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波照間島日記【前編】

波照間島散策〜原チャリ編〜/波照間島散策〜雨の中の原チャリ編〜/『あんえい号』再び/石垣島

石垣市街散策/帰宅・・・/帰宅後の出来事

波照間島散策 〜原チャリ編〜

◇波照間の子供達

 昼寝から目覚めたのは14時過ぎ。もそもそと起きて原チャリを借りようとしましたが、宿の人は出かけているようで商店は鍵が掛けられていました。(注24)  仕方ないのでまた集落内を歩くことにしました。沖縄らしくあちこちにハイビスカスの花が咲いています。

 日本最南端の小学校と幼稚園を見てブラブラと歩きます。空はまだ曇っていますが、雨が降る様子はありません。集落内をブラブラしていると、学校帰りの小学生と出会いました。彼にとっては見知らぬ私ですが、「こんにちわ」とちゃんと挨拶してくれました。

 もちろんこちらも挨拶を返します。ツーリングなどで地方に行くとよくこういう光景に出会います。

『人に会ったら挨拶し挨拶を返す』というのは彼らのルールなので、それに答えてやらなくてはなりません。中にはあかんべぇする悪ガキもいますけど・・・それは愛嬌ってことです。

 子供達を見ていて1つ気が付いたことがありました。日本本土でもそうなのですが、田舎の子供は都会の子供に比べると目が輝いているし純情です。波照間の子供達はなおさら目が輝いています。都会の子供達は、やれ塾だの習い事だので心が枯れて行き、目がだんだんと曇って行くのでしょうね。残念なことです。

 周囲が自然に囲まれているということも大きな要因でしょう。住む環境で違いがこんなに差がでるのです。自然が少ないけど生活するには便利な街中で暮らす都会の子供と、自然の中でおおいに遊べる田舎の子供。どちらが幸福なのかは比べるまでもないでしょう。

 といっても、これはあくまでも都会の子供として育った『作り人』の一意見。田舎の子供には彼らなりの意見があり、都会の生活に憧れているかも知れませが・・・

(注24)『星空荘』は隣接する『仲底商店』が経営されています。レンタサイクルやバイク、食事や宿代の精算などは全て『仲底商店』で行うのです。

◇波照間ツーリング

 15時頃に宿に戻ると、宿のおとーちゃんが帰っていたので原チャリを借りることが出来ました。波照間島は自転車で回るのが良いのですが、時間がないので原チャリで回ることにしたのです。普段はKSRUやZRX1100に乗っている私ですが、意外なことに原チャリには乗ったことがありません。

 出してきてくれた原チャリはHONDAのLead。原チャリに乗って、出発しようとスタータを押したのですがエンジンが掛かりません。『なんで?』と思い、もう一度やっても掛かりません。おとーちゃんが掛けた時は簡単に掛かったので、壊れてはいないようです。5回ほどトライしましたが全く掛かりません。

 いらち(注25)の私は、早々と『これは壊れているに違いない』と結論づけました。キックペダルがあることに気付いたので、キックペダルを踏んだらようやくエンジンが掛かりました。以後、エンジンを掛けるたびにキックペダルを踏み続けたのでした。ブレーキレバーを握らないとスタータは働かないということに気付いたのは翌日のことでした・・・ 

 いつもはバイクに跨って乗っているのですが、原チャリは足を揃えて座るように乗るため、めちゃくちゃ違和感を感じました。ところで習慣というのはすぐに出るモノで、無意識に左レバー(つまりはブレーキ)を引いて左足が動いていたりするのです。低速だったので転けなかったのですが、慣れるまではちと不安でした。

 借りた原チャリですが、どうも安定が悪いのです。最初は慣れていないからだと思ったのですが、30k/h以上を出すと前輪が暴れ出すのです。これは危ない。停めて前輪をチェックしてみると空気が抜けておりタイヤがふにゃふにゃ状態になっているではあ〜りませんか。それでも

20k/h以下ならばどうにか安定して進めるので、そのまま乗って行くことにしました。小さい波照間島ですから、そのくらいの速度で十分でしょう。

 給水塔の前を通って採石場(?)の近くを過ぎて2車線の道に出ました。ここで位置を見失いました。『ここはどこ?』と途方に暮れる私。集落の東にある波照間空港に行こうとしたのですが、北に向かっていたのです。小さい島なので2車線の道を走っていれば着くだろうと思い、外回り(時計回り)で走ることにしました。

 行けども行けどもサトウキビ畑のみ。集落を離れるとな〜〜〜んにもありません。街灯などないために陽が暮れるとバイクで走るのは危険です。

 のんびりと走っていると道近くの草むらに白い物体が数体居るのに気が付きました。原チャリを停めて見てみると山羊でした。大人・子供含めて20匹ぐらい居ます。先ほども山羊の親子を見たのですが、波照間島は山羊の島と言ってもいいぐらいに山羊がいます。

