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波照間島日記【前編】

波照間島へ/日本最南端の地/波照間島散策〜徒歩編〜

波照間島へ

◇JTA085便

 2000年(平12年)10月26日(木)がやって来ました。ついに波照間島へ向かう日です。太平洋高気圧ががんばっているとほはいえ、空気は秋の空気になっていました。少し涼しいのでTシャツの上に薄い上着を着て空港に向かいました。

 関西空港発のJTA085便は11:20発。手続きなどがあるために10:20頃に関空に到着しました。出発用の掲示板には JTA085便は運航する旨記されていました。とにかく石垣島までは移動することが出来ます。

 搭乗手続きを終えて搭乗ゲートに向かいます。25日の便が欠航となり、そこからの振替客がいたためか、 乗客は多いようで少し混雑しています。搭乗する飛行機はB737−400。69番ゲートから飛行機に乗り込みます。乗って分かったのですが座席はほぼ満席でした。

 座席は6H。前から6番目の通路側の席でした。インターネット予約で早めに席を取ったのでこ

んなに前の席になったのでしょう。窓際でなかったのが残念ですが・・・。

 離発着便に若干の遅れがあるために、関空を離陸したのは11:35でした。15分遅れです。石垣到着予定時刻は13:50なので、到着は14:05となってしまいます。石垣港から波照間島への高速船の出航時間は15:00(注9)なので、空港から出る時間と空港から港への移動時間、切符の購入時間を考慮するとギリギリですが間に合う時間です。

 離陸したJTA085便は一気に高度を上げて快晴の青空を飛んで行きます。085便は順調にフライトを続けました。しかし沖縄本島付近を通過して宮古島近辺の上空を通過すると、やたらと機体が揺れだしました。機長から『台風の影響で乱気流が発生しております。シートベルトを着用して下さい』とのアナウンスがあり、ベルト着用のサインが点灯しました。横の人越しに窓の外を見ると、いままで青い海が広がっていた眼下には白い重たそうな雲が渦巻いていました。そう台風19号を取り巻く外雲です。

 石垣島が近づいてきたのでしょう。機体は徐々に高度を下げ始めました。多少揺れますが問題ないようです。

やがて機長のアナウンス『間もなく石垣空港に着陸します。本日台風19号の向かい風の影響により本機は20分遅れで石垣空港に到着です。』

 『えっ!?』これはちとやばい。何故かというと、石垣港から波照間島へ向かう最終の高速船は、この時期は石垣港15:00発だからです。空港到着後すぐに空港から出ることなど出来ないので、移動と船の切符購入の時間を含めて最低45分は見ておかないといけません。20分遅れで14:10に到着しても、空港から出るのに約20分。タクシーで港に移動するのに約20分。船の切符購入で約5分。合わせて最低でも45分はかかります。

 となると空港での時間短縮が明暗を分けることになります。『こんなこともあろうかと、荷物をバック1つにまとめて来たことが役に立ったようだ。』(注10)前から6番目という席も幸いでした。カウンターに預ける荷物がなかったことだけでもかなり違います。

 やがて先ほどの雲の中に突っ込みます。視界は真っ白。しばらくすると雲を突き抜けて雲の下に出ました。当たり前ですが曇っています。雨は降っていないようですが風が強いようです。徐々に高度を下げて行くと、左側に石垣市街が見えました。石垣空港に南側から着陸するようです。『ズドド・・・』という衝撃と共に空港滑走路に着陸しましたが、一瞬横風に流されたようで横Gを感じました。

 14:10 、JTA085便は定刻より20分遅れで石垣空港に到着しました。さぁ、ここから1分1秒を争う移動が始まります。

(注9)石垣港発の最終便のみ、夏期(4/1〜9/30)と冬期(10/1〜3/31)で出航時間が変わります。夏期は冬期時間の+30 分後(15:00発→

    15:30発)となるのです。

(注10)知る人ぞ知る某ヤ○トの真○さんの名台詞をもじりました。青野武口調で話すとなおさら良いです。

◇命運分けた石垣港

 なにはともあれ石垣島に到着しました。ここは八重山。大阪から1000km以上離れた所です。 石垣島はまだ夏でした。とにかく暑い。到着早々上着をリュックに入れてTシャツ一枚(もちろんジーパンはいています)になって空港の外に出ました。

 空は曇り空でしたが雨は降っておらず、時々隙間から太陽の陽が差し込むこともあります。風が強いということ以外に台風の影響はないようでした。

 空港前に停まっているタクシーに乗り込みます。以下、タクシーの運ちゃん(『運』)と私(『あ』)の大体の会話。(大阪弁表記。)

あ:おっちゃん、石垣港まで!(時間がないので急ぐ様に話す)

運:どちらまで?(注11)

あ:安栄(あんえい)号の乗り場 までお願いします。(注12)

運:分かりました。

あ:台風どうでした?昨日は船も飛行機もみな欠航やったんとちゃいますか?

