら定食」を頼むが、山盛りのワカサギの天ぷらが出てきたのには驚いた。この天ぷらでおなか一杯になり阿寒湖を後にした。

エコミュージアム奥にあるボッケ付近の湖岸から

雄阿寒岳を眺める。

阿寒湖湖岸にある自然遊歩道。のんびりと自然

を感じながら歩いて行きます。

鹿発見!ヽ(゚∀゚)ノ ハケーン! 雄のようです。しばら

くこちらを見ていましたが、やがて消えました。

★阿寒湖畔エコミュージアムセンター

 1968年(昭43年)に開館した阿寒湖ビジターセンターを全面改装し、2002年(平14年)にリニューアル・オープンした施設です。世界有数の規模を誇るカルデラ(火山陥没地形)と、湖沼や深い森、豊かな自然に囲まれた阿寒湖一帯の自然について、いろいろな資料をもとにして分かりやすく解説してくれています。阿寒湖に訪れたときは、まずはここを訪れましょう。

■阿寒湖畔エコミュージアムセンターHP

北海道釧路市阿寒町阿寒湖温泉1丁目1番1号

電話:0154−67−4100

>>開館時間:午前9時〜午後5時

        (6/16〜9/20は午前9時〜午後7時)

>>休館日:毎週火曜日(祝祭日の場合は翌日)・年末年始/7・8月は無休

>>入館料:無料

>>アクセス

 弟子屈・帯広方面からR241、釧路・北見方面からはR240でアクセスして下さい。

◆北海道無休憩横断

 阿寒湖を出たのは14時半頃。すでに陽が傾き始めている。今日は美瑛まで移動することにしているのだが、こう陽が暮れるのが早いと気分的に焦ってしまう。

 R241をひたすら走る。山中は紅葉が盛りを迎えている。『ましゅまろ』のオーナーから、最近R241でも取り締まりをしているということなので用心して走る。15時半頃に足寄に到着。R242〜R274経由で士幌に向かう。R273三国峠経由で向かおうかと思ったが、R38狩勝峠経由で富良野から美瑛に入ることにした。R39の渋滞を警戒したからだ。

 直線区間の多いR274を走る。地図上では短いと思っても、実際に走ると大変長い。変化の少ない風景が続くので眠たくなる。河東郡鹿追町からr133〜r75経由でショートカットしてR38に出る。あとはR38をひた走ることになる。

 狩勝峠を越える頃には陽が暮れてしまった。17時少し前なのに日没である。北の大地の日暮れは早い。峠から西の区間は夜間走行となる。予定してたよりも遅れた時間に峠を越えたので、少しペースを上げて走行する。遅い車とトラックがいたので安全な場所で追い抜く。その先にある道の駅『南ふらの』で休憩しようと思ったが、先ほど抜かれた車・トラックに抜かれるのが嫌だったので休憩せずに通り抜ける。

 このまま快調に進めるかと思ったが、樹海峠から大型トレーラーを先頭にトロトロ運転の車列が発生していた。前には4台ほどの車がおり、また対向車も多いことから抜くに抜けない状況となった。気が付くと後には10数台の長い車列が発生していた。50k/hぐらいまでに速度は落ちてしまった。気が焦るが仕方ない。

 R237交差点を過ぎても大型トレーラーを先頭に長い車列はダラダラと進んでいた。さらにトレーラーの前に遅い車が加わり、

40k/hぐらいまで落ちてしまった。さすがにトレーラーもこの車には参ったようで、トレーラーがこの遅い車を追い抜いた。これをきっかけに遅車は路肩に寄って止まったので追い抜いたのでペースは少し上がった。この後、トレーラーもようやく広い路駐帯に寄って止まった。トレーラーがいなくなると走行ペースが一気に上がり、70〜80k/hぐらいに上がった。詰まっていた物が取れて流れが良くなった排水管のようだった。

 富良野のR38・R237交差点に18時頃に到着。ここを右折してR237を北上する。裏道を走ろうかと思ったが、すでに周囲は真っ暗だったので、国道を走った方が早く着くと判断しそのままR237を走り続ける。美瑛までの約25kmは信号も多い区間だったが、流れは良く淡々と走り続けて25分ほどで美瑛に到着した。

 いつもの交差点を左折して坂道を上り美瑛の畑の中を進み、民宿『星の庵』には18時半に到着した。夕食にぎりぎり間に合った。ほっAA 阿寒湖から約4時間20分。一切休憩なしの横断行であった。