 原チャリに乗ってゆっくり走り出すと、その山羊が一斉に動き出しました。柵の中にいるので道路に出てくることはないのですが、『めぇ〜めぇ〜』と鳴きながら迫ってくる山羊の大群の姿は壮観です。

 わらわらと集まってくる山羊たち。よく見るとほとんどが雌のようです。母山羊を追いかけるよう

に子山羊も付いてきます。やがて柵越しに見ている私の前に集結し、一斉に鳴き出しました。『なんかくれぇ〜〜』と言っているようなのですが、上げるモノはありません。

 しばらく観察していると、1匹が鳴き出すと他の山羊もつられて鳴き出しているのに気が付きました。右写真がその一場面。奥の茶色い山羊が鳴いたら手前の山羊が

つられて鳴いているのです。この後、回りの山羊も鳴き出しておりました。

 山羊の群に別れを告げて先を急ぎます。やがて波照間空港の滑走路の照明灯が見えて来たのですが、どの道を通って空港に行くかが分からず、しばらく走っていたら見覚えのある高那崎

への道との交差点に出てしまいました。どうやら空港を行き過ぎてしまったようです。戻るのも面倒だったので昨日に引き続き最南端の碑を訪れて写真を撮り、近くの星空観測タワーも写真に撮っておきました。

 このまま帰るのもなんだったので、島の西側にある西浜(いりはま)に行くことにしました。途中で島の南にあるペムチ浜に寄ろうと思い、ダートの道をふにゃふにゃタイヤで無事に通り抜けて行きます。しかし海岸に下りる所が分からず断念。走って来た2車線道が行き止まりになり、再び現在位置を見失ってしまいました。

 波照間島の形は簡単に表現すると横に長い楕円形です。標高は島の縁から中心に向かって高くなって行きます。島の東西はなだらかな坂で、南北は急な坂なので方向を見失っても坂の勾配で方角はだいたい分かるのです。集落は島の中心にあるので、迷った場合は坂を上って行け

ば自動的に集落に着くことになります。

 このことを宿のおとーちゃんに教えて貰っていたので、早速坂道を上り始めました、南北方向の道なので急勾配です。登りきると宿の近くに出てきました。なるほど、教えて貰った通りでした。

 集落内に着いた時間が16:30頃だったので、西浜に行くのをやめて波照間灯台に向かいまいた。普通灯台と言えば海岸沿いにあるのが当たり前なのですが、船からよく見えるようにということで、波照間灯台は島中央の一番高い所に立てられています。灯台の近くにはDocomoの中継アンテナも設置されています。これも島内全てをカバーするために、島の一番高い所に設置したためです。おかげで最南端の島でも携帯が使えるようになったのです。最南端の地でも電波は3本立っていました。(注26)

 少し話が逸れました。宿に戻ったのは17時頃。もうすぐ陽が暮れる時間です。日本最南端のガソリンスタンドで給油して原チャリを宿に返しました。結局、今日の昼からは原チャリでサトウキビ畑の中を走っていただけでした。

(注25)いらち:大阪弁(泉州弁)で『気が短い人』とか『怒りやすい人』という意味。大阪南部の人はこの傾向が強いようです。

     運転を見ていたらよく分かります。

(注26)『作り人』の携帯はDocomoなので問題はなかったのですが、他の会社は入るかどうかは不明です

◇波照間の夜

 この日の晩は、波照間に来るときに同じ『あんえい号』に乗っていたねーちゃんと入れ替わりに、同じ便に乗っていたチャリダーさんが泊まりに来ていました。ダイバーさん2人と私は連泊。他に1人旅の女性も泊まりに来ていました。食後はダイビングの話しで盛り上がり、その後私の部屋でチャリダーさんと2時間ほど話し込んでいました。三重から来たチャリダーさんはオフライダーでもあり、自転車でチベットにまで行ったという強者の方でした。

 この日の晩の星空観測タワーへのツアーは、空が曇っているのと参加者が私以外にいなかったので中止となってしまいました。う〜む、残念・・・。

 22時頃に外に出てみました。驚いたことに集落は寝ていました。真夜中のように静かなのです。波照間島では22時以降は夜中だということです。

 22時と言えば都市ではまだ宵のうち。道を車が行き交い、塾通いの小学生が帰宅を急ぎ、コンビニでは中高生がたむろしています。街中にはまだ人が溢れ、そこかしこで店の照明やネオンが光輝いています。都市に住んでいると時々『夜』というモノを忘れてしまうことがあります。