  【ここを標準語で書くと→昨日は船も飛行機も全て欠航だったのではないですか?】

運:昨日はすごい風でしたね。高速船は今日も全便欠航してますよ。

あ:えっ!?

運:お客さんどちらまで?

あ:波照間島までですけど・・・

運:欠航と違いますかぁ〜。安栄観光が船出さないのはよほどのことですよ。(注13)

あ:とにかく港に行って下さい・・・(不安顔・・・)

以後、運ちゃんの昔話が続く。

 不安一杯、悪夢一杯で石垣港に到着しました。安栄観光の乗船券売場前で下ろしてもらい、売場に向かいました。売場入口には安栄観光の各航路の時刻表が張ってあるのですが、全航路の上に『本日欠航との注意書きが・・・目の前が真っ暗になりました。ここまで来てこの仕打ち。

 駄菓子菓子、波照間航路の15:00発の欄には欠航の表記はありません。もしや運航するのでは?安栄観光えらい!期待に胸膨らませカウンターへ。受付の方:『人数制限で12名までなんです。すでに一杯で乗船出来ません。』(注14)

 一気に奈落の底に突き落とされてしまいました。『神は我を見放した・・・』ここまで来て、またもや波照間島を目の前にして足止めを喰らうとは・・・

 しかしこんな所で諦める訳にはいきません。『もしや運航するのでは・・・』と思い、『ニュー波照間』の乗船券売場へ向かいました。しかし、こちらも時刻表には欠航との文字が・・・売場はカメラ屋の一角に間借りするように机があるだけなのですが、係員すら居ません。このカメラ屋のおばちゃんがとどめの一言を言いました。

『台風、(石垣に)戻って来ているみたいよ。明日も欠航かもね・・・』

  石垣島の北西で停滞していた台風19号は、何を血迷ったか通り過ぎた石垣島に向け南下してきているそうです。断っておきますが、私は 喚んでいません。

 もはや今日中に波照間島に渡るのは無理と判断したので、石垣港近くの民宿に電話して予約を取り、予約しておいた波照間島の民宿『星空荘』にキャンセルの電話を入れました。

 港から離れる前に、もう一度安栄観光の売り場に行き、明日の状況を聞いて帰ることにしました。さっき訪れてから10分ほど経っていました。カウンターではおっちゃんが何やら乗船手続きをしています。おっちゃんが去った後の受付(『受』)と私(『あ』)の大体の会話。

あ:すんません。明日の便はどうなってるんかな?運航するんか?

受:あ、先ほどの方ですね。今日(15:00発)の便、乗船出来ますけど。

あ:へ?さっきあかんて言うたやん。【標準語で書くと→さっき乗船できないとおっしゃったではないですか】

受:乗れるだけ乗せろという指示が出ました。(←これには驚きました。さすが安栄観光)

あ:乗ります。(よっしゃぁ〜〜!)

 即座に往復の乗船券を購入。すぐに先ほど予約を入れた宿にキャンセルの電話を入れ、キャンセルの電話を入れた『星空荘』に今日行くとの連絡を入れました。

 これで今日中に波照間島に渡ることが出来るのです。あのまま港を去っていたら今日中に波照間島に渡れなかったのです。粘って正解でした。

 ワクワクして『あんえい号』の乗り場に向かいました。だが、しかし・・・

(注11)石垣港には波照間島や西表島、竹富島など石垣島周辺の島々へのフェリーや高速船が集まります。数社が運航しており、乗船する会社によってカ

     ウンター(乗船券売場)がバラバラなのです。向かう島と乗船する船の会社を把握しておかないと、『石垣港』だけではタクシーの運ちゃんは 困ってし

     まいます。初めて石垣港に向かわれる方は、ここで頭が混乱するのです。作り人は石垣港から出る高速船に乗り込むのは今回が2回目で、1998

     年10月にダイビングで西表島に向かったので知っていたのです。

(注12)石垣島と波照間島を結ぶ高速船は安栄観光の『あんえい号』と波照間海運の『ニュー波照間』の2社の船があります。両社の乗船券売場は少し離

     れているので、波照間島に限らず他の島に向かう際は各会社の乗船券売場前にタクシーをつけてもらうことになります。私は最初から安栄観光の

     『あんえい号』に乗るつもりだったので、こう言いました。こう言うと、タクシーの運ちゃんは安栄観光の乗船券売場近くに停めてくれます。

(注13)安栄観光は、海が荒れていて他社が欠航を決め込んでも高速船を出す会社です。特に波照間航路は外洋に出るために荒れることが多いのですが、

     『ニュー波照間』が欠航となっても『あんえい号』は運航していることがあります。ある意味『海の男』的な会社です。その『あんえい号』が欠航するほ

     どの大荒れの天候だったようです。タクシーの運ちゃんは、『安栄の親父』と話していました。

(注14)『あんえい号』は30名ほど乗船出来るのですが、平常時でも乗船出来るのは先着12名までだそうです。 (2000年10月頃の話)