◆星の庵

 1年ぶりの『星の庵』だ。待望の新館は完成していた。思えば納屋が有った頃から来ていたのだ。納屋が無くなり新館の基礎ができ、年ごとに建物が出来上がる様を見ていたので感動ものである。基礎と水道・下水道・電気関係以外は全てオーナー夫妻の手作りだというから凄いものだ。

 新食堂で夕食の後、21時頃からランプの下での談話タイム。差し入れに持ってきた『まぐろジャーキー』はここでも好評だった。建物が変わっても星空は変わらない。天の川もはっきりと見えた。新『星の庵』も居心地の良い宿であった。

【写真】11月2日に撮影。新館が完成した『星の庵』。長かったなぁ・・・。

2003年11月2日(日)

◆朝の散策

 寒さで目が覚めた。朝6時に起きて宿の周囲を散策する。 今日の天候は快晴で、十勝岳もはっきりと見ることができた。「マイルドセブンの丘」まで歩く。気持ちが良いので、その先の丘の上まで歩いてしまった。丘から見ると、収穫が終わった茶色い畑と紅葉したカラ松や木々、肥やしとなる色とりどりの花などで色彩豊かな綺麗な風景が広がっている。実に気持ちの良い風景だ った。

マイルドセブンの丘。タバコの宣伝で使用された。

この木を見に観光客が押し寄せる。

こちらは「PHSの木」(だったかな?) 道が舗

装されてしまったのが残念。

その先にある木。こちらは名前はないようだ。

道がダートだった頃は良い景色だったのに・・・

11月始めだったが、まだ色彩豊かな風景が残って

いた。

ダート区間まで歩いてみた。美瑛にはダート道

がよく似合うと思うのですが。

しばらくするとここは白一色の世界になってしま

う。

◆千歳へ

  朝食後、ダラダラしていたがさすがに今日は帰阪しなくてはならないので、『星の庵』を10時半過ぎに出発する。昨晩同じく宿に泊まっていた人に千歳への裏道を教えてもらう。このルートなら昼過ぎには千歳に着くことができるだろう。

 美瑛のマイポイントで撮影してから裏道で富良野に抜ける。車がほとんど走っていない信号のないルートなので、気分良く富良野まで出ることができるのだ。ただ良く分かっていないと迷ってしまうので晩は走らない方が良い。

 富良野からr135で富芦TNを抜ける。TNを出たところで遅い車がいたので抜こうとしたら、3台ぐらい後から4WDが無茶な追い越しをかけてきた。よほどイラついていたのあろう。私の車もあっという間に抜いてしまったが、一瞬後ろに無理矢理割り込んだことに腹を立てたのだろう、後の車が猛追して行く。あっという間の出来事だった。無茶な運転をする人がいるもんだ。

 R452を走り道道に入り、やがて三笠に到着するが教えてもらったルートを見失う。しばらくウロウロしたのち、やっと道を見つけて進み出す。国道や主要道道を走らずに夕張郡栗山町に入る。r45を一気に南下して夕張郡長沼町からR337の数本隣の農道(?)に入る。交通量の少ない道で、トラックの姿もない。快適に走ることが出来るルートだ。おかげで千歳市街には14時頃に到着した。なるほど確かに早いルートでした。

◆帰阪

 予想以上にかなり早く千歳に着いてしまった。どこかに寄れば良かった。あちこちうろつくにも時間が中途半端になるので、15時半頃にレンタカーを返却して空港へ移動する。空港内をブラブラしてラーメンを食べたりしたりしたが、それでも時間が余った。今回はもったいない使い方をしているような気がする。

 18時頃に搭乗手続きを行い、18時20分頃にJAL578便に乗り込んだ。18時35分、JAL578便は新千歳空港を離陸。北海道とおさらばだ。(´・ω・`)ショボーン

 飛行機は一路大阪へ向かう。飛行中は爆睡。気が付くと大阪南部上空を飛行していた。20時半、JAL578便のB747は無事に大阪空港に着陸。早いねぇ・・・。

 少しひんやりした北海道と比べると、暖かい感じのする大阪。こちらはまだ秋の初めというところ

だろうか。空港からはバスで自宅近くの駅まで移動。自宅に到着したのは22時過ぎだった。短いようで長い旅は終わった。

 これで今年の旅行は終わった。思えば9月〜11月にかけて日本列島を南北に行ったり来たりしていた。ほんとよく移動した2003年でした。さて、来年は北海道に行けるかなぁ・・・。

【北海道旅行2003 終わり】

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