 波照間の集落では、街灯の明かり以外の灯りは見られません。宿や家の中で起きている人がいる場合は別ですが、外を出歩いている人などいませんし、子供がウロウロしている姿すら見たくても見ることが出来ません。本当に静かです。ここでは”闇”が夜を支配しています。本来の『夜』がここにはあるのです。

 人々はかつて『夜』という世界(時間)は、死んだ人の世界(時間)と考え、魑魅魍魎(ちみもうりょう)・妖怪・物の怪の世界と恐れ畏怖しました。今では煌々と光を照らし、人々がかつて畏怖し恐れた『夜』という世界を制覇したかのように思っていますが、それは全くの偽り。電気を消せばたちまち”闇”が街を支配します。人間の作り出した明かりなどでは”闇”には勝てないと言うことです。

 ツーリングなどであちこち行き、夜外に出るとこういうことを考えてしまいます。波照間では深く考えてしまうのは、波照間島が『最端の地』だからでしょうか?

波照間島散策 〜雨の中の原チャリ編〜

◇波照間最後の日

 10月28日(土)、ついに波照間滞在最終日になってしまいました。完全に”波照間時間”に身体が慣れてしまい、私の時間はゆっくりと流れています。僅か2泊でしたが長いようで短い滞在でした。

 明日の昼便に乗って石垣島に戻っても帰りの飛行機には間に合うのですが、高速船が欠航して出れなくなった場合のことを考え今日の便で石垣島に戻ることにしました。フィリピン近海に台風20号が発生して北上しているというのも今日発つことにした理由の一つですけど・・・ 。

 朝起きて外に出ると路面は濡れていました。どうやら昨晩は雨が降ったようです。空を見ると雲の動きが早く北西→南東に向かって移動しています。時々雲が切れて晴れ間が覗くこともあり、「今日は晴れるかも。やっと潜ることが出来る」とダイバーさんらと話していました。しかし、海は荒れているとかで今日もダイビングは中止・・・ダイバーさんらは、昼から西浜にスキンダイブしに行くことにしたそうです。

 朝食後、昨晩のチャリダーさんは波照間9:40発の1便で石垣に戻ると出発して行きました。私はもう少し波照間島を回りたかったので昼の2便で戻ることにして、とりあえずは荷物をまとめました。

 朝の便で到着した人達を迎えに行った送迎バンが帰ってきました。7人ほど人が下りてきましたが、うち2人は昆虫を入れるカゴを腰にぶら下げ、昆虫採りの網を持って下りてきました。目つきも怪しい・・・。目が据わっています。そして下りるなり、飛んできた蝶を追って網を回して走り出しました。『こいつら蝶の収集家や・・・』どこかの大学の研究者か単なる収集家か分かりませんが、どちらにせよあまり話したくない類の人達です。しばらく後、宿にある島唯一のレンタカーに乗ってどこかに行きました。 よりにもよって最終日にあまり会いたくない人種の人に会ってしまいました。

◇波照間ツーリング 其の弐

 時間の関係で今日も原チャリを借りました。昨日と同じくエンジンがかからず四苦八苦していると、宿のおかーちゃんが「ブレーキを握ってスタータを押しや」と教えてくれて、ようやくエンジンがかからない謎が解けました。エンジンがかかってからスタータを押していたりしたので、「何してんの!壊れやすいんだからエンジン掛かったら押したらいかん。もう貸さないよ!」と怒られました。「バイク乗ったことないんかね!?」とまで言われました。大型二輪免許持ってて大型バイク乗り回しているんですけど、原チャリは乗ったことないんです・・・大型二輪ライダーの面目丸つぶれでした。(^^;)

 10時過ぎに集落の中心にある波照間公民館前を出発して、島の西へ向かいます。『モンパの木』の前を通ってニシ浜(西の浜)を目指します。途中に牛が居ました。山羊以外の家畜を見たのは初めてでした。牛も飼われているのです。

 交差点に出たのですが、向こうから軽バンがやって来たので行き過ぎるのを待つことにしました。行き過ぎる軽バンを見ていると、いきなり目の前で停まりました。なんだろ〜と思っていると、運転していたおばちゃんが「どうしたの?道に迷ったの?」と話しかけてきました。「いやいや、行き過ぎるのを待ってましたんや」と言おうとしたのですが、せっかく心配して停まってくれたので、

「ニシ浜への道どこですかぁ〜?」と尋ねました。すると「すぐそこだから、ついておいで」と道案内してくれました。おばちゃん曰く、「なんかモノ言いたげな顔で見るから停まったのよ」。そういう顔してました?