◇『あんえい号』

 『波照間島に渡ることが出来る』とうれしい気分一杯で乗り場に向かいます。離島桟橋にはこれから乗る『あんえい号』が接岸していました。右写真が10月26日の乗船直前に撮った『あんえい号』です。

 昨日一日そして今日 の午前中も高速船が欠航したこともあって、船には波照間島に運ぶ新聞や生活用品、食料などが次々と運び込まれていました。もしかしたら、このために船を出したのかも知れません。

 最後部のデッキには、自転車を持ったチャリダーさんが2人乗り込んでいました。彼らはいかに

も旅人という方と3人で楽しく話しています。客室に入ると既に10名ほどの乗客が座っていました。一番酔わないと言われている運転席真下付近の座席は既に一杯となっていたため、やむなく前の方の窓際に席を陣取りました。

 出航までに続々と人が乗り込んできました。最終的にはほとんど席が埋まるぐらい、約25名ほどが乗船したと思います。半分は石垣島か波照間島などの地元の方で、私も含めた残りが観光客で若いねーちゃんの姿も3人ほど見受けました。けっこうべっぴんさんで『宿はどこかなぁ〜一緒の宿だったらいいなぁ〜』とデレッとしてました。(すでに発想がおっちゃんや・・・)この数十分後、そんなことを考える余裕すら無くなるとはつゆ知らずに・・・

 安栄観光の『あんえい号』は揺れるので有名です。高速船自体が良く揺れるのですが、波照間航路は一度外洋に出なくてはならないため、他の航路と比べるとかなり揺れるそうです。とあるサイトで、この揺れる『あんえい号』を無事乗り切るためには乗船早々寝ることだと書いてありました。

 しかし遠足を明日に控えた子供のように、夢にまで見た波照間島に渡ることでワクワクしている今の私には眠ることなど不可能でした。後ろの座席のおばちゃんは、乗り慣れているようで早々に寝ていましたが ・・・。

 1998年10月の西表ダイビングの時、同じ安栄観光の石垣港発西表島(船浦)行きへの高速船に乗ったことがありました。この時も結構揺れたと記憶しているので、そんなレベルだろうと思っていました。

 15:02頃、『あんえい号』は石垣港を出航しました。いつもは定刻よりも早く出るそうですが、今日は積み込みに時間がかかったために定刻よりやや遅れての出航となりました。

石垣港内は防波堤に護られているので波はほとんどありません。港の中ということもあり、『あんえい号』はゆっくりしたスピードで進みます。

 出航直後、左側にもう1隻の高速船が近づいてきました。石垣港を15:00に出た黒島行きの高速船です。石垣港の防波堤を出ると『あんえい号』のスピードが早くなり始め、小さな波を横切る度に『ドンッドンッ』と小さな衝撃を感じるようになりました。

同じように黒島行きの高速船もスピードを上げ始めました。するとこちらもスピードが・・・2隻の船が競争しているようで、『負けへんでぇ〜〜』という気迫が感じられたのは・・・気のせいでしょう。

 『あんえい号』は徐々にスピードを上げ、白波が生じるようになり窓ガラスにも水滴が掛かり始めました。しばらくすると右側に島影が見えてきました。竹富島です。海の色はまだエメラルドブルーだし、まだ外洋には出ていないのですが、徐々に波が高くなって来ました。

 黒島行きの高速船は徐々に進路を南東に向け、『あんえい号』から離れて行きました。その光景をぼ〜と眺めていると、左前方から大きな波が迫ってきているのに気が付きました。

 10秒ほどすると船が大きく揺れフワッと船首が浮き、次の瞬間『ズドンッ』と大きな衝撃が伝わりました。『きゃ〜〜〜!』『うわぁ〜〜!』という悲鳴が客室を包みました。私の前の席で寝てい

たねーちゃんは『何事!?』と言うような驚きの顔で飛び起きました。高速で波を横切るのだから衝撃を喰らうのは当然なのです。

 これは序の口。この後、大きな揺れと衝撃が数分おきに起こるようになりました。その度にべっぴんのねーちゃんらは悲鳴を上げ、必死に座席の取っ手を握りしめています。私は窓から外を見て波を読み、衝撃に備えます。この頃はまだ平気で、窓枠にデジカメを置いて撮影する余裕があったのです。

 左側に黒島の島影が見えてきました。まだ航路の半分までも行っていません。黒島発石垣行き

の高速船が白波を立てて走って行きます。そう、高速船は海の上を『走る』のです。 あちらの船も激しく海面をバウンドしながら進んでいます。あちらから見ればこちらもそう見えるのでしょう。荒れていることが分かります。