 少し進むとニシ浜への入口に到着。「こっちよ〜」と道を教えてくれます。御礼を言うと、軽バンのおばちゃんは去って行きました。島の人は本島に親切です。

 1.5車線の舗装路を少し走ると海が見えてきました。エメラルドグリーンの綺麗な海です。晴れていたらもっと綺麗でしょう。海岸入口付近に原チャリを停めて写真を撮影します。子供を連れた家族が来ていて浜辺で遊んでいました。

 海岸のすぐそばには無料の脱衣所と屋根付きの休憩所があります。ここで着替えればすぐに海に入ることができるのです。訪れた時、休憩所には1人の青年が疲れ切った表情で座っていました。観光に来たという風でもなく、どことなく怪しい雰囲気を漂わせていたので覚えていたのです。>>こちら参照

 浜辺に下りようとした時、ポツリポツリと雨粒が落ちてきました。『雨やんけ!』と急いで原チャリに乗って雨宿りのために港に向かいました。しかし雨は小降り状態だったので港に行くのをやめて、島の北側に向かうことにしました。このくらいの雨ならばすぐに止むだろうと思ったのです。

 しかしこの考えは甘かったのです。勝手に命名した島をぐるりと回る波照間環状線に入った途端、雨は強く降り出しました。フルフェイスではないので、走ると眼鏡はもとより顔全体がすぶ濡れになってしまいます。『こりゃたまらん!』と急いで宿に戻りました。雨は止む気配はありません。止む得ず原チャリで走ることを諦め、時間まで宿に居ることにしました。最後の最後に雨を喚んでしまった・・・ 。

『あんえい号』再び

◇さらば波照間

 30分ほどすると雨は止みました。宿にいるのも何だったので、歩いて周辺を散策し戻ってくると、札幌ナンバーのHONDAのSTEEDが宿の前に停まっていました。波照間島に来て初めて原付バイク以上のバイクを見ました。石垣9:00発波照間11:00着のフェリーでやってきたのでしょう。(注27)

 ライダーが戻って来たので話を聞きました。札幌に住む大学生だそうで、10月始めに札幌を発って自走+フェリーで波照間島までやって来たとか。今年の冬は沖縄で越冬するそうです。こういうことを実行する若者はまだ居るということを知って、妙にうれしくなってしまいます。

 波照間発の『あんえい号』第2便は12:50発。12時過ぎには送迎車が出ていくと思っていたのですが、12:20頃になっても到着便の客を迎えに行った送迎車は戻って来ません。少し焦ります。

 12:30になってようやく送迎車が、さっき着いた人達を連れて戻って来ました。島ではゆっくりと流れる『波照間時間』なのですから、焦ってもだめなのです。ずっと泊まっていた2人のダイバーさんに見送られて『星空荘』を後にします。

 12:45頃に波照間港に到着。これで安室似のねーちゃんともお別れです。送迎車には昨日着

いて1泊だけしたねーちゃんが一緒に乗っていましたが、彼女は『ニュー波照間』に乗って石垣に渡るそうです。

 岸壁に接岸している『あんえい号』に乗り込みます。これで波照間島ともお別れです。2泊しただけなのですが、5泊ぐらいしたような気分です。すっかり『波照間時間』に身体が慣れてしまったようです。

(注27)波照間島には高速船の他にもフェリーが運航されています。週3便(火木土)で1日1便だけです。(2000年10月現在)

◇『あんえい号』再び

 12:50、『あんえい号』は波照間港の岸壁を離れました。これで波照間島ともお別れです。遠ざかる波照間港の岸壁を見ながら、波照間島での思い出に浸ります。しかしいつまでも感傷に浸っている間はありません。そう、これから『あんえい号』との戦い(?)が待っているのです。

 帰りの『あんえい号』も来るときと同じ場所に座りました。船には10名ほどが乗り込んでいました。波照間港の防波堤を出るといきなり外海に出ます。外海に出た途端『あんえい号』は揺れだしました。往路と同じく『ドンッドンッ』と波に当たりながら進んで行きます。しかし往路の時ほど揺れません。海を見ると、来るときは荒れ狂っていた海は少しうねりがあるぐらいです。あの揺れに比べると全く苦にならない程度の揺れでした。

  慣れてしまったのでしょうか?進んでいる間に揺れが心地よくなり眠たくなって寝てしまいました。気が付くと『あんえい号』は港に到着しました。しかし、どうみても石垣港ではありません。岸壁に接岸すると、船首の入口から作業服を着た人が5人ほど下りて行きます。どうやら西表島大原の港のようです。あとで知ったのですが、波照間12:50発の『あんえい号』は、西表島大原経由石垣行きだったのです。ちなみに西表島は大雨でした。

 西表島を出た『あんえい号』は、また速度を上げて石垣島に向かいます。外は雨。大粒の雨粒がガラスを叩きます。しばらくするとまた眠たくなってきました。揺れているのですが、気にせずに

眠ってしまいます。

 目が覚めると石垣市街が見えています。石垣島に近づい来ました。西表島では曇っていて大雨だったのに石垣島は快晴です。波照間島と西表島にかかっていた雨雲から脱したようですが、少し離れるだけでこんなに天気が違うとは・・・。

 14:10、『あんえい号』は石垣港離島桟橋に到着しました。青空が広がり、港とはいえエメラルドブルーの海です。26日(木)に波照間島に向かう時とは全く違う良い天気です。

 『あんえい号』から下りようとしたら、おばあさんが荷物が多くて困っていました。近くにいた人が荷物を持って下りていったので、私も手伝うことに。おばあさんは「じゃこれ持って」と、なんと泡波10本を指さしました。「これが、これが泡波かぁ〜」と感動する私。(注28) 酒は全然飲めない下戸なくせに、こういうことは知っているのです。 

 落として割ったらえらいことです。緊張して乗り場待合所まで運びます。無事に運び、おばあさんの荷物の横に置きます。許しを得て写真を撮らせてもらってその場を去りました。実物の写真を撮らせて頂いただけでも幸せでした。

(注28)『泡波』とは波照間島で作られる泡盛のこと。手作りで生産数が限られ島内の人に優先的に配られるようで、島外に出るのはほんの僅か。

     そのために島外の沖縄本島や本土では『幻の泡盛』と言われています。島内では1本600円ほどだそうですが、島を出るとプレミアが付いて一本1

     万円以上するとこともあるとか・・・。知っている人は知っている泡盛です。

石垣島

◇晴れた日にはレンタカー借りて

 石垣島は快晴。遠く南には積乱雲が見えます。気温は30℃・・・日差しが暑いのが分かります。10月末だというのに、石垣島では真夏です。Tシャツ一枚だけで十分です。波照間島とは天気はえらく違います。

 まだ半日あるので石垣をうろつくことにしました。その前に宿の確保。26日に予約を入れながらすぐにキャンセルした『ペンションとのすく』に予約の電話を入れておきます。次は足の確保です。最初はレンタバイクかと思ったのですが、乗り慣れないバイクに乗るのは危ないと思い、レンタカーにすることにしました。近くにレンタカー屋があったのでそこに寄ります。家でも乗っている

HONDAのLogoがあったので、これなら慣れているということで早速借りました。

 一度ペンションに寄って荷物を置いた後、レンタカーで石垣島最北端の北久保崎を目指します。R390を北へ北へと向かいます。

 石垣島は都会でした。波照間島のの〜んびりした雰囲気に慣れてしまったため、久々に戻ってくるとますますそう感じてしまいます。いきなり大阪に戻るよりは、一度石垣に滞在して街の感触を思い出してリハビリする方が良いのでしょう。

 石垣市宮良を過ぎると石垣市郊外に出ます。民家が減り畑が広がる中を2車線道が突っ切ります。どことなく北海道の道を走っているような気がします。やがて右側にエメラルドグリーンの綺麗な海が見えてきます。綺麗な海と青い空、交通量の少ない

国道・・・。バイクならばめちゃくちゃ気持ちよく走ることが出来る道です。

 途中の玉取崎展望台に寄ります。整備された展望台ですが、ここからだとエメラルド色の海を一望出来ます。反対側には金武岳がそびえています。風も心地よく、少し長居したくなる所です。

 R390からr202に入り北上を続けます。石垣島最北端の平野地区手前で1.5車線の脇道に入って進んで行くと牧場の中に入りました。牛を放牧しているのです。道を歩いて牛が逃げ出さないように、路面には鉄パイプのようなモノが設置されています。バイクだとタイヤが滑りますので注意が必要です。

 道を進んで行くと行き止まりに到着しました。ここが北久保崎展望台への入口であり駐車場なのです。車を停めて急な坂を歩いて行くと展望台に到着しました。ここからの眺めも良いのですが、ふと横を眺めると岩場を登ってまだ上まで行けるようです。

 急な岩場を登ってゆくと山の頂に到着します。ここからだと更に雄大な八重山の海を一望出来ます。石垣市内に住むというねーちゃんの2人連れが来ていたので、写真を撮ってもらいます。しばらく話した後、頂を下りて北久保崎を後にしました。

 ここまで来たのだからと、石垣島最北端の平野地区まで足を延ばします。r202は集落内で行

き止まりになっていました。それから来た道を引き返して、石垣市街に向けてR390を南下して行きます。17:30頃に石垣市街に到着。レンタカーを返して宿に戻ったのは18:00前でした。

◇ペンションとのすく

 ペンション『とのすく』は、石垣市街にある広い住宅という感じのペンションです。居候しているような気分になります。聞いたところでは元々は民宿だったそうですが、10年ほど前に改築してペンションにしたとか。