 ふと『あんえい号』がスピードを落としました。 ふと窓の外を見ます。「へ?」 一瞬目が点になりました。窓の向こうにはせり上がった海しか見えません。かなり大きな波のようです。 波を乗り切ると再びフワッと船首が浮き『ズドンッ』と落ちました。そうまさに落ちたのです。「ぎゃぁぁぁぁぁ・・・」。べっぴんのねーちゃんは半泣きの表情です。

 黒島の西側にある新城島(上地島・下地島)を過ぎると、海の色がエメラルドブルーから紺色に変わりました。 (左写真) どうやら外洋に出たようです。外洋に出た途端、海面は大きくうねってします。外洋に出ても速度が落ちず、『ズドンッ・・・スドンッ・・・』とひたすら衝撃だけが伝わってきます。時刻を見ると15:30頃。波照間島まであと30分もかかります。波照間航路は 本番とも言える後半に突入したのです。

 外洋に出てから、大きなうねりをいくつも越えるようになりました。その度に大きな 揺れと衝撃を感じるようになりました。もはや誰も悲鳴を上げません。べっぴんのねーちゃん達は固まったまま

座席の取っ手を握りしめて下を向いて座っています。もはや悲鳴を上げる気すらないようで、完全に沈黙しています。高速船に乗ったことを後悔しているようにも見受けられます。しかしまだ30分は乗っていなくてはならないのです。今日の『あんえい号』よりも遊園地やテーマパークの絶叫マシンの方がまだマシです。

 ところが15:50頃になって私にも変化が現れました。胃の辺りがムカムカし始めたのです。いやぁ〜な前兆です。デジカメをバックの中に直して、ビニール袋をいつでも出せる状態で待機しました。ムカつきは徐々に強くなり、胃の中から何かがこみ上げてくるのがわかります。必死になって抑えようとするのですが、口の中には唾が多く分泌されるではあ〜りませんか。(注15)いわゆる嘔吐反射ってやつです。乗り物に酔うなんて、私には珍しいことです。先ほどまでデジカメを撮影して楽しんでいた私の姿はなく、少し青い顔をした私が居ました。

 『やばい!ここで吐いたら被害が周囲に及ぶ』と思っても、もはやどうにもなりません。幾つかうねりを越えた後、ムラムラと何かが食道を上昇してきました。暴走です・・・

 『やばい!』と思ってビニール袋を取り出そうとしましたが、間に合いません・・・次の瞬間、

ゲホッ

 次の瞬間、辺りは阿鼻叫喚の地獄と・・・化しませんでした。出てきたのは大きなげっぷだけ。この日の朝にパンを食べただけで、以来何も飲み食いしていなかったためです。つまり胃の中には出そうにも出すモノが無かったわけで、胃の中にあった空気だけが出てきたのです。不幸中の幸いで した。『こんなこともあろうかと、何も食べなかったことが役に立ったようだ』・・・もうええっちゅうねん。(注16)

 危機は去り、船は相変わらずの速度で進んで行きます。16:00、波照間到着予定時刻になってようやく波照間島の島影が見えてきました。大荒れの状態なので遅れているようです。

 大きなうねりを幾つも超えて『あんえい号』は進みます。客室の乗客はほとんどが沈黙しています。グロッキー状態・・・ほとんどが船酔い状態に陥っています。私もどうにか復活しましたが、まだ多少ムカついています。

 島に近づくにつれて海は大きくうねりだしました。海底が浅いためでしょうか、島の近くでは大揺れ小揺れ横揺れ縦揺れが船を襲います。そして・・・再び胃の辺りがムカムカし始めました。『せかんどいんぱくと!?』(注17)頭の中は大混乱し、訳の分からないことを考えています。

 波照間島はもうすぐです。もう防波堤も見えています。あと少しで波は治まり揺れもなくなります。こういう時に限ってなんですよね・・・船がいきなりスピードを落とした次の瞬間、大きなうねりが船を遅い、同時に・・・

ゲホッ

 ・・・2回目もげっぷだけでした。胃の中には何もないので出てくるわけないのです。一安心・・・?

 2分ほどして『あんえい号』は波照間島の港に入りました。防波堤に入った途端、それまで荒れていた海は穏やかになり全く揺れなくなりました。船もスピードを落としてゆっくりと進みます。岸壁が見えてきました。

 16:10、『あんえい号』は定刻よりも10分遅れで波照間島に到着したのです。客室に活気が戻ります。べっぴんのねーちゃん達は疲れ切った表情でフラフラッと出て行きました。かなりくたびれたようです。

 皆に続いて私も甲板に出ました。驚いたことに後ろの甲板には先のチャリダーさん2人と旅人ら

しき人がまだ話していました。どうやらあの航海の間、ず〜〜っと後ろの甲板でいたようです。よくもまぁ、振り落とされなかったことです。案外、船尾が一番酔わない位置かも知れません。ずぶ濡れになりますけど・・・ 。

 2000年(平12年)10月26日16:15頃、『作り人』は日本最南端の有人島・波照間島に降り立ちました。ついに来たのです。日本最南端の地に!