 部屋はシングルベットがあるTV・冷蔵庫完備の1人部屋。ますます居候(下宿)している大学生という気になる。宿のおかーさんは歳で夕食を作るのがしんどいということで、宿の夕食はなく外に食べに行くことにして、18時過ぎに出かけました。

 ブラブラと石垣市街を歩いて、たまたま見つけた『ま〜さん道』という石垣ソバの店に入りまし

た。店内は壁一面に訪れた人の名刺が貼られています。感想ノートのようなモノもあり、食事が来るまでの間読んでみました。皆様々な思いで石垣に訪れていることが分かります。私も一筆書いておきました。店では石垣ソバの定食と『らふてぃ』を注文したのですが、これがめちゃくちゃおいしかったのです。この店はお勧めです。

 店を出た後、またブラブラと歩きます。偶然にも『海人(うみんちゅう)』グッズの製造元の販売所を見つけ、Tシャツなどを購入しました。少し遠回りしてブラブラと石垣市街を歩いて宿に戻りました。

 やることがないので部屋でぼ〜としていると、21時過ぎからどやどやと他の宿泊客が帰ってきました。結構な人数が泊まっていたようなのですが、疲れていたため他の宿泊客とは話すことなく23時頃には寝てしまいました。

石垣市街散策

◇石垣市街散策

 翌10月29日(日)、とうとう大阪に帰る日になってしまいました。この日も朝から快晴。気温もぐんぐん上がって行きます。飛行機は石垣空港14:35発なので、昼頃まで時間があります。宿で朝食を食べた後精算し宿を後にします。

 時間があるので石垣市街をうろつくことにしました。荷物が重いので安栄観光の乗船券売場にあったコインロッカーに荷物を入れます。軽装で歩くことにして、とりあえず具志堅用高記念館があると聞いたので市街を西に向かいました。

 大通り沿い西に向かって歩くのですが、どうもおもしろくありません。ふと『住宅街の中を歩けば

おもしろいだろう』と思い、大通りから外れて2筋ほど北の通りを歩くことにしました。

 石垣市の下町は、当然のことなのですが波照間の集落とは大違いです。ビルが建ち並びコンビニもあちこちに建っています。車の通行量も多く、波照間島に無かった信号があちこちに設置されています。石垣市の下町の住宅は、大阪市の下町の住宅とそう大差ありません。石垣市街は『日本本土化』されてしまったのでしょうか。

 家の門にシーザーが座っていることと、交差点(辻)に『石敢堂』という文字があるということが、かろうじて沖縄(八重山)の街であることを物語っています。

 炎天下の中、ブラブラ歩いていると、若い頃に出稼ぎで大阪に住んでいたというじーさんに呼び止められました。家に上がって酒(泡盛)を飲んでいけという所までは聞き取れれるのですが、あとは地元の言葉のようで何を話しているのか分かりません。

 『旅の醍醐味は地元の人との交流』ということを分かってはいるのですが、酒を飲むと恐らく飛行機に乗り遅れるので、昼過ぎの飛行機に乗らねばならないと丁重に誘いを断ったのでした。

 結局、石垣市街の西端に当たる石垣市新川という所まで歩いたのですが、具志堅用高記念館を見つけることは出来ず港に引き返すことにしました。

 家の間の細い裏路地を歩くと、数軒だけですが昔の雰囲気を残す家を見つけました。「沖縄(八重山)らしさが残っているなぁ〜」と思いながら歩いて行きます。野良猫も居ましたが、石垣の野良猫は大きく、ゆうに子犬以上の大きさがありました。何を食べたらあんなに大きくなるのだろう?

 ぶらぶらと歩いていると、公園に出ました。鳥居と祠があったので神社なのでしょうか?ここに テリハボクという大きな木がありました。(推定)樹齢200〜250年だそうです。「こりゃでかい」としばらく見入ってしま

いました。

 そのまま大通りを歩いて石垣港に戻りました。ここで『星空荘』で会った三重のチャリダーさんと再会しました。昨日は巷で有名な米原キャンプ場でテントを張っていたとか。今日の15時頃の名古屋行きの飛行機で帰るそうです。昼飯を食べていなかったので、一緒に『ま〜さん道』に行き昼飯を食べました。こういう再会があるので『旅』はおもしろいです。

 空港で会うかも知れないと言って別れた後、土産物屋に入り仕事場への土産を購入しました。べたべたの大阪弁で話すと、店の人が「大阪の方?」と話しかけてきました。聞くと、大阪の人とは話しやすいそうです。大阪のおばちゃんのパワーには負けてしまうこともあるそうですが、それでも大阪人には好感をもてると言っていました。また『大阪人=明石家さんま』というイメージがあるとも話していました。他の地でもそうなのでしょうか?