 陸地に立つことがどれだけ素晴らしいか・・・このとき初めて実感しました。

(注15)大阪のお笑いタレントであるチャーリー浜のギャグの1つ。大阪人は日常会話で芸人のギャクを混ぜて話すことがあります。芸人のギャクが大阪人の

     日常会話に使われるということは、『笑い』に厳しい大阪人に認められたということでもあるのです。

(注16)(注10)と同じネタです。ちなみに『もうええっちゅうねん』を標準語で書くと→もういりません。いい加減にして下さい。

(注17)西暦2000年9月13日に起きた大災害・・・某アニメの設定です。2回目のムカつきということで、ひっかけています。(^^;)

日本最南端の地

◇星空荘

 港には島のあちこちから人や車が集まっていました。昨日が欠航だったので、昨日の便で運ぶ予定であった荷物や食料・新聞などを次々に受け取っていました。

 チャリダーを除いた島に上陸した観光客達は、各自が泊まる宿の車に乗り込みます。(注18)  私も予約した『星空荘』の車に乗り込みました。べっぴんのねーちゃん2人は別の宿でしたが、迎えに来た運転手は安室似のねーちゃんでした。(^^;)

 乗り込んだのは私を含めて3人。先ほどの『あんえい号』で見た覚えのある人ばかりです。普通はあれこれ話すものですが、疲れていたのでしょう。宿までの間誰1人として話すことはありませんでした。

 港から10分ほど走ると波照間島の中心地に到着しました。町というには少し規模が小さい規模で、沖縄の離島らしい集落です。

 中心集落は、前、名石(ないし)、南、北の4集落が隣り合って構成されています。それらのほぼ中心にある波照間公民館のすぐ近くに今回の宿『民宿・星空荘』に到着しました。『日本最南端の宿』だそうです。

 部屋に通され荷物を起きました。時刻は16:30過ぎ。大阪の自宅を出発したのが 朝の9:30だったのに、夕方には大阪から3000km以上も離れた波照間島に居るのです。日本は狭くなったのでしょうか?

 

◇日本最南端の地へ

 日の入りまでまだまだ時間があります。夕食は18:30頃からだというので、2時間は暇になります。波照間島は曇ってましたが雨は降っていません。もしかしたら明日になったら台風19号が南下してくるかも知れません。雨が降っていない今の間に最南端の地に行くことにしました。

 といってもこれは口実。島に着いてからというもの、『最南端の地に早く行きたい!』とウズウズしていたのです。『あんえい号』での疲れなどお構いなしです。

 宿でレンタサイクル(注19)を借りて、最南端の地に向かって走り出しました。波照間島についての個人サイトで近道を紹介していたので、そのルートで一刻も早く最南端の地に向かうことにしたのです。

 自転車こいで集落を抜けると畑に出ました。サトウキビ畑のようですが収穫が終わってしまい土だけです。一部に刈り取られていないサトウキビがあるだけでした。数年前までは集落を出ると未舗装の道になっていたそうですが、今では舗装された道になっています。南の島には、未舗装のダート道が似合うと思うのですが・・・

 道路に設置された標識通りに進むと遠回りになるので、個人サイトの秘密の近道を通ることにしました。標識とは逆の方向に進むと、空き地から何やら白い怪しい動物がこちらをじっと凝視しています。『何?』と思っていると、その動物が『めぇぇぇぇぇぇぇぇぇ・・・』と鳴きました。そう、山羊(やぎ)だったのです。

 野生なのか飼っているのか分かりませんが、とにかく山羊です。思わず紙でもあげようかと思いましたが、今ある紙と言えば大阪の駅前で貰ったテッシュに入っていた怪しい風俗店のチラシぐらいなものです。そんなモノを山羊に食べさせてはえらいことですので、何もあげませんでした。

 よく山羊を見ると皆角があります。みな雄のようですが、首にロープを掛けられ木にくくられています。雌と子供は何もされていません。どうやら雄をそのままにしておくと、波照間島が山羊の島になってしまうので、雄はくくりつけているようです。

 この後、近道を見失って畑の中に入ってしまいましたが、どうにか近道を見つけました。石がゴロゴロしているダート道を自転車で走ります。最初は畑の中を走っていたのですが、やがて雑木林の中に入って行きます。南方的な雰囲気の林で、何が出てきても不思議ではありません。『この道のどこが近道やねん・・・』と悪態を付き始めた頃に、舗装された立派な道に出ました。本当に近道でした。

 この後、『高那崎』と標された標識に沿って進んで行きます。アップダウンのある1.5車線道をしばらく走ります。スタミナ切れで息が荒くなって来たのですが、『もうすぐ最南端の地だ』という気持ちが強く、全く気になりません。よほど興奮していたのでしょう。

 道は5分ほど走ると、人口600人ほどの小さな島には不似合いな立派な2車線道(波照間環状線)を横切ります。舗装道はダートとなりやがて道は消えてなだらかな丘に到着しました。

 丘の上からは、珊瑚礁が隆起して出来た海岸を見ることが出来ます。南側には『日本最南端の碑』が建っているのが見えています。自転車を停め ると、何はともあれ碑に向かって歩き出しました。

 そして、2000年(平12年)10月26日17:10、『日本最南端の地』に到達しました。

 1995年(平7年)9月25日に北海道宗谷岬に立ってから5年1ヶ月弱かかりました。これで現

在(2000年10月末時点)で訪問出来る『日本最端の地』全て(4箇所)を制覇したことになります。 『最南端の碑』を触りながら、『ついにやり遂げた!』という充実感と『これで終わってしまったなぁ・・・』という残念な気持ちが混ざった複雑な気持ちになりました。長距離ツーリングから帰って来て自宅前に到着した時のあの感じに似ています。日本の4端点を巡るという『旅』を終えたということなのです。

 碑の周辺で撮影を行ったあと付近をうろつきました。碑のさらに南側に広がる岩場を歩いて崖っぷちまで歩きます。珊瑚礁が隆起して出来た岩なので、縁が鋭いのでビーチサンダルなどでは歩きづらい所です。崖から下を除くと、『ざっぱぁ〜〜んっ』と、荒々しい波が岩を削っています。

 これ以上進むと海に落ちてしまいます。本当の『端』という訳で、この崖っぷちの付近が本当の『日本最南端の地』ということなのです。

  東屋の付近まで戻りました。時刻は17:40。もうすぐ日没です。波照間島の集落を離れると、街灯と言うモノは1本もありません。日没後、集落外は完全に暗闇が支配するのです。(注20)

 もうすぐ夕食なので帰ることにしました。岬に行くときはワクワクしていたので全くしんどくなかったのですが、いざ帰るとなるとめちゃくちゃ疲れて自転車を漕いで進むのも嫌になります。波照間島は海岸線から集落に戻る場合、道は必ず上り坂となるので帰りは行きの倍以上の時間がかかるのです。しかも行きと同じ近道を戻ったので、石がゴロゴロしているダートをまた走らねばならず、『あんえい号』で疲れた身体にさらにむち打って ヘロヘロと進むのでした。

 18:15頃にようやく『星空荘』に到着。そのまま食堂に移動し夕食となりました。

(注18)波照間島にある民宿は全部で7軒しかありません。今回泊まった『星空荘』は島の中心にあり、レンタバイクの整備が一番しっかりしているとか。

     島で唯一のレンタカーがある宿という話も聞きました。

(注19)貸し自転車のこと。大阪弁で表現すると、『貸しチャリ』となるんでしょう。

(注20)波照間島では、日没後、自転車やバイク・車で集落外を走るのは非常に危険ですので、走ってはいけません。

◇『星空荘』の旅人

 この日の『星空荘』には、私を除いて4人の宿泊客が泊まっていました。うち1人の方は、向かいの部屋に泊まっておられました。ドアから部屋の中が見えたのですが、荷物が散らばっており長期滞在されているようです。一見すると「お医者さん」の雰囲気がします。厚生省(当時。現労働厚生省)の僻地診療で波照間島に来られているのでしょうか。(注21)

 他にはダイビングに来ているというダイバーさんが2人。来るときの『あんえい号』で前の席に座っていたおっちゃんと、山形から来て沖縄離島巡り&ダイビングをしているというねーちゃんでした。このねーちゃんは、かれこれ3ヶ月ほど沖縄に滞在しているとかで、東北人だというのに肌は良い色に焼けていました。

 あと1人のねーちゃんも『あんえい号』で前の席に座っていた人だったのですが、食事が終わると早々に自室に引き上げてしまいました。 疲れたのでしょう。

 食後、ダイバー2人と私でダイビングの話で盛り上がりました。2人とも300〜400本ほど潜っているというベテランダイバー さ

ん達。100本にも満たない私はまだまだ”ひよっこ”でした。

 この日の晩、星空観測タワーに行こうかと思っていたのですが、あいにくの曇り空で何も見えないだろうということで、明日の晩に行くことにしました。

  さて台風19号は、一旦進路を南に向けましたが、その後北北東に進路を向けて進み出し、宮古島の北西付近を通過して沖縄本島に向かっていました。うまく行けば明日は晴れるかも知れません。

  部屋に戻ると、移動の疲れで23時頃には寝てしまいました。色々あった1日でした。

(注21)北海道や東北、小笠原や沖縄の離島といった診療所のない(医者のいない)僻地に、一定期間寝泊まりして地域診療に貢献するという事業がある

     のです。貢献といっても風邪などの病気の治療や健康診断といったことをやるのですが、急患が生じた場合は適切な処置を施さねばならない時もあ

     り、場合によっては大きな病院のある町に搬送することもあります。全ての知識が必要とされるのです。ちなみに歯科でも僻地診療というものがあ

     り、4週間ほど現地に滞在して集中して治療を行うことになっています。

     後日分かったのですが、波照間島には八重山病院の波照間診療所があって常駐のお医者さんがおられます。ということは、あの方は歯医者さんだ

     ったのかな?別の用事で長期滞在されている方かもしれませんけど・・・(^^;)