帰宅・・・

◇石垣空港

 時間が迫ってきたのでコインロッカーから荷物を取り出してタクシーに乗り込みます。10分ほどで石垣空港に到着。到着した日とは全く違って、青空が広がる良い天気です。帰るときになったら天気が回復する・・・。2000年9月の北海道ツーリングもそうだったのですが、旅の最中は天気が今一つで帰るときになったら天気が回復するというのが今年の旅の特徴のようです。波照間島に居るときに晴れてくれれば・・・。また晴れる日に行けばいいだけの話です。波照間島は逃げません。

 石垣空港は、JAL(JTA)とANAのターミナルは別々に別れています。別れていると言ってもそ

んなに離れていませんが、タクシー各会社のターミナル前につけてくれるので、空港に向かう時はどちらのターミナルに着くか運転手に必ず聞かれます。

 搭乗手続き開始まで時間があるので、ぼけ〜と飛行機の離発着を眺めます。石垣空港は滑走路が短いために、離陸する飛行機は皆急角度で上昇して行きます。失速するんちゃうかと思うほどです。

 14時前に三重のチャリダーさんを探しにANAのターミナルに行きましたが、まだ着いていないようで会うことは出来ませんでした。搭乗時間が迫ってきたのでJAL(JTA)のターミナルに戻ります。搭乗手続きを終えて、荷物をカウンターに預けます。帰りは何故か荷物が多くなり、二つに分けたのです。

 小さい鞄を持って金属探知器をくぐり抜けて待合所に入り、しばらく待ちます。14:20、JTA086便への搭乗が始まります。バスに乗って機の近くまで移動。そこからタラップを登って飛行機(B737−400)に乗り込みます。いよいよ石垣島ともお別れです。

◇JTA086便

 席は17H。またもや通路側です。窓側の2席には若い夫婦らしき人が座っています。インターネット予約で席を確保したのですがやや真ん中よりの席となってしまいました。まぁ、あとは家に帰るだけなので問題ありませんけど。

 やがて飛行機が動き出しました。誘導路を走って滑走路の端の定位置に止まります。『ゴーッ』というジェットエンジンの音が徐々に大きくなって行きます。ビリビリと振動が伝わってきます。限界点を突破したかのようにいきなりブレーキが外れ、飛行機は動きだし強烈な加速が加わります。やがて飛行機は大きく上昇し空に向かって飛び出しました。JTA086便石垣空港発関西空港行きは定刻の14:35、石垣空港を離陸します。さらば!石垣島、波照間島。

 滑走路から離れると、飛行機は急角度で上昇を続けます。しばらくすると平行になりベルト着用のサインが消えました。飛行機は順調に飛行を続けましたが、20分ほどで早くもベルト着用サインが点灯し、着陸態勢に入りました。

 大気圏を突破して飛行し、20分で関空に着いたのではありません。宮古島の宮古空港に着陸するのです。急病人発生やエンジントラブルで緊急着陸するのもありません。先にも書きましたが、石垣空港は滑走路が短いために、石垣空港を離陸する飛行機は搭載する燃料の量が決まっているのです。その決められた燃料の量では、石垣空港発関西空港行きと東京・羽田行

きの便は途中で燃料切れとなって太平洋上に墜落してしまうために、一度宮古空港に着陸して燃料を補給するわけです。

 15:00に宮古島の宮古空港に着陸します。燃料補給のために乗客は荷物を全て持って一度機から下りなくてはなりません。左の写真は下りて待合室に向かう時に撮影した宮古空港での給油の光景です。路面が濡れているのは雨が降っているためです。石垣島は快晴だったのに宮古島は雨だったのです。 下りても空港ターミナルに出ることは出来ないので、搭乗待合室で待つことになります。喉が乾いたので何か飲もうかと思ったのですが、量が少ないのに料金が高

いのが嫌で我慢することにしました。

 大阪の都島(みやこじま)には何度も訪れているのですが、宮古島(みやこじま)に降り立ったことはありません。一度、宮古島ダイビングに誘われましたことがありましたが、金欠のため参加することが出来ずにそれっきりとなっています。いつかは来てやろうと思っています。

 15:30頃、燃料補給が終わり搭乗が始まりました。15:40、JTA086便は宮古空港を離陸しました。同じ便で2回も離発着が体験出来る便はそうないでしょう。(注29)

 宮古空港を離陸したJTA086便は順調に飛行します。余りに退屈なので寝てしまいました。17:00過ぎに目が覚めました。隣人越しに窓の外を見ると、どこかの街の灯りが見えます。17:20頃でしょうか、ベルト着用サインが点灯しまいた。関空への着陸態勢に入ったようです。