波照間島散策 〜徒歩編〜

◇台風一過の・・・

 波照間の夜は少し蒸し暑い。短パンとTシャツという格好で、タオルケットにくるまって寝ても暑いぐらいでした。この時期に大阪で同じ格好で寝たら間違いなく風邪ひきます。

 10月27日(金)午前6時頃、宿のおかーちゃんらの話し声で一度目が覚めましたがまた寝てしまい、午前8時過ぎに朝食だと起こされるまで寝ていました。

 今日は快晴かと思ったのですが、外に出るとど〜んよりと曇っています・・・TVの天気予報では、台風19号は沖縄本島の北西を通過し、九州近海の東シナ海海上にて力尽きて熱帯低気圧になったと伝えていました。私を苦しめた台風の最後はあっけなかったのです。台風は去ったのだから晴れないというのが気になりますが、雨が降っていないのでいいとしましょう。

 食堂で昨日の人達と会いました。ダイバー2人は波照間近海で潜ると言っていましたが、8時過ぎにダイビングショップの人が来て「うねりがひどいのでダイビングできません」と言って来たため、島内観光に切り替えおっちゃんは原チャリ(注22)を借りて出かけ、ねーちゃんは部屋で寝るといって自室に戻って行きました。

 私も自室に引き上げると、眠たくなったので寝てしまいました。まだ疲れているようです。一度起きてからまた寝るなんて・・・忙しい大阪の日常から完全に脱してしまい、非日常の生活にどっぷりはまってしまいまいた。

 10:30頃に再び目覚めました。空は曇っていますが、宿に居ても仕方ないのでぶらっと集落内をうろうろしました。

(注22)原チャリ:原動機付きチャリンコの略。つまりは原付バイクのこと。大阪では自転車のことをチャリというのでこう言うのです。

◇町内散策

 まずは日本最南端の郵便局に行き ます。こんな島にも郵便局はちゃんとあります。日本の郵政事業は素晴らしい。さて記念葉書 を買おうと思ったのですが、残念ながら売り切れてないとのこと。一般葉書を買って消印を貰いました。いい記念になります。

 そのまま道を西に歩き続けて向かった先に波照間発電所がありました。集落内のどこに居ても見ることが出来るほど高く大きな風力発電機があり、1日中(?)風車(プロペラ)が回っています。

 聞いたところでは、この発電所が作り出す電力量は大都市のビルの非常用発電機が作り出す量とほとんど同じだとか・・・まぁ、600人ほどしか住んでいない島名のでそんなに必要ないのでしょう。ちなみに八

重山諸島で島に発電所があるのは、石垣島と与那国島そして波照間島だけだそうです。発電所と言えば、高圧電線が何本も集まって赤白の煙突が立ち並ぶ工場見たいな建物を思い起こしますが、波照間発電所は関電(注23)の一営業所のような感じの建物で、とても火力発電所に見えません。風力発電を行うようになったので、台風などで船が来れず発電用の燃料が切れるとかいう非常事態でも、とりあえずは電気を供給出来るようになったのでしょう。風力発電が出来るほど風の強い島だということなのです。現在では島の電気の約7割を風力発電で作っているとか。環境に優しい発電所なのです。

  来た道を戻ります。ぼ〜と歩いていると道端に蝶が飛んでいるのに気が付きました。10月末だというのに蝶が飛んでいるのです。 やはり南国ですねぇ〜。さて蝶のことはよく分かりませんが、どことなく南方系の蝶だということは分かりました。少し草むらに入って写真を撮っていると、発電所の近くで農作業をしていたおっちゃんに「にーちゃんは、どこの(農機具の)会社の人かね?」と話しかけられました。

 草むらに置かれていた古い耕耘機の向こう側の草むらで飛んでいた蝶を撮影していたのですが、おっちゃんいは耕耘機を撮影しているように見えたようです。 古い耕耘機を撮影するのは、

耕耘機ファンの人か関係会社の人ぐらいでしょう。 「蝶を撮影してたんですよ」と答えたてからしばらく雑談が始まりました。どこから来ただの、この島がどうだの。地元の人と話す時が旅では一番面白いのです。

 その話の中で、おっちゃんは泊まっている宿のおかーちゃんとはいとこ関係にあると言っていました。。狭い島なので住んでいる者のほとんどは親類縁者だとか。島に住む全ての人が親戚だなんて、お正月にお年玉もらい放題なのでは?・・・としょうもないことを考えてしまうのでした。

 宿に戻るべく来た道を引き返します。往路と は道筋を変えて町中の裏道を歩いてみました。

 道は舗装されているとはいえ、家々はまだ昔のままです。波照間島の集落には、沖縄の家という感じの造りの家が多く、沖縄の離島に来たと実感できます。石を積み上げた壁に低い屋根の家。門の両脇にはシーサーがツイになって立っており、庭に面した縁側は戸を閉めることなく解放されており、誰でも気軽に(?)上がることが出来るようです。昔の家はどこでもこうだったのでしょう。(勝手に他人の家を撮影するわけにはいきませんので、写真はありません。) 

 大阪のような大都市近郊では、まず考えられないことです。同じ沖縄でも、沖縄本島や石垣島の市街地は都市化が進んでおり、『日本』本土とそう変わりのない造りの家が多くなっています。違いはシーサーが居ることぐらいです。他の離島にはあまり訪れていませんが、家にも風景にも波照間島はまだ『琉球』が残っているのです。

 集落から少し離れると右写真のような、ダートの道がずっと海まで続いているという光景が広がっているのです。これで快晴だったら最高だったのに・・・ 

(注23)関電:関西電力株式会社の略。関西一円の電気を作り送り続けてくれている電力会社。

◇Let’s Walking

 波照間島を周遊したくなり、原チャリを借りようと宿に戻ったのですが、原チャリ担当の宿のおとーちゃんが配達で留守だというので、帰って来る昼過ぎまでぶらぶらと歩くことにしました。いつもバイクで移動していたりするので、たまには自分の足を使って歩いてうろつくことにしたのです。集落の入口に当たる付近の港からの道沿いに波照間駐在所がありました。島の治安を守ってくれている正義の味方です。当たり前のことですが、島唯一のパトカーはここにしかありません。

 交番の建物には大きく日本地図が描かれ、端の方にある石垣島の南側に白い(元は赤?)島が標されています。そこが波照間島なのです。日本本土よりも台湾の方が遙かに近いことが分かります。波照間島

が、どれだけ南にあるのかがよ〜く分かりますますね。

 この駐在所も南の島らしく、の〜んびりしていました。波照間島は殺人事件はおろか窃盗事件もない平和な島なのです。

 特に行くあてもなく、何気なく道を歩いて行きます。自生の(?)ハイビスカスが咲いており、沿道の草むらには蝶が舞っています。波照間島は本当に『南の楽園』です。時間がゆっくりと流れていて、大阪での時間に追われた生活がウソのように思えます。

 やがて『コート盛』が見えてきました。17世紀に設立されて「のろし」をあげた場所だそうです。

波照間島のこの場所で上げられた「のろし」で、西表島と連絡を取り合っていたとか。波照間島→西表島→小浜島→竹富島→石垣島という順(もしくは逆順)に「のろし」が伝わって行ったそうです。

 実際に『コート盛』の上に登ることもでき、登ってみると北の方角にわずかに西表島の島影らしきものがうっすらと見えます。晴れていたらもっとはっきりと見えるのかも知れません。

 プラプラしながら道を歩いて行くと波照間の港に到着しました。ちょうど第2便が到着するところで、あちこちの民宿から送迎車が集まってきていました。『あんえい号』と『ニューはてるま』とも平常通りに運航されているとか。

 波照間港のターミナル(右写真)で、『日本最南端到達の証』の証明書を購入しまし

た。これで日本の端地4箇所の到達証明証は全て手に入れました。B5版サイズですが折ることができないので、持って帰るのにに苦労しました。

 しばらく港をうろつきました。風が強く、防波堤の切れ目から外洋を見ると昨日ほどではありま

せんが、海は荒れていました。これではダイビングできません。中止は仕方ないですね。そういや今日の高速船(特に『あんえい号』)の乗客はどうだったのでしょうか?

 港を出てまた歩く。西寄りにある冨嘉(ふか)集落に入り集落内を歩きます。『モンパの木』という土産物屋に寄ります。この店でしか販売していない『波照間Tシャツ』や『泡波Tシャツ』と絵はがきを数種類購入しました。この後、冨嘉集落内をウロウロして中心集落に戻り、郵便局に寄って購入した葉書に切手を貼って消印を押して貰いました。

 荷物が増えてきたので、荷物を置きに宿に戻りました。宿の部屋には鍵はついていないので出入りは自由です。宿に戻るたびに鍵を借りる必要はありません。

 宿の入口も出入り自由なので誰でもいつでも中に入ることが出来るのです。波照間島では部

屋や入口に鍵を掛ける必要はほとんどないそうです。店や学校などは別ですけど。島の人はみな顔見知りだし、『人のモノを盗んではいけない』ということを皆常識として心得ているので、そんなことをする人は誰1人いないのです。実に平和な島なのです。

 部屋に戻った後、体調が悪いためか疲れたためか分かりませんが、気分が少しすぐれないので眠ることにしました。

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