 JTA085便は徐々に高度を下げ始めました。旋回して着陸コースに入るようです。右旋回の時にしか陸地の様子は見えないのですが、どことなく見覚えのある陸地の形です。街の灯りが煌々としています。17:39、JTA086便は予定より6分早く関西空港に着陸しました。

(注29)

 こういうことを解消するべく新石垣空港を作るという計画がありました。長い滑走路でB747のような大人数を運べて燃料補給なしに大阪・東京に飛べるジャンボ機を飛ばそうという計画です。石垣市白保の沖合を埋め立てて作る計画だったのですが、貴重な珊瑚礁が破壊されるということで、地元を始め日本中、果ては世界中から猛反対の声が上がり計画自体はとん挫しました。

 40分のロスと給油にかかる人件費のために、自然を破壊してまで空港を作る必要はありません。新空港自体必要ないのです。既存の空港で十分でしょう。給油のために着陸するのが嫌なら、いっそのこと空中給油機でも導入したらいいのではと思ってしまいます。

◇帰宅

 荷物を引き取って空港の外に出ます。石垣では30℃以上あったのに、大阪ではなんと15℃ほどしかありません。昼間、汗だくで石垣市内を歩いていたのが嘘のようです。とにかく寒いので、上着を取り出して着ます。

 18時前の関空快速に乗り込み、いつも利用する駅で降りてバスに乗り継いで自宅に着いたのは19時過ぎ。

昼過ぎに石垣島を出て、19時過ぎには大阪の自宅に到着しているのです。長いようで短かった波照間島訪問は、こうして無事に終わりました。無事に年賀状のネタも決まりました。

 

感想ですか?

 

『日本は広い!』

 

 

帰宅後の出来事

 翌10月30日(月)から元の日常生活が再開しました。完全に『波照間時間』の身体になっていた私は、もとの生活習慣に身体を戻すのに大変苦労したのは言うまでもありません。『北海道症候群』の他に『沖縄症候群』も引き起こしたようです。しばらくは波照間のことを思い出してぼ〜とするはずなのですが、今回は違いました。

 波照間島での思い出に浸る気分をぶち壊してくれるある出来事が起こったのです。その出来事とは、『波照間島殺人事件』です。2000年(平12年)10月30日(月)19時頃、沖縄県波照間島のニシ浜(西の浜)海水浴場の脱衣所で若い女性の絞殺死体が発見されたのです。

 この新聞記事を見た時、『え〜〜〜!?』と驚きました。つい2日前まで居たあの平和な島で、交通事故や窃盗にさえ無縁に思えるあの平和な島で、よりにもよって『殺人事件』が発生したのです。一説では100年ぶりだとか・・・

 事件が発覚するや否や、警察とマスコミが殺到し島はてんやわんやの状態に陥ったとか。あの平和な駐在所は、設置以来で一番忙しくなったことでしょう。台風20号の影響で再び海が荒れて高速船が欠航し、警察は捜査員を派遣することができなかったとかで、捜査は長期化という見通しもあったそうです。

 新聞によると、警察は島民全員と宿泊客全員を事情聴取したそうです。『星空荘』で会ったダイバーさんらも事情聴取を受けたのでしょう。(10月31日と11月2日に帰ると言っていましたから。) 被害者は10月28日に波照間島に入って来たそうで、もしかしたらどこかで私とすれ違ったかも知れません。他人事ではないような気がして、新聞やテレビのニュースを毎日チェックしていました。

 長期化しそうな気配があったのですが、11月4日(土)に事態は一変。犯人は石垣港で逮捕されて事件は無事に解決しました。一安心です。犯人は、10月30日11時頃に金目当てで女性を襲い顔面を殴ってベルトで首を絞めて殺害したとか。計画性のない突発的な犯罪だったのです。

 新聞記事によると、犯人は熊本出身の男(27歳?)で10月27日(金)に波照間島に来たのですが、金がないためにニシ浜の脱衣所で野宿していたそうです。28日にニシ浜に会った疲れ切っていた青年が犯人だったのでしょうか?

 27日と言えば、波照間島をうろうろしていた日です。あの時、気が変わらず夕方のニシ浜に行っていたら・・・翌28日にニシ浜に行っていますが、あの時家族連れが居なかったら・・・被害者は私だった可能性もあったのです。 ((((;゜Д゜))))

 大阪に帰って来てからの事だとは言え、後味の悪い『波照間島訪問』になってしまいました。 

☆★☆ お願い ☆★☆

 こんな事件が起こったからと言って、波照間島が危ない所だとは思わないで下さい。

波照間島は本当に平和でのんびりしたいい島です。

ある意味、被害を被った島の人達は、純情でいい人達ばかりです。

事件を起こしたのは、心の汚れた本土の人間なのです。

 

波照間島は平和でのんびりしたいい島です。

 

【波照間日記 終わり】

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